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よくある質問と回答
(仏像の特徴)



[2-1] 白毫の上のおでこに生えているものは何ですか。

先日、鎌倉を仏像を目当てに散策していて、不思議に思うことがありました。
その不思議に思い、わからなかったこととは、観音像のおでこにあったヒゲのようなものです。
はじめに「おや?」と思ったのが、長谷寺の長谷観音像でした。
白豪の上のおでこに、にょろっと何かが生えているのでした。
前髪が下がっているような造形ではなく、おでこから上に向かって生え、横にのびていました。
その後、円覚寺の百観音の中にも、同様の表現でヒゲ状のモノがおでこにある観音様があり、疑問が増してゆきました。
あれは、なんなのでしょうか?


長谷寺の観音像をそこ迄じっくり眺めたことはありませんが、白毫の上にあるものは、頭髪のほつれ毛の事でしょう。
仏像の場合、威厳を表すためか、口元に口ひげを書き加えられる事がありますが、同時に、髪際(髪の生え際)の真中にほつれ毛を書き加えた例も見られます。鎌倉・龍峰寺の聖観音像等、鎌倉時代の像に多い様ですが、大阪・観心寺の如意輪観音像(平安時代初期)などにも見られます。白毫から生えているように見えるかも知れませんが、良く見ると額の生え際の真中から描かれていると思います。
口ひげが描かれた例としては、奈良・興福寺の阿修羅像(奈良時代)等があります。
ちなみに、白毫は、如来の三十二相によると、一本の長い毛が渦巻状になったものなので、ほつれ毛が生じる事はないと思います。

仏像を眺めていると、不思議に思う事が度々ありますが、それを一つ一つ調べていくと面白い結果に出会う事があります。通常の仏像解説書に載らない様な、仏像の裏話的なテーマを集めた本に「仏像ここだけの話」(佐藤昭夫著、玉川大学出版部、玉川選書、1981刊)等があります。御参考迄に。


[2-2] 鎌倉大仏の渡金は漆箔なのか箔渡金なのか。

渡金された仏像は、純金をも凌ぐ美しさがあるとさえ感じます。しかし、これらを作るため若くして亡くなった古の工人を思うととても複雑です。
鎌倉大仏のことですが、渡金がしてあったとか金箔であったとか、資料によりまちまちで本当の事がわかりません。金箔の場合も漆箔なのか箔渡金なのか、ある本には銅の純度が低く渡金が出来なかったと書いてありましたが、これを信じれば漆箔ということになりますが、真実は如何に。ご存知でしたら教えてください。


 鎌倉大仏は、「仏像を科学する」の「銅造」の項に記載したように、建立に当たり一文銭を勧請したためか、鉛が約20%と非常に多いことが知られています。通常のアマルガム法では加熱する際に鉛が偏析して斑になり美しく仕上がらないことから、別の手法が採られたと考えられます。
 奈良大仏に比較し、鎌倉大仏については、資料が少なく想像の域を出ませんが、鎌倉時代に行われた奈良大仏の修理記録である「東大寺造立供養記」に金箔十万枚を押すという記述が見えることから、鎌倉大仏についても、青銅の表面に水銀を塗付けその上に金箔を張りつける、銷金押しの手法が用いられたと考えられます。

 確かに、現代でも水銀は有毒金属の代名詞となっており、奈良大仏の鍍金時には、加熱の際に発生する水銀蒸気が作業環境を悪化させたことは容易に想像できます。但し、これに関する文献上の記述は少なく詳細はわかりません。


[2-3] 鉄製の仏像というのは珍しいのですか?

府中市の善明寺の鉄造阿弥陀如来坐像(重文)をみてきました。
まるい感じの像で、みてると、ほっとしました。
ところで、鉄製の仏像というのは珍しいのですか?


現在重要文化財に指定されている仏像は、約2500件(約4000体)ですが、この内、鉄造の像は7体です。
鉄以外でも紙や銀などで造られた像もありますが、特殊な用途、目的で造られたこれらの例を除けば、鉄造の仏像は、少数派に属します。
鉄は、融点が、銅の1083℃に比べて、1530℃と高くて扱いにくく、また腐食しやすいため、仏像の素材としては、余り好まれなかったものと思われます。造像法も、銅造が、ロウ型(密ロウで原型を作った上から土をかぶせて焼き、流れ出たロウの部分に銅を流し込む鋳造法)で鋳造された精密なものが多く、表面も鏨等で仕上げるのに対し、鉄造は、砂型を外型として合わせて造る鋳造法がほとんどで、細い造作が苦手であり、また鋳物の表面が硬く、型の間からはみだしたバリも取るのが困難であるため、仕上がりも余り美しくはありません。
鉄仏は、時代、地域とも限られており、現存する像のほとんどは、鎌倉時代の制作で、また、地域的にも関東地方及び愛知県尾張地方に集中しています。これは、鉄に対する信仰と共に、鉄仏の持つある種の荒々しさが、武家社会の好みと合ったためと考えられます。
どこか、鉈彫像(木造で表面を仕上げず、荒彫りのままにした像−平安から鎌倉時代にかけて関東地方で主に制作された)に通ずる所があるのかも知れません。
善明寺には、坐像と立像の2体の鉄仏があります。
坐像の方は、現存する鉄仏の内では最大の像です。そのためか鋳造技術にやや難があり、立体感に乏しく衣文線も浅く簡素ですが、全体に柔らかく量感があります。御指摘のまるい感じというのは、一般的な鉄仏のイメージですね。
これに対し、立像の方は同様に鋳造の際の欠損部があるものの衣文線等は明瞭で、鉄仏の中でも流麗な像であり、木型を使用したものと考えられています。
鉄造の仏像の多くは背面等に銘文が陽刻されていますが、在銘像としては、栃木県・北犬飼薬師堂の薬師如来坐像が最古の像です(1218銘)。また、造形的に優れた例としては、東京人形町・大観音寺の菩薩像頭部(頭部だけで168cm)、愛知県稲沢市・長光寺の地蔵菩薩立像等があります。


[2-4] 塑像の保存の良さについて塑像の秘密教えて下さい。

奈良の諸塑像の保存の良さについてです。塑像は素材的には最ももろいように思われますが、いったい何故こうも状態が良いのでしょう。
奈良の塑像も後世の修理が入っているのでしょうが、オリジナルの彩色が残っているとは信じがたいくらいです。単に状態の良いものが残っただけとも思えません。
塑像の秘密教えて下さい。


 塑像は、土で造った像ですが、陶磁器等とは異なり、焼成していませんので、一般的には脆い材質として考えられています。
 奈良博に出展する戒壇院四天王像も、振動を吸収する特殊な運搬車でそろりそろりと1時間かけて運んだそうです。
 塑像は中国で花開いた技法で、秦の始皇帝陵の兵馬俑や敦煌莫高窟の諸像などの傑作があります。これらの源流は、古代ギリシャ・ローマの浮彫装飾や彫像に使われたストゥッコとされています。ストゥッコは消石灰に大理石の粉や砂を混ぜて練った、いわゆる漆喰(しっくい)で造形して乾燥させたもので、アレキサンダー大王の東征に伴い東漸したこれらの技術は、西アジア、西域を経てインド、中国にもたらされました。タリバンによって破壊されたバーミヤンの二大大仏も、石彫の上を10cm以上の厚い漆喰で仕上げた一種のストゥッコ像でした(その上に真鍮の板が張ってあったとも言われています)。
 敦煌やバーミヤンなど石窟寺院の彫像がわざわざ塑像で造られた理由は、岩質が脆い礫砂岩で、石彫のままでは脆く、また細かい造形には適さなかったためと考えられます。
 中国の塑像技術は、永年の経験で進歩を遂げ、ストゥッコ像を遥かに凌ぐ造像法として確立されました。塑像は、像の形に合せて木や銅線で形作った心木の上に、細砂と粘土に藁、紙など繊維状のすさを加えた塑土を使用しますが、成形の段階で、荒土、中土、表土と、砂の粒度や割合いを調整した塑土を使い分けて丁寧に成形します。特に、表土に用いる紙すさは細く強靱で、表土に適度な強度を与え、像の干割れや破損を防いでいます。
 日本の塑像の技術は、唐時代にほぼ完成した中国の技術が直接導入され、かつ官立の造仏所等で造られたため、当初から高度な技術で造像が行われました。

 古仏礼讃の天福寺の所に記しましたが、風雪に曝されるような場所に近年まで放置されていた天平時代の塑像があのように残されているのを見て、日本の塑像技術の優秀さに頭が下がる思いがしました。

(後日談) 奈良博物館の「東大寺のすべて展」で、戒壇院の四天王像を見ながら、先のご質問の塑像の秘密のことを考えていました。塑像の制作方法は前回書いた通りですが、箆で表土を仕上げる際、粘土細工のように箆を押付けて成形するのではなく、湿った状態ですばやく擦るようにして、表面を平滑にしていきます。塑像は乾燥の進行に従って、表面に水分が出てきますが、その湿り具合に応じて表面に皮膜を形成するようにその作業を繰り返します。
 これは何かに似ているな〜と考えていたら、光る泥だんごを思い付きました。光る泥だんごは最近テレビ等で紹介されブームになっていますが、早速、日本泥だんご科学協会(何にでも協会があるんですね〜 http://www2.ocn.ne.jp/~tutimizu/)のホームページを覗いて見たら、塑像の表面仕上げにそっくりではありませんか! さすがに紙すさを混ぜたりはしていませんが、表面の皮膜を作る方法は全く同じです。

 塑像の秘密の一つは、光る泥だんごなのですね。

 アラカルトの「仏像を科学する」のコーナーに、塑像のことを記載しています。


[2-5] 胎内仏・胎内遺物の文献があれば教えて下さい。

胎内仏・胎内遺物に興味があり調べていた所、こちらのページを見つけました。
これから仏像の胎内から見つかった文書についての研究をしたいと考えているのですが、よい文献があれば教えて下さい。


 石山寺の胎内仏のニュースには驚きましたね。確かに、胎内納入品は、仏像あり、摺仏あり、仏舎利あり、五臓六腑あり、古文書ありとバライエティーに富んでおり、なかなか興味深いものがあります。
 胎内納入品は、仏像の内部に納入されているという性格上、修理、調査の段階で発見されるものがほとんどであり、修理報告書に記載されるものが多いようです。
 逆にいえば、仏像は、先祖の供養、諸願成就のために造立されるものですから、胎内銘の記入や造立経緯、結願書、供養物を納入するのは当然の行いで、ほとんどの修理報告書にはその事が明記されているとも言えるかも知れません。
 それ故、個々の修理報告書を当るのが一番確実です(と言っても発行者もバラバラで、膨大な量です)。

 これらの、胎内銘、納入文書を纏めたものに、下記があります。
  日本彫刻史基礎資料集成 中央公論美術出版 
   (各時代別に1973年から順次出版されました)
  造像銘記集成 久野健 東京堂出版 1985年
 但し、これらは高価であり、東京であれば、中央図書館、国会図書館でご覧になるのが良いと思います。

 やや一般的なのは、かなり古いですが、
  仏像事典 久野健 東京堂出版 1975年(造像銘記集成のダイジェストが掲載されています)
  日本の美術(No.86)像内納入品 倉田文作 至文堂 1973年(胎内仏、胎内納入品の実例、解説が写真入でかなり詳しく説明されています)
 特に、日本の美術「像内納入品」をご覧になることをお奨めします(古書店でしか入手できませんが)。
下記の本にも、胎内納入品の項目があります。この本は現在でも販売されています。
仏像彫刻の鑑賞基礎知識 光森正士・岡田 健 至文堂 3,873 円
 4項 荘厳具と銘文・納入品に関する基礎知識

 基本書は、ホームページの文化財データ−文化財関係参考図書のコーナーもご覧下さい。


[2-6] 愛染明王像の形式

先般、愛染明王の画幅を入手しました。時代は江戸後期のもので、紙本に彩色です。よく眺めてみますと、通常の図像と異なり、第一手が合掌で頭上に獅子頭がありません。それ以外は通常の愛染明王と全く同じです。もしやこれは荒神では?と思うようになりました。それにしても作者は江戸の人ですし、裏書には愛染明王と書いてありますし、裏書にある所有者は現在の群馬県の赤城の人ですし。。。関東地方では荒神信仰はあまり盛んではありませんし、これは一体どういう事なのでしょう?
江戸時代の民間信仰に関する書物でお勧めのものがありましたら教えて頂けますでしょうか。


江戸時代の仏像というのは、余り体系的に纏められていません。案外、フランスのギメ美術館東洋館のコレクションの解説などの方が、充実しているかもしれません。わずかに、江戸仏像図典(久野健編 東京堂出版)があります。
民間信仰については、民俗学のジャンルも含めて多くの書物が出ていますが、文化財に関連するものでは、石仏に関するものが一番多いのではないでしょうか。
日本石仏事典〔第2版〕 庚申懇話会 編 1976 \4,660 雄山閣
石仏巡り入門 日本石仏協会 編 1997 \1,900 大法輪閣 等
民俗学に関連するものは、少し調べてみます。

ところで、愛染明王の画像の件ですが、次のような特徴があるでしょうか?
1)坐像
2)一面三目六臂
3)憤怒像
4)両手に弓と矢を持つ
5)蓮華座の下に宝瓶をもつ
   
これに以外に(というか、最大の特徴ですが・・・)獅子冠、金鈴、五鈷杵がありますが、これは無いということなので、上記の特徴がひとつでも欠けていれば、愛染明王像の可能性は少ないと思います。
また、三宝荒神は、通例では八面六臂で、合掌印のものは無いと思いますが、民間信仰の部類で、いろいろな形式があるのかもしれません。

(その後、下記のような連絡を頂きました)
愛染明王の件、早速江戸仏像図典で調べてみました。なんとそこには、合掌の像も掲載されていました。私はてっきり荒神(如来荒神の憤怒形版)とばかり思っていましたので驚きました。
それにしても江戸時代の庶民の信仰は実に興味深いものがあります。私の所有する不動明王の画幅に至っては四童子(これも珍品)と何故か日輪、月輪が描かれています。