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よくある質問と回答
(文化財紹介)



[3-1] 群馬県四万温泉の近くにいい仏像はないでしょうか

 夏に家族旅行で群馬県の四万温泉に行くのですが、近くにいい仏像はないでしょうか・・・


 四方温泉でしたら、新湯から2Km北の日向見温泉に日向見薬師堂(国重文)があり、十一面観音坐像(室町時代)が安置されています。
 中之条から 四方温泉に行く途中の善福寺(吾妻郡中之条町山田)には善光寺式阿弥陀三尊像(銅造 県重文 鎌倉時代)がありますが、午年の御開帳の秘仏です。
 中之条から3つ目の矢倉駅のそばにある行沢馬頭観音(吾妻郡吾妻町岩下)の馬頭観音立像(県重文 鎌倉時代)は、等身大の優しい像です。

 お勧めと言えば、場所は離れますが、やはり善勝寺の鉄仏の阿弥陀如来坐像(国重文 鎌倉時代)や日輪寺の鉈彫の十一面観音立像(県重文 藤原時代)でしょうか。善勝寺像(前橋市端気町)は数少ない鉄仏の優作(頭部と手先は青銅製)、日輪寺像(前橋市日輪町)は、初期の鉈彫りの荒々しさが消えた優しい面相の像です

 このほか、群馬県では、近年の修理の際、仏師快覚の作であることが判った三光院(沼田市沼田町)の十一面観音立像(県重文 鎌倉時代)や板東三十三観音霊場15番札所長谷寺(ちょうこくじ−通称白岩観音)(群馬郡榛名町白岩)の本尊及びお前立の十一面観音立像二体(共に県重文 藤原時代)が知られます。長谷寺の本尊は彩色を施さない素木像で長身のすらりとした美しい像です。
 群馬県立歴史博物館(高崎市岩鼻町)には、関東では珍しい木心乾漆造菩薩形立像があります。

 6月24日、中之条町の町歴史民俗資料館(中之条町大字中之条町)で、寄託展示中の薬師如来坐像が円空の作である事が判明したそうです。
(上毛新聞:http://www.raijin.com/news/mon/news11.htm)
円空仏はなじみ易いので、奥さんにも気に入ってくれるかも知れませんネ。

 ご家族で温泉&文化財散策なんて羨ましい限りです。私が仏像めぐりに出かける時は、家族の冷たい視線を浴びながらですが・・・。


[3-2] 慈尊院の弥勒如来像は、今度はいつ見れるのでしょうか。

慈尊院の弥勒如来像は、今度はいつ見れるのでしょうか。


 慈尊院の弥勒仏坐像は、21年ごとを目途にお堂の屋根の葺替え時に御開帳することになっていますが、実際には、お堂が傷んで修理費用が国で認可された時点となるようです(お堂も重文です)。数年前にお堂の修理を行ったときに仮堂に移され、何十年かぶりに御開帳されました。実は、仮堂に移す作業時に特別に間近で実見するチャンスがあったのですが、ちょうどその時都合が悪くて行くことが出来ませんでした。


[3-3] 京都大覚寺の五大明王像の公開する予定は。

京都大覚寺の五大明王像は、以前大覚寺に問い合わせたら公開する予定はないと言っていました。大覚寺は以前には御開帳のようなことはあったのでしょうか。今後は無いのでしょうか。


 大覚寺の五大明王像は、何度か御開帳されていると思います。
 2000年春の奈良博の明王展に出品されていましたし、昨年秋の大覚寺の「観月の夕べ」で、重要文化財のふすま絵と共に特別公開されました。
 京都は、色々キャンペーンを行っていますので、御開帳の機会はあると思います。


[3-4] 快慶の仏像で関東近郊で拝観できるお寺をお教えください。

快慶の仏像は間近で拝観できる所は少ないようですね。もし、関東近郊で拝観できるお寺などが有りましたら、お教えください。
それともう一つ、私は快慶の仏像に深い精神性を感じもっとも心惹かれるのですが、運慶に比べ人物を知る資料が少ないことが、少々物足りなく感じてしまいます。


 確かに、運慶に比べると快慶の人物像は余り捉えどころが無く、明確な印象を与えない所があるかも知れませんね。作風も質実剛健な運慶に比べ、完成された流麗さを感じさせます。

 快慶の確実な遺品は現在38例知られていますが、関東の作例としては、唯一、足利・真教寺阿弥陀如来立像があります。
 この他、現在、広島・耕三寺(耕三寺博物館)の所蔵となっている阿弥陀如来坐像が、かつて伊豆山常行堂に伝わったものといわれています。

 快慶の代表作としては、
弥勒菩薩立像 米国 ボストン美術館
僧形八幡神像 奈良 東大寺(秘仏10月5日開帳)
文殊五尊像 奈良 文殊院
十大弟子像 京都 大報恩寺
阿弥陀如来立像 岡山 東寿院
阿弥陀三尊像 和歌山 光台院
金剛力士 阿形像 奈良 東大寺
阿弥陀三尊像 兵庫 浄土寺
等がありますが、奈良・東大寺の僧形八幡神像は、間近に拝観できますが、長い間秘仏だっただけあって、彩色も美しく、円熟期の快慶の技量を十分に発揮した像です。

 快慶について書かれた書物は多いと思いますが、参考までに(かなり古いですが)、
日本美術全集12 鎌倉の彫刻・建築〜運慶と快慶 三山進編 学習研究社 1982
特別展図録 運慶・快慶とその弟子たち 奈良国立博物館 1994
日本の美術78運慶と快慶 田辺三郎助編 至文堂 1972

 インターネットでは、奈良国立文化財研究所の学報が参考になります。
奈良国立文化財研究所学報 12
巧匠安阿弥陀佛快慶−日本彫刻作家研究の一節
http://acd.nabunken.go.jp/Nabunken-Doc/hukyu/gakuhou/gaku12/gaku12.html


 国宝僧形八幡坐像は、東大寺の鎮守社である手向山八幡宮にあったものですが、現在は勧進所の八幡殿(大仏殿の西、戒壇院の東隣)に秘仏として安置されています。10月5日のみ御開帳されます。なお同日、勧進所の五劫思惟阿弥陀に如来坐像(重文・鎌倉時代)も公開されます。


[3-5] 東大寺の重源上人像は快慶の作では?

私の推測ですが東大寺の重源上人像は快慶の作ではとひそかに思ってます。如何でしょうか。?


 俊乗堂の俊重房重源像は、銘や古文書の類は残されていませんが、繊細で強い意思を感じさせる面相や、老僧の特徴をこれほどまでに表現できるのは、重源上人と深く係わりあった快慶をおいて他には考えられません。快慶の代表作と考えて間違いないと思います。


[3-6] ギメ美術館の法隆寺金堂三尊像の脇侍像は本物?

ギメ美術館に行くという課外授業があり、参加したのですが、そこで、法隆寺金堂にあるはずの三尊像の一体がありました。仏教美術はてんで素人の私でも知っている法隆寺の三尊像。とても驚きでした。それも、最近までは、これが価値(?)のある仏像だとは認識されていなかったらしく、この別館を造る際に、日本人学者が来て、初めて分かったそうです。


ギメ美術館に行った方に立派なカタログを見せてもらいましたが、江戸彫刻を中心に非常に体系だった展示がされており感心した記憶があります。

この像は、法隆寺金堂西の間に安置されている阿弥陀如来像の右脇侍、勢至菩薩立像だと思います。1991年に、元東京国立文化財研究所の久野健氏(現・仏教美術研究所長)によって確認されたという記事が新聞に載りました。
法隆寺金堂には、正面(中の間)に釈迦三尊像、東の間に薬師如来坐像、西の間に阿弥陀如来像がそれぞれ安置されています。この中で、阿弥陀如来坐像は、飛鳥時代当初の像ではなく、鎌倉時代に、運慶の子、康勝により造られたものです。但し、他の像とバランスをとるため、飛鳥時代の様式に模して造られています。阿弥陀如来坐像は、現在独尊として安置されていますが、左脇侍の観音菩薩立像は別途法隆寺に保管されているようです。
法隆寺の日記によると、明治十四年に金堂から盗まれたとされていますが、ギメ美術館の目録には、中国の十七世紀の観音像として購入されたと書いてあるそうです。

先日、仏教美術研究所の久野健先生にお会いする機会があり、訪れ帖で話題になっている、ギメ美術館の勢至菩薩像のことを伺いました(この像が法隆寺のものであることを発見したのが久野先生です)。
新聞記事では、当時の高田良信執事長(現長老)が買い戻す意向であると伝えていましたが、ギメにとっても重要な仏像であることから、結局、レプリカを作って法隆寺に安置することになったそうです。大宝蔵殿で時々(?)観音菩薩像と並べて展示されているようです(展示替えが定期的にありますので、詳細は確認下さい)。

(満蔵さんから下記の情報を頂きました)
法隆寺勢至菩薩の発見の経緯に関しては、以下の書籍に詳しいです。

『日本の開国』エミール・ギメ あるフランス人の見た明治
 知の再発見創書54(創元社)p180-181

発見したのはコレージュドフランスの日本学の教授、ベルナール・フランク氏。久野健先生に、その調査を依頼したようですね。
ギメ美術館は、明治期の仏教者との関係が深く、1893年には土宜法龍が「御法楽」を執り行なっています。土宜は南方熊楠との往復書簡で知られる真言宗の僧侶です。

(yumiさんから、勢至菩薩像の写真を送って頂き、届きました。仏像礼讃のコーナーに掲示しています)


[3-7] 善光寺の絶対秘仏のご本尊はからっぽか

 私は信州に住んでいますが、善光寺のご本尊は絶対秘仏なんですね。地元のうわさというか、笑い話では、本当は、ご本尊はからっぽなんだ、と言われています。
 法隆寺みたいに、空けてみたら百済観音みたいなすごい仏像が出てきたら面白なあと思うのですが、前立を見てるとあまり期待できないみたい・・・(というとまたバチ当りでしょうか。)


善光寺の噂は現代だけでなく、江戸時代にも、善光寺別当の子孫と称する者が、善光寺の本尊は自分が持っており、善光寺には実在しないと言い出し、評判になったため、元甲府藩主であった老中柳沢吉保が仲介して、善光寺に寄進させるとともに、本尊は実在しないという噂を打ち消す為に、敬ェ(けいたん)という僧侶に本尊を拝見させたと言う記録が残っています。それによると、本尊は一尺五寸(約45cm)、六貫三匁(約24kg)、脇侍は一尺(約30cm)、百七十匁(約0.6kg)であったそうです。また、毎年のすす払いで厨子を持ち上げるとかなり重いそうなので、実在しているのではないでしょうか。

これに対し、東大寺二月堂の十一面観音立像(大観音−二月堂には大小二体の秘仏があります)の場合は、江戸初期の火災の際持ち出されたという、銅製鍍金の光背と天衣の破片が奈良博物館に保存されており、これから天平時代の等身大の優れた像であることが判りますが、これらは、かなりひどく火中しており、秘仏となっている本尊がどのような状態であるかは判りません。

あるいは、今も噂を流せば…どうでしょうか。


[3-8] 東京で拝観できる文化財指定の仏像をお教えください。

 東京にも意外とすてきな仏像がたくさんあるみたいですね。
 深大寺にも昔行きました。
 寛永寺は拝観できないそうですね。
 東京で拝観できる文化財指定の仏像は他にもいろいろあるのでしょうか。国分寺、大悲願寺は1年に一度のようですね。


東京の仏像の白眉としては、やはり深大寺の釈迦如来倚像でしょう。
後は・・・、実は東京の住人なのですが、灯台下暗しで余り都内の仏像は、見ておりません。
寛永寺は普段は公開しませんが、事前申し込みをすれば拝観できるのでは?
国分寺の薬師如来坐像は、秘仏ではないと思いますが、今は御開帳日を設けているのでしょうか。国分寺の文化財保存館の銅造観世音菩薩立像は、昨年(平成12年)の東京文化財ウィークで公開していました。
大悲願寺は、4月21日の御開帳です。

都指定文化財の優作は、多摩地区に多く、八王子・蓮生寺(八王子市別所)の定朝様の中央様式を伝える盧舎那仏坐像(平安時代後期)、薬師如来立像(平安時代)、不動明王、毘沙門天立像(鎌倉時代初期)、清鏡寺(八王子市大塚)の流麗な十一面観音立像(鎌倉時代初期)、日野・安養寺(日野市大字下田)の量感のある阿弥陀如来坐像(平安時代)等が注目されます。

東京文化財ウィークは、文化の日を含めた数日間、都内の文化財の特別公開を行うもので、昨年は、平成12年11月3日から12日まで開催されていました。
昨年の公開文化財一覧は、http://bunkaken.hoops.ne.jp/index.files/topics/tokyo.htmlで。
鉄造阿弥陀如来坐像(善明寺)木造十一面観音世音菩薩立像(清鏡寺)、木造大日如来坐像(龍見寺)等が公開されていました。
今年は、どんなものが公開されるか楽しみです。


[3-9] 長野牛伏寺の平安仏

このコーナーで話題になっていました、牛伏寺、話を聞いただけで行きたくなってしまい今週末に行く事に決めてしまいました。平安仏も興味有りますが、牛と大般若にまつわるエピソードはB級仏像愛好家の私を熱くさせます。


 牛伏寺は平安時代の特徴的な、本尊十一面観音像を初め、多くの平安時代の仏像を残すお寺ですね。平成11年に収蔵庫が出来て、明るい中で仏達を拝観できるようになったようです。
 松本でも有名な信仰のお寺ですから、湯治ついでに行くには最高の場所ですね。また、大般若経を背負って納経する途中で亡くなった牛を祀ったというお寺ですから、体型のりっぱな方は特にご利益があるかも知れません。
 本尊十一面観音立像は33年に一度の秘仏で、昭和59年に御開帳されています。収蔵庫に移されましたが、本尊は厨子の中に安置されていますので、次の御開帳まで拝観できないと思います。もっとも、収蔵庫が出来て変わったかも知れませんが。
 収蔵庫自体も、成人式の前後に開けるのが原則ですので、事前にお寺か教育委員会の文化財課に連絡しておくことをお勧めします。お願いする時は、ホームページを見てどうしてもこの目で拝観したくなったとかなんとか、情熱をもって訴えて下さい。
 牛伏寺ホームページ:http://www.gofukuji.or.jp/
 運良く、拝観出来たら、是非御連絡下さい。
 本尊以外にも、下記のような文化財があります。
 特に、大威徳明王像は、牛に乗った三面六臂六足の東国では珍しい像というだけで無く、造形的にも優れた平安時代の像です。
 また、蔵王権現像も、手や足先を欠く破損仏ですが、修験の神である蔵王権現の精神性を感じさせる迫力のある像です。

本尊十一面観世音菩薩像  藤原時代・国指定重文
脇侍不動明王像      藤原時代・国指定重文
脇侍毘沙門天像      藤原時代・国指定重文
釈迦如来像        藤原時代・国指定重文
脇侍普賢菩薩像      藤原時代・国指定重文
脇侍文殊菩薩像      藤原時代・国指定重文
薬師如来像        藤原時代・国指定重文
大威徳明王像       藤原時代・国指定重文
如意輪観音像       藤原時代・県宝
蔵王権現像        平安時代・県宝
奪衣婆像         室町時代・県宝
男神・女神像       平安時代・市重文
地蔵菩薩像        南北朝時代・市重文
十王像          室町時代・市重文
追儺面二面        室町時代・市重文
童子像      室町時代・市重文


[3-10] 清水寺のご本尊は何時代のものですか。

京都清水寺のご本尊について、手持ちの観光ガイドや仏像の本には解説がなかったので、見た印象で勝手に江戸時代のものだろうなあ、と思っていたのですが、何かのパンフレットで平安時代と書いてありました。平安時代ということでいいのでしょうか。
 秘仏というものは、33年に1回とはいいますが、管理上、お寺の方は掃除に入ったり、研究者が調査するために戸を開けることはよくあるんでしょうね。
 私も、何年に1度かのご開帳という仏様を、知り合いのつてで特別に見せていただいたことがあります。こういうコネがもっと欲しいなあ・・・


制作年代は、いろいろ調べましたがあまり良く判りません。鎌倉時代中期に造られたとも言われますが、清水寺は、比叡山僧兵による焼討や応仁の乱の戦火、江戸時代の火災でなどで何度も焼けており、いずれにしろ江戸時代に大掛かりな修理(造り直しの可能性も含め)がされているようです。
ちなみに、清水寺には、別に重文に指定されている十一面観音立像があり、こちらの方は、平安時代初期の制作と考えられています。
改めて、ホームページの記事を見てみると、秘仏御開帳のコーナーでは『藤原時代(出典?)』、特選情報コーナーでは『鎌倉時代(京都新聞)』となっており整合がとれていませんネ。

秘仏については、ホームページのアラカルト−秘仏のコーナーに記載していますが、長野善光寺本尊や東大寺二月堂本尊、東京浅草寺本尊など絶対的な秘仏は別として、寺を初めとする管理者の理解や文化財保護法に基づく収蔵庫の建設などにより、公開される仏像も多くなってきているようです。確かに、公開は学術研究に限るなどと言う場合もあります。特に地方に行くと、仏像は信仰の対象であり、信者のことを考えるとむやみに公開できないが、一方ではしかるべき人の評価をもらえば、価値が上がるしといった葛藤はあるようです。我々も、地方のお寺を訪ねたときには、我々の活動内容を延々と説明し、やっと拝観できるといった事もあります。
「つて」の話ですが、文化財に指定されている場合には、国や県市町村などから補助金が出ていることから、県市町村の文化財担当課(通常は教育委員会に所属しています)や文化財審議委員または、公共団体(県市博物館、文化財研究所等)を通すのが一番のようです。各寺院のコネを探すより、これらの関係者とコネを作る方が早いと思います。
(神奈川仏教文化研究所はまだ名前が売れていませんので効果はありません。悪しからず。)


[3-11] 三千院の秘仏のご本尊の薬師如来は何時代の仏像ですか。

三千院の秘仏ご本尊御開帳にあわせてお参りしようと思うのですが、ご本尊の薬師如来は何時代の仏像かご存知でしたら教えていただけないでしょうか。


 薬師如来像の事を調べましたが良く分かりません。
 三千院は、寺伝によれば、延暦年間(782〜806)伝教大師最澄が比叡山に根本中堂を創立した時、東塔南谷の梨の大木の下に一宇を構えたのがはじめで、その後、貞観二年(860)承雲が堂塔を整備し、最澄自作の薬師如来を本尊とし、一念三千院または円融房と称したと伝えます。三千院と言えば、今年国宝に指定された極楽往生院の阿弥陀三尊像(藤原時代)が余りにも有名ですが、極楽往生院はもとは三千院のお堂ではなく、本尊は、西国49薬師霊場の第45番にもなっているように、宸殿の薬師如来像です。宸殿は、宮中で行われた御懺法講(おせんぼうこう)等の法儀を執り行うため、昭和元年に再建された建物で、内部中央の間(内陣)には本尊薬師瑠璃光如来像を安置する厨子が置かれ、西の間には歴代法親王が秘仏とされた救世観音半跏像(重文・鎌倉)および不動明王立像(重文・室町)が安置されています。
 さて、この本尊薬師瑠璃光如来像ですが、資料が見当たらず、いつの時代のものか分かりません。今回の御開帳の際に学術調査を行うとの情報もありますので、最澄自作との言伝えはともかく、昨年御開帳後、重要文化財に指定された京都・清水寺奥の院の千手観音像の様に優れた御像なのかも知れません。

(10月9日に開帳されたが、創建当初のものでないことが判明した)
三千院の場合は、火災、移転を繰り返しており、最澄が比叡山南谷に創建した後、比叡山山麓の坂本に移り、鎌倉時代の貞永元年(1232)火災で堂舎を失った後、京都市内船岡山(北区)の東麓に移り、更に応仁の乱(1467〜1477年間)で焼亡したため、所領であった現在地の大原に移転しています。特に応仁の乱では灰塵に帰したと言われていますので、創建当初の本尊が伝わらないのも無理は無いかもしれません。
 小像であったので真先に取出されていればとも思わせましたが・・・。


[3-12] 大津の石山寺の胎内仏

大津の石山寺から、胎内仏が4体見つかったそうですね。
大昔の火事により焼けただれていて、しかも各々時代が異なるとか。
再建された、新しい母仏(いわば継母)の中に、わざわざ再び入れてあげるところに、昔の人の生命を尊ぶ、高い倫理観を感じてしまいました。


 石山寺の本尊に関しては有名な寺伝があり、これによると東大寺大仏の鋳造に際し、良弁僧正が聖武天皇から約18cmの金銅の如意輪観世音像を賜わって、石山の岩上に安置しましたが、その後天平宝字6年(762)に同形塑造の二臂丈六観音半跏像を造り、金銅の小像を胎内にお納めしたと言います。この時の像は承暦2年(1078)に火災に遭い、現在は根本像の形制を踏襲して制作された平安後期の如意輪観世音半跏像が現在の秘仏です。
 今回秘仏の胎内から発見された仏像はまさに寺伝を裏付けるものです。
 寺伝などと言うものに対し、まず眉に唾してしまう我々に新鮮な驚きを与えてくれました。


[3-13] 秩父観音の御開帳

 秩父で12年に1度の御開帳をやっていると聞きましたが、管理人様の好きな仏像はありますか?


 秩父三十四所観音巡礼は、縁起によると、文暦元年(1234)に十三権者が秩父を巡礼したのが始まりといいます。
現存最古の資料である、長享二年(1488)の秩父観音札所番付(法性寺蔵)によれば、当時は、定林寺から始まる三十三ヶ所で、現在の秩父市の大宮宿を中心とした観音巡礼でした。               
三十三という数字は、観音の変化を示す三十三観音からきており、西国、坂東と共に三十三ヶ所でしたが、十五世紀初め、大棚観音が加わることを主張したため、西国、坂東と合せて、観音変化の百観音に因んだ日本百観音巡礼になるようにこじつけて、秩父のみ三十四ヶ所となったとされています。また、この時、江戸からの巡礼を考慮して、江戸からの道順を考慮して札所番付をつけなおしたと考えられています。
今年行われる総開帳は、江戸時代中期ごろからはじまったもので、巡礼が始まったとされる長享二年が甲午(きのえうま)であったことから、午歳の総開帳がおこなわれています。
秩父三十四所観音の文化財としては、主として江戸時代に盛んになったこともあり、古い時代のものは余り多くありません。
 第33番菊水寺には、藤原時代の聖観音菩薩立像があります。また、第4番の金昌寺の境内には、江戸時代のものですが、1000体近い石仏群があります。

 今日の不安定な時代を憂えて御開帳するという例も多いようですが、これらが今の世の救いとなればこれに越したことはありません。


[3-14] 神奈川県にはどんな藤原彫刻がありますか

神奈川県にはどんな藤原彫刻がありますか


 私も、関西にいる時は関東の仏像なんて鉈彫くらいと思っていましたが、鎌倉以外にも結構見るものがありますよ。
 もっとも、中央風の藤原彫刻となると考えてしまいますが、厚木市飯山金剛寺の阿弥陀如来坐像あたりでしょうか。個人的には、破損仏ですが箱根町興福院の菩薩像頭部が好きです。この夏休みに家族で箱根へ行ったついでに、立寄って来ました。お盆で忙しいので覗くだけならと言われ、扉の間からデジカメで撮ってきました。中央の然るべき寺院にあったものと考えられる、誠に優美な御像です。


[3-15] 厚木市にある禅宗のお寺を教えて下さい。

芭蕉の弟子の一人である凡兆という人の
「禅寺の 松の落葉や 神無月」
という句についての調査をしています。
その中に出てくる禅寺についてお伺いしたいと思います。
禅寺とは禅宗の寺院・・・と辞書にはかいてありますが禅寺には実際に松が植えられているのが一般的なのかとか雰囲気を知りたいので実際に禅寺というお寺に行ってみたいと思います。私は厚木市に住んでいるのでその近辺の禅寺を教えていただきたいのですが・・・。


厚木市内にある禅宗のお寺は、多数ありますので、下記サイト等で確認されるとよいと思います。
(宗派は、曹洞宗または臨済宗として検索して下さい)
これが日本のお寺だ
http://www.otera.co.jp/

厚木市では、文化財的には、飯山の金剛寺が有名です。その他、いくつか挙げますと、

金剛寺(曹洞宗)厚木市飯山5456、大同2年(807)弘法大師により開基。
曹洞宗の古刹。平安時代初期の定朝様の木造阿弥陀如来座像が寺宝で国指定重要文化財

清源院(曹洞宗)厚木市三田635本尊の薬師如来は戦国時代の作で、境内には江戸時代の旗本伊東氏歴代の墓がある。桜、アジサイ、紅葉、椿と四季を通じて美しい。

日天山 宝泉寺(曹洞宗) 厚木市上依知1516 今からおよそ500年ほど前、宗珍和尚により開山さた。 

圓光禅寺(臨済宗建長寺派)厚木市愛甲1125 1300年の歴史を持つ名刹 ご本尊は三十三観音の一つである円光観世音菩薩 住職はテレビで有名な織田無道氏

禅寺に松の木があるのが一般的かどうかは知りませんが、お寺の宗派は、途中で変わることあり、禅寺がすべて京都の龍安寺の様ではありませんので承知の上で訪ねてみてください。

俳句の関係では、厚木市に芭蕉の句碑があります。(厚木市資料より)

日枝神社 所在地:243 厚木市松枝町1-6

芭蕉梅塚碑 厚木市域では、俳壇関係最古の石造物。延享3年(1746)に厚木村風月庵左流社中の建立になるもので「東都自在庵祇徳門人風月庵社中」と記してあります。自在庵祇徳とは、蕉門其角系の法師流と称される俳人で、八王子には古学庵がありました。  この左流という俳人には次のような句をよんでいます。

色々や 春を売買う 年の市(『草庵式』宝暦四年 1754)

尉斗目立つ 篭早し 初霞(同上)

*『草庵式』は自在庵祇徳の春帖

*初霞:新年になって野山にたなびく霞。


[3-15] 行基像はどこのお寺にあるのでしょうか。

有名な木彫の行基像はどこのお寺にあるのでしょうか。また行基様のもっておられる持物は何なのでしょうか。


 木彫の行基菩薩像のお問い合わせですが、行基作という言い伝えの像は多くありますが、行基自体の像はあまり多くはありません。
 重要文化財になっている像としては、奈良・唐招提寺の像があります。
 この像は、鎌倉時代の制作になるものであり、現在持物は失われていますが 、持物としては、右手に数珠、左手に如意を握るのが通例です。
 如意は説法、講讃、法会などで講師が手にして威儀をただすのに用いるもので、頭部が雲形になった長さ30cmセンチほどの儀式用具です。