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よくある質問と回答
(文化財一般)



[4-1]仏像に関する用語の英語の定訳を教えて下さい。

友人に頼まれて仏像に関する報告書の翻訳をしているのですが、以下について、英語の定訳がありましたら、教えていただければ大変助かります。
・盛上文様
・刳上式
・肉髻珠
・白毫
・禅定印
・大衣
・偏衫
・裙
・禅刹


とりあえず、用語の解説と訳語を書いてみましたが、余り自信がありません。
どなたか、もっと良い回答がありましたら追記、又は訂正下さい。

1.盛上文様(もりあげもんよう) 
胡粉等で文様を盛上げ、彩色を付けたもの。
胡粉で盛上げた文様という説明になると思います
胡粉はwhitewash 文様はpattern 

2.肉髻珠(にっけいしゅ) 
肉髻は、仏の頭頂部の肉が隆起し、髻(もとどり)のようになったもの
肉髻の正面に水晶の玉を付けたものを肉髻珠という(通常赤色に塗られています)
訳語:ushnisha(サンスクリット語) cranial protuberance
英文解説:a fleshy protuberance on the top of the head

3.刳上式(くりあげしき?) 
通常内刳といい、木造の場合、乾燥による干割れを防ぐため、像の内側を刳って空洞にすることをいう
坐像の場合、像底から刳ることが多く、「像底より内刳」と言うと思います。
訳語:hollowed outか?

4.白毫(びゃくごう) 
如来の眉間にあるという白い毛を表すもので、通常水晶の玉を嵌入することが多い
訳語:urna(サンスクリット語) an auspicious mark
英文解説:a small circular projection appears on the forehead between the eyebrows

5.大衣(たいえ)
如来がまとう大きな布の衣、衲衣という
訳語:robe

6.偏衫(へんざん) 
如来の服制で右肩を露にした偏袒右肩の着衣法の場合に、右肩を隠すために用いた布のことをいう
これは、特殊過ぎて、訳語は無いと思います
強いて言えば、henzan clothか?

7.裙(くん)  
衲衣の下に着ける下着
これも偏衫と同様に適当な訳語は無いと思います。
訳語:kun drapery

8.禅刹 (ぜんさつ)
禅宗の古刹
訳語:ancient temple of Zen sect

9.禅定印(ぜんじょういん) 
釈迦のとる印相で座禅を組む時に膝前で両手を重ねた組み方。
訳語:dhyana mudra(サンスクリット語) hands in the position of meditation 又は dharm world of concentration
mudra は、印相(手の形)、dharaは、法を示します。


[4-2] 信仰のお参りの方の多いお寺の拝観は難しい?

このコーナーで話題になっていました、牛伏寺へ行ってまいりましたが、収蔵庫はやはり拝観叶いませんでした。お寺の方によりますと「個人の拝観希望には対応しきれない」との事でしたので、熱意を伝えるまでもなくあきらめて境内を散策して帰りました。
初めから開扉時期の明示されている場合は何らかの宗教的な理由がある事が多いのですね。
アポなしでもとても丁寧に接して戴いた事も度々ですが、やはり事前の連絡が拝観者の最低限のマナーなんでしょうね。


 確かに、信仰のお参りの方が多いお寺は、拝観が難しいことが多いようです。
 笠間のお寺で拝観をお願いした時のことですが、良いともダメだとも言わず、「お経をあげるので厨子の前でお座りください」と言われ、30分程経ってから御厨子を開けて拝観させて頂きました。そのあと、庫裏でお茶を入れて頂きながら、「実はお経をあげている間に、信者の方が見えられたら厨子は開けないつもりでした。今まで30分間もお参りの方が見えないなどということはなかったのに、一体あなたはどういう方なのですか?」と訝しそうに尋ねられました。
 お寺としては、文化財に一定の理解を示しながら、信者に対する配慮もあって誰にでもということには出来ないのかもしれません。また、一方では、色々な所に紹介されて拝観や参詣の方が増えればという気持ちもあり、そのあたりが微妙なところです。


[4-3] 地方の仏像を訪ねる時の注意事項、手続きを教えてください。

地方の仏像を訪ねる際には、どのような手続きが必要なのでしょうか。また、仏像を拝観する時の注意を教えてください。


京都、奈良や鎌倉と違い、一歩離れると拝観料を払えば黙って拝観できるというお寺はほとんどありません。
基本的には、お寺を管理されている方に個々にお願いするしかありませんが、大きなお寺でない限り、専業のご住職は少なく、兼業で昼間は勤めておられる所も多いので、突然訪ねても拝観できないことがほとんどです。このため、事前に手紙や電話で拝観のお願いをする必要があります。
ただ、お寺に連絡しても、仏像を管理しているのがお寺ではなく各種団体や、檀家総代であったり、または住職が遠くのお寺の兼任であることもあるため、市町村の教育委員会の文化財の担当課に連絡先の紹介をしてもらうのが一番確実です。


[4-4] お寺の立て看板などにある「旧国宝」の意味は?

お寺の立て看板などに「旧国宝」などと言う表示を見かけますが、あれは何なのでしょうか。教えてください。


昭和24年1月、法隆寺の金堂壁画が焼失したことをきっかけとして、文化財保護制度が見直され、昭和25年5月に現在の文化財保護法が成立しました。(今年は50周年記念にあたり、日本国宝展がひらかれました)
新文化財保護法の施行に伴い、それまで旧制度で国宝として指定されていたものを一旦指定解除し、新たに「国宝」、「重要文化財」として指定されることになりました。
国宝、重文の区別は、文化庁の定義によると、「有形文化財のうち重要なもの」を重要文化財,さらに「世界文化の見地から特に価値の高いもの」を国宝としています。
御指摘の例は、旧制度上の「国宝」を「旧国宝」と表記しているものと思われます。所有者にとっては、ある意味格下げとなったと感じて、威厳をつけるためと思いますが、半世紀も前の呼称であり、今は重要文化財も立派な文化財です。

現在国宝は1,056点(内彫刻は、123点)、重要文化財は12,192点(内彫刻は、2,572点)となっています。ちなみに国宝一号は、京都・広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像、彫刻の123号(最新)は、奈良・円成寺の大日如来坐像です。

旧文化財法に基づく国宝が何点あったか資料がありませんが、どなたかご存知でしたらお教え下さい。

なお、国の指定文化財以外に、各都道府県、市町村で独自の基準で重要文化財として指定しているものがありますが、これらは、通常県文、市文として区別しています。

(だいきさんより下記の情報を頂きました)
確かに「旧国宝」という表示みますよね。今となっては、ほんとに何の意味のがあるのやら。
旧国宝の数は、私もわかりません。すみません。

ちなみに旧国宝制度は、昭和4年の「国宝保存法」によるものです。
記念物に関しては、大正8年に「史蹟名勝天然紀念物法」が制定されてます。
また、たまにみる「重要美術品」は昭和8年「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」に基づきます。これは国宝に指定されていない美術品が海外に流出するのを防ぐのが目的だったものです。

で、管理人さんのとおり、昭和24年に「国宝保存法」「史蹟名勝天然紀念物法」をなくし、文化財保護法ができます。
が、文化財保護法の附則事項として、「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」は当分の間なおその効力をもつとされ、「重要美術品」の名称が未だに使われているわけです。
(いつまで「当分の間」なんでしょうね)

文化財保護法もいろいろ改正されていて、
昭和29年に、無形文化財、民俗資料の新設、埋蔵文化財保護の拡充
昭和50年に、民俗資料を民俗文化財とし、重要無形・有形民俗文化財に。埋蔵文化財の充実、伝統的建造物群保存地区、文化財保存技術の新設
平成8年に、登録有形文化財(建造物のみ)の新設
平成12年に、地方分権に絡み、史跡名勝天然記念物の現状変更事務を各自治体におろす
という感じに充実してきてます。現在の文化財保護法は昭和50年の改正のをベースにしています。

各県や市の文化財は、○○県(市)文化財保護条例に基づいて指定していると思います。
有形文化財ですと、昔は「県(市)重宝」といってたみたいですが、最近は「○○県(市)指定有形文化財」とするところが多いみたいです。
自治体によっては、古い?「重宝」という名称を使っていますが、条例を改正していないのでしょうね。
また、最近では建造物以外の有形文化財も「登録」文化財として保護する自治体もあるようです。


PS 法律の情報は、文化庁文化財保護法研究会編「文化財保護法改正のポイントQ&A」(平成9年 ぎょうせい)に拠りました。


[4-5] 仏像を古色について

平等院のものや浄瑠璃寺の諸像にとても強く惹かれております。
これらの像は金箔がきれいに残っており、創建当時の姿をイメージすることができるからです。
現在では彩色や金箔の剥落した仏像を古色の味わいがあるなどと言い、美術的、あるいは骨董的価値ばかりが賞賛されることが多いように思いますが、私はこれに疑問を感じております。
古来より、仏像は何らかの形で修理修復などの手入れをしながら現代に伝えてきたもののはずです。
仏像に佗び寂びを持ち込むな!とどなたかが言っていましたが、私も同意見です。


仏像の古色の味わい云々については、過去にも多くの意見があります。古建築の解体修理のたびに、あの朱丹と緑の彩色について議論がおこりますが、確かに、当初のあるべき姿を認識することは必要です。
しかし一方で、それが受けてきた長い間の変貌もその歴史であり、容認しなくてはならないものだと思います。これらは数年で役目を終えるように造られた訳ではなく、数十年、数百年、場合によっては永遠に存在することを前提に造られているはずです。
宮大工の西岡常一氏が奈良・薬師寺の西塔を再建したときに、「屋根の傾きがゆるすぎて落ち着かない」と言う意見に対し、「木は生きているから、瓦の重みで次第にたわみ、3、400年後には、丁度良い形に落ち着きます」と答えていたのを思い出しますが、確かに昔の人は、我々よりももっと長いスパンで物事を考えていたのでしょう。


[4-6] 博物館の展示物は全部本物か。

大倉集古館の仏教美術の展示を見に行って、ふと、果たして全部本物か?との疑問が涌いてきました。
某国立美術館に収蔵されている某仏教美術品は自分が造った、と言っている人に会った事があります。
どこまで信じていいことやら。。。。今までは博物館、美術館の展示は全て本物と確信した上で観ていたのですが、少々疑い深くなったこの頃であります。


昔から古美術の歴史は贋物の歴史と言ってもいいほど多くの贋作事件があります。
各種の焼物の復元に取組んで独自の芸術の世界を創出した加藤唐九郎氏の作品が、鎌倉時代の焼物として重要文化財に指定された、「永仁の壷」事件が有名です。
つい数年前には、さる医療法人が奈良国立博物館の薦めで購入した、ガンダーラ菩薩石像に対し、古代オリエント博物館の田辺勝美氏が贋作であると主張し、公開討論会が開かれ、その後、田辺氏がドリルで石像を刳り抜いて材質調査を行うという事態に発展した事件もありました。

各博物館、美術館等の展示品も、多くは市場からの購入品であり、真贋問題を避けては通れませんが、学芸員の眼力を信じるしかないのかもしれません。こと古美術に関しては、本物ばかり見ている学芸員よりも、古美術商の方が、真贋の見分け方においては上手かもしれませんが、国立機関の購入品については、古美術商も参画していることが多いようです。

仏教美術の歴史においても、鎌倉時代には天平時代への、江戸時代には鎌倉時代への復古活動がそれぞれあり、多くの模像が制作されてきました。これらの像が模倣なのか復古なのか贋作なのかは考え方の問題であるのかもしれません。


[4-7] 登山道標の虚空蔵芥菩薩「芥」のあくたと言う文字の意味は?

近くの山(東丹沢、鐘が嶽)の登山道には、山頂に七沢浅間神社が、また昔、寺があったためか、27本の文久以前の登山道標があります。その道標の一つには、虚空蔵菩薩の像が上にのっています。実は、現場の仏像には、虚空蔵芥菩薩とあり、「芥」の一文字がさらについています。 
ちりあくたのあくたと言う文字ですが、どこを調べても、「虚空」を「蔵」している菩薩との意味がとおらないように思われます。
このような言葉は仏教用語としてもともとあるのでしょうか? ご存知でしたらおおしえいただければ幸いです。


芥菩薩の件ですが、調べましたが良くわかりません。民間信仰で芥神(あくたがみ)と言う信仰があり、旅の無事を守るために峠に置かれる例があり、それと菩薩が同一視されてということも考えられます。

なお、菩薩の異字体として下記のように表される例が多くあります(チチ菩薩とも言われます)。



芥と言う字に似ており、これではありませんか?
また、いく機会がありましたら確認してみて下さい。


[4-8] 海外に流出した文化財

ギメ美術館の話、とても面白く読んでいます。
盗まれたものが、ちゃっかり外国の美術館に展示されているなんて、悔しいような気もしますが、ちゃんとした所にあるんだから、よかったのかな、とも思います。


明治時代にはたくさんの美術品が海外に流出し、アメリカのボストン美術館の浮世絵のコレクションは、日本を含めても屈指の所蔵量を誇ります。また、快慶の弥勒菩薩立像や平安初期の木彫など、日本では国宝に指定されるようなものも数多くあります。確かに悔しいとも思いますが、日本に残っていたら、これほど管理されて、保存されていたかと思うと、流出してこそ、今に伝えられたという面もかなりあると思います。
敦煌のいわゆる敦煌文書が、スタインやペリオ、また大谷探検隊に奪略された(お金は払っていますが、価値に比べると実質的には奪略に近い)と非難されますが、敦煌の研究、後世への伝達という面から見れば、逆に彼らに感謝しなければならないのかもしれません。少なくとも、バーミヤンの大仏の破壊に手をこまねくばかりの我々にとっては・・・。