訪れ帖

 


[399] 攻玉社 -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2003/05/09 00:55:11 del:

ご令息が攻玉社に通っておられたとは恐れ入りました。まさに志摩藩士近藤真琴が明治に海軍予備教育機関として創設した攻玉社の後身なのですね。
僕がスタッフに入った時、「スタッフ名を近藤真琴にしたい」と言いましたら代表に「攻玉社のか?」と聞かれました。さすがに海軍に居られただけあってご存知でした。
和具のてこね寿司は、僕の高校時代の同級生が和具の人だった関係で何度か食べたことがあります。その頃観音堂も行ったんですが、本尊は秘仏で厨子の扉は閉められてました。
ところが、いま四日市市立博物館でその秘仏十一面観音像があっさり拝めるのです。
松坂のホルモン焼は食べた事がないです。松阪肉って言いますが実際には但馬の方の産の肉なのだそうです。
四日市市立博物館へはお越しになられますか。「空海と高野山」は今回見逃してもまたいつか見られる内容ですが、「仏像東漸」はまず二度とお目にかかれない内容です。慈恩寺も廃寺になってあの有名な薬師立像も今後は博物館にお預けになってしまうそうですし。



毎度バカバカしいお笑いを -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/05/09 13:05:03 del:

食べ物の話になると、止まりませんが、松坂牛は、兵庫県温泉町地方の但馬牛の子牛を買ってきて松坂でビールを飲ませて育てるのだそうですね。
松坂のホルモン焼は、その牛の内臓だから、直接ビールを吸収していて美味しいのでしょうかね?
牛肉と言えば、思い出がもう一つ。仙台に行ったときに精肉屋の店先に「最上牛100g ○千円」という値札が。さすが仙台、最上牛(もがみぎゅう)は高い!と感心したら、「もがみ」ではなく、最も高級な「さいじょう」級の肉の事でした。
お後がよろしい様で。

四日市には、仕事でちょくちょく行っていますので、今月末あたりに東京を早めに出て、博物館に行ってきたいと思っています。慈恩寺の事は知りませんでした。地方に行っても、残っているのはお寺の名前だけで、仏像は篤志家がお守りしている、という例も多いですね。
もっと、文化財保護の認識を高めることが必要なのでしょう。




[397] 広報担当になりました -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2003/05/08 01:48:34 del:

今晩は。古佛へのまなざし西日本の近藤です。黒田副代表の推挙により、五月六日付けで奈良本部広報に出仕することに相成りました。上野から奈良まで車で40分ぐらいなので問題はなく、むしろ毎週奈良へ行く理由が出来たと喜んでいます。これまで奈良、山科、美河、結城とこちらへの広報担当が交替してきたようですが、僕は出来るだけ長くやってみたいと考えています。
今日、用事で大津市へ行ってきましたが、その時菊亭編集長から頼まれていた図録を大津市歴史博物館で買ってきました。比叡山の里坊の仏像調査報告書とは、すごいものが出ていますねー。大津市歴史博物館は秋に仏像特別展「坂本の仏像」を予定していますが、この調査報告書の仏像も幾つか出されるんでしょうね。
これからよろしくお願いいたします。


近藤真琴先生 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/05/08 20:32:31 del:

 私の息子二人が攻玉社にお世話になっており、父母参観の度に近藤真琴先生の銅像を拝んでおります。
 上野はいいところですね。黒田さんが書いておられるように、三重の仏像は中部というよりはほとんど畿内に近いものがありますが、残念ながら各地に点在しているため、遠くに住んでいる者には一元的に見ることが難しいのが難点です。その点、県内に住んでおられるのは羨ましい環境です。和具のてこね寿司と松坂のホルモン焼も美味しいし(^^;)。       

 比叡山の里坊の仏像調査報告書は、私もまだ拝見しておりませんが、未発表の像も含まれているそうですね。日本の仏教の母胎となった地だけに興味深いところです。




[395] 密教のこと -投稿者: 黒田明孝 home page 返信 2003/05/06 23:10:51 del:

再び、黒田です。
密教美術論と申されましても、どう書いていいのか悩みます。草稿を推敲するのは楽しいですが。
密教は仏像の歴史を複雑にしたのみならず、一面では再編せしめたとも言えましょう。その仏像の差異の発端は空海と最澄との人間関係そのもの、それが宗派としての真言、天台の方針の差異にもつながったように思っています。厳密に密教仏像といえば本当に数少ないので、その内実をどうやったら皆様にうまく伝えられるか。それが私の課題のひとつです。
震災の時は大変でした。三日後に骨皮と波多野と宇喜多が救援物資を持ち寄って見舞いに来てくれました。骨皮が持ってきてくれたココアの味が忘れられません。波多野や宇喜多はボランティアに参加して炊き出し応援などやっていましたそうです。


空海と最澄 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/05/07 00:46:20 del:

 空海と最澄の人間関係は、その生い立ちや中国での行動、帰国後の振舞いなど興味が尽きません。律とした空海の純粋さと、最澄の良い意味での優柔さが、確かに両宗派の仏像の相違に現れています。
 密教美術というと、やや宗教的な観点からの見方が多い様に感じますが、より即物的な観点からの切り口を教えて頂くと有難いですね。




[393] 挨拶の言葉 -投稿者: 黒田明孝 home page 返信 2003/05/06 02:06:00 del:

管理人高見徹様、初めまして。
黒田宗円明孝、このたび古佛へのまなざし第三代副代表の責務にあずかり、今月からは高見様にも色々とお世話になることと思い、ここに挨拶の言葉を書かせていただきました。
私、一応仏像彫刻史を勉強はしましたものの未だに分からぬ事ばかりで、果たして古佛へのまなざしにおいてお役に立てるのか、はなはだ心許なき次第ではありますが、心機を改めて精進させていただきます。
去る5月3日の会議で今後の活動や方針も新たに決まりました。詳しくはいずれ広報より連絡させていただきますが、まずは余裕ある計画を目指して無理のない作業を進めてゆきたいです。
一応、私は密教関係を受け持つ事になるようですが密教自体まだ自分ではよく分かっていないところが多いので、あまり大した活動も出来ないかもしれません。懇切なる御指導をいただけると有り難いです。
共同企画の件でも色々とお世話になっておりますが、今後もどうかよろしくお願い致します。


こちらこそ宜しくお願い致します -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/05/06 12:31:47 del:

 副代表自らの御挨拶恐れ入ります。
 神戸大震災の際の御心労からアメリカへ行かれたとお伺いしましたが、私の両親も西宮で震災に遭い、その日の夜に徹夜で車を走らせ、小学校に避難していた父親と寝たきりの母親をとんぼ返りで東京に連れて帰りました。私の育った家が傾いているのを見て慄然とした事を昨日のように思い出します。その後すぐ仕事でアメリカに行きましたが、向こうでも皆から大変だったろうと慰めの言葉をかけられ心が癒されました。
 黒田さんにとって、思い出したくない事だったら御免なさい。

 密教は仏像の歴史を複雑にしてしまいましたが、逆にそれが無ければ仏教美術は、余りにもシンプルで面白味の無いものになっていたのかも知れません。
 黒田さんの密教美術論を楽しみにしています。




[391] 紹介してくれてありがとうございます。 -投稿者: あやの 返信 2003/04/27 15:44:11 del:

はじめて書き込みいたします。私は、県立金沢文庫の職員です。現在、特別展「釈迦と仏弟子たち」を開催しています。金沢文庫では珍しい、インドの仏伝彫刻から重文の清凉寺式釈迦如来立像、地元のお寺からお借りした仏涅槃図などを並べています。ぜひ遊びにきてください。それとこちらのホームページとリンクが切れているようですねぇ。


金沢文庫の企画に期待しています -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/04/27 19:43:16 del:

 トピックスの展示会のコーナーに紹介させて頂きました。
 リンクは早速修正します。申し訳ありませんでした。
 今、館長は真鍋俊照先生でしたでしょうか。当研究所の川尻所長と先生は知合いで、私も文庫が称名寺の境内にある時に、何度か先生の講演を聴きにお邪魔しました。新しくなってからも何度かお伺いしましたが、建物も随分立派になりましたね。またこのところ意欲的な企画が続いていて、今後とも期待しています。




[390] 運慶論? -投稿者: チクセノカウシ 返信 2003/04/25 00:43:25 del:

 ほとぼりが冷めた頃にぼちぼち。
「ですます調」で書き始めたのでそのまま掲載。

 私は、一人の仏師に対して編年をしようとは思わないし、編年という作業は、時代に対して行われるものだと思う。
 私が興味あるのは、定朝、運慶なる仏師ではなく、時代による様式の変化で、藤原なる様式から鎌倉なる様式にどのようにして変化していったのかという事である。時代の区分をグラフで言うところの変曲点で判断するとすれば、当麻寺弥勒が天平であり、唐招提寺木彫群が貞観であるように、円成寺大日は鎌倉であると思う。これは作者が運慶だからでも、実年代が藤原末期だからでもない。時代は断絶しているわけではないので、ここに示した尊像が前時代の様式をもっているのは当然であり、その中に鎌倉といえる造形が見られるかどうかであろう。
 鎌倉といえる造形は、写実性であり、正面鑑賞性からの脱却である。飛鳥から白鳳にかけての様式の変化に伴う側面鑑賞性や、貞観彫刻に見られる側面の量感などは、確かに側面から見ることを意識はしているが、どの角度から見ても一分の隙も無いという彫刻は、鎌倉時代にしか見られない。その意味では、康助や、康慶(仏師の造形様式ではなく、これらの仏師が関与したと考えられている尊像の流れ)も藤原と言わざるを得ない。
 鎌倉なるものの造形は、写実性と全方位鑑賞性を保ちつつ、衣文線の深さや写実性、雄渾性を強めていく。それでも尚且つ円成寺大日に鎌倉なるものが希薄だという点があるとすれば、それは、作者運慶の置かれた立場の表れであろうか。藤原時代末期において、慶派は院派の傍系であり、康慶は成朝の傍系であり、その子であった運慶の立場は、定朝様式のマインドコントロール下に在ったともいえるだろう。運慶は藤原から鎌倉へという流れの中で、彼の仕事を淡々と成し遂げたのである。
 その中でなしえた仕事に藤原様式が見られるのは当然であり、不思議ではない。しかし、我々が表面上見られる個々の表現に相違を感じるほど、彼は、自分の造形様式を押し殺して制作活動を行ったのではない。運慶の天賦はその写実性と意志性であり、独創性ではない。快慶が様式に対して器用であったのと対照的に、運慶は様式に対して不器用であった。彼にとっては、その造形様式の基本は何ら変わるところは無く、ただ表面上の表現がほんの少し異なるだけなのだ。

 絵画の世界では、ゴッホや、ユトリロやピカソといった確固たる地位を築いた一流の画家も、その画風は大きく変化している、ゴッホとゴーギャンの共同生活の希望と破滅、ユトリロの爛れた生活は、その作品に大きな影を落として、彼らの生活振り、人生観を知れば知るほど、その作品を見れば作者に同期する。
 例えば、ピカソは、10代後半から91才で亡くなるまで多くの作品を残す。彼は、幼いときから美術教師である父に絵画の手ほどきを受け、14才でバルセロナ、16才でマドリッドの王立アカデミーに入学し絵画教育を受けた神童であった。
 親友の突然の自殺に端を発し引きこもりとなった「青の時代」、パリに移ってからの「薔薇色の時代〜キュビスム」、結婚後、息子にキュビズムが嫌いと言われ始まったとされる古典主義回帰の典型といえる「新古典主義」、第二次大戦の衝撃により制作された「ゲルニカ」の時代などの変遷がある。
 我々の眼から見れば、表面上はとても同じ人間が描いたものとは見えず、その造形思想まで含めた変節と見えるかもしれないが、たとえピカソの人生観を変えるような出来事があり、精神的には大きな変化があったとしても、ピカソの人格まで変えたはずも無く、幼い頃に植付けられ染付いた基本の造形技量は何ら変わることないのではないか。
 仏像の場合は、儀軌による表現上の拘束や発願者の要望、時代の重圧があるため、その表現上の変化の振幅は、絵画の世界に比べ小さく、少しの変化も大袈裟に感じられがちであろうが、芸術家の造形作品という点では、本質的に異なるものではない。仏師は、僧侶の位を持っており、芸術家と異なると主張するのであれば何をか言わんやである。

 お粗末!




[388] 運慶論の前に -投稿者: 毛坊 返信 2003/04/13 01:18:35 del:

毛坊です。目下アクセスが比較的難しい状況にあり、ご返事が遅れたことをお詫びします。
伊勢さんにお勧めいただいた運慶論は是非とも果たしたいテーマですが、まだまだ道は遠いと思っています。一点一点の作品を丁寧に考えながら、近づいていきたいものです。
またまた繰り返しになるのですが、円成寺大日像と願成就院阿弥陀像の「造形理念」というのが、それほどに隔絶したものとは私にはやっぱり思えないのです(両者の間に平安・鎌倉の時代の画期を置くことに異論はありませんが)。かつては運慶の割合に晩年の作と言われていた六波羅蜜寺の地蔵菩薩像が、最近では随分遡る時期の運慶作品と考えられています。伊東史朗氏は円成寺大日像と同じ時期まで上げておられます(『院政期の仏像』岩波書店)。そこまで上げてよいかどうかは判断に迷うのですが、清水寺の観音・勢至菩薩像なんかもかなり時期を上げて考えてもよさそうな運慶周辺作品です。こういうのを含めて1170年代後半から1180年代半ばまでの運慶とその周辺を考える必要があると思います。その中で、仏師の個性や力量(簡単に言うと上手いか下手かと言うこと)を考慮しなければならないのは言うまでもありませんが、運慶は康慶とか浄瑠璃寺大日の作者とか横蔵寺大日の作者とかに比べて断然上手いと思うのです。これらの一つ一つの作品、問題を考えて行くのが目下の私の課題です。


仏師論 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/04/15 20:08:15 del:

 仏師毎の作品を並べても、仏師個人の精神性を追いかけるなら兎も角、鎌倉時代の彫像の流れそのものを議論するのには難しいように思います。毛坊さんが言われるように、運慶周辺というように少し範囲を広げて考える必要があるのでしょう。
それぞれの尊像毎に印象を書いて投稿されませんか。




[386] 御連絡 -投稿者: 菊亭晴竹 home page 返信 2003/04/13 00:58:36 del:

古佛へのまなざしの菊亭です。
すでにご存知のように、仏師コーナーのアップを二週間休ませていただくことになりました。すでに出来上がっている文がありますが、伊勢より「我々も高見様もたまには休養すべきである」と提案され、これを受けることになりましたものです。
次の仏師はおそらく藤原のどれかになると思われます。十河正保が執筆をやっているとの情報もあります。天平については差し替えがあるかもしれず、まだアップ出来るまでにはまとまっていないようです。4月下旬にスタッフの見学回が京都で実施されますので、その際に改めて検討して計画を練り直そうと考えています。
あと、遅れましたが、原稿の全部を仕上げていただきまして有り難うございます。奈良の報告では画像の送信量が限定されたために二度に分けられたとか。図版も変換のうえ再編集いたしますのでご懸念なく。バランス上、高見様の連載をもうひとついただけるといいのですが。
例えば仏像の制作技法や科学的調査技法などの記事をペースにしたコラムとか、そういうのがあればいいと思います。


拝承致しました -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/04/13 01:13:36 del:

 御高配頂き有り難うございます。
 人生50年も生きてきますと、それなりのペース配分も出来るようになりますので、余り御心配なきよう。

 私の連載の分につきましては、検討させて頂きます。




[382] 仏師コーナーの次 -投稿者: 伊勢宗瑞 home page 返信 2003/04/12 10:49:55 del:

伊勢です。
現時点で仏師コーナーの次が仕上がってきていませんので、今週と来週は校正とチェック作業を休ませて頂きます。
拙者ら東日本では一番こちらへの書き込みに熱心だった結城嬢が撤退したとなりますと、拙者もうかうかしてられなくなりました。我が小田原戦車師団も後方に下げて温存を図ります。(笑)。
あとは奈良本部広報の連絡をお待ち下さい。
それでは失礼致します。


運慶論に期待 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/04/12 11:52:45 del:

 米軍の空母も一日休養だとか。
 仏師は次の天平、貞観が一番難しそうですね。
 当初計画されていた運慶論、期待しています。
 




[381] 付表作成へ -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/04/12 01:17:14 del:

美河さんとやっている付表の作成にとりかかりますので、こちらへの書き込みを終わります。
短い間とはいえ、色々とお手間を取らせました。
皆さま、左様なら。


色々有難う御座いました -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/04/12 11:39:20 del:

 結城さんの突っ込みにタジタジでした。
 感性の鋭い人ですね。
 唯我独尊と思っていた伊勢さんの、人間臭さも垣間見れましたし。中々興味深かったです。
 
 この訪れ帖も、特に止める積極的な理由も無いので、のんびりと続けます。
 3ヶ月書込みが無ければ自動的に消滅しますし。

 気が向いたらいつでもどうぞ。




[380] 仏師は創作作家ではない? -投稿者: 柳生雅刀 返信 2003/04/11 16:30:17 del:

こんにちは。いつも楽しく拝見させて戴いております。
仏師論で盛り上がっていますが、久し振りに雑感を投稿させて戴きます。(先ほどの投稿、文章に不備がありましたので削除させて戴きました。読まれた方ごめんなさい。)

現代に生きる我々は古仏を拝観し、その崇高な姿から作者(仏師)の芸術性を語りがちですが、わたくしは常々疑問をもって参りました。
何故ならば仏像は仏師だけの作品ではないと感じているからです。現在目にすることの出来る仏像の大半は仏師、僧侶(信仰)、施主(金)の意向が複雑に絡み合って具現化した謂わば合作と理解する事が出来ないでしょうか。
私は仏師の作風や様式の変遷に関しましては余り驚きを感じません。(勿論興味も関心もあります。)現代でも名人と呼ばれる仏師は木屑を払うが如く各時代の復古作を作り出します。その仏師曰く仏像は自分の個性は二の次なのだそうです。これを運慶、快慶等の大天才の作風の変遷に当てはめるのは些か乱暴に過ぎますが、参考に成りませんでしょうか?
この時代の仏師を現代の創作作家の如く自らの造形理念を存分に発揮できる存在のように考えますと作風や様式の変化が何とも理解し難いものとなってしまいます。造佛を発願した場合、仏師の選択を作風や力量を考慮した上で行った事は疑う余地が有りませんが、例え運慶といえど必ずしも独創が許されたとは思えないのです。
一人の仏師の劇的な作風の変化は背後にいるプロデューサーの意向が色濃く影響していると考える事が自然ではないでしょうか。私は仏師自信の理念と言うよりも背後の信仰、思想との”共鳴”がカギを握っていると考えます。

因みに円成寺、願成就院ともに拝観しましたが、共に運慶の作と言う事に関しては何故か違和感を感じず、只「運慶にして出来るいい仕事」と、感心するのみでした。しかし、この経験により運慶=ダイナミック、快慶=優美の思い込みから開放された事は事実です。

以上、素人考えで恐縮に存じます。
ここに投稿される皆様はとうに承知の上議論されている事と存じます。大変失礼致しました。


仏師論 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/04/12 12:24:21 del:

 施主は金は出したが口は出さなかったのか、口も出したのか、実態を明確にするのは難しいでしょうが、目に見えない無言の重圧にはなっていたのは事実でしょう。
 それも駆け出しの若者と、ある程度名声を得た者とでは重圧の程度も異なるでしょう。
 しかし、柳生さんの言われる「仏師の選択を作風や力量を考慮」し、時代の要求に合致したが故に、今に伝えられているという前提から、仏師論が展開されているという面もあるのではないかと思います。




[378] 毛坊殿 -投稿者: 伊勢宗瑞 home page 返信 2003/04/11 01:42:55 del:

毛坊殿、伊勢宗瑞です。
ひとつ、貴殿の運慶論を拝読したいと存じます。神奈川さんのところに投稿されては如何。お互いに運慶論を書き綴って発表しあうのも一興かと存じます。


美術史論 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/04/11 12:38:51 del:

 賛成ですね。人の論文の一部に対してコメントしても、中々主旨が伝わらない事も多いので、ある程度自分の意見を纏めて掲載するというのは、お互いの考え方を理解するのには有意義だと思います。論文といっても、大上段に振りかぶらなくても、今までの論点に関してのみ纏めればよいと思いますので、トライしてみて下さい。喜んでコーナーを設けます。
 歴史に関する論争というのは、過去の事例を見ても揚げ足を取ったり、意地や感情論に走ったもの(別に毛坊さんのことを言っているわけではありません)も多いのですが、結果として関心を高め、研究のレベルを上げる事に繋がっています。
 大橋一章氏が、日本の美術史の論争が法隆寺の再建論争で始まってよかった、これが室町時代の美術品か何かの論争であったら、日本の美術史の研究は今ほど進んでいなかっただろう、と述べておられましたが、全く同感です。
 偉そうに言ってばかりいないでお前も参加しろ?はい解りました。




[377] 運慶の精神構造 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/04/10 01:30:03 del:

骨皮代表が願成就院像と円成寺像とを「別人のようだ」と評したのは仏師云々という問題ではなくて、造形理念の明らかな違いを指摘していたのではないでしょうか。
「同一人物があれだけ異なる造形理念を持てるのか」という驚きが「別人のようだ」という言葉の意味だと受け止めています。高見様が快慶作品について快慶の精神構造の方に興味を持たれているのと同じく、代表は運慶の精神構造の方に興味があるんじゃないかと私は思ってます。運慶の仏像だから一致するしないの問題じゃないのですよ、たぶん。
でも、代表は「実は運慶という仏師の存在は正直言ってあんまり意識してないです」と言ってましたから、運慶仏像だから、というのでなく鎌倉初期彫刻のひとつとして客観的に願成就院仏像を見てたんでしょう。運慶仏像と意識せずに見られるというのは、私のように鎌倉彫刻や運慶のファンである身からみるとなにやらシンプルな見方が出来そうだなあ、とある意味羨ましくもあります。だいたい今の鎌倉仏像論って運慶や快慶の存在にかなり振り回されている面もあるんじゃないかなと思う時があります。




[374] 運慶 -投稿者: 伊勢宗瑞 home page 返信 2003/04/09 01:03:35 del:

夜分失礼致します。伊勢です。
駄文を載せて頂きまして有り難う御座います。
運慶に向き合うのは、正直言って疲れました。資料や論文を沢山読んだからではなく、現在の日本人が疑念無く抱いている「運慶像」の融通の利かなさにてこずりました。骨皮大佐殿が願成就院像と円成寺像とを「別人のようだ」と評したのは、日本仏像彫刻史研究の盲点を鋭く突いていると感じました。それで運慶をどこから理解するかで鎌倉彫刻の基本概念も変わるナァと思い、ますます仏師論の難しさを痛感した次第です。相模、結城にも頑張って貰いたいです。


運慶と快慶 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/04/10 00:00:34 del:

 確かに、運慶というと盲目的にイメージしてしまうというところがあります。かつてバスガイドが東大寺南大門仁王を、「左は運慶、右は快慶、作は左仁五郎で御座います」と解説したように、何か仏師などとは別物の存在として捉えられている部分があるのかも知れません。
 個人的には、快慶の様式の変化、すなわち、初々しい面相とぼってりした側面観のアンバランスが見られるボストン美術館弥勒から、東大寺俊乗堂阿弥陀、公慶堂地蔵、八幡神など神々しい迄の一連の作品との間に、松尾寺阿弥陀、西方寺阿弥陀など人間臭い造像があり、時代によって全く別の顔を見せる快慶の精神構造の方に興味があります。

 仏師たちの夢の益々の発展を期待したいですね。


運慶論 -投稿者: 毛坊 返信 2003/04/10 00:32:44 del:

毛坊です。伊勢さんの運慶論にやっぱり承服できません。
これは骨皮さんのご意見なのだそうですが、円成寺大日像と願成就院阿弥陀像が同一人物の作とは思えないというのは、浄楽寺像の銘札発見に伴う願成就院諸像の再評価以前の時代に逆戻りしてしまうような気がします。仮に願成就院像の方を高く評価するにしても。
このサイトの管理人様も書いておられましたが、私の眼にも円成寺像と願成就院像には共通する一人の作家の手が見えます(寧ろ浄楽寺諸像の方に、違う手が混ざっているような気がします)。それを“現在の日本人が疑念無く抱いている「運慶像」の融通の利かなさ”と語られるのはいささか見当違いのように思えるのですが、如何でしょうか。
そしてもう一度繰り返しておくと、康慶と運慶とではやっぱり彫刻家としての才能が違う気がします。その差は円成寺像と瑞林寺像との間に、また願成就院像と興福寺南円堂諸像との間に、はっきり見えると思います。




[373] いよいよですか -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/04/08 10:26:36 del:

いよいよ「海軍」も活動開始ですか。
願成就院からの帰途、三島市内で夕食をして色々話しましたけど、骨皮代表が「西日本はとにかく色々やってますよ」と。
相模さんの歴史連載で言うと「第一機動艦隊は瀬戸内海伊予灘に集結中」ってところですか。
伊勢さんいわく、「海軍の戦力は、まず第一隊は波多野、菊亭、第二隊は・・」と楽しそうでした。「よしこれで作戦は成功も同然だな、拙者らの目標がやっと現実味を帯びてきた」と。
でも代表は「これだけの作戦は、我々としても一度限りです」とハッキリ言いました。古佛ページの基本的方針が改めて感じられました。なにしろ戦線縮小なんですね。




[371] 出師準備へ! -投稿者: 波多野愛 home page 返信 2003/04/06 01:07:20 del:

お久し振りです。お体の加減は如何ですか。
私たち西日本に正式に「出師準備」の命令メールが発されました。5月の活動開始に向けて、ようやく本館も動き出します。
仏師コーナーもいまは鎌倉ですが、本来のメインは天平と藤原。密教彫刻の世界が広がるのももうすぐです。
姫山の景色も桜に彩られて、姫路城の優美さがさらにひきたちます。6日の日曜日は、骨皮大佐以下の皆さんと姫路城公園でのお花見に繰り出します。


桜満開 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/04/07 12:47:40 del:

 花見はいかがでしたか。醍醐の花見とまではいかなかったでしょうが、絶好の日和でしたでしょう。
 書写山の方はまだ蕾とか。姫路では桜が二度楽しめますね。
 仏師たちの夢では、何度も花開いて楽しみな限りです。
 当方は、4月19日、福島三春の滝ざくらを訪ね春を満喫する予定です。




   

[369] 次の仏師は? -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/04/05 10:54:24 del:

伊勢さんの「運慶」が奈良本部へ提出されたようです。すると次は誰になるのでしょう?
円成寺大日像と願成就院阿弥陀像のギャップは、やっぱり大きくて私も不思議に思っています。運慶作品という先入主が無ければ別の個性みたいです。よくあそこまで発展出来たなあ、と。さすがに天才ですね。
円成寺大日像に関しては、皆さん「運慶の作品だから」という思い込みや色眼鏡がどうしてもあるから実際以上に評価するでしょうが、あれが運慶作品でなかったら、像の評価も平均的にとどまっていたような気がします。仏像の評価はだいたい個人個人の「見た感じ」によるので千差万別でしょう。もっと客観的に作品を解釈するための基準線みたいなものがないかな、と探しています。


天才? -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/04/05 23:36:35 del:

 風邪で3日間程死んでました。

 天才とは1%のひらめきと99%の努力である、といわれます。
 若手の新鋭書家柿沼康二氏は、畳何畳もの紙に大きな筆で一気に書き上げるパフォーマンスで有名ですが、毎日数時間、古典を書写する臨書を欠かさないそうです。作品自体は私にはさっぱり理解できませんが、その臨書は丁寧で美しく惚れ惚れとします。見た目は奔放に見える作品も、実はしっかりした基礎に裏打ちされたものだと実感しました。

 円成寺大日如来像に見られる藤原仏の肉付きや造型は、運慶の確かな彫像技術を示すもので、その中にも写実性を加え、新たな方向性を見せていると言う意味で、願成就院阿弥陀三尊像とびっくりするようなギャップがあるとは感じませんがどうでしょうか。
 仏像を客観的な評価というのは、大きな時代の流れの中では、法量の割合や、髪際、眼、衣文など目安があるのでしょうけれど、飛鳥初期や天平末期、鎌倉初期など、外からの文化の流入や、天才たちによる変革があった場合には、難しいのでしょうね。




[367] 骨皮代表の疑問 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/04/04 00:38:50 del:

そういえば骨皮代表は願成就院の阿弥陀像を見て絶句していましたよ。感動したのじゃなくてものすごく疑問だったそうです。曰く、
「円成寺大日像を前提にして考えると造形や表現に相当の飛躍がある。これだけの飛躍がなぜ実現したのか、何か運慶に生じたのか」だそうです。代表は、円成寺像と願成就院像とが同一人物の作であることをある面では不思議がっていました。
木札の事が確認されるまでは、願成就院像もはっきりと運慶作品と認められていなかった史実をなにやら思い出させるような代表の感想ぶりでした。伊勢さんは、円成寺像を実質的には康慶の指導的作品とみることで両者のギャップを解釈していました。


運慶の天才 -投稿者: 毛坊 返信 2003/04/04 23:22:11 del:

久し振りに毛坊です。円成寺大日如来像に康慶の多くの関与を認める説に疑問あり、です。円成寺像には、とにかく対象を写実的に捉える天才的な能力を感じるんですが、瑞林寺地蔵像や南円堂諸像にはそれを感じません。如何でしょうか。




[365] 願成就院 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/04/02 23:20:12 del:

今日、伊勢さん相模さんと韮山の願成就院へ行ってきました。当地で、骨皮代表、出雲さんと合流しまして、皆で運慶仏を拝みました。その模様を相模さんがコラムで書くことになりました。


運慶 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/04/03 23:50:17 del:

 鎌倉時代では、願成就院の毘沙門天が一番好きですね。
 一分の隙も無い立ち姿と顔付きは、運慶の天賦の才能を感じさせずにはいられません。
 時代が彼を呼び覚ましたのか、彼が時代を呼び覚ましたのか、その両方が無ければ、あの作品は、今に伝わっていなかったでしょう。
 次回の「仏師たちの夢」は、運慶だそうで、また、先日伊勢さんが紹介された瑞林寺の地蔵菩薩坐像が四日市で展示されるそうですし、楽しみがますます増えてきますね。




[364] 訪れ帖 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/03/27 12:43:39 del:

そうですね〜。

かつて訪れ帖で、奈良さんの書込みに対して次のような事を書いたことがあります。

 掲示板というのは本来サイトの主旨の理解を深めるための補完的なものだと思うのですが、これが曲者で、サイト運営者の意図とは係わりなく、書き込み内容によってそのサイトの品位が決まるという面がありますね。各所の掲示板を見ていると、ホームページの内容とは関係なく、ただのおしゃべりが延々と続いているものや、マニアックに専門的になり、レベルの合わないものが無視されるというものなど、運営者はただ場を提供しているだけという掲示板に出くわします。
 かつて伊勢さんが、雑記帳を止めようと提案されたとお伺いしたことがありますが、サイトの意図を守るためには、掲示板は両刃の剣で、その意味で、掲示板を設けないというのも、一つの考え方だと思います(古佛へのまなざしの場合、専門的な議論を基調として、それだけにとらわれず、自由な発想の意見等も書き込まれるという理想的な運用状況と思いますが)。
 当サイトでも、掲示板の対応に注力する余り、サイト本来の目的を失念している事に気付くことがあり「いかんいかん」と時々手綱を引き締めています。

 ただ、書込みはしないけれど、見るのを楽しみにしているという方は、年齢層から見ても、このホームページの訪問者には多いと思います。私自身もそうですし。
 私自身、訪れ帖を日記代わりにするつもりはありませんので、もちろん、書込みが無くなれば見る人もいなくなるわけですが。
 ROM(Read only member)の方も、本件に関してご意見があればどうぞ書込んでみて下さい。
 手紙と違って時候の挨拶も結語も不要で、一言で結構ですので。




[363] 新しい方向 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/03/27 02:00:28 del:

既にご存知かと思いますが、私たちのホームページのBBSである「雑記帳」が来る31日に廃止されることになりました。これについて私自身もこちらへの書き込みなどを考え直してみます。撤退も選択肢に入れてます。情報ではリンク集「邂逅」も見直されるとか。いよいよ古佛へのまなざしも戦線縮小で
リストラ実施ですね。




[362] 五臓六腑の納入された仏像 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/03/27 00:27:29 del:

 とらさん

 先日の五臓六腑の納入された仏像についての御質問につきまして、下記の基本参考書の御紹介をうっかり忘れておりました。
「重要文化財」別巻1、2(像内納入品)毎日新聞社昭和53年刊
 この本に、御回答しました二体の外、次の納入例が報告されていましたので、連絡申し上げます。
 もう遅かったらご免なさい。

奈良室生村 春覚寺 地蔵菩薩立像
 仏像や五蔵が納められていたことが報告されていますが、納入品は残念ながら現在亡失しています。

その他、中国、朝鮮の像ながら、現在日本にある像として、
長崎市 崇福寺 釈迦三尊像 承応二年(1653)中国人仏師作 銀製五臓布製六腑
金沢市 康楽寺 千手観音坐像 中国明時代 絹製五臓六腑
宮崎市 正覚寺 菩薩像 中国明時代 絹製五臓
対馬 観音寺 観音菩薩坐像 天歴三年(1330)朝鮮高麗時代 絹製五臓六腑
対馬 慶龍院 薬師如来像 朝鮮李朝 絹製五臓

 また、参考文献として下記が紹介されています。
「臓腑のある仏像」 藪田嘉一郎 史跡と美術140号
「対馬壱岐の朝鮮系仏像」 菊竹淳一 仏教芸術95号




[359] びっくりしました -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/03/25 23:59:36 del:

予想外の反応にびっくりしました。
軽く聞いた積りが、なにかものすごく御迷惑をおかけしたようで・・申し訳ございません。
トップシークレットだなんてとんでもない、そんな秘密にしなければならないようなものではないので、別に気になさらなくて良かったのですけど・・。ただ、チクセノカウシ様が新連載の事をご存知だったので、おおっ、と感動して「ひょっとして東京寧楽会とかの関係者かしら」と思って聞いたのです。あー、どうしたらいいのかしら。
美河さんの場合にも似たような展開があったような。私たちの質問って、そんなに衝撃的なのかなあ・・。質問の仕方が拙いのでしょうか?
改めてお詫び致します。


実は・・・ -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/03/26 00:32:55 del:

 チクセノカウシさんも、くまちゃんも、実は、私の身近な関係者なのです。
 お二人さん!バラしてご免なさい。
 ですから、ほとんど身内だって事なんです。
 当方は、ことホームページに関しては明確な方針や基準もなく好き勝手に運営していますが、古佛さんの方は何ごとも合意制で厳しく統制されていますので、ちょっと神経質になっています。


合意制・・・?? -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/03/26 01:45:49 del:

再び書き込みします。
何ごとも合意制で厳しく統制されて・・・
どうでしょうかね、そんなキビシイものではないですよ実際。合意制といっても全員一致が不可欠という訳ではないし、今回の美河さんの連載予定繰り上げは、骨皮さんと伊勢さんと菊亭さんと黒田さんと美河さんの五人だけで話し合って決めたそうです。昔に伊勢さんが副代表をやっておられた頃は伊勢さんが独断で決めてしまった事もあったと聞いています。すると小泉さんあたりが「陸軍の関東軍がまた暴走しています」とか突っ込んでメール回覧していたりしていたそうです。
厳しいのはルールの方ですね。スタッフとしてのノルマもありますし。「文献」向けの原リスト作りと「目録」向けの取材または情報収集がありますし、原稿の担当になったら期日までに奈良本部へ送信しないといけないし。
でもスタッフとしての特典もありますよ。スポンサーの豊住書店より毎年吉川弘文館の「歴史手帳」と奈良の古瓦拓本便箋セット、奈良各社寺の参拝券、国立博物館と飛鳥資料館への無料入館カード、興福寺国宝館の無料入館カードが貰える他、書籍類を優先的に取り寄せてもらえます。あと場合によっては図書券のボーナスなどが貰えると聞いています。
私的には無料入館カードがものすごく嬉しいです。これがあると助かりますから。




[358] 反省 -投稿者: チクセノカウシ 返信 2003/03/25 12:31:15 del:

美河さんが、次は書きたいと仰っていましたので、きっとそうだろうと思って・・・。
スミマセン、反省してますぅ。
書込みは消しました。もう遅い?




[357] お詫び申し上げます -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/03/25 08:34:50 del:

 お詫び申し上げます。
 新連載の件は、美河さんの書込み内容からそうでしょうという、誘導尋問に引っ掛かってしまいました。
 結果として、「古佛へのまなざし」トップシークレットを公表する事になり、美河さんにもご迷惑をお掛けし、大変申し訳なくお詫び申し上げます。
 古佛の方でもBBSを閉鎖されるとか、こちらも身内の伝言版の様相を呈してきており、検討の時期なのかも知れません。




[356] 中部の仏像 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/03/25 00:32:29 del:

今晩は。
チクセノカウシ様は管理人様とはお親しいのでしょうか。美河さんの新連載予定の内容をよくご存知ですね。かわら版にそこまで書いてあったかなあ?実はこの予定は古佛の西日本の大部分のメンバーにもまだ話してないぐらいに突然決まったものなのですよー。
美河さんは、横蔵寺の大日如来像は必ずシリーズに入れると話してました。チクセノカウシ様への御礼ですね、きっと。
ところでチクセノカウシは「筑前講師」なのでしょうか?漢字で書いてくれればいいのにカタカナだったのには仔細があるのかな?




[352] 横蔵寺 -投稿者: チクセノカウシ 返信 2003/03/23 01:51:13 del:

結城さん ご挨拶有り難うございます。
自分でいうのも変ですが、チクセノカウシは、「筑前講師」なのでしょうか? 
横蔵寺は比叡山との関係も伝えられますので、中央の仏師が関与した可能性も十分ありますが、成朝と同様に下向した仏師なのかどうかは難しいところですね。本尊は、比叡山のものと交換したという話ですし、岐阜は近いので以外と簡単に仏像を運んだということもあったのかな。


横蔵寺のもとの本尊薬師像 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/03/23 21:34:01 del:

今晩は。
横蔵寺のもとの本尊は確かいまは延暦寺根本中堂の本尊になっているのでしたね。確か昭和62年に開帳されたと聞きました。古佛スタッフでこれを実見したのは骨皮代表だけだと聞いています。当時私はまだ中学生で仏像とかに関心を持つ前でした。聞けば、なんでも立像であるそうで、藤原後期の特色が顕著であるということです。本尊像の交換は、多分延暦寺が古像を失ったときに行ったのかな、と思います。でも何故横蔵寺の像が対象になったのでしょうか。由緒ある像だったからでしょうか。
あと、仏師が移動したか、仏像が移動したか、というのはなかなか見極めも難しいですね。私は岐阜県のお寺は横蔵寺の他は願興寺と乙津寺と新長谷寺しか行っていませんが、いい仏像が多いので、やっぱり関国美濃といわれるだけのことはあるなあ、と感心しています。畿内からの距離は、古代仏像彫刻の場合はなかなか重要ですね。




[351] 鎌倉仏師 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/03/23 01:47:56 del:

伊勢さんと相模さんと私とで上野の博物館に行ってきました。三人で仏師コーナーの打ち合わせをやるのが目的だったのですが、どうせ行くんなら何か見て行こうということになりました。食事の時に原稿を見せあいましたが、伊勢さんも相模さんもなかなか鋭い切り口で書いてましたので、私のはちょっと書き直した方がいいかも。伊勢さんなど、原稿を何度も書き直しても納得がいかないってぼやいてました。
「よそ様のサイトに載せていただくんだ、概説的なものやありきたりのつまらん内容にするな」と五回ぐらい言われました。私は美河さんの原稿を通してシリーズ全体の基調がなんとなくつかめてきたので、それに調子を合わせてバランスをとりつつ、それぞれの観点は積極的に出してゆけばいいと思っています。西日本は波多野さんがすでに三つとも草稿起草を完了している他、菊亭さんも取り掛かりはじめたと聞きました。
あと美河さんと一緒にやっている新しいリスト作りの原案も見てもらったのですが、伊勢さんに「こんなややこしいのではダメだ、もっとみんなが使えるシンプルなのにまとめてくれ」と厳しく注文をつけられました。古佛ページの作成作業の大変さは予想以上のものがありますが、それだけに有意義でもあります。


頑張って -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/03/23 09:40:28 del:

 概説的でなく、新しい切り口と一口で言っても、科学や現代史の分野と違って新しい事実がどんどん発見されてくるわけではないので難しいですね。
 かといって想像を膨らまし過ぎて時空警察みたいになってもなんだし。
 所詮ピースの揃っていない(かどうか判らない)ジグゾーパズルをやっているようなものですから、地道なピース探しと経験に基づく直感で取り組むしかないのでしょう。
 新しいリスト作りの方も、シンプルさと同時に最新情報によるメンテナンス体制も必要と思いますが、皆さん期待しているようなので頑張って下さい。