訪れ帖

 


[500] アイコン -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2003/07/08 23:25:48 del:

近藤です。
アイコンにはびっくりしました。
何をもとに作られたのでしょうか。
以前に公開されてた写真、しか資料が無い筈ですが。


透視です -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/07/09 00:38:13 del:

 透視・・・ではなく、以前の資料なるものから想像逞しく。




[498] 古佛虎友会 -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2003/07/07 23:44:37 del:

近藤です。
管理人様、ご安心下さい。
古佛へのまなざし西日本の別名は「虎友会」。骨皮代表、黒田軍監、菊亭編集長、波多野、十河、山科、私が阪神タイガースファンです。ですから奈良本部のラジカセから流れる六甲おろしを聞きながら「かわら版」作ってます。
オウ、オウ、オウオウーと皆で声を合わせて歌っていたりです。この分だと甲子園へなだれこむ日も近いかも。
奈良ちゃんだけが、プロ野球には縁がないので別の世界の人間の顔つきになっています。


似顔絵アイコン -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/07/08 01:16:29 del:

 心強い限りです。
 エール交換の代わりに、似顔絵のアイコンを作りました(暇だなあ〜!)。
 似てなかったら、顔の方を似せて下さい。




[496] 六甲おろし -投稿者: 奈良敦子 home page 返信 2003/07/07 21:36:58 del:

このところどこへ行っても六甲おろしが流れてますねー。奈良はそういう文化圏に属してるのでありますか?
昨日は栗東ハルコさんの地元へ遊びに行ってきました。ハルコさんの案内で山道を登って金勝寺へ。雨にも降られず、でっかい明王さんに感動!なのであります。


六甲おろし(涙) -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/07/07 23:01:11 del:

 何を隠そうこの私、平成の隠れキリシタン、筋金入りの隠れ阪神ファンなのです。
 前回の優勝はフロックだったと言われ続けてはや18年、関西の住民には理解出来ないであろう屈辱と嘲笑にじっと耐えてきました。
 しかし今やもう立派な文化です。当研究所も、神奈川阪神文化研究所と名前をかえようかと・・・嘘です。

 狛坂廃寺迄は行かなかったのですか。今は桐生側から行った方が便利なのでしょうか。日本の石仏とは一味違った大陸風の立派な三尊です。 




[493] 金勝晴子 -投稿者: 瓢箪鯰 返信 2003/07/06 21:06:14 del:

 古佛へのまなざしさんに、新しいスタッフが参加されたとのこと。
 栗東出身、才色兼備の女性だとか。
 栗東は、今ではトレセンやインターが有名で、一昨年に栗東市にまでなってしまいましたが、元はといえば良弁ゆかりの金勝寺のお膝元、栗太郡金勝村です。
 歴史を愛するものとしては、金勝の名がドンドン消えて行くのは忍び難く、せめて栗東さんのスタッフ名だけでも「金勝晴子」(読みはもちろん“こんぜ”)として欲しかった。
「金」、「勝つ」、「晴れ」で縁起もいいし。

 「賛成の人!」「はーい!」「・・・一人か」


「金勝晴子」 -投稿者: 栗東ハルコ home page 返信 2003/07/06 22:13:44 del:

瓢箪鯰さん、こんばんは。栗東ハルコです。
金勝の名前を提案して下さってありがとうございます!
この地名は私も誇りに思っているんです!良弁僧正ゆかりの由緒正しい名前ですから。私のいた小学校の名前もそうでした。
古佛へのまなざしに参加することになり、一応「栗東晴子」の名前で「仮申請」してますが、提案をいただきましてちょっと悩んでいます。
「金勝晴子」ですか〜。すっごく綺麗な名前になりますね。ちょっと名前負けしてしまいそうです。でも一般的には「きんしょう」とか「かねかつ」などと誤読されてしまいそうで、それも何だか抵抗がありますね。


穴があったら入りたい -投稿者: 瓢箪鯰 返信 2003/07/07 00:51:02 del:

御本人から御解答頂き恐縮至極です。
軽い冗談で書いたつもりだったのにー。
適当に聞き流しておいて結構でーーす。
急遽インターネットで調べたら、全国に「金勝」さんは49世帯おられ、おっしゃる通り「かねかつ」と読むんだそうです。
という訳でお騒がせしました。頑張って下さいm(_ _)m 。




[491] インド -投稿者: 黒田明孝 home page 返信 2003/07/05 22:41:01 del:

久し振りに書き込み致します。
密教彫刻は、インド美術を眺めていたら自然に分かってくるように思いますが、文のほうは自分で何を書いてるのか分からずに支離滅裂になりつつあります。難しいものです。


密教 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/07/06 10:27:44 del:

 密教の宗学というのにも、仏教美術的には興味があるのですが、その道の専門家の話は難解で、聞いている方はチンプンカンプンということがよくあります。
 もっとも密教ですから、大衆に解り易くなどという発想のものではないのでやむを得ないのかも知れません。
 黒田さんの活躍に期待するところ大です。



[489] エーデルワイス -投稿者: 奈良敦子 home page 返信 2003/07/04 01:06:27 del:

奈良博のガンダーラとマトゥラーの仏像にずうっとドキドキ、なのでありました。
んで、今日届いた出雲さんからの国際郵便の封書を開けたらハッピーになりました。
エーデルワイスの押し花の栞が入っていたでありますよ。わーい。これがエーデルワイスかー。初めて本物を見たであります。
出雲さんはいまウィーンにいるそうです。いいなー。


インドの仏たち -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/07/04 12:49:07 del:

 確かにインドの仏像たちは、その背後に流れるギリシャ、ローマから始まる悠久の歴史を感じさせます。そしてその仏像の歴史が、シルクロードの終着駅と呼ばれる日本というアジアの小島国にエッセンスとして凝縮されたきたことにも感嘆の念を禁じえません。我々は、その日本に、しかもそれらの遺品を存分に観賞できるこの時代に生まれた事に感謝すべきでしょう。
 ヨーロッパも安くなりましたので、自由時間があって独身貴族の奈良さんなら簡単に行けるのでは。六大寺大観を売れば!(冗談です ^^;)。

(訪れ帖読者の皆さんに)
 本といえば、読者の方から小学館の「原色日本の美術」全32巻揃の寄付のお申し出がありました。古書の一覧表に加えておきましたので、ご希望の方があれば申込下さい。



[487] 21人目誕生へ -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2003/07/03 23:05:42 del:

近藤です。
今日、奈良国立博物館へ行ってきました。インドパキスタンの美術はすごいものがありますね。黒田軍監が「密教の源流の造形」を探し回り骨皮大佐は「インド風」の原形に感動していました。波多野さんと奈良ちゃん、そして初めて参加した滋賀県の読者の方とインド美術について学びました。
その後喫茶店で皆で読者の方と相談した結果、そのスタッフ入りが内定しました。
名前は栗東晴子さん、名前の通り栗東市の方で、我々としては待望の滋賀県メンバーです。東大出でしかも美人なので黒田軍監が感動していました。これで西日本はますます充実し、栗東さんが夏から「かわら版」編集に参加したいとの意欲を示しているため、今後は東日本メンバーとの顔合わせや親睦会などが必要になってきそうです。
ところでこの栗東さん、こちらで話題になっている金勝小学校の出身だそうですよ。金勝山周辺の地理や文化財には詳しいそうなので、私としてはその関係の記事を期待したいと思います。


マトゥラ・ガンダーラ展 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/07/04 00:19:52 del:

 マトゥラ・ガンダーラ展は、東博で見損ねたので、奈良博の前の名古屋展で出張に託つけて見てきました。造型の確かさとその圧倒的な作品数には、さすが仏像発祥の地だと感動を覚えました。

 栗東さんですか。駿馬のような颯爽とした姿が目に浮かぶようです。栗東もトレーニングセンターが出来て随分変わりましたが、人情味溢れる土地柄ですね。




[485] いえいえ -投稿者: 飯宗 返信 2003/07/02 20:00:52 del:

つまり、頭飾はあったり、なかったりだったんですね。
わかりました。
ありがとうございます。
江戸時代の頭飾があんなに出回っているのは、江戸時代にはそういった飾り系、専門の人が諸国を回っていたと…聞いたことがあるんですが、その、うわさは本当でしょうか…ね?

金勝寺…懐かしい響き。
初め読めなくて、「こんしょうじ」と呼んでました。


かんざし屋の秀 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/07/02 23:53:04 del:

 宝冠や簪(かんざし)などの頭飾は、彫金分野ですが、彫金技術は平安時代後半から武士階級の台頭に伴って、刀剣、甲冑金具の装飾として発達しました。
 江戸時代になって太平の世が続くと実用品から鑑賞品としての需要が多くなり、精密で華麗な彫金技術が求められて多くの彫金職人が現れました。必殺仕事人でもお馴染みの飾り職人「かんざし屋の秀」もその例でしょう。また、各地で伝統工芸として保護されたため、諸国を回っていた彫金師もいたのでしょう。

 「金勝」は地名としては「こんぜ」と読みますが、お寺は「こんしょうじ」でいいんですよ。




[483] さらなる混乱 -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2003/07/02 01:26:20 del:

近藤です。
菊亭編集長が風邪をひいてしまったようです。骨皮大佐が一週間の休養指示を出しまして、臨時に私が編集長を務めることになりました。
あーっ!余計にゴチャゴチャしてきましたよ。どうしたらいいのか。
緒方さんによると、滋賀県の読者にものすごく熱心な方がおられて仏像ホームページの作業に参加したいとか言ってきているそうです。滋賀県栗東市在住というのが魅力的ですな。あそこは仏像の宝庫ですね。
そういえば以前に黒田軍監が「滋賀県のスタッフが欲しいね」と言っていましたっけ。なんでもいい、とにかく応援を手配してほしい。いまの我々はとにかく混乱から脱出したい気分です。


臨時編集長就任おめでとう御座います!? -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/07/02 12:58:21 del:

 季節の変り目です。お大事に。
 まあ、焦っても事態は変わりませんから、出来る事からやって行くことでしょう。
 長たる者は、まず慌てない事、です。

 滋賀県は学芸員の数も多く、調査が進んでいますので、地元で詳しい方も居られることでしょう。栗東は金勝寺のお膝元ですが、今では「金勝(こんぜ)」という名前も小学校にその名を残すのみとなって、地元の若い人たちからも忘れ去られて行くのかも知れません。大事にしたいものですね。




[481] 混乱 -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2003/06/30 18:22:12 del:

近藤です。
私たちの編集スケジュールも下期分に移行しました。黒田軍監の密教シリーズは順調にはじまったものの、ほかの各連載の予定が変更になって混乱が続き、菊亭編集長も頭を抱えているようです。とりあえず奈良さんをメール担当にまわし、山科さんを原稿執筆担当に置き、後援会の緒方さんに臨時に応援をお願いしています。各担当者への連載予定表も私が書き直して再配布する予定です。
東日本の方も一橋さんが入院してしまっているので仏師たちの夢シリーズの最終校正担当がおらず、原稿がたまったままになっています。
この混乱から、早く抜け出さねばなりません。


私も共犯です。 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/07/01 15:14:21 del:

 大変な状態だとは知らず、私もその混乱に荷担してしまい申し訳ありません。
 でも臨時の力強い応援がいて頼もしいですね。
 こちらは、私が入院でもしたら、“長期工事中”となりそうです。
 仕事の方は適当にして体調を整えておこ〜っと。




[478] またもや -投稿者: 飯宗 返信 2003/06/29 08:39:19 del:

再び質問です。

現存している天部像(別のものでもそうですが)の多くが、古像であっても後の修理によって、江戸の簪や、頭飾をつけています。
ですが、もともとは、それらの古像であっても、そういった、簪や頭飾などをつけていたものなのでしょうか?
当初のものが残っている例もありますが、資金が少なかった場合などには、はなっから作らないことも多かったと思います。
中央での基準的作例といわれる像に関してはどうなのでしょうか?

御教授お願いします。


宝冠にこだわってしまいました -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/29 18:16:18 del:

 天部や菩薩像の頭を飾る宝冠や頭飾の事ですね。菩薩像等は髪を高く結い上げた宝髻をつけますので、その髪を束ねたり止めたりするものをつけています。薬師寺の聖観音像は宝髻の左右に唐草文の文様をつけており、いわゆる簪(かんざし)を表していると思われますが、仏像の場合、総称して頭飾ということが多いようです。
 飛鳥・白鳳時代の菩薩像は、宝冠とそれを載せる天冠台が一体となった山形宝冠、三面宝冠をつけるのが通例で、宝冠を含めて鋳造した小金銅仏はほとんどが宝冠をつけています。また、法隆寺救世観音像、金堂四天王像なども木彫像も金属製の宝冠を取り付けています。
 天平時代に入っても、東大寺三月堂不空羂索観音立像など贅の限りを尽くした宝冠が造られました。
 しかしながら、天平の末期以降は、図像などを見ても余り大きな宝冠は少なく、天冠台の上に控え目に装飾をつけるものが多くなってきます。また宝冠をつけず天冠台のみを表す例もあります。
 法隆寺九面観音像や、山口・神福寺十一面観音像などの檀像は、当初から全てを一木から彫出していると考えられますが、いずれも天冠台のみで宝冠をつけません。奈良・法華寺、滋賀・渡岸寺、岐阜・美江寺、広島・龍華寺の十一面観音像なども、宝冠を取付けた跡が見られず、頭部のバランスを考えてか、当初から天冠台だけで、宝冠をつけなかったと考えられます。
また、東寺講堂五大明王像や和歌山・金剛峯寺不動明王立像のように髪飾りを木彫で彫出するものも多くなってきます。
 中央と地方という意味では、地方の像で、岩手・天台寺聖観音立像、成島毘沙門堂毘沙門天立像のように、頭部の前面に山形の立ち上がりをつけたり、島根・仏谷寺や兵庫・達身寺の諸像のように、頭に帽子を被ったような円筒状の立ち上がり(筒形宝冠)をつけた例が見られ、一つの様式でもありますが、見方によっては資金面から簡易型の宝冠としたと言えるかも知れません。
 もちろん、全ての像がそうだったわけではなく、中央、地方に限らず立派な宝冠を残す例もあります。京都・峰定寺千手観音坐像(金属製)、大阪・観心寺如意輪観音像(木製)、福井・中山寺馬頭観音坐像(革製)などは造像時のものです。

 書き終わって気がついたら、宝冠にこだわり過ぎていますね。回答になったどうか判りませんが如何でしょうか?




[477] おひさしぶりであります -投稿者: 奈良敦子 home page 返信 2003/06/29 01:03:21 del:

奈良敦子ですー。
おひさしぶり、であります。
なんだか懐かしいのであります。
わーい。


半年振り? -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/29 18:13:53 del:

 半年振りですって。彩雲18号の偵察飛行は快調のようで半年の間に随分成長しましたね、と思ったら、同じ調子なので安心しました。
 どうぞお手柔らかに。




[475] こんばんは -投稿者: くまちゃん 返信 2003/06/28 00:44:42 del:

おしさしぶりのカキコです。
相変わらずの盛況で、ウラヤマシイ限りです(笑)。
私も、更新の必要性に迫られているんですが、踏ん切りが付かなくて(泣)。
ではでは、これからもヨロシクお願いしまああす。


御訪問有難うございます -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/28 01:10:02 del:

 御訪問有難うございます。
 義務感で更新したり返事したりするように多少自分にノルマを課すことも、時には必要ですね。もちろん義務感だけでは続きませんし、もともと好きで始めたことでしょうから色々工夫して生活の一部にすることですね。
 仕事が忙しかろうと、うるさい上司から残業を言い付けられようと、です。




[473] 奈良ちゃんが復活します -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2003/06/27 00:58:58 del:

近藤です。
ついに6月26日を越えました。トップページも当麻寺仏像に替わりました。同時に広報の中での担当も交替となりまして、明日から奈良ちゃんがこちらに復活します。ちょうど半年になるのだそうですね。私は私で今後もお邪魔させていただきますが、奈良ちゃんのようなテンションはありませんので・・・。


奈良さんですか -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/27 17:41:20 del:

 当麻寺増長天は、精神性の高さを感じさせるショットで新鮮でした。少々圧縮度が高いためか偽色がでていますが、原版を見てみたいですね。
 奈良さんですか。あの若さについて行くには今日からトレーニングして体力を鍛えておかねば。




[471] 新聞記事 -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2003/06/26 00:17:41 del:

近藤です。
このところサイバー攻撃が頻発していると新聞記事に出てました。許せん暴挙です。どういうものが攻撃対象にされてるんでしょうか。いざとなったら我々には「伊号潜水艦部隊」がある!
ところで同じ読売新聞に我らがスポンサー豊住書店さんの特集記事がありました。奈良じゃ有名人ですね。記事中にはちゃんとページのことも書かれていたので、その直後からメールが沢山来ました。広報の皆で分担して返事を書いている横で、黒田軍監が来週号用の原稿書いてました。ちょっとのぞいてみたら密教の文でした。いよいよですな。
明日はトップページも変わる・・。


マスコミとミニコミ -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/26 18:59:39 del:

 読売の記事、ネットで読みました。奈良を愛しているのが伝わってくる良い記事でした。川尻所長が朝日新聞の地方版のミニコミ誌、鎌倉朝日に連載していた時も必ず反響があったそうで、新聞の影響というのは大きいですね。マスコミとミニコミの違いを実感させられます。




[469] 第六陣? -投稿者: 黒田明孝 home page 返信 2003/06/24 00:24:27 del:

波多野勢の二度目で第五陣までを完了し「あれこれ」もようやく充実してきた気がします。私の番も回ってきました。時の経つのは早いものです。


殿 ご出陣を! -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/24 18:58:50 del:

 殿 ご出陣を!といったところでしょうか。
 皆さん意欲的な論文を掲載されており、軍師の密教美術論が一層楽しみになってきました。
 このところ空海、最澄が注目をあびていますが、造像面、思想面での空海の純粋さをあらためて感じます。




[467] 華道ですか -投稿者: 飯宗 返信 2003/06/21 20:09:44 del:

わかりやすい説明ありがとうございました。
華道界と同じですか…あんまり華道に詳しくないですが…なんとなくイメージは伝わりました。
もちろん、定番のお家騒動とかありそうですね…。
そんな記録とか残ってたりするのでしょうか?


お家騒動がありました -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/22 01:03:50 del:

 院派、円派、慶派の三派は、平重衡の焼討で灰塵に化した興福寺の再建において、養和元年(1181)に、金堂を明円(円派)、講堂を院尊(院派)、食堂・東金堂を成朝(慶派)、南円堂を康慶(慶派)が担当すると決められましたが、成朝が講堂の造仏について異議を唱え、また、源頼朝に対しも「自分が頼朝の依頼で勝長寿院像仏のため東国に行っている隙に、他派の仏師が興福寺の造仏を行おうとしており、特に東金堂を院派が狙っているので、宣下通り定朝以来相伝の自分に造像させて欲しい」(吾妻鏡 文治二年(1186)の項)と訴えています。
 このほか、南大門の仁王像について院実と康慶が争う等、後ろ楯となった天皇家や藤原摂関家を巻き込んで幾多の本家争いが起こっています。




[465] 自称ですか? -投稿者: 飯宗 返信 2003/06/20 21:25:24 del:

…「大仏師」の単語自体は大分、古くまで遡れるのは分かりました。すると「大仏師」という称号はもともと、官や大寺が与えるものではなく(法眼、講師とかいった…)、自称なのでしょうか?親方程度の意味なんでしょうか?

こんなにすぐに質問に答えてくれるサイトがあって感謝です。
因みに1026年の頃、定朝は単純に120人以上の工房を持っていたと考えていいのでしょうか?
それとも、複数ある工房の総責任者と考えたほうがいいのでしょうか?
クイズは結構、答えにくかったです。


池坊専永です -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/21 00:03:02 del:

 公式な資格というよりは、特に国中連公麻呂の場合は尊称に近いものでしょう。しかし、平安時代中頃以降は、胎内銘等に自身で大仏師と記していることから、系派や工房毎に基準(経験年数、技量等?)があって与えられる資格と考えられます。その意味では、華道、茶道の「師範」に近いものかも知れません(この場合は、おべっかや上納金の多少も加わる? ^^;)。

 定朝はさしずめ、師範、弟子を多数抱える池坊の家元で、一部の師範は独立して支部や教室を開いているが、いざという場合は、全員が集まって事にあたる、といったところでしょうか。
 その後、院派、円派、慶派等に分かれ覇を競うようになるのも華道界と同じ?




[462] 大仏師… -投稿者: 飯宗 返信 2003/06/19 23:22:09 del:

初めまして。
飯宗と申します。
内容が多いのでまだ、読みきれてませんが…
ひとまず、質問したいことがありまして、書き込みました。

地方の中〜大寺院が、お抱えの仏師に「大仏師」の称号を与えるようになるのは、南北朝以降だということを何かの本で読んだのですが、それ以前に遡ることはないのでしょうか?

よろしくお願いします。


平安時代、奈良時代から -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/20 01:05:35 del:

 仏師は平安時代の初め頃は、お寺に所属して造像活動を行っていましたが、定朝の父康尚辺りから寺院から独立した工房を構えて注文による造像を行っていたと考えられます。
 「左経記」の万寿3年(1026)の項には、後一条天皇中宮威子の御産祈願の等身仏像二十七体の造仏にあたり、定朝の統率下に大仏師二十人と各五人の小仏師がついたことが記されており、この頃には定朝を含め大仏師という呼称が定着していたと思われます。大仏師の中には定朝の子である覚助や長勢らが含まれていたのでしょう。
 その他、平安時代の例として、
岡山・高野神社随身像 大仏師筑後講師厳成 像内墨書 応保2年(1162)
奈良・円成寺大日如来像運慶 大仏師康慶実弟子運慶 台座天板裏墨書 安元2年(1176)
長野・藤尾観音堂千手観音立像 大仏師武蔵講師慶円六郎坊 像内墨書 治承3年(1179)
鳥取・大山寺の阿弥陀三尊像 大仏師大法師良円 像内墨書 天承元年(1131)
鎌倉・勝長寿院の御仏 南都大仏師成朝 吾妻鏡 文治2年の項 文治2年(1186)
この他、鎌倉時代以降、古文書や胎内銘に多くの「大仏師」の呼称が見られます。

 また、お寺のお抱えという意味とは異なりますが、東大寺大仏の大仏殿碑(長承3年(1134)に編纂された東大寺要録に引く)に大仏師国公麻呂、大鋳師真国の名称が見え、大仏師という言葉は奈良時代から使われていたことがわかります。




[458] 宝木伝説・備前西大寺地名の謎 -投稿者: 丸谷 憲司 home page 返信 2003/06/19 18:09:14 del:

私のHP「宝木伝説・備前西大寺地名の謎」は会陽と呼ばれる裸祭りの起源に挑戦しております。まったくの素人が宝木投下前に投下される枝牛玉が仏教伝来とともに伝来した歯木(ハブラシ)であることを解明しました。
備前西大寺の古名である犀戴寺をスッタニパータにおける犀角と説明しております。
専門の仏教研究者に掲示板にて、ご指導いただけたら幸です。


宝木伝説・備前西大寺地名の謎 -投稿者: 丸谷 憲司 home page 返信 2003/06/19 18:16:05 del:

HPアドレスが掲示板に記録されておりませんでした。

「宝木伝説・備前西大寺地名の謎」
http://mryanagi.hp.infoseek.co.jp/

ご指導、よろしくお願い致します。


会陽と蘇民 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/19 20:44:04 del:

 書込み有難う御座います。
 HP拝見致しましたが、膨大な資料で全てを読み終えるには時間が掛かりそうです。
 会陽や蘇民は仏教と言うよりは民俗学の分野ですから、仏教の範囲だけで解釈するのは難しいように思いました。
 もっとも、当方は仏教美術に興味を持つサークルであり、仏教研究者ではありませんので、ご期待されているようなお答えが出来ず申し訳ありません。


宝木伝説・備前西大寺地名の謎 -投稿者: 丸谷 憲司 home page 返信 2003/06/20 18:57:00 del:

ご訪問有難う御座います。
下記の、御所見は現在の会陽・蘇民に対する定説かと思います。
しかし、私は祭りの起源に挑戦して、仏教医学説にて説明しております。
日本では、専門の研究者の少ない分野です。

 「会陽や蘇民は仏教と言うよりは民俗学の分野ですから、仏教の範囲だけで解釈するのは難しいように思いました。」

仏教美術の周辺情報として仏像心木があります。
私は奪い合うシンギの語源として仏像心木説をとっております。
ありがとうございました。




[457] あと一週間 -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2003/06/19 01:02:00 del:

近藤です。
あと一週間に迫りましたトップ写真のはり替えですが、僕はまだその仏像名を聞いていないのです。半年前はこちらの特別クイズで思いっきり盛り上がりましたねー。なんだか懐かしいです。(もういっぺんやって欲しかったりする)
あのとき盛んに解答やら議論やら繰り広げた京都、奈良の皆さんがページの後援グループ(俗にファンクラブとも云う)を立ち上げられるわけです。まったく予想外の展開です。
ところで珍しく出雲さんが書き込みしてますね。飛び入り参加なら僕もやってみたいですが休みがとれそうにありません。


企画があれば提案下さい -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/19 20:48:04 del:

 ファンクラブのあるサイトも珍しいですね。
 それだけ多くの人に愛されているのでしょう。
 ファンクラブの顔ぶれを見ていると、スタッフ予備軍とも言えるますね。
 色々企画がありましたらご提案下さい。気まぐれでまたやるかも知れません。




[451] 鳥取県の仏像 -投稿者: 出雲美希 home page 返信 2003/06/17 20:56:16 del:

古佛西日本の出雲です。
いつもお世話になっております。
鳥取の仏像巡りがいいですね。近いので私も8月24、25日の分に飛び入り参加してもいいですか?骨皮代表も確か仕事の関係で8、9月ぐらいに米子に滞在される筈なんですよ。出来たら頼んで引っ張ってきます。


K氏と補陀洛の話をしました -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/17 23:42:58 del:

 黒田さんにずいぶん期待されているようですね。昨日、補陀洛の件をお願いしているK氏と東京で会い(20数年ぶり!)色々話をしました。代表から、出雲さんが一回目の原稿に関心を持っていたとお伺いしましたので、そのことを伝えたら喜んでいました。以前に彼が大学の紀要等に掲載した論文を送ってもらい、計画を具体化するようにお願いしましたのでお楽しみに。

 飛び入り参加の件は、所長に確認しておきますが、基本的には大歓迎です。現地はマイクロバスで移動しますが、座席に余裕はありますので。
 問題は、出雲さんが、老人会ツアーのバスガイドにようになってしまうことでしょうか。


バスガイド -投稿者: 出雲美希 home page 返信 2003/06/18 20:43:57 del:

飛び入り参加の場合は自分の車か代表の車に乗せてもらって行きますので座席指定は無用です。そちらのマイクロバスについてゆきます。でもコースを見たら行ったり来たりなので、順番を工夫すれば時間的に余裕が出てきますね。


須勢理姫殿 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/06/19 00:15:07 del:

 所長には連絡しておきました。
 コースはお寺の都合にもよりますので詳細未定ですが、桜と東高尾の山越えが不案内で、全体的にも効率的なコースを御教授頂ければ幸いです。
 待合せ、宿泊等の詳細についてはメールででも御連絡致したく存じます。

 出雲の須勢理姫にお会い出来るのを楽しみにしております。