訪れ帖

 


[750] 定覚 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/11/03 09:39:39 del:

美希も定慶ワールドに参加してくれて嬉しいな!定覚と定慶のつながりはあんまり言われてこなかったのでそれだけで新鮮な気分になれますね。
みっちゃんの定慶論は、作風とか造形をどう捉えるのかから出発しているから、芸術学的な観点がまずあるのですね。文献の記載と切り離して純粋に「造形」を考えるのも一つの選択肢なのです。だからある意味面白い。正しいとか間違ってるとかいう問題ではないのです。ましてや仏師の僧綱位がどうだったというのとはまた別の次元の問題になるのです。歴史学者と美術史家のコンセプトの違い、というよりももっと微妙で奥深いものなのでしょうね。
定覚については、彼自身の単独での制作作品が遺されていないので、やはり定慶の作品から推察しつつ定覚の造形の位置を想像するしかないですね。面白いけれど、難しいなー。




[749] 春日定慶 -投稿者: 出雲美希 home page 返信 2003/11/03 09:24:44 del:

出雲美希です。
定慶は定覚の弟子か息子だろうというのはたぶん合っているのでしょう。
定覚が覚円に法橋を譲ったのは東大寺造仏の上なので、東大寺フィールドでの地位というニュアンスが感じられます。定慶は興福寺フィールドにおいては定覚から一切を任されて奈良仏師の基礎固めを行っていたのではないでしょうか。定覚の下に覚円と定慶の二人がいて、それぞれが東大寺と興福寺の造仏に従事し、覚円に法橋位が譲られるという形なのかもしれません。
定覚−定慶の流れは、東大寺仁王と興福寺南円堂四天王、旧西金堂金剛力士との作風的な近さから推定されてよいもので、文献史料の記載には表われていない部分なのかもしれません。定覚−覚円というのは、定覚からみて直系的な流れなのかもしれません。この場合は定慶は分家ということになるでしょうか。
高見さまの御指摘のとおり、「資料は今あるものが全てとは言えないでしょうから、やはり作品にあたって考えるのが賢明」ではないでしょうか。
毛坊さんは史料至上主義のお方みたいですね。




[748] 仏師の僧綱位 -投稿者: 毛坊 返信 2003/11/03 02:29:43 del:

毛坊です。仏師の僧綱位について考えてることを書いておきます。
やっぱりこの種の位というのは出自がかなりものをいうようです。康慶が法橋、法眼までいったのは、ある程度出自が悪くなかったんでしょう。康慶って九条兼実に堂々と意見をいったり、興福寺南円堂や東大寺大仏周辺の仕事をとってきたり、すごく政治力があったと思うんですが、それにはきっと背景があるんでしょう。定朝の直系であるという成朝の権威とは又違った意味での。
もちろん、そこには限界があった。興福寺供養のときにも大仏殿供養のときにも法眼康慶は賞の対象になるんですが、興福寺では追って沙汰するとあって、大仏殿では法眼を運慶に譲って、結局法眼で生涯を終わります。
法眼の上の法印の位は息子の運慶が、奈良仏師では初めて到達するのです。もちろん芸術家としての実力もあったのでしょうが、親の力でスイスイ法眼まで来ていたことはやっぱり大きいはずです。運慶の長男の湛慶なんて、運慶の七光でかなり早くに法印にまでなっちゃいますよね。
一方快慶の場合はおそらく出自が良くなかった。重源との出会いがあったから東大寺の大きな仕事に参加したけれども、なかなか位はもらえない。折角の法橋の賞を運慶の息子に譲らなけりゃいけない時もあった。悔しかったでしょうね。アン阿弥陀仏の法号を使うのには悔しい気持ちを隠す意味もあったと思います。そして、南大門の二王を造って、やっと法橋になれた時はそれは嬉しかったでしょうね。だからもうその後の作品ではアン阿弥陀仏を止めて、巧匠法橋快慶とサインするんでしょう。この後法眼まで行くのは、正に快慶の努力のたまものかもしれません。
僧綱位というのはこういうものだということを認識しておく必要があると思います。快慶よりも早く法橋になっている定覚、快慶と同時に法橋になった覚円、とにかく法橋にはなっている善円(善慶)、そして僧綱位に就いた形跡の無い定慶、法眼まで行っている肥後定慶…。もちろん時代の変化も考慮する必要がありますが、各々の仏師の性格を考える場合に僧綱位という前提を考えることは大事だと思います。




[747] インターネット御開帳 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/03 01:32:17 del:

 六波羅密寺で、空也上人生誕1100年を記念して、本尊十一面観音立像の御開帳を11月一杯行っています。
 また、三年前の御開帳でも行われた、インターネット上での公開も、8日までに限って行われています。空也上人の写真も同時に公開されています。
 前も書きましたが、インターネット時代の新しい試みとして定着すれば良いと思います。
 
 とうとう定覚に入ってきましたか。東大寺仁王像の解体で注目されましたが、まだまだ分からない点が多い人物ですから、皆さんの推理(?)に期待したいですね。
 資料は今あるものが全てとは言えないでしょうから、やはり作品にあたって考えるのが賢明ではないでしょうか。
 ここいらは、歴史学者と美術史家のコンセプトの違いかも知れませんが。




[746] 定覚と… -投稿者: 毛坊 返信 2003/11/02 22:36:24 del:

また毛坊です。相模さんに質問。
以前に「古佛」でも善派がらみで話題になったことがあったような気がするんですが、定覚は南大門二王像の賞を「覚円」という仏師に譲って、この人を法橋にしてますよね。だから定覚―覚円という系譜がはっきりしていると思うんですが、これと定慶との関係はどう解釈なさいますか?
二王の吽形像の納入経の奥書で定覚の名前の下に定慶が出てこないのだから定覚―定慶は難しいと私は思います。また史料に縛られてると叱られちゃうかもしれませんが…。




[745] 吉備の泣き鬼 -投稿者: 緒方紘一 home page 返信 2003/11/02 22:23:18 del:

緒方です。
相模さんに質問が。
例の連載はフュージュンだけなのですか。
古佛ではやらないのですか。




[744] 定派は存在するか -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/11/02 21:36:18 del:

みっちゃん、ついに定覚に言及ですか!
定覚−定慶だとすると、定慶の息子が肥後定慶になるのかな。あり得る話だね。定派なんてのが実際にはいたのかもしれない。定覚が康慶の世代の仏師だったとすると、この定覚こそ奈良仏師集団のなかでは康朝、康慶につぐナンバー3だったのかも。春日定慶がその息子であれば、興福寺造仏の多くを受け持ったほどの存在感も分かるような気がします。




[743] 定慶と定覚 -投稿者: 相模未知 home page 返信 2003/11/02 21:28:47 del:

定慶と定覚は同一人物ではないと思います。
兄弟でもないと思います。
いろいろ考えてみて、定慶はやっぱり運慶快慶より十年ぐらい年下、その父親または師匠が定覚だったのでしょう。つまり、定覚−定慶の系譜を私は想定しています。
定慶は興福寺造仏がメインになってますが、それは興福寺教学復興をなした貞慶との関係においてとらえ、定慶の名もそれに倣ったものと考える事が可能かもしれません。快慶は重源に帰依し、定慶は貞慶に帰依していたという構図が慶派の動きを理解するのには重要でしょう。
定覚は、康慶のよき理解者、補佐役として康慶亡き後の慶派におけるオブサーバーとして活躍、定慶を興福寺において奈良仏師の基盤を固め、運慶を補佐し快慶を支えてきたのでしょう。その働きに対する顕彰としての意味合いが定覚の東大寺仁王像造立参加にあったと私は思っています。




[742] 太っ腹の結城さん -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/10/31 01:24:05 del:

 結城さんの反応に思わず笑ってしまいました。
毛坊さんはいつも真面目で、これを読んでいる皆さんが間違った知識を持ってはいけないと真剣に考えているのです。
 基本的に私は、このコーナーは論文を掲載するところではないので、意図的な嘘は兎も角、夢を育てる場所だと思っています。もちろん賛同すべきは賛同し、異なる意見については反論する自由もあります。
 ここは一つ、皆さんの夢が繋がり膨らんでいくように進めて行きましょう。

 とうとう緒方さんまで参加して下さいました!
 まさに定慶ワールドですね。本人は日の当たらない道を歩いてきたつもりなのに、きっと今頃苦笑していますね。
 ♪どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている♪。
 作例は必ず出てくるのに、系図には出てこない定慶が誰なのか、慶派の生い立ちを知るのには一番重要な鍵を握る人物かも知れません。

 東大寺二月堂の聖観音像については、ボストンの快慶作の弥勒像と造形的にそっくりなのでびっくりしたことがありますが、それにしては面相の余りの相違に戸惑いを隠せませんでした。確かに初期の快慶の像はめまぐるしく顔つきを変えますがそれにしても・・・。どうなんでしょ。




[741] 春日定慶 -投稿者: 緒方紘一 home page 返信 2003/10/31 00:53:14 del:

再び緒方です。
結城さん、ドンと出ましたね。いいですなーそういうのは。

>しかしこれだけ多くの人を魅了し、惹きつけ>る春日定慶・・・なぜ、鎌倉時代の仏師とい>えば(一般の人に聞くと)運慶快慶なんでし>ょう?
>多くの優作を生み出した春日定慶も、もっと>脚光を浴びてもいいと思うのですが・・・。
同感です。私も常々そう感じます。だから相模さんの「定慶」はとても新鮮で面白かったのです。本来、鎌倉彫刻史とは大変に面白いものである筈です。背景にしてもあれだけ変転目まぐるしい激動の時代は日本史の中でも珍しい。そのなかで動いた仏師たちの無数の動きをとらえるのが鎌倉彫刻研究の本命でしょう。
春日定慶についてこれだけ論じられるのは初めてでしょうが、案外これらは鎌倉彫刻研究への様々なポイントを示唆してくれるようにも感じられます。
私は以前に東大寺二月堂の聖観音像を快慶作だろうと書いたことがありますが、そのあたりでも学界での積極的な論考を見ないのです。現在の鎌倉彫刻史研究もまだまだ未解明の部分が大きいようです。







[740] 春日定慶 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/10/31 00:29:24 del:

あーあ、ホントに水かけちゃった。もおー。
このへんの微妙な笑いのムードを分かってほしかった。
>定慶の銘文に僧綱位は書いてありません、ってのは証拠にもならないのですよー。そんなの威張って書くほどのことでも・・・。
>康慶とかなり深い関係を持ちながら(作風が通じるし、名前も慶の字が共通)、康慶傘下には入らずに、康慶運慶親子の母胎である興福寺内の仏所にずっと留まった人なのでしょう。東金堂の造仏は、そういう仏師がずっと担当したのだと考えられます。緒方さんのいうように十二神将像も、それから金剛力士像も定慶かその関係者が造ったのでしょう。<
そういうのを分かってて皆さん書き込みされているのですよ。全部当たり前の事でしょう。それに史料に書いてある事柄だけにしがみつくだけでいいのですか?
>定覚ですが、やっぱり運慶の弟あたりだと考えるのが自然じゃないですか。<
その「自然」さが私には「不自然」にも通じるのです。慶派仏師を運慶快慶しか見てないから
運慶にくっつければ「自然」だと思い込む。この繰り返しがいままでのつまらない鎌倉彫刻史じゃないの??
春日定慶にやっと光が当たってきたこの感動的な状況をもっと大切にしましょう。独断や偏見でもどんどん言っていいんですよ。仮説や憶測が飛び交うのはとっても楽しくて勉強にもなりますから皆さん頑張って下さい!

緒方先生、東金堂の十二神将像も定慶さんかその仲間が造ったと私は思います。




[739] 定慶 -投稿者: 毛坊 返信 2003/10/30 23:52:04 del:

ときどき出てくる毛坊です。加熱する春日??定慶論にちょっと水をかけにきました。定覚と定慶の同一人物説とか、兄弟説とか、やっぱり無理です。
大仏殿の巨像制作への参加で分かるように、定覚は康慶工房の中で確かな位置を持ち、法橋の位にも就いてる人です。定覚がその位を持ってる時期の、定慶の銘文に僧綱位は書いてありません。
それから定慶の年齢ですが、事跡が初めて見えるのは運慶や快慶とあまり変わりませんから、同年輩かあるいは年上かと考えるのが自然ではないでしょうか。
康慶とかなり深い関係を持ちながら(作風が通じるし、名前も慶の字が共通)、康慶傘下には入らずに、康慶運慶親子の母胎である興福寺内の仏所にずっと留まった人なのでしょう。東金堂の造仏は、そういう仏師がずっと担当したのだと考えられます。緒方さんのいうように十二神将像も、それから金剛力士像も定慶かその関係者が造ったのでしょう。
それから、定覚ですが、やっぱり運慶の弟あたりだと考えるのが自然じゃないですか。




[738] 春日定慶 -投稿者: 櫻井改め歩 返信 2003/10/30 23:51:21 del:

しかしこれだけ多くの人を魅了し、惹きつける春日定慶・・・なぜ、鎌倉時代の仏師といえば(一般の人に聞くと)運慶快慶なんでしょう?
多くの優作を生み出した春日定慶も、もっと脚光を浴びてもいいと思うのですが・・・。




[737] 春日定慶 -投稿者: 緒方紘一 home page 返信 2003/10/30 22:33:10 del:

こんばんは。
緒方紘一と申します。
古佛のみなさんに続いて仮説。
興福寺東金堂の十二神将立像は定慶の作ではないでしょうか。




[736] 春日定慶 -投稿者: 栗東晴子 home page 返信 2003/10/30 21:53:33 del:

栗東です。
このところ春日定慶で独占状態。慶派の人気トップですね。もともと仏像はほとんど国宝になってるから相当の力量だったことは昔から皆が認めている訳です。
作品的には、舞楽面から始まるのもなんだか裏の立役者的な雰囲気を思わせますが、運慶や快慶にくらべるとデフォルメによって人間受けする造形を狙った傾向が強ったのでしょう。分かり易く、たくましく、カッコいい。武家の好みにあわせて三拍子揃えた鎌倉彫刻はそうそうあるものではないと感じています。東金堂文殊菩薩坐像の理知的な瑞々しさは成朝作と伝える仏頭にどことなく似ています。旧食堂の千手観音立像のメリハリの強さも、なんとなく定慶的なタッチを思わせます。
成朝亡き後、千手観音立像の造立を引き継いだのは定慶ではないかと勝手に想像しています。




[735] 春日定慶 -投稿者: 相模未知 home page 返信 2003/10/30 21:39:29 del:

定覚が定慶の弟というのは、親子ほどの年齢の隔たりを想像しにくいからですね。
定の字がつく仏師が同一のグループに属しているとしても、そのリーダーは誰?
たぶん定慶ではないと思うのです。康慶しか候補が浮かばない。
運慶と快慶と成朝はほぼ同年代ですが、定慶はちょっと年下なのかも。さきに康慶に近いかもと書いたけど本当のところは迷ってます。この定慶の位置が決まらないと慶派全体の印象がすっきりとまとまりませんねー。




[734] 春日定慶 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/10/30 20:29:24 del:

同一タイトルでここまで続くとは、ブレイクじゃないのですか春日定慶さん!!運慶さんがだんだん霞んでゆきますよ。
仮説。
定覚は、定慶の弟とかじゃないのかな。




[733] 春日定慶 -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2003/10/29 23:07:56 del:

近藤です。
ここの盛り上がりは拙ページの京都での成り行きを予感させます。京都四条河原町の菊亭氏の旧宅をいまリフォーム中で、畳と襖を全部取り替え、天井と玄関の壁にはスタッフみんなで壁紙を貼りつけ、ガラス磨きをしました。廃材撤去に一日をかけ、昨日はパソコン四台を設置するために電話線の増設工事をお願いしました。来週には壬生千本の菊亭宅から書棚と書籍資料を運びます。
京都本部移転まであと少しです。
さて、定慶と定覚の同一人物説は、これまでにも何度か出ましたが根拠も史料もないので分かりませんでしたね。おそらく師弟かそれに近い間柄にあったとするのが無難でありましょう。
慶派の彫刻で運慶がなにかと言われますが、彫刻としての迫力とデフォルメ意識の高さは定慶の方が上ですな。運慶はちょっと抑えた造形で進んでいます。一番武士好みの造形がたぶん定慶のそれなのですよ。
慶派彫刻は、運慶ばかり見てたらなかなか分かりにくい面が多いと思います。定慶の仏像のカッコよさは、相当に大きい要素だっただろうと思います。




[731] 春日定慶 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/10/29 19:48:29 del:

櫻井さまのご意見にふと感じたこと。
>若い感性というのは抑えがたく自分である程度彫れるようになると、ここはこう彫ってみようとか一種の我が出てきます。
これは運慶がそうだったんでしょうか。
快慶はどうだったのかな。
そして定慶はもはや突き抜けてるという気が。
なんだかなー。
でも鎌倉時代の仏師の感覚は、現代人の感覚で捉えられる代物なのかなー。ちょっと疑問に感じています。
でも定慶がこれだけ注目されるのは初めてのことだね。


結城さんへ -投稿者: 櫻井改め歩 返信 2003/10/29 20:50:51 del:

>若い感性というのは抑えがたく自分である程度彫れるようになると、ここはこう彫ってみようとか一種の我が出てきます。>
これは私のことです。
語弊を生むような書き込み・・スイマセンでした。。。
運慶、快慶、定慶に関しては我という言葉が当てはまるかどうか分かりませんが確実にその一人によって進化、改革が有ったと思います。
鎌倉仏師の感覚にすこしでも、近ずけるように精進します。。。




[725] 春日定慶 -投稿者: 相模未知 home page 返信 2003/10/28 23:17:13 del:

>あの時代、色々なアピールを持って一体一体の仏様の前時代にはなかった新しい(その仏様の功徳を解かり易くする為の)表現がなされた

多分そうなのだろうと私も思っています。定慶一人だけでなく定慶グループみたいなのが既に有ったんだろうと思います。運慶グループと比較してみたら面白いかも、ですね。定覚なんか定慶グループの一人だったかもしれないと思います。東大寺南大門仁王像造立の頃には定慶は亡くなっていたのかもしれません。どうも運慶、快慶、成朝らとは世代が異なる仏師のような生がします。康慶に近い年代なのかも。
文殊菩薩坐像は本当にカッコいいですね!あの一種の渋さがたまりませんね。


春日定慶 -投稿者: 櫻井改め歩 返信 2003/10/29 01:56:41 del:

此れは私の何の根拠もない、あくまで推測ですが、春日定慶と定覚。。同一人物なんじゃないですかね・・・。
少なくとも興福寺、春日定慶作諸像は技法、表現等、運慶や快慶よりも前とは想像し難いです。どちらかというと発展させたというほうがしっくりきます。

しかしこういう話ができるというのは本当に楽しいです。自分の周りは後輩ばかりなのでここまでの話はなかなかできなくて・・・

皆様、今後とも宜しくお願いします。。。




[724] 春日定慶 -投稿者: 櫻井 返信 2003/10/28 05:31:41 del:

私はお姿を見てなんとなく体がドンくさく感じました。
あの時代、色々なアピールを持って一体一体の仏様の前時代にはなかった新しい(その仏様の功徳を解かり易くする為の)表現がなされた、というのが私の見解であり、定慶本人にしてみれば、根津美術館像、興福寺像も、その一つなのかもしれません。

しかし何か・・・そう!
南円堂四天王像なんて、明らかに増長天、多聞天の作者と、持国天、広目天の作者は別人のような気がしますし、腕にもかなりの差を感じます。
仏師というのは、すべてを一人で作るわけではなく、かなりの分業制です。
当然春日定慶の下にも何人もの仏師がいたでしょうし、その中の一人一人の腕が違うだけなんじゃないかな・・・と思います。

東金堂文殊、大好きです。。。
かなりかっこいい


質問 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/10/29 00:02:45 del:

 仏師の櫻井さんが言われるのだから説得性がありますね。
 櫻井さんから見て、巨像の制作や、一つのお堂の一連の仏像を数人で制作する場合の監督者の意図というのは、どのような形で現れてくるものだと思われますか。




[723] 春日定慶 -投稿者: 出雲美希 home page 返信 2003/10/27 23:15:40 del:

盛り上がってますね。春日定慶ってそんなに面白いんですか?じゃあまた興福寺へ行ってこようっと。丹波の石龕寺もぐっと近くなったことだし、私はあんまり鎌倉彫刻を勉強していないのでこれから資料調べて努力します。肥後定慶と比べるのも楽しそうです。もう一人の定慶は時代が離れるから・・・。


面白いかどうか -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/10/29 00:01:14 del:

 面白いかどうかは・・・。それより、丹波と言わず、摂津丹波の仏像を総なめにしてみればきっと面白いと思います。




[722] 春日定慶 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/10/27 22:56:01 del:

みっちゃん、さっそく春日定慶だね!
確かに定慶の仏像はある意味カッコいいと思います。ちょっと暴走気味だったり。
でも定慶の基本はもっと地味なところにあってその形は梵天帝釈天にも現われているのかもしれません。動と静、序と破のそれぞれをうまく使い分けて表現した隠れた天才だったのでは。
作品が全部カッコよかったら、定慶はそれしかないのか、ってちょっとつまらなくなりますね。
春日定慶という仏師は、私としては、慶派の中ではけっこう味なことやる本格派であったかも、という気がします。
管理人様、アイコンどうもありがとうございました。京都に引越して一息ついている、どころではなく、社寺見学、博物館巡りに乏しい休日をはたいています。これから頑張ろう。


水を得た魚 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/10/29 00:00:21 del:

 京都で水を得た魚状態ですか。特に秋は、特別公開やお祭りのイベントが目白押しですからね。余り見過ぎて食傷気味にならなければ良いのですが。




[720] 春日定慶 -投稿者: 相模未知 home page 返信 2003/10/27 19:38:25 del:

「神」様の仏師コーナーに「定慶」を書いた時点で私の頭に浮かんでいたのが興福寺東金堂の文殊菩薩と国宝館の梵天でした。顔からして運慶や快慶のより涼しげなのに妙に熱いものを秘めてる表情、それが「面白い」と感じていました。あの顔で梵天はブカブカの宋風着衣着てるのだから、定慶の試みの大胆さが感じられます。どこかカブキ者みたいなアウトローさが匂うんです。不良というのとは違うけれど、肩で風切って歩いてるような感覚があります。そのあたりに「カッコよさ」がにじみ出るのかな。

櫻井さまへ
根津美術館のは、顔が後補なので残念です。定慶が作った帝釈天の「顔」を見たかったですね。
正倉院展には仏像彫刻はありませんでした。


アウトロー -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/10/27 22:53:42 del:

 たまたまかも知れませんが、如来菩薩の作品を残していないのも裏街道を生きる(?)定慶らしさなのでしょうか。

 悪を演じさせると天下一品の北野たけしといったところか。でもあんなに図々しくないから、松田優作か?




[717] 正倉院展 -投稿者: 相模未知 home page 返信 2003/10/26 22:31:19 del:

昨日、正倉院展に行ってきました。
毎年行っている波多野の話では、年々ボリューム的にしぼんでいっているようだとか。不況のせいかな。解説員の説明も棒読みに近かったのでもう少し工夫してほしいな。
唐招提寺の校倉も、「内部はあんなものか」で感動にはほど遠かったです。興福寺の乾漆像が勢揃いしたのも、高校生の頃に一度見ているから珍しくなかったです。
でも定慶の仏像には感動させられました。運慶や快慶とは異なって定慶には一種の「カッコよさ」があるように思えました。なんでああいうのが慶派の中に出てくるんだろう。


カッコよさ? -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/10/27 00:19:52 del:

 今年の目玉は平螺鈿背円鏡で、これは吉備真備が帰国の際、聖武天皇に献上したものだったとか。
 正倉院展は黙っていても人が入りますから、どれだけ真剣に企画しているか・・・。
 今日、富士・瑞林寺の地蔵菩薩坐像をあらためて拝観してきましたが、理知的ではあるけれど、確かにカッコよさは無かったなぁ〜。


定慶 -投稿者: 櫻井 返信 2003/10/27 02:09:20 del:

はじめまして。
いつも読ませて頂いているのですが
少し気になったので書き込ませてもらいます。
定慶の仏・・・カッコいいですよね。
僕も同感です!
正倉院展にはどの仏が出展されていたんですか?
あと、定慶の仏には「肥後別当」以外にも作風が違うものがあるような気がします。
例えば、「東京 根津美術館 帝釈天」これは、とても興福寺に伝わる定慶作と言われている諸像とは、衣のさばき方、肉体のリアルさに、かけるような気がしますし何か・・・おっしゃる様なカッコよさがありません。。
皆さんはどう思われますか?

突然の質問・・・お許しください。。。。




[714] 御礼申し上げます -投稿者: 相模未知 home page 返信 2003/10/23 22:47:41 del:

今晩は。いま京都の出雲さん宅に遊びにきています。引越しの手伝いに行こうとしたところ休日がとれず、遅れて京都入りしました。さきほど骨皮大佐らと京都伊勢丹のイートミュージアムで夕食会を楽しんできました。
出雲さんも京都に入れていいな。私も住みたいな。
アイコンの御礼を申し上げます。結城も喜んでおりましたよ。でも編集長の指摘にありますように、メガネをかけたスタッフの見分けが難しかったのでした。
京都には土曜日まで滞在して、明日は結城の引越しを手伝います。それから京博や大津博や奈良博を見てまわります。正倉院展には女性メンバー揃って行くのです。


元始、女性は太陽であった -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/10/24 00:25:05 del:

 この所、まなざしも女性パワーに皆さんたじたじの様ですね。
 当方の会の女性も皆さんいつまでも若くパワフルです。ゼイゼイ!

 結城さんと共に、アイコンをメニューに入れます。
 めがね組は長期入院かも。
 




[713] 出ない -投稿者: 出雲美希 home page 返信 2003/10/23 22:40:32 del:

アイコン、まだ入れていなかったのでしょうか?




[712] 出雲 -投稿者: 出雲美希 home page 返信 2003/10/23 22:38:55 del:

>でも、今は京都か。
でも、出雲路こそ私の故郷なのですよ。決して忘れたりしません。出雲の民が平安京にどんな夢を広げてゆくのかを見守っていて下さいませ。よろしくお願いいたします。


雲太、京三 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/10/24 00:11:46 del:

 かつて出雲は大和、京を睥睨する、日本の中で特別な存在であった訳ですから、その誇りを何時までも持っていて欲しいですね。
 アイコン自体をアップするのをすっかり忘れていました。




[708] プチ整形対象 -投稿者: 菊亭晴竹 home page 返信 2003/10/22 22:12:02 del:

基本的に、メガネをかけている人全員です。
ただし、代表は除きます。
あと、一橋氏はメガネをかけていないことのほうが多いです。


即入院 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/10/23 00:08:02 del:

 ウーン難しい。出直します。




[707] マスコミの功罪 -投稿者: 黒田宗円 home page 返信 2003/10/22 21:21:18 del:

黒田宗円明孝、出雲嬢の平安京進出をお祝い申し上げます。彼女が居れば我々もパワーが出てきます。良かった。
早速、松尾大社の神像とかについて書いてもらいたいですな。
出雲の神像のニュースにはガッカリ。神の国出雲ならば、そう簡単に神の「不可視性」が否定されないような気がするのです。
しかしマスコミの馬鹿さ加減は年を経るにしたがってひどくなってゆきます。事実と思い込みとの区別が無くなっている。社会の木鐸としての矜持はどうしたのかと問い詰めてやりたい気分ですな。
これからは、新聞のいう事は半分疑え、ということになりますか。


神の「不可視性」 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/10/23 00:07:20 del:

 神の「不可視性」ですか。神の国では古代、偶像は造られないということですか。 古代出雲は神話なんかも結構開けっぴろげで、意外と・・・という気がしないでもありませんが。
 トピックスに掲載するニュースは、即時性の点から新聞に頼らざるを得ませんが、これほど袋叩きに合うとは。話題を提供して結果として警鐘を鳴らすのも役割の一つも知れません




[706] アイコン -投稿者: 出雲美希 home page 返信 2003/10/22 19:51:05 del:

管理人様、アイコンをありがとうございます。
照れくさいですね。
神像のニュースについては、余りにも浮ついたムードでなされてるのが情けないです。もっと検討を重ねてから慎重に公表すべきですね。
それと、山陰には仏像や神像の分かる研究者が少ないんですね。
栗東さんの指摘の通り、どこにでも見られる典型的な神像彫刻の遺品ですね。


メニューに追加します -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/10/23 00:00:48 del:

 確かに、島根鳥取の博物館や県市のホームページを覗いても、仏教美術に関する情報が少ないのに驚きます。このような所こそ、出雲さんのような在野の研究者が活躍することが期待されているのではないでしょうか。
 でも、今は京都か。

 アイコンはご承認を得たとして、メニューに入れます。