訪れ帖

 


[797] 妙法院の二十八部衆像 -投稿者: 出雲美希 home page 返信 2003/11/14 00:01:10 del:

出雲美希です。
今日は休みでしたので京都博物館と妙法院を見に行きました。家から自転車で京都の古寺巡りが出来るなんて夢のようです。
妙法院三十三間堂の二十八部衆像が印象に残りました。あれも慶派一門の作なんでしょうね。本尊が湛慶作なので、その一門の作?案内板には作者名は示されておりません。


二重送信? -投稿者: 出雲美希 home page 返信 2003/11/14 00:04:28 del:

書き込みのあと更新しましたら書き込みが二つに増えました。増殖するのですかー。


アイコンが増殖? -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/14 00:30:27 del:

 自転車で古寺巡り!羨ましい。
 風神さんの骨折は完治していましたか。
 湛慶も高齢でしたので、二十八部衆までは手が回らなかったでしょうが、湛慶一門が携わったことは確かでしょうね。

 時々何かのタイミングでダブって表示されることがあります。不要なら消しておきますが。アイコンだけが増殖するとチョット怖いかも・・・。




[796] 妙法院の二十八部衆像 -投稿者: 出雲美希 home page 返信 2003/11/13 23:58:49 del:

出雲美希です。
今日は休みでしたので京都博物館と妙法院を見に行きました。家から自転車で京都の古寺巡りが出来るなんて夢のようです。
妙法院三十三間堂の二十八部衆像が印象に残りました。あれも慶派一門の作なんでしょうね。本尊が湛慶作なので、その一門の作?案内板には作者名は示されておりません。




[794] 高野山の運慶 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/11/13 23:46:19 del:

緒方先生、私たちのハートに火をつけないで下さいよー。運慶が出てきたら書かずにいられないじゃないですか!高野山の運慶、八大童子像ではないけれど、絵になりますね。
高野山の正智院の阿弥陀三尊のことですね。正智院と言えば密教彫刻初期の不動明王坐像がある寺でしたね。そこへ慶派仏師も行ったわけですか。岩田茂樹さんの報告文では湛慶の世代においているニュアンスがありましたが。
問題の報告書は奈良国立博物館で売っていますが、値段が高すぎます。京都国立博物館の報告書の方はページ数も二倍くらいあるのに値段が奈良博のと変わらないのです。


ギョロ目の不動さん -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/14 00:10:05 del:

 正智院と言えば、ギョロ目の不動さんの印象が強すぎ、確かに運慶のイメージが霞みますね。
 紀要は、その内奈良博のホームページで公開されるでしょう。




[790] 新たな運慶作か -投稿者: 緒方紘一 home page 返信 2003/11/13 00:38:35 del:

早々と第二戦に突入する積りではないのですが、運慶関連に関する情報をひとつ。
和歌山正智院の阿弥陀如来坐像が奈良博によって紹介されましたが、頭部の側面観が運慶の願成就院像に大変よく似ています。また顔つきが滝山寺帝釈天像の顔つきに瓜二つと言ってよいくらいの酷似をみせます。奈良博は運慶よりも湛慶の作と仮定していますが、私にはどうも運慶も加わった作のように思えてなりません。玉眼使用をどう解釈するかが問題ですが。新たな運慶作が出てきたのでは、という期待がわいてまいります。夢があります。


本当に夢のあるお話ですね -投稿者: まさ 返信 2003/11/13 13:16:36 del:

私もその御像を拝見してみたいのですが、どこで紹介されているのでしょうか?教えていただけましたら幸いです。


正智院阿弥陀如来 -投稿者: 相模未知 home page 返信 2003/11/13 20:41:59 del:

緒方中佐、紀要5号を御覧になられたのですね。私も春に読んで驚いてしまいました。
あれはすごい作品ですね。でも高野山には慶派の仏像が沢山ありますし、運慶の作品もあるから他にもまだ未発見の像があるかもしれませんね。正智院の像は運慶風とか運慶派とかいうのでなしに、運慶その人の「存在」をなんとなく感じさせるところがあります。あんな素晴らしい像があるのに、正智院さんは五年前の高野山霊宝館の特別展「高野山正智院の歴史と美術」には出品していなかったのです。高野山では弘法大師が主人公なのだから運慶すらかすんでしまうのでしょうか。




[786] 模型の季節 -投稿者: 菊亭晴竹 home page 返信 2003/11/12 22:23:28 del:

先週、骨皮代表と二人で横浜へ模型の買出しに行きました。日本を代表する艦船模型メーカー「ピットロード」の本店が横浜にあり、その社長と代表は古くからの知人なのだそうです。模型開発への提案にも積極的な代表は、去年からずっと「千歳を出せ!出したら絶対売れる!」と訴えておりましたが、それがなんと実現し、クリスマス先行全国展開で航空母艦「千歳」予価3800円が堂々の出来上がりで発売されるそうです。私も早速予約!
相模さんの「君よ負けないで」でも登場した第一機動艦隊の全艦を作ってそろえるのがいまの目標です。
仏像ほったらかして何やってるか、と怒られそうですが。


プラモブーム -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/12 22:45:35 del:

 模型を買いに横浜までですか!
 秋葉原辺りに模型屋が増えてきているのは知っていましたが・・・。
 結構マニアが増えているのですね。
 我が家は、せいぜい息子達のガンダム位です(これも高いものは1万円以上するとか・・・)。
 私には、金型代と原料代と1ロットの製作数を考慮した原価計算の方に興味がありますね。




[784] ご許可願い -投稿者: 栗東晴子 home page 返信 2003/11/12 21:49:59 del:

栗東です。
いま私が提案して古佛ページ本館の構成を追加中です。先週はサイトマップに相当する「案内」を作りました。今度はメアドを集約してコンテンツ化し、古佛スタッフと読者との連絡網として再整備したいと考えています。その画面を制作中なのですが、その中にこちらの「訪れ帖」への通路を作りたいと思っています。リンクさせていただいて宜しいでしょうか。


もちろん結構です -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/12 22:28:30 del:

 もちろん結構です。
 栗東さんの活躍益々ですね。
 こちらもサイトのページの整理とサイトマップの必要性を感じてはいるのですが、腰が重くていけません。
 古佛のまなざしを参考にさせて頂き、おいおい再構築したいと思います。




[783] 大津の帰りに四日市に行ってきました -投稿者: 堀越順子 返信 2003/11/12 19:01:49 del:

大津市歴史博物館の帰りに四日市市立博物館へ行ってきました。前の仏像東漸には比べるまでもありませんが、仏像が20数体出ていましたよ。


情報有難う御座います -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/12 22:22:38 del:

 情報有難う御座います。
 開館10周年記念の四日市の文化財展ですね。
 内容はいかがでしたか。観音寺の如意輪観音坐像が出展されているようですが、他の尊像がお判りでしたらお教え頂けませんか。


四足八鳥? -投稿者: 山崎順子 返信 2003/11/13 01:59:50 del:

ご指摘の観音寺如意輪観音像(檀像様)がどうも地元伝承のヤタガラスと結びついたものか、孔雀明王ぶりに乗っかっていました。あとは、小古曽の観音寺の千手観音などが少しく気になりました。あとは、顕正時寺を中心とする一連の造像郡の持つ意味合いに興味が持たれます。(顕正寺の阿弥陀が金銀貼り分けた特殊な像内漆箔像である点にも興味がありますね)。当時の宗教環境を考えると、赤川さんも少し図録で触れられていましたが興味深いものはありますね。


ヤタガラス -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/13 23:57:44 del:

 四日市にヤタガラスの伝承があるのですか?なるほどヤタガラスと孔雀を混同したのかな。
 顕正寺の胎内漆箔像は、よほど大事なものを納入していたのでしょうか。
 近畿であって近畿でないという三重県、四日市ならではの像といえるような・・・。
 




[782] 丹波へ行きました。 -投稿者: 出雲美希 home page 返信 2003/11/12 00:42:44 del:

管理人さまのおすすめにしたがい、先週まで丹波の古寺巡りをしてきました。奈良ちゃんが同行していますので、私たちのいきさつは多分「敦子の朱印帳」で発表されるでしょう。
丹波には、隠れ古寺が多いのですね。


丹波はデカンショ -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/12 23:03:15 del:

 丹波は歴史的には京都と密接な関係がありながら、現代では開発から取り残されたイメージが強い場所となっています。
 かつては三岳山の修験道と相まって多くの仏教文化を育ててきたのでしょうが、今は昔、ですね。
 奈良さんのご朱印帳楽しみにしています。
 




[779] 岡崎美術博物館 -投稿者: 美河梨絵 home page 返信 2003/11/10 17:41:11 del:

久しぶりの美河です。
鎌倉彫刻論の嵐(?)が過ぎ去ったようですのでノコノコ書き込みに出て参りました。(奈良ちゃんもかな)
昨日、岡崎美術博物館に行ってきました。変わった建物の未来的な雰囲気が楽しいですが、仏像も滝山寺の帝釈天や真福寺の塑像仏頭とかが楽しかったです。帝釈天は運慶なのか湛慶なのかよく分かりませんが。それにしても滝山寺は特別展には帝釈天しか出さない伝統があるみたいですね。


滝山寺 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/11 00:04:47 del:

 帝釈天しか出てないのですか。真福寺の仏頭は、不思議な魅力を持った像のようですね。共に、次回の旅行で行ってみたいと思っています。

 結城さんが、かわら版にこの訪れ帖の一連のバトルの事を総括して頂き、有難く読ませて頂きました。
 かつて島根県の荒神谷遺跡で銅剣が出土した際の公開シンポジュウムで、司会をした松本清張氏が、「学界には論敵がいて、一つ言えば反撃があり、ガードを固めてから発言しなければならない。でも今日はとりあえず素人が聞きたいことを待ちわびている。ショーだから楽しくやろう」と言ってパネラーにけしかけ、非常に面白い論争が展開されたことが思い出されました。

 一連の書き込みを、そのまま記事にして掲載します。




[778] 入れないであります -投稿者: 奈良敦子 home page 返信 2003/11/10 17:28:32 del:

奈良敦子であります。
こちらの秘仏情報、滋賀国昌寺の記事に入れないのでありますよー。うーん。
こんど京都本部になる家の台所と編集室に器材や必要なものをセッティングしてまいりましたー。窓から鴨川が、清水寺が見えるのであります。京都もなかなかいいぞ!!なのであります。京都へ週一回通うことになりますが、交通費はページ運営金庫から出してくれますのでやったー、なのであります。
朱印帳もそろそろ再開するのであります。おー。


祝 京都本部稼働 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/11 00:02:12 del:

 ご免なさい。このファイルのみアップに失敗したようです。
 但し、11月8日一日のみの御開帳でしたので、事後報告となってしまいました(^^;)。
 永昌寺の地蔵は、お寺では10年ぶりとのことですが、昨年の栗東歴史博物館の「近江の彫刻 -湖南・甲賀の10・11世紀−」展に出品されています。

 いよいよ、京都本部の稼働開始ですね。ご朱印帳もはかどるっていう奴ですか。




[777] ありがとうございました -投稿者: 眞琴 返信 2003/11/09 23:21:05 del:

定覚の事を質問した眞琴です。
緒方先生、毛坊様、お答えいただきありがとうございました。お二人のお答えから、現在の段階では改めて快慶と定覚との関係を再検討する必要があることが解り、とても勉強になりました。過去の研究に新しい情報を加えていく時のスタンスが少し解ったような気がして嬉しかったです。鎌倉彫刻の議論、ぜひ又やってください。




[775] 撤収 -投稿者: 黒田明孝 home page 返信 2003/11/08 23:39:51 del:

黒田です。
どうやら鎌倉彫刻の議論も一段落したようですので、緒方氏をふくめ、古佛スタッフを議論の場より撤収させます。
撤収〜!!


ご参加有難う御座いました -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/09 00:45:14 del:

 御苦労様でした。
 相模さんの書き込みから始まった定慶、定覚、快慶バトルはなかなか読み応えがありました。
 余りにも高度(レベルの事です)で、途中からは傍観者に徹してしまいました
 今回の議論のように、また、皆さんと夢を語ることが出来れば素晴らしいと思います。

 これを持ちまして、中締めとさせて頂きます(^^;)。




[774] 快慶の高度 -投稿者: 緒方紘一 home page 返信 2003/11/07 16:53:01 del:

緒方です。
快慶の高度、という書き方が悪かったようです。快慶が作品において設定しているはずの「像の高度」つまり高さそのものを意味させたつもりでした。快慶は像を見る人の場からみてかなりの高さに像の位置を設定していたと私は考えます。つまり快慶の高度とは、快慶作品の拝観者からの「位置の高さ」です。
浄土寺阿弥陀三尊像を見れば気付くでしょうが、快慶の作品が拝観者から見てかなり高い位置にある場合、その造形の効果や印象が最もよく現れて見る者に感銘を与える、そういうふうに快慶の作品は作られているようです。つまり、現代の我々の鑑賞している状態では、快慶作品を見るべき位置にないので、顔が違うとか印象が異なるとかの問題が発生するのです。阿弥陀信仰の求道者として快慶は仏の姿を高い位置に想定し、仰いで拝むべき像の姿を表現することを心がけたはずです。だからボストン像も東大寺二月堂像も、あまたの作品も現在の図版の位置や鑑賞位置よりももっと下に視線を持っていき、見学者より高い位置に作品を持ってゆけば、快慶作品には共通した力感がみられることに気付かれると思います。この仮定を踏まえると、東大寺仁王の顔などの修正や補正を行ったのも快慶ではないかと思われます。運慶のデザインだとはるかに前方を凝視する姿になるでしょうから、下から見上げる人の視線を意識した現在の仁王像の造形には快慶をなんとなく感じるのです。運慶快慶のコンビなのだから、オリジナルデザインを運慶が、そして願主の重源との調整や南大門中での変更点をふまえて改修していったのが快慶、ということになりましょう。これを対の定覚と湛慶にも当てはめ得るかはともかく、定覚と快慶の関係を考慮するとなかなか面白い観点が生じます。ひとつの可能性として、東大寺仁王像の現在のデザインは快慶による修正の結果であるかもしれないということが考えられます。快慶と定覚の造形があい近い関係にあるのであれば、快慶と定覚と定慶、そして善円も含めて彼等の関連をどう読み取るかの問題にもつながると考えます。




[770] 快慶の「高度」とは? -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/11/06 23:21:16 del:

緒方先生のご見解について質問がございます。
快慶の作品というのは相当の高度をもつというご見解でございますが、この高度という言葉の意味がよく分からないのです。私なりには二通りに解釈出来るので・・。
一つは造形レベルの高さ、もう一つは造形に込められた思想の高さ、ですが・・。いかがでしょうか。


高度に留意 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/07 00:44:15 del:

 私もよく解りません。「造形レベル」と「思想の高さ」のどちらが欠けても快慶の造像は不可能だと思いますので、両方だと思いますが、緒方さんが求められる「高度に留意」することは私のような凡人には到底不可能なようですので、快慶を理解することは諦めざるを得ないですね(^^;)。




[768] はじめまして -投稿者: まさ 返信 2003/11/06 21:54:34 del:

はじめまして。東京の大学で彫刻史を勉強しております「まさ」といいます。いつもこのサイトを拝見させていただき、色々な方のご意見を聞き勉強させていただいております。実は今回お願いがありまして書き込みさせていただきました。先日、大津歴史博物館で開催中の「比叡山麓の仏像」を見に行きました。私の後に50人ほどのお年寄りの団体が来たのですが、なんと入館してすぐに皆さんが図録を購入されたので、私が見終わって購入しようと思ったときは既に完売になっていました(涙)もし、余分にお持ちで譲っていただける方がいらっしゃいましたら、ご連絡いただけませんでしょうか?よろしくお願いいたします。


ホントですか! -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/07 00:24:54 del:

 参ったなぁ。私も行ったときに購入すればいいやと思って、まだ行っていないのです。
 素晴らしいという話は聞きますが、やはり、比叡山は日本仏教界の母胎であり、人を惹き付ける魅力があるのでしょうか。
 何とかしなくっちゃ。


大津市歴史博物館 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/11/07 09:14:30 del:

もう完売になったのですか。やっぱり500円で手頃感がありますからね。古佛スタッフで大津歴博の特別展に最初に行ったのが栗東さんでしたが、彼女がその際に私たちスタッフ21名全員の分を購入しておいてくれましたので助かったのです。
古佛スタツフに入った際のルールブックに「博物館の図録は入館後すぐに購入のこと」とあるのもうなずけます。図録の重版とか再販とかはなされないのでそれこそ早い者勝ちなんですね。
でもこうした図録は手放されるのも早いようで、半年ぐらいしたら京都や大阪の古書店に出回ってくるんですよ。それを待って出たら購入するという手もありますね。




[767] 眞琴さんへ -投稿者: 毛坊 返信 2003/11/06 00:54:55 del:

毛坊です。私も眞琴さんへ。
中性院像と峰定寺像とを定覚と推定する考え方は、論文中で水野氏も記しているように元々建築史の太田博太郎氏の提唱された考え方です(たしか「奈良の寺」の『南大門と二王』)。まず東大寺中門二天でも大仏殿脇侍観音でも快慶と定覚が組んで仕事をしている点に注目して、快慶も定覚も俊乗房重源が意図していた宋風導入を実現出来る仏師だったのではないかと推測する。その上で宋風が顕著だけれど快慶とは作風が異なる中性院像、峰定寺像を定覚の作と仮定する。そういう論理であったと思います。
その後南大門二王像で湛慶定覚という組み合わせが知られたわけですが、上の説はこのことに影響を受けるのかどうか私も知りたいところです。
相模さんも触れられたように私が以前にお話を聞いて大変示唆を受けた山本勉氏は、『日本仏像史』で定覚に擬せられるこれら2像と善円との親近性を説いていますから、上の説を依然認めているのでしょう。
賑わいを見せた定覚定慶関係論のたしにするんだったら、定慶の興福寺梵天像の顔とこれら2像の顔、さらに定慶維摩と対の文殊の顔を比べて見るのも面白いかもしれないですね。




[763] 国華1000 -投稿者: 緒方紘一 home page 返信 2003/11/05 20:54:58 del:

緒方です。
>眞琴さんへ
国華1000の文は大部分が古佛の文献に収録されていますので認められていないかどうかはともかく、相模さん結城さんら古佛スタッフの内では周知されていることと察します。この水野氏説にお二人が言及されないのは、快慶の作風との絡みにおいて水野氏説を受け入れるかについて相模さん結城さん両人が決めかねているからだろうと拝察しております。
もし東大寺中性院像と峯定寺像を定覚の作と仮定しますと、その作風が快慶のそれに似る点をどう考えるべきかの問題が生じてくると思います。そういう事情から相模さんも結城さんも言及しておられないのでしょう。


仰るとおりです -投稿者: 相模未知 home page 返信 2003/11/05 21:30:18 del:

>緒方先生
さすが!するどいですね。仰る通りです。これからも勉強します。
>ゆーみん
『仏教美術研究上野記念財団助成研究会報告書』第21集は読みました。「後白河院政期の仏師と仏像」ですね。あと第28集の「院政期の作善と美術」も楽しいです。
>毛坊さん
ここ数日の鎌倉仏師論への真剣な取り組みように心より敬意を表します。山本先生にも宜しくお伝え下さい。




[761] 質問 -投稿者: 眞琴 返信 2003/11/05 00:58:49 del:

初めて書き込みします。鎌倉時代の彫刻史を卒論に選ぼうと思っている学生です。
定慶と定覚のおはなしがスゴク深まっていて勉強になったのですが、わからないことがあるので質問します。前に学校のゼミで宋風彫刻を担当したときに勉強したのですが、水野敬三郎先生の「宋風美術と鎌倉彫刻」(「国華」1000)という論文で、東大寺中性院の弥勒菩薩像や峯定寺の釈迦如来像が定覚の作の可能性があると書いてありました。皆さんのおはなしの中にこの2つの作品がでてこないのですが最近はこの説は認められていないのですか。


定覚 -投稿者: 櫻井 返信 2003/11/05 02:11:43 del:

>東大寺中性院の弥勒菩薩像や峯定寺の釈迦如来像が定覚の作の可能性があると・・・
初めて伺いましたが納得ですね。
いくら時代の移り変わりに敏感な快慶といえどあそこまで宋風彫刻を取り入れるか?
と疑問に思っていましたが定覚かどうかは分かりませんが快慶でないと思うと少しほっとします。

ほんとタイムマシーンがあったらいいのに。。。


善派? -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/06 00:31:38 del:

 東大寺中性院像と峯定寺像の定覚説は知られていますが、特に東大寺中性院像の小振りな目鼻立ちや、流れるような小気味よい衣文線などが、東大寺指図堂の釈迦如来坐像の作者である善円を中心とする善派の作品に近い様式を持つことも指摘されており、善派に繋がる作品という見方もあるようです。
 私は快慶や慶派を感じませんので、後者に親しみを感じます(善派を派として認めるかという問題もありますが)。




[759] 結城美穂さんに… -投稿者: 毛坊 返信 2003/11/04 19:38:18 del:

毛坊です。
夕べ書いた「南大門吽形像の造形と、春日大社舞楽面、興福寺東金堂維摩の造形とを、同一人物の作風として捉えることは出来ないと思うのです。」の、「同一人物の作風」という個所は「同質の作風」と書くべきところを間違えました。ごめんなさい。結城さんが「同一人物どころか、どっちも定慶だ、なんて誰も書いてないですよ。定覚と定慶、なのであります。」とおっしゃる通りです。
それにしても、結城さんがどうして運慶中心の鎌倉初期彫刻史観にこれほど反発なさるのかな、という興味を私は持ち始めました。このことをこれから自分の反省すべき問題として考えてみたいと思います。もっとも、私は結城さんのように現在までの鎌倉彫刻史研究を「いままでのつまらない鎌倉彫刻史じゃないの??」と切り捨てることは到底出来ませんが。
それから、しつこいようですけれど、「興福寺の造仏は大部分が定慶なので」とおっしゃるのはいくらなんでも乱暴過ぎますよ。史料で考えることを極力避けるにしたって、興福寺再興経過の中で、お堂による造営方法の違い、そしてそれによる仏師の選択方法の違いっていうのは考慮しなけりゃいけないと思います。最初の内は興福寺再興造仏の主体は院派円派なんですから。
私も仏師の夢を語りたいと思う者です。そして夢を語るためにも、今残されてる作品や史料の語るところを出来る限り丁寧に読み解いていきたいと思うんです。その方がより深く大きな夢が見られると思うんです。


感謝です -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/11/06 23:14:45 del:

毛坊さんの御言葉に同感です。ここの皆さんが一様に仏師の夢を語りたいと願っておられるのですよね。
定慶の件はそんなに乱暴かなあ。まあ安直なのは自分でも分かっていますよ。興福寺再興造仏の主体は院派円派だったのは分かりますが作品が現存していないのではどうしようもないじゃないですか。作品が無いからといって史料や憶測を重ねて推定だけで構築されてきた既存の鎌倉彫刻史、これは相当危なっかしいなあ、と常に感じるので、運慶論中心にもっていかれがちな研究動向というのにも危なっかしさを感じるのです。定覚、定慶を、善円、善慶をもっともっと理解して奈良仏師全体のイメージを具体的にしてほしい、といつも思うのですよ。




[758] 快慶 -投稿者: 櫻井 返信 2003/11/04 02:53:26 del:

春日定慶・・・。かなりレベルの高い話になりましたね。。。とても勉強になります。
つぎは快慶ですか。。。これも楽しそうですね。とりあえず無知な私ですが思ってることを書き込みさせてもらいます。

アン阿弥時代・法橋時代・法眼時代と分かれて考えられていたと思うのですが、特に謎に思うのが法眼時代なんです。
というのはお顔は兎も角、体つきなんですが私には行快等がかなり大きく関わっていたとしか思えないのです。
今の時代もそうですが弟子が台座や光背を作るのは当然ですが師匠の名前で弟子が製作に入り師が監修、お顔を決めるというのは、よくあることです。
少し話を遡りますが作風からだけ観てこれは誰のだ。いや違う誰々のだ。とは一概に言い切れないと思うのです。
例え快慶と銘が入っていてもその中で担当した小仏師が変わっていくでしょうしそれがある意味、快慶でいうアン阿弥時代・法橋時代・法眼時代なんじゃないかと私は思います。。。。あくまで実体験と写真等を見ただけの底の浅い意見なんですが、どう思われますか?


快慶 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/04 23:39:17 del:

 快慶の場合、特に初期の像が、顔つきだけでなく、像容も大きく変わっているのは、時代の要望に敏感だった快慶の精神構造の変化と漠然と考えていました。
 東大寺俊乗堂阿弥陀や、公慶堂地蔵、僧形八幡、浄土寺阿弥陀等に快慶の面影を追っていたのですが、確かに浄土寺像は巨像ですから多数の仏師が参画したでしょうし、僧形八幡にしても28名の小仏師が加わっていますからね。
 仏像の像容が多くの仏師の技量の最大公約数で表わされるとすれば、初期の像容の変化は、快慶の心変わりではなく、弟子達が快慶の理想を理解する過程であったといえるのでしょうか。
 それでもなお、ボストンの弥勒菩薩像の面相と側面観は理解できない。

 緒方さんから、お前は全く解っていないと貶されるでしょうけれど。


恐縮です -投稿者: 緒方紘一 home page 返信 2003/11/05 21:34:35 del:

管理人様、とんでもございません。
快慶の作品については、まず高度に御留意いただければ、ボストン弥勒菩薩像の面相と側面観も理解出来るのではないでしょうか。




[757] 快慶 -投稿者: 緒方紘一 home page 返信 2003/11/04 00:20:55 del:

緒方です。
奈良ちゃんも戻ってきて安心しましたね。金沢はいかがでしたか。石川県博の能登仏像紀行はどうでしたか。私は来週に骨皮氏、黒田氏らと共に行きますので楽しみです。
近藤君、快慶の顔について色々な意見がありますが、みんな根本からして正しく快慶の顔をとらえていないのではないかと思います。浄土寺や高野山の作品に示される通り、快慶の作品というのは相当の高度を持っているのです。それに見合った視点を持たないと快慶の彫刻の本質は見えてこないんじゃないかと私は思います。




[756] 上染屋不動堂 -投稿者: 管理人 home page 返信 2003/11/04 00:15:41 del:

 今日、文化財ウィークで公開された上染屋不動堂の阿弥陀如来立像を拝観してきました。雨天時はレプリカの展示ということでしたので、どうかと思いましたが、何とか雨ももって、無事拝観できました。
 今まで、善光寺式阿弥陀というと、フーンという像が多かったのですが、造形的にこれほど素晴らしいとは思いませんでした。善光寺像と同様、戦の守り本尊として各地を転戦したとされていますが、火中もなく、衣文の鎬も美しく残っています。ついでに本堂のレプリカも拝観しました。レプリカも足先の欠損部や、背面の銘文(本物は背面が見えないが)まで忠実に再現されており、これが本物といわれても分からなかった程良くできていました。

 定覚と定慶ですか。私は、藤末鎌初の時代は、仏像の様式の変化としては興味がありますが、仏師論には余り興味が無いものですから・・・。と、一応逃げを打っておく。
 「The Quality Seminer」に依れば(^^;)、定覚専務と定慶常務で一つ違いですが、定覚は、作品として余り残されていませんし、何とも判断できません。

 ただ、この時代は、定朝の時代の様に技量のある仏師が芸術家然としていれば引く手あまたで仕事が来るといった状況ではなく、多くの仏所が乱立し、需要と供給のバランスが崩れてきている時代ですので、取りあえず仕事を確保することが先決で、取れた仕事は納期も短く、多くの仏師が共同で仕事をしたため、仏師の組合せも場当たり的で(一応言われるようなグループは存在したでしょうが)、仏師個人の特性を希薄にしていった時代ではないかと思います。
 何せ、東大寺仁王像は兎も角、東大寺僧形八幡坐像など等身大の像でも、快慶のもと28名もの小仏師が造立に携わったということですから。
 このように、師弟相伝という風習は徐々に希薄になっていき、仏像彫刻が鎌倉中期以降形式化に陥いる遠因となったのではないでしょうか。
 また、僧綱も定朝の時代には仏像彫刻を通じて、仏教の隆盛を助けたことによる功績に対する評価であったものが、次第に仏師に対する単なる肩書きとなり、僧綱位の譲渡も、現代の選挙で地盤や党公認を息子や秘書に譲るように、組織防衛の具として行われた側面もあるでしょうし、僧綱位自体の基準や価値も前の時代とは比較できないものになっていたでしょう。ですから、僧綱位の格付けだけでは、仏師の実力は判断できないと思います。
 今年の秋の叙勲からは勲章授与基準の変更により、国際的に高い評価を得た企業中小企業経営者も叙勲対象になるそうです(今までなっていなかったの??)。




[755] おー!! -投稿者: 奈良敦子 home page 返信 2003/11/04 00:14:23 del:

奈良敦子でありますー。
おー、久しぶりなのであります。
金沢から帰ってきてみたらいつのまにか藤鎌センセイの論に刺激されたような成り行きになってるであります。なんだかスゴイのであります。
毛坊さんは東京の方ですか?毛坊さんの書き込みは、なんだか教科書みたいであります。




[754] 運慶?? -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2003/11/04 00:07:46 del:

>南大門吽形像の造形と、春日大社舞楽面、興福寺東金堂維摩(定慶の忿怒形の基準作はこの二つだけ)の造形とを、同一人物の作風として捉えることは出来ないと思うのです。
同一人物どころか、どっちも定慶だ、なんて誰も書いてないですよ。定覚と定慶、なのであります。
>惣大仏師運慶の作風が前面に出たものだという意見に賛同しています
結局これが大前提になっているんですね。まず最初に南大門仁王像は運慶作、とする見方があるから。
>南大門吽形像という仲介点が無ければ、定覚と定慶との接点は名前の“定”という文字だけになってしまうと思うのですが
なにも無理して南大門吽形像を挙げなくても定覚と定慶との接点は想定できるような気がします。興福寺の造仏は大部分が定慶なので、康慶と定覚のコンビを推定出来れば康慶から運慶、定覚から定慶という奈良仏師一門の二本柱が浮かんでくる・・のかな?
皆さん、さっそく『仏教美術研究上野記念財団助成研究会報告書』第21集を探して読んでみましょう。私もまだ読んだことがありませんので急いで探そうっと。
みっちゃんは読みましたか?




[753] もう一度定覚と… -投稿者: 毛坊 返信 2003/11/03 23:34:56 del:

断じて史料至上主義ではない毛坊です。それに相模さんの真摯なご執筆を心から支持する者であることも付け加えておきます。
定覚と定慶の論について、少し整理させてくださいね。
たびたび出てくるように定覚単独の基準作品はありません。それなのに皆さんの定覚定慶関係論が始まったのは、平成三年の『仏教美術研究上野記念財団助成研究会報告書』第21集に載ってる浅井和春氏の報告の中で、浅井氏が南大門二王の吽形像の造形が運慶のそれとは異なる“激越”なものだとされ、それは定慶にも通ずるもので、納入経奥書に名の出る定覚の作風を示すのではないか…とされた推定に拠るのではないでしょうか。私はつい最近まで浅井氏のこの意見の発表場所を知らず、ずっと探していてやっと分かったのですが、そもそもこの意見の妥当性を検証することから始めないといけないと思います。
この意見は作品観照に基づいた芸術学的な見解なのでしょうか。私にはそうは思えません。南大門吽形像の造形と、春日大社舞楽面、興福寺東金堂維摩(定慶の忿怒形の基準作はこの二つだけ)の造形とを、同一人物の作風として捉えることは出来ないと思うのです。もちろんどちらにもたいへんな迫力があります。どちらも迫力がある、どちらも激情的だ、どちらも激越だ…。だから二つの作風は同じものだ。これは言葉を仲介したために、異なるものが同じものになってしまう、誤った論理の一つの例ですね。
私は南大門吽形のかなり大掴みな作風は、一見大胆に見えるけれど繊細な写実を基調にした定慶の作風とは異なると思います。惣大仏師運慶の作風が前面に出たものだという意見に賛同しています。やっぱり吽形像は、定慶の像よりはるかにものすごい空間を創り出してると思うのです。
ともかくこの南大門吽形像という仲介点が無ければ、定覚と定慶との接点は名前の“定”という文字だけになってしまうと思うのですが、どうでしょう。




[752] 鎌倉彫刻 -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2003/11/03 17:51:57 del:

近藤です。
いま定慶や定覚を中心に鎌倉彫刻の話題で賑わっておるようですが、自分としては快慶とその仏師集団の動きにも興味があります。
運慶は東へ、快慶は西へ。このありかたは企図されたことだったのかという気がします。奈良は定慶が確保しているのであれば。
いずれにせよ、慶派一門の広範囲な活動計画というのがあって、東国、西国、奈良を分担しての造立活動がなされ、それが鎌倉彫刻の流れを作ったかと私は考えております。
なかでも快慶一門の仏像は当然快慶の作風を真似たものが多いのですが、まだ他にも何か重要な要素への視点があるべきもののような気がしています。これは考えすぎなのでしょうか。




[751] 吉備の泣き鬼 -投稿者: 相模未知 home page 返信 2003/11/03 12:40:07 del:

>緒方さんへ
例の連載は「かわら版」にも載せる予定ですが、時期が未定です。
>毛坊さんへ
定覚−定慶、定覚−覚円の関係については出雲の書き込みと同じ考えでおります。
>ゆーみんへ
「造形」から考えるとどうしても従来の解釈と異なる場合があります。微妙で深いんですが、ある程度は歴史学や美術史学の見解と似通った部分がなければ情報の共有化は難しそうです。そこに芸術学の限界もあるし、逆に美術史学の狭さも浮き彫りになってきますか。本当に難しいです。

>高見さまへ
定慶、定覚に関する御高見をお聞かせ下さい。