訪れ帖

 


[1350] 古佛はアテネオリンピックへ -投稿者: 太田道観 home page 返信 2004/06/13 16:13:42 del:

こんにちは。
太田です。古佛サッカー試合応援リーダーとして「古佛でアテネへ行こう!」を合言葉に色々やってまいりましたが、このたび旅行社勤務のスタッフ達のおかげでアテネ行きの予定がほぼまとまります。入場券も現地の取引先を通じて手配中です。
日本の夢を担ってアテネへ行く五輪代表を最後まで応援すべく、私たちも繰り出して三試合の応援を敢行します。
スタッフ各氏のスケジュールにあわせて四つの旅行期間を設定しています。
@8月11の五輪開幕式と12日の対パラグアイ戦に行くコース
A12日の対パラグアイ戦と15日の対イタリア戦に行くコース
B15日の対イタリア戦と18日の対ガーナ戦に行くコース
C上の@ABの二つの継続コース

ということで、私自身はAとBの組み合わせコースに入ります。
よし頑張るぞ。アテネが我々を呼んでいる!!


こちらはお茶の間観戦 -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/06/13 19:58:23 del:

 とてもそこまでの気力はありませんので、全権委任させて頂きます。




[1349] 平安時代後期の彫刻 -投稿者: 奈良敦子 home page 返信 2004/06/13 02:45:42 del:

神様、奈良敦子ですー。おひさしぶりですー。
ゆうべ買って来た日本の美術の「平安時代後期の彫刻」をさきほど読み終えました。藤原彫刻の流れがすこしだけ見えてきました。でも骨皮大佐が普段から語ってる突っ込んだ定朝論とか藤原仏像論とかは無いのですよ。概論なんだねー日本の美術。
あと一冊、鎌倉彫刻なのですね。今まで読んでて一番内容がややこしくて難しかったのが天平彫刻だったの。浅井さんの天平論って気難しいなあー。うん。


進歩にびっくり -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/06/13 19:57:15 del:

 日本の美術が概論!? 一年も経つと人間進歩するモンだなぁー。
 でも、自分の視点だけで見て判断すると誤ることもあるので、何事も謙虚でかつ大胆に行きましょう。




[1348] こんばんは。 -投稿者: まっくる 返信 2004/06/12 22:10:38 del:

管理人様、かなり遅いのですが、プロジェクトXの感想を述べたいと思います。

職人の皆さんのかっこよさに惚れ惚れというのがまず第一でした。
長年、木や木組みのことを肌で感じ続けてないと分からないのでしょうね。
しかも木組みの分け方が分からない手探りの状態っていうのが、すごい難儀だったと思います。
こんな簡単に難儀だったと言えない位に。

ちいさいサイズのものを作って、どのようなバランスだと像は立つのかというのもシビレました。


職人さんというのはかっこいいですね(今時の小学生でももしかしたら書かないような文章ですみません。)。


感心するばかりです -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/06/13 19:56:18 del:

 鎌倉時代の造像時にも、模型を造って何度もシミュレーションをしたようですので、先人の苦労を改めて認識した、というところでしょうか。
 同じ木彫の平櫛田中が生涯の大作「鏡獅子」の像を造るに当たって、色々な大きさの試作をいくつも造っただけでなく、歌舞伎の衣装の下に隠れた筋肉、骨格の表現までを追求し、六代目尾上菊五郎が裸で練習している姿の像も制作しています。
 かっこいい、というより、とても私には出来ないなぁと感心するばかりです。




[1347] 運慶作戦 -投稿者: 相模未知 home page 返信 2004/06/12 21:58:44 del:

下のコントは運慶作戦とは無関係です。御安心下さい。
現時点では作戦の大綱は決定していまして、誰がどの記事を担当するかの相談をやっています。予定表に落とし込んで、必要な文献や資料を集めて、この夏はまず取材です。
建川副代表と伊勢さんと諏訪さんが慶派、運慶のコーナー別の対象仏像候補を選んでいるのですが、東日本のはだいたい神奈川県や静岡県に集中していますね。こんなにあったんだ、と改めて感心しています。
西日本にはやっぱり少ないのでしょうか。


運慶は東国に下向したのでしょうか -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/06/13 19:55:20 del:

 関西では焼き討ちや廃仏で集中的に多くの文化財を失っていますので、結果として関東に残ったという見方もあるかも知れません。
 しかし、確かに慶派の流れを直接的に汲む仏像という見方をすると、関東に多く見られるように思いますね。
 運慶の下向、非下向という議論も再精査する時期に来ているのかも知れません。




[1343] ドラゴン運慶 -投稿者: 相模未知 home page 返信 2004/06/12 01:12:45 del:

お久し振りです。
おとといみんなで埼玉スタジアムへ行ってきましたが、久保選手のシュートに惚れました。
久保選手は私の中ではなぜか運慶にイメージが重なるのです。どうしてなんだろう、ドラゴン運慶、と呼んでもあんまり違和感を感じません。それを言ったらみんなが大笑い。さっそく伊勢中佐と太田少佐がショートコントやってくれました。

太田レポーター
「どうですか、願成就院は?」
伊勢ドラゴン運慶
「適当っす」
太田レポーター
「それでは浄楽寺は?」
伊勢ドラゴン運慶
「適当っス!!」
太田レポーター
「ちなみに光得寺は?」
伊勢ドラゴン運慶
「当たればイイっす!」
太田レポーター
「新たな作品が判明したようですが」
伊勢ドラゴン運慶
「もう、なんでもイイっす!!」
太田レポーター
「頼むから笑って下さいよ・・」

これで大爆笑。



ショートコント -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/06/12 18:15:12 del:

 和気あいあいの様子が伝わります。
 でも、このショートコントが運慶作戦の一環ということは無いでしょうね。




[1342] 悪夢と神様 -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2004/06/11 22:17:54 del:

サッカー対インド戦を京都本部で観戦しました。女性陣は眼が星の状態で歓声も最高潮。メガホンや日の丸振り回して大騒ぎ。私は隣の結城さんの振り回す手で、強烈な張り手をくらいました。悪夢です。高見山の張り手より強烈かも。
教訓、サッカー観戦時は女性陣との距離を開けること。
骨皮大佐も菊亭さんもただ見ているより仕方無く。602はジーコ監督が映るたびに「神様ー」「神様!!」を連呼。いちいち神様って言うな。こっちには高見様という「神様」もおられるのだぞ、と。
大勝といってもまだ一回だ。勝って兜の緒を締めよ。インドには勝って当たり前。韓国とかオマーンにこそ7−0で勝つべきなのでは。



サッカーとバレー -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/06/12 18:08:40 del:

 韓国とオマーンに7-0ですか!
 夢のまた夢のような気がしますが・・・。
 サッカー人気も日韓ワールドカップで終わるかと思っていましたが、まだまだ健在ですね。でも、うかうかしてると女子バレーに追い抜かれるかも?なんせ、私も東洋の魔女の世代ですから。東京オリンピックが終わった時、バレー部に100人以上の入部希望者が殺到し、体育館を乗っ取られた記憶があります。




[1341] 仏像の新発見 -投稿者: 栗東晴子 home page 返信 2004/06/11 21:46:52 del:

管理人さまお元気ですか。金勝山の栗東晴子です。
お隣の守山市で春に発見されていた仏像が天平時代の吉祥天らしいと報告されました。すごいことです。明日から公開されるので、日曜日に京都本部の皆さんと見学に行ってきます。
でも公開場所の守山市埋文センターは車でしか行けないので、琵琶湖文化館に入れたままにしてほしいな、と思います。


吉祥天 -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/06/12 17:07:21 del:

 Webで見ましたが、直立の穏やかな像の様に見えました。
 天平の吉祥天像として注目に値しますが、でも、「県内最古」という見出しはどうなんでしょう。マスコミは、どうも「最古」という言葉が好きなようで、確かにインパクトはありますが、石山寺や慈眼寺像はどうなってしまうのでしょう。あるいは、「吉祥天で最古」、「木彫で最古」とはいえるのかも知れませんが、形容詞をつければ何だって最古になってしまいますよネ。

 面相は乾漆か塑土で整形されていたと見られているそうですが、顔だけ塑土を置いた例というのは無いと思いますので、興味深いですね。
 何か発見があったら教えてください。
 
 




[1339] いかがですか -投稿者: 黒田明孝 home page 返信 2004/06/07 00:23:51 del:

ようやく私の文を送らせていただきました。三部全て準備出来ておりますのでどうかよろしくお願いいたします。仏師名も在銘像も殆ど無いという時代の仏師をさらりと平易に述べるのは難しかったです。

日中は奈良へ出まして、代表と秋篠寺の大元帥明王像公開を見てまいりました。周囲では色々に話していましたが、私個人としては大元帥明王には全然真言密教を感じません。もっと古い奈良仏教の雑密世界からの系譜に置かれるべき像だという気がしました。


拝領致しました -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/06/08 01:28:13 del:

 有り難うございます。
 黒田さんの東寺に対する思い入れを改めて感じました。
 平安初期彫刻の源流については、個人的には、造東大寺司の系譜を含めた、大きな時代の流れがその根底にあったものと考えていますが、この時代の彫像に興味は尽きません。

 真言密教のなかでも秘法中の秘法と伝える大元帥明王明王に真言密教を感じないというのは興味深いですね。確かにそう言われればという気がしますが、秘法ではあるが宮中でのみ修法されるという特殊性なのでしょうか。 




[1337] 復帰 -投稿者: 伊勢宗瑞 home page 返信 2004/06/05 00:06:59 del:

神様高見様、伊勢宗瑞、退院しました。
戦車師団はバッチリです。いつでも進攻に出られます。慶派か運慶か快慶か。

ところで、神様の文章が拙ページにて再収録されるそうです。おめでとうございます。


退院おめでとうございます -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/06/05 01:25:57 del:

 退院おめでとうございます。
 胃潰瘍とのこと、大胆かつ強引に見えて実は繊細な神経の持ち主でバランス感覚の鋭い伊勢さんのこと、さもありなんとご同情申し上げます。

 かく云う私も、ヘルニアでMRIを受ける羽目になりました。
 お互い健康第一ですから、余り無理しない程度に頑張って下さい




[1335] 千宗寺 -投稿者: 骨皮道賢 home page 返信 2004/06/02 23:27:58 del:

お久し振りです。たまには、と書き込みいたしました。
三河では千宗寺にこだわってきました。長澤蘆雪の絵が好きですので。それにしても、三河の名産が竹輪だというのは初めて知りました。

「神仏のかたち」の第三巻、学研さんも相当悩んだようですが、不動明王の鑑賞ガイドはあっても不動明王彫像のそれは無いから、ひとつ作ってみる気になったのではと拝察します。四天王の時より苦労しそうな予感がします。熟考どころか取材に時間をとられて遣り繰りが大変です。不動明王は、関東では人気があるそうですが主に武家階級の信仰した尊像であったことが
大きいのでしょう。


こちらこそご無沙汰しています -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/06/03 00:26:40 del:

 正宗寺の寺宝展が一昨年豊橋市美術博物館で開催されたようですね。
 今日、また急な出張で京都に行きましたので、時間を作って雨宝院の千手観音像を拝観してきましたが、庫裡に宝来がはってあり、先々月豊橋の赤岩寺と普門寺で同じものを拝見した(普門寺のご住職が自ら作られていました)旨お話ししましたら、何でも、赤岩寺のご住職と高野山でご一緒だったとかで、世の中狭いものだと感心しました。

 竹輪は豊橋のヤマサが有名ですね。三河地方は遠州と共に伊那街道を通じて信州との交流が深く、信州に送る保存食として発達したのでしょうか。

 それにしても代表の守備範囲の広さには頭が下がります。私は絵の方はヨーロッパ系のものが親しみやすいですね。 家にもビュッフェの版画をいくつか飾って楽しんでいます。

 不動明王は日本に遅れて伝わった割に、確かに特に関東で五大尊として好んで作られたようですね。発刊を楽しみにしています。




[1333] ある情報 -投稿者: 黒田明孝 home page 返信 2004/05/31 23:56:50 del:

ある情報によれば、昨日から代表や美河が豊橋へ行き、財賀寺、赤岩寺、普門寺、大岩寺、東観音寺、千宗寺を巡ったそうです。
神様のコースと同じですか。


赤岩寺、普門寺だけでした -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/06/01 21:23:12 del:

 三ケ日と岡崎を欲張ったため、豊橋は赤岩寺、普門寺のみでした。東観音寺や林光寺、財賀寺、熊野神社にも足を伸ばしたかったのですが、次回という事にしました。

 豊橋市も市立美術博物館等で積極的に文化財の展示会を行っていますね。
 各地の文化財に対する関心が高まるのが期待できます。




[1330] 緊急のお知らせ -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2004/05/29 00:33:07 del:

ようやく解除ですか。良かったですね。
神様お元気ですか?

早速、緊急のお知らせです。
学研からの情報により、「神仏のかたち」シリーズの第三巻が「阿弥陀如来」から「不動明王」に変更となり、「阿弥陀如来」は第四巻に後送りになるということです。
でもどうして不動明王に変わったんでしょうね。


阿弥陀如来 -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/05/29 23:09:12 del:

 台湾の空港で、ワインの飲み過ぎ?でSARSの検査に引っ掛かりましたが、取り敢えず、元気ということにしておきます。

 四天王は、興味ある視点からの解説で楽しく読ませてもらいました。
 次はいきなり阿弥陀如来かと思っていましたが、慎重で完璧主義の代表にとっては熟考の時間が取れて却って良かったのではないでしょうか。




[1329] 解除 -投稿者: 黒田明孝 home page 返信 2004/05/29 00:24:16 del:

通信管制解除。
浮上!!

高見様、しばらく御無沙汰いたしました。管制指示を出したのが私なので、このたび代表の許可を得て解除指示を実行させていただきました。みんながよく指示に従ってくれたことに改めて古佛の団結パワーを感じました。
西日本はいよいよ代表も連載に参加、出雲にも命令が下りました。波多野はすでに動いていて、海軍部隊本隊が総力を挙げて九州方面作戦に従事する形になっていますので、今後しばらくはこの掲示板に電波が飛んでこないものと思われます。東日本には建川さんが睨みをきかしていますので・・・。


ご無沙汰でした -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/05/29 22:44:51 del:

 ご無沙汰でした。
 九州旅行は盛大だったようですね。
 こちらは、ささやかに三ヶ日、豊橋、岡崎の寺々を回ってきました。
 公私ともにバタバタしており、旅行記までなかなか手が回りません。何とか近い内に纏めたいと思っています。




[1326] こんばんは。 -投稿者: まっくる 返信 2004/05/18 20:35:01 del:

お久しぶりです。

今日はプロジェクトXで、東大寺の仁王像の修理のことをやるみたいですね。

普段はあまり観ない番組なのですが、かなり興味があります。


プロジェクトX -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/05/23 11:55:49 del:

 「プロジェクトX」は如何でしたか?丁度見られませんでしたが、27日夜中に再放送もあるそうですね。
 仁王像の修理を担当した国宝修理所・美術院も、その歴史自体「プロジェクトX」にしてもおかしくない位興味ありますね。新納忠之介、明珍恒夫、西村公朝、小野田久幸と続く修理師の人となりもそれだけで歴史になります。

 そういえば「プロジェクトX」の番組の主題歌「地上の星」が生まれたプロセスも、正に「プロジェクトX」そのものです。
 「プロジェクトX」の チーフプロデューサーである今井彰氏は、中島みゆきの熱烈なファンで、自分が苦境にあったときにその曲に支えられた経験をもつ彼は、戦後の日本を支えてきた無名の人間たちを扱うこの番組の主題歌をどうしても中島みゆきに担当してもらいたくて、事務所を通じて依頼をしますが、あっさりと断られます。しかしどうしても諦めきれず、中島みゆき本人宛に番組のシナリオとともに、ほとんどラブレターのような手紙を送ります。この時の「無名の人々の光を、歌にしてください」という言葉が中島みゆきの心を打ち、主題歌の「地上の星」とエンディング曲の「TailLight」が生まれたそうです。




[1323] 伊勢様へ -投稿者: まさ 返信 2004/05/12 01:14:46 del:

度々書き込みさせていただいていますまさでございます。過去の書き込み[1210]の中で気になることがございましたので質問させていただきました。よろしければご教授いただきたく思います。よろしくお願いいたします。


何度もすみません -投稿者: まさ 返信 2004/05/17 03:01:02 del:

ご丁寧にありがとうございます。1つお伺いしたいのですが、管理人様の御返答の中で、「 肥後定慶の作と見られる興福寺国宝館の金剛力士像なども、東大寺金剛力士像と比べて誇張が抑えられ、より洗練された表現が見られることから、伊勢さんが「もっとも似通う作品」として挙げられているのだと思います。」とありますが、興福寺像はいわゆる春日定慶作といわれているのではないのでしょうか?また伊勢様が「もっとも似通う作品」とおっしゃられているのは肥後定慶の石龕寺像のことではないのですか?ちょっと文章の脈絡がわかりませんでした。大変お手数ですがご教授願えればと思います。お願いいたします。


混乱していました -投稿者: 管理人 返信 2004/05/19 20:12:21 del:

 現在台湾にいます。感違いと舌足らずの原稿で投稿してしまい、人に頼んで削除し、帰ってから訂正しようと思ったのですが、既にまさ様がご覧になっていたとは知らず失礼しました。
 今、台湾からPCを借りて書いています。
 もう一度、投稿させて頂きます。

 まさ様のご質問は、東大寺金剛力士像と多禰寺の金剛力士像の表現の基本の違いは何かという事だと思います。
 東大寺金剛力士像が筋骨隆々とした肉体を表現し、南大門の柱の空間から飛び出さんばかりの造形を示しています。
 これに対し、多禰寺の金剛力士像は同様に筋肉質ながら、生身の人間に近い写実的な肉体表現になっています(解剖学的に正しい、と言ってもいいかも知れません)。
 この表現を突詰めたものが法印定慶(いわゆる春日定慶ですね)の作とされる興福寺国宝館金剛力士像に見られます。本像は東大寺金剛力士像と対照的に、より洗練された表現や筋肉質の過剰な表現を抑え、破錠のない肉体表現を内面的に昇華させる巧みなバランスの冴えが見られます。
 私は、この像の表現が後の慶派の金剛力士像の造形に大きな影響を与えたと考えていますが、同じ慶派の肥後定慶の作である岐阜・横蔵寺、兵庫・石龕寺の金剛力士像もこの流れに従った、写実的な肉体表現が見られ、その意味で多禰寺像は肥後定慶の作に非常に近いといえるかも知れません。
 なお、横蔵寺・石龕寺像は肥後定慶が中央に残している、大報恩寺の像などと比較すると、力士像とはいえ、ややバランスの妙を欠いており、定慶の年齢からしても、弟子に多くの部分を制作させた要素が多く、伊勢さんの言われる「"定慶"という工房に依頼して作らせた像」ということになるのかも知れません。
 また、これ以降の金剛力士像は、誇張のしすぎや精神性に劣り、バランスを欠いてコケティッシュになるものも多いようです。
 納得頂けましたでしょうか^^;

 後は帰ってからということで!




[1320] 初めまして -投稿者: 釈迦 返信 2004/05/05 23:44:12 del:

 たいへん興味深く拝見させて頂きました。私ども、仏像が好きで仏具屋をさせてもらっております。皆様の、仏像についての様々な想いを伺えれば幸いです。
 宜しくお願い致します。


こちらこそ宜しく -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/05/07 00:52:14 del:

 お釈迦さん、いらっしゃい。
 空海と高野山展でも、仏具がハイライトされていました。
 釈迦さんの仏像や仏具についての様々な思いも是非伺いたいですね。




[1317] 東博 -投稿者: 裸電球 返信 2004/04/17 23:30:57 del:

高野山展で訪れて、「ついでに常設展でも」ってびっくり!なんと川端家の毘沙門が出ているではございませんかああ!やっぱり中央はすごいですねえ。新出の運慶に限らないもんなあ。企画展で玉眼作例の最高峰を、常設展で初期作例を観ることが出来て、関東の人は幸せですねえ。うらやましい。でも特別展示が江戸仏ってのにはちょっと笑いましたけど。
ご記憶かどうか分かりませんが、とある町の仏像悉皆調査、3月をもって終了致しました。人口25万そこそこのわが町、仏像は約六千五百体ございました。これって、多いんでしょうかね。少ないんですかね。まあ、ほとんどが江戸、近現代仏でしたが。三十三観音ってのが曲者でしたなあ。いつか公表できると良いのですが…。
以上、田舎者の投稿でした。


川端家の像 -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/04/18 22:40:54 del:

 仏像悉皆調査お疲れさまでした。六千五百体もの仏像を撮影するのは大変な事でしたね。これからどなたかが分析されるのでしょうが、何か掘出し物があればこっそりと教えて下さい。

 「空海と高野山展」には今日行って来ました。
 三大秘宝といい、八大童子、四天王といい、さすがで久しぶりに気の入った展示会でした。
 常設展の方も、これが最近発見された運慶の大日如来か、と言いながら立ち止まる人も多かったようです。
 私は、川端家の像は、毘沙門天像よりも十一面観音、帝釈天、不動明王像の方に驚きました。この三体も、川端龍子が自宅にお堂を造って安置していたもので、昨年大田区に寄贈され(毘沙門天像は東博に寄贈)、殆ど初めての公開とのこと、同じ大田区にこんな尊像があったなんて、という思いです。
 特に十一面観音立像は木心乾漆造で、膝前には翻波式衣文や旋転文が表されており、天平盛期から平安時代初期にかけての様式を伝えるものでした。
また、帝釈天像は唐招提寺金堂の梵釈像の系譜を引く造形が見られました。
 確かに、関東の人は幸せかも知れませんね。




[1313] 四天王の甲制 -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/04/13 23:20:22 del:

まさ 様
 四天王像は、不動明王像などと異なり、7世紀頃に漢訳された「陀羅尼集経」等に基づいて早い時期から制作されていたため、甲制、服制が、平安時代にもたらされた経典によって大きく変化することは余り無かったようです。
 天台系のものとしては、叡山止観院で永承3年(1048)に造られた四天王像の形式が「山家最略記」に記されており、これが踏襲されたものと思われます。
 真言系のものとしては、空海が将来した現図曼荼羅系の御室版高雄曼荼羅(仏像の基本→仏像の種類→天部の四天王参照下さい)や仁和寺宝珠箱板絵があり、それらを基に造像されたものと考えられます。
 このほか、図像としては別尊雑記、図像抄等があります。
 しかし、四天王像や、十二神将像などの武人像は後世に配置が変わったり、手先、持物などが失われたりすることが多いため、特に彫刻の遺品から系統を明確に判断するのは困難なことが多いようです。
 鎌倉時代以降は、快慶作として知られる金剛峯寺像の形式が踏襲されていきます。

 詳細は下記の参考図書を参照下さい。
「四天王彫像―十世紀の基準作例を中心とする形制の考察―上、下」猪川和子 美術研究 第263号(1970年2月)、第265号(1970年5月)
日本の美術 240号 四天王像 猪川和子 1986 至文堂


追記 -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/04/15 22:55:46 del:

 学研の神仏のかたちシリーズ、「四天王」をやっと購入しました。参考になると思います。
 また、古佛へのまなざし(http://gfi58.hp.infoseek.co.jp/)の今週号のかわら版の「天王像のかたち4」も参考にして下さい。


ありがとうございます。 -投稿者: まさ 返信 2004/04/25 16:35:08 del:

重ね重ねありがとうございました。だいぶ理解が深まってきましたので、参考文献・参考論文にあたってみます!どうもありがとうございましたm(_ _)m




[1311] 第四章 補陀落渡海考 -投稿者: なおみ 返信 2004/04/13 14:05:17 del:

いつも興味深く拝見させて頂いております。第四章 補陀落渡海考 のところで、禅鑑という僧侶がでてきますが、詳しい事が分からず、沖縄の仏教伝来〜以外は分かりません。何でも結構ですのでお分かりのことがあれば、是非教えていただきたいと存じます。宜しくお願い致します。宗派はなんだったんでしょうか?


「禅鑑」について -投稿者: 神野 返信 2004/04/14 00:08:14 del:

なおみ様
こんばんわ。お尋ねの「禅鑑」については、書きました琉球国由来記以外に古い資料があるのかどうか、今のところ知りません。由来記には「(禅鑑)が朝鮮人なのか、日本人なのか、古いことでよくわからない」とあります。宗派もわからないようです。熊野信仰に関係づけようとする説もあるようですが(すると修験者、真言僧あたりか。書きました宮家論文にふれられています)。由来記には「禅鑑禅師」とありますが、「禅師」は尊称でしょう。私もずっと気になっている人物です。




[1309] 天台系・真言系にかんして -投稿者: まさ 返信 2004/04/10 02:30:02 del:

こんばんは。
以前こちらの掲示板に書き込みさせていただきました者です。
この度はご教授いただきたいことがございまして書き込みさせていただきました。
仏像の服制などでしばしば天台系・真言系という言葉を耳にするのですが、厳密な違いが理解できないでおります。
その違いについて知りたいと思っているのですが何か参考になる書籍などございますでしょうか?
もしご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけましたら幸いです。

よろしくお願いいたします。


ご参考になるか -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/04/10 22:34:51 del:

 尊像の違いとしては、六観音は、天台系が不空羂索観音で真言系は准胝観音であるとか、天台宗では千手観音像と不動明王・毘沙門天像の三尊形式があるなど、また、像容の違いとしては、天台宗で多く見られる常行三昧堂の本尊宝冠阿弥陀五尊像の中尊が通肩に表されるなどが知られています。
 しかし、天台と真言の様式の違いの多くは、基本的な教義による違いというよりも、入唐僧らがもたらした図像等により変化するという面が大きいようです。
 例えば、先の常行堂の阿弥陀五尊像は、円仁が唐から請来した金剛界八十一尊曼荼羅の西方蓮華部の阿弥陀五尊像に基づくもので、また、一茎三尊とよばれる、中尊の蓮華台座の下框から脇侍の蓮華座の茎を伸ばした宝冠阿弥陀三尊形式もその一変形として天台系で造られたと考えられています。
 また、不動明王としては、平安時代初期は、空海が写した図像によるとされる弁髪で両目を開き上の歯で下唇を噛む、弘法大師様の形式が真言で多く造られましたが、その後比叡山の智証大師円珍が修行中に感得したという、巻髪で上半身裸形の不動明王立像「黄不動」や、円珍が唐から請来した「不動明王三大童子五部使者」に基づき、瑟々座の台座に結跏趺坐し、右手に火焔のある利剣、左手に索を持つ不動明王を中央に左右に棒を持つ矜羯羅童子と制迦童子を表す形式などが天台系で流行しました。
 十世紀に入り、天台宗の安然が提唱した「不動十九観」に基づいて、左目を眇めにし、右目を見開いて天と地を睨む(天地眼)、口元は右下の牙で上唇を、左下の牙で下唇を噛み合う形式が造られますが、後に真言宗にも広がり、不動明王像の通例の姿として主流になり、両者の相違は余り見られなくなります。
 また五大明王像の場合、天台系では金剛夜叉明王の代わりに烏枢沙摩明王を配す他、軍茶利明王は真言系では右手に金剛鈎を持ち天台系は羂索を持つ、また大威徳明王に於いては画かれる位置が真言系は画面側から右上、天台系は左下に画かれなど、違いが見られます(例外もあります)。
 このほか、図像集「別尊雑記」に引く、叡山前唐院毘沙門天像は中国風の鎧を身に着けた通例の服制を持ちますが、天台系から出たものといえます。

 これらを、通観出来る書物というのは、思い当たりませんが、論文等で、天台や真言系に絞った様式論が散見されますので、個々に当たってみられては如何でしょうか。


四天王の甲制 -投稿者: まさ 返信 2004/04/13 17:51:56 del:

ご丁寧に教えていただきましてありがとうございます。だいぶわかってきたのですがもう1つ教えていただきたいことがございます。天台宗・真言宗の宗派の違いは四天王の甲制にも影響を与えたのでしょうか?そこの部分がいまいちわかりませんでしたので、申し訳ありませんがお手隙の際にご教授いただけましたら幸いです。 よろしくお願いいたします。




[1308] ご無沙汰です -投稿者: 管理人 home page 返信 2004/04/04 16:14:42 del:

 タイから帰って少々体調を崩していました(鳥インフルエンザ?!)。
 日本はその間に桜も咲いてしまいましたね。
 明日からは、「空海と高野山展」も始まり、そろそろ始動しないと。

 タイの仏像そのものは、インドから中国、日本という流れの仏像を見慣れている我々にとっては、いわゆる上座部仏教系の仏像には違和感がありました。特に、スコータイ時代から始まるタイの仏像の歴史は、日本でいえば鎌倉時代後半からですから、歴史の重みという面では如何ともし難いものがあります。
 アユタヤは、それこそ町中が遺跡で、どこを掘っても寺院跡が発見されるのではと思わせますが、地震がが無いとはいえ、煉瓦積みの建物は、ビルマの攻撃を待つまでもなく、朽ちていく運命にあったのかも知れません。そういえば、タイの工場の壁は、厚みが日本の半分しかないコンクリートブロック積みでした。
 タイの仏教徒の割合は95%で、国中お寺だらけですが、個人の家や町中に建てられた小さな祠に祀られているのは、殆どがバラモン教の神ブラフマやシバ神で、また、所々の大木に懸けられたしめ縄や祭壇は土地神を祀るもので、神仏習合と民間信仰を受け入れている日本の宗教観に近いものを感じました。

 タイの日本人から、仕事で原料を仕入れる農家に技術指導をして生産効率が倍になるようになったところ、二倍の出荷をしたから、来年は作らないといわれて慌てた、という話を聞きましたが、我々は、安定的に収入を得て蓄えを持つことが生活の基本ですが、タイの人は、必要な分だけ得て暮らせることが重要で、蓄えがなければ暮らせないのは不安定な生活と言う考えがあるようです。
尤もバンコクなどは日本や欧米と遜色なくなってきており、若い人たちの考え方は変わって来ているのでしょうけれど、どちらが幸せかなどと柄にも無く考えてしまいました。




[1306] 伊号59モード -投稿者: 鍋島信生 home page 返信 2004/03/23 00:20:19 del:

報告!
17905に探知
敵艦の可能性有り!


指示 -投稿者: 黒田明孝 home page 返信 2004/03/23 00:21:38 del:

潜航!!




[1301] 不審 -投稿者: 結城美穂 home page 返信 2004/03/20 23:32:15 del:

あのう、大佐も軍監もなんだかテンション低すぎません?
どうかなさったんですか。
不審。
心配。


心配ないですよ -投稿者: 波多野愛 home page 返信 2004/03/20 23:41:01 del:

ゆーみん、心配することないですよ。お二人とも春ボケしてるだけだから。
大佐には模型作らせれば元気になります。
軍監はボーリングやったら陽気になります。


提案 -投稿者: 近藤真琴 home page 返信 2004/03/20 23:53:57 del:

ここで提案したいのですが、大佐殿の「四天王」原稿執筆完了と、軍監の一年間の副代表ぶりをたたえて、どこかで花見宴会をやりませんか。桜がもうすぐなんで。
京都は3月26日、奈良は3月25日に咲き始めるらしい。去年は京都でやりましたが今年は奈良でやりませんかね。