訪れ帖

 

 



[2600] デジカメ -投稿者: 高山亜弓 返信 2005/08/30 00:41:01 del:

 新ホームページのために、デジカメを揃えることになりました。運営委員会のほうで三台ぐらい調達するそうですが、亜弓もマイデジカメを買おうかな、と思います。アルバイトのお金もちょうどたまってきたので、五万円台ぐらいまでならOKデス。
 カメラに関しては星野代表さんが詳しいのですが、代表さんは「私はデジカメを買うなら一眼レフタイプにしますね」と話してました。でもそういうのは亜弓には本格的すぎるかも。でも長く大切に使いたいので、本格的でちゃんとしたデジカメを買うのがいいのかな。


デジカメ -投稿者: 管理人 home page 返信 2005/08/30 17:50:13 del:

 デジカメは、フィルムカメラと比べて、高級品と普及品のサイズの差が余りにも大きいので悩みますね。
 一度、コンパクトサイズのデジカメを使うとその携帯性は画質の差を越えて、虜になります。

 それでも私は、代表と同じ一眼レフ推薦派です。特に、今度出たブレ防止付の廉価版一眼レフに食指が・・・。




[2599] 歴史に学べ -投稿者: 三浦裕行 返信 2005/08/30 00:32:09 del:

三浦です。
とりあえず新適塾メンバーの移動が完了したようです。ホッとしました。
工事の進展にともなって古佛スタッフを少しずつ減らし、新ホームページ運営委員会へのシフトを進めます。その第一歩としての新適塾移動でした。

歴史では日本海軍第一機動艦隊は、母艦航空隊の若い未熟なパイロットたちを戦場にて消耗させるのはしのびないとしてフィリピンの陸上基地へ移してしまい、空の空母部隊にてエンガノ海戦を戦って壊滅します。しかしパイロットたちはフィリピン経由で日本へ戻り、新たな航空隊として編成され、ほとんどが健在のまま終戦に至り、戦後の日本航空業界の発展に大きく貢献しました。

拙者は、この歴史に学べ、と考えて古佛より新適塾を切り離し、新ページに移動させることを会議で提案し認められました。

新適塾の602、631、653の高校生たちが、今後どのような動きをみせてくれるかは判りませんが、来年春からの新ホームページの主力となって大いに活躍してくれることはまず間違い在りません。拙者たちにとっては、希望でもあります。

会議で新ホームページの具体的な骨格が決まったので、これから各コンテンツの準備や工事に入ります。古佛の内容とはまったく違うので、またゼロからの出発です。四年前に古佛を立ち上げようといろいろ取り組んでいたときの気分ににたものを感じております。


総合サイトと専門サイト -投稿者: 管理人 home page 返信 2005/08/30 17:39:11 del:

 総合サイトと専門サイト、どちらが読者の要望に合うのか判りませんが、無理をしてまで読者層に合わせる必要も無いのかもしれません。

 スクラップアンドビルドは、一部でも残そうとすると、却って手間が掛かりますし、それを残すが故に理想的な設計が出来ないことなりかねませんので、「ゼロからの出発」が基本ですね。




[2596] お礼 -投稿者: 妻鹿朋子 返信 2005/08/29 00:42:13 del:

神様、653の妻鹿です。覚えていらっしゃいますか?お礼をいいたいので書き込みました。
和同開珎のこと、詳しく教えていただいて、本当にありがとうございました。二枚とも宝物にして大事に箱にしまっています。神様に教えてもらったものなので、これはお守りにして一生持ってゆきます。もちろん受験にも持ってゆきますよ。
数年たってもここにアイコンが残っていたら、挨拶に参りますー。それまでサヨウナラ。


和同開珎 -投稿者: 管理人 home page 返信 2005/08/29 23:55:40 del:

 数年も経つと、私がこの世にいないかも。
 さすがにインターネットもあの世までは繋がっていません。この世にいるうちに訪ねてきて下さい。
 下関では、和同開珎の鋳銭所跡を見てきました。全国6ヶ所あったという鋳銭所の内、場所がわかるものはここだけということですが、妻鹿さんが持っているのも遠く、長門から運ばれたものかも。受験は大丈夫ですね。




[2595] かみさまへ -投稿者: 升水敦子 返信 2005/08/29 00:33:59 del:

かみさまー、お久しぶりの敦子であります。
今日の夕方に連絡がきて、敦子たちの第602隊も高校生メンバー二人、越智と西窪を新ページCに移すことになりました。これで新適塾の高校生は全員が古佛ページから去ることになりますねー。さびしいなー。
黒田さんのお話では、新適塾の高校生たちには受験勉強に専念させるということで、そのために大島さんや三上さんも一緒に古佛の活動から抜けるということなのです。
これで古佛に残ってるチームは第601隊と敦子たち第602隊の四人になったのですよー。これで10月25日のファイナルまで頑張るのであります。

かみさまー、敦子はいま就職活動中なのです。千葉へ帰ろうかと考えたのですが、姉が「自分の大好きな場所で頑張るのが一番の幸せ」と言ったので、大好きな奈良に住みつづけてみよう、奈良か京都か大阪あたりに就職口を見つけてみようと決心したのですー。うん。


就職 -投稿者: 管理人 home page 返信 2005/08/30 00:00:57 del:

 昨今、就職も大変なようですが、奈良さん一号はやっぱり奈良が似合うと思いますし、仕事の内容も自分のしたいことを見つけるのが一番ですね。
 朗報を期待しています。




[2594] 防府より -投稿者: 管理人 返信 2005/08/28 23:36:08 del:

 防府から書き込んでいます。
 今日は、一日徳地町で重源上人の足跡を尋ねていました。
 徳地町から切出され今も淵に沈む大木や、この地に伝わった仏像が共に年輪年代法で、当時のものであることが確認されたり、労働者を癒すために重源上人が造った岩風呂(サウナ)が、町の人の手で今も使用されているのを目の当たりにし、かすかな感動を覚えました。

 今年は重源上人800年遠忌の年に当たり、多くの企画があるようです。
 法光寺のご住職が、「重源上人の遺蹟を無くしたら、徳地町には何も残らなくなってしまう」と、仰っていましたが、どこに行っても重源上人の思いを皆さんが語り、沢山の人に愛されていることが感じられます。


重源を探して -投稿者: 龍華耕三 返信 2005/08/31 18:42:50 del:

徳地といえば、修論の追い込み時期にもかかわらず、防府天満宮へ初詣とかこつけて法光寺や月輪寺と1日「重源の里」を満喫したのを思い出します。帰ってきて徳地に今も残る重源の業績の素晴らしさとその足跡の魅力を語っていると、「何もないのが徳地の自慢」と言っていた徳地町出身の後輩に目を丸くしながらあきれられてしまいましたが。。。

徳地町もすったもんだあったようですが山口市と合併になるようです。文化財行政だけ考えると個人的には、防府市と合併して、阿弥陀寺などの佐波川流域の重源の旧跡が一体となって整備されるというのも興味があったかも。
でも管理人さん同様私も徳地の人と話しながら、町のそこかしこで重源の魅力があふれ、根付いていることを感じ、合併しても重源は町の人たちの心の中で生き続けると確信しています。




[2591] ありがとうございました。 -投稿者: 志賀裕美 返信 2005/08/28 19:44:13 del:

第631隊をあずかる志賀です。
三上と同じ事情により、私たちも新ホームページのC版に移動いたします。
これから新ホームページづくりに向けて既存の部分を少しずつ廃止し、人員も減らしたり移動させたりするそうで、てはじめに新適塾の全員が古佛メンバー活動リストから外されることになったものです。でも高校生たちだけというわけにもいかないので、私たちもついてゆくことにしました。
こちらでは短い間、とても少ししか書き込みさせてもらえませんでしたが、アイコンまで作っていただいてとても素敵な思い出になります。

色々と有難うございました。これにて失礼させていただきます。
神様も、どうかお体に気をつけて下さい。


インターネットには垣根はありません -投稿者: 管理人 返信 2005/08/28 23:33:28 del:

 新サイトの発足おめでとうございます。新たな世界というのはワクワクするものですね。
 どこへいっても、インターネットの中ですから、垣根があるわけではないので、今までと変わりなく訪ねて下さい。




[2590] 挨拶申し上げます -投稿者: 三上佐和子 返信 2005/08/28 19:29:04 del:

三上です。
今日のリニューアル工事の会議で、古佛ページスタッフ陣の解体案が出されました。
それで、私たち第653隊も、現行の古佛ページより新ページに完全に移動することになりました。元村、外尾、海堀、妻鹿、町田、飯降らもこれから受験勉強本番に入りますし、私も色々教えていますから、来年春まではそちらに集中してゆきたいと考えます。つきまして、第653隊のリーダーとして、ここに神様に感謝の意を述べ、これまで色々とご指導をいただきましたことについて深くお礼申し上げます。
アイコンを作っていただいて、いつでもここに来られるようにしていただいて、本当にありがとうございます。いつかまたここに来られることを楽しみにしています。
神様、これからも元気でサイト運営を頑張って下さい。一度お会いして色々とお話をうかがいたかったです。
大変、たいへんお世話になりました。


ご苦労様でした -投稿者: 管理人 返信 2005/08/28 23:34:44 del:

 ご苦労様でした。仏像を教えるより、受験勉強を教えるほうが難しいですね(特に我が子の場合は、何で解らないんだ、と怒鳴ってしまいます)。

 三上さんの真面目な書き込みは、私のいい加減な性格をビシッと刺激を与えてくれました。
いつかまた、なんて言わず時々覗いてください。




[2588] 快慶仏について質問させてください -投稿者: 龍華耕三 返信 2005/08/26 19:36:46 del:

掲示板の趣旨からずれるかもしれませんが情報をください。

「東大寺には公慶堂像以外に快慶作とされている地蔵菩薩立像が安置されているのでしょうか?」

といいますのが、たまたま職場にあった「文化財講座:日本の美術7彫刻(鎌倉)(第一法規出版発行)」を読んでいると、西川杏太郎さんが快慶の阿弥陀仏の様式(安阿弥様)の説明として、「建仁年次の阿弥陀像に至ると、その様式はやや落ち着きのある穏やかなものにかわってくる。(中略)ほかの小品でいえば東大寺念仏堂の地蔵菩薩立像(建仁年中・1201〜1203、重文)などにはっきりみられる。」と書かれていて、????????。

一瞬、公慶堂像の書き間違えも考えたのですが、「建仁年中」とあるので法橋時代の公慶堂像とは明らかに区別しているので悩んでいます。第一私自身の記憶では、念仏堂といえば康清銘の大きな地蔵坐像の記憶しかなかったもので・・・

そのうえ、先週奈良博の古密教展を訪れた時、平常展の「鎌倉時代の仏像」コーナーに展示されている東大寺の「地蔵菩薩立像」の前で、知り合いのボランティアに偶然出会い、話をしているなかで「東大寺には、現在展示されているもののほかに、これと瓜二つの秘仏で色鮮やかな地蔵菩薩立像がある。」と聞かされて、私の記憶と違うので質問すると「これは公慶堂像じゃないはず。」と言われてしまい、1日で広島→奈良→小浜を移動するという強行軍の旅行途中で先を急いでいたため解説文をよく読まずに、再び大混乱になってしまいました。

こちらの方は、奈良博に確認して、現在展示中の東大寺地蔵菩薩立像は、「公慶堂の法橋快慶銘の地蔵」であると確認しました。あわせて「現在のところ東大寺で公慶堂以外に快慶銘の地蔵菩薩は確認されていない」とのことで、とりあえず今夜は眠れそうです。

では、西川さんの示された東大寺念仏堂の地蔵菩薩立像とはどのようなものだったのでしょうか?どなたか心当たりはありませんでしょうか?

私自身、六大寺大観を確認しましたが、公慶堂以外の真言院、知足院両像は、鎌倉中期以降の作で快慶との時代差があり、公慶堂、藤田美術館の快慶地蔵によく似た奈良博蔵品の地蔵菩薩立像の小像(36.6cm)も奈良博に聞くと、東大寺旧蔵ではなく出所不明とのことだったので私自身の力不足ゆえ行き詰まってしまいました。

以上長文になってしまい、変な質問をしてしまいましたが、どなたか情報をお持ちではないでしょうか?お願いします。

追伸:高山(=奈良)亜弓さん、ハンドルネームお褒め頂きありがとうございます。お察しの通り、広島の名仏寺を並べてみました。自分と比べると名前負けしてますが・・・広島巡礼の旅はいかがだったでしょうか?充実したものだったんでしょうね。。。


はてな -投稿者: 高山亜弓 返信 2005/08/27 01:16:30 del:

龍華耕三さまへ。
亜弓も調べてみたのですが、快慶作の地蔵菩薩像は公慶堂像だけです。建仁年中・1201〜1203、重文の快慶作は俊乗堂の阿弥陀如来像しかありませんです。
念仏堂の地蔵さんは坐像で康清作です。

以上が事実なので、西川杏太郎さんの書いてる内容は勘違いじゃないのかな、って思いマス。梅村さんに電話で聞きましたら、東大寺に秘仏の地蔵菩薩像があるという話は聞いたことがあるが快慶作ではないはず、というお話でした。

ちなみに東大寺にある快慶の作品。
俊乗堂 阿弥陀如来像
公慶堂 地蔵菩薩像
勧進所 僧形八幡神像
南大門 金剛力士像

快慶作じゃないかといわれてる作品。
中性院 菩薩像
二月堂 聖観音像

・・ということデス。

広島は全てがオドロキの連続でした。初めてだったので街も海もステキでした。江田島で広島焼きを食べたのですが、とてもおいしかったデス。また行きたいデス。(ペコリ)


ありがとうございます!! -投稿者: 龍華耕三 返信 2005/08/31 18:18:10 del:

高山さんありがとうございました。
しかも、梅村さんの手も煩わしてしまったようで・・・

やはり、西川さんの勘違いだったようですね。
実は、奈良博に電話したときも、「公慶堂とそっくりで、秘仏といえば知足院かもしれませんが、快慶の活躍時期とは差があるから違いますね」と教えてもらっていました。

もし、建仁年間の快慶地蔵が東大寺にあったなら・・・・・僧形八幡→俊乗堂→金剛力士→公慶堂という流れの中に割って入って、重源の下で首領運慶以上にこまめに東大寺で注文を受け活躍した快慶の人物像がより一層浮かび上がるのかな?無位・法橋・晩年での地蔵菩薩の表現の差はいかに!!やっぱり空を飛んでるのかな!?なんて考えてみたりしたんですが・・・

ということで、私の勘違いも織り交ぜて皆さんを混乱させてしまい申し訳ありませんでしたm(_ _)m




[2587] 西映動画、15年目の再会 -投稿者: 高山亜弓 返信 2005/08/25 01:09:40 del:

昨日の夕方、代表さんたちと「西映動画、15年目の再会」の集まりに参加しました。「西映動画」の正式名は「西大寺映像動画研究会」なので、略して「西映動画」。東映動画みたい。
むかし映画やアニメの自主制作などをやって楽しんでいた趣味サークルなんだそうです。いまはとっくに解散してて、今年が解散15周年なのだそうです。それで当時のメンバーが集まったのですが、自由参加飛び入りオーケーなので、古佛の数人も飛び入りしました。
星野代表は動画テクニックとかに大変詳しいので、映画やアニメの演出や構成などについて色々と面白い話を聞きました。でも仏像とは全然結びつかない特技ですね。




[2585] 山口旅行 -投稿者: 管理人 home page 返信 2005/08/24 00:07:14 del:

 木曜日から山口の仏像旅行に行ってきます(明日から関西方面の出張ですのでそのまま引続きー社内秘です)。
 巨大台風と直接対決しそうで心配ですが・・・。

 各所に拝観のお願いをしていると、昨年の台風の余波が思いがけないところに見られたりして、その影響の大きさに驚いています。
 今年は、何とか少ない被害で済むように祈らざるを得ません。
 


お見送り -投稿者: 高山亜弓 返信 2005/08/24 01:02:53 del:


亜弓たちも広島へ行ってきたので、おたがい山陽道を西へ下るかたちなのですね。

いってらっしゃいませー。
道中お気をつけてくだサイ。
(ペコリ)




[2584] 文化財返還 -投稿者: 管理人 home page 返信 2005/08/16 03:01:10 del:

 チョット、出掛けていましたのでホームページをお休みしてしまいました。

 外国の文化財に関する返還等の問題は歴史的なもの、国内法との関係もあり、中々難しい問題です。
 新羅仏は出土品が多く、盗品や不法輸出されたものかどうかの判断は難しいでしょうね。
 返還を要求する人が現れたとしても、現状では、当事者同士の交渉になると思います。

 外国の文化財に関する条約等及び該当文化財は次の通りです。
1)武力紛争の際の文化財の保護のための条約(ハーグ条約)(1954年 ユネスコ)
該当文化財:占領地域から輸出される文化財
2)文化財の不法な輸入、輸出及び所有権譲渡の禁止及び防止の手段に関する条約(1970年 ユネスコ)  
該当文化財:外国による国土占領に直接又は間接に起因する強制的な文化財の輸出入等
3)「盗取されまたは不法に輸出された文化財の国際的返還」に関するUNIDROIT条約(1995年 UNIDROIT私法統一国際協会)
該当文化財:不法に発掘された,または適法に発掘され不法に保有されている文化財

 日本は、このうち、2)は平成14年になってやっと、『文化財の不法な輸出入等の規制等に関する法律』が施行されましたが、1)、3)については、国内法との問題もあって未だ批准していません。
 いずれ条約等でも財物の占有者は返還を義務付けられますが、批准する以前のものは該当しませんし、時効もあります。
『文化財の不法な輸出入等の規制等に関する法律』では、盗難から10年、「盗取されまたは不法に輸出された文化財の国際的返還」に関するUNIDROIT条約においては、占有者を知った時から3年以上,盗取後50年以上経つと時効になります。
 また、上記に該当しない場合(批准していない条例、および批准以前に輸入されたもの)は、日本民法により、「盗品と知らずに入手した善意の購入者は、盗難から2年経てば正当な所有権を有する」ことになります。

 海外の文化財で、返還要求のあった例としては、

 日本国民の私有の韓国に由来する文化財につき、1965年6月22日に締結された『文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定』に基づいて、陶磁器・考古資料及び石造美術品97点、装飾品など334点、石像3体、図書163部852冊、逓信関係品目35点が日本から韓国に引き渡された。

 滋賀県のミホミュージアムが1995年に英国の美術商から購入した石造菩薩立像(6世紀頃 像高120cm)が、1994年に中国の山東省から盗まれたものであることが判明し、美術館と中国政府との交渉が行われた結果、2001年ミホミュージアムが菩薩立像を無償で中国政府に譲渡することになった。

 金沢市立美術工芸大学が1995年購入したイコン(聖像画)が、キプロスの教会で盗難にあったものとして平成八年に返還請求を受けたが、大学側は、このイコンが本当に盗品であるかどうか不明であること、仮に盗まれたものであったとしても、大学としては善意取得者であるので返還に応じる必要はないとして返還していない。

 逆に、日本が返還要求をした例としては、

 1994年に壱岐芦辺町の安国寺から国の重要文化財「高麗版大般若経」が盗まれた事件で、1995年に韓国で極めて酷似した経典三巻が国宝に指定された。文化庁が韓国で指定された経典三巻と、安国寺の初彫本の写真を照合した結果、染みや汚れ、巻末の署名などが酷似していることが判明し、外務省は1998年韓国側に調査協力を要請したが、韓国側は「要請にこたえることは難しい」と回答し詳しい調査はなされず時効になった。

 兵庫県加古川市の鶴林寺で2002年7月に盗まれた、高麗無双筆とされる掛け軸「絹本著色阿弥陀三尊像」(重要文化財)が韓国中部大邱市の寺で見つかり、韓国人窃盗犯二人が韓国検察によって逮捕されたが、お寺へはこの画を買い取った人が寄付しており、民法上、盗難品とは知らずに布施された場合は所有権が認められ、日本への返還は難しい状況にある。




[2583] さらにしつもん -投稿者: 高山亜弓 返信 2005/08/13 00:15:05 del:

最近、古佛ページにこんな相談がきたのです。
「私の所有している古代朝鮮の仏像を朝鮮に返還することは出来ますでしょうか」
その方は京都市内に住んでおられて、本部からも近かったので、依頼をうけて代表が直接仏像を見にいき、朝鮮三国時代新羅の仏像であることが分かったそうです。
これを韓国に返還しようとすれば、やつぱり外務省とかに相談しなきゃいけないのですか。




[2581] しつもん -投稿者: 高山亜弓 返信 2005/08/11 00:18:10 del:

このところ、ホームページの検索ばっかりやってます。リニューアル後のホームページをどうやって作るか、ということのために他の似たようなホームページを見て保存しておきます。
そこで質問。
ホームページの記事には著作権がありますが、行政機関が配布しているパンフやチラシの記事には著作権はあるのですか。
例えば、京都の観光案内記事のそれとか、奈良国立博物館の「古密教」のチラシとか。


著作権 -投稿者: 管理人 home page 返信 2005/08/11 02:04:32 del:

 以前に紹介しましたが、ネットワーク上の著作権に関する新聞協会見解が、1978年(昭和53年)に出されています。一度目を通されることをお勧めします。
ネットワーク上の著作権について
――新聞・通信社が発信する情報をご利用の皆様に
http://www.pressnet.or.jp/info/kenk19971100.htm

 著作権法では、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義しています。
 非常に曖昧ですが、言ってみれば、人間が行うこと全てです。
 従って、官公庁が出版、発表したものも、事実の羅列であれば兎も角、観光案内や展示会なども、歴史をひも解くこと、展示会のコンセプトを立案することは創作ですから該当すると考えられます。

 著作権に抵触しないケースとして挙げられているのは、次のような場合です。
「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用」
「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」
「著作物の出所を明示し、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われた引用」でかつ、「分量としても引用部分の方が地の文より少ない場合」

 これらの見解は、人間の性悪説をベースに書かれていますので、二重三重に情報を保護するようになっています。
 私的には、上記見解は情報の私物化以外の何物でもなく、必要以上に著作権を振り回すことは文化の発展を阻害するものだと思っています。




[2568] お知らせ -投稿者: 高山亜弓 返信 2005/08/09 16:08:32 del:

古佛ページのリニューアル事業に関して、新ホームページ準備委員会が出来ました。ホームページ作りに関心をもっておられるお友達サークルの皆さんにも参加してもらうことになったのです。「スタッフ」にも追加で入れました。
リニューアル後は、古佛ページメンバーだけじゃなく、他の人々も参加することになりますが、ホームページっていうのは、もともとそういう性格で使われるべきなのかな、と思います。


期待 -投稿者: 悪僧 返信 2005/08/09 23:15:21 del:

ホームページを開放する(誤解かな?)ということは勇気のいることですが,楽しみです。どの程度やられるのか分かりませんが,期待できそうですね。
それからこれはお願いですが,できれば特定の物や事象について討論できる場などを作っていただければ,ありがたいですね。


悪僧様に御質問 -投稿者: 三浦裕行 返信 2005/08/09 23:25:34 del:

悪僧様、三浦といいます。古佛ページリニューアルの工事監督を務めておりまして、とにかく少しでも多く、色々な方の御意見を参考にしたいと考えます。
>できれば特定の物や事象について討論できる場などを作っていただければ,ありがたいですね。
この御依頼の意味は、つまりBBSを設けよということでしょうか。それと、特定の物や事象、とは仏像や仏教美術のみに限定されるのでしょうか。


返信します。 -投稿者: 悪僧 返信 2005/08/10 10:20:10 del:

>三浦さま

早速のご返信,ありがとうございました。

> この御依頼の意味は、つまりBBSを設けよということでしょうか。

拙僧がお望む「特定の物や事象について討論できる場」の設置とは,現状ではBBS主流にならざるをえないでしょうが,定期的にテーマを設定して多くの人の意見を集め,公開するという方式もありえますね。

> 特定の物や事象、とは仏像や仏教美術のみに限定されるのでしょうか。

お尋ねの「特定の物や事象」の中身に関してですが,これは答えにくいですね。
と申しますのは,貴HPが今まで同様,「古仏へのまなざし」に拘ったHPづくりをめざされているのであれば,当然,「仏像や仏教美術」中心になるでしょうね。
でも,そうでないのであれば,それ以外の物や事象も想定する必要があるでしょうね・・・・。これは,リニューアルがどのようなものになるのかわからない拙僧には答えられません。


実は -投稿者: 三浦裕行 返信 2005/08/10 20:30:00 del:

悪僧様へ。
>でも,そうでないのであれば,それ以外の物や事象も想定する必要があるでしょうね・・・・。これは,リニューアルがどのようなものになるのかわからない拙僧には答えられません。

実は、拙者にも分からないのです。まだリニューアル後の全体像がつかめんですので。ただ、昨日に「準備委員会」が出来たようで、これに参加してくれておられる奈良のサークルの代表さんがいろいろご提案をなさっていると聞いております。
リニューアルは、全てが手探りの作業です。まだ始まったばかりなので、拙者としてはまず従来のデータをどかして、その後をすっきり平らげといて、それから新しいのを作るわけですが、その新しいホームページの設計図がまだ拙者のところに来ていないのです。


へぇ,意外ですね。 -投稿者: 悪僧 返信 2005/08/10 21:50:32 del:

>三浦さま

お話を窺ってちょっとビックリしています。あなた方の組織はトップダウン方式で物事を決めていくのですか?
リニューアルというからたぶんボトムアップ方式で,皆の意見を入れながら,あらゆる場所で討論しつつ,ホームページを立ち上げて行くものだと思っていたのですが・・・・。
意外ですね。まるで軍隊みたい(いい過ぎならばご免なさい)。


苦笑するしかございません。 -投稿者: 三浦裕行 返信 2005/08/10 22:26:53 del:

悪僧様、三浦です。

>お話を窺ってちょっとビックリしています。あなた方の組織はトップダウン方式で物事を決めていくのですか?

それはあり得ません。本来ならば星野代表が指揮をとるべきなのですが、拙ページでは指揮は尾崎副代表がとり、それもメンバーの八割以上の同意が前提となります。ですからトップダウンというのは、我々の四年間の活動のなかではあんまり無かったですね。
拙者としては、一回ぐらいは代表が陣頭指揮を
とってくれればいいのに、と思っていたのですが、代表の星野氏はそういうことをしないのです。

>リニューアルというからたぶんボトムアップ方式で,皆の意見を入れながら,あらゆる場所で討論しつつ,ホームページを立ち上げて行くものだと思っていたのですが・・・・。

御指摘のとおり、実際そのようにやってゆく方針です。ただ、「準備委員会」も出来たばかりで、メンバーでの話し合いもこれからの事なので、そのときにボトムアップ方式で,皆の意見を入れながら,あらゆる場所で討論してゆくわけです。まだまだこれからです。拙者にも意見や提案したいことが一杯あるので、早く話し合いの日がこないかと心待ちにし、実は待ちきれずにメールで各方面に提案事項を書き送ったりしています。

>意外ですね。まるで軍隊みたい

そう言われても仕方がないぐらいの軍隊オタクが多い拙ページです、まったく苦笑するしかございません。




[2567] 心はひとつ -投稿者: 梅村美穂 返信 2005/08/09 13:23:18 del:

梅村美穂です。神様お元気ですか?暑さには充分気をつけて下さいね。
広島見学旅行に私も参加します。祖父が六年前に亡くなるまで信じ続けた帝国海軍の誇りと真実、その見果てぬ夢と悲しみとを、海軍の本拠地呉に確かめたいと考えます。エンガノ岬沖海戦では駆逐艦「桑」に乗艦して戦い、終戦時は駆逐艦「竹」にあって呉にいたそうです。
祖父は、私によく誇らしげに昔話をしてくれました。「負けたから卑屈になってはいかん、負けても誇りと自信を忘れずに胸を張って立つ。その気持さえ失わなかったら、泥沼のなかからだって這い上がれるぞ」と。
私はそんな祖父が大好きでした。もう一度会いたいなあ、と思います。一緒に呉へ行きたかったな、と少し残念に思っています。でも、心はひとつです。


心はひとつ -投稿者: 管理人 home page 返信 2005/08/10 00:37:24 del:

 結城さん! と呼んでいたのでチョット気後れしますが・・・。
 戦後の日本はおじいさんの言われた通りになりましたね。
 時代を担う若者たちが目標を見失わず「心はひとつ」になることを祈ります。




[2566] メールの山 -投稿者: 高山亜弓 返信 2005/08/09 13:10:37 del:

リニューアル工事をはじめてから、ドッとメールが増えました。古佛ページをリンクされておられる他サイトの方や、古佛ページの常連読者へは報告メールを配信していますが、それ以外のたぶんROMの方々がいっぺんにメールをくれているみたいです。初めて見る名前やアドレスばかりで、内容は「リニューアル後にどうなるのか」「いままで見られた仏像の文はもう見られないのか」などが多いです。古佛ページのルーツが60年前の日本海軍にあることを知ってビックリされた方も多いようです。(そりゃ誰だって驚きますよ、アユだってはじめて知らされたときにはあ然となりましたからー)
越前白山旅行のときにも、日本海軍の関係者に旅館の宿泊チケットをいただきました。今度の広島見学旅行でも、やはり同じような方々に御世話になるみたいです。その方から「お望みとあれば龍華寺の秘仏を開けさせますが」と言ってきましたが、時間的にも距離的にもいけないみたいなのでまたの機会に、ということでまとまったようです。でも秘仏をそんなに簡単に開けてもらえるとは、日本海軍関係者のコネというものはすごいものだなー、と思います。
よしこれからご飯食べて、再びメールの返事を頑張って書くのデス。


広島のビーナス? -投稿者: 管理人 home page 返信 2005/08/10 00:30:55 del:

 龍華寺の十一面は、「広島のビーナス(ちょっとローカル過ぎ?)」とでも言うべき、妖艶ながら気品のある像ですね。
 あと、摩訶衍寺もお薦め。山道をひたすら登るので夏はさけた方が・・・(今は秘仏か?)。
 またの機会に是非。




[2558] ヒロシマ、そしてナガサキ -投稿者: 黒田明孝 返信 2005/08/08 21:00:06 del:

黒田です。もともとこれが本名ですので変更ありません。
広島の原爆慰霊式典に参加してきました。
ヒロシマ、そしてナガサキ、この二つの名前は世界史に永遠に刻まれねばなりません。
「故郷の街焼かれ、身寄りの骨埋めし焼け土に」のメロディーが悲しく響きました。
広島に原爆が落とされた日、日本を護るべき海軍の連合艦隊は壊滅し、残存艦艇は四月の呉大空襲でほとんどやられ、残骸となっていて、たった三機のB29を発見する戦力すら失っていたのです。乗艦の航空戦艦「伊勢」も音戸の瀬戸近くに大破着底、それからの祖父たちの無念を思うといたたまれなくなります。祖父もあの異様なキノコ雲を見た、と語っていましたが、そのとき「日本は負けた、馬鹿なことだが、負けた」と思ったそうです。


「唯一の被爆国」 -投稿者: 管理人 home page 返信 2005/08/08 23:51:32 del:

 私の父は、終戦直前に海軍に入隊しましたが、「護るべき」どころか自分たちの乗る船も無かったため外地に行った経験は無く、私自身は戦後生まれで戦争の実体験が無いため、残念ながら黒田さんたちのように戦争に関する感慨は深くはありません。
 しかしながら、
 「唯一の被爆国」という短い言葉に含まれた深く、重大な意味合いを、永遠に伝えていく義務が我々にはあると思います。


戦争について -投稿者: 阪本敏行 返信 2005/08/09 01:39:49 del:

私の父は志願兵でした。しかし,心の中では反戦思想をもっていたようで,戦後,それ故よく殴られたと,日中戦争・太平洋戦争に対して批判的な意見を聞かせてくれました。
父親の戦場はもっぱら中国・マレー半島方面だったようですが,叔父たちの中には志願兵として中国で戦ったり,召集されて中国東北地方で戦いシベリアに抑留された者もおりました。母方の叔父の中には広島で被曝した者もおります。また,妻の父親は病気のため途中でおろされましたが,一時,召集されて戦艦大和に乗っておりました。
私の父親は亡くなる一ヶ月前に母親と共に初めて広島に行き,心の荷を下ろしてきたようですが,中国へはいくら誘っても行こうとはしませんでした。何があったのか,中国での写真は何枚かあるのですが,とうとう何があったか詳しい話を聞かずじまいで終りました。
私は長崎へは何度か行っていますし,現地で被曝された語り部の方々から何度か詳しい話もお聞きしましたが,広島へはまだ行っていません。
式典に参加するつもりはありませんが,父親と同様,いつの日にかフリーな形で広島に行って直接慰霊させていただきたいと思っています。たぶん呉へは父親に倣って行かないと思いますが・・・・。




[2554] 朱印帳のゆくえ -投稿者: 高山亜弓 返信 2005/08/08 01:39:23 del:

7日は602のみんなで朝から東大寺大仏のお身拭いを見学しました。大仏さまに積もった一年分のホコリをはたいて落とすのです。すごいホコリが大仏殿のなかにただよって渦を巻いて、とても見上げていられず、大仏殿の外から遠巻きにして見ていました。でも暑かったです。
それから奈良博へ二度目の「古密教」見学に行きまして、夕方は三条通りのお好み焼き屋でリニューアル作業の相談をしました。
拙ページの別館が完全に廃止されてデータも全部削除されて、大切なものはみんな本館に移動したらしいです。
でも朱印帳シリーズはいったん削除されて、敦子先輩のところで手直しとかするみたいです。すると亜弓が書いた今までの分も手直しが必要かな、と思って本部に聞いたら、「しばらく待ってくれんか」と言われましたー。果たしてどのようになるかな、朱印帳のこと。
本当にほとんど全部壊しているみたいで、思いっきりのリニューアルなのだと改めて実感していマス。ページのなかでは「奈良ちゃん」の通称のままですが、ここでは三浦さんにならって元通りの本名で書き込みました。ペコリ。


リニューアルの行方 -投稿者: 阪本敏行 返信 2005/08/08 13:00:57 del:

>高山亜弓さん

三浦さん同様,本名では「はじめまして」ですね。
もしこのリニューアルがインターネットを本格的に使った仏像彫刻史学会としての旗揚げを目ざしているものならば,本名で論文を書くことは前提の一つになるでしょうね。
たとえ,小論・エッセイであっても匿名で文章を書くこととは違った一定の責任を分担することになります。これはプライドをともなうものです。
私は文献学と考古学を歴史研究の方法として論文を書き,仏像研究をさらにその方法の一つとして使っていこうと考えている者です。その立場は違いますが,もしこれが新しい美術史学会の設立を意味するものであるならば,三枝流に「いらっしやぁーい」と心からエールを送りたいと思います。


ちょっと説明しておきます -投稿者: 高山亜弓 返信 2005/08/08 20:42:39 del:

阪本敏行さま、エールをいただきありがとうございます。リニューアル期間中は亜弓が広報係をつとめますのでよろしくお願いします。

えっと、阪本さまの書き込みのなかにちょっと実際と異なるところがありますので、まず説明させてください。

>リニューアルがインターネットを本格的に使った仏像彫刻史学会としての旗揚げを目ざしているものならば,

古佛ページは、仏像彫刻史学会ではなくて、リニューアル後も仏像彫刻史学会みたいなのにはならないと思います。(どんな方向でゆくのかはこれから私たちで話し合って決めることなのでまだ現在は分からないのですが、少なくとも学会とか研究団体とかいうようなのとは違った方向、もっとオープンなのを目指しているようです)

>新しい美術史学会の設立

それもあり得ないと思います。古佛ページは学会ではなくてサークルに近い集まりですよ。あんまり堅苦しいものでもないし(そうでないと亜弓みたいなガキは入れてもらえませんし、高校生も気軽に入ってこられません)、基本的には「同好の仲間が集まって仏像を見て楽しむもので、ただやることが本格的に学問的にもなっているというだけ」です。
よく周りから学会のひとつと誤解されてるみたいですが、学術会議や学術誌とかにはもともと関係もないし興味もないみたいです。大学の偉い先生にくっついているわけでもありません。

大学の研究室や大学教授の指導下で仏像学んでるだけですと、遺骨収集事業にもサッカー応援にも行くわけないだろうし、観光バスで九州や高知などへ楽しく旅行なんか出来ないと思います。いくら偉い大学教授に紹介状をもらったとしても、秘仏とかはなかなか見られず、たとえば吉野水分神社の女神像は絶対に見せてもらえないのです。
古佛ページは全然違う中身の集まりなので、仏像研究者とは違う方面での強力なネットワークがあります。それを頼って決まったところで手続きをとれば、たいていの秘仏本尊でも見せてもらえるみたいですね。どういうやり方なのかは全然知らないですが。


ご説明,ありがとうございました。 -投稿者: 阪本敏行 返信 2005/08/09 01:47:10 del:

>高山亜弓さん

丁寧,かつ誠実に説明していただき,ありがとうございました。ご説明を受けて,何となく分かったような気がしますが,本音を言えばその実体はまだよく見えていません。
しかし,いまそれを説明して欲しい,と言っても無理な話でしょうし,あなたがたにその義務もないと思います。
復活・新生され再び登場されるその時を楽しみに待つことにします。
短いお付き合いでしたが,素人の拙い質問に丁寧に応えて頂き,ありがとうございました。返答してくださいました皆様によろしくお伝え下さい!!




[2553] 祖父たちの夢に続け -投稿者: 三浦裕行 返信 2005/08/07 17:51:52 del:

悪僧様、忌憚なき御見解に感謝いたします。
工事監督として今日も連絡を取り合い、パソコン画面にて状況を確認したりと忙しいです。メンバーの多くは会社員として働いていますので、土日の二日間に作業が集中しますが、細かな部分は各メンバーでもやれますから分担してじっくり行います。
こういうことは、メンバーが各地に散らばっているだけに、コミュニケーションの問題となってきます。まめに連絡を密に取り合うことが必要であると痛感しています。携帯電話のメール機能の進歩が本当にありがたいです。
60年前、我々の祖父たちは陸海軍にて悲壮な決意で立ちましたが、孫の我々は希望に燃えて立つことが出来ます。平和のありがたみを痛感するこの頃です。

>戦前がえりを思わせるきなくさいもの(言い過ぎであればお許しを。でも,軍隊用語などがよく出てきますのでちょっと危ないものを感じていました)を感じ,一定の距離をおいてきたのです

そう言われて当然です。もともとフィリピン戦陸海軍将兵の孫たちが集まって立ち上げたサイトであったうえ、軍事マニアやオタクがメンバーに多かったからどうしても軍事的色彩に傾いたのでした。正確には、軍事オタクたちが仲間を集めて仏像サイトをやっていた、というのが「古佛へのまなざし」の実情なのです。今後もそのへんの傾向はあまり変わらないと思いますが。
本名を出すことについては、高校生たちの意見によるもので、もともと高校生たちは全員が本名にてサイト記事にも登場していますから、ハンドルネームを使っている我々のほうが見習うべきである、と話し合って結論づけました。仏像関連の記事を全部削除したのは、それらが全てハンドルネームつまり偽名で書かれているからで、これは思い切って捨てることに意見が一致したわけです。