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訪れ帖  神奈川仏教文化研究所


[98] 最近の平安初期一木彫研究 投稿者:oyaji 投稿日:2006/02/20(Mon) 19:24

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 先日このサイトを知って以来、学生の時買った仏像関係の本やコピーした論文を休日に読み返しています。いやーいろいろ思い出しますし、実に楽しいものです。

 特に中野玄三氏の「八世紀後半における木彫発生の背景」(仏教芸術54号)は、当時の政治的背景や宗教事情から神護寺薬師如来立像の造立事情を考察した画期的な論考だと今でも思います。

 実際今再読しても、私が生まれた年と同じ昭和39年に書かれた論文と思えないくらい斬新で古さを感じません。ただこれは私が近年の研究を知らないからかもしれませんが…。そこで最近10年位に平安初期一木彫の成立、あるいは神護寺像について書かれたいい論文があれば教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。



[100] Re: 最近の平安初期一木彫... 管理人 - 2006/02/20(Mon) 21:44

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 私自身、最近の論文というものをほとんど読んでいませんので、春秋堂文庫さんか、古佛へのまなざしさんの方で調べられるのが一番と思いますし、既にご存知とは思いますが、次のようなものが参考になると思います(ほとんど読んでいませんので中身については質問しないでください。 ^^;)

 松村史郎「平安初期彫刻の謎ー天平の終焉と新時代の仏師たちー」1988年 河出書房新社
 中野忠明「再説 神護寺薬師像の伝来と制作年代 上」 史迹と美術 596 1989年
 中野忠明「再説 神護寺薬師像の伝来と制作年代 下」 史迹と美術 597 1989年
 紺野敏文 「平安彫刻の成立 1〜10」 仏教芸術 175〜225 1987〜1996年
 紺野敏文 日本彫刻史の視座 中央公論美術出版 2004年
 中野玄三「神護寺薬師如来立像再論」仏教芸術 234 1997年
 長岡龍作「神護寺薬師如来像の位相ー平安時代初期の山と薬師ー」美術研究 359 1994年
 水野敬三郎「日本彫刻史研究」中央公論美術出版 1996年
 清水善三「平安彫刻史の研究」中央公論美術出版 1996年
 伊東史朗「平安時代彫刻史の研究」名古屋大学出版会 2000年



[95] 仏像盗難 投稿者:管理人 投稿日:2006/02/19(Sun) 14:12

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 昨夜のNHKテレビの「ヒューマン」という番組で、仏像の盗難事件が取り上げられ、当サイトの盗難文化財のコーナーで紹介した最近の盗難事例を、日本地図上にマークしたフリップが紹介されました。
 フリップの右下に「神奈川仏教文化研究所」文字が入っていましたが、小さくて見えなかったかも。

 このところ、NHKやフジテレビ、読売新聞他などからの取材があり、仏像盗難が社会問題になっています。
 事例を紹介することが事件を誘発するという意見もあるとは思いますが、皆が文化財に関心を持ちその歴史的、文化的重要性を認識していくことが一番必要なことではないかと思っています。



[91] 無題 投稿者:oyaji 投稿日:2006/02/10(Fri) 20:37

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 初めて投稿させていただく京都の「おやじ」と申します。こんなマニアックなサイトがあるとは本当に驚きで、仏像おたくの私にはうれしい限りです。

 もう20年も前の話になりますが、当時京都国立博物館学芸課長だった井上正先生に大阪孝恩寺等の霊木化現仏の講義を受けました。今週はどんな未知の仏像をとりあげてくれるのかと、毎週水曜日4講目の美術史の講義を楽しみにしていたのことが実に懐かしいです。

 この掲示板では霊木化現仏という井上先生の造語も当然のように使われているのには正直感動しました。またこれからも時々投稿させていただきますのでよろしくお願いいたします。

 



[92] 古仏礼賛にもどうぞ 管理人 - 2006/02/10(Fri) 22:25

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 訪問頂きまして有り難うございます。
 マニアックと言われると、ちょっと違和感がありますね。
 仏像に興味を持った人や、もう少し知りたいという人のお手伝いができればと言う気持ちで運営しております。
 マニアックな仏像サイトは他に一杯ありますから。
 
 今度は是非、井上先生の講義の感想などを、古仏礼賛のコーナーに投稿下さい。



[89] 法隆寺、橘寺でも・・・ 投稿者:管理人 投稿日:2006/02/07(Tue) 00:46

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 法隆寺と橘寺でも仏像の盗難が・・・。
 法隆寺は、国宝の建物の格子を切り取って押し入り盗むという手口で、何をか言わんやです。



[87] 見徳寺 投稿者:midget 投稿日:2006/02/04(Sat) 00:22

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 一昨日、四日市市立博物館の「聖武東遊ー騎馬軍団東へー」なる展覧会を拝観して参りました。担当が、当博物館の赤川さんのようで考古遺物が中心ながら、聖武天皇の「東遊」は単に壬申の乱を辿ったばかりでなく、聖武天皇が仏国土を現世に現出しようとした試みの一環で、それを主催したのが吉備真備をはじめとする壬申の功臣の一派であったとの内容は大変興味深いものでした。なお、久しぶりに見徳寺像(白鳳仏)が展観されておりました。前回、拝観した折のイメージと今回の感覚の差異は、単に再建法隆寺の工房(中宮寺も含めて)の作例と思っておりましたが、あるいは止利仏師の系統が進展すると見徳寺像や六観音等になるのではないかという感覚を得ました。止利系と東大寺造仏所との関係等を含めて、これらを考えると止利系は直接、天平の主流ではないのではないか…などと空想しておりますが、いかがなものでしょうか。また、この展覧会の最期に最期に、愛知県立芸術大学のY先生が監修したもののようですが?大仏の雛形が展示されていましたが、目線を落して見上げるとなるほど、そうか、と思えるものがありました。この復元に際しては、東大寺大仏を天平後期、唐招提寺本尊や桜井聖林寺観音と同様の系譜にあるとの認識のもとに復元されているもののようです。ともかくも、興味深いものでしたのでご報告いたします。ご一覧あれ!



[88] Re: 見徳寺 管理人 - 2006/02/05(Sun) 01:20

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 聖武天皇の彷徨をテーマにした展覧会が昨年から各地で行われていますが、四日市市立博物館の展覧会はいつも意欲的で感心させられます。
 仏像の様式は、飛鳥時代は止利様式が主流で、白鳳時代には多くの様式が並立し、天平時代に入って中国・盛唐様式が花開く、というように言われていますが、消えたはずの止利様式が実は天平様式の根底であったというのは面白い考え方かも知れません。
 大仏の雛形は、台座の蓮華に描かれていたような、円満な像だったでしょうか?
 大仏が今に残っていれば、天平時代の評価も随分変わっていたのかも知れませんね。



[85] 円教寺で鎌倉前期の如意輪... 投稿者:管理人 投稿日:2006/01/30(Mon) 23:27

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 円教寺で摩尼殿(本殿)の二代目の本尊とみられる鎌倉前期の如意輪観音坐像が発見されました。
 発見された観音坐像は、像高約20cm、台座を含め30.9cmの小像で、サクラ材の一木造。
 頭上に円筒状の冠を載せ、やや面長で端整な顔立ちを持ち、裳で覆った岩座の上に座っています。
 衣や裳には豪華で精緻な切金文様を施されており、左第2手の指先が欠けているほかは、保存状態も極めて良く、台座の裏側に延應元年(1239)の墨書があり、この年に造立されたとみられます。
 円教寺では、本年3月から始まる「性空上人一千年御遠忌」にあわせて、3月18日から6月30日まで特別公開するそうです。必見?

 産経新聞の神戸版に写真が掲載されています。
http://www.sankei-kansai.com/tihou/tihou-hyogo.htm

(この情報は、会員の宮島成年様からお教えいただきました)



[80] ジャンク書き込み対策 投稿者:管理人 投稿日:2006/01/23(Mon) 00:21

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 海外からのジャンク書込みに対し、アクセス拒否等の対応を採っておりますが、相変わらず発信先を変えてのアクセスが絶えません。
 今後、機会を見て cgi のファイル名を不定期に変更しますので、訪れ帖には、直接 cgi のURLから入らず、トップページから入るようにお願い致します(ほとんどの方がそのようにされていますので、問題ないと思いますが・・・)。



[78] 神さま 投稿者:MGAmk11959 投稿日:2006/01/22(Sun) 23:34

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年末に東京美術から「すぐわかる」シリーズから神道の本が出て、先日購入してきましたが、皆様のご意見はいかがでしょうか?



[79] Re: 神さま 管理人 - 2006/01/23(Mon) 00:19

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 残念ながら、拝見しておりません。
 目次を見る限り、神像の章は興味深いですね。
 お読みになった方がおられましたら、感想をお聞かせください。



[68] 叡山本尊 投稿者:管理人 投稿日:2006/01/17(Tue) 12:33

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 肉髻は余り高くなかったようですが、仏像の場合、時代が下がるに従って肉髻は低くなり、地髪との境がなくなってきますので、それなりと思いましたが・・・。

 比叡山と横蔵寺の当初の本尊は、最澄が同じ木から彫った分身と言い伝えられています。
 最澄が天竺から持ち帰った一本の赤栴檀の木から二体の薬師如来を自刻し、その一体を延暦寺に安置し、もう一体を奉る場所を求め諸国を巡っていた時、大岩の上で像が横になって動かなかったためこの地に草堂を建て、像が横になったことから横蔵寺という名になったそうです。

 1571年(元亀2年)、信長による比叡山焼き討ちで延暦寺の本尊薬師如来が焼失しますが、その再建に際し、分身と言い伝えられる横蔵寺の本尊が移されたものと考えられます。
 横蔵寺の現在の本尊は、天正13年(1585)、京都の北、御泥ヶ池ほとりの祠にあったものを移したとされています。

 確かに、厳寒のなか、叡山の根本本尊として重厚な厨子の奥に凛として立つ姿を拝するのは、心が引き締まります。



[69] Re: 叡山本尊 のびあがり - 2006/01/18(Wed) 01:26



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疑問にお答えいただき、ありがとうございました。
よろしければあと3つだけ、教えてください。

1・横蔵寺の薬師座像(重文)が御泥が池ほとりの祠から1585年に移したものだという情報の出典は?

2・根本中堂の開帳中の本尊は「朱衣金体」でしたか?

3・「肉髻」の件ですが、天台の薬師って例えば長源寺みたいに地髪との境がはっきりしない「スキー帽をかぶったような」と形容される頭髪の像があるじゃないですか。根本中堂の本尊もそういったスタイルでしたか?

しつこくてすみません。自分の眼で確かめろ、と言われてしまいそうです。現に東京や高知から見に来るという知人もいます。以前、管理人様から「熱心だ」とお褒めの言葉を頂戴しましたが、「寒さ」と「14世紀」を理由に腰がひけてる私など、「まだまだだね」とお叱りください。



[70] Re: 叡山本尊 管理人 - 2006/01/18(Wed) 02:36

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1. 困りました。横蔵寺の解説には普通に書かれていますので、寺の縁起に書かれているものと思っていましたが・・・。但し、御泥が池は、御菩薩池、深泥が池とも書かれています。

2. 朱衣金体ではありません。良くは分かりませんでしたが、素木乃至は古色のように見えました。
 朱衣金体は、最澄の高弟で初代天台座主の義真が最澄の遺言により始めたと伝えますので、最澄自刻の像であれば朱衣金体では無いはずですね。

3. 岩倉長谷の長源寺ですか。見るからに平安初期の像で地髪・肉髻共に高いですが、全く異なり全体に薄かったですね。

 これだけ、疑問を持って拝観すれば、論文が書けそう?



[72] ありがとうございました のびあがり - 2006/01/19(Thu) 23:04



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いつも私の拙い質問に丁寧に答えていただき、感謝しております。根本中堂の現本尊についての論文なんてあるんでしょうか。開帳を機に調査もされるといいのですが。22日に行こうかと考えていたら、天気予報で明日から雪とか。

長源寺薬師は今、京博に展示されてる像です。学芸員の浅ぬま氏が「キャラメルの溝みたいな螺髪は、最澄自刻の根本像を模刻したから。」と土曜講座でおっしゃってました。
幻の根本像の姿を想像すると、考古学のようなロマンを感じてしまいます。



[56] 根本中堂の薬師 投稿者:のびあがり 投稿日:2006/01/11(Wed) 00:37

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今、延暦寺でご本尊の開帳がされています。写真が載っている本も見当たらないのですが、「観仏三昧」のHPによると5,60センチの南北朝から室町の像で、ライトアップされているけど、表情まで見るなら単眼鏡がいるとのこと。
行きたいのですが、今年はふもとでもこれだけ寒いので、山上を想像しただけで風邪をひいてしまいそうです。
管理人様はこの秘仏、実見されたことはありますか?



[57] Re: 根本中堂の薬師 管理人 - 2006/01/11(Wed) 01:21

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 残念ながら実見しておりません。
 秘仏後開帳のコーナーに掲載したように、本尊は1988年の根本中堂創建1200年記念や2001年1月に公開されており、その時はろうそくの明かりの中で、ぼんやりと拝見できる程度であったそうですが、今回はライトアップされているとのこと、少しは期待できるでしょうか。
 本尊は、焼き討ちの後、岐阜・横蔵寺から移された像ということですが、他の毘沙門天、文殊菩薩なども本尊と同様またはそれ以降の作なのでしょうが、本尊以外は初めての御開帳というのが食指を動かしますが・・・。



[63] ご報告 管理人 - 2006/01/15(Sun) 22:04

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 土曜日に、出張の帰りに時間を作って延暦寺に行ってきました。
 寒さが少し和らいだのでどうかと思いましたが、ちょうど雨となり、境内は残雪と濃霧と雨で吐く息も白く、根本中堂では、中陣に敷かれていた電気カーペットの上で震えていました。

 中央の瑠璃檀に安置される本尊薬師如来立像は、二重になった厨子の奥にあるため中陣からはかなり離れていますが、ライトアップされており、単眼鏡があればかなり良く拝観出来ます。
 髪際の中央がやや下がっていますが、螺髪もそれほど小粒でもなく、面相や腰高の像容も流麗な像でした。
 制作は鎌倉末から南北朝あたりではないかと思わせましたが、あるいは、類例化した衣文からすれば、もう少し下るかも知れません。

 本尊以外は、いずれも江戸時代の像と思われますが、
 一番左の祖師檀には、高僧像が四体安置されており、康俊の僧形像を思わせるような、中々手馴れた像でした。
一番右の毘沙門檀には、毘沙門天、弁財天(?ー新聞では文殊菩薩とありましたが)、僧形像など五体が祀られています。
 瑠璃檀と祖師檀の間には、薬師如来坐像を安置する厨子、瑠璃檀と毘沙門檀の間には、奥まったところに、僧形像を祀る厨子があり、全て開帳されていました。



[66] ありがとうございます のびあがり - 2006/01/17(Tue) 01:02



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「天台系の薬師の、地髪と肉髻の境が明確でないのは、それらの原点の像がそういう表現であり、最澄という素人(専門仏師ではないという意味)が彫ったという伝承が事実であることを物語っている。」といいますが、根本中堂の本尊はそのあたりはどうなっていましたか?
横蔵寺は比叡山に移った像の代わりに座像の薬師(重文)をどこからもらったのでしょうか?
江戸時代に横蔵寺から移したそうですが、全国の天台寺院にはもっと当初像に近いのがあるのに、なぜ横蔵寺のを選択したのか?・・・等々、疑問が湧いて来ます。

いずれにせよ、当初ではないにせよ、天台宗の頂点に君臨する像ですから、一度は拝みたいものです。



[54] 迎春 投稿者:阪本敏行 投稿日:2006/01/09(Mon) 21:32

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新年おめでとうございます。昨年はお世話になりました。今年も情報交換お願い致します。
昨年,『熊野三山と熊野別当』(清文堂刊)という著作を出版しました。第1部の特論は美術史・円派仏師にかかわりのあるものです。神奈川県立図書館にも入れてもらっているはずですのでよかったら読んでください。
それにしても,仏像の盗難には頭を悩ましますね。つい先日,ある古美術品販売ホームページに円空の仏の売り物が出されていましたが,まさかこれは盗品ではないでしょうね。



[55] Re: 迎春 管理人 - 2006/01/09(Mon) 22:48

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 おめでとうございます。
 「熊野三山と熊野別当」ご出版併せておめでとうございます。
 大仏師良円と西大寺教団の動向とのタイトルが興味を惹きますね。
 価格的に少々怖気付きそうですので、図書館で拝見させて頂きます。^^;)

 仏教美術品も古美術商などでしたら、怪しい物は相手にしないのですが、昨今、インターネットオークションなどで素人でも売買できるようになっていますので、益々手に負えません。

 お寺で自衛するといっても限度がありますし、地道にアピールしていくしかないというのが歯痒いですね。



[52] 川尻所長がテレビ取材出演 投稿者:管理人 投稿日:2006/01/07(Sat) 01:11

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 昨年末、浅草・浅草寺の裏観音が盗難に遭いましたが、昨年11〜12月にかけて、東京都内の中野区・新井薬師、立川市・普済寺などでも仏像が盗難に遭っていることがわかりました。
 1月6日夕方のフジテレビ「スーパーニュース」でこのことが取り上げられ、当研究所の川尻所長のテレビの取材に対するコメントが放映されました。