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訪れ帖  神奈川仏教文化研

井上正氏の霊木化現仏につ... 投稿者:yum 投稿日:2006/09/28(Thu) 22:50 No.633  
jpa0.gifはじめて書き込みさせていただきます。
いろいろめぐって、ようやくこのサイトに辿りつきました。
仏像に関しては、何の基礎も知らない素人なのですが、
先日、井上正氏が唱えた霊木化現仏について知り、たいへん
興味を持ちました。この説も含む先生の論文、「古仏巡礼」が
1980年代に連載されたと聞きましたが、出典の雑誌?を
ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただきたく、
お願い致します。


Re: 井上正氏の霊木化現仏... 管理人 - 2006/09/29(Fri) 00:45 No.635   HomePage

admin.gif ようこそいらっしゃいました。

 井上正氏の一連の論文は、阪急の美術雑誌「日本美術工芸」に527号(昭和57年8月)から563号(昭和60年7月)まで連載されていました(「日本美術工芸」は平成9年に休刊となっています)。
 そこに連載されていた中から36編が「彫像のイコノロジー 古佛」として昭和61年に法蔵館から出版されています。
 「彫像のイコノロジー 古佛」には、「論叢 仏教美術史」(町田甲一先生古稀記念会刊 吉川弘文館 昭和61年)に収録された井上正氏の論文「古密教彫像序説」が、36編の纏めとして掲載されています。
 この論文が、霊木化現仏の基本的な論文です。

 「日本美術工芸」は、今や入手は難しいと思いますが、各号の論文タイトルは、下記のサイトに掲載されています。
旧古佛へのまなざしhttp://gfi58.hp.infoseek.co.jp/index.kobuthu.htm
文献 → 論文 → 日本・その他

 井上正氏の霊木化現仏に関連する論文として、インターネットで読めるものとしては、京都国立博物館の学叢があります。
 下記を参照下さい。
京都国立博物館 → 刊行案内 → 学術刊行物 →学叢ホームページ版http://www.kyohaku.go.jp/jp/kankou/gaku/web.html

愛知高田寺薬師如来坐像について−檀像系彫刻の諸相3
学叢第6号 (昭和59年)
観菩提寺十一面観音立像について−檀像系彫刻の諸相2
学叢第5号 (昭和58年)
「壇色」の意義と楊柳寺観音菩薩像−檀像系彫刻の諸相1
学叢第3号(昭和56年)


Re: 井上正氏の霊木化現仏... yum - 2006/09/29(Fri) 09:56 No.699  

jpa0.gif早速のご返答、ありがとうございます。
しかも、こんなにご丁寧に・・・。さすがですね。
また何か疑問・質問が出たときには、よろしくお願い致します。


百済寺に行ってきました 投稿者:のびあがり 投稿日:2006/09/24(Sun) 23:44 No.630  
jpa0.gif湖 東三山の開帳で、百済寺と西明寺を訪れました。百済寺の十一面観音は「かつてフェノロサが調査して「あまりにも後世の手が入りすぎてる。」と言って評価し なかったため町指定どまりだったが、今回60年ぶりの開帳後、初めて専門家による本格的な調査をするので、国指定になればまたすぐ公開するかも。」と寺の 説明係の人が言っておられました。
根がある2メートルをこえる立木仏と聞いてたので、巨像かと思っていたら、膝から下が厨子に入っていて見れない こともあってか、等身大くらいに思えました。顔は韓国の金銅仏みたいな表情で、寺名とマッチしてました。身体が扁平で、多田寺十一面観音を思い出してしま いました。衣文の古様さから、寺伝にいう聖徳太子の時代までさかのぼると言った専門家もいる、とのことでしたが、10世紀後半から11世紀初頭かなあとい う気がしました。管理人様が実見されたらぜひご意見をお聞かせください。ボディがフラットなのは、絵画や図像の写しととらえるべきなのか、それとも一木造 りゆえ材の制約があったためと考えた方が真実に近いのでしょうか?


Re: 百済寺に行ってきまし... 管理人 - 2006/09/25(Mon) 12:48 No.631   HomePage

admin.gif ご苦労様でした。
 行った人からは、遠くから厨子の緞帳越しに拝む程度で、単眼鏡も制止され、などと聞いていましたので、ちょっと腰がひけていたのですが、そこまで観察できましたか。
 多田寺十一面観音像と聞くと俄然興味が湧いてきますね。
 その時代は、中国から多くの図像が将来され、それに基づいたと思われる彫像も多く見られ、彫像としては不自然と思われる像もありますので、絵画や図像の写しというのびあがりさんの考え方も当たらずとも遠からずという気がしました。


教えてください 投稿者:のびあがり 投稿日:2006/09/17(Sun) 14:02 No.626  
jpa0.gif湖東三山の開帳は明日から始まりますね。特に百済寺の巨大な観音は、かの丸山尚一さんも何度もお寺にお願いしたのに見れないままお亡くなりになったほどの秘仏ですので、「見ずに死ねるか‼」という気持ちです。

「当時発見されたばかりの瀬戸内の菩薩像」ってどこのお寺のことですか?30年前はまだ高校生で仏像に全く関心がなかったので・・・。愛媛の庄部落か香川の正花寺ですか?でも「背後の扉から拝観」するような安置状況というと・・・どこか見当がつかないのです。



Re: 教えてください 管理人 - 2006/09/18(Mon) 02:54 No.627   HomePage

admin.gif 尾道の向かいにある向島の西提寺です。
 今では本州四国連絡道路尾道・今治ルート(西瀬戸自動車道)が四国まで繋がっていますが、当時は確か向島までしか出来ていなかったように思います。その一年程前に尾道市の文化財審議委員をしておられた方に写真を見せて頂き、是非拝観したいと思っていました。
 平安時代の二体の聖観音菩薩像があり、ご住職のお話では、本堂を建てかえるために解体したところ、壁の中に隠し部屋があってその中に安置されていたのが見つかったとのことでした。発見からすぐ、1977年に国の重要文化財に指定されています。
 当時は新築なった本堂で、須弥壇の背面に小扉があり、そこからドアップのおしりが拝めたのを今でも鮮明に覚えています。


Re: 教えてください のびあがり - 2006/09/18(Mon) 20:49 No.628  

jpa0.gifありがとうございました。西提寺ですか。秘仏ということで未だ拝観し得ていないお像です。
隠し部屋から見つかったなんて、敦煌みたいでロマンがありますね。


Re: 教えてください 管理人 - 2006/09/19(Tue) 12:54 No.629   HomePage

admin.gif 確かに、中国龍興寺から発掘された大量の石像や、敦煌の第17窟の話は、空想をかきたてるところがありますね。

 のびあがりさんも30年前は兎も角、色々廻っておられる様ですので、「忘れられないこの一体」というのが沢山あるのではないですか。


こんにちは 投稿者:大吉 投稿日:2006/09/13(Wed) 23:16 No.616  
jpa0.gifこ んにちは。久しぶりにホームページ楽しく拝見しました。今年の秋も仏像の展覧会が沢山ありますね。お金も無いのでセレクトしようと思い、東京国立博物館の 「一木にこめられた祈り」と近江の西明寺などの特別拝観に行こうかと思ってます。新潟県立近代美術館の「新潟の仏像」はあきらめようと思ってますが、管理 人さんは「この展覧会は行かないともったいない!絶対行くよ」と感じているものはありますか?あれば是非教えてください。


Re: こんにちは 管理人 - 2006/09/15(Fri) 22:45 No.622  

admin.gif 仏像の展示会は数々あれど、「一木にこめられた祈り」は、何十年に一度の展覧会ですので、行かないと一生後悔すること間違いありません。

 これ以外では、名古屋市博物館で10月21日から開催される「比叡山と東海の至宝」は、秘仏といったものは余りありませんが、場所的にも簡単に拝観できる像も多いので、ご覧になっていないものが多いのであれば、是非観ておかれることをお勧めしたいですね。
 また、JR東海で企画している「矢田寺(金剛山寺)と地蔵信仰ー秋色の矢田丘陵を訪ねて」は、抽選となりますが、地蔵菩薩を拝観できるチャンスですので、東明寺・薬師如来像とあわせてトライする価値があると思います。


Re: こんにちは 大吉 - 2006/09/16(Sat) 22:17 No.624  

jpa0.gifあ りがとうございました。独身時代はいろんな御開帳、展覧会に行ってましたが、女房子供を抱えた今はそうもいかず、貴ホームページや「観仏三昧」を見て厳選 しています。「一木にこめられた祈り」はそんなにすごいのですね、最優先で行ってみます。矢田寺は無理でも名古屋市博物館は行けるかも。ありがとうござい ました。


Re: こんにちは 管理人 - 2006/09/16(Sat) 23:20 No.625   HomePage

admin.gif  家の奥さんは、新婚旅行で、今まで行っていなかった地方のマニアックな仏像を見に連れ回したため、「新婚旅行の想い出は仏様のお尻だけ」(当時発見された ばかりの瀬戸内の菩薩像を背後の扉から拝観し感動した!)と、30年も経った今でも、決して仏像を見に付いて行こうとしません。
 しかし、一木展に渡岸寺の観音が出ると話すと、「それだけは見に行こうかしら」、と言っています。

 私の30年間のトラウマを解消するほど(?)凄い展示会なのです。


「熊野信仰と東北」展の仏... 投稿者:櫟朧 投稿日:2006/09/02(Sat) 20:17 No.603  
jpa41.gif先 日「熊野信仰と東北」展(東北歴史博物館)に行ってきましたが、その中で1体気になるお像がありました。それは小沼神社の聖観音立像です。何故かと言うと 七年前の東北歴博の特別展に出された時は、12世紀後半の作として紹介されていましたが、今回は8〜9世紀ごろとして紹介されていました。私の感じでは、 かなり後の手が入っているように思いましたが、腿から下の衣文の彫り口は翻波式と言うよりは、天平後期の彫り口に近いように思います。地方ということを考 慮して9世紀ごろと考えられないかと思いましたが、いかがでしょう。(チョット無謀な考えでしょう)


Re: 「熊野信仰と東北」展... 管理人 - 2006/09/03(Sun) 00:50 No.604   HomePage

admin.gif この像は、材はケヤキですので、この地方で造られた像であり、「祈りのかたち」の際に解説されたように、12世紀後半の作として良いのではないでしょうか。
 両膝間に表される衣文の折返しの表現等は古様のようにも見えますが、体躯は細身で衣文は形式化しており、天平の大らかさは感じられないように思います。
 顔の中心が正中線からずれ、口を尖らせたような表現は、「歪みと不整の造形」による「霊威表現」に当てはまるという意味では、今までの時代区分を見直す必要はあることは理解しますが、だからといって何でもかんでもというのもまた無理があるような気がします。

 古様という意味では、同じく小沼神社の十一面観音立像のほうが古様を伝えていると思いますがどうでしょうか。


弁財天像の持ち物について 投稿者:宇留野 投稿日:2006/08/29(Tue) 13:34 No.600  
jpa0.gifはじめて投稿いたします。宇留野といいます。
弁財天像について調べており、途方にくれて貴サイトにたどり着きました。お分かりになりましたら教えてください。
弁才天像には二臂像と八臂像があるようです。
二臂像には、琵琶をつまびく像が良く知られています。
八臂像は戦に関わる武具を持つ像が多いようです。

弁財天は吉祥天と並ぶ美女としても知られていますし、
二臂像でも八臂像でも良いのですが、美女が良く持つ団扇を
持った像というのはあるものなのでしょうか??
不躾な質問で大変恐縮ですが、ご存知でしたら教えてください。


Re: 弁財天像の持ち物につ... 管理人 - 2006/08/30(Wed) 21:57 No.601   HomePage

admin.gif 弁財天は、ご指摘の通り、二臂像の場合には琵琶、八臂像の場合には弓、箭、刀、助、斧、長杵、鉄輪、羂索などの武具を持つのが一般的です。
 儀軌については、余り詳しくないので、詳細はよく判りませんが、儀軌で、団扇を持つと規定したものは無いように思います。

 持物としての扇は、聖徳太子像や、維摩居士像などが持っているものが知られています。
 扇を持つ天部像としては、摩利支天があります。摩利支天は、六臂や八臂像が多く、この場合は矢、杖、線、針、金剛杵などの武器を持ちますが、二臂像の場合は左手に天扇を持ちます。 扇の形は天女が持つような扇で真ん中に卍字を表すとありますので、このことでしょうか。


どうもありがとうございま... 宇留野 - 2006/09/02(Sat) 09:37 No.602  

jpa0.gif突然の不躾な質問にもかかわらず、丁寧な回答をしてくださいまして、どうもありがとうございました。
扇を持つ弁才天が存在するのかどうかという疑問であったため、結論としては「存在しない」という回答にしたいと思います。
可能性としては、技芸の徳をあらわしている二臂像で見つかれば良かったのですが、天部のお像はネット上で公開しているものも少なく、早急に結論を出すのは難しいですね。

今回の検索で、知っていると思っていたお寺に弁財天像がまつられていたことが分かるなど、いろいろ勉強になりました。
本当にお世話になり、ありがとうございました。

これからも折に触れ拝見させていただきたいと思います。


岐阜仏像旅行 投稿者:管理人 投稿日:2006/08/28(Mon) 21:17 No.599   HomePage
admin.gif 岐阜の仏像旅行に行ってきました。
 円空像、岐阜の平安仏、高賀山信仰の諸神社、白山信仰の諸神社、仏閣と毎日がバラエティーに富んだ旅行となりました。
 仏像の旅もなかなか感動的でしたが、高賀山信仰の那比新宮神社に残された200面を越える懸仏、鏡像、板光背の木彫像、精緻な女神像、自由な姿の神像などの膨大な宝物はいずれも素晴らしいものでした。
 また、それらが、完全空調された宝物館の中で、桐製の保存箱に丁寧に保管されている様子は驚きでした。
 石徹白(いとしろ)の大師講もそうでしたが、廃仏毀釈の嵐の中、先人が守り抜いたこれらの宝物が、神社やお堂の中で十数件の氏子の方々によって護られている姿に感動を覚えました。

 信仰の力というのは、我々の想像を遙かに超えるものですね。


神奈川中近東文化研究所 投稿者:管理人 投稿日:2006/08/18(Fri) 23:18 No.598   HomePage
admin.gif 車の点検のため、いつもお願いしている三鷹の修理屋さんまで行ったついでに、目と鼻の先にある「中近東文化センター付属博物館」に寄ってきました。今までは、一般公開は特別な日にしか行っておらず中に入ったのは今回が初めてでした。
 このセンターは国際基督教大学に隣接して建てられ、案内によると1979年に開館したのですが、財政難もあって一時公開中断しており、2005年12月に付属博物館が、2006年4月に三笠宮記念図書館がそれぞれ正式に再スタートしたようです。
 エジプト、トルコ、シリア、イラクといった諸国の歴史的遺物を、日本隊の発掘品や出光コレクションなどを中心に常設展示しています。
 昨年からは、出光美術館の中国・日本・朝鮮などの陶磁器・金属器も別途常設展示されています。
 また、9月3日まで「中近東の土偶」展が開催されていました。
 
  私も中近東の美術に関しては疎く、正倉院に伝わるササン朝の切子ガラス碗やトンボ玉位しか思い浮かばず、余り期待もしていなかったのですが、中国の彩色土 器や唐三彩、景徳鎮と全く同じ意匠の器、デフォルメされた動物を象った容器、現代でも通用しそうなラピスラズリの装飾品、鮮やかな幾何学模様のタイル、精 緻な文様の円筒印章(書簡や容器を封じるため、覆った粘土に押し付けて転がすというものでいわゆるシーリングワックス(封ろう)ですね)など、さすが文明 の十字路に相応しい文物が見られました。
 黒ずんだ同じ形の仏像ばかり見ている眼には、とても新鮮に映りました。
 丁度東京・上野の都美術館でも、「ペルシャ文明展」が開かれていますが、意外と面白そうですね。

 来月から「神奈川中近東文化研究所」になってたりして。


悪意の張本人 投稿者:管理人 投稿日:2006/08/17(Thu) 20:34 No.597   HomePage
admin.gif 今週のニュースに掲載した11年前の会津若松の重文盗難が、実は会津若松市に買取を持ちかけていた横浜市の男の犯行であったことがわかりました。
 善意の第三者どころか、「悪意の張本人」だった訳です。
 しかし、自宅には他にも多数の収蔵品があり、盗んだ品々はインターネットなどで売りさばくなどしていたとみられることから、既に第三者の手に渡ったものも多くあると考えられます。
 インターネットオークションなどは、相手の顔も素性も知らぬままに売買できるシステムだけに、一旦他人の手に渡れば、その来歴をたどるのはほとんど不可能に近いといえます。
 インターネットが「盗品ロンダリング」の格好の手段とならないよう、見ている人も意識を高め監視の目を光らせる必要があるようですね。


教えてください 投稿者:のびあがり 投稿日:2006/08/13(Sun) 12:49 No.594  
jpa0.gif奈良時代はいろんな経典が輸入されて、聖観音といえど多臂の姿で造像されるものもあったと思います。その流れにあるのが楽法寺像とかでしょうか。

以前から気になっていたことがあります。唐招提寺金堂の千手は額に三眼がありますが、千手観音も三眼にすべしという儀軌があるのでしょうか?
も うひとつ、千手は「千手千眼」観音で、脇手の掌に一眼が描かれていたはずですが、現存作例ではほとんど見当たりません。古像の場合、彩色が剥落したという ことで説明がつくと思うのですが、近世・近代の比較的新しい千手の脇手にも眼がないことが多いのはどう理解すればいいのでしょう。

私は大安寺や広智寺の不空に三眼がないのは、千手の脇手の眼みたいに当初彩色で描かれ、それが消えたのかと思ってました。別材で本物の鹿皮を着せていたのかも、というのはいくらなんでも蓋然性ゼロでしょうが・・・・。


Re: 教えてください 管理人 - 2006/08/13(Sun) 22:13 No.595   HomePage

admin.gif 儀軌の詳細になると、これはもう宗教学の範疇ですので尻込みせざるを得ません。
 一般的な儀軌の範囲では千手に三眼というのはないと思いますが、良くはわかりません。
 しかし、千手も42本の手に省略されている像が多いように、儀軌や三十二相八十種が全ての仏像に明確に表されているわけではなく、白毫などが省略されている例も数多くあります。
 でも、鎌倉時代に見られるように、兜や螺髪が取り外せるように造られたり、実際に服を着せるように造られた像もあるので、本物の鹿皮を着せていたというのも面白いかも知れませんね。

 ところで、唐招提寺金堂の千手の三眼は遠慮がちに取って付けたような刻み方ですが、儀軌にあったかどうか自信が無いまま彫った、なんていうことは無いでしょうね(天平時代の大彫刻家に対して失礼か!)。


Re: 教えてください のびあがり - 2006/08/14(Mon) 22:27 No.596  

jpa0.gifご教示ありがとうございます。
『奈良六大寺大観』の唐招提寺千手の解説に「経典に忠実に造られた像」とありましたので、「千手観音は三眼で千本の手がある」ことが本来の正しい姿なのかと思っていました。

学生のころ、この像の前で「額に眼があるので、造り始めた時は不空羂索だったかも。」と言ったら、友人たちに大笑いされた記憶があります。


「熊野信仰と東北」展 投稿者:kanjisin 投稿日:2006/08/12(Sat) 16:44 No.591   HomePage
jpa0.gifは じめまして 東北の中世を勉強しているものですが貴HPにたどり着き喜んでおります。というのは仏像についてずぶの素人なので勉強したいと思っておりま す。熊野に興味があり、先日「熊野信仰と東北」展(東北歴史博物館)に行ってきましたがメインが仏像なので未だ理解不十分状況です。下記に拙い感想を書き ましたのでお気づきの点などご指摘頂ければ幸いです。では今後ともよろしくお願いいたします。


ようこそ おいで下さいま... 管理人 - 2006/08/12(Sat) 23:10 No.593   HomePage

admin.gif 東北地方は、学生時代から何度も足を運び、数年前にも宮城や福島の仏像の旅を行いましたが、西国や関東地方とは異なる独特の迫力を持つ像が多いですね。
 「熊野信仰と東北」展には、重文としては天台寺が出ているだけだったと思いますが、他にも沢山の立派な像がありますので、一度ゆっくりご覧になるのが良いと思います。
 ご感想等があればお寄せ下さい。

 このところジャンク書き込みが多くなってきましたので、対策を少しきつめにしています。書き込み出来ない場合には、恐れ入りますが、メールにて(ホームページのトップページにアドレスへのリンクがあります)ご連絡下さい。


北摂の仏像(続き) 投稿者:管理人 投稿日:2006/08/12(Sat) 00:16 No.588   HomePage
admin.gif 情報有り難うございます。

 像の脇に「不空羂索観音像」と書かれた展示会用の解説板があり、ご住職に聞いたのですがどの展覧会かわかりませんでした。
 天神さまの美術展でしたか。東京でも展示されたのでしょうか。
 ご住職によれば、某先生が不空羂索ではないかと仰ったことから不空羂索観音像としているそうですが、前に書いたように、不空羂索観音像とする明確な根拠はないと思います。府指定は多臂観世音菩薩立像となっています。
 修理前の写真を見ても、解体修理時点でかなり手が入っている様ですので、判断は難しいですが、胸部の量感や、膝前の衣文などからは十分な精神性が感じられました。

 奈良に行ったついでに、岩船寺のそばの応現寺(東鳴川観音講)・不空羂索観音坐像を拝観して来ました。
 南円堂の旧像を模した像ともいわれていますが、定朝様に鎌倉の萌芽が見られる優美な像でした。
 訪れる人も少ない山間のお堂ですが、さすがに奈良ですね。
 


Re: 北摂の仏像(続き) のびあがり - 2006/08/12(Sat) 01:44 No.589  

jpa0.gif産経の記事の「実は不空だった」とする根拠はこうです。

「6 本腕の11面観音とされてきたが、美術院で修理したところ江戸に頭上の10面が付け加えられていたことと腕の数がもと8本だったことがわかった。頭がひと つで8本の腕を持つ観音としては東大寺三月堂の本尊に代表される不空があり、手の配置などから同像と判明した。今回の修理で腕を2本加えて元通りの姿に復 元した。鑑定にあたった井上正教授は「近くにある霊松寺は行基開創の伝承を持っており、行基にかかわる像とも考えられる」と国の重文級の折り紙をつけてい る。」

「天神さまの美術」解説文では不空とすることに懐疑的でした。

大安寺の「伝」不空も、二眼で鹿皮をつけず、すべて後補とはいえ8臂の姿です。しかも8世紀末から9世紀初頭の制作と、広智寺像と共通点が多いです。
管 理人様は「修理の際に大安寺像を意識した」可能性を指摘されていましたね。大安寺のは直立していますが、広智寺は腰を左に捻り右ひざをゆるめ、姿勢に柔ら か味が感じられます。当初8臂だったというのがどうしてわかるのか(孔があいてたのか?)が新聞記事からは読み取れませんが、確実に8臂だったのなら、た とえ二眼で鹿皮がなくても、不空のひとつのバージョンと考えていいのではないでしょうか。


Re: 北摂の仏像(続き) 管理人 - 2006/08/12(Sat) 14:25 No.590   HomePage

admin.gif 手の数は、後補の腕を取り除いた状態で、体部に残された付け根の跡から8本と判断したようです。修理前の写真でもそのように見えます。
  日本では不空羂索観音像は八臂の像が多いので、二眼で鹿皮がなくても、不空のひとつのバージョンとの可能性を否定するつもりはありません。しかし、中国に は六臂の像もあり、逆に貞観の息吹でご紹介した楽法寺の聖観音は八臂ですし、必ずしも八臂=不空羂索に拘る必要もないとと思いますが、どうでしょうか。


北摂の仏像 投稿者:管理人 投稿日:2006/07/25(Tue) 17:59 No.473   HomePage
admin.gif 久しぶりに高槻、茨木方面の仏像を拝観して来ました。
 関西にいる時には、素通りすることが多かった地域ですが、平安前期の中央風の仏像が多く残されていることをあらためて実感しました。

 中でも高槻の廣智寺の八臂観音立像(寺では不空羂索観音像)は、かなり補修されていますが、壇像風のカヤの一木造で、瞳には黒曜石などを嵌めていたと思われる痕もあり、天平の意識を残した貞観の気運を色濃く伝える像で、非常に興味を惹かれました。

 このお寺は黄檗宗ですが、貞観の菩薩坐像が伝わる高槻の慶瑞寺も同じく黄檗宗でしたね。

 最近は地方仏を拝観する機会が多くなっていますが、やはり畿内の地方仏(?)と比較してみると、自分自身の価値判断レベルというか、基準がずれてきていることを実感した旅でした。

 「埃まみれの書棚から 地方佛〜その魅力にふれる本〜」では、次回から、近畿地方編に入り、それこそ畿内の地方仏シリーズとなります。乞うご期待。


Re: 北摂の仏像 加藤春秋 - 2006/08/07(Mon) 21:44 No.585  

jpa0.gifまたのおじゃま 失礼いたします。
“廣智寺の八臂観音立像”と聞いて、それだけで、大変興味がわきました。えっ 不空羂索觀音ではなく八臂の観音像?!
“天平の意識を残した貞観の気運を色濃く伝える像”と聞いてますます興味がわきました。井上正氏のいういわゆる古密教彫像か! と・・・
それにもまして、廣智寺という寺は、私の記憶の中にありませんでした。
さっそく、調べてみましたが、平成5年に大阪府指定文化財になったばかりで、なかなか良質な写真が手にはいりません。
高槻市のHPに乗る写真では細部がわかりません。また、「高槻市文化財年報 平成2年度」にのる写真は部分的な写真で、全体がありません。
年報によると解体修理によって、いままで六臂十一面観音といわれていたものが、八臂とわかったということですが、それならば、何故、不空羂索觀音といわないで、八臂の観音菩薩というのでしょう?
そう よく見ると、額の真ん中には、白毫がついていて、三眼になっていないのです。三眼でないことが不空羂索觀音といえない理由なのでしょうか? 疑問としてのこります。
いずれにしても、解体修理をしたのならば、調査報告があるはずですが、今のところ見あたりません。
管理人様は、この仏像をどうして、お知りになったのでしょうか?
また、この仏像に関する論考が他にあるのでしたら、教えていただければとおもいます。
それにしても、膝前の渦文はすばらしく、また、目尻のつり上がった相貌は、関西のどこかの仏像に似ている記憶があるのですが、年のせいか思い出せません。
これを、「想像の仏像旅行 ぼけのはじまり編」
とでもしますか。


Re: 北摂の仏像 管理人 - 2006/08/07(Mon) 23:40 No.586   HomePage

admin.gif 加藤さんの興味をいたく刺激したようで恐縮です。
 本像は私も全く知らなかった像ですが、当初拝観を予定していたお寺と日程が合わず、急遽我々の仲間が補欠で入れた隠し玉でした。
 彼はこの大ヒットで見事永久企画部長に任命されました。

 本像は、三眼ではなく、また肩に懸ける衣も鹿皮では無く、不空羂索とは断言できないと思います。
 調査報告書(印刷物ではない)はお寺にはありましたが、時間がなかったため、内容については確認できていません。修理前後の写真のみデジカメに収めてきました。
 本像については、そのうち「貞観の息吹」に掲載しようと思っています。
 どこかの像に似ているとすると、大安寺の諸像が思い浮かびますが、それを意識して修理したために似ているのか、微妙なところですね。


Re: 北摂の仏像 のびあがり - 2006/08/11(Fri) 01:36 No.587  

jpa0.gifごぶさたしております。
広智寺はお寺でいただいた平成5年1月18日の産経新聞記事に「解体修理で11面観音ではなく不空羂索と判明」として紹介されています。
平成13年11月大阪市立美術館の゜天神さまの美術゜展に出ていましたので図録に掲載されています
この時は側面や背面も見れたのですが腰まわりの量感はさほど強調されていないのが意外でした


明珍恒男氏の修理実績につ... 投稿者:櫟朧 投稿日:2006/08/06(Sun) 01:19 No.583  
jpa41.gif始めまして

私、 先日館山市立博物館に那古寺、千手観音を拝観して参りましたが(鎌倉中期(?)の美しい出来の金銅仏でした)、その折いすみ市の郷土資料館で「いすみ市の 文化財」展を開催しておりましたので、行ってまいりました。そこで、大原町・長福寺の薬師如来坐像が出展されておりましたが、その造像法が右肩にて割矧ぐ という変則的な方法をとっていることが分かりましたが、それ以上のことが分かりませんでしたのでお寺にお伺したところ、25年位前に明珍さんに修理してい ただいたというこしが分かりませんでした。そこで、明珍さんの修理の記録について書かれた本か、この仏の修理報告書がないでしょうか。(お寺でも、県の教 育委員会でも修理報告書が書かれたか否かも不明でした)よろしくお願いします。


Re: 明珍恒男氏の修理実績... 管理人 - 2006/08/06(Sun) 19:09 No.584   HomePage

admin.gif 25 年前とすると、明珍恒男氏ではなく、多分明珍昭二氏ですね。明珍昭二氏は明古堂という仏像修理工房を開いておられます。修理報告書は作成していると思いま すが、美術院等の国の仕事ではないので、一般的には報告書は修理依頼元である寺か県、町などに提出され、出版等はされていないと思います。

 確かに、通例では両肩は別木を矧ぎつけることが多いですが、古様の像では一木から彫り出し、細かいところを仕上げるために割矧ぐという例もあると思います。


金戒光明寺・文殊菩薩騎獅... 投稿者:管理人 投稿日:2006/07/08(Sat) 20:03 No.336   HomePage
admin.gif 神戸に寄ったついでに、京博に行って来ました。
 特別展はなく平常展だけでしたが、修理が終わった金戒光明寺・文殊菩薩騎獅像が展示されていました。修理の際、X線撮影により頭部に仏舎利を納めたと見られる金属容器が発見された像です。
 解説には、同様の胎内納入品を持ち、正安四年(1302)に制作された西大寺の文殊菩薩騎獅像に先行するとありました。
 確かに服制や体躯の張りなど西大寺像によく似ていますが、面相の優しさや、顔を前に倒す表情などはもっと降るようにも見えました。
 康俊・康成が元亨四年(1324)に制作した般若寺・文殊菩薩像なども太造りのどちらかというと豊満な体躯を持っていますが、西大寺像と同様に顔は正面を見据えています。金戒光明寺像は側面から見ると頭部だけ前に倒したような違和感がありました。
 頭部は健全だったため今回の修理では、納入物は取り出していませんが、容器の中には文書類も納入されているはずですので、いつに日にか、造立経緯がわかることになるのでしょう。

 また、平安から鎌倉にかけての地蔵菩薩像の中に興味を惹く像が何体かありました。
 奈良博でも8月から平常展の内容を一新するそうですし、平常展も時々行かないとだめですね。


Re: 金戒光明寺・文殊菩薩... 加藤春秋 - 2006/07/09(Sun) 14:02 No.337  

jpa0.gif30数年前、友人3人と京都に遊ぶことがありました。一日中京都を歩きまわり、夕方、?谷(金戒光明寺)の三重塔にたどりつきました。中を覗いてみると、眷属一躰が欠けてはいましたが、獅子にのった渡海文殊4躰がありました。
懐 中電灯を当ててみると、近世の極彩色におおわれてはいても、何か古そうな印象でした。塔の裏側に廻ってみると、後ろの扉が開きました。我々は、わくわくし ながら、中に入りました。そこには、すぐ目の前に文殊菩薩が獅子にのっていました。もうあたりはすっかり暗くなっていましたので、懐中電灯だけがたよりで した。私の印象では、鎌倉時代までいくという感じでした。しかし、近世の極彩色や、三重塔の創建が江戸時代ということを考えると、その場では、これは古い という確信はもてませんでした。
その後、いっしょにいた2人がこの文殊について、文献などを調べましたが、結局その来歴がわかりませんでした。
一昨年、京博の平常展をたまたま見ていると、その眷属の一躰が展示されていました。
説明書を見ると、順次一躰ずつ修理をしているとのことでした。今回の修理は、文殊菩薩だったのでしょう。はやくすべてそろった状態で、修理後の近世の彩色を落とした渡海文殊を拝観してみたいものです。
伝承では、旧岡崎村の宝幢寺旧蔵(「京都市の文化財」第21集による)となっていますが、その辺の詳細は、納入品がとりだされればわかるかもしれませんが、その前にもっと調べればわかるかもしれませんね。
お寺にだまって、三重塔に侵入したのは、もう時効ということでご勘弁してください。


Re: 金戒光明寺・文殊菩薩... 管理人 - 2006/07/09(Sun) 21:40 No.339   HomePage

admin.gif 京博のホームページに写真が掲載されていますが、衣の部分には、当初と思われる精緻な文様が残されていました。
 しかし、この像を30年も前にご覧になっているとは!
 ご専門ですから当然というべきか無謀というべきか。

 加藤さんの学生時代の探訪記を「仏像の旅 若気の至り編」として纏めれば人気沸騰間違いなしか?


福沢諭吉(再)と斎藤緑雨... 投稿者:kobayashi-otsu 投稿日:2006/06/16(Fri) 21:32 No.247   HomePage
jpa0.gif福沢諭吉(再)と斎藤緑雨の生年月日につきまして

本サイトの「文化財人名事典」の「は行」
http://www.bunkaken.net/index.files/arakaruto/jinmei/ha.html
において、
福沢諭吉(生年月日)1834(天保 5.12.12)となっていますが、西暦が誤りで、正しくは「1835」です。(即ち、西暦1835年1月10日生です。)

また、「さ行」
http://www.bunkaken.net/index.files/arakaruto/jinmei/sa.html
において、
斎藤緑雨(生年月日)1867(慶応 3.12.31)となっていますが、西暦が誤りで、正しくは「1868年」です。(即ち、西暦1868年1月24日生です)。なお、慶応3年12月は「30日」が末日で、31も誤りです。即ち慶応 3.12.30生です。

いずれも西暦の暦年が従来からの便宜上の慣行表記になっているわけですが、和暦(旧暦)の日付(年月日)が判っている場合は、正しい西暦の記載が望ましいと思います。

和暦(旧暦)と西暦の相互変換には、
暦変換WEBツール【換暦】http://maechan.net/kanreki/
が優れて良いと思います。

和暦(旧暦)の西暦表示については議論のあるところとは存じますが、再度、為念、申し上げます。


Re: 福沢諭吉(再)と斎藤... 管理人 - 2006/06/17(Sat) 10:07 No.250   HomePage

admin.gif 何度もチェックして頂き恐縮です。
 正直、重要性を余り実感していないこともあって、和暦側に月日を移しただけになっておりました。
 次回訂正致しますが、他にも間違いがあればご指摘頂ければ幸いです。

 いっそ、月日を省略した方が良いかとも思っていますが、その場合同じ和暦で西暦が異なる場合があるのも変だし、月日が判らない場合や月日に二通りの説がある場合などの取扱いにも困りますね。
 個人的には、「便宜上の表記」があっても然るべきかと思っています。
 


(追補)岡倉天心の生年月... kobayashi-otsu - 2006/06/17(Sat) 18:46 No.254   HomePage

jpa0.gif(追補)岡倉天心の生年月日の「和暦/西暦」表記につきまして

ご回答戴き、恐縮です。

お説のように、旧暦の年号や年月が判っていても日付(日)が判らない場合、旧暦12月頃の西暦の表記が難しいことから、便宜上、和暦の年号と西暦の暦年との対応表に基づく西暦の表記が慣行として行われてきたのだと思われます。
しかし、暦変換ツール【換暦】http://maechan.net/kanreki/
がWEB公開され、旧暦年月日の正しい西暦変換が極めて容易となった今日では、やはり、和暦(旧暦)に西暦を併記する場合は、歴史上の事件の日付や人物の誕生日などで旧暦の年月日が判っている事例は、可及的、正しい西暦を表記するのが望ましいと思われます。

ついては、断片的で恐縮ですが、もう1件、「岡倉天心」の項について追補させて戴きます。

文化財人名事典」の「あ行」
http://www.bunkaken.net/index.files/arakaruto/jinmei/a.html
において、
岡倉天心(生年月日)1862(文久 2.12.26)となっていますが、西暦が誤りで、正しくは「1863」です。(即ち、西暦1863年2月14日生です。)

不躾、ご寛容下さいますよう、お願い致します。

なお、福澤諭吉の誕生日の記載例として、
http://www.city-nakatsu.jp/kyouiku/fukuzawa/yukichi.html
http://www.kgc.keio.ac.jp/yukichi.html
があります。
やはり、当事者側の立場となれば、慣行とはいえ正しくない西暦の記載は避けたいのであろうと思われます。