訪れ帖 神奈川仏教文化研
運慶作大日如来坐像 投稿者:管理人 投稿日:2008/02/11(Mon) 14:20 No.1318 ![]()
2004年に発見され、東京国立博物館でも展示された、運慶作と見られる個人蔵の大日如来坐像が米ニューヨークで開かれるクリスティーズ社の競売に出品されるそうです。
落札予定価格は約1億6000万〜2億円で、文化庁が事前に買い取りを検討したが、契約成立に至らなかったそうです。
東京国立博物館でエックス線撮影し調査した結果としてお墨付きを得たにもかかわらず、値段が合わないからと海外に売り飛ばすというのもどうかと思いますが・・・。
明治初年の排仏毀釈の最中なら兎も角、残念ですね。
(関連記事)http://www.bunkaken.net/index.files/topics/toku2004.html#02
吉祥天女社の秘仏が 投稿者:のびあがり 投稿日:2008/02/09(Sat) 00:37 No.1315
今年の10月12/13日に公開されると京都新聞に載っていました
55年ぶりらしいです 1953年撮影の写真もありましたが かなり摩滅した10世紀ごろの一木造の吉祥天のようです
社は京都市南区吉祥院の吉祥天満宮の境内にあります
Re: 吉祥天女社の秘仏が 管理人 - 2008/02/09(Sat) 11:15 No.1316 ![]()
茫洋とした写真で何とも判断がつきませんが、一木の古像が無指定で眠っているところは、さすが京都!と言うべきでしょうか。
西国三十三観音もいよいよですが、今年は秘仏の当たり年になるか。
Web 投稿者:AntZ 投稿日:2008/02/08(Fri) 18:14 No.1314 ![]()
セキュリティに関してはケイ・オプティコムに問い合わせするのがいいと思います。
琵琶湖文化館 投稿者:のびあがり 投稿日:2008/01/05(Sat) 10:31 No.1310
あけましておめでとうございます
新年から残念な話ですが 琵琶湖文化館が3月いっぱいで休館になることがほぼ確実になりました
゛湖西の社寺゛展とかあまり知られていなかった仏像にスポツトあてた特別展も多かったし 惜しまれてなりません
湖に浮かぶお城のような個性ある博物館で 学生のころ友人たちと廊下歩いてると゛サナトリウムみたいな雰囲気だ゛と笑いあったり 5階展望室からの琵琶湖の眺め等等 想い出は尽きません
感傷にひたりに 最後の訪問に行こうと思っています
Re: 琵琶湖文化館 管理人 - 2008/01/05(Sat) 22:42 No.1311 ![]()
のびあがりさん、読者の皆さん、本年も宜しくお願い致します。
琵琶湖文化館の閉館(休館?)の件は私もびっくりしました。
多くの寄託されている仏教美術品を有し、何時行っても近江の仏像に会うことが出来る貴重な博物館でした。
滋賀県には多くの資料館が出来てきており、確かに独自性を打ち出して運営し集客するのは大変かも知れませんが、県立の博物館は多くはないのだし第一あれだけの寄託品をどうするのでしょう。
財政削減のためには、箱物を減らし人件費を減らすのが簡単なのでしょうが、最近は文化財の盗難が相次ぎ、仏像を博物館に預けたいという希望も増えているというのに、文化財行政の逆行のように思えてなりません。
2月の県議会で最終結論が出るということですが、良い解決方法が出るように期待したいですね。
はじめまして 投稿者:杉本 投稿日:2007/12/04(Tue) 01:36 No.1308
はじめて書き込みをさせていただきます。
当方、高麗仏画が大好きで、特に米沢の上杉神社の阿弥陀三尊像が一番好きでした。
本日、何気なくこの仏画を検索しておりましたところ、1987年に盗難にあっているという記事に出くわしました。
そこでさらに、検索を広げまして、貴HPの盗難文化財の項を拝見することになりました。
山形県警のHPをみても、県のHPを見ても、上杉神社の仏画のことはなにも書いてありません。
本当に、あの美しい仏画が今は行方不明なのでしょうか?
もし本当なら、悲しいと同時に、県のHPなどになんの掲示もないのが悔しくてなりません。
今の世の中、公共のHPで、盗難文化財の手配書のようなHPがあって良いようにおもいます。
文化財が盗難にあっていることをきちんと広報し、盗難防止のためにも、徹底的に追いかけるぞという姿勢を見せるべきでしょう!
そうした意味において、貴HPのこの「盗難文化財」の項は、大変意義のある活動であると思います。
なにとぞ今後ともこの活動を続けられるようお願い申し上げます。
Re: はじめまして 管理人 - 2007/12/04(Tue) 23:44 No.1309 ![]()
書き込み有難うございます。
このところ、文化財の盗難が後を絶ちませんが、新聞やテレビなどで取り上げられるに従って、発見される例も増えてきています。
私どものサイト情報も新聞、テレビ等で取り上げて頂きましたが、少しでも文化財に興味を持ち、文化財の重要性の認識する人が増えて、結果として盗難などという事態が減ればこれに越したことはありません。
盗難の状況はあるいは山形新聞などが報じていたのかも知れませんが、山形新聞が情報提供している、G-searchというデータベースなどでも、1999年頃からの記事しかありませんので、1987年の情報は今となっては簡単には得られないかも知れません。
また、海外に流出するケースも多く見られますので、そうなると所在を突き止めるのはちょっと難しいかも知れませんね。
岩手仏像の旅 投稿者:管理人 投稿日:2007/11/05(Mon) 12:41 No.1307
松本市美術館は所要で行けず終いでしたが、行った人の話はほとんど加藤さんと同じ印象を持ったようで、仏像という観点から期待していった人には戸惑いがあったようです。
所詮、仏像というジャンルは狭いわけですから、他とのコラボレーションを含めて、多角的な見方を検討する時期にきているのかも知れません。
さて、先週末岩手の仏像を拝観してきました。
私個人的には、40年振りの訪問で、多感な青春時代に受けた深い感動が色あせてしまわないか心配だったのですが、1000年以上変わらずに佇む仏たちにとっては、40年なんぞ、まばたきした位の時間なのでしょう、悠然と迎えてくれました。
すっかり紅葉して秋めいた岩手の風景と、昔苦労して訪ねた道が高速道路であっという間につながっている便利さにすっかり感動して帰ってきました。
でも、天台寺の十一面観音立像などが、寂聴展で全国を回っている最中というのは知らなかったなぁ〜。
松本にて 投稿者:加藤春秋 投稿日:2007/10/08(Mon) 10:36 No.1305
昨日、松本市美術館で開催されている「松本平の神仏 百柱をたてる」展に行ってきました。
仏像と日本画のコラボレーションといったものが最近のトレンドかもしれませんが、美術館開催の仏像展のひとつの方向性を示したのかもしれません。
しかし、展示がいままでの仏像の展示方法とは全く違うやり方に違和感を覚えました。
千住博氏の絵画が仏像の後方にたてられているのは、単なる背景にしか見えません。説明板も、絵と仏像の全体を見るという観点から、とんでもない離れた場所に貼ってあり、この説明板が、どの仏像にあたるのか、すぐに判明しないなどです。
カタログによると、館長の米倉守氏の強い企画によって、今回の展覧会になったようですが、仏像を純粋に美術作品としてしか見てないとしたら、ちょっと違うのではないか、と思いました。
いずれにしても、従来の仏像の展覧会とは、別の方向性を示した意味で、いい悪いは別として、見るに値する展覧会かもしれません。
今回、松本にこだわったのは、40年前、松本で食べたあのラーメンが食べたかったのも、もうひとつの目的でした。
それは、「フォルクスラーメン」
今は、お城のそばに場所が変わりましたが、松本ラーメン(フォルクスラーメン)として、続いていました。40年前と少しも変わらない味でした。
どんな味? それは現地へ行ってまずは、食してください。
Re: 松本にて 管理人 - 2007/10/09(Tue) 23:16 No.1306 ![]()
松本市美術館には、今週末行く予定にしていますが、成る程、そんな内容なのですか。
ある仏像の写真展で、バックの黒い部分に反射する自分の姿が仏像と一体となるところが素晴らしい、と表現している人がいましたが、仏像を即物的にしか見ない私には、そんなことに感激していないで、仏像をもっと良く見てみろ、と言いたい気分でした。
人それぞれのアプローチですから、切っ掛けは何にしろ、仏像に興味を持ってもらうことも必要なのかもしれません。
それにしても、日本人はラーメンが好きですね。雑誌なども企画が無くなるとラーメン特集を組むとか。
私のお気に入りはやっぱり、投資対効果で幸楽宛の290円中華そば!
新着情報 投稿者:悪僧 投稿日:2007/09/16(Sun) 09:59 No.1299
管理人様,お久し振りです。新しくとどいた情報をお伝えします。
和歌山県田辺市本宮町にある湯峯温泉の東光寺で既に知られていた室町時代の不動明王像から制作年(寛正4年(1463))と制作者(東寺大仏師康永)をあらわす墨書が県立博物館学芸員の大河内氏らによって発見されました。
以前に調査したことがありますが,三尊形式の力感溢れる不動明王像でした。
東寺大仏師康永は,大仏師康俊・康成らの子孫ですかね。
Re: 新着情報 管理人 - 2007/09/16(Sun) 12:56 No.1300 ![]()
寛正2年(1461)に京都・東福寺山門楼上観音像、文明6年(1474)に愛媛・雲門寺釈迦三尊像を造った康永と思われますが、康永は七条中仏所の仏師 で、東寺の講堂諸像を修理した東寺大仏師康湛の孫とも伝えられており、「最近の常識」でいえば、大仏師康俊・康成らの子孫ではないことになります。
今後このような新たな資料が見つかっていくことでしょうね。
Re: 新着情報 通行人 - 2007/09/18(Tue) 08:43 No.1304
東光寺の不動明王像は、来月から始まる和歌山県立博物館の特別展で展示される様ですね。康永は文明5年(1473)に福岡・普光寺仁王像も造っています。
東 寺大仏師に就いては、根立研介氏の『日本中世の仏師と社会』(塙書房)と言う研究書で随分研究が進んだ様です。その一端は入手し易い同氏『室町時代の彫 刻』(至文堂・日本の美術494)でも見る事ができます。嘗ては後世に編纂された仏師系図でしか分からなかった仏師の系統が実際の遺品や同時代の文献史料 で確かめられ、訂正されつつあると言うのが現状なのでしょう。
華厳寺本尊 投稿者:管理人 投稿日:2007/09/16(Sun) 23:10 No.1302 ![]()
細かく見ておられますね。恐れ入りました。
記事は、満願堂の本尊と混乱して書いていましたので像高・制作年代を記載したのは間違いです。訂正させて頂きます。
華厳寺の本尊については、江戸時代に書かれた『美濃明細記』に長7尺5寸とありますので、これが今の本尊とすると、やはり2mを超える像であると思われます。
確かにどのような形で開帳されるのか期待一杯ですが、余り期待し過ぎても、と平常心で望もうとたかぶりを押さえています。
Re: 華厳寺本尊 のびあがり - 2007/09/17(Mon) 23:59 No.1303
そうか、華厳寺本尊ももうすぐ神秘のベールを脱ぐ時が来るんですよね。調査の手が入っていない秘仏、それも8世紀末の可能性があると聞いては・・・以前このコーナーの流行語だった「見ずに死ねるか!」です。
今年の岐阜旅行記も楽しく拝読させていただいてます。
円鏡寺は事前連絡で「観音は30年に一度、不動は毎月21日のみ。」と言われ、本堂にあがらず仁王だけ拝観して帰りました。不動はいつでも拝めるみたいで、惜しいことをしました。
無題 投稿者:管理人 投稿日:2007/09/04(Tue) 21:43 No.1292 ![]()
昨年に引き続き、岐阜の仏像の旅に行ってきました。
まだまだ暑い盛りでしたが、その前の週に日本最高気温40.9℃を記録した、多治見市にも、美濃焼を見に立ち寄りました。
多治見からすぐの、岐阜県との県境の町、愛知県下半田川町の平安仏も拝観出来、中々バラエティーに富んだ旅行でした。
旅行の反省もそこそこに、来年は何処になどと話が出ています。
Re: 無題 のびあがり - 2007/09/13(Thu) 00:19 No.1295
ごぶさたしております
下半田川町の平安仏とはどこのお寺のことですか
さしつかえなければお教えください 尊名や感想なども聞きたいです
Re: 無題 管理人 - 2007/09/13(Thu) 01:22 No.1296 ![]()
瀬戸市下半田川町の下半田川文化財保存会で管理されている、阿弥陀如来立像と十一面観音立像です。
共に愛らしい素朴な像ですが、写真などで拝見するよりは随分量感があり、古様を残した優作です。
愛知県の中ではちょっと離れているため、行くのに躊躇していたのですが、今回最後に訪れた永保寺や市之倉からは拍子抜けするほど近く、長年の思いがいとも簡単に叶いました。
道中記を連載しますのでお楽しみに。
Re: 無題 のびあがり - 2007/09/14(Fri) 00:59 No.1297
ありがとうございます。写真をさがして確認してみたいと思います。
つ いでにもうひとつ、(コロンボ刑事みたいですみません)京田辺の9世紀かと思われる像というのは両讃寺薬師のことですか?秘仏らしいですが、拝観されたの ですか?もし見られたのなら、印象お聞かせください。私は写真からだともっと下った頃の復古像かなと思ったので。表情が俗っぽい印象ですが、実見してない もので。
Re: 無題 管理人 - 2007/09/14(Fri) 22:51 No.1298 ![]()
実際に拝観したのは光照寺の諸像です。
9世紀かと思われる像というのは、仰る通り両讃寺の薬師ですが、ケンモホロロに断られました。
確かに写真では、「?」という部分もありますが、伊東史朗と一緒に調査された市の方に伺うと、伊東さんも驚くほど古様な像だったということでした。いずれにしろ一目で魅力を感じる像ですね。
Re: 無題 のびあがり - 2007/09/16(Sun) 15:37 No.1301
ケンモホロロでしたか(笑)。今までも「秘仏開帳」と聞いて
遠 路はるばる来てみれば、愛知高田寺薬師のように頭部が厨子の幕で隠れていたり、岐阜横蔵寺薬師のように真っ暗でシルエットのみだったり・・・。来年の紀三 井寺はせめて昨年の湖東三山のような開帳でありますようにと願うばかりです。「秘が仏」制度が無ければ仏教彫刻史の研究ももっと進むんでしょう。多田寺の 薬師が奈良博で見れたように、信仰と文化財が両立する21世紀であって欲しいです。
岐阜つながりで、以前からお聞きしたかったことを「最後にもうひとつだけ」
岐阜華厳寺満願堂十一面は1987年大阪市美の「西国33所」展に
出展され、学芸員の坂井卓氏が『仏教芸術』175号に論文を発表され、「本尊」については「全くの秘仏で像容不明」と書かれています。
管 理人様は岐阜旅行2日めの華厳寺の説明の中で、「本尊は平安後期で満願堂の像(十一面)と同サイズ」と述べられていますが、近年本尊の調査があって、サイ ズや像容・制作年代等が判明したのでしょうか?華厳寺本尊の写真の載っている本などご存知でしたらあわせてお教えいただけませんか。
京都五山 投稿者:通行人 投稿日:2007/09/08(Sat) 01:38 No.1293
東京国立博物館で開催中の京都五山の展覧会が今度の日曜で終わってしまいます。今日の夜間開館日に行って参りました。
先日私が話題にした七条仏師康俊に関係の有る仏像が出て居り大変興味深く思った次第です。七条仏師康俊は当時の禅宗と随分深く関わった様であります。
Re: 京都五山 管理人 - 2007/09/08(Sat) 23:47 No.1294 ![]()
岐阜の旅行で、多治見市の永保寺にも寄ってきました。
国宝・観音堂の本尊聖観音菩薩坐像は、東博の禅宗展に出品のため不在でしたが、絵画的な美しい像のようですね。
観音堂や開山堂は檜皮葺の屋根と精緻な扉の格子を持った、まさに絵になる建物で、その本尊として相応しい像のように思えました。
南北朝から室町にかけては、特に臨済宗を中心とした禅宗が政権との関わりを持ち、頂相文化とでもいうべき多くの祖師像が造られました。政権との関わりが最 重要であった仏師たち、特に、大仏師職を熱望していた七条仏師にとっては、頂相彫刻の造像が必要不可欠であったのでしょうか。
康俊 投稿者:管理人 投稿日:2007/08/06(Mon) 21:47 No.1288 ![]()
大阪のお寺の話は最近の事例ですか。
円教寺の如意輪観音菩薩半跏像の銘文に「運慶五代孫、東寺大仏師」などとあるのもそれに関係するのでしょうか。
このところ出ている、康成など鎌倉から室町にかけての仏師の論文などをもう一度読んで見ます。
ところで、この土日に奈良に行って来ましたが、本当にうだるような暑さでした。
奈良博に寄って、「仏さまの彩り」という、親子ギャラリーを見てきましたが、立派な図録がなんと200円でした。何でも、図録に広告を入れたためにこの値段になったのだとか。
独立法人化の成果なのでしょうが、このような企画は大賛成ですね。
Re: 康俊 通行人 - 2007/08/12(Sun) 10:36 No.1289
拝見するのが遅れました。
東 大阪市の千手寺と言うお寺です。本尊千手観音像から南都興福寺大仏師康成の延文二年(1357)の銘記が見出されたのですが、その中に故法眼康俊と書いて あります。詳しい事は千手寺から『大仏師康俊・康成の研究』という報告書が出て居り、ここに載っている田邊三郎助氏の論考は氏の『田邊三郎助彫刻史論集』 にも採録されていますが、南都の康俊と東寺大仏師康俊が別人だと言う事は、最近の概説書にも、もう書かれている事です。
従って円教寺如意輪観音像の東寺大仏師の銘と南都の康俊の事は全く関係が無いと思います。
Re: 康俊 管理人 - 2007/08/13(Mon) 21:28 No.1290 ![]()
遅まきながら「大仏師康俊・康成の研究」を読んでみました。「日本の美術」「日本仏像史」なども眺めましたが、どの像で線を引くのかは中々難しいなというのが正直な感想です。
田辺氏の論文の中で、運慶五代の孫と称していた康誉の後、康俊が自らも「運慶五代孫」と名乗り、後に「運慶六代孫」と改めたのは譲歩したためか、とあるのは興味深かったですね。
このところ各地で悉皆調査が行われており、今まで余り省みられなかった、南北朝ー室町時代の事例が多く見られるようになるのかも知れません。
先日、京田辺市内の仏像を拝観し、文化財の担当の方のお話をお伺いしましたが、あのような都のお膝元でも調べると9世紀かというような仏像や鎌倉末−室町辺りの優作が見つかるのですから、おして知るべしですね。
Re: 康俊 通行人 - 2007/08/13(Mon) 23:22 No.1291
余りしつこくしてもいけませんからこれ位にして置きますが、最後に一言だけ。
どの像で線を引くかが難しい等と言う事は全く無いと思います。南都大仏師とかそれに類する称号を名に付している康俊とそうで無い康俊とを弁別すれば良いだけの事です。
それに従えば作風の上でも綺麗に区別が付いて非常に分かり易いと言うのが、通行人のそれこそ正直な感想であります。
尚、前信で円教寺如意輪観音と書いたのは誤りでした。円教寺の直ぐ傍ですが、如意輪寺如意輪観音の誤りでした。訂正致します。
康俊 投稿者:通行人 投稿日:2007/08/03(Fri) 01:19 No.1283
「仏像の基本」の「康俊」の項目を拝見しましたが、かなり情報が古いと思います。もう大分前から、鎌倉時代末期の南都大仏師康俊と南北朝時代の七条仏師康俊が別人だと言う事は常識になっている筈です。
Re: 康俊 管理人 - 2007/08/03(Fri) 20:57 No.1284 ![]()
仰るとおりですね。ずいぶん前に書いたまま載せてしまいましたが、運助の子息とすると13世紀の人となり、掲載した康俊とは、1世紀違いますので別人となりますね。
仏師系譜の各仏師の活躍時期の記載も、康俊が2世紀半も活躍したことになっていましたので訂正しなければならないことに気づきました。
併せて訂正させていただきます。
Re: 康俊 通行人 - 2007/08/03(Fri) 22:30 No.1285
度 々失礼致します。運助との親子関係が問題なのでは無くて、(後世の仏師系図の記載が信用出来ない事は明らかです)、挙げて居られる作例の、ボストン美術館 僧形八幡神像迄の作品の作者と、長楽寺一鎮像以下の作品の作者とが、別の仏師だと言う話なのです。康俊と言う仏師は二人居たという事なのです。
Re: 康俊 管理人 - 2007/08/04(Sat) 00:35 No.1286 ![]()
再度のご指摘有難うございます。ご高説拝承させていただきます。
Re: 康俊 通行人 - 2007/08/05(Sun) 21:16 No.1287
大阪のお寺だったと思いますが、康成の作品の銘文に康俊の名前が故人として出て来たのですが、その年代には東寺大仏師の康俊はまだ活躍して居り、それで康俊の父親の南都大仏師康俊と東寺大仏師康俊は別人だと言うことが分かったとの事です。
三渓園内部公開 投稿者:管理人 投稿日:2007/08/02(Thu) 23:56 No.1282 ![]()
三溪園(横浜市中区本牧三之谷)で、臨春閣・白雲邸・鶴翔閣の内部公開及び三重塔の内部特別公開が行われます。
特に三重塔は通常非公開とされており、今回原三溪の命日を含む3日間に限り、 特別公開されます。
臨春閣(重文)・白雲邸(市文)・鶴翔閣(市文)内部公開
8月4日(土)〜8月19日(日)
三重塔(旧燈明寺 重文)の内部特別公開
8月16日(木)〜8月18日(土)
久野健氏死去 投稿者:管理人 投稿日:2007/07/28(Sat) 23:12 No.1281 ![]()
元東京国立文化財研究所情報資料部長の久野健先生が昨日死去されました。
私も学生時代から久野先生の著作に親しんで来ましたし、講演会等でお話をしたり、個人的にも親しく接して頂きました。
このホームページのコーナーにも先生の著作から題名を拝借した「古仏礼賛」というコーナーを設けさせて頂いております。
仏教彫刻史の学者として同世代の町田甲一氏や毛利久氏も故人となってしまい、巨星落つというか、一つの時代が終わったという気がします。
久野先生のご冥福をお祈りすると共に、このホームページを充実して行くことで、少しでも先生のご好意に報いて行きたいと思います。
ライブハウス 投稿者:管理人 投稿日:2007/06/09(Sat) 10:42 No.1280
昨晩フォークのライブハウスに行って来ました。ライブハウスなどと言うと、ウン十年前に「歌声喫茶」(古い!!)に行って以来でした。
45歳過ぎてから人前で歌い始め、50歳を超えてから二枚のCDを出したという、兵庫県の小学校の友達が東京のフォークのライブハウスで歌うから来ないかと言われ、本人とも小学校卒業以来の再会でした。
人前で歌うようになった切っ掛けはやはり阪神大震災で、色々な施設に行って、歌で励まし始め逆に励まされたことだそうです。
実に楽しそうに歌っている友人を見て、何事も人に思いを伝えるのは、伝えたいという一方的な思いだけでなく、自分から楽しんで入り込むことが一番大事なのかなと、あらためて感じました。
ステージの後、彼と話をしましたが、国土地理院などの地図を作成する仕事もしているそうで、その繋がりで、仏像などの三次元データーを地図の等高線のよう に描き起こす仕事もしていたそうで(もっとも今はレーザー測定器やコンピューターグラフィックで人が描くことも少なくなっているそうですが)、 思わぬと ころで繋がるものだなぁ、と感心してしまいました。
感想と書評 投稿者:加藤春秋 投稿日:2007/05/29(Tue) 22:18 No.1278
埃まみれの書棚から 地方佛〜その魅力にふれる本〜 各地の地方佛ガイドあれこれ【番外・探書編】(3/3)
を大変興味深く拝読いたしました。
今回の地方の調査報告書の入手方法は、小生も同様にして入手しております。同じ方法をしている人がいるとは何か共感をおぼえます。
そして、リストの中に、小生の未見の書籍をいくつかみつけましたので、さっそく申し込んでみようとおもいます。
同じ経験をした者として、これについて小生の経験したことを少し補足したいとおもいます。
「調 査報告書」はもともと地方公共団体にとって、活字にすればそれで役目が澄んだ、という意識がありました。そのための非売品であり、素人には売らないという 団体がいまだに存在します。それは、あまりに公開してしまうと盗難の危険を助長しているという批判を受けるのを恐れるといった意識が一部にはあるようで す。
それは、逆で、情報公開をしなければ、結局、盗品が堂々と売られるということになるのですが。
たとえば、ある教育委員会に書籍の在庫 の確認のFAXを送ったところ、在庫があるが、あなたには売れません。という返事でした。ある町の市町村合併前に発行した「調査報告書」の在庫が、発行後 一年もたっていないのにない、との返事でした。どう考えてもおかしくありませんか?
今は、情報公開の原則が地方公共団体にもすこしづつでも浸透してきましたので、いくらか良くはなっていますが、それでも、民間の本屋に発注するのとは違うということを、覚悟しておいた方がいいかもしれません。
そこで、今年発行された「調査報告書」をひとつ
京田辺市教育委員会『京田辺市の仏像』
京田辺市といえば、観音寺の十一面観音立像の解説が載っています。京田辺市教育委員会に問い合わせると送っていただけます。
Re: 感想と書評 管理人 - 2007/05/29(Tue) 23:57 No.1279 ![]()
お役に立てて頂いているようで、有り難く存じます。
ご指摘のようにだんだん減ってきているとはいえ、売り渋りをする所はあるようです。
最後の手段で、関係者の紹介でという手もありますが、本来的には広く公開・頒布されるべきですね。
「京田辺市の仏像」は、特選情報でも紹介させて頂きましたが、内容的にもかなり見応え、読み応えがあります。3000円が高いか安いかは興味の度合い次第ですが・・・。
京都に行ったついでに、駆け足で京博に滑り込み、同聚院発行の「不動明王造立一千年記念誌」を買い求めてきました。井上正の論文が主ですが、なかなか興味深いものでした。
愛宕山の月輪寺参拝 投稿者:管理人 投稿日:2007/05/28(Mon) 12:43 No.1277
土日を利用して京都市周辺の仏像を巡ってきました。
今回は愛宕山の月輪寺がメインイベントでしたが、聞きしに勝る急な山道の1時間におよぶ強行軍は、この老体には相当こたえました。
しかし、84歳になるというおばあさんがお寺を護っておられ、境内には、参拝3000回記念の個人の石碑が・・・。5000回を超えた人も何人かおられるとか。
雪の厳寒期を除いて毎日登ったとしても20年か!!!.。
一回登ったくらいで「もういやだ」と叫んだ自分が情けない。
収蔵庫に収められた仏たちは、平安初期からの中央風の美仏ばかりで、境内から見渡す京都市内の眺望と共に、登る苦労を忘れて堪能していました。
運慶佛 投稿者:櫟瀧 投稿日:2007/05/04(Fri) 09:26 No.1274
先日、金沢文庫へ行ってきました。
いつもの特別展ならこれ程の人は来ないのではないか、やはり
運慶と言うネームバリューは凄いなと再確認しました。
そ して、お目当ての「大威徳明王」ですが、運慶最晩年の作と言うことになるですが、小像とは言え、溌剌として張りのあるお顔は運慶本人の手による作品ではな いか、(お顔を写真で大写しにしてもまったく破綻を感じない素晴らしさ)と思われます。そして、今、春の特別公開中の興福寺北円堂の弥勒佛坐像を拝観し、 比較すると尊像の違いは有るものの、やはり弥勒佛は運慶作とは言い難い気がいたしました。(やはり、運慶は監修であり、源慶、静慶作ではないでしょうか) いかがでしょうか。
Re: 運慶佛 管理人 - 2007/05/04(Fri) 13:57 No.1275 ![]()
確かに北円堂弥勒仏は源慶・静慶の担当ですから、造形的には彼らの制作でしょう。
しかし、同様に源慶らを使って定慶・湛慶が造った南大門吽形像にしても、ほぼ出来上がった像の顔の向きを変えたり、乳首の位置を変えたりしたのは、運慶そ の人の指示だと考えられ、細部にわたって注文をつけているところから見て、北円堂弥勒仏も特に面相に関しては、場合によっては運慶の手が入っていると見て も良いのではないでしょうか。
その辺りが、弟子にすべてを任せた快慶とは違うところだと思います。
その快慶にしても、南大門仁王像に関しては総監督である運慶の意を汲んで自分の様式を殺して造立に当たっていますから、工房というものはそのようにして成り立ってきたのだと思います。
まるで、会社の歯車として滅私奉公で働いている自分を見ているみたい!?
Re: 運慶佛 管理人 - 2007/05/06(Sun) 12:39 No.1276 ![]()
返信したは良いけれどちょっと心配になり、遅まきながら急遽金沢文庫に行ってきました。
櫟瀧さんの言われる通り、写真で拡大しても全く破綻を感じない溌剌としたお顔は運慶を感じさせ、正面観も的確なモデリングが見て取れます。しかし、側面観は全方位的鑑賞性を重視した運慶らしからぬ鈍重な造形のように思われました。
六面六臂の像だからやむを得ないと言われればそれまでですが、何かすっきりしない気分でした。
本像も、運慶に(=運慶工房に)制作を依頼したという文書であって、運慶自ら署名している訳はないので、あるいは北円堂と同様の制作パターンもあったのではないかと想像しました。
円仁展 投稿者:管理人 投稿日:2007/04/30(Mon) 23:50 No.1273 ![]()
円仁展に行って来ました。
やはり円仁の頭部像は存在感がありますね。
この像が円仁尊像であるというのはかつては伝説の領域であったのが、大東急記念文庫の高僧図像の円仁像などと酷似していることが確認されて、伝説が史実として認められたとされています。
確かに、仏像の耳とも肖像の耳ともつかない異常に大きい耳たぶや雰囲気などは図像とよく似ています。
お寺や信者にとっては円仁上人そのものなのでしょうから、今まで公開を頑なに拒否されていたのもよく分かる気がしますが、我々不信心な者にとっても円仁上人の存在や人となりを心に焼き付けるよい機会となったと思います。
仏教美術特集カタログ 投稿者:オークションハウス古裂会 投稿日:2007/04/26(Thu) 09:51 No.1271 ![]()
唐突に書き込む無礼をお許しください。
弊社では、京都にて古美術品のオークション開催しております。5月開催のオークションでは仏教美術の特集をしております。カタログは無料進呈中ですので資料として請求していただけたらと思い書き込みました。
出品作品が盗難物かの情報収集の為に
盗難文化財のページをよく参照させていただいております。
たいへん感謝しております。
古裂会 柿本
Re: 仏教美術特集カタログ 管理人 - 2007/04/26(Thu) 23:27 No.1272 ![]()
かなり高額の商品を取り扱っておられるようで、最後は現物を見てということなのでしょうが、インターネットの利用もここまで来ているのかと感心しました。
信用が第一の商売でしょうから当然なのでしょうが、盗難文化財のニュースが参照されているとのこと。新聞社等からの問い合わせも多々あり、指名手配ではありませんが盗難の抑制になっていれば有難いことですね。
緊急企画! 投稿者:管理人 投稿日:2007/04/25(Wed) 00:22 No.1270 ![]()
栃木県立博物館で開催される特別企画展 「慈覚大師 円仁とその名宝」展を見学する日帰り旅行を行います。
日時:4月29日(日)
8:00東京駅丸の内中央改札口集合
19:00頃東京駅解散
往復とも貸切マイクロバス
博物館見学の後、栃木市内の円仁ゆかりの寺を拝観する予定です。
参加希望者は、メールにてご連絡ください。
詳細、およびメール宛先は、トップページからトピックスー旅行案内にどうぞ。
御礼と紹介 投稿者:加藤春秋 投稿日:2007/04/17(Tue) 22:34 No.1267
ご無沙汰しております。
貴HPの「仏像ホームページの歩き方」にて、『春秋堂文庫』の紹介をしていただき、御礼を申し上げなければと思っていましたところ、「埃まみれの書棚から」にも、また取り上げていただき、大変有りがたく、御礼申し上げます。
先 日、お知らせしましたとおり、3月1日に、「分野別彫刻論文等目録」を新たに掲載いたしました。この目録は、日本語で書かれた彫刻に関する論文を雑誌、単 行本所載ともども、分野別に分類したものです。いままでの目録は『東洋古美術文献目録』『日本美術年鑑』のように、雑誌所載の論文目録のみでしたが、拙目 録は、単行本所載の論文もいっしょに分野別、時系列にならべることによって、研究の進行状況が一目でわかるようにしたものです。
しかしながら、か つて専門の教育を受けてはいても、現在は、在野の身で、その道の業界(学界)に身をおいていませんので、情報が入りにくく、また、他の仕事の片手間の入力 作業ですので、入力ミス、入力もれなど、さまざまな不具合があり、改良の余地があるのですが、いつまでも完成を待っていては、寿命が尽きてしまいますの で、敢えて、未完成をを承知で公開に踏み切りました。
今後は、更新を繰り返して、より正確な目録としていきたいと思います。
そして、次のステップとして、彫刻作品基本史料の作成、つぎには、銘記史料集成へと予定はあるのですが、いつまで寿命がもつのやら、というところです。
管理人様はじめ読者諸氏の、新たな情報、お叱り、ご提案を、この場を借りてお待ちしております。
Re: 御礼と紹介 管理人 - 2007/04/17(Tue) 23:28 No.1269 ![]()
「東洋古美術文献目録」は懐かしいですね。
学生時代は、文献を探す手段はほとんどなく、「東洋古美術文献目録」が唯一でしたが、それもかなり古いものまでしかありませんでした。現在でも東京文化財研究所がホームページで「定期刊行物所載文献目録」を掲載していますが、それも1996年までです。
その意味でも、「分野別彫刻論文等目録」は貴重な情報源です。
しかし本来的には、東京文化財研究所辺りが情報公開の一環として積極的に整備して然るべき内容と思いますが、どうでしょうか。
寿命がいつまでなどと弱気なことを言わず、今後も益々のご活躍を期待しています。
神仏習合 投稿者:管理人 投稿日:2007/04/17(Tue) 23:01 No.1268 ![]()
京都国立博物館で開催されている「神仏習合」を見てきました。
展示品は、神仏習合を正面から捉え過ぎて、あれもこれもと入れざるを得なかったようで、逆に焦点が少々ボケた展示であったような気がしました。
しかし、初公開という広島三原市の御調(みつき)八幡宮の二体の神像、特に古様な像の方の圧倒的な存在感には感心しました。
また、お寺では何度も拝観していますが、福井多田寺の薬師如来立像の破状のない衣文の美しさを堪能出来たのも博物館ならではでした。
最近年のせいか、展覧会の鑑賞でだらだらと歩くのも結構足腰に来るようになってきましたが、新たな感激や発見があるとやはり止められませんね。
称名寺 投稿者:櫟瀧 投稿日:2007/03/26(Mon) 00:12 No.1265
久々に訪れました。
称名寺とは不思議なお寺ですね。三年程前には乾漆佛が発見され、今度は運慶佛が出てくるとは、びっくりです。
只、 金沢文庫のホームページの速報を読むと運慶晩年の作と言う事ですが、興福寺北円堂の諸像は運慶監修であり、運慶自らが彫った像ではない、と言うことを考え ると、素直に受け入れ難いのですが如何でしょうか(と言っても、まだ一般に公開されていないので、金沢文庫H.Pの写真での判断になると思いますが)
Re: 称名寺 管理人 - 2007/03/26(Mon) 01:39 No.1266 ![]()
今回発見された像は建保4年(1216)の造立ということですが、運慶は晩年は将軍源実朝の持仏堂の本尊釈迦如来像や北条義時が発願した大倉新御堂の本尊薬師如来像(共に建保六年−1218)など、幕府関係の造仏を盛んに行なっています。
また、五大尊像についても、 実朝追福のため北条政子が営んだ勝長寿院五仏堂の五大尊像(承久元年−1219)や鶴岡八幡宮の護摩堂の五大尊像を造立しています。
称名寺は、鎌倉時代を実質的に支配していた北条氏の菩提寺ですので、あらためて考えてみれば、称名寺に運慶作の仏像があっても不思議はないように思います。あるいは今は無きこれらの像一部が密かに伝えられたのかも知れません。
しかし、興福寺の仏頭といい、先年発見された個人蔵の大日といい、ここに来て良くも新発見が続くものだと感心しますね。
五大明王など、複数体の像の場合は、北円堂と同じように弟子が分担して担当したと思いますが、運慶の性格から見ても、面相や全体の体躯の基本などはかなり細かく指示したか、本像のような小像の場合には自ら鑿を振るうこともあったのではないでしょうか。
井上芳明写真展 *深淵を覗く* 投稿者:管理人 投稿日:2007/03/20(Tue) 00:04 No.1264 ![]()
日本の地方仏や、アジアの仏像を撮影されている井上芳明さんの写真展 「深淵を覗く」に行って来ました。
地方仏を網羅的に並べた前回の写真展とは違って、写真として気に入ったものを展示したと言われるように、個性的な写真が並べられていました。
井上さんの写真は、土門拳でも入江泰吉でもない、独特のアングルとライティングが魅力です。井上さんの写真を通じて、多くの方に仏教美術の貴重さを知ってもらいたいですね。
3月25日まで西武池袋線大泉学園駅の「ギャラリーみその」で
房総発見伝 投稿者:管理人 投稿日:2007/03/12(Mon) 00:47 No.1263 ![]()
ちばディスティネーションキャンペーン「房総発見伝」のイベントとして公開されている、龍角寺・薬師如来坐像と観福寺・懸仏を拝観してきました。
観福寺の懸仏は初めて拝見しましたが、金銅仏としてみても充分見応えのある精緻で美しい像でした。
収蔵庫には、当地佐原出身の伊能忠敬の描いた日本地図の実物も展示してありますが、その精密さには驚きました。昔の人の根気には恐れ入りますね。
房総発見伝では、各種のミニツアーや体験学習なども行われており、肩肘張らないイベントで好感を持ちました。
おらが村さの世界遺産にお金や勢力を注ぐだけでなく、広く息の長い活動を行っていくことが文化を伝えていくには必要ではないかと感じます。
観察する視点 投稿者:管理人 投稿日:2007/02/06(Tue) 00:06 No.1141 ![]()
「観察する視点」と改めて聞かれると、考えてしまいますね。
私もよく、仏像の何を見るんですかとか、見方がわからないとか、聞かれることがあります。確かに、論文などでは、「法量」「形状」「材質・構造」「特徴」などというように、仏像の解析方法が書かれていますが、それは手段に過ぎません。
絵画や現代彫刻、またスポーツなどを見るのも同じで、自分か気に入ったものや見て面白いものであれば興味が湧き、それぞれの歴史的背景や、ルールなどを知ればまたそれだけ見方が増えて楽しいということで、それが全てではないかと思います。
龍華寺 投稿者:管理人 投稿日:2007/01/22(Mon) 13:00 No.1028 ![]()
龍華寺は人肌の温もりを感じる観音様ですね。もう30年以上も前になりますが、文裁寺と併せてまわりました。文裁寺の無骨な観音との対比が楽しかったですね。
プロとはいえ、「観仏三昧」の微に入り細に入る情報には頭が下がります。
各地で学芸員が個人でサイトを立ち上げられるケースも増えていますが、専門家の方が一般にも門戸を開いて頂けるのは有難く、文化財への関心を広げるという意味では非常に意義のあることだと思います。
ところで気になる記事とは何でしょう。
捜索中 龍華耕三 - 2007/01/29(Mon) 20:25 No.1088
遅 くなりましたが、この前の土曜日に耕三寺に気になっていたことを確かめに行ってきました。気になる記事というのは、耕三寺博物館の目玉の1つであり、かつ て興福寺北円堂に安置され、鎌倉復興時の運慶工房作とされている?いた?重要文化財の持国天立像が、寺を離れたという「観佛三昧」平成18年12月の記事 です。
結果をいうと、やはり、現在耕三寺博物館には展示されていませんでした。受付の女性の話では、昨年寺を離れ興福寺に返還されたとの こと。今後、耕三寺でお目にかかることはないようです。「久しぶりに奈良にお戻りになって、四天王4体が勢揃いしました。」と話されていました。
興 福寺に返還されたのであれば、広島県の重要文化財が1つ減ったのは残念ですが、興福寺伝来の四天王像が、奈良に一同に会したわけで、比較研究が進むし、展 示(安置)するという面でも魅力的なことで一安心しながらも、現在奈良博平常展で開催中の特集展示「興福寺伝来の四天王像」に持国天が展示されていないの はなぜ?という新たな疑惑が生まれてしまって。。。もしや、「観佛三昧」の記事どおり奈良以外のところに養子に行ってしまったのでは。。。もう少し、捜索 してみるつもりです。どなたか情報お持ちではないですか?
興福寺四天王像 管理人 - 2007/01/30(Tue) 18:03 No.1089 ![]()
持国天像は、現在MIHO MUSIUMの所蔵となっていると思います(観仏三昧さんの記事にもそう書いてあったと思います)。
広目天、増長天、多聞天の三体は、奈良博、興福寺に分かれて所蔵されていますが、奈良博では昨年8月に常設展の模様替えが行われており、常設展でもこの三体を並べて展示していました。
この四天王像は、興福寺北円堂の旧像ともいわれていますが、南円堂の四天王像がそうだという説もあり、決着を見ていません。
その意味でも、一度四体揃った所を見たいものですね。
MIHOの持国天 のびあがり - 2007/02/04(Sun) 12:27 No.1126
お久しぶりです。岡山余慶寺展の最終日にすべりこみで行こうか悩んだ末、「以前に見てるし」という理由でやめました。
東博「一木展」もおなじみの像の前は素通りでした。龍華様、一体を3時間半かけて見ると、次に同じ像が展示されていても「もういいか」といった気になりませんか?
MIHOで2005年3月に開催された「聖なるものの造形」に持国天が「興福寺伝来 益田鈍翁旧蔵」のキャプションで展示してあり、私の第一印象は「耕三寺のに似てるなあ」でした。
た またま幼稚園児たちの集団に説明してる学芸員がいて、「ついこないだこの館に来たばかりのお像」と言ってたので、質問すると「耕三寺から手放したいとのオ ファーがあり、今年うちの所有になった。鈍翁は耕三寺の前の所有者だが有名なコレクターなので名を記した。」とのことでした。
図録は作られてなく、出品目録もありませんでした。
やはり・・・ 龍華耕三 - 2007/02/05(Mon) 20:55 No.1140
管理人さん、のびあがりさん詳細な情報ありがとうございました。
やはり、「観佛三昧」の記事は正しかったのですね。信じたくなかったのですが。。。様々な事情があってのことで、なんら問題はないのですが、やはりお寺を離れると流転の旅をしてしまうのかと、広島でお逢いできる仏像が一体減ったこととあわせて、少し寂しい気持ちです。
(それにしても、どんな事情だったのだろう??知りたいような知りたくないような。)
>体を3時間半かけて見ると、次に同じ像が展示されていても「もういいか」といった気になりませんか?
た ぶん、皆さんのように観察する視点を確立することができれば、1度見れば像全体を把握し、映像として、メモ書きとして記録と記憶を十分蓄積できるのかと思 います。けど、私はまだそのレベルではなく、思いつきで眺めているだけで、気付いたことはメモしていますが、脈絡も無くて・・・何時間でも、何回見ても足 りないのが現状です。今回も、もう一度訪れようと思ったくらいですから(さすがに、岡山までは遠くて断念しましたが)。早く、1度の見学の機会にすべての 疑問をぶつけられるくらいの知識と観察眼を身につけたいものです。またの機会に、コツをお教えください。
三渓園の建造物内部公開 投稿者:管理人 投稿日:2007/01/28(Sun) 09:15 No.1087 ![]()
横浜三渓園で、重要文化財建造物10棟の内部が20年ぶりに公開されます。
来週かと勘違いし、月曜日に更新の際お知らせしようと想っていましたが、今日、日曜日までということです。
三渓園には今まで何度か行きましたが、建物は外から覗くだけでした。
著名なものを移築しただけでなく、実際に使われていたのですから、一度は中に入って見たいものですね。
天台声明 投稿者:管理人 投稿日:2007/01/14(Sun) 01:44 No.946 ![]()
岡山県立博物館で行われている、「上寺山余慶寺と豊原北島神社」展に行って来ました。
余慶寺本尊薬師如来坐像の太々しい迄の存在感にはあらためて感心しました。
丁度、本尊の前で天台声明公演が行われましたので、聞いてきました。
いつもは仏像のみを即物的にしか見ていないのに、声明を聞いていると、キリスト教やイスラム教など、どの宗教にしても一種の宗教的陶酔の手段として宗教音楽というものが生まれ、それが祈りの表現として信仰の一部となっていったのかなどと考えてしまいました。
念願の対面 龍華耕三 - 2007/01/21(Sun) 00:27 No.1021
私 も2日目の1月6日に岡山県博の「上寺山餘慶寺と豊原北島神社」展に行って来ました。餘慶寺の薬師如来坐像は、長年お逢いしたかった仏さまで、ついつい三 尊の前で3時間半長居してしまいました。管理人さん同様、太々しい迄の存在感に圧倒されました。と同時に、思ったより側面が薄くて、全体的に各部位が調和 がとれてないような印象を持ちました。その泥臭さに引き込まれてしまったのですが・・・とにかく、200円でこの薬師像にお逢いできるのはお得でした!! あと、個人的には、恵亮院の毘沙門天立像の背面が見えるライティングが欲しかったかな。
帰りに、現地、餘慶寺と豊原北島神社に寄って帰りましたが、見事な神仏習合の姿を目の当たりにし、こんなに塔頭が立ち並ぶ荘厳な姿が京都・奈良に行かずに見れるとは・・・地元龍華寺も往時は、こんな風に塔頭が立ち並んでいたのかなと想像したのでした。
Re: 天台声明 管理人 - 2007/01/21(Sun) 12:42 No.1023 ![]()
そうですね。お顔や肩幅のイメージの割りには、側面観や膝の張り出しはもの足りなかったですね。上醍醐の薬師などと比べるとその差は歴然で、その意味では、10世紀初頭というのはちょっと難しいかなと感じました。
ハンドル名の龍華・耕三というと広島の新旧の名所ですが、地元龍華寺とは今高野の龍華寺ですか。お寺の佇まいや堂宇の数も立派だったと思いましたが・・・。
13日は午前中耕三寺にも寄ってきました。堂宇は兎も角、宝物館の仏像には感心しました。鎌倉期の金銅如来坐像が良かったですね。善派の流れのような気がしました。
また、瀬戸田町史を見ると、他にたくさんの中国、朝鮮仏を含め100体以上の仏像があるようですが、一堂に展示される(又はされた)ことがあるのでしょうか。
Re: 天台声明 龍華耕三 - 2007/01/21(Sun) 13:38 No.1024
今 高野山の龍華寺のことです。寺と神社が隣接し、山に囲まれた佇まいも段丘状に並ぶ堂宇の跡もとても立派で、雰囲気も、十一面観音も大好きな場所です。しか し、本堂部を除くと温泉となっている1院しか塔頭が残っていないのが残念です。でも、更地となった塔頭の跡で往時を偲ぶのが、この寺の楽しいところなんで すが。
耕三寺も行かれたとのこと。充実された一日だったのでは。耕三寺において、仏教美術が一堂に展示されたことがあるか、不勉強のため 分かりません。こちらのHPでもリンクされている「観仏三昧」に少し気になる記事がありましたので、近々訪問しなければと思っておりますので、確認してみ ます。
新年のご挨拶 投稿者:管理人 投稿日:2007/01/02(Tue) 18:12 No.937 ![]()
明けましておめでとうございます。
昨年は、全国各地で仏像を中心とした文化財の展示会がありました。
特に、東京国立博物館で開催された「仏像」展は入場者が30万人を越える人気を博した展示会でした。
なるべく多くの人々が文化財に興味を持ってくれることが、文化財保護に繋がれば良いと思ってます。
今年も、このサイトを訪れてくださる方のご協力により、より充実したホームページにしていきたいと思ってます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
Re: 新年のご挨拶 悪僧 - 2007/01/03(Wed) 09:40 No.938 ![]()
新年,あけまして,おめでとうございます。昨年は,仏像に関する色々な情報を提供して頂きありがとうございました。今年もどうかよろしくお願い致します。
さ て,去年,栃木県足利市の龍泉寺の秘仏・阿弥陀如来坐像(像高49p,寄木造,阿弥陀定印)をご住職のご好意により拝観させていただきました。私見では, 慶派仏師の手になる,平安時代末期から鎌倉時代初期の仏像だと思えるのですが,もし足利へ行かれる機会があれば,是非とも見て来ていただいて制作年代など をそっと教えて頂ければありがたいのですが(笑)。秘仏ですので写真は撮らせて貰えませんでした。
Re: 新年のご挨拶 管理人 - 2007/01/04(Thu) 10:38 No.940 ![]()
龍泉寺は足利厄除大師の龍泉寺でしょうか。阿弥陀如来坐像は存じません。
平成10年の栃木県立博物館の調査報告書にも出ていません。秘仏とのことですが、最近見出された像なのでしょうか。
鎌倉初期の慶派の三尺如来像というと、最近発見され、運慶作と話題になった個人蔵の大日如来坐像が思い浮かびますが、まさかまた運慶というわけでは・・・。
足利市では、昨年11月に市教育委員会主催で文化財一斉公開を行っていましたが、文化財に対する、行政や皆さんの理解も高まってきているようですね。
悪僧さんの名前を使わせて頂ければ拝観できますでしょうか。
Re: 新年のご挨拶 悪僧 - 2007/01/05(Fri) 07:23 No.942
足利厄除大師の龍泉寺です。本もいただきましたが,最近見出された仏のようです。私の名前よりも貴方の名前と肩書きの方がいいでしょうね。でも,私から聞いたと言っていただいても構いませんよ。もっとも私は仏像のプロではないので自信は全くありませんが・・・・。
世界遺産 投稿者:管理人 投稿日:2006/12/21(Thu) 19:45 No.932 ![]()
大阪市立美術館で開かれている特別展「大阪人が築いた美の殿堂」に行ってきました。
舘蔵・寄託の数多くの名品とともに、大阪市に寄贈されている小野コレクション、山口コレクションなどの多くの石仏が展示されていました。
圧巻は何といっても龍門石窟、響堂山石窟などの石仏で、龍門ではあの著名な古陽洞や賓陽洞、奉先寺洞将来と伝える仏頭などが展示されており、北魏から北斉、唐に代表されるような名品の数々はあたかも石窟の前に佇んでいるような迫力を感じました。
私も今年10月に中国に行って龍門、鞏県、雲崗石窟を見てきたばかりですので、その思いは一層強く感じました。
と同時に、石窟のあちらこちらに残されていた頭部のない悲しげな仏像の姿が思い起こされ、言いようのない寂しさも感じずにはいられませんでした。
各個人のコレクションは、それぞれの収集の経緯や事情があるでしょうし、日本にあったからこそ今まで大切に守られてきたという面もあったでしょうから、そのことに対してとやかく言うつもりは毛頭ありません。
しかし、中国の石窟群が人類の共通の宝物として世界遺産に登録され、小野コレクションやコレクションが大阪市に寄贈されたことを契機に、特定できるものだけでも元に戻せないものかと強く感じました。
世界遺産がややもすると、おらが村の町おこし的な観点からのみ捉えられている面があるように思いますが、
「人類の歴史によって生み出された貴重なたからものを、国際協力を通じた保護のもと、国境を越え今日に生きる世界のすべての人びとが共有し、次の世代に受け継いでいくべきもの」
という世界遺産の意義を再度認識する必要があるのではないでしょうか。
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