第二章 普陀山考 −−古代の東シナ海域における観音信仰−− 

一、 普陀山
二、 
慧蕚の故事
三、 
海上守護の神、観音
四、 
潮音洞 −−洞窟と観音信仰−−
五、 
おわりに

 四、 潮音洞 −−洞窟と観音信仰−−

 仏祖統記は、先の引用部分に続いて次のようにしるす。

山在大海中。去東南水道六百里。即華厳所謂南海岸孤絶処、有山名補怛落迦。観音菩薩住其中也。即大悲経所謂補陀落迦山観世音宮殿。是為釈迦仏大悲心印之所

 普陀山は、華厳経や大悲経に説く観音の住所、補陀落山その所にほかならないというのである。世に補陀落と伝える場所は、そのいわれとして観音示現の場所だからと説かれたり、熊野那智のように補陀落の東門と説かれたりしているが、普陀山はそうではなく、そここそが経典に説く補陀落、その場所であるという。新訳華厳経の文によれば、善財童子が訪ねていった「補怛洛迦」山は、海上の山で、そこには「華果樹林皆遍満し、泉流池沼悉く具足」し、山の「西面の巌谷の中」で「観自在菩薩、金剛宝石の上に結跏趺坐」して説法していたという(巻六十八、大正蔵十)。陀羅尼集経にも「補陀落伽山」を「海島なり」とし(巻二、大正蔵十八)、玄奘の大唐西域記にも、「布洛迦山」を「山径危険、巌谷き傾。山頂に池有り。其の水澄鏡にして大河を流出す。周流山を繞ること二十匝にして南海に入る。池の側に石天宮有り。観自在菩薩往来遊舎す」とある(巻十。大正蔵五十一)。海上の山であることや巌谷の多い自然相の似ていることが、普陀山を補陀落に比定する条件となったと考えられる。

 続いて仏祖統記には、

其山有潮音洞。海潮呑吐昼夜。洞前石橋。瞻礼者至此懇祷、或見大士宴坐、或見善財俯仰将迎、或但見碧玉浄瓶、或唯見頻伽飛舞

とある。普陀山南東部にある「潮音洞」についての記述で、洞窟は海潮を呑み込み吐き出し、昼となく夜となく大きな音を響かせる。洞窟の前に石橋があり、信者がそこに至って熱心に祈ると、観音が座して説法するようすが見えたり、善財童子が俯仰して送迎したり、あるいはただ碧玉の浄瓶が見えたり、頻伽の飛舞が見えたりするという。これは、普陀山の中でも潮音洞こそが観音の住処であるとする記述であろう。仏祖歴代通載でも、先の引用部の中に、大中年間に天竺僧が来て十指を燃やし尽くすと観音が示現し、妙法を説き、七宝色石を授けた場所、および慧蕚の船が留まった場所がやはり潮音洞であるとされている。

 潮音洞は現在でも普陀山の名所の一つとされ、慧蕚にゆかりの不肯去観音院から少し下った岩場にある。海岸の洞窟で、その開口部は目測で高さ七、八メートル(干潮時)、幅三、四メートルほど。ある程度潮が満ち、波が寄せると轟音とともにしぶきを吹き上げるらしい。その特異な造形や現象に、古人は不思議を感じ、観音の住所と観じたのであろう。現在の普陀山では海岸や山中にあるあちこちの洞窟や岩場が観音のゆかりとされているが、仏祖統記・仏祖歴代通載・補陀洛迦山伝などの古い書物に観音示現の場所として潮音洞が特筆されているのは、当初から普陀山の観音がそこと関係づけられていた事情をものがたるのだろう。

 中国の例はまだたしかめえていないが、日本の神話伝承や遺物や民俗によると、洞窟は他界であり、他界との境界でもあり、また神の出現する場所でもあった(注11)。そして日本でも、観音は洞窟とかかわりが深い(注12)。両者が結びつく契機は、やはり華厳経などの記述が喚起する山や巌谷のイメージにあるだろう。そして他界や地母神にかかわる洞窟への信仰に、やはりそうした性格をもつ観音への信仰が習合していったという事情もあったにちがいない。

 このこととかかわって、普陀山に限らず、朝鮮の補陀落たる洛山寺や日本の補陀落の一つであった伊島が、いずれも海岸べりに目立った洞窟をもつことは注目される。韓国の東海岸、江原道襄陽郡にある洛山寺の場合は、三国遺事巻三にこうある。

昔、義湘法師、始自唐来還、聞大悲真身住此海辺窟内。故因名洛山、蓋西域宝陀洛伽山。此云小白華、乃白衣大士真身住処。故借此名之。斎戒七日、浮座具晨水上。龍天八部侍従、引入崛内。参礼空中、出水精念珠一貫之。湘領受而退。東海龍亦献如意宝珠一顆。師捧出。更斎七日、乃見真容。(下略)

 唐から帰国した義湘法師は、観音がその海辺の洞窟の中に住むと聞いてやって来て斎戒し、龍天の八部侍従や東海の龍の助力も得て、まさにその洞窟の中で観音の真身にまみえることができたのであった。そこでその地に堂を建て、観音像を祀ったのが洛山寺の開基であるという。義湘は七世紀の新羅僧。ここでも海岸の洞窟が観音の住処とされ、ゆえに補陀落と観じられた。義湘が観音の真身を見るための潔斎に東海の龍が助力したというあたりは、海神の信仰に観音信仰が重なっていったさまをかいまみることができる。

 日本の伊島は四国の東方海上にあり、徳島県阿南市に属する。周囲十キロばかりの孤島である。源為憲の空也誄(九七三年頃成立)によると、その「湯島」(伊島)は「地勢霊奇、天然幽邃」の所であり、「人伝ふるに観世音菩薩像有りて、霊験掲焉」であった。修行時代の若い空也が、先の義湘と同じように観音の真身を求めてそこに渡っていき、苦行の末にようやくその姿を見ることができた、という。伊島は空也のころから観音の住処、補陀落とされていたのだろう(注13)。現在でも伊島の信仰の中心は松林寺(山号を補陀落山という)に祀られている、空也が刻んだと伝える十一面観音像である。

 その伊島に「潮吹き」と呼ばれる洞窟があって、島の名所の一つとなっている。本島南部の断崖(「カベヘラ」という。壁状の断崖という意味の名だろう)の下部に開く洞窟で、押し寄せるうねりを呑み込むと、轟音をあげて潮を高々と吹き上げる。普陀山の潮音洞と似ている。ただし、伊島の「潮吹き」は島の観音信仰とどのようにつながるのか、今は残念ながら伝承がない。しかし「潮吹き」のあるカベヘラは、近年まで旧暦三月の節句に島の人々が飲食物を持って行楽に出かける場所であった。かつて「潮吹き」が信仰の場所であった痕跡といえるだろうか。

 ちなみに、洞窟や海岸風景を含めた自然相においても、普陀山と伊島という二つの補陀落は非常に似ているというのが私の実感である。この相似形のような二つの補陀落の関係は不明だけれども、普陀山がそうであるように、伊島も一千年以上の観音信仰の歴史を、こちらはまったく目立たないながらに刻んでいる。そしてもちろん、伊島の漁師は今でも海上の無事を熱心に島の観音に祈っている。奥の院下の通夜堂には、先の古い異国の観音応験譚などと同様、嵐の海で観音に救われたという人の、その場面を描いた奉納額などが飾ってある。

 

注記

(11) 近年の研究に、辰巳和弘『「黄泉の国」の考古学』第二章(一九九六年)がある。洞窟を葬所としたり、祭りの時に神の出現する場所としたりする沖縄の洞窟信仰も参考となる。

(12) 西郷信綱『古代人と夢』第三章(一九七二年)

(13)拙稿「空也誄の湯島と梁塵秘抄の補陀落」(「甲南国文」四二号、一九九五年三月)

(14) 村山 修一「熊野信仰と海洋信仰」(『海と列島文化 第8巻 伊勢と熊野の海』所収、一九九二年)