第三章 空也誄の「湯島」と梁塵秘抄の「補陀落」 

一、 空也上人の「湯島」参詣
二、 
「湯島」は伊島である
三、 
補陀落だった「湯島」
四、 
梁塵秘抄の「補陀落」と伊島

 一、 空也上人の「湯島」参詣

 源為憲の空也誄(くうやるい)(序)に次の一節がある。

阿波土佐両州海中有湯島矣。地勢霊奇、天然幽邃。人伝有観世音菩薩像、霊験掲焉。上人為値観音、故詣彼島。六時恭敬、数月練行、終無所見。爰絶粒向像、腕上焼香、一七日夜、不動不眠。最後之夜、所向尊像、放微妙光。瞑目則見、不瞑無見。於是焼香之腕、痕猶遺。

(阿波土佐両州の海中に湯島(ゆしま)有り。地勢霊奇にして、天然幽邃(いうすゐ)なり。人伝ふるに観世音菩薩像有りて、霊験掲焉(けちえん)なり。上人観音に値(あ)はむが為、故(ことさら)に彼の島に詣(まう)づ。六時恭敬、数月練行するも、終に見る所無し。爰に粒を絶ち像に向かひ、腕上に香を焼(た)き、一七日夜、動かず眠らず。最後の夜、向かふ所の尊像、微妙の光を放てり。目を瞑づれば則ち見え、瞑ぢざれば見ること無し。是に於て香を焼ける腕、痕猶遺れり(注1))

 空也上人が、観音に値うために「阿波土佐両州の海中」にある「湯島」という所へ出かけ、苦行を行った末についに観音の姿を見ることができたという。空也誄のなかで、この部分は、「春秋二十有余にして尾張の国の国分寺に於て鬢髪を剃落」した記事、次いで播磨国揖保郡の峰合寺で一切経論を数年間披閲したという記事に続いているので、まだ空也の二十歳代、修行時代の事跡を記したものと思われる。観音を見るための行をしたというのは、浄土経典の一、観無量寿経にみえる定善観のうちの第十観、観音観を修したということでもあろうか。空也誄の「目を瞑づれば則ち見え、瞑ぢざれば見ること無し」という表現は、観無量寿経の定善観を説く部分に三カ所みえる「目を閉づるも目を開きても」という表現と通う。

 さて空也誄のこの個所は、慶滋保胤の日本往生極楽記(九八三〜九八五成立)にも、

阿波土佐両州之間有島、曰湯島矣。人伝有観音像、霊験掲焉。上人腕上焼香、一七日夜、不動不眠。尊像新放光明、閉目則見。(日本思想大系『往生伝 法華験記』)

とある。空也誄からの抄出というべきであろう。そしてこれら空也誄や日本往生極楽記を直接間接の源として、後世の史書や僧伝にもこの空也の湯島訪問の条は次のようにつづられている。

・皇円・扶桑略記巻二十六(一〇九四〜一一〇七年成立)

阿波土佐両州之間有島、曰湯島矣。人伝有観音像、霊験掲焉。上人腕上焼香、一七日夜、不動不眠。尊像新放光明、閉目則見。(新訂増補国史大系巻十二)

・承澄・阿裟縛抄(明匠等略伝日本下)(一二四二〜一二七九年成立)

阿波土佐両州海中有陽島(ママ)。地勢霊奇、天然幽邃。人伝存観世音菩薩像、霊験掲焉。上人為観音、故詣彼島。六時発(ママ)敬、数月練行、終無見。爰絶粒向像、腕上焼香、一七日夜、不動不眠。最後之夜、所向尊像、放微妙光。瞑目則見、不瞑無見。於是焼香之腕、燐痕猶遺。(大日本仏教全書巻六十)

・虎関師練・元亨釈書巻十四(一三三二年成立)

阿州海中有島、曰湯島。観自在感応之地也。也焚香臂上、七日夜、不動不睡、願大悲真身、其像放光。(新訂増補国史大系巻三十一)

・高泉・東国高僧伝巻五(一六八七年成立)

阿州海中有山、号湯島。観音顕蹟之地也。勝煉臂香、七日夜、願大士真身、像忽放光。(大日本仏教全書巻六十二)

・師蛮・本朝高僧伝巻六十四(一七〇二年成立)

阿州海中有湯島山。観音顕蹟之地。願真身、勝煉臂香一七日夜、大士放光。(大日本仏教全書巻六十三)

 ところで空也誄は、誄というものの性質およびその内容から空也没(九七二年)後、その一周忌に書かれたものかといわれている(注2)。著者源為憲(九三五年前後の生まれか(注3))は、文人貴族であったが三宝絵詞の著者でもあって仏教への関心を示し、空也の生前の活動、ことに天慶元年(九三八)以降のその後半生の京都市中における布教活動については、同時代人として関心をはらっていたはずである。誄の著作動機について、空也誄自体にも、

肆或尋遺弟子於本寺、又集先後所修法会願文、所唱善知識文数十枚、以和平生之蓄懐焉。不堪称歎、而為之誄。(肆(ゆゑ)に或ひは遺弟子を本寺に尋ね、又先後の法会を修する所の願文、善知識を唱(いざな)ふ所の文数十枚を集め、以て平生之蓄懐を知る。称歎に堪へずして、之が誄を為る)

とある。その為憲よりも熱心な念仏信者で、念仏結社勧学会の活動を通じて空也自身にも親近していたと推測される慶滋保胤(注4)も、日本往生極楽記に空也伝を残している。こうして同時代の空也に近しい人々によって空也伝が書かれているとすれば、空也の湯島訪問のことも、たんなる伝承とはみられない。現実に空也が湯島という島を訪ずれ、修行をしたということがあったのだろう。

  

(注記)

(1) 参考、三間重敏「「空也誄」の校訂及び訓読と校訂に関する私見」(「南都仏教」四二、一九七九年)。浅野日出男・狩野充徳・福井佳夫・山崎誠「「空也誄」校勘並びに訳注」(「山陽女子短大研究紀要」一四、一九八八年)

(2) 平林盛得『聖と説話の史的研究』一四八頁(一九八一年)

(3) 岡田希雄「源為憲伝攷」(「国語と国文学」一九−一、一九四二年)

(4) 注2の書、一一五頁、一五四頁。