第五章 常世と補陀洛

一、 はじめに
二、 
常世信仰とその変質
三、 
常世神と観音
四、 
補陀洛の常世化
五、 
習合の様相
六、 
おわりに

 

  一、 はじめに

 一葉の船に身をゆだねてたとえば熊野の大海に乗り出したという補陀洛渡海は(ふだらくとかい)、日本人の民衆の精神史を考える上でやはり忘れがたい史実だ。往時の人々は、海のかなたに観音の住所(あるいは浄土)たる補陀洛世界の存在を思いみた。そして厳しい修行を行い、風を待ち、いくらかの食糧を携えて船に乗り込み、補陀洛世界への到達を信じて旅立った修行者たちがあった。また補陀洛への往生を信じて入水を敢行した人々もあった。生きながらにしても、あるいは身体は死に変わったとしても、彼らが当初の願いの通り、観音菩薩のもとに到達できたか否か、ふたたびこの国、この世に帰ってきた渡海者はめったにいない(注1)。

 海のかなたに補陀洛世界の存在を思う、その観想の根底には常世信仰があるといわれる(注2)。「常世(とこよ)」もまた海のかなたに幻想された神の世界で、そこからはこの世に豊饒と幸福がもたらされると信じられ、また死者の行き先でもあった。その異界としての性格は、琉球一円でやはり海のかなたに幻想されてきたニライカナイにも近い。

 「補陀洛」は、もともと南インドにあった山で、華厳経など仏教の経典に観音菩薩がそこに住んで説法をするとされた。その補陀洛がなぜ日本では海のかなたに思われるようになったのか、どのようにして常世と関係をもちえたのか、またその習合の具体的なありさまはどのようであったのか、そうしたことがらの説明のためには、常世側と補陀洛側と、双方からの接近がいま少し必要な現状かと思われる。

   

    那智見晴台より補陀洛の浜     補陀洛渡海上人の墓石群(補陀洛山寺)

 (注記)

(1) 十六世紀中ごろ、日秀上人は渡海して沖縄本島東岸の金武に漂着し、自らそこを補陀洛世界と観じた。琉球で活躍した後、薩摩に渡り、その地で没した(開山日秀上人行状記など)。史実としては、これが補陀洛渡海僧が帰還した唯一の例か。

(2) 益田勝実「フダラク渡りの人々」(同『火山列島の思想』所収、初出は一九六二年)、五来重「補陀落と常世」(同『仏教と民俗 続』所収、一九七九年)、豊島修「海上他界と補陀落信仰――熊野那智の補陀落渡海を通して――」(同『熊野信仰と修験道』所収、初出は一九八七年)など。