第五章 常世と補陀洛

一、 はじめに
二、 
常世信仰とその変質
三、 
常世神と観音
四、 
補陀洛の常世化
五、 
習合の様相
六、 
おわりに

 

  四、 補陀洛の常世化

 さてその観音は、もともと海にかかわりが深かったのだった。普門品のインドとスリランカ(羅刹鬼国)の海上交通を描く個所からは、法華経が成立した二世紀のころ、南インドの海上交通者間で観音信仰がさかんであったことがうかがえるとされる。また観音信仰が東アジアに広まってからは、中国・朝鮮・日本の囲む海域――東シナ海や日本海で観音が海上交通者を守護する海の女神として信仰されたことも推定される(注10)。先の越智直の話はその一例であった。観音が海の女神としての性格をもっていたことも、その住所たる補陀洛を海に思う契機の一つとなっただろう。

 ただし、念のためにいえば、観音が海の女神として信仰されたということと、補陀洛を海のかなたに思うということとは同じではない。常世と補陀洛の習合ということを考えるときに、従来はしばしば常世と同じく補陀洛ももともと海のかなたの世界であったと前提して議論が進められてきた感がある。しかし、補陀洛信仰のインドから東アジアへの伝播の歴史に照らすなら、まだ十分には見通せないものの、補陀洛を海上はるかに思うようになったのは、少なくともそうした観念が発達したのは、日本において補陀洛の観念が常世の観念と習合した結果であって、それを原因とみなすのは議論の転倒であろう。海の女神としての性格をもっていた観音が日本においては常世の観念に受け止められ、その住所たる補陀洛もまた海のかなたに思われるようになった、とここでは論じている。

 さて、平安時代に浄土教が盛んになるにつれ、観音信仰は来世的色彩をも強く帯びるようになった。往生思想の広まりとともに、浄土経典で説かれた阿弥陀如来の後継者、あるいはその脇侍としての観音が認識され、阿弥陀仏に寄り添って衆生の極楽往生を助けるホトケとして信仰を集めたのである。それにつれ、補陀洛渡海の例にみられるように(後述)、補陀洛も死後に行くべき浄土としての性格を強めたと思われる。他方、前述のように常世はもともと死者の国としての性格をもっていた。そこでここにも補陀洛が常世と結びつく要因があったと考えられる。

 以上、分析的・歴史的な立場から、常世と補陀洛の習合の要因として三点を挙げた。まとめておくと、

1 常世神と観音は人々の現世的な幸福や苦悩の救済にかかわるという職能において重なるところがあったこと。

2 常世は海のかなたに存在するとされたが、観音も海の女神としての性格をもち、海にゆかりが深かったこと。

3 浄土信仰の隆盛とともに補陀洛が死後に行くべき浄土としての性格を強め、もともと死者の国でもあった常世に近づいたこと。

となる。むろん、習合の進展は観音信仰の隆盛と常世信仰の変質・衰弱という社会的状況が背景にあってのことである。