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〜行程〜 8月28日(木) 京都駅 11:00 集合 北
山 → 京都美山(昼食)→ 土御門家墓所(大飯郡おおい町名田庄納田終) 8月29日(金)(第
二日目) ● 薬師如来立像(国指定)像高
192.5cm ヒノキ 一木造 素木 平安時代前期
昔に比べると本堂の前に新しい石段ができ、山門から真直ぐ本堂に行けるようになっている。しかし、その石
段の改修中で石段下には、「拝観中止」の張り紙が・・・。朝一番からついていないと帰ろうとすると、受付に管理の人が顔を 出し、WさんとNさんが再交渉。しばらくして「拝観OK」となった。 石段の改修中は事前に連絡のあった場合のみ拝観を許可しており、 普通の方は断っているとのこと。 管理の方は普通のおばさんかと思ったら、ご住職の奥さんで埼玉県 の出身だとか。実家がたまたまNさんの近所らしく、話が弾んで折角埼玉から来られたのならと、拝観を許可頂けることになった。 但し、石段が改修中のため、本堂までは苔むした古い石段を上がら ねばならない。本堂までは少しだが、ほとんど人が歩いていないため、雨に濡れた苔で滑りそうになる。 以前に拝観した時には、先代の住職が 本堂に入る前に練香を手に戴き清めてから入堂した覚えがある。香の匂いが暫くとれず閉口したが、練香は価格が高くて通常の拝観料では採算が採れないので、 今はもう止めているとのお話だった。 本 堂に入り、ひとしきりお寺の歴史を伺い、本尊の厨子の表にかけてある薄いカーテンを外すと、三尊像が姿を現す。本尊薬師如来立像は奈良博の古密教展で全方 位からじっくり拝観できたが、田舎のおっさん風(?)の風貌に似合わないその精緻な衣文の彫りに感動したことを思い出して、そのことを同行者と話している と、奥さんから「仏様の厨子の前ではおしゃべりしてはいけません」とお叱りを受けた。 今まで奥さんが一番しゃべっていたのに! 古密教展の出品の際には、何度も断ったが、どうしてもと言われや むを得ず承諾されたそうで、本堂の縁側まで何とか搬出したものの、余りの重さに通常の搬出器具ではだめで、次の日に大きなクレーンを準備してやっと搬出で きたそうだ。 多田寺拝観後、小浜の病院に向かうSさんを、東小浜駅で降ろし、 羽賀寺へ。 明通寺は雨が良く似合う。
駐車場から水量を増した清流に架かる橋を渡ると、石段の上に山門が姿を現す。写真やデッサンでよく見る、小浜の定番の風景である。 石段を登り山門をくぐったところに、この寺の山号の由来となった 棡木(ゆずりぎ)の木がある。この寺は征夷大将軍坂上田村麻呂公が蝦夷征伐に際して創建したと伝えられ、創建時の像は棡木の木で彫ったと伝えているが、こ んな木の大木が、昔は沢山あったのだろうか。 本堂まで緩やかな石段を登りつめたところに本堂、その先の石段の 上に三重塔がある。 本堂と三重塔は福井県で唯一(唯二?)の国宝の建造物に指定され ている。 本堂には、薬師如来坐像と深沙大将像・降三世明王立像が安置され ている。深沙大将像・降三世明王立像は、ざっくりとした一木造の像で巨像ながら中々迫力のある像である。 本坊の持仏堂の厨子の中に不動明王立 像が安置されているが、庭からは遠すぎて詳細がよく拝めない。 本坊の脇にカヤの大木がある。近年、平安時代初期の仏像がカヤ材 で造られているものが多いことが報告されているが、ここのカヤの木は、ヒノキなどに比べて真っ直ぐでなく、癖のある木だ。 Kさんの話では、他によく似た葉があるが、カヤの葉の先端には棘 があり、葉の先端を触ってみて痛いようであればカヤに間違いないとのこと(成る程)。 ![]() 羽賀寺に行く途中、県道の上で高速道路の建設中だった。舞鶴から小浜まで開通している舞鶴若狭
自動車道が、敦賀経由で北陸道に繋がるそうだ。
羽賀寺までの道は昔と全く変わっていない。一面の田圃の中を軽快 に走っていく。 羽賀寺も庫裏は立派になったが、本堂の佇まいは変わらない。 厨子に入った本尊十一面観音立像は、やはり小浜一の観音像であ る。 厨子には照明がつけられ、鮮やかな彩色の残る衣文が照明に映え る。インド風の特徴ある面相や、鋭い衣文の彫りに、平安初期の雰囲気を多分に残している。手持ちのライトを照らすと咎められた。 厨子の脇に安置される千手観音立像や、二天像はやや時代は下がる もののそれぞれ魅力ある像だ。他のお寺にあればもっと注目されてしかるべき像であるが、厨子の脇に窮屈そうに立っているのが少々寂しい。 ![]() 次の加茂神社は15:00の約束まで時間があったため、若狭歴史 民俗資料館に立ち寄る。
資
料館には、円照寺地蔵菩薩像、加尾区毘沙門天像、仏谷区阿弥陀如来坐像などが寄託されて展示されている。中に烏将軍という30cm程の頭部が鳥を象った、
いわゆる迦楼羅像がある。精緻な彫りと極彩色が施された精巧なもので、解説によると、平成2年に小浜湾に打ち上げられていたもので、由緒は不明であるもの
の、中国・南宋の13世紀
の像であるという。また、当館には、小浜地方の著名な仏像のレプリカが展示されており、いつでも拝観することができる。現在は、今回の拝観計画に入っ ている、円照寺・不動明王立像、長慶院・聖観音坐像、馬居寺・馬頭観音坐像などの外、常禅寺・不動明王坐像、沖の堂阿弥陀如来立像などが展示されている。 さすがに良く出来ており、本物と遜色ない出来栄えだ。 馬居寺でお伺いしたが、仏師が1ヶ月お寺に寝泊まりして造ったも ので、木目の一本一本まで忠実に再現されており、出来上がった像を並べたところ、ご住職が本物とレプリカを間違えたそうだ。 これだけ立派だと、お寺に行く手間と費用を考えると、資料館で拝観するだけで十分なのかもしれない。 学 芸員に三方地方の仏像のことでお伺いすると、実はその像は資料館に寄託されており、その像以外にも寄託されている像があるが、寄託者の希望で公開できない のだそうだ。これらの仏像を今後公開する計画中があるそうだ。 帰ってネットを調べて見ると、来年1月3日から2月8日まで「地域の秘仏−若狭の祈りの歴史−」という展示会があり、これに展示されるのかも知 れない。 若狭歴史民俗資料館で長居をしていたら、加茂神社の管理の方から 携帯に何度も電話を頂いた。 急いで駆け付ける。 加茂神社 観音像の管理は、氏子さんが交代で務めており、今年の1月に交代したばかりという。
加茂神社は、京都の上賀茂・下賀茂神社から勧進したものと伝えて おり、本像はその神宮寺であったと考えられる為生寺の観音堂に伝わった像であるという。 加茂神社から100m程上った所に観音堂と収蔵庫があり、千手観 音立像が安置されている。観音堂の手前には、いのしし除けのワイヤーの柵があり、これを跨いで入らねばならない。ワイヤーには微弱ながら電流が流れている とのことで、おっかなびっくりワイヤーを跨いで通る。 千 手観音立像は小さな厨子の中に安置されており、厨子の中に掛けられた緞帳で千手の脇手が見えない。しかし、ふっくらとした面相やボリュームのある体躯は量 感を持ち、彫りは精緻で鋭い。 頭体部をヒノキ材の一材から彫成した一木造で、内刳りを施さない。現在素地をあらわしているが、衣の部分に文様がかすかに 残っていることから、元は彩色像であったと考えられる。 量感のある上半身に対して下半身は細身で、衣の端部に渦文を、膝 前には翻波式衣文を表わすなど古風な特色をみせるが、目鼻だちのおだやかで、彫りも浅く、制作は11世紀の早いころとみられる。 ![]() ![]() 今日の夕食は、周辺にお店も多くないことから、ホテル内で松花堂 弁当とした。 病院から帰ってきたSさんも参加してワイワイと談笑。 中身は、海産物も多く、まずまず。お酒を飲んでもそのまま部屋に 帰って寝られるのが良い。 ![]()
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