
高
見 徹
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〜行
程〜
8月25日(木):東
京駅 → (新大阪)→ 下関駅
8月26日(金):国
分寺(下関市) → 功山寺 → 下関市立長府博物館 → 住吉神社
→ 覚苑寺
→ 赤間神社 → 春帆楼 → 下関泊
8月27日(土):国分寺(防府市) → 毛利博物館毛利邸庭園 →
常栄寺(山口市)
→ 雲谷庵跡 → 瑠璃光寺 → 龍蔵寺 →
山口泊
8月28日(日):大林寺(山口市) → 関水(徳地町) → 僧取淵
→ 十三仏 → 昌福寺
→ 法光寺 → 月輪寺 → 西宗寺 → 石風呂 →
防府泊
8月29日(月):防府天満宮(防府市) → 阿弥陀寺 →
正護寺(山口市) → 正福寺(小郡町)
→ 菩提寺山磨崖仏(三陽小野田市) →
山口宇部空港 → 羽田空港
8月27日(土) (第二日目)
防府国分寺
防府市国分寺町2-67
□ 楼門 江戸時代中期
◎ 金堂 安永8年(1779)
薬師如来坐像(金堂安置) ヒノキ 寄木造 像高195.1cm 応永24年(1417)
◎ 日光菩薩立像・月光菩薩立像 像高日光菩薩180.0cm、月光菩薩179.0cm
ヒノキ 一木造 漆箔 平安時代末期
◎ 阿弥陀如来坐像 像高113.4cm ヒノキ 寄木造 漆箔 平安時代後期
◎ 四天王立像 像高持国天210.0cm、増長天213.5cm、広目天206.0cm、多聞天203.0cm
ヒノキ 一木造 平安時代中期
◎ 阿弥陀如来立像 像高96.7cm ヒノキ 寄木造 玉眼 漆箔 鎌倉時代
○ 銅造誕生仏 像高25.3cm
○ 毘盧舎那仏坐像 銅造 像高51.6cm 高麗時代
◎ 紺紙金泥般若心経 附光豊寄進状 後奈良天皇宸翰
不動明王立像 ヒノキ 一木造 像高84cm
創建当初の寺域の様子を残す唯一の国分寺というだけあって、土塀に囲まれた雄大な敷地の中に、大仏殿様の大きな金堂を持つ。金堂は先年解体修理を行い、調査の結果、奈良時代から金堂の位置が変わっていないそうだ。
境内も整備中で金堂前は木木も取り払われ、広場となっているため、早朝にも係わらず結構厳しい日差が降り注ぐ。境内の周囲には、区分けをするように苗木が植えられており、天平の創建時もこのような風景であったのかも知れない。
本堂は内陣に薬師三尊をはじめ、四天王、十二神将など多くの仏像があふれんばかりに並んでいる。
本尊薬師如来坐像は、丈六仏で、丁度京都・東寺金堂の法印康正作薬師如来坐像を思わせる室町時代の制作になる像であるが、修理の際、胎内から創建当初の本尊のものと思われる左手先が発見され、全長は64.6cm本来はー回り大きく、薬壷を持たない古い形式の像であることがわかった。
両脇侍の日光・月光菩薩立像は、等身大の内刳を施さない一木造の像である。膝前には翻波式衣文を表し、条帛には渦文を彫出するなど平安初期の特徴を伝えているが、表情は穏やかで量感も少なくなっていることから、平安時代後期の制作になると思われる。
三尊の四方に安置される四天王像は、2mを超える、堂々とした像で、彫りも深く姿勢も動的で生き生きとしている。広目天・多聞天像は足元の邪鬼迄共木、下地は布張り漆地、持国天・増長天は邪鬼は別木で下地は胡粉地というように、制作上の違いが見られ、像容からも広目天・多聞天像が先行するものと思われる。
このほか、二組の十二神将像が残されている。
防府国分寺は山口県随一の文化財を有する寺であるが、何度も火災にあったこともあってか、一具のものが少なく、やや統一性に欠けるのが残念である。
毛利博物館毛利邸庭園
毛利博物館は防府国分寺を含め、当初月曜日に拝観するつもりだったが、国分寺から、月曜日はお休みとの返事を頂き、毛利博物館も調べた限りでは、月曜日は休みとのことであったので、国分寺と併せて土曜日に変更した。
しかし、来てみると今年から、休みを年末に纏め、拝観者の便を考え年中無休にしたとのこと。
以前は車で玄関迄乗入れ出来たらしいが、現在は屋敷の門から玄関迄舗装道路を歩かねばならない。 春秋ならまだしも、真夏の歩きはキツい。中には職員用らしい駐車場もあり、我々からすれば月曜日開館よりも駐車場の解放の方が有難いのだが・・・。
毛利邸は山口出身でかつて毛利家に使えていた井上馨が、明治25年(1892)旧長州藩主毛利氏の本居にふさわしい所として現地域を選定し、大正5年に完成したもので、現在邸宅の一部を旧長州藩主毛利家に伝来する美術工芸品・歴史資料約2万点(内国宝が4件7点、重要文化財が約9千点)を収蔵する博物館としている。併せて、名勝として国の文化財に指定されている庭園と屋敷を公開している。
玄関を入り二階に上がる階段は厚手のムクの板を並べた重厚なもので、二階は襖を外すと約40畳の大広間。広く明るい窓からは、庭園とその向こうに広がる防府の町が一望の下に見渡せる。
反対側はこれが全て一つの屋敷かと感心する程、本瓦葺きの屋根が何重にも並ぶ。
一階の奥が博物館となっており、毛利家ゆかりの調度品、絵巻、古文書が展示されている。
展示品の解説をしたそうな係員の視線を感じながら、邸外に出る。
常栄寺
山口市大字宮野下2001
◎ 常栄寺雪舟庭(国指定史跡名勝)
◎ 絹本墨画淡彩雪舟等楊像
○ モリアオガエル繁殖地
□ 紙本着色大内盛見像
□ 紙本着色毛利隆元像
□ 紙本着色大内盛見像一幅
□ 紙本着色毛利隆元像 一幅
もと大内教弘の夫人の菩提寺妙喜寺があったが、幕末に毛利隆元の菩提寺となり寺号を常栄寺と称したという。
庭園は、妙喜寺の時代に、大内政弘が画僧雪舟に築庭させたものと伝える。庭園は本堂の北面の三方を山林に囲まれた広い敷地に、滝や、池、中国大陸の三山五嶽になぞらえたという石組みを配している。
この庭は、水と石とに主体をおいて雪舟の絵を見るような・・・と解説されるが、どちらかというと、近代的な嗜好を感じる。
雲谷庵跡
雪舟が大作「四季山水図」(国宝・毛利博物館蔵)など数々の名作を描いたとされる旧宅跡。雪舟は30代半ばに山口に移り住み、大内氏の後盾により明に渡り本格的に絵を学んだ。
江戸時代に、雪舟の画流を引き継ぎ、毛利輝元から雲谷庵を拝領した雲谷派(雪舟流)は代々毛利藩お抱え絵師として、西国では狩野派と並ぶ一大流派となった。
現在の雲谷庵は、庵が荒廃していたのを、明治17年に古い社寺等の古材により庵を復興したもの。車もすれ違えないような住宅街の細い道の奥にあり、訪ねる人も見当たらない。敷地の一角から瑠璃光寺の五重塔が遠望できる。
瑠璃光寺
山口市香山町7-1
● 五重塔 三間四方 総高31.2m 桧皮葺 嘉吉二年(1442)
○ 絹本着色大庵須益和尚像 県立山口博物館寄託
○ 絹本着色全岩東純和尚像 県立山口博物館寄託
○ 絹本着色桃岳瑞見和尚像 県立山口博物館寄託
○ 正法眼蔵八十三巻
□ 拈頌集
□ 梵鐘一口 (元文元年在銘)
山口といえば瑠璃光寺の五重塔。もと大内義弘が建立した香積寺の時代に建立されたもので、江戸時代初期に毛利輝元の萩入りに伴い香積寺自体は萩に移されたものの、五重塔だけはこの地に残され、現在は瑠璃光寺五重塔と呼ばれている。
塔の撮影ポイントも用意されており、五重塔は確かに美しいが、どこから見ても絵葉書的。
境内の奥は香山公園になっており、「うぐいす張りの石畳」があるという。毛利家の代々の墓所の石畳の参道を歩いたり、手を叩くと、正面の階段に反響しこだまとなって返ってくる。石畳の建てつけが悪いわけではない。
墓所迄あがると、よく手入れされた五基の円墳が並んでいる。明治4年に没した長門萩藩十三代藩主毛利敬親を中心にその子孫を祀った墓で、いずれも土饅頭の前面に墓石を建てる形式となっている。毛利の殿様は天皇に準ずる扱いだったのであろう。市の援助もあるのだろうが、立派な人を先祖に持つと子孫は、墓守だけでも大変だ。
龍蔵寺
山口市吉敷1750番地
◎ 胎蔵界大日如来坐像 像高98.8cm ヒノキ 一木造 藤原時代
◎ 四天王図鎗金扉
○ 千手観音菩薩坐像 像高77.9cm ヒノキ 寄木造 素木 秘仏 鎌倉時代
□ 不動明王立像 平安時代
□ 毘沙門天立像 平安時代
◎ イチョウ 樹高45m 根元12.7m 樹齢は約850年
寺伝では、天平13年(741)僧行基が千手観音像を造立し、龍蔵寺と号したと伝える。
山口市街の外れ、山の麓に位置するお寺で、入り口からの石段の参道は山深い寺院を髣髴とさせる。
正面の観音堂には真新しい真っ赤な馬頭観音坐像が安置されている。若狭・中山寺の馬頭観音坐像の写しである。お堂に上がると薄紫色の光背に加え、四方に連弁が置かれ、なんと電動で四方の連弁が開閉し、蓮華の花の中から観音像が現れるという、有り難い仕掛けになっている。
う〜ん、なんとも。
収蔵庫は、開けっ放しなのでどうぞご自由に。本尊の千手観音坐像は、昭和60年の修理の際、頭頂から水晶製五輪塔型の仏舎利器が発見された像であるが、普段は秘仏で、今年ちょうど25年に一度のご開帳の年に当たるが、10月10日から20日までということで、残念ながら拝観できない。
大日如来坐像は、もと吉敷木崎にあった妙法寺の本尊を移したと伝える。流麗な衣紋などに藤原時代の特徴を示すが、やや上向きの像で、やや茫洋とした印象を与える。
重要文化財に指定されている鎗金扉は、漁師が海から引き上げたというもので、漆を施した上に細かい線彫りを施し、金箔を置いた沈金で中国風の人物を描いている。その精緻さ、表情の豊かさは美しい。
護摩堂の地下には、ご住職が集めた、各聖地の砂を床下に置いた砂踏み地があり、東南アジア各地の仏像を安置した、夕いや台湾のバザールを思わせる異国風の不思議な世界が表現されている。
本堂と山門のお店には薬草のお茶やご住職が書かれたらしい散華や標語等が売られている。
夕食は、ホテルに近いすし屋。昨日と同じように、二階の和室の貸切となった。昨日食べ損ねたイカ下足の塩焼きと唐揚を頼んだ所、なんと一人分しかないとのこと。下関で7時半にしか揚がらないので山口では運送時間を入れて、もっと遅くならないと食べられないのか知らん。
クジラのメニューが充実しており、刺身が絶品、から揚げも美味しい。
平まという白身の魚のカマ焼きも美味しかった。
(2005年10月1日)
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