特選情報(2007年)

● 大阪・百済寺跡で奈良時代の大型仏像破片出土(2007年12月22日)

 大阪府枚方市中宮西之町の百済寺跡で、大型多尊仏(せんぶつ)の破片9点が出土した。
  破片は講堂跡の西側から出土。印を結んだ阿弥陀如来坐像の胸と腕の一部(縦10cm、横6cm、厚さ2cm)、神将の足の部分(縦7cm、横9.5cm、 厚さ2cm)のほか、如来像の両脇に立つ脇侍の菩薩像の一部とみられる破片もあった。蓮華座の一部には漆を塗った上に金箔を張った痕跡が残っており、全体 が金色に輝いていたとみられる。
 仏像の顔の部分などは見つかっていないが、復元すると約50cmとみられる。
 大型多尊仏は7世紀後半の飛鳥時代に塔や金堂内の壁の装飾や、厨子に納めて礼拝に使われたとされ、これまで、奈良県御所市の二光寺廃寺や三重県名張市の夏見廃寺など4カ所で見つかっているが、奈良時代の寺院からの出土は初めてという。
 百済寺跡とその周辺では、これまでに小型仏などの破片68点が出土しており、大型仏を中心に小型仏をちりばめた「仏壁」が、金堂などの堂内にあった可能性がある。
 百済寺は749年、東大寺の大仏造営のために金を献上し、聖武天皇の厚遇を受けた百済王族の末裔、百済王敬福の創建とされ、11世紀〜12世紀に焼失したとされるみられているが、奈良時代以降、天皇家と深く結びついた百済王氏の勢力をうかがわせるという。


● 高松塚古墳「17枚目の石」を公開(2007年12月21日)

 奈良県明日香村の高松塚古墳で、1972年に壁画が発見されるきっかけになった切り石が31年ぶりに公開された。
 切り石は59cm四方、厚さ36cmのほぼ方形で、1960年代に石室から約5m離れた場所で発見され、発掘調査が始まった。1976年、古墳の保存施設が完成後は、発見場所とほぼ同じ位置で、長年非公開になっていた。
 墓誌石や礼拝石だった可能性があるが用途は今も謎のままとなっている。
 文化庁は来春にも村内の修理施設へ移し、赤外線などで詳しく調査する。


● 大分県立歴史博物館で真木大堂の仏像6体展示(2007年12月18日)

 大分県宇佐市の大分県立歴史博物館で、真木大堂(豊後高田市)から移された木像6体の公開が始まった。
 阿弥陀如来坐像 重文 像高2.2m 平安時代
 大威徳明王像 重文 像高約2.5m 平安時代
 四天王立像 重文 像高1.6m 平安時代

 同時に、太平洋戦争後に連合国軍総司令部(GHQ)に没収され、その後県に返還された刀剣類110本のうち豊後刀41本を集めた企画展「よみがえった大分の刀 赤羽刀(あかばねとう)」が始まった。
 2007年12月18日から2008年3月23日まで。


● 石川・金沢市天徳院山門、白山比盗_社本殿、県指定文化財に(2007年12月18日)

 金沢市の天徳院山門と、白山市の白山比盗_社本殿の二件の建造物が、県指定文化財に指定された。
 天徳院は元和九年(1623)に加賀藩三代藩主前田利常が正室珠姫菩提のため建立したもので、山門は建立当初の唯一の遺構となっている。「元禄六(1693)年十月十日」と記された棟札が残っており 、棟札も県文化財に含まれる。
 白山比盗_社は奈良時代以前の創建といわれ、天長九年(832)に白山の三馬場(加 賀、越前、美濃)が開かれた後は加賀馬場の拠点となった。本殿は明和五年(1768) から70年の間の建築と推定され、江戸中期の地方大社の貴重な遺構として価値が高いと判断された。
 その他の指定品
 熊野類懐紙(くまのるいかいし) 平家重筆
 熊野類懐紙(くまのるいかいし) 藤原重輔筆
 上時国家(かみときくにけ)文書 時国健太郎氏所有

● 京都府井手寺跡寺域の北端を確定(2007年12月15日)

 京都府井手町井手の井手寺跡で、同寺の北端の溝状の遺構が発掘され寺域の北が確認された。
 同寺の北端と考えられる場所に調査溝を2カ所掘り、断面から東西に伸びる約3メートルの溝状の遺構を確認した。この溝の遺構が築地塀などに関連のある遺構とみられることから、同場所が寺の北端で、寺域が約240m四方と推定される。
 調査溝からは、井手寺特有の軒丸瓦片1点やその他の瓦片など数100点の遺物が出土しているが、新たに平安時代の羽釜(はがま)や井手寺創建ごろの土師器の高坏、香炉の破片とみられる緑釉の須恵器1点も発見された。
 井手寺は、奈良時代の左大臣、橘諸兄が創建した寺とされており、橘諸兄の氏寺にふさわしい出土品という。


● 福島県借宿廃寺跡で講堂の遺構発掘(2007年12月14日)

 福島県白河市借宿の借宿廃寺跡で講堂の基礎とみられる遺構が見つかった。
  借宿廃寺は古墳時代終末期(白鳳時代)の7世紀終わりごろ、白河地方の行政・文化の中心施設として建設され、10世紀まで存続したとされている。これま で、金堂跡と塔跡が発掘されており、今回新たに、北側から講堂跡とみられる遺構が見つかったことで、中門から見て右手に金堂、左手に塔、その奥に講堂を備 える、東北地方ではほかに例のない法隆寺式伽藍配置の本格的寺院だった可能性が高まった。
 また、遺構の南西角の土中から粘土板に仏像を浮き彫りにし堂塔の壁面に飾った「仏(せんぶつ)」も完全な形で出土した。
 仏は縦5cm、横3.1cm、厚さ1.7cm。同遺跡から完全な形で見つかった仏は、大正末に採集され東京国立博物館に所蔵されているものに次いで2例目。東北で白鳳時代の仏は同遺跡以外では見つかっていない。
 市歴史民俗資料館で開催中の「白河の遺跡展」の目玉として、18日から公開される。


● 京都市清凉寺山門が破壊(2007年12月14日)

 京都市右京区の五台山清凉寺で、京都府の指定文化財山門の扉が壊れているが見つかった。
 扉は高さ約3.5m、幅約1.9m、厚さ約10cm観音開きで、片方は完全に外れ、もう1枚も壊されて外れかかっていた。左右にある仁王像は無事だった。
 同寺は源氏物語の光源氏のモデルとされる嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の別荘の跡地に建てられ、「嵯峨釈迦堂」の名で親しまれている。山門は江戸後期の1783年の建立で、2階建て二重門。
  現場から約1キロ南の渡月橋付近で、酒酔い運転で別の車と衝突事故を起こした男が現行犯逮捕されていて、乗っていた乗用車に多数の傷があり、この車と同じ 車種の部品が門の近くに落ちていたことや、山門北側の境内の砂利に、車が走り回ったような跡も残っていたことから、男が仁王門に車を衝突させた後、逃げた ものと思われるという。
 本堂には国宝の釈迦如来像が安置されているが被害はなかった。


● 奈良・法隆寺金堂修理で釈迦三尊など全仏像引越し(2007年12月11日)

 奈良県斑鳩町の法隆寺で金堂の須弥壇修理に伴い、国宝・重文などの全仏像12体が、来年2月から12月の予定で、約100m北の上御堂(かみのみどう)などに移されることになった。
 金堂のすべての像が堂外に出るのは、火災で焼損した金堂の解体修理落慶(1954年)以来53年ぶりという。
  法隆寺の金堂(国宝)の須弥壇(東西8.7m、南北5.4m、高さ約1.57m)は最近、表面の漆喰にひび割れが生じ始めており、ひび割れが進んでいた北 東隅部に立っていた多聞天像(国宝、7世紀)は、すでに安全のため堂外へ避難させ、現在奈良国立博物館に寄託している。
 寺では、修理は3月に漆喰をすべてはずし、本体にひび割れが及んでいるかどうかを確認し必要な部分を修復したうえ、再び漆喰を塗って乾燥させる。
  金堂には、聖徳太子夫妻のために止利仏師が造った銅造釈迦三尊像(国宝、623年)や、太子と推古天皇が完成させた銅造薬師如来坐像(同、607年)な ど、国内最古級の名作がある。昭和24年(1949)1月の火災で金堂が焼けて一時外へ運び出されたが、金堂落慶後は元の須弥壇の上に安置されてきた。
 期間中は上御堂で一般公開される予定だという。

● 鎌倉市東慶寺の観音菩薩坐像など7件市指定文化財に(2007年12月8日)

鎌倉市は市指定文化財に東慶寺の観音菩薩坐像、建長寺の達磨図など七件を新たに指定した。
観音菩薩坐像は像高約50cmで、左足を下ろしてくつろいだ姿勢が特徴的である。
 
市指定文化財は下記の通り。
観音菩薩坐像 東慶寺蔵
達磨図 建長寺蔵
若宮八幡神図 鎌倉市蔵
薬師如来立像 円覚寺蔵
灌仏盤 円覚寺蔵
鏧子 円覚寺蔵
永福寺跡出土荘厳具 鎌倉市蔵

● 藤原宮で最古地鎮具出土(2007年11月29日)

 奈良県橿原市の藤原宮跡で、宮の中枢だった大極殿近くの穴から日本最古の鋳造貨幣の富本銭と水晶が入ったつぼが出土した。
  大極殿院の南門から西に続く回廊の下に、注ぎ口が付いた須恵器の平瓶(ひらか)(高さ13.8cm、最大径20.2cm)が埋められていた。つぼの口が狭 く、富本銭が9枚詰まっていた。CTスキャナーで調べたところ、中には水がたまり、六角柱状の水晶9個(長さ2.1〜3.8cm、太さ1cm前後)底に水 晶も9本入っていた。
 埋められた場所の四隅に1辺約60cm、深さ約45cm穴があり、底に灰色の土を敷いてつぼを安置。同じ土で丁寧に埋めてあった。
 日本書紀は、持統天皇が持統6年(692)に「藤原の宮地を鎮め祭らしむ」と記述があり、日本最初の本格的な都とされる藤原宮造営の地鎮祭が行われた跡とみられる。


● 兵庫・丹波市の再興寺の仏像が平安後期の作と判明(2007年11月29日)

 兵庫県丹波市青垣町大稗の再興寺の釈迦、薬師、阿弥陀如来坐像三体が平安後期(十二世紀)ごろの作であることが判明した。
 いずれも像高約140cmで寄木造。中央の釈迦像は、腕やひざなど多くの部分が後世の後補に変わっているが、頭部や胸は当初のもので、像の様式や柔らかな表現や部材などから、いずれも平安後期に作られたことが分かった。
 三体は、近くの西光寺が焼けた際に再興寺へもたらされたと伝えられているが、三体の作風が異なることも確認され、別々に造られた像が集められた可能性もあるという。


● 高松塚壁画に赤い線や溝 (2007年11月28日)

 奈良県明日香村平田の高松塚古墳の石室に描かれた国宝壁画に下絵を転写した際に付いたとみられる赤い線や溝があることが分かった。
 下絵の痕跡は、「飛鳥美人」と称される西壁の女子群像の左端の黄色い衣を着た女性のスカートのような裳の部分と、東壁の男子群像の左から2人目の男性がかぶった冠で確認された。輪郭の一部に赤い顔料や、先のとがった細い棒などで下絵をなぞってできたような溝があった。
 明日香村阿部山のキトラ古墳の極彩色壁画には、四神図や十二支神図などに下書きで付いたへらの溝の跡が残されており、溝の中に赤い顔料が付いた部分があったことから、赤い顔料を塗った和紙を石室の壁にあて、その上に下絵を重ねてなぞったとみられていた。
 今回高松塚古墳からも同様の痕が見つかったことから、二つの古墳壁画が共通の手法で描かれた可能性が出てきたという。

● 清浄華院の文化財、33点公開20071122日)

 京都市右京区の佛教大アジア宗教文化情報研究所で、浄土宗七大本山の一つ清浄華院(京都市上京区)の貴重な文化財33点が公開されている。
  清浄華院は清和天皇の勅願で9世紀に創建されたと伝わる古刹で、南北朝から室町時代にかけて皇室や公家と密接な関係にあり、後水尾天皇の依頼により狩野永 納が模写した「泣不動縁起絵巻」(室町時代、重要文化財)など、戦火や大火を逃れた文書や絵画などが伝えられており、佛教大が一昨年から初めての本格的な 調査を行っている。
 その他、天皇の書などを入れた蒔絵の箱など優れた品質の工芸品や、江戸時代の庶民信仰を伝える秋葉権現立像なども並ぶ。

● 恭仁宮回廊の北西角跡を発見(20071122日)

 京都府木津川市加茂町の国史跡・恭仁宮跡で、政務の中心となる大極殿を囲んでいた回廊の北西角が見つかった。
 今回、礎石を据えた痕跡とみられる直径1.21.5mの穴が南北に6個見つかった。間隔は4.6mで、北端の3個は3.5mと短くなっていた。
 東の調査区でも、東西方向の4.6m間隔の穴を確認。穴は北西端から7m内側からも見つかり、回廊が7m幅であることが分かった。
 奈良時代の歴史を記した続日本紀に、平城京の大極殿と回廊を恭仁宮に移したとの記述があり、今回見つかった柱間が平城京のものと完全に一致したことから、移築が裏付けられ、構造も同じであることが証明された。

 

● 仏像内部から「目」の紙片(20071122)

 横浜市金沢区の太寧寺にある鎌倉時代の薬師如来立像の内部から「目」と書かれた紙片が見つかった。
 神奈川県立金沢文庫でこの薬師如来像を解体修理した際、目の部分を裏から彫り込み、奈良時代の写経から切り取ったと見られる「目」という文字が納められていた。
 仏像の中からお経の巻物や水晶が見つかることはあるが、写経の1文字だけを切り取った紙片が見つかるのは珍しく、薬師如来立像は病気治癒を願う信仰の対象で、目の病気に対する御利益を高めるために、写経から「目」という文字を切り取って中に入れたとみられるという。
 金沢文庫は1123日から、薬師如来立像や「目」と書かれた紙片の写真と関連資料を展示する。

 

● 一紙一字で書写 法華経八巻(20071122)

 京都府南丹市美山町の妙見堂から法華経の一字一字を小さな紙片に書いた珍しい経文が見つかった。
36cm、縦17cm、深さ20cmの木箱の中に納められた「妙法蓮華經巻第一」から「同巻第八」までの八つの紙包みの中に、1cm四方ほどの紙片が多量に入っており、それぞれにお経の一文字が書かれていた。
 この箱のふたや一緒に置かれていた別の木札の文字から、天明元(1781)年に文字権左衛門と名乗る人物が全巻を写経して奉納したと見られる。
小石に一字ずつ書いて経塚に埋める例は各地で見られる、紙片に記す例は知られていない。

● パソコン木簡解読システムを開発(20071122)

 奈良文化財研究所(奈良市)は、遺跡から出土した木簡に記された文字をパソコンで解読する初の支援システムを開発した。

システムは「Mokkan ShoP」と名付けられ、木簡の画像をパソコンに取り込み、解読したい範囲を指定すると、類似文字を示す複数の候補が表示され、選択できる。欠けている字についても候補が示されるという。また、それぞれの字が示す地名や人名、品目の候補も表示され、辞典などで調べる手間も省ける。

木簡の解読はこれまで、研究員らの知識や経験をもとに長期間かけて行われてきたが、新システムを使えば、解読困難な文字を読み取るだけでなく、文字が示す意味を探ることが容易になり、木簡解読の正確性と効率が高まりそうだ。

現在、約500種類の字が登録されているが、(今後は文字数をさらに増やす予定という。年度内にも研究所のホームページで公開する予定で、他地域の研究者たちが利用することも可能となる。 

 

● 京都・高麗寺跡から国内最古の築地塀出土(2007年11月21日)

 京都府木津川市山城町の高麗(こま)寺跡で、飛鳥時代後期の築地塀が倒壊した状態のまま見つかった。
 築地塀跡は、南門跡の東側で14m分、西側で17m分を確認。塀の高さは2.7〜3m、幅1.5mと推定され、東側では、塀の屋根瓦が密集して、大量に出土した。
 寺院を囲む築地塀が造られるのは奈良時代以降とされており、国内最古の築地塀考えられるという。
  また、高麗寺の伽藍配置は、これまで西に金堂、東に塔が並び、北に講堂を配する「法起寺式」とされてきたが、今回の調査で南門から参道とみられる石敷きが 確認できたことから、中門は、西側にずれた金堂の正面の場所にあることが判明し、信仰の対象が仏舎利を祀る塔から仏像を安置する金堂へ移ったことを示して いると考えられるという。

 

● 長浜城歴博で湖北町・十一面観音坐像を特別公開(2007年11月20日)

 滋賀県湖北町丁野(ようの)の観音堂の十一面観音坐像(町指定文化財−平安時代後期)が、長浜城歴史博物館(長浜市)で、11月日から29日まで特別公開されている。
 本像は像高86cmの坐像、十一面観音像は二臂像が通例だが、本像は六臂像である。
 本像は博物館で薫蒸作業をした後、一般公開された。

● 京都・知恩寺で快慶作の阿弥陀像発見(2007年11月17日) 

 京都市左京区の知恩寺が所蔵する木造の阿弥陀如来立像が、作風から鎌倉時代初期の仏師快慶の制作とみられることが分かった。
浄 土宗の委託で鑑定した岡山・就実大学の土井通弘教授が調査した所、胴体の厚みや、けさの腹部のたるみ具合、左ひじ部分にあるササの葉状の文様などの特徴 が、快慶作として知られる京都・遣迎院の阿弥陀如来立像と酷似しており、制作時期も遣迎院と同じ1190年代ごろと推定されるという。
 本像は像高さ98.9cmのヒノキの一木割矧造りで、江戸時代に表面の金泥が塗り直されているという。これまで快慶作と認められた同様の高さ1m弱の「三尺阿弥陀如来像」は、遣迎院を初め計14体が見つかっている。
 快慶の像は足ほぞに墨書銘があることが多いが、本像の場合足には小さい墨跡があり、またエックス線撮影で、内部に紙か薄木の納入品があることも確認されており、いずれも作者名が記された可能性がある。
 本像は12月1〜7日に、衆会(しゅえい)堂で無料公開される。

● イラク文化財の密輸で現役米軍大佐を告発(2007年11月17日)

 米司法省はわいろと引き換えに駐イラク米軍施設の建設工事を業者に受注させた上、イラク国内の遺跡から古代の陶器を密輸した疑いで現役の米軍大佐を告発した。
 密輸入されたと見られる遺品は、旧約聖書に登場するアブラハムの出身地とされる都市、ウルの遺跡発掘現場から持ち出されたものとみられる古代イラクの工芸品1点という。

● 新潟の寛益寺で仏像修復現場を公開(2007年11月16日)

 新潟県長岡市逆谷の寛益(かんにゃく)寺で17日、3年前の中越地震で被災した仁王門の金剛像と力士像(共に県文)の修復作業現場が公開される。
 金剛像と力士像は南北朝時代の作と伝えられるケヤキの一木造で、像高は3mを超え、地震の激しい揺れで部材をつなぐ鉄製部材表面や接着剤代わりの漆が浮き上がるなどの被害があり、7月から修復作業が続けられてきた。

● 宇治・広野廃寺の規模確認(2007年11月15日)

 京都府宇治市広野町の広野廃寺で、発掘調査の結果寺の南端と考えられる溝と掘立柱塀の柱穴、瓦だまりなどが見つかった。
  広野廃寺は、飛鳥時代後半から奈良時代前半の寺院跡で、1990年には寺域の西端の溝などを発見している。今回見つかったのは、寺の南域と考えられる約 20m幅の溝と、掘立柱塀の柱穴3カ所で、蓮模様の軒丸瓦片3点と、1000点近い平瓦や丸瓦片、土師、須恵器、鉄釘も出土した。
 これまでの調査から、寺は当時の平均的な大きさである約一町(110m弱)四方と推測されていたが、予想の場所から南端が出土し、より規模が明確になったという。周辺には豪族の館跡も見つかっており、一帯が地域の中心地だったとみられるという。

● 琵琶湖文化まとめた冊子発刊 水信仰や仏像など紹介(2007年11月13日)

  琵琶湖の文化的価値を広く知ってもらおうと、滋賀県教育委員会と県文化財保護協会は、水への信仰や関連する文化財をまとめた「水の浄土琵琶湖」を発刊した。
文化財活用事業「近江湖(うみ)物語」の一環。琵琶湖周辺に点在する薬師如来像や、水にまつわる信仰や行事などについて解説する。滋賀県内には、重要文化財に指定されている像が全国最多の45体あり、延暦寺(大津市)や宝光寺(草津市)の像を写真と合わせ紹介している。
 冊子は5章で構成され、A4判で50ページ。1冊700円で県埋蔵文化財センターや県庁などで販売し希望者には郵送するという。
17日には、大津市瀬田南大萱町の県埋蔵文化財センターで執筆者が内容を解説する。12月2日には、琵琶湖汽船(大津市)との共催で湖上から文化財を巡る「巡礼クルーズ」も行われる。

● 宇治平等院内の浄土院羅漢堂を一般公開(2007年11月11日)

 京都府宇治市の平等院内にある浄土院羅漢堂(市指定文化財)が12月16日まで、寛永17(1640)年の建立以来367年ぶりに、初めて一般公開されている。
  羅漢堂は平等院鳳凰堂の西側の塔頭浄土院境内にある堂で、一重入り母屋造りの本瓦葺き、奥行き約3.0m、幅4.0m、高さ約5.5m。堂内には本尊の宝 冠釈迦三尊像や十六羅漢像など計21体の仏像が安置されており、。壁には花頭窓がつくられるなど、平等院が和様式で整備されているのに対し、羅漢堂は禅宗 様式を持つ、平等院の中でも珍しい建造物だ。

● 高松塚古墳の石室解体パンフに(2007年11月8日)
 奈良県明日香村高松塚古墳で今年行った石室の解体作業について、無料パンフレットが作成された。
 石室の解体は今年4月から始まり、8月末までに天井石や壁画が描かれた壁石など計16枚が取り外されたが、解体作業の開始から壁石のつり上げ、車両で移動される様子までを順を追って写真で紹介しており、いま進んでいる修復作業の様子もよくわかる。
 このほか、壁画が見つかった1972年から現在に至る年表や、古墳の周辺地図、石室解体に至った経緯なども盛り込んだ。
 明日香村内の文化庁関係施設や、国営飛鳥歴史公園など奈良県内で5千部を配布するという。

● キトラ古墳で「彦星」の取り外しに成功(2007年11月7日)
 奈良県明日香村の特別史跡キトラ古墳で、石室の天井に残る壁画の天文図から、牽牛(けんぎゅう)など金箔と朱線で描かれた星座二つをはぎ取った。
 はぎ取ったのは「牽牛(彦星)」と「天津(てんしん)」の2星座を含む計11カ所。いずれもしっくいがぼろぼろになっているためヘラを使った。天津(縦10cm、横5cm)は5分割したが、牽牛(5cm角)はほぼ完全な形で取れたという。
7月からのはぎ取り作業で、星座全体を丸ごと取り出したのは今回が初めて。

● 横浜市教委文化財調査で不適正支出(2007年11月7日)
 横浜市教委の文化財調査で多額の不適正支出が見つかった。
  文化財調査に関する印刷物計十三冊が未発行であるにもかかわらず、印刷業者に前払いされていたほか、予算執行されながら実施されていない可能性がある文化 財調査が計十件あり、「調査団長」と記録されている人物が、実際には団長に就任していないなど、不正に支払われたと見られる金額は数千万円単位に上るとい う。
 不正にかかわったと見られる担当の女性職員は労働組合の役員を務めていることを理由に、二十年間という異例の長さで文化財課に勤務しており、歴代の上司が、女性職員に任せきりで、不正をチェックできない体質が長年続いていた。

● 大分真木大堂不動明王像九州国立博物館で修復(2007年11月7日)
 大分県豊後高田市の真木大堂の不動明王三尊像(本尊像高約2.6m 脇侍1.3m 重文)が、福岡県太宰府市の九州国立博物館で修復されることになった。
 三尊像は平安時代後期の制作で、1929年に修復されているが、近年、塗料がはがれて一部は素地が見えるなど傷みが進んでいた。
 真木大堂収蔵庫も12月から来年10月末にかけて改修予定で、12月3日から約1年間休館する。このため所蔵されている阿弥陀如来坐像や大威徳明王像、四天王像はこの間、宇佐市の大分県立歴史博物館に移して展示する。

● 宇治・三室戸寺観音の足裏公開(2007年11月4日)
 京都府宇治市莵道、三室戸寺の特別拝観「観音様の足の裏を拝する会」が始まった。
 観世音菩薩は阿弥陀三尊の脇侍で、正座した足の裏が指の細かい部分まで丁寧に彫られている。普段は壁を背にしているため足の裏は見えない。しかし、足の裏を見せてほしいとの要望が相次ぐようになり、10年ほど前から秋に像を後ろ向きに安置して足の裏を公開している。
    公開は11月3日から12月9日までの土曜、日曜、祝日のみ。

● 奈良・大安寺出土の風鐸金の輝きよみがえる(2007年11月1日)
 奈良市大安寺の大安寺旧境内の西塔跡から出土した風鐸などの金銅製品の保存処理が終わり、大寺院の伽藍を彩った古代の金色の輝きがよみがえった。
 風鐸は寺院建築や宮殿などを装飾する大型の風鈴で、平安時代に焼失した西塔跡の焼土より下の層から、塔最上部の相輪にぶら下げた風鐸2個(高さ約30cm)や、軒先に付けた大型の風鐸の破片が出土。泥やさびを取り除き、劣化を防ぐ処理をしていた。
 同じ場所で見つかった水煙の破片なども含め成分調査の結果、日本で鋳造された銅製で表面には金メッキが施されていたことが判明した。
 西塔には、相輪だけで80個、軒先も含めると計108個の風鐸が付いていたと考えられるという。

● 福井長運寺の十一面観音菩薩立像平安中期の作と判明(2007年11月1日)
 福井市照手一丁目の長運寺本堂に安置されている十一面観音菩薩立像が、平安時代中期(十世紀後半ごろ)に作られたと思われる古像であることが分かった。
  本像は、像高102.7cmで、頭部の化仏を失っているが、頂上仏面から足の裏のほぞまで一木から彫出されている。衣文の表現や右足を軽く曲げ遊足とする 姿などに古様を示しており、県内の十一面観音菩薩像では、小浜市の羽賀寺の十一面観音立像(重文)などに次ぐ古さという。


 本像は越前市武生公会堂記念館で始まる11月6日から12月9日まで行われる特別展「乱世を生きる−真盛上展」で展示される。


 また、本展示会に合わせ、期間中の日曜日のみ、越前市京町の引接寺の秘仏十一面観音立像(市文)の特別拝観も行われる。


● 中央アジアで拝火教の象徴を示す仏像の粘土型発掘(2007年11月1日)
 中央アジア・タジキスタン西部の遺跡調査していた龍谷大調査団が、仏像にゾロアスター教(拝火教)の象徴「拝火壇」が描かれた像の粘土製の型を発掘した。
 型は首都ドゥシャンベの南西約70キロにあるペルシャ系「トカラ人」が築いた町の遺跡「カレ・コファルニホン」の7−8世紀ごろの素焼き工房の跡発見されたもので、縦約10cm、横約4cm。
仏陀とみられる人物が、ゾロアスター教で火の崇拝に使われる「拝火壇」に手を添えている形が描かれている。
 仏教とゾロアスター教の両方の特徴を備えた像は珍しいが、浄土信仰は、ゾロアスター教の終末思想に影響されたという説もあり、貴重な資料という。

● 周防国府跡出土の金銅仏は飛鳥時代の作(2007年10月31日)
 防府市国衙(こくが)の周防国府跡から発掘された金銅仏が、7世紀前半の飛鳥時代に作られた、県内最古の仏像である可能性が高いことが分かった。
 この像は、2005年に国府敷地内を流れていた河川跡から出土したもので、像高3.3cmの金銅仏。頭部が大きく、なで肩で下半身のすそが広がっている。
 7世紀の朝鮮半島(三国時代)の仏像様式に似ており、菩薩立像か供養者立像と見られるという。

● 高松塚の石室壁画を動画で体験(2007年10月30日)
 奈良県明日香村の特別史跡、高松塚古墳の解体前の石室内を再現したデジタル動画が完成した。
  動画はハイビジョン映像で約10分間。石室解体前に3900万画素のデジタルカメラで撮影した精密デジタル写真約1000枚を、石室内の3次元測量データ と組み合わせ動画化した。女子群像の髪の緻密な筆遣いや、男子群像が掲げる蓋の繊細な模様、玄武を彩る顔料の濃淡の表現などが再現されており、実際に石室 内へ入ったような気分に浸れるという。11月1日から12月27日まで、橿原市の同研究所藤原宮跡資料室で一般公開される。
 ほかに36分の完全版もあり、来年には全国の美術館や博物館などにも貸し出すという。 

● 横浜市清林寺の菩薩立像平安時代後期作が判明(2007年10月29日)
 神奈川県横浜市都筑区大棚町の清林寺の本尊菩薩立像が、平安時代後期の像であることが分かった。
  菩薩立像は、寄木造像高98cmの寄木造で、平明な表情や、ゆったりとした肉どり、落ち着いた立ち姿から平安時代後期12世紀の作とされた。また、如来坐 像の脇侍として作られた可能性が高く、900年以上前の同地域に、中尊が等身大規模である三尊像を安置する寺院があったことを推測させる貴重な遺品だとい う。


 昨年9月に行われた都筑区内の仏像など全てを対象とした調査で判明したもので、区内で15件目の横浜市指定文化財として認定された。


 本尊は秘仏で、開帳は12年に1度、午年の4月に、川崎や横浜北部の札所をまわる「准秩父三十四観音霊場」として公開されている。なお、12月8日から1月14日までセンター北の市歴史博物館で、この像のほか、今回の指定された文化財計5件を展示される。

● 香川県まんのう・中寺廃寺跡食堂跡出土(2007年10月26日)
 香川県仲多度郡まんのう町の中寺廃寺跡で新たに食堂跡とみられる遺構が出土し、同寺の伽藍配置の全容が明らかになった。
 中寺廃寺跡は平安時代十世紀前半の創建と見られる山岳寺院で、これまでの調査で塔や仏堂跡のほか、漆を使ったと思われる赤く彩色した祭事土器や四国で初めてとなる上薬を使った多口瓶(たこうへい)陶器なども出土している。
 食堂跡はこれまでの調査で明らかになっている仏堂や塔跡付近で確認され、かまど跡と見られる遺構のほか、近畿地方産も土器が出土していることから他地域との交流が盛んに行われていたことが推測されている。


 また、一辺が1メートルを超える石組みの遺構が16基確認されており、これらは平安時代の仏教行事史料「三宝絵詞」など記された、石を積んで石塔とする年中行事の遺構と見られており、山岳仏教草創期を知る貴重な史料として注目を集めそうだ。



● 三仏寺で三仏寺鏡公開(2007年10月26日)
 鳥取県三朝町三徳の三仏寺で鸚鵡文(おうむもん)銅鏡=三仏寺鏡が、「投入堂の美術−正倉院宝物と結ばれた鸚鵡文銅鏡」で11年ぶりに公開される。
 三仏寺鏡は、鏡面に胎蔵曼荼羅の中台八葉院の諸仏が線刻され、鏡背には花をくわえた二羽の鸚鵡文様があり、長徳三年(997)に同寺に奉納された。
 三仏寺鏡は、中国浙江省紹興出土の「双鸞長綬(そうらんちょうじゅ)鏡=紹興鏡)」と文様や鏡の大きさがほぼ一致し、素材や技法が同じ白銅鋳造鏡であることから、唐時代に紹興の同じ工房で制作された銅鏡であることが分かっている。
 また、現在奈良国立博物館の正倉院展に出品されている、花鳥背八角(かちょうはいはっかく)鏡」は、三仏寺鏡よりふた回り大きく鏡背文様も華やかだが、綬帯をくわえた鸚鵡図柄の構成が同じで、三つの鏡は756年ごろ、中国で制作された兄弟鏡関係とされる。
 公開に当たっては、紹興鏡と花鳥背八角鏡のパネル写真が三仏寺鏡とともに並べられ、三徳山と平城京、中国との歴史的なつながりを発信する展示となる。

● 銀閣寺27年ぶり屋根葺き替えへ(2007年10月26日)
 京都府教委は、国宝や重要文化財など国指定文化財の保存修理や防災対策に対する本年度国庫補助事業の第2次内定分として、京都市左京区の慈照寺銀閣(国宝)の屋根葺き替え・部分修理など新規事業9件を発表した。
  慈照寺銀閣は室町時代中期に足利義政が晩年の隠居所として設けた東山山荘を死後遺言により寺院にあらためた。銀閣は正式には「観音殿」で1489年に完成 した。前回の屋根の葺き替えから26年が経過し、こけら葺きの劣化が進んだため、3年間で全面的に葺き替える。軒などの木部や土間、屋根の上の鳳凰の補修 や構造補強、漆喰壁の塗り直しを行う。内外の漆塗装も劣化が著しく、塗り直しも含め対策を検討する。
新規の国庫補助事業は次の通り。
【建造物保存修理】
▽慈照寺銀閣(国宝)の屋根葺き替え・部分修理(左京区)
▽近鉄澱川橋梁(伏見区)の塗り替え工事に伴う設計監理
【建造物防災施設】
▽梅小路機関車庫(下京区)の自動火災報知設備の新設
▽浄土院養林庵書院(宇治市)の自動火災報知設備改修
【美術工芸品保存修理】
▽報恩寺(上京区)の木造諸尊仏龕(ぶつがん)
▽西本願寺(下京区)の紙本著色慕帰絵詞
▽清水寺(東山区)の板絵着色朝比奈草摺曳図(くさずりびきず)
【史跡等・登録記念物保存修理】
▽妙心寺(右京区)庫裏の土塀修理
【文化財保存技術事業(伝承)個人】
▽表具用古代裂(金襴等)製作の技術錬磨、伝承者養成

● 福岡県で善導大師像に人の歯(2007年10月25日)
 福岡市博多区中呉服町の善導寺に伝わる県指定文化財・善導大師像(像高31cm)の頭部に、人の歯2本が納められていることが、九州国立博物館の調査で分かった。
  この大師像は4〜6月に開かれた特別展「未来への贈りもの−中国泰山石経と浄土教美術−」に出品され、閉幕後、同館がエックス線によるCTスキャン検査を 行ったところ、頭の内部に掘られた長円形の空洞(最長径約3cm)に2本の歯が紙のようなものに包まれて入れられているのを確認した。2本は別人のもの で、それぞれ大人と子どもの歯とみられる。
 善導寺は13世紀前半、浄土宗の開祖、法然の弟子で九州で布教活動を行った辨長が建立したとされ、像の制作年代も同じころと推定される。像には一度も解体された痕跡がなく、歯は制作時に入れられたらしい。
 像を作る際に、モデルとなった高僧自身やゆかりの人の歯や骨を納める習慣は平安時代後期から行われており、暦仁元年(1238)に没した辨長の歯である可能性が高いという。

● キトラ古墳天文図朱線剥ぎ取り(2007年10月25日)
 明日香村阿部山のキトラ古墳で、天井に残る天文図のうち、漆喰が劣化して剥落の危険性が高い朱線などを剥ぎ取った。
 作業は先月27日に続き4回目で、天文図南側の星座「孤矢」付近と南東の星座「星宿」付近を通る「外軌」の朱線2カ所のほか南側の余白1カ所、最大で縦10cm、横5cmを剥ぎ取った。

● 高松塚古墳丘の埋め戻し作業が完了(2007年10月20日)
 奈良県明日香村高松塚古墳墳丘の埋め戻し作業が完了した。
 石室を取り出した墳丘に開いた穴は南北7.2m、東西6m、深さ約5mで、発掘した際に掘った土で埋め戻した。頂部は防カビ処理した土のう約900個で保護し、引き続き、墳丘を雨水よけの防水シートで覆うという。
 今後、古墳をすっぽりカバーしている大型の覆い屋根を撤去し、保存施設も取り壊す計画で、来年秋には築造当時の状況を復元した墳丘が姿を現す。


● 平等院鳳凰堂の彩色画模写、一般公開(2007年10月20日)
 京都府宇治市平等院鳳凰堂の柱などに描かれた彩色画が模写、復元され、境内のミュージアム鳳翔館で一般公開が始まった。
 退色が進む柱や天井板などを装飾した彩色画を、エックス線分析や電子顕微鏡などで顔料を調査し、緑色の顔料、岩緑青を基調に、菩薩や羽ばたく鳳凰、唐草文様などを和紙13枚に写し取り、縦2m、横4mに並べて展示する。
 2007年10月20日〜12月16日まで。


● 尾道・常称寺の本堂など重文に(2007年10月19日)
 文化審議会は、尾道市西久保町常称寺の本堂、観音堂、鐘撞堂、大門の四棟など十件を重要文化財に指定するように答申した。
 常称寺は鎌倉後期、時宗二代・真教によって創建されたと伝えられる。室町中期の建築の本堂は、外観を和様、内部構成を禅宗様とし、内陣、外陣、脇陣を一体的な空間とするなど、中世時宗本堂の特徴を表している。
 大門は室町前期、観音堂は室町後期、鐘撞堂は江戸前期の建築。
 他の答申は次の通り。
 【重要文化財】
▽大谷派本願寺函館別院(北海道函館市)
▽千葉家住宅(岩手県遠野市)
▽旧三河島汚水処分場喞筒(ポンプ)場施設(東京都荒川区)
▽手塚家住宅(長野県塩尻市)
▽常称寺(広島県尾道市)
▽三河家住宅(徳島市)
▽竹村家住宅(高知県佐川町)
▽鹿児島旧港施設(鹿児島市)
▽旧与那国家住宅(沖縄県竹富町)

● キトラ古墳天文図、また黒いカビ(2007年10月16日)
 奈良県明日香村キトラ古墳の壁画石室天井に描かれた天文図の赤道を表す朱線上1カ所で、黒い粉状のカビが見つかった。
  汚れが見つかったのは朱線(赤道)上で、星座「室宿(しつしゅく)」のすぐ北側。大きさは直径約0.5cmで、漆喰がもろくて殺菌などの処置ができず、は ぎ取りを含め対応策を検討する。 朱線上では、今年3月や7月、9月にもカビが見つかっているが、いずれもエタノールで除去した。

● 仲麻呂邸宅跡は東西九間(2007年10月13日)
 奈良市四条大路一丁目で見つかった藤原仲麻呂(恵美押勝)の邸宅跡とみられる大型建物跡が、東西九間とみられることが分かった。
 調査範囲を東側に拡張したところ、南北に並ぶ2棟の建物跡で七間目の柱穴が見つかった。中央の柱穴がなく、さらに東へ延びることを確認した。奈良時代の大型建物で柱間が偶数になる可能性は低いことから、九間、約27mの建物であったと見られる。

● 鳥取・梶山古墳の彩色壁画一般公開(2007年10月13日)
 鳥取市国府町岡益にある国指定史跡・梶山古墳の壁画が、10月12日〜14日まで一般公開された。
 梶山古墳は飛鳥時代の変形八角形墳。古墳の南側には石垣に囲まれた高さ2m、幅14mの大規模な方形壇がある。彩色壁画は1978年に中国地方で初めて発見され、長さ53cmの魚や三角文、曲線文、同心円文が描かれている。

● 談山神社で十三重塔修理完了(2007年10月11日)
 奈良県桜井市多武峰の談山神社で    木造十三重塔(重文)の修理が終わり、美しい桧皮葺(ひわだぶき)の姿がよみがえった。
 国内唯一の木造十三重塔で高さ約17m。大化改新(645年)で知られる藤原鎌足の長男・定慧が父の冥福を祈って建立したとされ、現在の塔は室町時代の再建。
 明治時代に解体修理が行われたが、最近は各層の桧皮が厚いこけに覆われてぼろぼろになり、銅版で補強している状態だった。来月17日に落慶大祭が営まれる。

● 藤原宮に新たな運河跡出土(2007年10月10日)
 奈良県橿原市高殿町の藤原宮跡で大極殿院南門付近から、運河とみられる大規模な溝跡が見つかった。
  大極殿院南門の基壇跡近くの南北2カ所で、基壇の整地面を掘り下げたところ、溝跡と見られる水の流れで運ばれた砂が堆積した層が見つかった。同様の溝跡は これまでの調査で大極殿北側でも確認されているが、官人の仕事場だった朝堂院まで南側に伸びていたことが分かり、宮の造営のために資材を運んだ運河跡と考 えられるという。

● 奈良市の藤原仲麻呂邸で新たに大規模建物跡発見(2007年10月5日)
 奈良市四条大路一丁目で8世紀中末ごろの大型建物跡が見つかった。
 大型建物跡は2棟あり、いずれも東西15m以上、南北約6mの大規模な建物で、柱筋をそろえて南北に並び、南側の建物には縁側とみられる柱穴もあった。
 この場所は奈良時代に専権を振るった藤原仲麻呂(=恵美押勝、706〜764)の邸宅「田村第(だい)」があったとされる。
 田村第は日本書紀にたびたび登場。三条大路から南に8坪分(南北約530m、東西約250m)が定説で、長屋王邸の2倍にあたる京内最大の邸宅だった。聖武天皇の跡を継いだ孝謙天皇が一時的な御座所としたほか、皇太子も滞在したとされる。

●    截金の人間国宝江里佐代子さん死去(2007年10月4日)
 京都の工芸家で截金(きりかね)の重要無形文化財保持者(人間国宝)の江里佐代子(えり・さよこ)さんが、仏像や截金調査に出かけていたフランス北部のアミアン市で脳出血のため死去した。
 江里さんは、昭和20(1945)年に京都市に生まれ、大学で日本画や染色などを学んだあと、仏師の江里康慧(こうけい)氏と結婚。截金師の北村起祥氏について仏像を荘厳する截金の伝統技術を学んだ。
  截金の精緻で優美な意匠を駆使した屏風(びょうぶ)、衝立(ついたて)、飾筥(かざりばこ)などの工芸作品のほか、壁面装飾などの新たな領域を開拓。仏教 美術を基本とした独自の作風が評価されて、2002年に全国最年少で人間国宝に認定された。大学での截金の指導のほか、正倉院宝物の模造制作や古代の截金 装飾の調査にもあたった。
   
● 佐賀市高城寺で圓鑑(えんかん)禅師像里帰り(2007年10月4日)
 佐賀市大和町の高城寺は、本堂復興を記念し、10月5日から13日まで、同寺の国指定重要文化財「木造圓鑑(えんかん)禅師坐像」を一般公開する。
 同寺は1270年、圓鑑禅師(1233〜1308)が開山し、僧侶を指導する師家(しけ)寺として発展した。
 「圓鑑像」はヒノキ材で鎌倉時代に作られ、像さは85.5cm。現在は県立博物館に寄託されており、里帰りは37年ぶり。

● 奈良・纒向遺跡で最古のベニバナ花粉大量出土(2007年10月3日)
 奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で溝跡の土から赤色の染料に使われた大量のベニバナ花粉が確認された。
 分析された土は、同遺跡の中心部にある3世紀前半の溝跡から1991年に採取したもの。土壌1立方cm当たり270〜560個のベニバナ花粉があった。
 遺跡の中央に近い場所で見つかったことから、周囲でベニバナが栽培されていたのではなく、近くに染織の工房があり、捨てられた染料の廃液の中に花粉が大量に含まれていたとみられる。
 ベニバナはエジプトや西アジアが原産で花の赤い色素が染料となり、シルクロードを通じて2世紀ごろに中国に伝来し、染織の最新技術の一環として日本に伝わったとみられる。
 これまで最古だった藤ノ木古墳(同県斑鳩町、6世紀後半)の例を300年以上さかのぼる発見。 中国の歴史書「魏志倭人伝」には、女王・卑弥呼が魏に赤と青の織物を献上したとの記述もあり、邪馬台国に直接つながる一級の資料になる。

● 高松塚古墳壁画公開の方針(2007年9月29日)
 明日香村平田の高松塚古墳修理施設で文化庁年2回程度、壁画を公開する方針を示した。

● 文化庁に古墳壁画室発足(2007年9月29日)
 奈良県明日香村高松塚、キトラの両古墳の管理に特化した文化庁の古墳壁画室が、10月1日に発足する。
 両古墳では今まで文化庁の美術学芸課が壁画、記念物課が墳丘をそれぞれ管理していたが、高松塚の損傷事故などで、縦割りとセクショナリズムといった庁内の問題が指摘されていた。
 このため昨年夏に美術学芸課と記念物課の専任担当者4人を中心に高松塚、キトラ両古墳に関する業務を担うプロジェクトチームが作られ、た。今回行われた高松塚の石室解体がうまく運んだことから、常設の古墳壁画室への昇格が決まったという。
 古墳壁画室は美術学芸課内に置く。室長、専門職のリーダー格である古墳壁画対策調査官、美術、考古、埋蔵文化財、墳丘整備が専門の調査官1人ずつなど計8人。壁画を保存・修復し、墳丘を再整備して、技術者も育てる。

● 比叡山・明王院で平安期部材を江戸期の再建で再利用か(2007年9月29日)
 滋賀県大津市の天台宗の荒行「千日回峰行」の修行場として知られる比叡山延暦寺の明王院で、1715年に建て替えられた本堂の屋根裏や床下に平安時代後期のスギやヒノキ材が再利用されていたことが分かった。
 本堂の解体修理に伴い、屋根を構成する部材65点のうち9点を年輪年代測定法で調べた結果、すべてが12世紀初めに伐採されたスギかヒノキだった。他の部材も同年代の木である可能性が高いという。
 延暦寺の建物は1571年、織田信長の焼き打ちに遭い多くを焼失。これまでは室町時代後期の瑠璃堂が現存する最古の建造物とされていたが、今回見つかった部材は約400年さかのぼるという。
 これらの部材は梁や床板を支える横木など外側から見えない部分に転用されていたが、部材を組み合わせると、南北朝時代の記録集「門葉記」にある本堂の間取りや、発掘で確認された基壇の大きさとほぼ一致したことから、建て替えられる前の本堂の部材とみられる。
 部材の大きさなどから、創建時の本堂の規模や形も解明できるといい、再利用材から創建時の姿が立体的に分かったのは日本の建築史上異例という。

● 高松塚古墳の壁画に亀裂(2007年9月29日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、石室解体後修理施設に運ばれた壁画の表面が、カビとバクテリアの分泌物が収縮したため、一部に数mm程度の亀裂ができた。
 亀裂は、西壁女子群像の右端の女性の袖に当たる部分になどで、見つかった。壁画を覆う分泌物の膜が乾燥して収縮し、絵の描かれた漆喰がめくれ上がったのが原因と見られ、水などでぬらすと亀裂はほぼ消滅した。
 施設内はカビを防ぐため、室温21度、湿度55%に調整しているが、石室内の湿度が90%以上だったことから、湿度の急激な低下によってバクテリアなどのゼリー状物質の乾燥が進行したためと見られる。
 分泌物を取り除くと、顔料が落ちる危険性があるため、水を含ませ、浮き上がった顔料を沈ませて目立たないようにする処置が続いている。施設内でも劣化が進む可能性が浮上する一方、他の壁画もゼリー状物質に覆われており、対策が急がれそうだ。

● 平等院で「平成大修理」終わる(2007年9月29日)
 京都府宇治市の平等院鳳凰堂で、50年ぶりに行われていた修復を終えた本尊阿弥陀如来坐像と100年ぶりに修復された頭上の装飾天蓋(てんがい)が安置された。
 阿弥陀如来坐像は金箔の剥落止めなどのため、2004年2月から2005年8月、坐像の頭上につるされている天蓋は2005年9月から2007年6月まで汚れ落としや金箔の保護を施していた。
 修理に伴い、今年6月から中止していた鳳凰堂内部の拝観は10月1日から再開される。

● 「国宝 薬師寺展」来春東京で開催(2007年9月28日)
 東京国立博物館で、平城京遷都1300年にあたる2010年に向けて同博物館が開催する記念特別展の第1弾として、2008年3月25日から6月8日まで「国宝 薬師寺展」が開催される。
 日本仏教彫刻史上、最高傑作の一つと称される薬師三尊像のうち、日光・月光両菩薩立像(ともに国宝)が初めてそろって寺外で公開されるほか、東院堂の聖観音菩薩立像や奈良時代の貴重な彩色画吉祥天(きちじょうてん)像など国宝9件を含む約50件が展示される。

● キトラ古墳天文図、年度内に4分の1剥ぎ取り(2007年9月27日)
  奈良県明日香村キトラ古墳で、石室天井部に残され、漆喰(しつくい)の変色やカビ被害が深刻化している天文図(直径65cm)について、今年度中に手作業 で全体の4分の1程度をはぎ取ることにし、まず朱線が書かれた北側や南側を含む3カ所について、手作業ではぎ取りを実施した。
 今回は、北側の太陽の通り道を示す「黄道」や「外規」などを含む長さ8cm、幅5cmの範囲で9片がはぎ取られた。
 また、残りの部分について、壁画のはぎ取りで使用した特殊機器「ダイヤモンドワイヤ・ソー」を改良し、来年度中にはすべてはぎ取ることになった。

● キトラ古墳の寅、丑、子壁画来年5月公開へ(2007年9月27日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳の石室からはぎ取った十二支像壁画のうち、子(ね)、丑(うし)、寅(とら)の3種類が来年5月9〜25日、同村の飛鳥資料館で一般公開される。
 キトラの壁画公開は西壁の白虎(昨年5月)、北壁の玄武(今年5月)に続き3度目。

● 桜井市纒向遺跡で国内最古の木製仮面出土(2007年9月27日)
 桜井市北部の纒向遺跡3世紀前半ごろの木製仮面が出土した。
  仮面は長さ26cm、幅21.5cm、厚さ0.6mm。アカガシ亜属の柾目材で作られた広鍬(くわ)の刃を転用し、両目の部分に穴を開けている。口は鍬の 柄を通す穴をそのまま使い、鼻の穴も造形されていて、眉の部分には赤い顔料が少し付着していた。鍬として使った痕跡はほとんどなく、何らかの農耕儀礼で用 いられたと見られる。
 古代の仮面としては、神戸市の宅原(えいばら)遺跡(7世紀初頭)で出土した木製仮面が最古だったが、これを約400年さかのぼり、国内最古。
 今回出土した仮面は10月3日から12月2日まで、桜井市芝の市立埋蔵文化財センターで開催される「ヤマト政権はいかにして始まったか―王権成立の地 纒向」で展示される。

● 鳥取三仏寺本堂解体修理(2007年9月14日)
 鳥取県三朝町三徳の三仏寺で、2003年度から進める三徳山開山千三百年に合わせた国宝投入堂をはじめとする「平成の大修理」の最後の事業として本堂の解体修理が行われる。
 本堂は天保10(1839)年に鳥取藩主池田斉訓が再建されているが、長年の風雪によって老朽化が進み、屋根の雨漏りや柱の傷みも激しい。応急処置で修理されたトタンぶきの屋根も再建当時の柿葺き(こけらぶき)にし、元の姿に修復する。

● 韓国・石窟庵60年代の復元工事に誤り(2007年9月23日)
 韓国慶州市の石窟庵で、1960年代に行われた復元工事に誤りがあったことがわかった。
 成均館大博物館が17日に公開した石窟庵補修工事直前に撮影された写真によれば、現在、石窟庵の前室左右に4体ずつ並んでいる八部神衆は、本来は入口直近の1体が90度曲がって安置されていたことが分かるという。
  石窟庵は、1909年に発見されたが、発見当時の石窟庵は荒れ果て原型を完全に失っており、彫刻像の間隔が開き、後ろに積み上がった石が見えるほどだっ た。日本統治下の1913年から1915年に本尊仏を除く全ての部材を解体し再建されたが、この際、左右の入口にある八部神衆像1対については、他の八部 神衆に対して90度角度を付けて配置した。しかし、韓国文化財管理局が1961年から64年にかけて石窟庵を再度復元した際には、この八部神衆を他の八部 神衆と同じく一列に並べたことから、前室の構造論争が始まっていた。
 この写真は、1910年代、慶州で東洋軒という写真館を運営していた日本人田中氏が撮影したものだと言われている。当時の朝鮮総督府博物館長・京城帝国大学教授だった藤田亮策氏が所蔵していたが、1953年に成均館大が購入し、所蔵してきた。

 

● 三十三間堂の門にペンキの落書き(2007年9月23日)
 京都市東山区の三十三間堂の北門と東大門に灰色のペンキが掛けられたような跡が数カ所で見つかった。
 被害に遭ったのは寺の東側にある北門と東大門。いずれも外側の高さ約1.5mのところに、灰色のペンキのようなものが波状に広がっていた。
 北門は江戸時代に造営されたものを別の寺院から1961年に移築、東大門は同年に建築されたもので、共に文化財指定は受けていない。
 国宝の本堂や重要文化財の南大門には被害はなかった。

● 登録有形文化財(建造物)166件答申(2007年9月22日)
 文化審議会は、和洋折衷の教会建築「スミス記念堂」(滋賀県彦根市)や、昭和初期の三連アーチ橋「若桜橋」(鳥取県若桜町)など166件を、登録有形文化財(建造物)とするよう文部科学相に答申した。
 スミス記念堂は米国人牧師のパーシー・アルメリン・スミス氏が1931年に建設。外観は瓦ぶきの寺社建築だが内部は教会で、扉にブドウや十字架が彫られるなど西洋の装飾が施されている。道路拡幅工事のため今年三月に移築が完了した。
 若桜橋は1934年に完成した長さ83mの鉄筋コンクリート造りの三連アーチ橋。昭和恐慌後の復興事業として建設された。
 このほか、答申に盛り込まれた前橋市中央児童遊園(前橋市)の「もくば館」は、五四年ごろ製造された現存する最古級の鉄製電動木馬五基を備えた施設で、現役遊具としては初の登録となる。

● 大阪・岸和田で行基が築いた堤・送水管が出土(2007年09月21日)
 大阪府岸和田市の農業用ため池・久米田池で、奈良時代の僧行基が築いた可能性の高い堤と送水管が見つかった。
 出土した堤は長さ8m、幅10m、高さ1.2m。池の水をせき止めていたらしい。植物の葉を敷き、粘り気のある土と小石で突き固めた層を幾重にも施して崩れにくくする「敷葉(しきは)工法」だった。
 池から田に水を引いたとみられる送水管は松の大木をくりぬいており、水が通る部分の幅は35cm(全幅55cm)、長さ3m。
 行基は現在の堺市で生まれ、民衆を率いて近畿各地にかんがい用ため池や橋を造っており、久米田池も行基が掘削を指導したと伝えられているが、実際の遺構が発掘されるのは珍しい。

● キトラ天文図にゼリー状のカビ(2007年9月21日)
 奈良県明日香村の石室に描かれた天文図に、黒いカビやバクテリアなどによるゼリー状物質が発生した
 カビは、天文図西寄りのオリオン座やおうし座近くの赤道で3カ所、太陽の通り道を表す黄道で2カ所確認された。いずれも黒い粉状で、1センチほどの大きさ。うち4カ所は、バクテリアとカビの混合物のゼリー状物質がカビの上を覆っているという。
  天文図については、今月に北斗七星付近など20カ所以上にわたって黒や青に変色しているのが確認され、劣化が深刻化している。一方で、天文図の漆喰は剥落 の危険性が高く、同庁で天文図を損傷させずにはぎ取る方法を検討しているが、有効な技術が見つからず、先送りされた状態となっている。

● 湖北の丁野観音堂十一面観音、虫退治で長浜城博物館(2007年9月19日)
 滋賀県湖北町の丁野観音堂の十一面観音坐像(町指定文化財)が、虫退治のため、長浜市大島町の長浜城歴史博物館に搬送された。
 十一面観音坐像は、像高約78cmの六臂の一木造りで平安時代後期の作という。
 キクイムシ系の虫が足部分に入っており、今月下旬に博物館で、薬剤を使って殺虫する燻蒸を行い、十二月初めに観音堂へ戻される。

● 佐賀県・彦嶋神社の神像は鎌倉時代の制作(2007年9月18日)
 佐賀県杵島郡白石町室島の彦嶋神社に祭られてきた神像が、鎌倉時代後期ごろに作られた木造彫刻であることが分かった。
 神像は、中国風の衣装を身に着けた「唐装」の男神像(高さ51cm)と女神像(約47cm)、僧服を着た僧形像(約41cm)、和装の女神像(約 30cm)の4体で、彦嶋神社境内にある石の祠(ほこら)内に祭られていた。いずれもヒノキとみられる一木造りで、和装の女神像は傷みが激しいものの、他の3体は手の部分が欠けた程度で、保存状態も良好。首などに彩色の痕跡もあり、当初は彩色されていたことが分かる。
 こめかみを絞った面長な顔立ちなどの特徴から、鎌倉時代後期から南北朝時代の制作と推定され、県内の中世美術、九州の神道美術を代表する木像として位置づけられるという。
 彦嶋神社では、他県で盗難被害が相次いだことから、盗難の恐れから文化財として県立博物館に寄託し、博物館では来年にも一般公開する。

● 東京国立博物館にバーチャルリアリティー劇場オープン(2007年09月15日)
 東京・上野の東京国立博物館内にバーチャルリアリティー(VR)技術を使って文化財に関する番組を上映する専用の劇場が、この秋オープンする。
 中国の故宮など、世界各地の文化財のVR化に取り組んでいる凸版印刷と、同博物館の共同事業で、館内に5m×3mのスクリーンを持つ約30人収容のVRシアターを建設し、週末を中心に、文化財に関する番組を見せる。
 一般公開は11月2日からで、シアターの設置期間は当面3年間。関西の古社寺をテーマにした番組を上映する予定で、今後、コンテンツを増やすとともに、同館が所蔵する文化遺産のデジタル保存なども模索していくという。

● 東京国立博物館が東隆寺本尊を無届けで展示(2007年9月13日)
 東京都台東区上野公園の東京国立博物館行われた、「京都五山 禅の文化」展で、山口県宇部市の東隆寺の本尊地蔵菩薩坐像が、山口県や宇部市への届け出がないまま出品されていたことが分かった。
施設的に問題はないものの、県が博物館側は県の要請を受けて届け出を行ったという。

● 韓国で1300年前の巨大仏像が出土(2007年09月11日)
 韓国の慶州市南山列岩谷で統一新羅時代(8〜9世紀)の大型磨崖仏像が出土した。
 仏像の像高は5.6mの如来像で、70トンに達する花崗岩に浮き彫りで施されている。
 地面に埋まっている状態で発見され、数か月にわたる発掘作業をへて、ようやく顔、胸、肩などの部分が姿を見せた。

完成直後に前面を下にして土に埋まったために風化を免れたと見られ、鼻が5cm程度欠けているほかは、ほぼ制作当初の姿をとどめている。
 楕円形の顔と高い鼻、伏目がちの鋭い目つきと柔らかく処理された厚目の唇や、肩に達するほど大きな耳が特徴的だという。

  

● 戦時下の文化財保護「ハーグ条約」批准へ(2007年9月8日)
 戦時下でも文化財を守ろうという意志を明文化した、国連教育科学文化機関の通称「ハーグ条約」に日本が近く批准する。
 締約国は117カ国。イラクは締結したが、米国やイギリス、北朝鮮などは加入していない。     条約では、文化財の集中地区などを特別に保護するには、放送局や幹線道路など、軍事目標となる施設との間に「十分な距離」を確保しなければならないことが条件になっており、京都や奈良が対象にならない可能性があり、日本は今まで批准を行っていなかった。
 しかし、1999年に、新たに採択された条約を補足する議定書によって、この「十分な距離」を確保する要件に縛られなくてもよくなり、批准への道が開けた。
 ハーグ条約で保護されている文化財は、目印として「ブルーシールド」と呼ぶ標識を掲げることになっている。

● 高松塚古墳石室跡埋め戻し開始(2007年9月7日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、発掘調査が終わった石室跡の埋め戻しが始まった。
  石室跡は現在、南北5.2m、東西4m、深さ2.7mの穴になっており、壁画の修理が終われば石室を墳丘内に戻すことにしているため、再度掘り返した際に 遺構との区別がつきやすいよう、底部に川砂を20cmの厚さに敷き詰め、その上に、墳丘の茶色い土とは違う緑っぽい色をした砂を使う。
 今月中旬からは、発掘調査で掘り出した墳丘の土で全体を埋め戻し、年内にかけて元の姿にするという。

● 藤原京で、平城京しのぐ国内最大級の木造門跡出土(2007年9月6日)
 奈良県橿原市高殿町の藤原宮跡で、国内最大級の木造の門跡が見つかった。
 門跡は、大極殿院と役人が政務にあたる朝堂院の中間で見つかった。基壇部分は東西39.1m、南北16.4mで、南側と北側には、長さ24.7m、幅1.2mの大規模な石の階段があったことが判明した。
 正門の建物部分は残っていないが、基壇の規模から東西8本、南北3本の柱で東西約35m、南北約10mと想定され、平城京大極殿の正門(東西約24m、南北約12m)を上回る規模と見られる。

● キトラ古墳の天文図星の金箔や朱線はぎ取る(2007年9月6日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳で、石室天井に描かれた天文図の星座(星宿)の星を表す金箔や、星を互いにつなぐ朱線の一部などの計4カ所を金属製のへらではぎ取った。
 天文図の下地であるしっくいの状態が悪く、はがれ落ちる恐れが高かったための緊急処置で、はぎ取った部分は、赤道の朱線が縦15mm、横5mmで最大、小さいものは2mm四方程度だった。
 また、漆喰の剥ぎ取り作業に先だって行われた点検で、天文図が描かれた石室天井の20カ所前後で、漆喰が青あざ状に変色しているのが判った。
 変色は天井全体に発生し、一部はさらに赤色や黒色になっており、最大で直径約10cmと確認された。カビなどのように漆喰の表面に発生するのではなく、内部から変色しているが、原因は不明で、来週以降にも生物学的な調査の実施を検討している。

● 平城宮跡東院地区中枢部区画の回廊跡発見(2007年8月31日)
 奈良市法華寺町の平城宮跡東院地区で、中枢部を区画したとみられる奈良時代後半の回廊跡が見つかった。
  見つかったのは回廊の西南隅にあたり、東西、南北とも約27m、東西の回廊には建物跡が取り付き、さらに東に延びていた。最も大きい建物跡は東西27m、 南北12mで四方にひさしが張り出し、柱の据え付け穴も1辺約2mと内裏正殿に匹敵する構造で天皇の生活空間だった正殿級の建物が眠る可能性があるとい う。
  
● 福井県の文化財報告書未刊問題で回答(2007年8月31日)
 福井県教委が発掘調査を行った埋蔵文化財のうち19件の報告書が未刊になっていた問題で、市民オンブズマン福井が県教委に提出した公開質問状の回答が公表された。
 これによると、外部監査実施の提案ついて「業者の確認作業に専念している」との回答にとどまるなど、質問に対して十分な説明がないとして、同オンブズは近く再質問状を提出し面談で回答を求める方針という。
  同オンブズは、未刊報告書の印刷費用を職員や退職者のカンパで賄う意向を県教委が示していることについても、不適切な会計処理に対する見解や責任の所在、 調査の詳細な内容が明らかにされていないと指摘。また、未刊報告書の発刊計画についても、30年以上未刊行となっている報告書の刊行が年度内に可能なのか 疑問として説明を求めていく方針。

● 岡山市指定文化財に上生院の観音菩薩坐像など選ぶ(2007年8月30日)
 岡山市は同市桜橋の上生院の観音菩薩坐像など18件を新たに市指定文化財に指定した。
 上生院の観音菩薩坐像は、平安後期の木造で、像高68.0cm、同市内で文化財に指定されている平安仏は4点しかなく、極めて貴重という。
 このほか、灘崎町奥迫川の熊野神社所有の大般若経は、今回の調査によって、写本の中に平安後期にさかのぼると推定されるものが含まれていたことが分かった。

● 北朝鮮の博物館が国宝級文化財を処分(2007年8月30日)
 平壌の朝鮮中央歴史博物館が最近、国宝級文化財の彩篋(さいきょう=竹を編んだ後、絵を描いたかご)を日本の放送関係者に70万ドル(約810万円)で売却してほしいと依頼していたことが明らかになった。
 北朝鮮の政府幹部が外貨稼ぎ目的で文化財を密かに流出させているといううわさはこれまでもあったが、確認されたのは今回が初めてだ。国家を代表する中央博物館までが公然と歴史遺物を売却するのは、世界的にも例がない「事件」だ。
  今回の事実は、TBSテレビが6月10日『報道特集』で「なぜ売られるのか、北朝鮮の歴史的秘宝」と題した報道を行ったことで明るみに出た。問題の展示品 は、1931年に朝鮮古跡研究会が平壌で発掘した彩篋塚(3世紀ごろ)から出土した、精巧に編んだ竹の上に絵を描いた宝物箱で、当時「超一流の世界的遺 物」という評価を受けた。
 TBSによると、放送後、北朝鮮側からは何の反応もなかったという。



● 奈良・法隆寺で7世紀前半の鴟尾が出土(2007年8月28日)
 奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺で修理のため解体した法隆寺西院大垣(築地塀)の下から建物の屋根を飾る鴟尾(しび)の破片が出土した。
 今回見つかった鴟尾は、反り返った尾の一部で、縦30.5cm、横28.6cm。復元すれば高さ1.2〜1.3m程度になるとみられる。同時に出土した瓦の年代から、飛鳥時代中ごろ(622〜643年)の若草伽藍のものと見られる。
  同伽藍の鴟尾はこれまで7種見つかっており、中心の金堂や塔のものとされてきた。今回のものは背びれのデザインが異なる新しい種類で、出土場所が同伽藍の 北東隅にあたるため、一般に境内北側に建てられる講堂の鴟尾の可能性があるという。また、蘇我馬子が6世紀末に造営した日本最初の本格的な寺院・飛鳥寺 (奈良県明日香村)出土の鴟尾片と文様が酷似しており、仏教中心の新しい国づくりで協力した蘇我氏と聖徳太子の結びつきの強さを改めて示す資料として注目 される。
 若草伽藍は606年か翌年に、聖徳太子が創建したとされる。670年に焼失後、現在の法隆寺ができたという見方が強く、2004年と2006年に焼損壁画片が多数出土したが、金堂や塔以外の姿は不明だった。

● 三徳山投入堂60年ぶり3人だけ特別拝観(2007年8月21日)
 鳥取県三朝町の三徳山三仏寺は十一月に一日だけ、断崖絶壁に建つ国宝・投入堂に一般人の特別参拝を約六十年ぶりに認める。
 投入堂は断崖絶壁の中腹にあり、滑落事故が絶えなかったことから戦後まもなく滑落防止と文化財保護のため、柵を作って参拝者らの入堂を禁止した。
 今回の限定公開は、三徳山開山千三百年記念事業の一環として昨年、百年ぶりに修復を終えた投入堂の落慶法要も兼ねて、十一月上旬から中旬の一日だけ、三人限定で拝観できる。参拝者は応募で募り、多い場合は選考で決めるという。
(応募は9月1日に締切られました)

● 四国霊場88カ所の本尊写真収録DVDを出版(2007年8月27日)
 四国霊場88カ所の本尊をすべてを3年間かけて撮影した宗教写真家が、「四国88カ所―祈りの仏たち―秘仏巡礼の旅」のDVDを出版した。


  宗教写真家の桜井恵武さんは、約10年前から高野山の秘仏や年中行事を撮影。その後、弘法大師ゆかりの四国霊場を中心に活動を続け、写真集を出版するなど している。四国八十八カ所の本尊は原則非公開だが、各札所と交渉を続け、約3年間かけてすべてを撮影した。

DVDには88カ所すべての本尊やお遍路さ んの姿を切り取った写真のほか、その写真を基に画家の高橋アキラさんが描いた細密画などを収録。バックには、歌手・夢慧(ゆめさと)さんの歌うヒーリング ソングが流れている。



 DVDは、桜井さんが全国で開催している写真展などで6月末から、税込み3000円で販売するという。

● 安土桃山時代の金箔瓦大量出土(2007年8月21日)
 京都市上京区中立売通室町西入ルで安土桃山時代の大名屋敷の屋根を飾ったとみられる金箔瓦が大量に出土した。
 瓦は井戸跡(直径1m、深さ2m)から600点余り出土した。ほかに遺物や土はほとんどなく、瓦だけがびっしり詰まっていた。
 金箔瓦は軒瓦や屋根の上の部分を飾ったとみられる飾り瓦があった。ヘビか竜の尾を絡ませたような図柄に、きらびやかな金箔が良好に残っていた。鬼瓦は目や角、口などが明瞭(めいりょう)に残り、恐ろしげな形相を見せている。
 出土場所は内裏と聚楽第(じゅらくだい)を結ぶ正親町小路沿いで、1588年の天皇の聚楽第行幸に合わせて金箔を張って装飾した大名屋敷が、1595年の聚楽第破却で、一気に壊された際に捨てられたものとみられる。

● 文化庁が古墳と壁画の管理一元化へ(2007年8月21日)
 文化庁は、奈良県明日香村の高松塚、キトラ両古墳の管理と、内部に描かれた極彩色壁画の保存・修復作業を一元的に進めるため、保存管理にあたる「古墳壁画室」と、各分野の情報の共有や調整に当たる「文化財保護調整室」を、10月1日に新設する。
 極彩色壁画は国内に2例しかなく、高松塚の壁画は国宝に指定されている。しかし高松塚の施設工事で石室内にかびが入り込み壁画が劣化。壁画と古墳を管理する担当課が異なる文化庁の縦割り行政の弊害が問題になっていた。
 担当室では美術や考古学の専門官らを集め、両古墳と壁画の管理を連携して行う。現在、ほとんどの極彩色壁画は奈良県内の保存修復施設に運び込まれており、これから本格的な壁画修復に着手する。

● 高松塚の石室解体終了(2007年8月21日)
    奈良県明日香村の高松塚古墳で行われている石室解体は、最後の床石2枚を修復施設へ運び、すべての作業を終えた。
 高松塚の石室解体は4月に始まり、最終日に取り外したのは南端石(長さ約90cm、幅約160cm、厚さ約50cm)と、南から2枚目の石(長さ約 89cm、幅約162cm、厚さ約48cm)。取り外された16枚の石材は、今後は修理施設でカビなどで劣化した壁画を修復される。
 今後10年間かかるとされる修復作業では、カビなどによる汚れを除去し、漆喰を強化するが、漆喰に根を張ったカビを完全に取るのは不可能なうえ、白虎などの消えた描線は元に戻らないとされており、困難が予想される。
 墳丘については、床石の下の発掘調査を今月末まで実施した後で埋め戻し、造営当時の姿を復元するという。

● 京都の写真家が醍醐寺の写真展開催(2007年8月21日)
 約25年にわたり京都・醍醐寺を撮り続けるフリーカメラマン中島佳彦さんの初個展「醍醐寺精華」が、8月22日から26日まで中京区の京都文化博物館で開かれる。
 中島さんは、美術印刷会社「便利堂」の写真部員として、国内外の美術品を撮影してきた。特に醍醐寺では建物や仏像、絵画や庭園などを長年撮り続け、2001年に出版された学術書「醍醐寺大観」の写真も担当した。
 個展では「仏像」と「五重塔」「三宝院庭園」に分け、45点を展示。アップの顔が穏やかな表情をみせる如意輪観音坐像や、真横から撮影して神秘的な雰囲気を醸す聖観音立像、さらに四季折々の三宝院庭園など醍醐寺の多様な姿を紹介する。
 今後、大阪市中央区の富士フィルムフォトサロンでも9月28日から10月4日まで開かれる。

● 高松塚古墳の床石2枚取り外し(2007年8月20日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、4枚ある床石のうち2枚を取り外し、村内の修理施設に運んだ。
 残る2枚も21日にも取り外して解体作業をすべて終わらせる。
 20日に取り外したのは北端の石(南北長0.93m、東西幅1.54〜1.59m、最大厚0.37m)とその隣の石(南北長0.81m、東西幅1.62m、最大厚0.45m)で、専用鉄枠で1枚ずつ石室部分から搬出した。
 取り外し後の調査で、2枚目の石の北側面に、しっくいを塗ったはけの目とみられる痕跡が見つかった。南側面の下部に、築造当時に欠けた幅二十数cmのくぼみも確認され、漆喰が詰まっていたが、取り外しの際にはがれたという。

● 正倉院の伎楽面再現(2007年8月14日)
 平成16年度から制作が進んでいた正倉院宝物の伎楽面「獅子面」の模造品が完成した。
 再現されたのは「南倉一 木彫 第130号 獅子」で、縦30cm、横32.2cm、奥行き44.8cmと大きく、迫力ある彫刻は正倉院に伝わる9面の獅子面の中で最も造形的に優れ、天平期の基準作と目されている。
 事前調査で宝物の口の中に「東大寺」「宝四年四月九」との墨書が見つかり、天平勝宝4(752)年の大仏開眼法要の際に使われたものと推定される。
 模造は国産のキリ材を彫刻し、彩色はすべて宝物と同じ天然絵具を使用。宝物は両耳などが欠け、褪色や剥落(はくらく)が激しい状態だが、模造品により当初の姿が鮮やかに出現した。

● 高松塚古墳で、石室の木棺の下に棺台(2007年8月10日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、石室の床石に木棺を載せた棺台の痕跡が見つかった。
 壁画発見時の1972年調査で棺台は見つかっておらず、これまでは金箔を張った木棺を床石の上に直接置いたとみられていた。
  石室解体に伴って同庁が床石の表面を詳しく調べたところ、厚さ約2mmの漆喰が残る南東部に、直角に漆喰のない部分があった。この部分から推定すると、発 見時に朽ちていた木棺の底面(幅57.6cm、奥行き199.2cm)より一回り大きい長方形になり、1972年の調査で見つかった木棺の底板よりもひと 回り大きいことから、棺台と判断した。
 棺台は推定で幅67.5cm、奥行き217.5cm、高さは、東壁で見つかった傷から17cmで、木製だったとみられる。床石に漆喰を粗塗りした後、棺台を置き、周囲に漆喰を丁寧に塗って仕上げたらしい。
 棺台は天武・持統天皇陵などの棺にもあり、同古墳の被葬者も高貴な人物だったことが改めて裏付けられた。

● 平城京跡で高級唐三彩の破片が出土(2007年8月11日)
 奈良・平城京跡で、花びら文様を型押しした「貼花文(ちょうかもん)装飾」のある唐三彩の破片(8世紀前半、縦5センチ、横7.5センチ)が出土した。
  平城京の一条南大路の北側溝跡から、土器などとともに見つかった。破片は、縦5cm、横7.5cmで、全体を復元すると直径約21cm、高さ約17cmに なる三本脚の香炉らしい。緑色の地に、褐色の唐草文様「宝相華(ほうそうげ)文」を型押しする貼花文装飾が施してあった。宝相華は唐時代に盛んだった文様 で、日本では仏教寺院の装飾などとして奈良・平安時代に流行した。
 貼花文装飾がある唐三彩片の出土は、大宰府跡(福岡県太宰府市)と沖ノ島(同県宗像市)に次いで全国3例目。凝った装飾が特徴の中国・河南省黄冶窯(こうやよう)で作られた香炉の一部だった可能性が高く、8世紀前半に、遣唐使がもたらした可能性があるという。
 この唐三彩の出土品は奈良市埋蔵文化財調査センター(同市大安寺西2丁目)で8月13〜31日、速報展示される。

● 東大寺の国宝「不空羂索観音立像」の宝冠を超高精細画質で再現(2007年8月6日)
 凸版印刷と東京国立博物館は6日、同館の収蔵品や研究成果を元に、超高精細画質のバーチャルリアリティ(VR)技術を用いた文化遺産の公開モデルを開発する共同プロジェクトを進めていることを明らかにした。
 第1弾として昨年末、東大寺の国宝「不空羂索観音立像」の宝冠のVRコンテンツを、4Kと呼ばれるフルハイビジョンの4倍以上解像度のフォーマットで制作した。
  10月より同館資料館に超高精細の映写装置と大型スクリーンを備えたシアターを開設、VR 技術とデジタルアーカイブ技術を活用して制作した超高精細 VR 映像を上映公開する。
 VR 映像では、通常の展示空間では間近で見ることができない、貴重な文化遺産の細かな形や色を表現するのみならず、普段は入れない内部の構造、完成当時の文化遺産の姿なども、三次元空間の中を移動しながら、あたかもその場にいるかのようなに再現できるという。
 さらに、同館の収蔵品情報や研究活動成果などの詳しい解説を作品とともに紹介。文化遺産について理解をより深く促していく。
  凸版印刷では、1997年からVR技術開発に取り組んでおり、2000年に故宮博物院と共同し、映画監督の篠田正浩氏を監修者に迎えて中国・故宮博物院の 文化遺産など、文化財をVR技術で保存するプロジェクト「故宮VR(バーチャルリアリティ)」の開発・制作しており、今後コンテンツを貸し出すサービス や、ネット配信なども行う。

4K:米大手映画会社7社を中心とするデジタルシネマ標準化団体「DCI」が提唱する885万画素(4096×2160ピクセル)の解像度フォーマット。

● 大宰府条坊の建物跡から柱の根元出土(2007年8月3日)
 太宰府市観世音寺の「大宰府条坊」発掘調査で、奈良時代(8世紀)とみられる建物跡の柱穴8カ所から、柱の根元部分が出土した。
 出土した柱の根元は直径約23cmで、10カ所の柱穴のうち8カ所で確認され、大半が根元から高さ30cm前後で折れた状態で出土した。
 建物は、土器の破片などから奈良時代の建物跡と推定され、南北に4間(約7.3m)、東西に3間(約5.4m)で、南北はさらに広がる可能性があるという。
 このほか、奈良時代の倉庫とみられる総柱の建物跡2棟が出土した。
柱穴から柱そのものが数多く確認されたのは極めて珍しく、今後の分析で建てられた時期や材質の特定も可能になるという。
 「大宰府条坊」は、大宰府政庁を中心とした都市として奈良時代に築かれた碁盤目状の街区で、現場は政庁跡の西約720mに位置し、南北道路の1つ「八坊」のすぐ東側にあたる。

● 高松塚古墳ガラスの粟玉2つ発見(2007年8月3日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳石室の床石に生じた亀裂や、床石同士のすき間から副葬品のガラス製粟玉が2個見つかった。
 ガラス玉は、透明感がある淡い青色で、いずれも直径2.9mmで、中央に直径1mmの穴が開いており、副葬品を飾っていたとみられる。
 ガラス玉は、1972年の壁画発見時の調査で936個(すべて重要文化財)、2004年に3個見つかったており、同種とみられる。

● 宮内庁陵墓に学会立ち入り容認へ(2007年8月2日)
 歴代の天皇や皇族の墓「陵墓」として宮内庁が管理する古墳のうち、奈良市の神功皇后陵(五社神(ごさし)古墳・全長267m)で、歴史・考古学系学会の代表らが今年度中に立ち入り調査をする可能性が高まっている。
 陵墓を管理する宮内庁と歴史系16学会の代表が懇談し、学会側が五社神古墳と、伏見城跡がある京都市の明治天皇陵敷地内への立ち入りを要請したところ、予算が認められれば年明けにも実現する可能性が高いという。

  宮内庁は、今まで陵墓指定された古墳について、「御霊の安寧と静謐(せいひつ)を守るため」として一般の立ち入りを原則的に禁止していたが、1979年に 作られた指針では、研究者から申請があれば古墳を囲む堀の堤などの外周部まで立ち入りを認めるとしており、年に1、2回、書陵部が修理のために発掘調査し ている陵墓で、各学会の代表の見学を認めてきた。1997年には陵墓の可能性があるとして同庁が管理する「陵墓参考地」の宮崎県西都市・男狭穂塚(おさほ づか)、女狭穂塚(めさほづか)両古墳に、県教委が入って測量調査することを許可した。
 また学会側が2005年7月、11の陵墓を指定し、墳丘への立ち入りを認めるよう要請したところ、宮内庁は昨年、陵墓への研究者の立ち入りについての庁内の指針を見直し、最下段までとはいえ、墳丘への立ち入りを認めた。
 16学会の陵墓への立ち入りは研究者16人に限って認められる見通しだが、専門家が墳丘に上がって観察するだけでも、古墳の年代や形状についての情報を得ることが期待できる。

● 高松塚石室を体験(2007年8月1日)
 奈良県明日香村奥山の奈良文化財研究所飛鳥資料館で、石室解体前の極彩色壁画を原寸大で再現した「疑似石室」が、企画展「『とき』を撮(うつ)す〜発掘調査と写真〜」で一般公開される。8月1日から9月2日まで。
 疑似石室は、高精度のデジタルカメラで撮影した写真をもとに再現したもので、高さ1.11m、幅1.03m、奥行き2.66m。現状の壁画のリアルな姿が実際に石室に入ったような気分で見られる。
 企画展は、遺跡や遺物を写真で記録する同研究所のカメラマンの仕事に焦点をあてた。04年に撮影されたキトラ古墳の石室の写真も同様に組まれて公開されるほか、両古墳の壁画撮影で使った機材や歴代のカメラ23点も展示する。

● 三溪園で、建物内部公開(2007年8月1日)
 横浜市中区本牧三之谷の三溪園で、臨春閣・白雲邸・鶴翔閣
の内部公開及び三重塔の内部特別公開が行われる。
 特に三重塔は通常非公開とされており、今回
原三溪の命日を含む3日間に限り、 特別公開される。
臨春閣(重文)・白雲邸(市文)・鶴翔閣
内部公開(市文)
8月4日(土)〜8月19日(日)
三重塔(旧燈明寺 重文)の内部特別公開
8月16日(木)〜8月18日(土)

○臨春閣 (重文) 1649年(慶安2年)
 紀州徳川家初代徳川頼宣が夏の別荘として、現在の和歌山県岩出市に建てたもの。 1906年(明治39年)、三溪の手に渡り、1915年(大正4年)から1917年(大正6年)にかけて園内に再建された。第一屋、第二屋、第三屋で構成され、襖絵は狩野探幽、狩野安信などによって描かれている。

○白雲邸 (市文) 1920年(大正9年) 
 三溪が建て、亡くなる前までの約20年間を過ごした住居で数寄屋風の建物です。 玄関から入ってすぐの洋間は食堂や談話室に使用され、三溪が友人と語りあい、美術品を鑑賞する場として使用しました。

○鶴翔閣(旧原家住宅)(市文)
 1902 年(明治35年)三溪が建て、三溪園造成の足がかりになった建物。広さ290坪に及ぶこの住宅は、主に、楽室棟、茶の間棟、客間棟から構成されている。上空から見た形があたかも鶴が飛翔している姿を思わせることから、“鶴翔閣”と名づけられた。  鶴翔閣には日本を代表する政治家や文学者が集い、横山大観、下村観山といった日本美術院の画家が創作活動のために滞在した。

○旧燈明寺三重塔 (重文) 1457年(康正3年) 
 園内のほぼ全域から、その姿を見ることができる三重塔は三溪園を象徴とする建物。 旧燈明寺の三重塔で、三溪園には、1914年(大正3年)に移築された。


● 仏教彫刻史学者久野健氏死去(2007年7月27日)
 久野健氏(くの・たけし)が膵臓がんのため死去された。87歳。
 元東京国立文化財研究所情報資料部長で、日本の仏教彫刻史が専門とし、文化財保護審議会臨時専門委員なども務めた。著書に「平安初期彫刻史の研究」「運慶の彫刻」「古代朝鮮仏と飛鳥仏」などがある。

(所感)
 元東京国立文化財研究所情報資料部長の久野健先生が昨日死去されました。
 私も学生時代から久野先生の著作に親しんで来ましたし、講演会等でお話をしたり、個人的にも親しく接して頂きました。
 このホームページのコーナーにも先生の著作から題名を拝借した「古仏礼賛」というコーナーを設けさせて頂いております。
 仏教彫刻史の学者として同世代の町田甲一氏や毛利久氏も故人となってしまい、巨星落つというか、一つの時代が終わったという気がします。
 久野先生のご冥福をお祈りすると共に、このホームページを充実して行くことで、少しでも先生のご好意に報いて行きたいと思います。

● 宇治・旦椋遺跡で奈良期の鳥形硯出土(2007年7月26日)
 京都府宇治市大久保町の旦椋(あさくら)遺跡で奈良時代のすずりのふたの一部と寺院などで使われる床材が見つかった。
 ふたは、須恵器で円墳の溝の地中約70cmに埋まっていた。幅約12cm、長さ約13cmで、全長は推定20cm前後のだ円形。葉の葉脈のような線の文様が刻まれ、羽毛を表現している。
 鳥形硯はこれまで奈良市の平城宮跡や三重県明和町の斎宮跡で発掘されたが、生産量が少なく発見されるのはまれという。

● 新潟県中越沖地震文化財に被害(2007年7月20日)
 新潟県中越沖地震で、重要文化財「大泉寺観音堂」(新潟県柏崎市)など、新潟、長野両県で計10件の国指定文化財などに被害が出ていることが分かった。
  重要文化財「大泉寺観音堂」(新潟県柏崎市)では建物がゆがみ、前方に傾いた。同県糸魚川市では、重要有形民俗文化財「能生白山神社の海上信仰資料」を収 めた宝物殿の壁に亀裂が入ったため、急きょ市事務所に資料を移した。長野県内でも史跡「旧文武学校」(長野市)で建物の壁や瓦が落ちるなどの被害が出た。

● 奈良市日笠フシンダ遺跡出土の絵馬を復元(2007年7月20日)
 奈良市日笠フシンダ遺跡で出土した古代最大の絵馬の消えていた輪郭や色彩が復元された。
  奈良市東部の日笠フシンダ遺跡で昨年11月に、天平10年(738)と書かれた木簡などとともに出土した古代最大の絵馬(奈良時代、横27.8cm、縦 19.9cm、厚さ0.8cm)の消えていた輪郭や色彩を、赤外線撮影や科学分析などをもとに復元した。この結果、描かれた馬は、灰色がかった体色に斑点 模様が特徴の「葦毛(あしげ)」だったことが判明。絵の一部には鉛を成分とする白や赤などの色が使われた可能性があることも分かった。
  続日本紀には天平9年(737)、疫病と日照りが続いて祈とうが行なわれ、左大臣であった長屋王を自害に追いやった藤原麻呂ら藤原四兄弟が天然痘で相次い で死亡したと記述している。これらのことから、平城京で大流行した天然痘等の災いを追い払う願いを込めて作られたとみられるという。
 同じ図柄の絵馬は、1989年に平城京内の藤原麻呂邸近くで出土しており、年輪年代法で麻呂が没した737年に伐採されたことがわかっている。

 

●    栗東・十里遺跡弥生期の破鏡出土(2007年7月20日)
 滋賀県栗東市の十里遺跡から弥生時代の破鏡が出土した。
 今回見つかったのは、紀元後1世紀の後漢時代に中国で生産された内行花文(ないこうかもん)鏡の外周の破片(長さ5cm、幅2.8cm、厚さ4mm)で、集落の南部にある河川跡から発見された。非常に磨き込まれ、上端部分に摩耗した穴が2つ空いていた。
 破鏡は、青銅鏡を意図的に割り、加工して再利用した破片で、出土品は摩耗痕がある穴があることなどから、ペンダントのような装飾品として利用していたと見られる。
 内行花文鏡は北部九州に多く分布しており、また同遺跡からは、関東地方などに多い帯状銅釧(どうくしろ)片も見つかっていることから、この地方が東西交流の拠点だったことが裏付けられるという。
 発見された破鏡は7月21日から大津市瀬田南大萱町の県埋蔵文化財センターで開く「レトロ・レトロの展覧会2007」で公開される。

● 最古級の法隆寺文書確認(2007年7月20日)
 大阪府枚方市内に伝わる三浦家文書古文書の中から、奈良・法隆寺から散逸していた10〜11世紀(平安〜鎌倉期)の古文書6点が見つかった。
  見つかった文書のうち最古のものは、延長7年(929)の「大和国平群郡某郷長解」で、法隆寺に近くの土地を売った証文で縦約30cm、横約70cm。誦 師麿という人物が、母親の墓地を建てるために法隆寺の僧・泰増に土地を売却した買うため売却したとあり、平群郡司の印が押してあった。面積や価格の記録部 分は欠落しているが、現在の法隆寺南大門の南西200〜300m付近の土地と推定される。
 東大寺などは古代の文書が多数伝わっているが、法隆寺のものは散逸しており、12世紀以前だと66点しかない。
 延長7年の文書は、現存する原本の中で、損傷の激しい天平勝宝9(757)年の文書に次いで古く、内容が確認できるものとしては最古という。

● 和歌山県・比曽寺跡から西大寺と同文様の瓦が出土(2007年7月19日)
 和歌山県大淀町比曽の国史跡比曽寺跡(世尊寺)から、奈良市西大寺旧境内の瓦と同じ文様を持つ鎌倉時代後半から南北朝時代の瓦が出土した。
 約50平方メートルを調査したところ、厚さ約10cmの粘土を張り付けた遺構の上から、13〜14世紀代とみられる大量の瓦片が出土した。
 このうち、鎌倉時代後期から南北朝期の軒平瓦の一片(縦約6.6cm、横約15cm、奥行き約15.5cm)が、西大寺旧境内から見つかった瓦と同じ文様であることが判明した。他に出土例がない文様で、同時期に比曽寺が西大寺の影響下にあったことが分かった。
 比曽寺は寺伝では同時期に叡尊(1201〜1290年)ら西大寺の僧が再興したとされ、また、比曽寺には西大寺と関係が深かった後醍醐天皇(1288〜1339年)が行幸した伝承もあり、両寺院の密接な関係を裏付けるものとして注目されている。

● 中越沖地震で柏崎のシンボル閻魔堂が被災(2007年7月18日)
 柏崎市東本町の閻魔堂が中越沖地震により、屋根の一部が崩壊する被害を受けた。
 現在の閻魔堂は1896年に建てられ、市指定の史跡となっているが、今回の地震のため、入口の屋根が崩れ落ち、壁の一部も壊れた。本尊には目立った被害がないものの、建物は応急危険度判定の結果、崩壊の危険性を示す赤い紙が張られた。
 閻魔堂は柏崎市で毎年6月に開催される「えんま市」ゆかりのお堂で地域のシンボルであったという。

● 東大寺で-鎌倉復興期の作業場(2007年7月18日)
 奈良市水門町の東大寺境内から、鎌倉復興時の木材加工作業場跡とみられる遺構が見つかった。
 出土したのは、東大寺の正門である南大門の北西約50mで、東大寺学園中・高校の旧校舎跡地約430平方メートルを発掘した結果、鎌倉前期の木くず5片のほか、平安時代末から鎌倉時代前期の井戸2基、掘立柱建物1棟や塀17条の柱穴列などが出土した。
 木くずは、南大門と同じヒノキで、3、4cm四方、厚さは数mm。材木を平滑に加工する際に使った当時の大工道具・手斧(ちょうな)で削り飛ばしたらしい。
 塀は長さ5〜7mで、東西や南北の方向に重なっていた。塀の柱跡は直径10〜20cmで、短期間に何度も建てかえられていた。作業空間を仕切っていた可能性もある。
 井戸はいずれも深さ約2m、上層が直径約2mの円形で、下層が1辺1mの方形。奈良時代の瓦を大量投棄したあと、鎌倉時代の土釜7個などとともに一気に埋められていた。
  東大寺は奈良時代の8世紀に創建されたが、南大門は10世紀に2度の大風で倒壊。大仏殿などは源平合戦さなかの1180年、平家の焼き打ちを受けて大半が 焼失した。鎌倉初期に僧侶の俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が復興を手がけ、南大門は金剛力士像とともに完成した。
 南大門から北西約50mと近く、同門再建の作業場だった可能性が強いという。作業場跡を発掘調査で確認したのは初めて。
 

● 高松塚古墳床石取り外しを1カ月延期(2007年7月18日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、床石の周囲の土をつき固めた版築層の発掘などに予想以上に時間がかかることから、7月末に予定していた床石の取り外しが8月後半に延期されることになった。
  また、ほぼ同じとみられてきた床石4枚の厚さが、最も南の床石は50cm、南から2番目は46.5cm、3番目は44.3cm、最も北の床石は30cmと 最大20cmの差があることがわかった。床石の上面をそろえるためにどのような方法で据え付けていたか、今後の発掘で調査するという。

● 滋賀県甲賀市で飛鳥時代の古木出土(2007年6月27日)
 滋賀県甲賀市甲南町新治で住民らによって保存されてきた杉の古木3本が、いずれも飛鳥時代の木と分かった。
  古木は第二名神高速道路の関連工事現場から、2005年6月に2本、2006年10月に近くで1本が見つかった。偶然現場を目撃した住民らが市に連絡する とともに工事業者に地区内の農業倉庫まで運搬を頼み、廃棄を免れたという。長さ3〜7mで、いずれも直径1m前後と推定される大木。その後、年輪年代測定 法による調査で、保存状態の良かった後の1本は667年秋に伐採されたことが判明した。最初の2本も、同時出土した木が630〜687年の伐採と分かり、 飛鳥時代のものとみられる。
 切り出して加工中の木とみられ、おのによる加工跡が残っており、木を割るためのくさびを打ち込んだものもあった。
 甲賀はかつて良質な木材の産地で、奈良時代の正倉院文書などに東大寺大仏殿や石山寺の建立に用材が使われたと記されているが、文献以外の資料はこれまでなかった。古代の木材供給地「甲賀杣(そま)」の歴史を示す初めての資料という。
 甲賀市は市甲南庁舎などでの展示を計画している。

● 藤原京をCGで再現(2007年7月13日)
 日本初の本格的な都城「藤原京」をコンピューター・グラフィックス(CG)で再現する取り組みを、橿原市と奈良産業大(三郷町)が連携して進めている。
 藤原宮跡(特別史跡)は、世界遺産暫定リストに掲載された「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」に含まれているが、1300年前の往時の姿を映像化するもので、3年後に都城全体を完成させ、観光や世界遺産登録に生かすという。
 まずは京の中心にあたる大極殿を制作し、現在は、宮を囲む塀に取り組んでおり、政務・儀式の中心となった朝堂院や朱雀門などを順次復元していく。
 奈良産業大は今春、CG再現プロジェクトの一環として高取城(高取町)をCGで再現させており、藤原京はそれに次ぐもので、藤原宮の部分は来年3月までに完成させ、藤原宮跡近くの資料室などで公開する。

● 高松塚古墳で床の土から顔料や金箔(2007年7月13日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で石室の床に赤や青、緑の古代の顔料片と、木棺に張ったとみられる金箔など遺物計102点が見つかった。
 顔料片は、いずれも直径1mm以下で約40点。色彩は鮮やかで、壁画からはがれ落ちたか、描く際にこぼれたとみられる。
 木棺表面に塗られていたと見られる金箔は35点を確認した。ほかに木棺の破片もあり、顔料の朱が付着した黒い漆膜(長さ2.8cm、幅1.2cm)が残っていた。
 石室解体で天井や壁の石を取り外された状態で、床を詳細に調査した結果、鎌倉時代初め(12世紀末)の盗掘で削られたとみられる石材やしっくいの粉などが薄く堆積した土の中で遺物を見つけた。顔料は1972年に壁画を発見した時の調査でも数点見つかっている。
 床石の表面に塗った漆喰は、黒い斑点が多数あり、内部がペースト状に劣化し予想外に深刻な状態であることも判明。

● 高松塚古墳で床石の周りに水準器用の穴発見(2007年7月7日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳石室の床石周囲で、床石の表面を水平に加工するため糸を張った杭の跡とみられる9個の穴が見つかった。
 杭穴は直径8cm。床石の北側に1個と、東西に4個ずつ対称に残っており、1974年の発掘調査で見つかった南側の1個と合わせ、計10個(5組)の穴が確認できた。ほかにも左右対称の2個の穴とみられる跡があるという。
 石室を築造する際、水を張った容器(水ばかり)を使って杭の間に水平を示す糸を縦横に張り巡らせた上、床石表面が水平になるように精密加工したと推測される。
こうした技法は平安時代の庭造りの技術書や鎌倉時代の絵巻物などに登場。古代でも寺院や宮殿の建築に用いられたと想像されていたが、実際に遺構で裏付けられたのは初めて。

● キトラ古墳天井の余白漆喰剥ぎ取る(2007年7月6日)
 奈良県明日香村阿部山のキトラ古墳で、天井に描かれた「天文図」で、はがれ落ちる恐れがあった部分を取り外した。
 取り外したのは天空の範囲を示す円「外規」を示す朱線の一部。しっくいが縦1.3cm、横0.7cmの範囲で天井石から浮き、垂れ下がっていたという。天文図の描かれたしっくい片の取り外しは初めて。
 3日の天文図黄道朱線の漆喰落下を受け、総点検を行った結果、天井では漆喰が劣化して剥落する恐れがある部分が数十カ所あり、秋にも天文図を分割して剥ぎ取る作業を本格的に始める方針。

● 西本願寺で壁に虎やヒョウの姿(2007年7月5日)
 京都市下京区の西本願寺で重要文化財の虎之間にある障壁画「竹林群虎図」の虎の姿が赤外線撮影で明らかになった。
 虎之間は西本願寺の書院(国宝)の東側に隣接した広さ約200平方mの部屋で、板壁や杉戸など計35面に、竹林に遊ぶ虎が描かれているが、変色や日焼けで画面が真っ黒になっていた。江戸時代前期、渡辺了慶の作との説が有力だが、特定には至っていない。
 今回、赤外線撮影した結果、北側の障壁画の一面(縦、横約2m)から、虎など4頭がじゃれ合う様子が分かった。輪郭は墨、彩色は岩絵の具を使ったとみられ、1頭はしま模様で虎、別の1頭は斑点模様でヒョウであることが判明した。
 今回の撮影は、デジタルアーカイブ事業は、龍谷大古典籍デジタルアーカイブ研究センター、日本写真印刷(本社・京都市中京区)の協力で、国宝の書院や飛雲閣などのふすま絵や障壁画を電子画像に保存、記録するもので、今年4月からスタートしている。

● 唐招提寺盧舎那仏坐像造立当初の黒い漆再び(2007年7月5日)
 奈良市五条町の唐招提寺で、本尊・盧舎那仏坐像の修理が進み、造立当初の黒い漆層がよみがえった。
 盧舎那仏坐像は像高約3m、布を漆で塗り固めた脱乾漆像で、金堂の解体修理に伴い、二体の脇侍とともに修理が行われている。
 これまで江戸時代の修理で使用された赤っぽい漆(ベンガラ漆)が目立ち、衣はまだら状になっていたが、修理が進み、造立当初の黒い漆層がよみがえった。

● キトラ古墳で天文図の一部が剥落(2007年7月4日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳で天井に描かれた天文図の太陽の通り道「黄道」を示す朱線の一部が、周囲の漆喰ごと剥落したことがわかった。
 落下した天文図の漆喰片は約1cm四方で、黄道を示す幅1.5mmの朱線が長さ4mmにわたって描いてあった。
 剥落部分は漆喰が浮き上がっていたため、緊急措置として5日からはぎ取る予定だったが、急遽専門家を現地に派遣し、詳しく調査して対応を協議する。2004年に壁画のはぎ取り作業が始まって以降、壁画の一部がはがれ落ちたのを確認したのは初めてという。
 同古墳の天文図は約350個の金箔の星を朱線でつなぎ、北斗七星など実際の星座を表現しており、現存する本格的なものとしては世界最古とされる。
 同古墳では天文図以外で確認されている極彩色壁画についてははぎ取りを終えたが、天文図はカビや細菌のために、漆喰が内部から溶けている状態で劣化が著しいため、全体をはぎ取るめどはたっていない。

● 高松塚古墳の石室で木棺の痕跡発見(2007年6月29日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の石室解体で、床石の上に長方形の黒ずみが残っているのが見つかった。
 現在は天井と壁が全て取り払われ、床石四枚(南北3.5m、東西1.6m)がむき出しの状態となっているが、そのうち南北2.3m、幅0.7mにわたって黒ずんでいたほか、直径2〜5mmの金箔片や漆片も多数発見した。


 石室では1972年の発掘調査で、金箔を張った漆塗り木棺の破片が見つかっており、木棺か、棺台を置いた跡ではないかと見られている。

● キトラ古墳天文図7月に一部はぎ取りへ(2007年6月29日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳の石室壁画について、天井に描かれた天文図の一部を7月に緊急にはぎ取ることになった。天文図では悪質な黒いカビが65カ所で見つかっているほか、下地の白いしっくいが黒く変色して溶け出すなど、危機的な状況にあるという。
 同古墳では、玄武や朱雀などの壁画はすべてはぎ取られたが、68の星座が描かれた天文図は、天井の湾曲のため作業が困難で、最後まで残っている。
  今回はぎ取るのは、北側に引かれた黄道を示す朱線部分(直径3cm)。劣化ではがれ落ちる恐れが高いための緊急処置で、修理技術者がヘラなどを使ってはぎ 取る。 天文図の黒いカビは昨年4月に初めて確認されたが、今年に入って急増し、最近は白かった漆喰が一部は黒っぽく変色している。

● 飛鳥池遺跡で銀の精錬跡発見(2007年6月29日)
 奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で、銀の精錬をしていたことがわかった。。
 遺跡から出土したるつぼの内壁の成分分析で、銀とともに鉛を検出し、鉛に溶け込ませた銀を、細かい穴が無数に開いた凝灰岩製のるつぼの中で熱し、融点の低い鉛を吸収させて濃縮した銀を残すことを繰り返しながら純度を高める方法で精錬していたことがわかったという。
 また、出土した銀の粒1点からは水銀も検出されており、銀を水銀に溶け込ませて精錬する「アマルガム法」も取り入れられていた可能性があるという。
 銀の精錬技術は、古文書により16世紀に朝鮮半島から、石見銀山に伝わったのが最古とされていが、これを900年さかのぼることになる。

● 高松塚、壁画取り外し完了(2007年6月26日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の石室解体で、男子群像が描かれた西壁を取り外し、石室の天井や壁の石計十二枚の壁画の取り外しを無事完了した。
 西壁は幅106cm、高さ115cm、厚さ43cm。壁画がない床石四枚は七月末に運び出し、作業を終える予定。
 修理施設に運ばれた12枚の石材はいずれももろくなり、描かれた壁画もカビで黒ずんだり描線が薄れるなど劣化しており、カビの発生を抑えるため湿度を 55%に保った修理施設で、年内は最近数年で生えたカビを取り除くなどの応急処置を行う。その後今秋に開催を予定している専門家の検討会で、修理や保存処理の方策を検討した上で、来年から10年程度かけて本格的な壁画や石材の修理、保存処理に取り組む方針だ。
 最終的な保存方法について、文化庁は壁画が描かれた石室は修理後に墳丘に戻すと説明してきたが、肝心の修理方針は「壁画への影響を最小限にする」「墳丘内で耐えうる強化をする」の2点しか決まっておらず、壁画を元に戻すかどうかで今後の修理方法も大きく変わる。

● 高松塚古墳「男子群像」東壁取り外し(2007年6月22日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の石室解体で、「男子群像」が描かれた東壁を取り外した。
 石室を構成する16枚の石のうち11枚目の解体。幅97cm、高さ116cm、厚さ50cmで、4人が並ぶ男子群像が描かれている。右半分は泥で覆われているが、左端の1人の衣装に鮮やかな緑色が残っている。
 もう一つの男子群像が描かれた西壁は26日、また4枚ある床石は7月末に取り外す予定で、石室の石材16枚すべての解体作業を終了する。

● NHK特番「にっぽん 心の仏像」
 昨年秋に東京国立博物館で開催された仏像展は入場者が33万を超える大ヒットとなり、主催者を驚かせた。いま仏像は高齢者だけでなく、若者たちにも浸透しつつある。
   そんな「仏像ブーム」に押され、NHKでは「にっぽん 心の仏像」プロジェクトを放送する。開幕特番では「日本各地で大切に守られてきた仏像」「知られざる仏像」「心に残る仏像」などを紹介これまでにあまり知られていなかった仏像の魅力を再発見していく。

『知られざる仏像』
[BShi] 5月26日(土)20:00〜20:59
再放送
 [BShi] 6月2日(土)10:30〜11:29
 6月24日(日)13:00〜13:59 /
[BS2] 6月9日(土)16:00〜16:59 
6月22日(金)21:00〜21:59

○東北の山中に現れる仏像が時空の扉を開ける
宮城県の山中にある船形山神社。ここに6世紀に作られた貴重な金銅仏がある。
山の中に埋められた仏像は一年ぶりに村人の前へ現れる。この時の仏像の湿り気で豊作や吉凶を占うという。
その儀式ををこの目で確かめようと人類学者・中沢新一さんが訪ねる。

○村人の心に支えられ今に生きる仏像が姿を現す〜
「千手観音菩薩像」銘は700年前の鎌倉時代とあるが、様式は平安期の仏像である。
一度は忘れられ朽ち果てそうになっていた仏像を、村人達の想いが募って数年前に修復したという。
年2回の御開帳の日に立ち合う。

○美の真髄・にっぽん木彫仏
過去にフランスの興福寺展に出展されたその仏像は多くのフランス人の心を動かした。
今回、興福寺で出会ったのは、日本仏像彫刻のひとつの頂点ともいうべき仏像たち。
慶派の金剛力士像と無著・世親像のエネルギーに圧倒される。

『わたしの一仏』
6月2日から随時放送予定
東大寺・毘盧遮那仏(奈良) 谷村 新司(音楽家)
円成寺・大日如来坐像(奈良) 柴門 ふみ(漫画家)
成島毘沙門堂・兜跋毘沙門天(岩手) 舞の海 秀平(スポーツキャスター)
東寺・帝釈天(京都) はな(モデル)

● 高松塚古墳南壁の取り外しに成功(2007年6月15日)
 奈良県明日香村高松塚古墳の石室解体で、盗掘口のある南壁の取り外しに成功した。
 南壁は高さ113cm、幅137cm、厚さ51cm。石室を最後にふさいだ「閉塞石」で、鎌倉時代の盗掘の際、上部を削られ、くぼんだ形になっている。壁画はないが、削られた部分に四神の朱雀が描かれていた可能性もある。

● アンコール遺跡に博物館(2007年6月13日)
 カンボジアの世界遺産アンコール遺跡に今年11月、日本企業の援助で、初めての博物館「シハヌーク・イオン博物館」がオープンする。
  博物館は、上智大学の調査団が2001年にバンテアイ・クデイ寺院で発掘した274体のアンコール朝の仏像(11〜13世紀)を展示するための施設。現 在、アンコール・ワットから約1.2km離れた場所で建設が進められており、上智大学が博物館建設を担当し、開館後は、カンボジア政府に寄贈される。日本 の大学が続けてきた国際的な文化支援が実を結んだ形だ。

● 中国陝西省で最古の木製人形発見か 兵馬俑の5百年前(2007年6月10日)
 中国陝西省韓城市にある西周時代(紀元前1050年ごろ−同771年)から春秋戦国時代(同770年−同221年)にかけての古墳群で、中国最古の木俑(木の人形)4体が発見された。
 木俑は高さ約80cmで墓室の四隅に置かれ、御者のような格好をしており、もともと赤色の彩色が施されていたという。
 発掘に携わっている専門家は、4体の木俑は、同省内にある秦(紀元前221年−同206年)の始皇帝陵を守護する等身大の兵馬俑よりも500年余り前につくられたもので、これまで発見された木俑の中で最も古いとの見方を示した。
 韓城市の古墳群では、これまでに895の墳墓と64の車馬坑が発見され、青銅器や玉製品、陶器など多くの副葬品も発掘されているという。

● 高松塚古墳青竜を無事取り出し(2007年6月8日)
 奈良県明日香村高松塚古墳の石室解体で、四神の一つ「青竜」の描かれた東壁の取り外しに成功した。
 青竜のある東壁は高さ116cm、幅91cm、厚さ40cmで、石材の劣化がひどく、ジャッキと金属棒の「コロ」で動かし石室から分離してからつり上げる難作業となったが、無事作業を終えた。
 16の石からなる石室の8枚目で、これで半分の石材の取り外しが終わった。壁画がある石材は残り3枚となった。

● 仙台仙岳院の境内競売 対象地に市文化財も(2007年6月7日)
  仙台藩の筆頭寺として知られる仙台市青葉区東照宮の「仙岳院」境内の土地の競売入札が仙台地裁であり、仙台市の住宅建築会社が落札した。
 土地は、京都市の仏具業者が仙岳院に売った納骨堂の仏具代金が未払いだとして競売を申し立てたもので、仙岳院は同年12月、「仏具業者側に品物の未納や誤納がある上、強制執行されれば宗教行為に多大な支障が出る」として異議を申し立てていた。
 競売対象の土地には寺の庫裏が立ち、市指定文化財の本堂の一部も係っている。市文化財課は「落札の事実を確認し次第、今後の対応を検討したい」としている。

● 蟹満寺本尊創建以来1300年不動ご本尊移動(2007年6月7日)
 京都府木津川市山城町の蟹満寺(かにまんじ)で、白鳳時代(7世紀後半)の創建時から位置を変えていないとされる国宝の本尊釈迦如来坐像が、本堂の建て替えに伴い、今秋にも仮移動する。
 銅造の本尊は、国内に5例しかない奈良時代以前の大型金銅仏の一つで、高さ2.4m、重さは推定約7トン。およそ1300年にわたるの歴史で初めての移動とみられ、その間、本尊の修理や調査も予定している。
 計画では、本堂から東約20mにある駐車場に修理所を建設し、今年10月末ごろに本尊を移す。現在の本堂を解体後に発掘調査し、新たな本堂を建設。2009年12月ごろに本尊を新たな本堂に戻すという。
 修理所では、傷みを確認したり、空洞になっている内部も調査し、新たな台座を新作するための綿密な計測を行う。

● 奈良・明日香村で古代史の舞台、山田道の遺構発見(2007年6月5日)
 奈良県明日香村の石神(いしがみ)遺跡(飛鳥時代)で、飛鳥の都の玄関口だった7世紀半ばの国道「山田道(やまだみち)」が確認された、
  今年3月に、石神遺跡で東西方向に延びる天武天皇の時代(7世紀後半)と藤原宮期の道路の溝(長さ33m、幅1.3〜3.3m)の遺構が初出土し、その後 さらに下層を調べたところ、より古い7世紀半ばの東西方向の溝(長さ26m、幅1.3〜1.8m)が新たに見つかった。
 付近は湿地が埋め立てられており、溝わきの路面の下層には、東西14m、南北7mにわたって葉のついたシイやサカキなどの枝が敷き詰められていた。これは水はけの悪い地盤を強化するための渡来系の土木技術「敷葉(しきは)工法」とみられ、さらに 山田道の南側溝とみられる石組みの跡があったという。

 ● 大津市埋文センターで白鳳期の瓦や土器を公開(2007年6月5日)
 大津市の市埋蔵文化財調査センターで 展示会「南滋賀町廃寺の屋根瓦」が開催されている。
  南滋賀町廃寺(同市南志賀1丁目)の発掘調査報告書の刊行を記念した催しで、同寺から出土した飛雲文軒平瓦や鬼瓦、須恵器や土師(はじ)器をはじめ、勾玉 (まがたま)や和同開珎など計53点がケースに納められており、「近江大津宮」と深いかかわりがある寺院の様子が展示品や写真パネルからうかがえる。寺院 が栄えていた白鳳時代の瓦や土器が並んでいる。

● 滋賀県教委が有形文化財8件を指定(2007年6月4日)
  滋賀県教委は、1376年造立になる米原市の青岸寺の木造聖観音坐像など、有形文化財8件を指定し、無形民俗文化財2件を選択した。
 指定された文化財は次の通り
【建築物】
▽石山寺蓮如堂(大津市石山寺 石山寺)
▽石山寺経蔵(同)
▽石山寺毘沙門堂(同)
【美術工芸品】
▽木造聖観音坐像(米原市米原 青岸寺)
▽鰐口(わにぐち)(日野町安部居 安部居区)
▽教行信証(草津市上寺町 西蓮寺)
▽東寺文書(琵琶湖博物館、県)
▽鍛冶屋敷遺跡出土遺物(安土町下豊浦 県)
【無形民俗文化財】
▽近江の山の神行事(県内各地)
▽湖東・湖北地域の野神行事(湖東 湖北地域)

● 坂上田村麻呂の墓特定(2007年6月4日)
 蝦夷征討で知られる平安時代初期の征夷大将軍、坂上田村麻呂の墓が、京都市山科区で約90年前に発掘された「西野山古墓」である可能性が高いことが分かった。
 西野山古墓は清水寺から南東約2キロの山科盆地西部にあり、1919年に周囲を木炭で覆った木棺の中から金装太刀や金銀平脱双鳳文鏡(いずれも国宝)といった豪華な副葬品が見つかっている。
  田村麻呂が創建したという京都市東山区・清水寺に伝わる平安時代後期の書物「清水寺縁起」に、弘仁2年(811)10月付の朝廷の命令書「太政官符(だ じょうかんぷ)」の表題に、田村麻呂の墓地に「山城国宇治郡七条咋田里西栗栖村の水田、陸田、山を与える」という記述があり、当時の地図「条里図」と比較 すると、西野山古墓と一致することが判明。古墓が8世紀末から9世紀初めにかけて造られたとみられることや、武将らしい副葬品などから、田村麻呂の墓と判 断できるという。
 京大総合博物館(京都市左京区)では、西野山古墓から発見された大刀や金銀の鏡、鉄の鏃(やじり)などの副葬品を6日から一般公開する。

● 高松塚古墳の天井石を全て取り外し(2007年5月30日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の石室解体で、南端の天井石の取り外しに成功した。
16の石で造られた石室のうち7石目の搬出で、四つある天井石はすべて外し終わった。
 南端の天井石は、幅179cm、長さ96.5cm、厚さ61.8cmで、表面に漆喰は塗られているものの壁画は描かれていない。天井面に大きな亀裂がありほぼ二つに分割された状態だったが、無事に取り外した。

● 豊前国分寺の曼荼羅図 県内最古級と判明(2007年5月30日)
 福岡県京都郡町国分の豊前国分寺所蔵の「胎蔵界曼荼羅図」が、14世紀後半の南北朝時代に作られた県内最古級であることが分かった。
縦237.5cm、横164.6cmで、2006年に細部の撮影や顔料調査を行なった結果、南北朝時代に畿内で制作されたものと考えられることがわかった。
 また、東と北の如来の位置が本来の曼荼羅図と入れ替わっており、天台宗系の特徴と一致することも分かった。
 6月1日から、同曼荼羅図を寄託されているみやこ町歴史民俗博物館で一般公開される。

● 中国文化財の国外持ち出し制限さらに厳しく(2007年5月30日)
 中国の文化財の国外持ち出しに関する制度が改定されることになり、現行では1795年以前の文化財の持ち出しが禁止とされていたものが、今後は基準の年が 1911年となり、規制が大幅に厳しくなった。また、有名作家の作品など特に重要な文化財に関しては1949年以前のものまで持ち出しが禁止となる他、少数民族地区の文化財に関しては1966年までとさらに厳しくなる。
 中国では文物保護法により歴史上の全ての芸術品や文献、手稿、図書資料などの文化財は厳しく管理されており、国務院が特別に許可したものと規定で定められた年以降のもの以外の国外持ち出しは堅く禁止されている。基準の年が1795 年と定められてからすでに50年が経過していたが、このたびの改定で一気に116年分も規制が厳しくなった。

● 奈良・唐招提寺で国宝三尊、7年ぶりにそろって公開へ(2007年5月29日)
 奈良市五条町の唐招提寺で修理中の国宝三尊が6月2〜10日に境内の仏像修理所で一般公開される。
 三尊は、いずれも奈良時代末から平安初期の大型仏像の傑作で、本尊、盧舎那仏坐像(8世紀、高さ3.04m)と脇侍の千手観音立像(8世紀、高さ 5.3m)、薬師如来立像(8世紀末〜9世紀初め、高さ3.7m)は全て国宝に指定されている。2000年に始まった金堂の大修理に伴い、境内の修理所や奈良国立博物館に移され修理されていた。
 作業の都合で盧舎那仏坐像は台座から外されて床の上に置かれ、千手観音立像は修理のため943本の小さな腕が外され、太い腕10本だけの姿。
 薬師如来立像は2000年に奈良国立博物館に移されていたが、昨年7月に唐招提寺に戻り、漆や金箔の剥落を止める作業が続いていた。
 2008年夏には元の金堂に位置に戻されるという。
 6月2〜10日は、同時に御影堂の一般公開が行われる。

● 高松塚古墳星宿図の天井石無事取り外し (2007年5月28日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の石室解体で「星宿図」のある南から2番目の天井石取り外しに成功した。
  取り外した石材は金箔で星を表現した石室天井の星宿図のうち東、西、南の七宿(星座)などがあり、東西幅184cm、南北95cm、厚さ60cm。石材は 劣化がひどく、全体が大きく3つに割れているうえ、北東角などが部分的にはがれ落ちる恐れもあったが、天文図の損傷や、漆喰の剥落はないという。

● 高松塚古墳の飛鳥美人報道陣に公開  (2007年5月25日)
 明日香村平田の高松塚古墳の石室解体作業で石室から取り外され、壁画修理施設に保管されている女子群像が描かれた東壁石が報道陣に公開された。

● 京田辺の仏像・神像 紹介( 2007年5月24日)
 京都府京田辺市教委は、市内の主な仏像を調査した報告書「京田辺市の仏像」を発行した。
  京田辺市には、文化財的価値を持つ仏像が数多くあるとされる。阪神淡路大震災を機に、市内の仏像を把握する目的で19の寺と神社の仏像・神像135件を調 査し、観音寺(同市普賢寺)の国宝・十一面観音立像や一休寺(同市薪)の重要文化財・一休和尚坐像など仏像・神像46件を写真付きで解説している。

● 高松塚古墳天井石の星宿図の天井石に新たな亀裂発見(2007年5月23日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の石室解体で、星宿が描かれた北から3番目の天井石の亀裂が新たに2か所見つかった。
  この天井石は、幅1.84m、長さ95.2cm、厚さ60.3cmで、過去の地震によるとみられる亀裂が3箇所あり、このうち2本の亀裂が側面や上面にも 達していることが新たに確認された。このため石材は辛うじてつながっているものの、ほぼ三つに割れた状態になっている。
 解体で石材をつり上げる際に亀裂で崩れないよう、四方から挟む鉄枠を初めて使うという。

● 薬師寺の日光・月光菩薩立像出展(2007年5月19日)
 奈良市西ノ京の薬師寺金堂に安置される日光、月光両菩薩立像(国宝)が、来年3月から東京国立博物館で開かれる「国宝 薬師寺展」で特別展に出展されることが決まった。
 2010 年に開催予定の平城遷都1300年記念事業にあわせたもので、両菩薩像は本尊・薬師如来坐像の両脇に安置されており、いずれも高さ約3.2m銅像で、ふく よかな顔だちや、流れるような腰のひねりが魅力となっている。月光菩薩像だけは東京で展示されたことがあるが、両菩薩像がそろって寺外で披露されるのは初 めてという。

● 石川・来迎寺地震で被害の古仏を応急修理(2007年5月19日)
 能登半島地震で被災した穴水町大町の来迎寺複数の古仏の応急修理が始まった。
 同寺では本尊の阿弥陀如来座像(平安時代後期)の胸に割れ目が入り、首が胴内に数センチ沈んだほか、薬師如来座像(同)と不動明王立像(鎌倉時代後期)が床に落ち、十一面観音立像(江戸時代初期)を含め、手足や指が折れた。これらはいずれも町の指定文化財となっている。
 財団法人美術院・国宝修理所から美術院主任技師は派遣され、十八日は、胴体と足が分離していた薬師如来坐像が組み上がり、本堂に仮安置された。

● 高松塚「飛鳥美人」東壁の取り外しに成功(2007年5月17日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末−8世紀初め)で、女子群像が描かれた東壁をつり上げ、石室から取り外した。
 取り外しは16枚の石材からなる石室のうち、天井石2枚、四神図「玄武」がある北壁、女子群像の西壁に続き5枚目。
 東壁は石室の北東角にあり、高さ1.16m、幅84cm、厚さ45cm
石材の状態などから、石材を直接支えるゴム製パッドの調整に手間取り、1時間かかった。 作業中、南隣の石材との接合面で数センチ大の破片が3個落ちたが、壁画面の破損はなかった。

● 高松塚・飛鳥美人、東の方が上手(2007年5月17日)
 高松塚古墳の東西壁に描かれた2組の「飛鳥美人」(女子群像)は、似たような4人の女性が並ぶが、よく見ると画風は違う。実は、別人が描いたとみられ、専門家は、有名な西壁よりも東壁の方が絵師の技量は上とみている。
 東は全体にゆったり感があるが、西は輪郭に硬さが目立ち、筆遣いが粗いという。

● 高松塚女子群像に木棺引きずった傷(2007年5月17日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、東壁の女子群像に木棺を納めた1300年前にできたと見られる傷が確認された。
 傷は中央の四神図「青竜」から北側の女子群像にかけて最長112cmに亘り、棺でこすったように平行して10本以上あり、また棺の角が当たったとみられる垂直方向の傷もあった。
 一部に棺に張っていたとみられる金箔が付着していた。高松塚古墳のの木棺の一部が残っており底に金箔があったことが分かっているが、棺は外側全面に金箔を使っていた可能性があるという。
 傷の付き方や位置から木棺は高さ69cmで、角を面取りしたふたをかぶせ、上端と底の周囲は帯状の飾り金具などが巻いてあったとみられる。


● 正倉院に残る「四分律」鑑真が持参した経典か(2007年5月15日)
   奈良市の東大寺正倉院所蔵の経典「四分律(しぶんりつ)」が、753年に唐から苦難の末に来日した高僧・鑑真が持参した可能性が高いことが分かった。
  四分律は、「聖語蔵経巻(しょうごぞうきょうかん)」のうちの一つで、僧侶が修行する規律を記した重要な経典。唐で書写され、文字や紙の質も高い「唐経」 16巻と、光明皇后が740年(天平12年)に書写させた「御願(ごがん)経」31巻の2種類がある。うち御願経は、格式の高い経典だが、訂正や加筆が多 い点が謎とされてきた。
 調査の結果、当初は朱色の文字(朱書)で訂正していたが、鑑真が来日した753年(天平勝宝5年)ごろを境に白い文字 (白書)の訂正に変わったことが判明。白書は、唐経と表現が同じで、唐経を参考にしたとみられる。鑑真の生涯を記した奈良時代の文献「唐大和上東征伝」に は、鑑真がもたらした経典や仏像の中に、四分律60巻が含まれていると記されており、正倉院所蔵の唐経は、その一部と推定した。

● 高松塚古墳飛鳥美人色くすむ(2007年5月15日)
 奈良県明日香村高松塚古墳の西壁に描かれた女子群像(飛鳥美人)壁画を報道関係者に公開された。
1300年前の色彩や描線は残っていたものの、72年の壁画発見当時の飛鳥美人の艶(つや)は消え、全体的に乾いてくすんでいた。絵の上では、修理で使った樹脂の可能性がある白濁も見つかった。
 女子群像は壁面の左側、約40センチ四方の範囲で黄色、白、赤、緑の衣服を着た4人の女性が重なるように描かれている。
 しかし、絵はカビなどの影響で全体的にくすんでおり、発見時にすでにあった漆喰の剥落や、赤い衣服などに白濁している部分が見つかった。
  白濁箇所は、漆喰剥落防止の接着剤として1980年代ごろまで使われたアクリル樹脂の可能性があるという。壁画への影響を懸念して絵には直接使用しなかっ たとされるが、別の剥落個所から染み込んだ後に絵の表面から浮き出たともみられる。同庁が原因を調べ、対策を検討する。
 
発見当時        取り外し後

● キトラ古墳・玄武11日から一般公開(2007年5月10日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳の石室からはぎ取られた極彩色壁画のうち、四神の一つ、玄武(縦14.5cm、横25cm)が、奈良文化財研究所飛鳥資料館で地元向けに公開された。
 玄武は亀と蛇が絡み合う姿を描いたもので、2005年11月に分割してはぎ取られ奈良文化財研究所で修復されていたが、修復を完了し、温度22〜23度、湿度60%前後に保たれたガラスケースに収められた状態で公開された。

● 高松塚古墳で「飛鳥美人」を取り外し成功(2007年5月10日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、女子群像が描かれた石室西壁が取り外された。
 取り外しに先立って、壁画表面にレーヨン紙を張り付け、壁画面を保護した上でクレーンでつり上げ、石室から運び出した。
 西壁に描かれた女子群像は「飛鳥美人」と呼ばれ、1300年前の風俗を鮮やかに伝えていることで注目された。しかし発掘から35年の間に壁画が劣化し、下地の漆喰の剥落やひび割れ、黒カビも目立ってきている。
 今後、修復施設に移してカビなどを除去し、壁画を保護するため表面に張ったレーヨン紙をはがした上で、 10年がかりで修復する予定。

● 福井・小浜市文化財9件指定(2007年5月10日)
 小浜市は、明通寺の木造金剛力士立像など、仏教彫刻や仏画、民俗行事など有形、無形合わせて9件を新たに市文化財に指定した。
  指定を受けたのは明通寺(門前)神宮寺(神宮寺)谷田寺(谷田部)妙楽寺(野代)の木造金剛力士像各1対の4件と、極楽寺(白鳥)の釈迦十六善神像と愛染 明王像、阿弥陀三尊来迎図の仏教絵画3件、円照寺(尾崎)の「大日堂」、法海区と荒木区で行われている民俗行事の「六日講・二十日講の勧請綱(かんじょう つな)行事」。
 明通寺の木造金剛力士立像は鎌倉時代の作とみられ、市内に現存する金剛力士立像の中で最も古い。

●  福井・平泉寺旧境内から白磁観音像が出土(2007年5月10日)
 福井県勝山市の国史跡、白山平泉寺旧境内から、中国・元代に作られたとみられる「白磁観音像」が出土した。
 観音像は、昨年12月、現在の平泉寺境内の南側に広がる「南谷三千六百坊」と呼ばれる僧侶屋敷跡の発掘調査で発見された。出土したのは、頭部右下や右腕のひじ部分などの破片6個で、復元すれば20cmになるという。
 精巧な装飾品も付属しており、顔なども精巧に出来ており、台座は鉄分を多く含ませ岩のような質感を出している。中国最大の陶磁器生産地で知られる、江西省の景徳鎮で作られたとみられる。
 景徳鎮の白磁観音像は、国内では福岡市で破片の出土例があるだけで、世界的にも十数点しか存在せず、かなり欠けているものの頭全体の姿が分かるものは国内で初という。

● 京都府文化財総合目録」を7年ぶりに改訂(2007年5月7日)
 京都文化財団は、「京都府文化財総合目録」を7年ぶりに改訂した。
 京都府の国宝、重文のほか、府や市町村の指定・登録の全文化財4526件を網羅した。
 目録は所在地や築造年代、修理状況などのデータを収録した文化財のバイブル。新指定・登録のほか、国宝の今昔物語集など独立行政法人化で京都大の所有となった古文書や考古遺物など519件を新たに掲載した。
 A5判、989ページ。定価3000円。
 問い合わせ先は、京都府京都文化博物館内ミュージアムショップ 便利堂 075-212-3931

● 盗難の「白銅三鈷杵」の公開始まる(2007年5月8日)
  平成7年に展示されていた会津若松市の鶴ケ城天守閣から盗まれ、昨年所有者の恵日寺(磐梯町)に戻った国指定重要文化財「白銅三鈷杵」が、福島県立博物館 で開催されているテーマ展示「社寺が伝えた祈りの美」の中で返還後初めて公開されている。5月8日から6月17日まで。
 「白銅三鈷杵」は奈良時代に作られたもので、仏都会津を象徴する文化財とされる。
 テーマ展示ではこのほか、会津美里町の法幢寺所蔵の国指定重要文化財「善光寺式銅造阿弥陀三尊立像」などの約30点を展示している。

● ヒマラヤ山中で仏教壁画発見(2007年5月4日)
 ネパール北部ムスタン地区にあるヒマラヤの山中の洞窟で、十三世紀ごろのものとみられる仏教壁画が発見された。
 洞窟はアンナプルナ1峰(8091m)の北部に位置し、外国人の立ち入りが制限されている場所。 米国、イタリア、ネパールの国際調査チームが付近の洞窟 12ヶ所を探索して発見したもので、縦長の洞窟に沿って描かれており、仏塔のほか、ブッダの生涯を描いた五十五の壁画などが確認された。中にはチベット仏教の影響を受けているものもやインドの動植物も描かれており、世界遺産アジャンタの仏教壁画を彷彿とさせるという。
 洞窟は多層階に分かれて、階段の痕跡のようなものもあったが、急峻な地形のため略奪を受けていないとみられ、さらに貴重な発見がある可能性があるという。

● 西国三十三カ所巡礼 来年から各寺の本尊を公開(2007年4月23日)
 西国33所札所会では、西国三十三ヶ所観音霊場巡礼の創始者とされる花山天皇の没後1000年を記念行事の一環として、2008年から10年間で春と秋に各寺の本尊を特別公開する。時期や期間は寺により異なるが、今年の対象は6月に決定するという。


● 奈良・栄山寺で秘仏の本尊開帳(2007年5月2日)
 奈良県五條市小島町の栄山寺で5月1日から9日まで、春の大祭に合わせ秘仏の本尊薬師如来坐像の開帳が行われる。
栄山寺は、藤原南家の祖、武智麻呂の創建と伝えられ、寺の裏山の頂にある武智麻呂墓(国史跡)は昨年から復元工事が行われ、修復完成に伴う開眼供養が行われた。

● 川越・喜多院で天海大僧正寿像を初公開(2007年5月2日)
 埼玉県川越市小仙波町の喜多院で喜多院宝物特別展が開かれ、元住職・天海大僧正の肖像彫刻「天海大僧正寿像」(県文)をはじめ、江戸時代の職人を描写した風俗絵「職人尽絵屏風」(重文)や「将軍献上太刀」などの文化財計約八十点が展示された。
 天海大僧正寿像は僧正が没した寛永20年(1643)年に生前の姿を写した像とされている。

● 奈良市の西大寺境内で薬師金堂の跡出土(2007年5月2日)
 奈良市西大寺小坊町西大寺旧境内で、中枢建物の一つ「薬師金堂」とみられる創建当初(8世紀後半)の大型建物跡が見つかった。
 発掘されたのは、建物の基壇の一部で、1.6〜1.8m四方の柱穴6カ所が4.4m間隔で出土し、礎石は後世に抜き取られ残っていなかったが、うち2つの穴跡の底には、凝灰岩の板石(長さ1.4〜1.6m、幅0.6m、厚さ0.3m)が2枚ずつ並べて置いてあった。
板石は大阪・奈良府県境の二上山産で、ノミなどの削り跡があり、他用途の石を転用したと見られる。
 柱を支える礎石の下に板石を敷く例は同時期の大陸や国内には無いといい、巨大な薬師金堂の重量で礎石が沈下しないよう基礎固めをしたらしい。
 「西大寺資財流記帳」(780年)によれば、薬師金堂は東西35.2m、南北15.7mで平城京の朱雀門より大きく、鳳凰や獅子、火炎などの飾りが多数取り付けられ、約30体の仏像が安置されたとされ、基礎跡からもその荘厳さが想像できる。

● 倉敷・真備勝負砂古墳は二重構造の石室(2007年5月1日)
 倉敷市真備町下二万(しもにま)の勝負砂(しょうぶざこ)古墳で、竪穴式石室の内側や、蓋石と側壁の間に板材を使用した特殊な構造が明らかになった。
  勝負砂古墳は、未盗掘の前方後円墳で、3月に石室内に鉄製のよろい、馬具、銅鏡、鉄鏃などが埋葬時のまま残されているのが確認された。今回調査で石室側壁 の上端や内側に木の繊維や木目の痕跡が付着していたほか、側壁に沿った場所で鉄製のかすがいやくぎが複数出土した。このことから、一般的な竪穴式石室とは 異なり、側壁や蓋の直下に板材を巡らせた石と木の二重構造だった可能性があるという。
 同古墳は礫(れき)と粘土を積み重ねた石室の構造などから朝鮮半島の石室との類似性が指摘されていた。

● 京都府で国指定文化財保存修理事業が決定(2007年4月27日)
 京都府教委は、国宝や重要文化財など国指定文化財の保存修理や防災対策などに対する本年度の国庫補助事業内定分を発表した。
 木津川市・蟹満寺の銅造釈迦(しゃか)如来坐像(ざぞう)の部分修理や京都市北区の大仙院本堂の屋根ふき替えなど新規18件を含む85件。
  銅造釈迦如来坐像は、飛鳥〜奈良時代に制作された像高240cmの丈六の金銅仏。近年の調査で創建時から約1300年間、現位置のまま移動していないこと が確かめられた。台座がなく地付き部分が不整形なため、本堂の建て替えに伴い境内に修理工房を建て、3カ年で修理する。
 その他の新規の国庫補助事業は次の通り。

【建造物防災施設】龍安寺本堂(右京区)
▽玉林院本堂ほか3棟(北区)
【美術工芸品保存修理】
▽神護寺・絹本著色釈迦如来像(右京区)
▽西本願寺・絹本著色聖徳太子像(下京区)
▽禅林寺・絹本著色来迎阿弥陀(あみだ)像(左京区)
▽浄福寺・絹本著色阿弥陀三尊二十五菩薩(ぼさつ)来迎図(上京区)
▽相国寺・大書院障壁画50面のうち34面(上京区)
▽平等院・木造雲中供養菩薩像(宇治市)
▽地蔵院・木造阿弥陀如来像など2件(同)
【美術工芸品防災施設】
▽西本願寺・36人家集ほか(下京区)
【記念物保存修理】
▽清風荘庭園(左京区)
【重要有形民俗文化財保存修理】
▽祇園祭山鉾「北観音山」(中京区)
▽同「橋弁慶山」(同)
▽同「鶏鉾」(下京区)
▽同「船鉾」(同)
【民俗文化財伝承活用等】
「やすらい花」(北区・やすらい踊保存団体連合会)

● 高松塚古墳の天井石公開(2007年4月27日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳から解体された天井石が報道陣に公開された。
 天井石には、古代中国の星座「星宿」の一部が描かれており、「北方七宿」と呼ばれる星座の星を表した金箔が1300年前と変わらない輝きを見せた。
 しかし、壁画面は全体がくすみ、崩落寸前の浮いた漆喰や大きなひび割れも見られた。

● 高松塚古墳亀裂天井石の取り外し成功(2007年04月25日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、北から2番目の天井石の取り外しに成功した。
今回の天井石は幅1.8m、長さ93.4m、厚さ59cmで、天文図の「星宿図」の一部が描かれている。
 石の北東角に延べ1.2mの亀裂が見つかり、16枚ある石材のうち最も作業が難しいとされたが、破損することなく、描かれた天文図にも剥落はみられないという。
  しかし、この石の下にあり、「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像が描かれた東西の側壁で、天井との接合面を中心に黒いカビが密集していた他、女子群像のうち、 右から2番目の赤い服の女性像のほおに2カ所、0.8mm程度の黒いカビが新たに見つかったが、いずれも筆でぬぐって除去した。

● 奈良県羽子田遺跡で謎の土器出土(2007年4月20日)
 奈良県田原本町新町の羽子田遺跡で、皮袋か鳥を表現したとみられる弥生時代末期(3世紀前半)の異形土器が見つかった。
 土器は井戸跡の底で見つかり、胴部の長さは約20cm、ラグビーボール状の胴部に上部に注ぎ口が取り付き、片側の側面に小さな穴が開けられている。
 井戸での祭祀に使ったとみられ「皮袋形土器」「鳥形土製品」などと呼ばれて西日本を中心に約60点出土しているが完形品は極めて珍しいという。

● 滋賀石馬寺の十一面観音立像が17年ぶり里帰り(2007年4月20日)
 滋賀県東近江市にある石馬寺の重要文化財・十一面観音菩薩立像が20日、寄託していた東京国立博物館から17年ぶりに里帰りした。
 十一面観音菩薩立像は像高167cmのヒノキの一木造で、衣部分には翻波(ほんぱ)式衣文も見られ、平安時代中ごろの10−11世紀の作と考えられる。
 1990年から東京国立博物館の要望を受けて寄託していたが、2000年11月に大佛殿を新築したことから、阿弥陀如来坐像(平安時代)や役行者像(鎌倉時代)などと一堂に安置することとし、返還を依頼していた。   

● 「飛鳥美人」に新たなカビ(2007年4月18日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、「飛鳥美人」で知られる女子群像上に新たな黒いカビが発生していることが分かった。
 高松塚では国宝壁画保存のため