特選情報

● 鳥取・転法輪寺本堂、登録有形文化財に(2010年7月24日)
 鳥取県琴浦町別宮の転法輪寺本堂が国登録有形文化財に答申された。
 転法輪寺の本堂は幅5.4m、奥行き9mの入母屋造瓦ぶき。当初は空也上人がまつられたお堂が、後に転法輪寺の本堂になったと考えられるという。
 寺伝によると、寺は承和年間(834〜848年)に慈覚大師を開祖として開かれた。天禄2年(971)に空也上人が立ち寄り、翌年に入滅したとされる。

● 大分・天念寺で講堂の改修工事始まる(2010年7月24日)
 大分県豊後高田市長岩屋の天念寺で、老朽化のため傷みが激しくなっている講堂の大規模な改修工事が始まった。
 講堂は江戸時代に建てられたとされ、過去に何度か改修された記録が残る。今回の工事では、茅葺屋根や壁面を張り替えるほか、基礎部分を補強する。
 天念寺では、豊後高田市で毎年2月にある伝統の火祭り「修正鬼会」(国指定重要無形民俗文化財)が行われており、講堂はその舞台となっている。
 行事の時に見物客で埋まるスペースを一部増築し、出入り口も1カ所から3カ所に増やすなどの改修も実施する。
 改修作業は12月上旬まで一般公開され、足場から作業の様子などを見学できる。

● 奈良・伝香寺で年に一度着せ替え法要(2010年7月24日)
 奈良市小川町の伝香寺で23日、珍しい裸形の地蔵菩薩立像(重要文化財)に着せられた衣を年に一度取り換える「着せ替え法要」が営まれた。
 地蔵菩薩立像は鎌倉時代の作で、元は興福寺延寿院の本尊だったとされ、通称「はだか地蔵尊」と呼ばれる。普段は非公開だが、地蔵菩薩の縁日に当たるこの日は、本堂で衣を取り換える様子が公開された。

● 奈良国立博物館で「仏像館」オープン(2010年7月18日)
 奈良市の奈良国立博物館は、本館(重要文化財)を改装し、仏像展示を専門にした「なら仏像館」としてオープンさせる。
 7月21日には改装記念の特別展「至宝の仏像」が開幕する。
 本館は、旧宮内省内匠(たくみ)寮の技師で、東京・迎賓館を手がけた片山東熊(とうくま)(1854〜1917年)が設計。レンガ造り石張りの洋館で、1895年に帝国奈良博物館として開館した。
 戦前は、各寺から寄託された仏像を展示。戦後、多くは寺に戻されたが、現在も、「薬師如来立像」(元興寺)や「誕生釈迦仏立像及潅仏盤」(東大寺)など国宝10件、重文120件を含む500件を保管している。
 西新館や東新館の完成で、本館は2000年から仏像などの展示専用施設になったが、今回、計100基以上のスポットライトを設け、仏像の表情が魅力的に見えるように工夫したという。

● 奈良・大慈仙町薬師如来坐像に制作年の銘文(2010年7月15日)
 奈良市大慈仙町公民館に安置されている薬師如来坐像の台座上面から、平安時代後期の作であることを示す銘文などが見つかった。
 薬師如来像は像高33.6cmのヒノキ材の一木割矧造で、穏やかな表情や浅い衣文の彫り、背中を丸めた姿勢など、1053年に建てられた平等院鳳凰堂(京都)の阿弥陀如来像に倣った定朝様の様式を持つ。
 台座を含め、多くの当初部材が残る点も貴重とされる。
 銘文は判読できない部分もあるが、制作時期の「天治元(1124)年8月7日」や仏像の大きさのほか、制作を命じたとみられる「僧」などの文字が読み取れ、仏像の由来が記されている可能性が高いという。
 

● 遣唐僧「円仁」の石版、中国で確認(2010年7月8日)
 中国河南省登封市の法王寺で、平安時代前期の天台宗の高僧、円仁(えんにん)(慈覚大師、794〜864年)とみられる名前が刻まれた石板が発見された。
 石板は、お堂の一つを囲む外壁にはめ込まれており、大きさは縦44cm、横62cm。道教を信仰する皇帝・武宗による仏教弾圧「会昌の廃仏」(845年)の際に、寺の宝だった仏舎利を守ろうと地中に埋めて隠したことが記された後に「円仁」の文字があった。
  当時の中国僧の名を記した文献に同じ名が見当たらないことや、円仁の旅行記「入唐求法巡礼行記」の記述から、847年まで中国に滞在しており、845年に 同寺周辺にいたとしても矛盾がないことから、円仁の可能性が高いとしている。文字の書体が円仁本人の他の文書と似ていることから、直筆の可能性もあるとい う。

● 奈良・海龍王寺で、法華寺の瓦を発掘(2010年7月8日)
 奈良市の海龍王寺の旧境内地で、隣接する法華寺で使われていたものと同じ数種類の瓦が見つかった。
 昨年5月、住宅建設に伴い、現在の海龍王寺境内の北東約22平方mを発掘調査したところ、多数の瓦が出土し、その中に、法華寺境内で見つかった同寺の前身の建物や光明皇后の没後に建てられた阿弥陀浄土院の瓦と同じ型が含まれていた。
 これは両寺が密接な関係にあり、一体となって造営されていた可能性を示しており、奈良時代から続く古刹の関係を考える上で貴重な発見という。
 海龍王寺は、奈良時代に活躍した藤原不比等の邸宅跡に建つ。平城遷都以前からあった前身寺院が不比等邸の東北隅に取り込まれ、「隅寺」と呼ばれていた。不比等邸は娘の光明皇后の宮となった後、総国分尼寺の法華寺になり、海龍王寺は別の寺院として残った。

● 奈良・興福寺の三重塔を開扉(2010年7月8日)
 奈良市の興福寺で7日、弁才天に子孫繁栄や五穀豊壌を祈る「弁才天供」の法要が営まれ、普段は非公開の三重塔(国宝)が開扉された。
 三重塔は、高さ約19m、鎌倉時代初頭の建築で、北円堂と並び同寺で最古の建物。内部にまつられた弁才天坐像(江戸時代)は、「窪弁才天」と呼ばれ、弘法大師が天川村から同寺に勧請した弁才天の形式を伝えているとされる。年に一度、この日だけ開扉される。

● 奈良・藤ノ木古墳出土の国宝馬具、輸送中に破損(2010年7月8日)
 福岡県太宰府市の九州国立博物館は、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳から出土した国宝の馬具「鉄地金銅張鐘形杏葉(てつじこんどうばりつりがねがたぎょうよう)」(文化庁所蔵)が輸送中に破損したと発表した。
 破損した馬具は、出土した13個のうち輸送された3個の中の1個。馬の胸や尻に装着する革につり下げた鉄製の装飾品で、長さ17.7cm、最大幅13.4cm。2004年に国宝に指定された。
 馬具をテーマに13日開幕する特別展「馬アジアを駆けた二千年」展に出品される予定で、奈良県立橿原考古学研究所から九博に輸送されたが、開封したところ、鉄さびによる膨張で金具とつり革部分が一体化した頭頂部が欠けていたという。
 送前の点検で破損が見られなかったことから、輸送中の振動で亀裂が入り、剥離したと見られ、修復は可能という。
 破損した1個は展示を取りやめるが、無事だった他の2点は予定通り展示される。

● 愛知で円空仏 新たに2体発見(2010年6月29日)
 愛知県一宮市の寺から2体の円空仏が新たに見つかった。
 2体は、住職が一宮市立博物館に持ち込み、学芸員と円空学会理事長が円空の作品と確認した。
 新たに見つかったのは、薬師如来坐像(像高10.1cm)と、十一面観音菩薩坐像(像高7.8cm)。。
 薬師如来坐像は寛文期(1661〜1672年)の制作とみられる。彫りが丁寧で、無傷で保存状態も良好だった。
 十一面観音菩薩の坐像が見つかったのは、県内では初めて。十一面観音菩薩像の特徴を示す頭部の観音像や、頭上の頂上仏も見ることができる。制作時期は薬師如来像よりも遅いという。
 2体の円空仏は29日から同博物館の「円空展」で展示される。

● 京都・法勝寺九重塔跡
基礎現存塔の2倍以上(2010年6月24日)
 京都市左京区の法勝寺で、八角九重塔跡の発掘調査を行ったところ、基礎部分の面積が現存する塔の2倍以上あることが判った。
 今回、八角形とみられる基礎部分の南半分が出土し、五つの角が確認された。1辺は 12.5m〜14.5mで、面積は約850平方m。上部にあった基壇の面積もほぼ同じとみられる。地面を1.5m掘り下げてから粘土と河原石を埋め、突き固めて地盤を強化していた。
 基礎部の面積は、現存する東寺五重塔(同市南区 高さ55m)や興福寺五重塔(奈良市 高さ50m)の基壇の広さの2倍以上で、高さ81mと文献に記された塔にふさわしい規模と見られる。
 法勝寺は1077年に建立され、塔などは1342年に焼失した。今年2月の調査で基礎部分の一部が見つかっていた。
 また、塔の周囲では、九重塔を示すとみられる「九」の文字が書かれた鎌倉時代前期(12世紀末〜13世紀前半)の軒丸瓦(直径15cm)2点も出土した。

● 兵庫・姫路埋蔵文化財センターで重文鉄製大刀保管中折れる(2010年6月24日)
兵庫県姫路市四郷町坂元の宮山古墳で出土し、国の重要文化財に指定されている鉄製の十字形環頭大刀が、同市埋蔵文化財センターで保管中に破損していたことが分かった。
 十字形環頭大刀は全長69センチ。柄の部分は幅2センチ、長さ12センチで、先端に丸い輪と十文字の飾りがついている。
 出土当初から柄の付け根部分が折れていたが、今回折れていたのは飾りに近い部分。2001年に大刀をアクリル樹脂で保存処理した際に撮ったX線写真で亀裂などは確認されていないという。
姫路市教育委員会ではなぜ折れたのか顕微鏡などを使って詳しく調べるという。

● 天龍寺開祖夢窓疎石の袈裟見つかる(2010年6月24日)
 京都市右京区天龍寺南北朝時代の臨済宗の禅僧、夢窓疎石(むそうそせき)(1275〜1351)の袈裟が同寺で見つかった。
 袈裟は傷んでいて広げられないが、大きさは推定で縦1.4m、横3.5m。竜の模様があしらわれた紫色の織物と牡丹(ぼたん)唐草模様の金襴(きんらん)で作られている。
 収蔵庫で桐箱の中に納められていた袈裟5点のうち1点が、鹿王院(右京区)所蔵の疎石の肖像画に描かれた袈裟の模様と酷似しており、疎石が着ていたと判断した。
 高知市の吸江(ぎゅうこう)寺でも、疎石が弟子に授けたとされる袈裟が見つかっている。この袈裟は、京都国立博物館で10月9日に始まる特別展覧会で公開される。

● 奈良・興福寺三重塔特別開扉(2010年6月21日)
 奈良市の興福寺で「弁才天祭・三重塔特別開扉」が7月7日に開かれる。
  法相宗の大本山として知られる興福寺。南円堂の西側には、優美な三重塔が建っている。現在の塔は、鎌倉時代初期に再建された建物で、内部には、窪弁才天と 称される弘法大師が勧請したと伝えられる弁才天や薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来をそれぞれ1000体ずつ極彩色で描いた板絵が納められてい る。 

法要は年に一度だけ営まれ、読経の後、内陣を拝観できる。


● 京都・平等院で国宝の雲中供養菩薩像の右手が行方不明(2010年6月20日)
    京都府宇治市の平等院鳳凰堂中堂にある国宝・雲中供養菩薩像52体のうち、東側壁面の「南24像」と呼ばれる仏像の右手が、1906年に補修された後、いつの間にかなくなっていたことが分かった。
 雲中供養菩薩像は鳳凰堂の創建に合わせ、平安時代の1053年に制作。いずれも高さ60cmチほどで、雲に乗り、本尊の阿弥陀如来坐像を取り囲むように四方の壁の上方にかかっている。
 1906年の補修は、現在の財団法人「美術院国宝修理所」(京都市)が実施。このほど同修理所で見つかった図解集によると、南24像は左腕から先の部分と右手が欠けていたため、死者の魂を浄土に運ぶ「蓮台」を両手で持つ姿にしたことが分かった。
 しかし同時期に補修した左手は残っていることから、人為的に外したのか、自然に落下したのかは不明という。

● 奈良・興福寺南大門跡
地鎮のつぼに魚の頭骨(2010年6月16日)
 奈良市の興福寺南大門跡で、創建時(8世紀前半)の鎮壇具(ちんだんぐ)を納めた須恵器のつぼから、カサゴの仲間の魚の骨の一部が見つかった。
 つぼは昨年の発掘調査で見つかり、その中から、和同開珎やガラス製の小玉とともに、最大約2cmの魚の骨やうろこが数百片出土した。体長16〜18cm程度のフサカサゴ科の魚の頭の骨や胸びれとみられ、頭部だけが納められたとみられる。
 古代寺院ではこれまで約20か所で、鎮壇具が出土しているが、金銀や水晶などの宝物がほとんどで、魚が確認されたのは初めて。
 正倉院文書には奈良時代の法華寺阿弥陀浄土院(奈良市)や石山寺(大津市)の地鎮に陰陽師がかかわったと記されているが、魚類が用いられた記録はない。
  専門家は、殺生を禁じる仏教で魚を供えることはあり得ず、「山の神にオコゼを供える」という鎌倉時代の陰陽道の文献や「山の神は醜く、醜いオコゼを供える と喜ぶ」という伝承があることから、仏教とは無関係で、天文や占いなどをつかさどる陰陽師(おんみょうじ)が地鎮の儀式を仕切っており、オコゼに似たカサ ゴを、寺の東にある御蓋(みかさ)山の神にささげたのではないかと指摘する。

● 奈良・東明寺薬師如来坐像などを公開(2010年6月15日)
  天武天皇の皇子、舎人(とねり)親王が創建したとされる大和郡山市矢田町の東明寺(とうみょうじ)で、本堂の特別開帳が始まった。普段は事前予約が必要だ が、平城遷都1300年を記念し、本尊の薬師如来坐像、毘沙門天立像、吉祥天立像(いずれも重文 平安時代)など貴重な仏像を常時公開する。6月30日ま で。
本尊の薬師如来坐像は平安時代の木造で、ウエストが細いことや、当初衣と肌が朱色、頭髪が群青に彩色されていたことなど珍しい特徴を持つ。
 同じ矢田丘陵にある矢田寺(大和郡山市矢田町)と松尾寺(同市山田町)でも6月30日まで特別開帳があり、矢田寺では本尊の地蔵菩薩立像(重文)、松尾寺では日本最大級の役行者像などを拝観できる。

● 奈良・宇陀市で薬師寺を全焼(2010年6月12日)
 奈良県宇陀市室生区砥取の薬師寺から出火、木造平屋の本堂と、隣接するほこら計約110平方mを全焼した。
出火当時、本堂はトタン屋根のふき替え工事中。電動カッターでトタン板を切断した際に出た火花が、屋根に敷かれた茅に燃え移ったという。
 堂内には、江戸時代中期の作とされる本尊薬師如来坐像や十二神将立像など仏像約15体が安置されていたが、いずれも焼けた。いずれも指定などは受けていない。
 薬師寺は現在は無住であるが、以前は女人高野で知られる室生寺(室生区)の末寺であり、十二神将像は元々、室生寺のものとの言い伝えもある。

● 滋賀・真野廃寺遺跡で白鳳時代の瓦窯出土(2010年6月10日)
 滋賀県大津市真野の真野廃寺遺跡から、白鳳時代(7世紀後半)の瓦窯が見つかった。
 道路建設に伴い、昨年12月から調査していたが、瓦窯(長さ7m超、内幅1.5m、高低差2m)を大量の瓦とともに確認した。元々あった古墳の傾斜面を利用して、土中をトンネル状に掘り進め、地上部に煙突を取り付けた「穴窯」と呼ばれる構造だった。
 出土した瓦は、模様や細工が施されておらず、寺院が老朽化した際の補修用に作っていたとみられる。
 調査ではさらに、6世紀の古墳2基を確認したほか、木棺跡や副葬品とみられる鉄器(刀状)、ガラス玉、須恵器も出土した。
 寺院の屋根瓦を生産したとみられ、古代の有力豪族が建てたとされる「真野廃寺」が近くにあったことを裏付ける資料として注目されるという。

● 奈良・東大寺法華堂の持国天像と増長天像65年ぶりに搬出(2010年6月9日)
 奈良市の東大寺法華堂で、仏像を安置する須弥壇の修理に伴い、四天王立像(国宝)のうち、持国天像と増長天像が搬出された。四天王立像が法華堂を出るのは第二次大戦中に疎開した時以来、約65年ぶり。
 二体の仏像はいずれも奈良時代の脱活乾漆造で、造高約3m。薄紙や白い布で包んで木の枠に入れられて、南西にある奈良国立博物館の文化財保存修理所に到着した。
法華堂には本尊・不空羂索観音像や金剛力士像など国宝と重文の16体が安置されており「天平仏の宝庫」とも称される。
  奈良国立博物館には合計8体を移す計画で、その後須弥壇は約3年かけて修理するという。8月1日からは堂内に残る日光・月光菩薩像、弁財天像、帝釈天像、 梵天像(国宝)、地蔵菩薩像、不動明王像(重文)の7体の拝観を再開するが、内陣には入れず礼堂からの拝観となる予定。
 毎年12月16日に公開される執金剛神像(国宝)は、現在の場所ではなく、堂内の別の場所での公開となる。
 2011年10以降は、日光・月光菩薩像、弁財天像、吉祥天像の塑像が、現在南大門付近に建設中の東大寺総合文化センターに移されるという。

● 京都の国宝・重文80件改修へ(2010年6月8日)
 京都府教委文化財保護課は、府内の国宝や重要文化財などの保存や修理、防災設備の改修などをする今年度の第1、2次国庫補助事業を発表した。
 補助事業は新規事業19件を含む計80件で、建造物は21件。醍醐寺(京都市伏見区)三宝院殿堂純浄観(重文)の屋根のふき替え、今日庵(上京区)の裏千家住宅(重文)の防火設備改修など。
 また、美術工芸品は28件。「青不動」の名で知られる平安時代の代表的な仏画の一つ、青蓮院(東山区)の「絹本著色不動明王二童子像」(国宝)の解体修理など。

● 奈良・当麻寺西塔は白鳳時代の創建(2010年6月8日)
 奈良県葛城市城市の当麻寺の東西両塔(国宝)のうち、西塔の創建が定説の平安時代より古く、寺の創建と同じ白鳳時代までさかのぼる可能性があることが分かった。
西塔の周囲計40平方mを発掘したところ、南東部から江戸時代に掘られたとみられる廃棄坑が検出。廃棄坑からは奈良〜江戸時代の瓦にまぎれ、寺が現在地に創建された、680年代の白鳳年間の軒丸瓦が含まれていた。
 今まで、建築様式などから東塔は750年ごろの奈良中期、西塔は平安前期に創建されたとされてきた。
また、調査地からは9〜10世紀の土器が埋められた柱穴約30基も見つかった。西塔を建設した際の足場跡と考えられ、現在の西塔が平安時代に再建されたことを裏付けた。
明治時代の建築史学の研究者、足立康氏は現在の西塔は再建されたものだとする再建説を唱えていた。


● 福井・文化財紹介HPの運用始める(2010年6月5日)
 福井県教育委員会文化課は、県内の文化財を紹介するホームページの運用を始めた。
 県のHP内に「福井の文化財」のタイトルで、国が指定、選定、選択、登録している県内の文化財と、県指定文化財の計597件を掲載した。今後は各市町が指定する文化財も紹介する予定。 
 掲載情報は、所在地・管理者・国宝、重要文化財などの種別・時代・指定・登録年月日・歴史や詳細などで、建造物や絵画、史跡など15の分野に区分けしたほか、地域別でも分類した。 http://info.pref.fukui.jp/bunka/bunkazai/index.html

● 広島・吉祥寺の聖観世音菩薩像開帳(2010年6月4日)
 広島県世羅町上津田の鳳林山吉祥寺の聖観世音菩薩像が6日、16年ぶりに開帳された。
 菩薩像は台座を含む高さが1.17m。頭部に金属製の王冠をかぶり、左手に一輪のハスの花を持つ。光背や台座などには金箔が施され、町重要文化財に指定されている。
 寺に伝わる史料によると、奈良市の興福寺吉祥院から戦火を避けるために1180年に移されたとされているが、作られた時期などは不明という。

● 山口・瑠璃光寺五重塔にムササビ被害(2010年6月1日)
 山口市の国宝瑠璃光寺五重塔で5層目の軒先に穴が開いたことがわかった。背後の山に生息するムササビが巣作りのため開けたとみられる。 屋根を重厚に見せる檜皮葺(ひわだぶき)の一部に、昨年末直径約20cm、奥行き約20cmの穴が開き、寺が檜皮でふさいだ。
 1998年にも1層目の格子扉にかじられたような被害が見つかっているが、効果的な対策はないという。

● 静岡・中野観音堂の千手観音像修復完了(2010年1月31日)
 静岡市葵区井川の中野観音堂の千手観音立像をはじめとする5体の仏像は、ひび割れや虫食いなどの傷みがひどく、平成21年度から3ヶ年の計画で修復することになった。
 今年度は、本尊である千手観音立像が修復された。千手観音立像は、脇手の一部がはずれて足先も朽ちてなくなっており、欠失部分については、必要と考えられる範囲で復元された。そのほか虫食いやひび割れ箇所について補修、木質の強化などを行なった。
 今後、他の4体も同様に修理される。
 (右写真は修復前)

● 京都・善峯寺重文の多宝塔などアライグマつめ跡(2010年5月30日)
 京都市西京区の善峯寺で、重要文化財の多宝塔など複数の建築物につめ跡などの傷があることが分かった。
 ここ数年境内周辺でアライグマが頻繁に目撃され、昨年ごろから建物の柱に複数の傷がつけられるようになったという。今年2月、には多宝塔の屋根に直径約20cmの穴を発見。屋根裏で動物のふんも見つかった。

● 地方仏フォーラム講演会のお知らせ
第一回地方仏フォーラム講演会
地域に遺された祈りのかたち
平成22年6月13日(日)
14:00〜17:00
東京国立博物館 平成館大講堂
講演
青木淳多摩美術大学造形表現学部准教授 運慶時代の地方仏
杉山二郎東京国立博物館名誉館員 国際仏教学大学院大学名誉教授大仏以降-その地方的展開
懇親会17:30〜(会場未定)
地方仏フォーラムは多摩美術大学造形表現学部青木淳准教授を中心として設立されたフォーラムで、設立を記念して、講師に青木淳・杉山二郎両氏を迎えて講演会を開催する。
申し込みはハガキまたはメールによる事前申込制(先着順)
定 員:380名(事前申込制)
聴講料:(税込) 一般1000円 学生500円
詳細は、地方仏フォーラム事務局http://chihoubutsu.com/へ
 
● 岡山・餘慶寺の千手観音立像に納入の米籾など公開(2010年5月27日)
 岡山・餘慶(よけい)寺の本尊・千手観音立像の胎内に納入されていた米籾など五穀や銅銭などの公開が県立博物館(岡山市北区後楽園)で始まった。
 瀬戸内市邑久町、餘慶(よけい)寺の本尊・木造千手観音立像の胎内に納入されていた米籾(もみ)など五穀や銅銭などの公開が、県立博物館(岡山市北区後楽園)で始まった。
 納入品は昨年、同像を解体修理中、頭部の中に和紙に包まれた状態で見つかった。仏像内で見つかった米についてDNA検査や発芽実験し、米の特徴を調べた。この結果、野生種の特性はなく栽培種であり、赤米の中でも選別されたものを栽培したものと見られるという。
 仏像にあった記述などから、米は寛永2年(1625)のものと推測される。また永楽通宝など銅銭33枚や護符など、他の納入品も公開、研究成果もパネルで展示している。
 公開は5月27日から6月27日まで。

● 神奈川・鎌倉市大町釈迦堂口遺跡など国の史跡に(2010年5月22日)
 国の文化審議会は、鎌倉市の「大町釈迦堂(しゃかどう)口遺跡」などを新たに国の史跡に指定するように答申した。
 大町釈迦堂口遺跡は、名越ケ谷と呼ばれる谷戸(やと)の一角にあり、丘陵部には中世鎌倉特有の横穴式墳墓「やぐら」が64基あり、丘陵部を掘削して造成された平場には建物跡も確認されている。トンネル状に山肌をくりぬいた釈迦堂口切通もある。
  鎌倉幕府初代執権・北条時政(1138〜1215)邸跡との説もあったが、2008年の市教育委員会の発掘調査で年代の違いが発覚。さらに、一般住居には ない柱の礎石や火葬跡なども確認された。やぐらの存在や、国の重要文化財にも指定されている「青磁の鉢」など高価な出土品からも、それなりの格式を持った 未知の廃寺跡の可能性が考えられるという。

 審議会の主な答申内容は次の通り。
 【特別名勝の新指定】
▽平城宮東院庭園(奈良市)
 【史跡の新指定】
▽小峰城跡(福島県白河市)
▽常陸国府跡(茨城県石岡市)
▽大町釈迦堂口遺跡(神奈川県鎌倉市)
▽長州藩下関前田台場跡(山口県下関市)
▽阿波遍路道=鶴林寺道、太龍寺道、いわや道(徳島県阿南市、勝浦町)
▽妙見山古墳(愛媛県今治市)
▽熊本藩川尻米蔵跡=外城蔵跡、船着場跡(熊本市)
▽小湊フワガネク遺跡(鹿児島県奄美市)
 【名勝の新指定】
▽和歌の浦(和歌山市)
▽円月島(和歌山県白浜町)
 【天然記念物の新指定】
▽大室山(静岡県伊東市)
▽多度のイヌナシ自生地(三重県桑名市)
▽ヤクシマカワゴロモ生育地(鹿児島県屋久島町)
 【登録記念物の新登録】
▽小川氏庭園(鳥取県倉吉市)
▽賀来飛霞標本(宮崎市)
 【重要文化的景観の新選定】
▽高島市針江・霜降の水辺景観(滋賀県高島市)
▽田染荘小崎の農村景観(大分県豊後高田市)

● 奈良・飛鳥京跡で柱穴が出土最大級建物跡か(2010年5月21日)
 奈良県明日香村の飛鳥京跡で、天皇が儀式などをした内郭の北に位置する「外郭」から、7世紀後半の大型建物跡とみられる柱穴が出土した。
  内郭の北約40mで、1.7m四方、深さ1.7mの柱穴が12基見つかった。柱跡は方位をそろえて並んでおり、少なくとも東西29.4m、南北15mの建 物跡と推定。規模は、内郭の南東で出土し、大極殿の可能性もある「エビノコ大殿」(東西29.7m、南北15.6m)と匹敵しており、飛鳥京内では最大級 の規模の建物と推定される。
 出土した柱穴は一部だけだが、天武天皇と持統天皇の居所だった飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)(672〜694年)の関連施設とみられ、規模や構造などから、天皇が居住した内裏(だいり)にかかわる建物の可能性があるという。

● 山梨・大善寺日光・月光菩薩像を修復(2010年5月21日)
 山梨県甲州市勝沼町勝沼の大善寺は2年間かけて、所蔵する重要文化財の日光・月光菩薩立像を修復する。
 両菩薩立像は像高約2.5m、ヒノキ材を使った寄せ木造り。鎌倉時代初期
 年月の経過とともに傷みが目立つようになったため、国などの補助金を使って修復することになった。指先などの欠損した部分を復元するほか、台座の補修などを行うという。

● 「ふるさと文化財の森」に甲州市のヒノキ林などを選定(2010年5月20日)
 文化庁は、甲州市塩山上萩原の雲峰寺の境内にあるヒノキ林などを、「ふるさと文化財の森」に選定した。
 国宝や重要文化財などの建造物の修復用資材を供給するほか、必要に応じて伝統技術伝承のための研修の場として利用される。
  雲峰寺の境内北側には7ヘクタールの土地に、直径30〜60センチの約400本のヒノキがある。ヒノキの皮は「ひわだ」と呼ばれ、寺社建築の屋根の材料と なる。県内でも同寺のほか、北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市上吉田)や大善寺(甲州市勝沼町)でもひわだぶきが使われている。
 今回選ばれた主なものは次の通り。
三重県亀山市関町坂下 ヒノキ・スギ林 諸戸林業
神奈川県秦野市 ヒノキ・スギ林 諸戸林業
広島県福山市熊野町 水田「備後熊野い草圃(ほ)」

● 香川・白峯寺で義真の肖像画見つかる(2010年5月21日)
 香川県坂出市青海町の白峯寺で、僧侶の肖像画3点が見つかり、1点が天台宗総本山・比叡山延暦寺の初代座主(ざす)を務めた修禅(しゅうぜん)大師・義真(ぎしん)と確認された。
 義真は、相模国(神奈川県)出身で平安初期の僧。天台宗の開祖伝教大師・最澄に師事し、通訳として最澄の入唐に随行。帰国後は天台宗の発展に寄与し、初代座主となった。


  今回発見された肖像画は、縦195cm、横93.9cm。袈裟を身にまとい着座した義真が描かれ、全体を岩絵の具で着色。左上に「修禅大師」と記されてい る。絹の目や筆致などから、鎌倉時代に描かれたと見られる。残る2点の肖像画は、空海のめいの息子とされる天台宗第5代座主の智証(ちしょう)大師・円珍 と、中国天台宗の開祖天台大師・智ぎ(ちぎ)の可能性が高いことが確認された。
 義真を描いた絵画は全国で3点見つかっているが、いずれも紙に墨で描かれており、着色された義真の肖像画の発見は全国初という。
 肖像画はいずれも損傷が激しく、一般公開は行わない。

● 島根・出雲大社の境外社を文化財に指定(2010年5月18日)
 島根県は、出雲市大社町にある出雲大社境外(けいがい)社5社6棟を有形文化財(建造物)に指定した。
出雲地方に多い大社造りの歴史を考える上で重要な社殿群で、保護する価値が高いという。
 大社町杵築東の神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)など4社は本殿を、大社町杵築北の上宮(かみのみや)は本殿と拝殿。上宮を除き、切り妻造り妻入の大社造りの特徴を示す。
  出雲大社境内にある境内社に対して「境外社」と呼ばれ、出雲国風土記や延喜式にも記載があり、重要な神事が現在まで継承されてきた。5社のうち3社は、延 享遷宮(1744)の時に、境内社の古材を再利用して建てられたことが部材への書き込みなどから確認されており、建築史的にも重要という。
 他の社は次の通り。
▽大穴持御子玉江神社(おおなもちみこのたまえのかみのやしろ)
▽大穴持御子神社(おおなもちみこのかみのやしろ)
▽出雲井神社(いずもいのかみのやしろ)

● 山形・仏心寺の釈迦如来坐像など3像を県有形文化財指定(2010年5月18日)
山形県教委は、仏心寺(東根市沼沢)の釈迦如来坐像、護真寺(大江町三郷の阿弥陀如来坐像)、吉祥院(山形市千手堂)の天部形立像の3像を県有形文化財に指定した。
 仏心寺の木造釈迦如来坐像は、正徳5(1715)年に大仏師法橋善慶(ほっきょうぜんきょう)が制作。江戸時代前期に中国から伝えられた黄檗様という様式で作られた。寄木造り、像高277cm。
 護真寺の阿弥陀如来坐像は、平安時代後期の12世紀に作られ、一木造り。像高139.5cm。
 吉祥院の木造天部形立像も平安時代後期、12世紀後半の作で、像高95.5cm。


● 「文化財の敵」アライグマに発信器(2010年5月14日)
 京都市東山区の民間団体「関西野生生物研究所」が、全国で文化財や農作物に被害を及ぼしているアライグマについて京都府亀岡市で行動追跡調査を行う。
 京都府内では平等院(宇治市)や二条城(中京区)など世界遺産の柱などが爪跡で傷つく被害が相次いでおり、亀岡市では、九重塔(重文)がある宝林寺では2009年、母屋の柱にひっかき傷が見つかっている。
 近く2頭を捕獲し、獣医師が無線発信器を組み込んだ首輪を取り付けるとした。捕獲数は計10頭まで増やし、調査員が週に1、2回、受信機で追跡、巣や食物を得る場所などを調べるという。

● 奈良・キトラ古墳壁画「朱雀」を初の一般公開(2010年5月12日)
 文化庁は、奈良県明日香村のキトラ古墳の石室からはぎ取った四神の一つ「朱雀」の極彩色壁画を、平城遷都1300年祭に合わせ、奈良文化財研究所飛鳥資料館で特別展示する。「朱雀」を一般公開するのは初めて。
 朱雀(縦約15cm、横約40cm)は2007年に古墳の壁からはぎ取られ、同村の高松塚古墳壁画修理施設で保存してきた。
 公開は5月15日から6月13日までで、他の四神「青龍」「白虎」「玄武」も同時に公開する。

● 熊本・鞠智城跡出土の百済系菩薩立像レプリカを一般公開(2010年5月12日)
    熊本県山鹿、菊池市にまたがる国史跡・鞠智城跡から出土した百済系菩薩立像の往時の姿が復元され、県立装飾古墳館分館・温故創生館(山鹿市)でそのレプリカが一般公開されている。

 立像は2008年10月に発見された。像高12.7cmの銅造で、形状から7世紀後半の百済系と考えられ、665年に百済の亡命貴族の指導で大野城(福岡県)などが築城されたとする日本書紀の記述を補完する貴重な資料になっている。
 当初出土した状態を元にレプリカが作られたが、欠損部分があることなどから、欠損していた像右側の天衣と裳のひだ、捧持する円筒形の舎利容器、胸を飾る瓔珞を復元し鍍金した。

● 奈良・唐招提寺うちわまき:参加数制限(2010年5月8日)
 奈良市の唐招提寺は、毎年5月19日に開かれる恒例行事「うちわまき」の参加人数を制限すると発表した。
 うちわまきは、同寺中興の祖とされる鎌倉時代の僧、覚盛(かくじょう)の死後に法華寺の尼僧がハート形のうちわを供えたことが始まりとされ、覚盛の命日法要に合わせて開かれる。
 人数制限は、金堂の解体修理工事に伴う危険防止のため昨年まで実施していたが、今年以降も安全のために続けることにした。
 今年は午前10時から、金堂前で先着200人に参加証を配布し、午後3時から約300本をまく。同時に福引券も配り、1000人にうちわが当たるようにする。
 境内を埋める参拝客が、厄よけの御利益があるとされるうちわを奪い合う光景は見られなくなる。

● 福島・会津美里町の仏像ガイドを発行(2010年5月7日)
 福島県会津美里町教育委員会はこのほど、町内に残る仏像を紹介する冊子「会津美里町の仏像ガイド」を発行した。
 主に国や県、町から指定を受けている重要文化財を中心に掲載。
 表紙は、法幢寺に保管されている国指定重要文化財の「銅造阿弥陀如来及び両脇待立像」が飾っている。
 A5判サイズで39ページ。1冊500円。

● 京都・京博文化財保存修理所30周年シンポ(2010年5月7日)
 京都国立博物館(京都市東山区)文化財保存修理所設立30周年を記念し、京都テルサホール(南区)で5月26日午後1時から、歩みを紹介するシンポジウム「美を伝える」が開かれる。
 平等院の神居文彰住職と同館学芸部保存修理指導室の村上隆室長が講演し、修理所内の工房の代表者や研究者が文化財修理について報告する。
 参加希望者は日本コンベンションサービス関西支社内のシンポジウム事務局に10日必着ではがきかファクスで申し込む  

● 静岡・袋井市指定文化財に西楽寺不動明王立像(2010年5月5日)
 静岡県袋井市教育委員会は袋井市春岡の西楽寺が所蔵している不動明王立像を市文化財に指定した。
 像は鋳物製で背後の炎部分を含めた高さは約1.9m。台座の印刻から京都の鋳物師(いもじ)、常味(じょうまい)が宝永7年(1710)に製作したものと判明している。
 常味は近畿地方を中心に約200点の彫刻作品を残しているが、東日本で確認されたものは少なく、金銅仏の不動明王像は珍しいという。


● 京都・平等院扉絵彩色戻る(2010年04月27日)
 宇治市の平等院鳳凰堂(国宝)の扉絵が、日本画家の馬場良治さん考案の修復技術で鮮やかさを取り戻した。
 扉絵には、阿弥陀如来が臨終する人を迎える様子を表現した「九品来迎図」が描かれている。正面中央扉一対を除く扉絵8面は1966〜71年に復元模写されたが、顔料ははがれ落ちそうになり、汚れも表面に染み付いた状態になっていた。
 馬場さんは従前のにかわや合成樹脂での修復ではなく、魚の浮袋や古い牛皮のにかわなどを材料に独自開発した溶液を使い2007年10月〜2008年8月に扉絵8面を修復。はく落個所は彩色を補った。
 溶液を薄い和紙の上からはく落しそうな部分に塗るとすぐに接着でき、バクテリアの働きで染みや汚れも分解された。合成樹脂と違い、何回も修復作業を行えるのが特徴で、はく落止めと汚れの除去が同時に行えることに加え、文化財への負担を抑える画期的な技術という。

● 仏像展「奈良の古寺と仏像」開催(2010年4月24日)
 仏像展「奈良の古寺と仏像」が、新潟県長岡市の県立近代美術館に会場を移して始まった。
 国指定重要文化財の仏像など62点が展示され、開催期間は4月24日から当初予定より1週間短い6月6日まで。5月25日からは国宝の中宮寺の菩薩半跏像も登場する。
 同展を巡っては、当初新潟市美術館で開催予定であったが、同美術館の展示物からカビやクモが発生し、文化庁は「国宝などの展示には不適格」と判断、会場変更を余儀なくされた。
近代美術館では像のひび割れやさび防止のために湿度を調整し、期間中は24時間態勢で警備する。

● 静岡・遠江国分寺七重塔跡の土層断面標本公開(2010年4月23日)
 静岡県磐田市見付中泉の国指定特別史跡・遠江国分寺七重塔跡の土層断面標本を磐田市埋蔵文化財センター(同市見付)で一般公開する 
 遠江国分寺跡は、2006年度から発掘調査を実施。2009年度の調査では、七重塔や僧坊の土台部分である基壇が木で囲う木装基壇であることが判明した。
 古代寺院の基壇は、土台の土を幾層にも固め、それを石や瓦で囲うのが一般的であるが、遠江国分寺では、金堂や講堂でも木装基壇が確認されおり、主要な建物すべてに木装基壇が採用されていたことが分かる貴重な遺構だとして、標本を作製した。
 標本は、縦248cm、横138cm、厚さ29cmの大きさ。幅10cm弱の木装基壇の板の痕跡や、厚さ2mにも及ぶ土台部分の構造などがよく分かり、木装基壇の構築方法など当時の土木技術の高さを知ることができる。
 公開は4月24〜30日まで、標本のほか塔跡から出土した塔本塑像の頭部や墨書土器なども合わせて公開する。

● 熊本・鞠智城跡から出土の菩薩像復元(2010年4月22日)
 熊本県山鹿市菊鹿町の鞠智(きくち)城跡で2008年に出土した百済系菩薩立像の往時の姿を再現した復元像が完成した。
 菩薩像は青銅製で像高約13cm。顔の表情や胸元に持物をささげ持つ表現などから、7世紀後半の百済で造られた可能性が指摘されている。百済の亡命貴族が築城にかかわったとの推定を補強する貴重な発見となった。
 同館は出土後の現状を模したレプリカを常設展示しているが、欠損や表面の付着物などが多いため、当初の姿の復元像を作ることにした。
 復元像は青銅製の原寸大で、欠損した衣や首飾りなどを復元、何の表現か不明だった持物は、他の作例などから舎利容器と推定し、表面に金箔を張って再現した。
 復元像は4体制作され、4月24日から歴史公園鞠智城・温故創生館で常設展示される他、奈良県で4月24〜30日に開かれる「平城遷都1300年祭」会場でも展示される。



● 福井・明通寺で三重塔修理始まる(2010年4月22日)
 福井県小浜市門前の明通寺で、国宝・三重塔修理工事が始まった。
  明通寺は806年に創建。現存する本堂は1258年に、三重塔は1270年に再建され、国宝に指定されている。約30年の間隔で屋根の檜皮のふき替え工事 をしているが、1986年に三重塔を修理したときは半分しかふき替えていなかった。檜皮を完全にふき替えるのは53年ぶり。11月ごろには新しくなった姿 でお目見えする。
 今月25日から三重塔修理完了まで、通常は一般公開していない釈迦三尊像などの仏像を特別公開し、修理工事の様子を見学(要予約)できる。
  また、今秋からは本堂の修理にも取り掛かり、12年3月ごろに完了する。

● 広島・県重要文化財に大聖院十一面観音立像などを指定(2010年4月21日)
 広島県教育委員会は、廿日市市宮島町の大聖院が所有する十一面観音立像と、世羅町賀茂の善法寺が所有する丸小山経塚出土品を県重要文化財に指定した。
 十一面観音立像は像高193.8cmで、南北朝時代(14世紀)の作品とみられる。明治時代の神仏分離まで厳島社本地堂に祭られていた。
 善法寺の出土品は、銅製の経筒(高さ10.1cm、直径4.5cm)と厨子(高さ9cm、幅3.5cm)に入った十一面観音立像(像高6.9cm)からなる一式。1535年の作品で経筒に入った仏像は西日本では珍しく、県内では初の出土という。

● 平等院鳳凰堂創建時をCG再現(2010年4月17日)
 京都府宇治市平等院鳳凰堂内の須弥壇や柱などをコンピューターグラフィックス(CG)によって創建時(1053年)の極彩色で再現した。
 本尊の阿弥陀如来坐像を安置する須弥壇には創建当初、仏教の想像上の花・宝相華を表現した螺鈿が施されており、当時、貴重だった青色の鉱石ラピスラズリの断片が見つかっているが、現在は脱落・退色している。
 立体的なCGでは、須弥壇と周囲の小壁に断片的に残っている模様を描き写し、過去の修理の際の資料などを参考に文様を再現し、須弥壇が螺鈿や金粉で飾られ、周囲の壁も天空を表す青で着色された。
 また、柱と梁は顔料を特定し、当時の彩色画を復元、壁面の背景色は空に見立てた群青だったと推測し、極楽浄土を表すためにハスの花びらを散らし、雅楽器が空中を舞う様子を描いたという。
 CGは、 境内のミュージアム鳳翔館で行われる春季特別展「信としての荘厳−よみがえる華麗なる平安美の世界−」で、4月17日から8月6日まで一般公開される。

● 島根・金屋子神社が全壊(2010年4月16日)
 島根県奥出雲町上阿井の国の重要文化財に指定されている桜井家住宅の建造物のうち、金屋子(かなやご)神社が倒木の直撃で全壊した。
 金屋子神社は1747年の建立で、枯死したカシ(直径約1.5m)が、強風にあおられて倒れ直撃したと見られる。
 桜井家は、近世のたたら製鉄の中心地だった出雲の鉄山業を取り仕切った「鉄師頭取」の住宅で、2003年に主屋や土蔵など9棟が重文に指定された。

● 重要文化財に「杉本家住宅」など 新たに8件指定(2010年4月16日)
  文化審議会、京都市内に残る伝統的な町家建築「杉本家住宅」と有明海干拓地に築かれた総延長5.2kmの堤防と樋門(ひもん)「旧玉名(たまな)干拓施設」など8件を新たに重要文化財に指定するよう、文部科学相に答申した。

 重文などを答申されたのは以下の通り。
【重要文化財】
▽旧木下家住宅1棟(福井県勝山市)
▽旧賓日館本館など3棟(三重県伊勢市)
▽清流亭主屋(おもや)など3棟と土地(京都市)
▽杉本家住宅主屋など4棟と土地(京都市)
▽名草神社本殿など2棟(兵庫県養父(やぶ)市)
▽琴ノ浦温山荘主屋など3棟(和歌山県海南市)
▽旧西村家住宅1棟と土地(和歌山県新宮市)
▽旧玉名干拓施設末広開潮受(すえひろびらきしおうけ)堤防など7カ所(熊本県玉名市)
【重要伝統的建造物群保存地区】
▽桜川(さくらがわ)市真壁(まかべ)伝統的建造物群保存地区(茨城県桜川市)

● 奈良県有形文化財に大和高田市弥勒仏坐像など6件指定(2010年4月15日)
 奈良県教育委員会は大和高田市弥勒仏坐像など6件を県有形文化財に指定する。
 新たに指定されたのは、次の通り。
▽来迎寺本堂(奈良市来迎寺町)
▽弥勒仏坐像(ざぞう)(大和高田市土庫2)
▽紙本著色六道絵(しほんちゃくしょくりくどうえ)(天理市柳本町)
▽東大寺戒壇院所用厨房(ちゅうぼう)用具(奈良市雑司町)
▽上田家文書(吉野町山口)
▽談山神社嘉吉祭の神饌(しんせん)−百味御食(ひゃくみのおんじき)−(桜井市多武峰)

● 奈良・高松塚古墳壁画来月修理作業室を公開(2010年4月9日)
 奈良県明日香村平田の国宝高松塚古墳壁画仮設修理施設の修理作業室が、5月8日から16日(13日は除く)まで、一般公開される。
 春と秋の年2回公開されており、見学用通路から窓ガラス越しに四神や女子群像などの極彩色壁画を見ることができる。
 見学時間は指定制で、往復はがきかインターネットで事前に申し込む。定員は1日約500人で多数の場合は抽選。

● 奈良・当麻寺中之坊十一面観音像修復完了(2010年4月6日)
 奈良県葛城市当麻、当麻寺中之坊の本尊・十一面観音像が百数十年ぶりの本格修復を終え、中之坊に安置された。
 十一面観音像は像高85cmヒノキの一木造り。当麻曼荼羅を蓮糸で織り上げ、極楽に昇天したという伝説の中将姫を仏道に導いた「導き観音」として知られる。これまでに傷んだ部分の補修などが数回行われており、光背などは創建当時とは違う姿になっていたという。
 修復に伴い光背や台座も新調、造像当時の平安時代の様式に取り換えた。4月16日に完成記念法会が開かれ、6月16日まで一般公開される。

● 兵庫・円教寺で開祖性空上人の遺骨見つかる(2010年4月5日)
 兵庫県姫路市書写山円教寺の開祖で、1007年に亡くなったと伝わる性空上人の遺骨とみられる骨が同寺で見つかった。
 昨年6月、性空を祭る「開山堂」の床下から石櫃が見つかった。中には「性空御真骨」とふたに書かれた一辺約15cmの木箱があり、絹織物で包まれた陶器のつぼ(直径、高さ各10cm)が入っていた。
 つぼの中には背骨などとみられる数cm前後の骨が複数確認されたという。
また木箱の下の敷き板には、開山堂が再建された「寛文十三年(1673)五月」に納めた、と記された板も見つかった。周辺には経文を書いた小石「経石」や「五輪塔」と呼ばれる供養塔も並べられるなど、厳重に祭られていた。
 2008年にも、「性空上人坐像」の頭部に遺骨らしきものを納めたつぼが入っているのが確認されている。
 木箱や五輪塔は、4月10日から5月9日まで同寺で公開する。

● 京都・蟹満寺の釈迦如来坐像    修理完了(2010年4月2日)
 京都府木津川市山城町綺田の蟹満寺で、本尊の国宝・銅造釈迦如来坐像の修理がこのほど終わり、約2年ぶりに建て替えられた本堂に戻った。
 釈迦如来坐像は像高2.4mで、白鳳時代(7世紀中ごろ〜8世紀初め)の作。老朽化した本堂の建て替えに合わせ、寺の駐車場に仮設工房を設け、2007年秋から修理や調査を行ってきた。
 裳裾のひび割れなどを補修し、金銅製の台座も新調した。
 新築された本堂は、以前より一回り広くなり、今昔物語集などに登場する「蟹満寺縁起」の本尊・厄除聖観世音菩薩坐像も観音堂から移し、安置される。
 4月3日に本堂の落慶法要が営まれる。

● 東大寺七重の東塔再建に向け発掘調査(2010年4月2日)
 奈良市東大寺(奈良市)は2日、過去2回焼失した七重の東塔を再建するために、塔跡の発掘調査を近く始めると発表した。
  東大寺では、東塔は天平宝字8年(764)に創建され、大仏殿を挟んで西塔と並び立っていたが、西塔は平安時代中期に焼け、東塔は1180年の南都焼き打 ちで焼失。鎌倉時代の1227年に再建されたが、1362年に落雷で再び焼失したという。両塔は高さ約100mの巨大な七重塔だったとされ、現在はいずれ も基壇の跡だけが残っている。
 最終的な規模や構造はその結果を踏まえて決めるが、七重塔を復興させる方針という。

● 静岡・建穂観音堂 阿弥陀如来坐像など3体を文化財指定(2010年3月30日)
 静岡市教育委員会は、静岡市葵区の建穂観音堂に納められている平安後期から鎌倉時代にかけての仏像3体を新たに市有形文化財に指定した。
 指定されたのは、髻を結い上げた宝冠阿弥陀如来坐像の貴重な古例、阿弥陀如来坐像と、その随侍の1体とみられる伝大日如来坐像(いずれも平安後期)、鎌倉時代の典型技法を示す伝阿弥陀如来坐像の3体。
 建穂観音堂は明治初期に廃寺となった県内屈指の古寺建穂寺を建穂町内会が管理してきた。50体以上の仏像が安置され、うち2体は県の有形文化財に指定されている。
 今回指定された仏像のうち木造阿弥陀如来坐像、木造伝大日如来坐像の2体は、4月3日から5月9日まで、清水区のフェルケール博物館で開かれる特別展「建穂寺の仏像」で一般公開される。

● 広島・県重文に大聖院十一面観音立像など2件答申(2010年3月27日)
 広島県文化財保護審議会は、廿日市市宮島町大聖院の十一面観音立像と、世羅町賀茂、善法寺の丸小山経塚出土品の2件を、県重要文化財に指定するよう、県教委に答申した。
 十一面観音立像は、南北朝時代(14世紀)の作で、像高193.8cmの寄木造。かつて厳島神社の本地堂にまつられていたが、明治時代の神仏分離により、大聖院に移され、今は大聖院観音堂の本尊として安置されている。


● 宮城・県重文に大崎市の千手観音坐像など3件の指定を答申(2010年03月27日)
 宮城県県文化財保護審議会は、大崎市田尻の寺浦共有地組合が所有する千手観音坐像および両脇侍立像の3躯を県の有形文化財、東松島市の月観の松、亘理町の称名寺のスダジイを県の天然記念物に指定するよう県教委に答申した。


 大崎市田尻の小松観音堂の千手観音坐像は、カツラ材の寄木造で像高96cm。平安時代末期の作品とされる。毘沙門天立像(像高78cm)・不動明王立像(像高70cm)はともにカツラ材の一木造。鎌倉時代前半のものとされる。


● 興福寺が阿修羅像画像ダウンロード販売(2010年3月25日)
 奈良市興福寺は、国宝・八部衆立像のうち、阿修羅像と緊那羅像の画像を収めたソフトのダウンロード販売を始めた。携帯電話iPhone用で、ほかの6体も順次販売する。
  端末機のタッチパネルに触れると、画像を360度回転させて好きな角度から見ることができ、上半身の拡大表示もできる。多川俊映貫首の法話音声と、八部衆 立像が展示されている同寺国宝館の拝観料が半額になるクーポンを収録。4月1日からは同寺で、阿修羅をデザインした両端末機のケースも販売する。

● 奈良市指定文化財西大寺・大黒天坐像など2件(2010年3月25日)
 奈良市教委は、西大寺(同市西大寺芝町)大黒堂に安置されている大黒天坐像と月ケ瀬(同市月ケ瀬桃香野)のウメの古木を新たに市指定文化財に指定した
  大黒天坐像は、像高64.2cmの寄木造りで室町時代の制作。頭部内と像底に墨書があり、1504年に海龍王寺地蔵院の僧侶・仙算が制作。助手である木寄 番匠に宿院仏師・七郎太郎が参加したことが記されている。2人で制作したことが記された仏像の中では最も古いもので、室町時代の造仏活動を知るうえで、歴 史的価値が高いという。

● 高松塚古墳文化庁検討会が報告(2010年3月25日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の国宝壁画が劣化した原因を調査してきた文化庁の検討会は、人の出入りによる石室内の温度上昇や、カビ除去のための薬剤など、人為的ミスを主とした複合要因によるものとする報告書をまとめ文化庁長官に提出した。
 報告書では、発掘後劣化が急速に進んだ原因について、壁画の下地の漆喰を強化するためのアクリル樹脂がカビの温床になり、カビ除去作業で使った筆と薬剤が退色を招いた可能性を指摘した。
  また、石室と保存施設をつなぐ取合い部の天井の土が崩落していることがわかっていながら2001年まで放置したことや、保存施設の温度調節機能が1976 年の稼働開始時から不具合があったが改善されなかったことなどを指摘した。また、カビの大量発生は、想定より保存施設の温度が高かったことや、人の出入り などによる複合的な原因と指摘。対策も後手に回るなど「負の連鎖」を招いたとしている。
 さらに、文化庁の管理体制についても、保存施設が完成して本格的に壁画の修理が行われた1976年以降、外部の専門家による調査会が開かれず、作業が現場任せとなったとしてチェック体制の問題点を挙げ、地元自治体を含む官・民・学の連携を重視する必要があると提言した。

● キトラの四神「朱雀」5月から一般公開(2010年3月25日)
 文化庁は、奈良県明日香村のキトラ古墳の石室南壁からはぎ取った四)神「朱雀」(縦15cm、横40cm)の保存処理が一段落したことから最新の写真を公開した。
 現在、村内の修理施設で保管中で、2007年2月のはぎ取り当時より白っぽくなり、絵が見えにくくなっているが、カビの繁殖を防ぐため湿度を55%に保っており、表面の泥が乾いたのが原因で、保存状態は良好という。
 朱雀は、他の四神像と一緒に5月15日〜6月13日には同村奥山の奈良文化財研究所飛鳥資料館で、ほかの四神とともに一般公開される。


● 伊能忠敬が測量した地図など、国宝に(2010年3月19日)
  文化審議会は、江戸時代に全国を測量した伊能忠敬の地図や象限儀(しょうげんぎ)、文書などの資料(千葉県香取市・伊能忠敬記念館)と、富山県高岡市に あった東大寺領庄園の土地開発状況を詳細に記した越中国射水郡鳴戸村墾田図(奈良国立博物館)を国宝に、大阪市藤田美術館所蔵の快慶作地蔵菩薩立像などを 重要文化財に指定するよう答申した。
 文化審議会の主な答申内容は次の通り。
【国宝】
古文書の部 ▽越中国射水郡鳴戸村墾田図=麻布(奈良国立博物館、奈良市)
歴史資料の部 ▽伊能忠敬関係資料(伊能忠敬記念館、千葉県香取市)

【重要文化財】
絵画の部
▽紙本墨画淡彩哦松図(文化庁)
▽絹本著色聖徳太子絵伝(東京国立博物館、東京都台東区)
▽紙本著色浅間山図=亜欧堂田善筆(東京国立博物館、東京都台東区)
▽絹本著色洞窟の頼朝=前田青邨筆(大倉集古館、東京都港区)
▽絹本著色法然上人絵伝(山梨県立博物館、山梨県笛吹市)
▽絹本著色釈迦三尊十八羅漢図(一蓮寺、甲府市)
▽絹本著色賢聖障子=狩野孝信筆(仁和寺、京都市)

彫刻の部
▽木造伽藍神像(建長寺、神奈川県鎌倉市)
▽木造菩薩座像(常楽寺、岐阜県関市)
▽木造能狂言面(春日神社、岐阜県関市)
▽木造地蔵菩薩立像(金剛証寺、三重県伊勢市)
▽木造釈迦如来及両脇侍像、木造十六羅漢坐像(知恩院、京都市)
▽木造地蔵菩薩立像=快慶作(藤田美術館、大阪市)
▽銅造如来立像(光明寺、奈良県五條市)
▽木造菩薩坐像(養花院、高知県仁淀川町)
▽両脇侍像(豊楽寺 大豊町寺内)
▽二天王立像(豊楽寺 大豊町寺内)
▽(名称変更)薬師如来坐像 旧名称釈迦如来坐像(豊楽寺 大豊町寺内)
工芸品の部 
▽鼠志野草花文鉢(文化庁)
▽比良山蒔絵硯箱(東京国立博物館、東京都台東区)
▽黒綸子地波鴛鴦文様小袖(東京国立博物館、東京都台東区)
▽奈良三彩壺(九州国立博物館、福岡県太宰府市)

書跡・典籍の部
▽是則集(大阪青山歴史文学博物館、兵庫県川西市)
▽春日懐紙=紙背春日本万葉集(国文学研究資料館、東京都立川市)
▽高麗版貞元新訳華厳経疏巻第十(大東急記念文庫、東京都世田谷区)
▽斎宮女御集=唐紙(徳川美術館、名古屋市)
▽宝要抄(武田科学振興財団、大阪市)

古文書の部
▽平城宮跡内膳司推定地出土木簡(奈良文化財研究所、奈良市)
▽加賀郡☆(片の右に傍のツクリ)示札(石川県埋蔵文化財センター、金沢市)
▽氏経卿神事記(神宮文庫、三重県伊勢市)
▽氏経卿引付(神宮文庫、三重県伊勢市)

 考古資料の部
▽岩手県平泉遺跡群=柳之御所遺跡=出土品(岩手県立博物館、盛岡市)▽岩手県平泉遺跡群出土品(平泉文化遺産センター、岩手県平泉町)
▽石川県御経塚遺跡出土品(野々市町ふるさと歴史館、石川県野々市町)▽島根県出雲大社境内遺跡=旧本殿跡=出土品(出雲大社、島根県出雲市)
▽武装石人(岩戸山歴史資料館、福岡県八女市)
▽大分県吹上遺跡出土品(大分県日田市)

歴史資料の部
▽映画フィルム「史劇楠公訣別」(東京国立近代美術館フィルムセンター、東京都中央区)
▽群馬県行政文書(群馬県立文書館、前橋市)
▽八瀬童子関係資料(八瀬童子会、京都市)
▽日明貿易船旗、高洲家文書(個人)

● 新潟・仏像展の市内開催断念で市長3割減給(2010年3月19日)
 新潟市の篠田市長は、新潟市議会で「奈良の古寺と仏像」展の新潟市開催を断念し、県立近代美術館(長岡市)での開催を決めた経緯などを説明した。また、自ら30%減給1カ月、副市長についても10%減給1カ月の処分とする意向を表明した。

● 新潟・仏像展、新潟県立近代美術館(長岡市)で開催(2010年3月17日)
 新潟市美術館で4月に開催する予定だった「奈良の古寺と仏像」展をめぐり、文化庁が「国宝の展示を許可しない」との方針を打ち出していた問題で、新潟市は会場を新潟県立近代美術館(長岡市)に変更して開催することで文化庁の了解を得た。
 同美術館は、文化庁の許可がなくても国宝や重要文化財が展示できる公開承認施設に指定されており、過去に国宝の展示実績もあることから、同庁も会場の変更には支障がないと判断した。
 新潟市によると、前売りチケットが3月12日現在ですでに3500枚販売されているが、販売済みの券は近代美術館でも使えるようにし、同館での観覧を望まない人には払い戻すという。

● 滋賀・三井寺で秘仏如意輪観音坐像を開帳(2010年3月17日)
 滋賀県大津市園城寺町の三井寺は、3月17日から4月18日まで、秘仏如意輪観音坐像(重文)開帳している。
 如意輪観音坐像は平安時代(10世紀ごろ)の作で、像高91.6cmの寄木造。2008年に近畿2府4県と岐阜に点在する霊場「西国三十三所」を巡礼した花山法皇の千年忌に合わせ、各寺院が秘仏を公開する「結縁開帳」の一環。次に開帳されるのは2043年の予定。

● 静岡・智満寺慈恵大師坐像を県有形文化財に指定(2010年3月16日)
 静岡県教育委員会は、島田市千葉の千葉山智満寺所蔵の慈恵大師坐像を県の有形文化財に指定した。
  智満寺の慈恵大師坐像は、像高83.3cmの寄木造で、写実性などの特徴から鎌倉時代後期の作とされている。両まゆをつなげ表情の険しさを印象づけ、目の 周りを深く彫り込んだ造りも、慈恵大師の特徴を伝えていると評価された。鎌倉時代の肖像彫刻は県内では極めて希少という。
 智満寺は5月31日までの土日祝日、慈恵大師坐像を納めた本堂を一般公開している。

● 京都・法勝寺跡九重塔基礎確認(2010年3月12日)
 京都市左京区の市動物園敷地内で、平安時代後期の1077年に白河天皇が建立した法勝(ほっしょう)寺の八角九重塔の基礎部分とみられる跡などが見つかった。
 基礎部分は、地下2mの位置に通常の基礎工事で使われる石より大きい直径約70cmの石や粘土で、基壇下の地盤を強化したとみられる跡が見つかり、痕跡から基礎の1辺は12.5mとわかった。
 平安後期には、東寺五重塔(京都市、現在の高さ55m)や、東大寺大仏殿(奈良市、同47m)があったが、室町時代の文献には高さ27丈(81m)とあり、当時国内では最高層の建造物だったとされる。
 室町時代に法勝寺が失われて以後も基壇部分だけが地上に残り、戦前は動物園の休憩所になっていたが、戦後、進駐軍によって地表部が削られ、その後正確な位置が特定できていなかった。
 京都市は4月以降に本格的な発掘調査を行う。

● 京都府指定等文化財に舞鶴市満願寺の十一面観音坐像など指定(2010年3月12日)
 京都府教委は、舞鶴市満願寺の十一面観音坐像など計11件を、新たに府指定等文化財とすることを決めた。
 十一面観音坐像は建保6年(1218)、大仏師僧寿賢が造立、作者や年代が判明する鎌倉前期の観音坐像として貴重。不動明王、毘沙門天像は三尊形式を整え、ほぼ同時期の制作とみられる。

 指定・登録・選定されたのは次の通り。
【有形文化財・建造物】
東山区の建仁寺法堂(はっとう)法堂、浴室、大鐘楼など9棟。
斎(いつき)神社本殿(綾部市)
【同・美術工芸品】
絹本著色弥勒下生変相図(左京区、妙満寺)
▽絹本著色虚堂智愚(きどうちぐ)像(北区、瑞峯院)
▽木造十一面観音坐像、木造不動明王・毘沙門天立像(舞鶴市、満願寺)
▽亀山藩史料(亀岡市)
▽赤坂今井墳墓出土品(京丹後市)
【無形民俗文化財】
東一口(ひがしいもあらい)の双盤念仏(久御山町、安養寺双盤念仏保存会)
【名勝】楽々荘庭園(亀岡市、個人)
【文化的景観】
▽宮津市上世屋の山村と里山(宮津市)
▽向日市西ノ岡の竹の径(みち)・竹林景観(向日市)

● 滋賀・大津市文化財に若王寺大日如来坐像など指定(2010年3月10日)
 滋賀県大津市教委は、昨年6月に像内部から文書が見つかった若王寺(にゃくおうじ)(大石中)本尊の木造大日如来坐像と、1992年に上仰木遺跡(仰木)から発掘された土器類7点を、市指定文化財にすることを決めた。
 大日如来坐像は像高91cm。像内に承暦四年(1080)などの墨書銘があり、平安時代後期の同年に造られた可能性が高い。年号の墨書がある仏像としては、県内では5番目に古いという。
 上仰木遺跡の出土品は、大津市歴史博物館(御陵町)で4月25日まで展示される。

● 新潟市美術館問題
 新潟市美術館で4月24日から6月13日に開催予定の「奈良の古寺と仏像展」に対し、文化庁が同館の管理態勢に問題があるとして国宝と重要文化財の展示を認めないとしている問題について、現在までの経緯を纏めた。

○ 新潟市美術館仏像展予定通りの開催求める(2010年3月13日)
  新潟市美術館で開催予定の「奈良の古寺と仏像」展をめぐり、文化庁が同館の管理態勢に問題があるとして国宝と重要文化財の展示を認めないとしている問題 で、篠田昭市長は管理・運営マニュアルの改定作業を行い、12日、文化庁で合田隆史次長に会い、強化した管理マニュアルなども提出した。また、3月末に更 迭予定だった北川フラム館長を同日付で解任し、篠田市長が6月13日の同展閉幕まで自ら館長を務める管理強化策を示し国宝展示に理解を求めたが、文化庁側 は即断を避け、結論は先送りし、実務レベルでの協議を重ねる方針を示した。
 文化庁は、再発防止策を作ったにもかかわらず、同じような問題が発生したことから、管理態勢に強い懸念を抱き、体制を見直すには、最低1年間は必要としている。
 しかし、新潟市はすでに前売り券の販売を始めていることから、4月からの開催を目指す方針を変えておらず、両者の主張は平行線をたどったままだ。

○ 新潟市美術館展示中止し殺虫急ぐ(2010年3月10日)
 新潟市美術館で行われる予定の「奈良の古寺と仏像」展について、文化庁が管理態勢の不備を指摘視して、国宝などの展示は許可しないとしている問題で、新潟市は14日以降の美術館の展示をすべて中止し、全館清掃、殺虫作業に入ることを決めた。
 市美術館は昨年11月には、十日町市出土の国宝・火焔(かえん)型土器の展示を実現しただけに、篠田市長は「仏像展実現に全力を尽くす」としている。

○ 文化庁が新潟市美術館での国宝展示認めず(2010年3月10日)
 新潟市美術館で4月24日から6月13日に開催予定の「奈良の古寺と仏像展」で公開予定の国宝や重要文化財15点について、クモが見つかるなど美術館の管理体制に問題があるとして、文化庁が展示を認めない方針を市に伝えていた。
 市美術館では、昨年7月に展示品にカビが発生し、今年2月には展示室でクモが確認されるなど、管理体制の甘さが指摘されていた。
  市文化政策課によると、同展では平城遷都1300年を記念し、仏像など43点の展示を計画。文化庁の許可が必要なのは、中宮寺・国宝菩薩半跏像や法隆寺・ 観音菩薩立像、東大寺・弥勒菩薩立像など重要文化財13点で、同展の目玉となっている。すでに前売り券の販売を始めているが、許可されなければ中止の可能 性もあるという。
 
○ 新潟市美術館で東文研が再調査せずに国宝の貸し出し書類を発行(2010年3月9日)
 新潟市美術館(北川フラム館長)の企画展示室内でかびに続き、虫が発生した問題で、新潟市美術館の環境調査をした東京文化財研究所(東文研)が、国宝などの展示に必要な書類を虫が確認される前に発行していたことが分かった。
 書類は展示の「お墨付き」になるが、東文研は「担当の学芸員との信頼関係は確立されている」として、改めて環境調査をせず書類は有効との考えを示している。
 東文研に新潟市美から虫が発生したという連絡があったのは2月26日。酸化エチレン系の薬剤で企画展示室の全3室を殺虫濃度での燻蒸をするよう指示したが、9日現在実施されていない。

○ 新潟市美術館管理体制を問題視し館長を更迭(2010年3月8日)
 新潟市美術館で展示作品にかびが発生したり、企画展示室でクモや昆虫が確認されたりするトラブルが相次いだ問題で、篠田昭市長は北川フラム館長を更迭すると発表した。
  篠田市長は、同美術館で4月24日から開かれる企画展「奈良の古寺と仏像」を前に、「仏像展を確実に成功させるため、非常勤の北川館長は3月31日の任期 満了をもって職を解き、新年度から常勤館長を置くことにした」として、同館のこれまでの管理体制を問題視したことを示唆した。
 北川氏はアートディレクターとして国内外の美術展、芸術祭のプロデュースを数多く手がけ、同市でも2009年7〜12月に開かれた「水と土の芸術祭」のディレクターを務めた。2007年4月から館長を務めていた。

○ 美術館展示品にクモ(2010年3月4日‎)
 新潟市美術館で開催中の企画展「新潟への旅」で企画展示室に展示した「エコ電動カート」からクモや甲虫類の昆虫が発生したことが解った。
 2 月16〜26日に同室内でクモ30匹、その他の虫4匹が確認されたという。クモは職員らで駆除し、電動カートは屋外展示に切りかえ、収蔵品への影響はない としている。このトラブルは先月26日に北川氏に報告されたものの、クモは文化財を損傷する害虫には指定されていないため、市には報告されなかった。

○ 新潟市美術館、土アートでカビ発生(2009年7月30日)
 新潟市美術館(新潟市中央区西大畑町、北川フラム館長)で行われている「水と土の芸術祭」に展示中の土製作品にカビが発生している可能性が高いことが分かった。
 問題となったのは、左官職人でもある久住有生さんの作品「土の一瞬」。わらを混ぜた土を塗った高さ2m、幅9m、厚さ60cmの土壁状だ。乾燥して土がひび割れていく過程も見どころという。
 展示中に最大で直径9mmの白いカビ状のものが20カ所以上確認された。展示室は、日中は湿度55%に保たれているが、空調を止めていた夜間は、梅雨の影響もあって約80%まで上がっていたという。
 美術専門家は「水分を含んだ作品を美術館内に持ち込むのは非常識」と指摘。館内で制作された巨大な作品だけに運び出すのも難しく、対応に苦慮している。

● 広島・浄土寺方丈と茶室 今月完成(2010年3月4日)
 尾道市東久保町、浄土寺で天皇の使者などの接待に使われた「方丈」と茶室「露滴庵(ろてきあん)」の2棟が今月、完成する。
 浄土寺では、2008年1月から庫裏・客殿や山門など建造物6棟(いずれも重文)を改修する「平成の大修理」を進めている、
 方丈は、寄せ棟造りの本瓦ぶきで、元禄3年(1690)に尾道の豪商、橋本家が建てたが、木材が雨漏りで腐る全体的にゆがみが生じていたため、建物を半解体。瓦や床板も、元の部材を最大限利用して直した。
 方丈では、本尊の釈迦如来坐像を建物内に戻す「還座(げんざ)式」が3月24日から営まれる。する。

● 広島・   磨崖和霊石地蔵 補修へ(2010年3月1日)
 広島県三原市鷺浦町の佐木島にある県重文「磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)」(高さ約1メートル)の表層部で風化が激しくなり、補修のための準備作業が行われた。
 和霊石地蔵は、向田港桟橋近くの波打ち際にある花こう岩(高さ約2.7m、幅約4.6m)に彫り込まれた坐像。1300年に仏師念心が作ったとされる。
 満潮時には岩の半分が海中に沈むため、海水の塩分が原因で表層部がはがれ落ち、地蔵の表情や刻まれた文字が読み取りにくくなっているため、補修することになった。

● 福島・願成寺本堂・旧阿弥陀堂・山門など県重文に(2010年03月02日)
 福島県文化財保護審議会は、喜多方市の「願成寺本堂・旧阿弥陀堂・山門」など3件を重要文化財に、いわき市の「絹谷の獅子舞」など2件を重要無形民俗文化財に、下郷町の「八幡のケヤキ」1件を天然記念物に、それぞれ指定するよう県教委に答申した。

● 滋賀・休館中の琵琶湖文化館に寺社から寄託相次ぐ(2010年2月25日)
 滋賀県大津市県立琵琶湖文化館に寺社などから文化財の寄託が相次いでいる。
 琵琶湖文化館は、財政難を理由に2008年4月から休館中だが、国宝18点をはじめ、重要文化財も187点を含む5057点を収蔵しており、収蔵数は全国6位。
 休館後も2009年12月には、金剛輪寺がお経や古文書など2624点を寄託するなど、2010年1月末には7695点に増加した。
 仏像などの盗難が頻発する中、社寺の管理者の高齢化が進むなどの背景もあるが、自前の収蔵庫を持つ石山寺も文化館のニーズを示すことで滋賀の文化財の県外流出を防ぎたいという主旨で昨年末、国宝1点と重文1点を寄託した。
 滋賀県では県内に歴史博物館は不可欠で、代替地を含め2年後までには方針を出したいと話している。

● 大分県文化財に、竹田市山田地区阿弥陀三尊像など7件指定(2010年2月24日)
大分県は、竹田市山田地区阿弥陀三尊像など有形文化財6件と史跡1件を文化財に指定した。
指定文化財は次の通り。
 ◇有形文化財(彫刻)
 阿弥陀如来坐像(彫刻)
 竹田市の笹尾自治会山田地区所有。像高85.8cm。平安時代、京都の仏師工房で制作されたと見られ、和様彫刻の伝統を伝えた仏像として優れている。
 観音菩薩立像(彫刻)
 同地区所有。像高98.7cm。平安時代後期に阿弥陀如来坐像の脇侍仏として制作された。坐像と共通する作風を持つ。
 柞原八幡宮(建造物)
 本殿や宝殿、八王子社など10棟。南から楼門と回廊、拝殿、申殿(もうしでん)、本殿を一直線に並べた建物の配置など宇佐神宮との共通点が多く、文化財として価値が高い。
 旧大原家住宅(建造物)
 飯塚遺跡出土品(考古資料)
 惣町大帳及び市令録(歴史資料)
 ◇史跡
 相原山首遺跡

● 京都・浄瑠璃寺で三重塔初重壁画をパネルで展示(2010年2月24日)
 京都府木津川市加茂町の浄瑠璃寺で、三重塔(国宝)の内部にある三重塔初重壁画(平安時代、重文)の一部が同寺内でパネル展示されている。
  塔は今年度から屋根のふき替えに際して、初層内部の天井部分などの修理をする。内部の壁画は剥落も激しく、工事による損傷も予測されるため、デジタル高精 細画像として撮影。その写真使って、原寸大のパネルを作成した。パネルは西面壁画と北面壁画の一部で、普段は見ることのできない十六羅漢像や樹木や僧侶が 上を見上げている様子が描かれており、柱には八方天も描かれている。また、本堂内には、塔の天井に使われ宝相華紋の彩色が施されている小組と折り上げの実 物も展示している。
4月4日まで。

●    中国河北省で1000年前の石仏が出土(2010年2月23日)
 中国河北省衡水市故城県鄭口鎮周辛荘村で、1000年以上前に作られたとみられる釈迦牟尼の石像・石板が出土した。
 唐代(618−907年)の作風で、精緻で華麗な彫刻がみられる。
 上段中央に釈迦牟尼が刻まれ、周囲には仏弟子や信者、天蓋部分には諸天などがえがかれている。釈迦牟尼の下方には獅子が描かれ。その下には琵琶(びわ)、排簫(パン・フルート)、笙の奏楽の様子が描かれている。

● 東大寺法華堂須弥壇修理(2010年2月22日)
 奈良市の国宝・東大寺法華堂で地震対策などで須弥壇が初めて本格修理される。
 大仏殿東側にある法華堂は「三月堂」とも呼ばれ、大仏殿創建以前に建てられた東大寺最古の建物。
 内陣には本尊・不空羂索観音像や金剛力士像、四天王像などの乾漆像や、日光・月光両菩薩像や執金剛神像などの塑像など16体が安置されており、内12体が天平美術を代表する国宝、4体は重文指定を受けている。
 板張りの須弥壇は鎌倉時代の作とされ、シロアリの被害などで傷みが激しく、床下にジャッキを入れて補強している状態。地震対策が課題となり、3年計画で須弥壇と仏像の修理を行うことになった。
 国宝・重文の全仏像は一時的に移動。5月18日〜7月31日は法華堂の拝観は停止される。日光・月光両菩薩像など塑像(そぞう)4体は2011年10月以降、建設中の寺総合文化センターに半永久的に移す予定。

● 香川・円光寺の不動明王坐像、平安中期の作と判明(2009年11月26日)
 香川県東かがわ市水主の円光寺に安置されている不動明王坐像が、平安時代中期(10世紀後半)に作られたことが分かった。
 像は像高53cm、カヤ材の一木造。両眼を見開き、唇をかみしめるなどの表情が平安時代の前期〜中期(9〜10世紀)の弘法大師様と呼ばれる形式と一致。さらに広く分厚い膝やがっちりとした体格、輪郭の太い耳などから10世紀後半の作と特定できるという。


 像は表面が後世に塗り替えられているほか、左耳前の弁髪が欠けていたり、右手の剣も後から付けられているが、全体的に保存状態は良く、制作当時の姿をとどめている。


  また、像底に「大水主社護摩堂本尊」との文字が書かれており、かつて水主神社(同市水主)の護摩堂に安置されていたとみられることも判明。その後、明治 時代の神仏分離で中村・北山(水主)地区の大師庵に安置されたと考えられ、庵の老朽化で2007年からは円光寺に移されている。
 この時代の不動明王像の作例は全国的にも珍しく、四国でも最古級と見られる。

● 静岡・楠木遺跡から大量の瓦片発掘(2010年2月20日)
 静岡県浜松市北区三ケ日町の楠木(くすき)遺跡から、古代寺院に使われていたとみられる瓦片の発掘が相次いでいる。
 瓦の文様などから、約1300年前の白鳳期から奈良時代にかけての寺院に使われた瓦とみられ、発掘された瓦片は約400kg以上にも達しており、建てられていた廃寺がかなりの規模だったことを裏付けるとみている。
 これまで古代廃寺からの瓦片出土は、数点ほどが確認される例がほとんどで、今回の大量発掘は、県内でも珍しいという。

● 京都・南禅寺所蔵高麗初雕大蔵経をデジタル化(2010年2月20日)
 日韓の研究者らが行っていた南禅寺所蔵の「高麗初雕大蔵経(こうらいしょちょうだいぞうきょう)」のデジタル化作業が終了した。
 大蔵経は仏教の経・律・論および、その注釈書などを纏めたもので、一切経とも呼ばれ仏教経典の集大成とされる。
  大蔵経は10世紀末に宋から高麗に伝来し、初版である初雕本の制作は1011年に開始された。しかし、朝鮮半島では元の襲来などで、多くが焼失したり、離 散したりした。一方、日本では室町時代、大蔵経の収集が始まり、1614年、徳川家康が南禅寺に約1800巻を集約させた。
 また、昭和9年(1934)日本で編纂された大正新脩大蔵経は、より広範囲に中国・日本撰述の典籍も含めたもので、既にデーターベース化されて公開されている。http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/

● 奈良・中宮寺跡心柱立てる櫓の柱穴発見(2010年2月19日)
 聖徳太子が建立したとされる奈良県斑鳩町の中宮寺跡(国史跡)で、創建当初(7世紀前半)にあった塔の心柱を建てるために組んだやぐらとみられる柱穴2基が見つかった。
 櫓の柱穴は深さ80cmで、現在の中宮寺の東約400mにある塔の基壇跡から2か所見つかった。
 塔の基壇跡では1963、84年度の調査で、心礎を据えた穴の東側に幅約3mのスロープが見つかっており、心柱をスロープに横たえて、西側に組んだ櫓を利用して立てたことが判明した。
  今回発見された櫓の柱穴は基壇中央の地中に置かれた心礎(東西約1.75m、南北約1.35m)から西へ約50cmずれて南北に約5mの等距離にあった。 櫓は4本柱で組まれ、頂部に滑車のようなものを設置し、西側から綱を引いて心柱を建てたと考えられることから、今回発見された柱穴の西側にもさらに2か所 あったとみられる。
 また、塔は三重で、心柱とやぐらの高さは約20mと考えられるという。
 古代寺院で心柱の立て方が確認されるのは初めてで、古代に高い塔を建立した作業工程を解明するうえで貴重な成果となりそうだ。

● 奈良県斑鳩文化財センターがオープン(2010年2月16日)
 奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳(6世紀後半、国史跡)のガイダンス施設、斑鳩文化財センターが3月20日、オープンする。
 藤ノ木古墳は法隆寺の西350mにあり、直径約50m、高さ約9mの円墳。被葬者はわかっていない。
  保存のため1985年に調査を始めたところ、全国でも珍しい未盗掘の古墳で、横穴式石室から、動物意匠が透かし彫りされた鞍や杏葉(ぎょうよう)などの馬 具、きらびやかな冠や太刀など副葬品約3万点が出土。細工技術やデザインに優れ保存状態も極めて良好で、2004年に国宝に指定された。
 出土品は県立橿原考古学研究所(橿原市)が保管していたが、ガイダンス施設「斑鳩文化財センター」が完成し出土品のレプリカや実物大の石棺を常設展示されることになった。
オープン記念の「里帰り展」が3月28日まであり、金銅製の馬具(国宝)など20種約30点が展示される。

● 神奈川・鎌倉市有形文化財に観音菩薩図、菩薩立像指定(2010年2月16日)
 鎌倉市教育委員会は、新たな市有形文化財として、市所有の絵画絹本著色観音菩薩図と、大船観音寺所有の菩薩立像を指定した。
 観音菩薩図は、縦約1m横約50cm。室町時代に鎌倉地方で制作されたとみられ、鎌倉における禅宗と観音信仰とのかかわりを示す資料として貴重と評価された。保管する鎌倉国宝館の平常展(2010年4月8〜25日)で展示、公開の予定。
 菩薩立像は、像高80cmの一木造りで、同寺境内の慈光堂の本尊。胴を細く絞って腰を強く張り出す特色を持つ一方で、穏やかな彫りであることから、市内には数少ない平安時代後期の制作とみられる。 菩薩立像は秘仏で、開帳は正月三が日と文化の日のみ。

● 観光大仏客呼べず倒壊の危険も(2010年2月12日)
 全国各地でバブル期を中心に観光客を呼び込むために競うように建てられた「観光大仏」の多くが、経営的に成り立たずにうち捨てられ、厄介モノになっている。
  兵庫県淡路島北東部の海岸沿いに、1982年に建てられた、高さ100m(台座部分が20m)の「世界平和大観音像」は、当初は観光バスが列をなし、1日 数千人が訪れたというが、2006年に施設は閉鎖。雑草が生い茂るなかで、表面のモルタルがはがれた仏像があわれな姿をさらしている。所有者が亡くなり、 だれが管理者なのかさえも、わからない状態という。
 また、大手タクシーグループの創業者が1987年に建立し、当時日本一の大仏として有名に なった福井県勝山市の「越前大仏」も、次第に客足は遠のき、2002年に臨済宗妙心寺派が施設を引き取り、末寺として管理しているが、門前に軒を連ねた土 産物屋や飲食店も、大半がシャッターを下ろしたままだ。
 石川県加賀市のJR加賀温泉駅を見下ろす丘の上にある金色の「加賀大観音」は、スーパー 経営者が1988年に建てたが、スーパーが1997年に経営破綻し、約4年前に大阪市の医療用器械販売会社が買い取り織田無道氏を住職に迎えたが、現在は 従業員も解雇され、織田氏も行方不明という。

● 福井・加多志波神社で追儺面が1年ぶりに開帳(2010年2月12日)
 福井県鯖江市川島町の加多志波(かたしは)神社で2月11日、「お面さま」と呼び親しまれている、木造追儺(ついな)面(重文)が1年ぶりに開帳された。
 追儺とは、節分に豆まきをして鬼を追い払う行事で、お面は父鬼、子鬼、母鬼の3つで、父面と子面は鎌倉時代後期の作とされる。雨ごいのご神体としてあがめられてきたという。

● 高松市文化財に観興寺阿弥陀如来立像(2010年2月11日)
 高松市文化財保護審議会は、同市室町の観興寺所蔵の阿弥陀如来立像を市の有形文化財に指定するよう、市教委に答申した。
 同阿弥陀如来立像は平安時代末期の12世紀の作。像高99.2cm。穏やかな面相部の表情や丸みを帯びたなで肩、流れるように浅い衣文線など、平安末期に流行した定朝様の特徴を色濃く残している。 


 像高約3尺の立像は平安末期の浄土教の隆盛とともに全国に造られ、香川県内では三豊市の威徳院(県指定)、丸亀市の安養寺(市指定)などがある。

● 京都市文化財に春日神社宝蔵も 新たに9件答申(2010年2月9日)
 京都市文化財保護審議会は、春日神社宝蔵(右京区)など計9件を市文化財として指定するよう答申した。
 答申を受けた文化財は次の通り。
◇有形文化財
【建造物】▽春日神社宝蔵1棟(同神社)
【美術工芸品】
 ▽祗園会(ぎおんえ)保昌山(ほうしょうやま)前懸(まえかけ)胴懸下絵(円山応挙筆)3隻(下京区・保昌山保存会)
 ▽大般若経599巻(左京区・久多自治振興会)
 ▽小倉町別当町遺跡出土・無文銀銭1枚(京都市)
 ▽平安宮内酒殿(うちのさかどの)跡出土「内酒殿」木簡1点(同)
 ▽平安京出土・人形代(ひとかたしろ)2躯(く)(同)
 ▽平安宮出土・和歌墨書土器1点(同)
 ◇記念物
【史跡】▽小野瓦窯(がよう)跡(左京区、崇道神社)
【名勝】▽角屋(すみや)の庭(玄関庭・東坪庭・中坪庭・西坪庭・座敷庭)(下京区・角屋保存会)

● 奈良・薬師寺東塔内陣を公開(2010年2月9日)
 奈良市の薬師寺で平城遷都1300年記念事業として、東塔(国宝)の内陣が4月8日から10月31日まで公開される。
 東塔は現在解体修理中の調査が行われているが、本格的な解体修理に入ると、2018年度まで塔の拝観ができなくなる。このため、1300年祭に合わせ、調査完了後、解体修理が始まるまでの間内陣を公開することにした。
 3月までに一度覆い屋が外され、11月に再び覆い屋がかけられる。

● 長野県県宝に開善寺の清拙正澄坐像など2件諮問へ(2010年2月9日)
 長野県県教委は飯田市の清拙正澄坐像(もくぞうせいせつしょうちょうざぞうと松本市の「桜ケ丘古墳出土品」(計64点)の2件を県宝に指定するよう、県文化財保護審議会に諮問することを決めた。

 清拙正澄坐像は14世紀後半の南北朝時代の作とされ、ヒノキの寄せ木造りで、表面は布を張った上に胡粉を塗り、彩色を施してある。

● 東大寺二月堂全焼時の様子、詳細に(2010年2月6日)
 奈良市東大寺の修二会(しゅにえ)の練行衆(れんぎょうしゅう)の日記「両堂記」(重要文化財)が、奈良国立博物館の特別陳列「お水取り」で初公開される。2月6日から3月14日まで。
 お水取りは今年で1259回目だが、二月堂は寛文7年(1667)の旧暦2月13日夜、法要が終わった後に火事で全焼した。
  両堂記には「燃え残る火煙をかき分けると、大観音にはがれきが一つも当たっていなかった。人々が集まってきて奇瑞に感涙する。秘仏であるので急ぎすだれで 覆い隠した」「行法を(隣接する)法華堂でするべきだが、道具がないので宿所でひそかに行った」などと全焼した時の様子が詳細に記されている。

● 薬師寺東塔、垂木腐食など(2010年2月2日)
 来春の解体修理に向けて事前調査が進む奈良市の国宝・薬師寺東塔(高さ約34m)で、塔の上部が初めて報道陣に公開された。
 屋根の裏板を支える垂木が腐食するなどの傷みが確認された。
 垂木の多くに風雨や虫食いによる穴やえぐれがあった。塔上部の銅製の相輪(長さ約10m)に、装飾物の風鐸(ふうたく)を取り付けるため約80か所に開けられた穴は、風鐸が揺れる際の重みのため、多くが変形していた。
 一方、朱の顔料が残っている部分もあり、建立当時の姿をうかがわせた。

● 高松塚古墳壁画「複数要因で劣化」文化庁検討会が報告書素案(2010年2月2日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)の国宝壁画の劣化原因を調査している文化庁の検討会は、保存管理上の問題でなど複数の要因が劣化を引き起こし、それをチェックする体制が欠けていたとする報告書の素案をまとめた。
 素案では、昭和と平成の2回、カビの大発生を引き起こしたことことに対し、昭和のカビ大発生(1980〜84年)は、石室内の温度上昇や、修理作業で使った樹脂や薬剤の選択、石室内への立ち入りなどが複合して起こったとした。
  また、石室解体へと進む契機となった平成のカビ大発生(2001〜02年)は、石室と保存施設をつなぐ「取り合い部」で起きた崩落を止める工事で、カビ対 策が不十分だったことが引き金となり、更に、カビ処理に伴う人の出入りが増えたことが、さらにカビを発生させた可能性を指摘した。
 文化庁では3月末までに報告書をまとめるという。

● 奈良・薬師寺東塔上層部に昭和以降落書き(2010年2月2日)
 10年間かけた本格的な解体修理が予定されている奈良市西の京の薬師寺の東塔(国宝、高さ約34m)の上層部で、昭和以降にいたずらで書かれたとみられる落書きが見つかった。
 落書きがあったのは最上層の屋根の上に立つ銅製の「相輪」。約10mの相輪の、下から約1mの位置に、相合い傘と人名や、岡山県にある大学名が引っかき傷のような線で書かれていた。
 上層部に行くには寺の許可がいるため、県教委は「どういう手段で書いたのか、分からない」と頭をひねっている。
 このほか屋根を支えるヒノキ材に空洞ができるなど大きな損傷も多数見つかった。

● 薬師寺天井の彩色は保存良好(2010年1月26日)
 来年から、1世紀ぶりに今秋から解体修理に入る奈良・薬師寺の東塔(国宝)で、塔内に描かれた彩色文様の調査が始まった。
  東塔は高さ34m。初層(1階)の天井やその周囲に格子状や長方形の板計370枚に、朱や青、緑などの極彩色で描かれた宝相華文と呼ばれる想像上の草花の 彩色文様がある。1964年に、当時の東京国立文化財研究所が彩色の剥落防止措置を施した。これまでの調査では、顔料が粉状になったり剥落しかけたりして いる部分が見つかった。
 解体修理の期間は10年間で、東塔には現在、事前調査のため仮設の足場を組んでいるが、3月下旬にいったん外して元の塔の姿を見られるようにするという。

● 新薬師寺金堂に新説(2010年1月25日)
 8世紀の大規模な金堂跡や乾漆像の破片が出土した奈良教育大(奈良市)構内の新薬師寺旧境内について、専門家が意見を交わすシンポジウムが開かれた。
  奈良教育大の山岸公基准教授は、「続日本紀」や「正倉院文書」の記述から、金堂内には7体の薬師如来像、それぞれの脇に日光・月光両菩薩像計14体が安置 されていたと紹介。さらに十二神将像と四天王像があり、少なくとも計37体の仏像があったのでは、との考えを示した。薬師如来像は坐像で像高約 210cm、両菩薩は約280cmとみられるという。
また、材質は調査で見つかった乾漆片から乾漆像で、両菩薩は塑像とみられるという。
  奈良文化財研究所の清水重敦景観研究室長は、発掘調査で分かった柱跡などから金堂の復元案を示した。金堂の建物は幅約60m、奥行き約16m、高さ約 13.2mと想定し、横幅が広く、屋根が低い、非常に異例な建物で、金堂正面には幅50.8mの階段が設けられたとし、安置された仏像と関係する儀式のた めに作られたのではないか、との考えを示した。

● 佐賀・肥前国庁跡資料館で瓦塔を展示(2010年1月23日)
 肥前国庁跡資料館(佐賀市大和町)で上和泉遺跡出土瓦塔(がとう)が、展示されている。
 瓦塔は木造建造物を粘土で模倣した仏塔で、奈良・平安時代、墓の近くに建てたり本物の木塔の代わりにしたなどと考えられている。
 展示した瓦塔は、8世紀後半から9世紀に作られたもので、1993年度に同市久保泉町の上和泉遺跡で塔の下から一段目の部分が出土した。大きさは高さ約38cm、幅約35cmで、九州で唯一、塔の底部がほぼ完全な形で残っている。

● 奈良・喜光寺で南大門落慶(2010年1月22日)
 奈良市菅原町の法相宗別格本山・喜光寺で、再建中の南大門がほぼ完成し、2階建ての丹塗りと土壁が約450年ぶりによみがえった。
 同寺は、奈良時代の高僧・行基が721年に建立。当初の伽藍は火災で焼失し、本堂は室町時代に再建された。詳細な記録は残っていないが、南大門も16世紀半ばに焼失したとされ、2008年から再建工事が進められていた。
 南大門は、幅、高さとも約12m、奥行き約9mのヒノキ製で、2階は写経された経典の納経蔵。両脇に据えられた仁王像は、5月1、2日行われる落慶法要で披露される。

● 奈良・興福寺の国宝館を全面改修(2010年1月16日)
 奈良市興福寺は創建1300年を記念して、国宝館を全面改修する。
 1959年の開館以来初めての事業で、ガラスケース越しにしか見られない現在の公開方法を見直し、照明を多方向からあててより身近に鑑賞できるようにする。改装後の展示数は、国宝45点(現在26点)、重要文化財19点(7点)となる。と現在の約2倍に増やす。
 1月18日から2月末まで休館、3月1日に再オープンする。

● 滋賀・石山寺、国宝と重文を琵琶湖文化館に寄託(2010年1月21日)
 滋賀県草津市の石山寺で、至宝二点が、滋賀県立琵琶湖文化館(大津市)に寄託された。
  寄託されたのは、歴代の座主しか見られないとされる淳祐内供筆聖教(しゅんゆうないくひつしょうぎょう)」(国宝、平安時代)と、県内最古の作品である絹 本著色(けんぽんちゃくしょく)仏涅槃(ねはん)図(重文、鎌倉時代)で、2008年4月から休館している琵琶湖文化館を支援する一環。
 県立琵 琶湖文化館では、休館を受け、寄託されていた金銅種子華鬘(けまん)重文2点が国に返還されるなど、文化財の県外流出も懸念された。しかし、仏像盗難の増 加などもあり、昨年12月25日現在、7695点(国宝18点、重文197点)が寄託され、昨年3月末より約2600点増えている。
 至宝を文化館に預けることで、他の文化財所有者にも安心して預け続けてもらい、また、調査研究や展示などで館の活動を活性化させたいという。

● 神奈川・鎌倉市で菩薩立像など2件を市有形文化財に指定(2010年1月20日)
 鎌倉市教育委員会は、絹本著色 観音菩薩図と菩薩立像の2件を、新たに市有形文化財に指定することを了承した。
 絹本著色 観音菩薩図は、正面を向いて岩に座る観音菩薩図で、室町時代の制作とされる。寸法は縦約100cm、横約50cm。市所有。
 菩薩立像は、左手で花瓶を握り、右手は下に伸ばして台座に立つ木像で、制作年代は平安時代。像高約80cm。大船観音寺(鎌倉市岡本)所有。

● 福井・ニソの杜を民俗文化財に(2010年1月16日)
 国の文化審議会は、福井県おおい町の「大島半島のニソの杜(もり)の習俗」を「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選ぶよう、文化庁へ答申した。
  ニソの杜は大島半島を開拓した24家の先祖を祭っているとされる場所で、半島内に32カ所ある。1軒で杜1カ所を祭ったり、数軒で1カ所または複数カ所を まつるなど管理方法は様々だが、住民らは11月22、23日に家族や集落でニソの杜に祭られたほこらに供え物をする 。 ニソの杜は、祭日以外は近寄って はならないとか、一人でお参りしてはならない場所とされ、木を切ることも禁じられていた。近年は社会構造の変化などで32カ所のうち、10カ所ほどで祭祀 が行われるだけになっているという。

● 新薬師寺跡で乾漆像の破片出土(2010年1月16日)
 奈良市高畑町の奈良教育大構内で、創建当初の仏像の破片が見つかった。
 仏像の破片は、2008年秋に発見された「七仏薬師堂」の基壇跡の南約50mの地点から出土し、縦3cm、横4cm、厚さ1.5cmの木糞(こくそ)漆と呼ばれる素材で、衣のひだとみられる。
 新薬師寺は、光明皇后が聖武天皇の病気平癒を祈って建てられた寺で、創建当初に乾漆像があったことを示す貴重な発見。乾漆像は高価であることから、本尊の薬師如来像の一部の可能性もあるという。
 出土品は、1月23日、24日に奈良教育大学教育資料館で展示される。

● 大分・熊野磨崖仏で菌類の除去(2010年1月12日)
 大分県豊後高田市田染平野の熊野磨崖仏(重文)で、顔や胴体部分に付いていた菌類を落とし、元の姿が蘇った。
熊野磨崖仏は、巨岩壁に国内最大級の磨崖仏の大日如来像(像高7m)と不動明王像(像高8m45cm)が刻まれている。
 約10年前から2体の顔や胸、腹部に黄色いシミのようなものが目立ち始め、2005〜8年に調査したところ、黄色いシミのようなものは「地衣類」と呼ばれる菌類の仲間で、このままでは表面の風化が進むことが判明。昨年8月から殺菌照射や再着生防止などの修理を施した。
 熊野磨崖仏は1976〜79年に表面を樹脂で補強する作業を行ったが、生物類の除去は初めてという。
 

● 奈良・茶臼山古墳国内最長のガラス製管玉も出土(2010年1月7日)
 国内最多の銅鏡が出土した奈良県桜井市の国史跡、桜井茶臼山古墳で、当時としては国内最長の長さ8cmのガラス製管玉(くだたま)が見つかった。
 管玉は薄緑色の鉛バリウムガラス製で長さ約8cm、直径約7mm。これまでは吉野ケ里遺跡(佐賀県)で出土した68cmの管玉が最大だった。
  当時は中国から輸入したガラス製品を溶かし、心棒に巻き付ける手法で作るのが一般的だった。国内では高温で加工する技術がなかったため、ガラスに気泡を多 く含んでいるケースが大半だが、今回見つかった管玉には気泡がほとんどなかった。高温で鋳造した上質の中国製ガラス棒の両端から穴を開けたとみられる。

● 奈良・茶臼山古墳国内最多81面分の銅鏡の破片出土(2010年1月7日)
 奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳(3世紀末〜4世紀初め)から銅鏡の破片が大量に見つかり、少なくとも13種、81枚の銅鏡が埋葬されていたことがわかった。
  茶臼山古墳では、2009年に石室がある墳丘頂上部の土中から鏡片331点を発掘。大半が1〜2cmの細片で、度重なる盗掘で割られたらしい。
  破片のうち180点はまだ分類できておらず、鏡の総数はさらに増える可能性があるという。古墳出土の鏡ではこれまで最多だった平原(ひらばる)1号墓(福 岡県前原市)の40面を大幅大幅に上回り国内最多。邪馬台国の女王・卑弥呼が中国・魏から鏡などを贈られた「正始元年」(240)の年号入りの鏡と同じ鋳 型で作られた三角縁神獣鏡の破片も確認された。奈良県では初の出土で、権威の象徴とされる銅鏡を大量に持っていたことから、大王の政治力の強大さや、邪馬 台国と初期大和政権の関係などを考える一級の史料となりそうだ。
 遺物は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館(奈良県橿原市)で開催される速報展『再発掘 桜井茶臼山古墳の成果』で一般公開される。

● 平城遷都1300年祭開幕(2010年1月1日)
 奈良県内で今年1年間にわたり催される「平城遷都1300年祭」が新年とともに開幕した。
  オープニングイベントは、12月31日深夜から1月1日未明にかけて、東は青龍会場の室生寺(宇陀市)、西は白虎会場の信貴山朝護孫子寺(平群町)、南は 朱雀会場の金峯山寺(吉野町)、北は玄武会場の奈良公園(奈良市)でそれぞれ行われた。今後1年をかけて主会場の平城宮跡(奈良市)で復元された大極殿完 成式典など、県内各地で約1500のイベントが催される。

●    山梨・慈眼寺を修復(2009年12月31日)
 山梨県笛吹市一宮町末木の慈眼寺で本堂(重文)などの修復作業を行っている。
 同寺は12世紀、武田氏の祖とされる武田信義が再興した真言宗の古刹。戦火で焼失し、慶安3(1650)年に再建されたが、長い年月を経て傷みが目立つようになっていた。
 修復作業は、国などの補助を受けて実施。本堂と寺入り口の鐘楼門を柱のみに近い状態にした上で、腐朽した部分の補修や耐震化工事を行う。庫裏のかやぶき屋根も一新する。
 本格的な修復は江戸時代に再建されて以降では初めてで、2013年3月に終了する予定。

● 奈良大和路ポスター奈良市観光協会などで販売(2009年12月30日)
 2010年の「奈良大和路仏像ポスター」が完成した。
  ポスターは、奈良県、奈良市、JR西日本、近鉄、奈良交通の5者が1954年から共同製作しており、今回で89作目。今年11月に落慶を迎えた唐招提寺金 堂の国宝・千手観音立像を写したもので、JR西日本、JR東海、近鉄の主要駅などに掲示するが、希望者に450枚限定で奈良市観光協会と県ビジターズ ビューローで販売する。

● 滋賀・玉桂寺の阿弥陀如来像が知恩院へ(2009年12月26日)
 滋賀県甲賀市の高野山真言宗・玉桂寺が所蔵する阿弥陀如来立像(重文)が、2011年の法然八百年大遠忌を前に、浄土宗知恩院に戻されることになった。
  阿弥陀如来像像高98cmの優美な像で、1974年の調査では、精巧な衣紋などが仏師・快慶の作風に近いとされ、快慶の弟子の作とも言われる。また、像内 にあった建暦2年(1212)12月24日付の願文には、法然一周忌に際し、弟子の源智が全国に呼びかけて作ったとあり、結縁のため、源頼朝ら4万人超の 名を記した文書もあった。
 浄土宗の宗祖・法然の一周忌供養で作られた像が、他宗寺院にある経緯は不明だが、浄土宗は2011年の法然八百年大遠忌を前に、「宗派草創期の仏像で重要」として玉桂寺と交渉、有償で譲り受けることになった。
 浄土宗は当面、佛教大宗教文化ミュージアム(京都市)に収蔵し、2011年に知恩院に移す予定。
 重文の仏像が他の寺に移されるのは異例だが、文化庁は保存、公開の観点から認めたという。

● 阿修羅像の素材判明(2009年12月24日)
 奈良市興福寺の国宝・阿修羅像が、地元産のニレの樹皮を混ぜた木屎漆で造られた可能性があることがわかった。
  阿修羅像は像高153.4cmで、麻布を漆で何層も塗り固め、樹皮と漆を混ぜた木屎漆で成形する脱活乾漆造という技法で造られている。これまで木屎漆に は、線香の素材に使われてきたタブノキの樹皮の粉が使われてきたと考えられていたが、乾燥後に割れやすいことなどが欠点だった。 愛知県立芸術大の山崎隆 之名誉教授らは今年3〜9月に東京、福岡で催された「国宝 阿修羅展」に合わせ、2008年から5カ月間かけて、ほぼ実物大の上半身模型を制作した。
 その際、唐招提寺の金堂の本尊で、同じ脱活乾漆造で造られた盧舎那仏坐像(8世紀、国宝)から剥落した木屎漆の断片を顕微鏡観察で調査した結果、木屎漆の中に方解石の結晶を確認され、ニレ科の落葉樹の内部に特有のものとわかった。
 山崎名誉教授らは、ニレの樹皮と水、漆を混ぜたニレ木屎を調合し、阿修羅の模型を制作すると、乾きやすい難点はあったが、粘り気があって自由な成形ができ、天平時代の乾漆像と同じ赤っぽい発色になったという。
 ニレは奈良時代に紙すきの粘着材や食材として用いられたことが知られており、奈良では現在も興福寺のある奈良公園などに見られることから、興福寺の八部衆・十大弟子像も唐招提寺の盧舎那仏と同じ材料を用いた可能性は高いという。

●  静岡・願成就院耐震工事完了(2009年12月22日)
 静岡県伊豆の国市の願成就院で、国重要文化財に指定された運慶作の仏像5体を安置する大御堂の耐震工事が終了した。
 大御堂は1961年に建てられた鉄筋コンクリート製で、運慶作の阿弥陀如来坐像や毘沙門天像などが安置されているが、耐震性が不十分で、地震の建物倒壊による仏像への被害が懸念されていた。
 耐震工事は今年4月から開始。仏像安置部分に鉄骨と鉄板で作った枠を設け、仏像の三方と天井を頑強に囲った。鉄骨や鉄板は木材で覆い、寺の雰囲気を損なわないよう配慮した。さらに、仏像の台座には地震の揺れを7分の1に軽減する免震装置も取り付けた。
 専門家の立ち会いの下、工事期間中保管していた宝物館から仏像を運び出し、大御堂に慎重に移した。
● 奈良・桜井市立埋文センター「大桜井展」(2009年12月22日)
 奈良県桜井市の桜井市立埋文センターで、纒向(まきむく)遺跡などの出土品(旧石器時代〜平安時代)を集めた「大桜井展」が開かれている。
  女王・卑弥呼(248年ごろ没)と同時代の大型建物跡が発見され、全国的に注目を集めた纒向遺跡では、全国各地から持ち込まれた土器が見つかっている。こ れらの土器を一堂に展示しているほか、大型建物跡の西側で見つかった祭祀(さいし)遺構からの出土した鶏形埴輪(4世紀)など、国内最古の出土品も約10 点含まれている。
 また、同市南西部・磐余地区の小立古墳(5世紀)の墳丘や周濠から見つかった珍しい大型木製埴輪11点や、土製の円筒埴輪も展示。
 2009年12月11日から2010年6月20日まで。

● 京都・浄瑠璃寺アライグマ被害の薬師如来坐像復活(2009年12月18日)
 京都府木津川市加茂町の浄瑠璃寺で昨年、野生化したアライグマに傷つけられた薬師如来坐像(重文)が半年間の修理を終え公開された。
 薬師如来坐像は平安時代の作とされ、像高86.4cm。ヒノキの一木造で、金や朱の彩色が施されている。
  浄瑠璃寺では2006年から境内の三重塔(国宝)や本堂(同)で、アライグマが柱をつめでひっかく被害が頻発。昨年10月には、三重塔内部の壁画や安置し てあった同像など被害が発見され、薬師如来坐像は、左右両肩と左ひざに最大3cmほどの無数のつめ跡が見つかり、台座にも割れ目ができていることが判明し た。
 ことし6月から美術院(京都市東山区)で修復をはじめ、つめ跡を剥落防止剤で補強、色づけするなどして元の姿に戻した。
 三重塔は10年度末まで修復工事が続くため、当面は本堂に仮安置し、12月19、20日と2010年1月1日〜3日に一般公開される。

● 奈良・平城宮の朱雀門、平屋単層だった(2009年12月13日)
 奈良市平城宮跡に重層門として復元された朱雀門は平屋の単層だったとする新説を、奈良文化財研究所の清水重敦景観研究室長が発表した。
  清水さんは今回の発表で、発掘調査の結果から再検討。基壇について、外装が見つからなかったのに、礎石を置いた穴がよく残っていたことなどから、重層より も単層にふさわしい高さ75cm程度の低い基壇だったと想定。さらに、奥行きの柱間が2間しかなかったことに注目。奈良時代前半以前の重層の門は奥行きが 柱間3間が普通で、2間では構造的に不安定だとし、屋根が単層構造だったと結論づけた。
 朱雀門は、皇居・平城宮の南端中央に置かれた最も重要な正門で、外国使節の歓迎や、天皇を迎えて催された正月行事の舞台となった。
  朱雀門は発掘調査の成果や法隆寺の中門など、現存する奈良時代以前の建築物、絵巻物に残る平安京の朱雀門を参考に重層と結論づけ、文化庁が1998年に復 元したが、復元建物の完成から10年以上がたち、奈良のシンボルの一つになっている朱雀門のイメージを揺るがす説で、議論を呼びそうだ。

●   京都・法住寺で後水尾天皇形見の仏像発見(2009年12月13日)
 京都市東山区三十三間堂廻り町の法住寺で、仏像を収めた厨子に「後水尾法皇の御念持仏」との由来が記されていたことが分かった。
  仏像は像高50cmの如来像で、阿弥陀堂の須弥壇西端付近の厨子に収められていた。書院の修理に合わせ、新しく完成する仏間の本尊にするため、併せて修理 していた。金箔を張った厨子の内面に墨か漆のようなもので記され、赤外線を当てると「この釈尊は後水尾法皇の御念持仏なり」の文が浮かび上がった。また天 皇の第十皇子の堯恕(ぎょうじょ)法親王が形見としてもらった、とのいきさつが記されていた。
 仏像は、丁寧に造られており、鎌倉時代の様式を取り入れた江戸初期の仏像の可能性があるという。また厨子の飾り金具に、雨露を模した文様や点線で描いた唐草文様など17世紀前半の特徴がみられ、天皇の時代と重なるという。
 仏像は書院・庫裏の落慶式に合わせ、12月20日から28日まで一般公開される。

● 興福寺南大門跡で地鎮の銅銭・ガラス玉出土(2009年12月11日)
 奈良市の興福寺南大門跡で、創建時の奈良時代初めに、土地の神にささげた銭貨・和同開珎とガラス製とみられる玉の鎮壇具が出土た。
鎮壇具が興福寺で見つかったのは中金堂などに続き7例目。奈良時代の寺院の門からは初めてという。
 鎮壇具は、須恵器のつぼ(口径約19cm、高さ約16cm)に納められ、南大門基壇中心から北の穴に埋められていた。中に土が入っていたが、X線透過撮影などにより、つぼの底で和同開珎5枚と、ガラスとみられる小玉(直径約6mm、厚さ約3m)13点が確認された。
 興福寺では明治時代、中金堂の基壇から水晶や金など鎮壇具約1500点が出土して国宝に指定され、2001年にも約300点を発見。南円堂などでも奈良 江戸時代の銅銭などが確認された。

● 長野・中条の仏像・神像を紹介(2009年12月10日)
 長野県中条村教委は、村内の仏像や神社などをまとめた冊子「中条村の神さま仏さま」を発行した。
 来年1月1日の長野市への合併を前に、仏像を中心にした身近な文化遺産を後世に伝える目的で、村民でつくる「村仏像等調査委員会」が調査し執筆した。
 村内に五つある大字ごとにまとめ、10月に県宝に指定された正法寺にある聖観世音菩立像と四天王立像や、個人所有の仏像、道端にある小さな祠なども網羅した。
 冊子はB5判で225ページ。写真も掲載し、仏像は制作年代や大きさ、材質なども記録した。
 冊子は非売品で、村内全964世帯に無料で配る。

● 後白河上皇「法住寺殿」、院政拠点の遺構出土(2009年12月9日)
 京都市東山区の京都国立博物館敷地内で、平安時代末期に権勢を誇った後白河上皇(1127〜92)が政務を執った法住寺殿の一部とみられる門や道路跡の遺構が見つかった。
 遺跡は80cm四方の柱穴跡が約4.2mの間隔で二つ出土し、その約2m東側に南北に走る幅約5.5mの道の跡が長さ約14mにわたって、確認された。
遺跡は平安後期のもので、文献などから、この場所にあった法住寺殿に関連する可能性が高く、また周囲に建物跡が見つからないため、柱穴跡は門の遺構とみられる。
 法住寺殿は、後白河上皇が院政の拠点として造営した。平安後期の日記「山槐(さんかい)記」の1161年4月13日に「境域は十余町に及び、大小約80の建物を取り壊して造られ、恨みを抱く人々も少なくない」との記述が残されている。
 広大な敷地にいくつかの院御所や寺院が建てられたとされるが、1183年、木曽義仲が襲撃した「法住寺合戦」で焼失した。
近くには上皇が創建した「三十三間堂」(蓮華王院)があるが、後に豊臣秀吉がこの付近で方広寺を整備したため、これまで法住寺殿の遺構が出土した例は少なかった。

● 国宝修復費 16府県で減額、大阪府はゼロ(2009年12月6日)
 国と都道府県、市町村、所有者が負担している国宝・重要文化財の修復事業について、全国の16府県が2005年度以降、財政難などを理由に補助予算を縮小していることがわかった。
 補助率引き下げや補助額の上限設定などによって見直しを進めており、大阪府と長野県は補助額をゼロにしており、福島県は2009年度に補助制度そのものを廃止した。
 奈良、新潟、福井、大分各県は2008年度以前に下方修正しており、先月完成した奈良市の唐招提寺の金堂修理では、奈良県が事業の途中で補助率を5%から3%に下げた。
 栃木、茨城、熊本、沖縄各県も2009年度から補助割合を下げた他、補助額の上限を新たに設けるところも出てきている。
 国指定文化財の保存事業は、国が規模などに応じて50〜85%を補助するが、都道府県が補助を削減した場合、市町村や所有者の負担が増え、修理に着手できない場合もある。
 滋賀県大津市の石山寺では、ムササビに穴を開けられた御影堂(重文)の檜皮葺きの屋根を鉄板で覆うなどの応急措置をしている。
 檜皮葺きは30〜40年で葺き替える必要があるが、葺き替えから40年を超えた国宝・重文の建造物が滋賀県内だけでも10棟を数えるという。 これらの文化財も予算を確保が出来ないため、順番待ちになっているという。
 このままでは、寺の財産を処分せざるを得ないケースが出て来る可能性もあると心配する声もある。

● 平山郁夫氏死去(2009年12月2日)
 文化勲章受章者、平山郁夫さんが2日、脳梗塞のために死去した。79歳。
 現代を代表する日本画家で、仏教やシルクロードに題材をとった作品を数多く描き、世界各地の文化財保護活動にも尽力した。
 広島県の生口(いくち)島(現・尾道市瀬戸田町)生まれ。1949年に焼失した奈良・法隆寺金堂壁画を再現する画家に選ばれ、3号壁の観音菩薩像などをよみがえらせた。
 火災によって失われた法隆寺金堂壁画の再現を機に、仏教を主題に描き始め、1959年には転機となった「仏教伝来」を発表した。その後シルクロードをくまなく旅し、2000年暮れには奈良・薬師寺にある玄奘三蔵院の大壁画「大唐西域壁画」を完成させた。
 中国・敦煌の石窟寺院や北朝鮮の高句麗壁画古墳、アフガニスタンのバーミヤン遺跡など、世界各地の仏教遺跡を中心とした文化財保護活動にも尽力した。
 1973年に東京芸大教授。1989〜1995年、2001〜2005年に学長を務めた。96年、日本美術院理事長。文化勲章やフランスのレジオン・ドヌール勲章をはじめ、世界各国から文化交流の実績をたたえられた。

● 奈良・高松塚古墳白虎覆う膜は漆喰成分(2009年12月1日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の極彩色壁画のうち、「白虎」が発見当時に比べて、描線がほとんど見えなくなっている問題で、漆喰に含まれる炭酸カルシウムが溶け出して再結晶化した白い物質が、白虎の上から覆っているのが原因、とする調査結果を明らかになった。
  余白部分の漆喰片の断面などを調査した結果、漆喰の表面が厚さ0.1〜0.2mmの炭酸カルシウムの白い層で覆われていることが判明。石室内は高湿度だっ たため、結露などで漆喰が溶けたとみられる。また、カビを除去するためにクリーニングで使用した薬品で溶けた可能性もあるという。
 しかし、除去するのは顔料が落ちてしまうので難しいという。


● グーグルがイラク文化財をネット公開(2009年11月25日)
 米インターネット検索最大手グーグルが、イラク国立博物館に収蔵されている古代メソポタミアの遺物などの写真約14,000点を、来年初めからインターネット上で公開することを明らかにした。
   文明発祥の地とされる古代メソポタミア地域にあるイラクの国立博物館には、優れた文化財が数多く残されていたが、イラク戦争の混乱で略奪が横行。イラク 戦争でバグダッドが陥落した直後の2003年4月に約15,000点の文化財が同博物館から略奪されたといわれ、返還されたのは世界各地で見つかった 6,000点ほどにとどまっている。博物館はことし2月、約6年ぶりに再開している。
 イラクの文化財をめぐっては、博物館や古代遺跡からの略奪を防げなかったとして、駐留米軍が国際社会から非難を浴びていた。

● 奈良・石上神宮で「七支刀」6年ぶり公開(2009年11月25日)
 奈良県天理市布留町の石上神宮に伝わる国宝「七支刀」が、平城遷都1300年記念の社寺特別開帳で、6年ぶりに公開される。
七支刀は全長約75cm剣で、象嵌(ぞうがん)された銘文から、朝鮮半島の百済が国交成立を記念して4世紀の倭国に贈ったとみられている。
 公開は来年5月17日から6月11日までの平日20日間で、平成16年に奈良国立博物館で開かれた特別陳列以来となる。
 公開は1日3回、各回50人を上限とし、申し込み方法は来春発表、多数の場合は抽選となる。事前に同神宮を正式参拝する。

● ガンダーラの仏教美術をタリバンが破壊、博物館にも脅威(2009年11月23日)
 パキスタン北西部でイスラム原理主義組織タリバンの脅威が高まる中、世界遺産でもある古代王国ガンダーラの遺跡がタリバンに破壊されている。




  タリバンは音楽、美術、舞踊、女子教育、偶像崇拝を否定しており、2001年3月にはアフガニスタンのバーミヤン遺跡の石仏を爆破した。以来、考古学者 はパキスタンの仏教遺跡もタリバンの標的となると懸念。2008年9月には、北西辺境州のスワト渓谷で7世紀の仏像が、タリバンによって2回にわたって爆 破、破壊された。

スワト渓谷では、1956年からイタリアの考古学チームが発掘を続けていたが、2007年に活動を中止し、再開の見込みは立っていな い。 
 スワト地区の中心都市ミンゴラ博物館ではタリバンの脅威を感じて博物館を閉鎖、ほとんどの収蔵品を避難させた。この他、仏教の歴史の中心 地タキシラやペシャワルでも博物館に対する脅威が高まっており、博物館の入り口にバリケードを作ったり入場規制をかけるなど、警備体制が強化されている が、外国人観光客の足も1年以上途絶えているという。

● 栃木・足利の文化財一斉公開2009(2009年11月21日)
 足利市内で21日から、市内の神寺など50カ所が所有する文化財の一斉公開を行う。通常公開していない文化財もあり、今年は5カ所の寺院などで初公開されるものも含まれる。
 初公開は福厳寺(緑町1)の「木造釈迦如来坐像、善光寺(松田町)の「山門附仁王像」など。
 公開は、平成21年11月21日(土)〜23日(月・祝)

● 栃木・「足利の絵馬と神仏たち」(2009年11月18日)
 足利市内に残る「祈り」が込められた文化財を集めた企画展「祈り−足利の絵馬と伝説の神仏たち」が、足利市立美術館で開かれている。
 利性院(同市井草町)に安置されている閻魔大王坐像を初公開しているほか、大小の絵馬や市内の遺跡からの出土品など計約200点を展示している。
 歴史的に信仰が厚い足利には現在も三百近い社寺が点在し、貴重な神仏像が多数残されている。江戸時代以降は織物で栄え、江戸の絵師が描いた優美な大絵馬や織工などが奉納した小絵馬も多い。
 絵馬の展示は、「足利絵馬の会」が協力。江戸時代に活躍した狩野派の浮世絵師・竹田春信が描いたとされる「神楽図」や足利を代表する文人画家・田崎草雲の「雲龍図」などの大作のほか、病気の治癒など個人的な願いを絵で表現したユニークな物もある。

● 茨城・桜川市妙法寺の阿弥陀如来坐像など県指定文化財に(2009年11月18日)
 茨城県教育委員会は、桜川市本郷の妙法寺所蔵の阿弥陀如来坐像など7体の木像と、ひたちなか市の東中根遺跡群から出土した土器など18点の計2件を、県指定有形文化財に指定した。
 指定されたのは、妙法寺の阿弥陀如来坐像及菩薩立像(伝観音菩薩)・天部立像(伝虚空蔵菩薩)と木造四天王立像の7体で、像高さ136〜153cm。
 政治や宗教で地域の中心だった新治廃寺が弘仁8年(817)に焼失した後、妙法寺がその役割を引き継いだとされ、阿弥陀如来坐像などは平安時代9世紀末、四天王像は10世紀初頭の制作とみられ、県内の木造彫刻では最古級とされる。

● 千葉・睦沢町立歴史民俗資料館で「曼荼羅」(2009年11月17日)
  千葉・睦沢町立歴史民俗資料館で「曼荼羅」展が開催されている。
 慶応元年(1865)作の「日運上人曼荼羅」(大多喜町・妙光寺所蔵)をはじめ、寛平2年(890)年開基とされる香取市の観福寺所蔵「常光明会曼荼羅」など、寺や神社、個人所蔵のものまで計32点を展示している。
 古いものでは鎌倉時代の「絹本著色法華曼荼羅」、室町時代作の「絹本著色両界曼荼羅」(ともにいすみ市の行元寺所蔵)。
 また、同時開催の仏像展では、平安時代の作とみられる「木造不動明王立像」(睦沢町の弘行寺)が修復され一般公開されている。
 12月20日まで。

● 滋賀・安養寺で仏画の頭部に人の髪織り込む(2009年11月15日)
 大津市の安養寺で、秘仏の仏画、阿弥陀如来来迎図(室町時代)の頭部にも人の髪が織り込まれていることが分かった。
 来迎図は縦95.5cm、幅36.5cmで、絹地に正面を向いて立つ阿弥陀如来が描かれている。頭部には数本束ねた人の髪で直径約1cmの螺髪が刺繍で施されている。
 安養寺の本尊阿弥陀如来立像(鎌倉中期)の胎内からはすでに7本の歯や髪などが見つかっている。
 言い伝えでは、平安時代の僧恵心僧都が母の髪を束ねて筆にして阿弥陀如来を描き、その頭に母の髪を織り込んだと伝えられており、地元では「植髪さん」と呼ばれ、33年に1度だけ開帳される。

● 奈良・纒向遺跡で建物跡卑弥呼の宮殿か(2009年11月10日)
 奈良県桜井市の纒向遺跡で、3世紀前半としては国内最大の建物跡が見つかった。
 確認された建物跡は南北19.2m、東西6.2m以上。柱穴はさらに西側に続いているとみられ、市教委は建築構造から東西12.4mとした。
 床面積約238平方mの高床式建物と推定。九州説の候補地の一つ、吉野ケ里遺跡(佐賀県)で出土した建物跡(約156平方m)をしのぐ規模。
 既に見つかっていた3棟と合わせ、計4棟が東西方向に一列に整然と並んでおり、女王卑弥呼(生年不明〜248年ごろ)の時代と重なることから、卑弥呼の宮殿と指摘する専門家もおり、畿内説を後押しする有力史料で、九州との間で続く所在地論争に大きな影響を与えそうだ。

● 高松塚壁画見学者 申し込みの約半分(2009年11月9日)
 文化庁は、奈良県明日香村の高松塚古墳の石室解体によって搬出された極彩色壁画(国宝)の4回目の一般公開(10月31日〜11月8日)の見学者数が事前に申し込んだ3226人のほぼ半数1625人だったことを明らかにした。
 春に行われた前回の一般公開で見学希望者が定員割れしたため、今回からインターネットで応募を受け付けた。その結果、希望者は前回より約500人増加したが、実際の参加率は前回の約75%から約50%に大幅ダウンした。

● 滋賀・若王寺仏像胎内から平安後期の墨書銘(2009年11月5日)
 滋賀県大津市大石中の若王寺の本尊大日如来坐像の内部から、仏像が造られた年代を示す平安時代後期の墨書銘が見つかった。
 大日如来坐像は像高さ92.3cmのヒノキ製。一本の木を割って内部をくりぬき、彫刻後に接合する一木割矧ぎ造。
表 面と内部はすすで覆われていたが、背面材内部を赤外線カメラで撮影したところ、「承暦肆(四)年庚申歳十一月二日」の銘が見つかり、承暦4年(1080) に造立されたことがわかった。他に「奉造立□金色大日如来」「為平癒(ゆ)」「奉安置」ともあり、当初は仏像の表面に金箔(きんぱく)が張られていた可能 性があり、病が治ることを願って奉納された経緯がうかがえる。
 墨書がある平安期の仏像は全国的には珍しく、滋賀県では制作年などが記された仏像は、993年の善水寺(湖南市)の薬師如来坐像(重文)が県内で最古で、本像は滋賀県内では5番目、市内では園城寺(三井寺)の木造不動明王長和3年(1014 重文)に次ぐという。
 若王寺は奈良時代の創建と伝わり、如来立像(重文、琵琶湖文化館寄託)や四天王像など、平安期の仏像が伝わっている。
 本像は8日から23日まで大津市歴史博物館に出品される。

 

● 奈良・唐招提寺金堂の一般拝観を再開(2009年11月4日)
 奈良市の唐招提寺金堂(国宝)が、「平成の大修理」を終え、一般拝観が始まった。
 金堂の解体修理は2000年にスタート。「天平の甍(いらか)」として知られる大屋根の瓦のふき替えや鴟尾(しび)の新調、部材の取り換え、仏像の修復などが行われた。

● 京都・平等院鳳凰堂阿弥陀像内側に赤色彩色(2009年11月4日)
 京都府宇治市の平等院鳳凰堂の本尊で国宝阿弥陀如来坐像(像高約2.8m)の内側が、赤色顔料のベンガラで全面的に彩色されていたことが分かった。
 阿弥陀如来坐像は平安時代中期の1053年、仏師定朝が制作した像で、
 2004年1月〜2007年9月、修理に伴う調査で、内側が真っ赤に塗られていたことが確認され、東京文化財研究所が木材に付着する成分を蛍光エックス線で分析した結果、ベンガラと判明した。
平安初期の京都・東寺の大威徳明王像(国宝)の内側も赤く彩色されているが、鉛を主成分とする鉛丹が使われている。
 ベンガラは鉛丹よりも濃い赤色で、邪悪なものをはらうために、より深い赤のベンガラが塗られた可能性があるという。

● 奈良・法隆寺
法隆寺百万塔、奈良時代の製作確認(2009年11月3日)
 称徳天皇が国家安泰を願って作らせ、法隆寺に安置していた木製の小塔「法隆寺百万塔」(高さ約21cm、底の直径約10cm)の内、奈良女子大が所有するものが、奈良時代のものと確認された。
 百万塔は、日本最古の印刷物である経典「陀羅尼経(だらにきょう)」を納めた木製の小塔。称徳天皇が764年の藤原仲麻呂の乱後に作らせ、100万基を法隆寺や薬師寺など10の寺院に分けて安置。法隆寺に4万5755が現存し、うち100基が重文に指定されている。
 しかし、1908年以降、法隆寺が伽藍整備などの資金を得るため、1000基以上を民間に譲渡しており、京都国立博物館や横浜市歴史博物館なども所蔵している。
  奈良女子大が所有するものは、明治時代に同大学の前身・奈良女子高等師範学校が購入したもので、赤外線カメラで「三年三月廿七日 珎池守(ちぬのいけも り)」の文字を確認。天平神護3年(767)に珎池守が製作したことを示している。法隆寺所蔵の百万塔にも珎池守が製作したものが残っているが、内部に 「陀羅尼経」はなかった。

● 京都国宝・重文の保存、修理上賀茂神など24件に補助(2009年11月2日)
 京都府教育委員会は、国宝と重要文化財の保存修理や耐震対策への本年度国庫補助事業内定分の24件を発表した。事業総額は4億2700万円。
 内定分は下記の通り。
 【建造物保存修理】
▽浄瑠璃寺三重塔、本堂(木津川市)
▽上賀茂神社本殿(国宝、京都市北区)
▽下鴨神社預り屋ほか19棟(左京区)
▽東寺東大門(重文、南区)
▽萬福寺大雄宝殿ほか3棟(宇治市)
▽伏見稲荷大社御茶屋(伏見区)
▽興臨院本堂ほか2棟(北区)
 【建造物防災施設】
▽大徳寺唐門ほか13棟(北区)
▽東福寺三門ほか17棟(東山区)
▽東寺金堂ほか12棟(南区)
▽西本願寺書院ほか3棟(下京区)
▽海住山寺五重塔ほか1棟(木津川市)
▽宇治上神社本殿ほか2棟(宇治市)
▽冷泉家住宅(上京区)
▽六波羅蜜寺本堂(東山区)
 【耐震診断・緊急防災性能強化】
▽大徳寺方丈。玄関(北区)
▽同志社ハリス理化学館(上京区)
 【美術工芸品保存修理・防災施設・保存活用整備】
▽石像寺・石造阿弥陀如来、両脇侍像(上京区)
▽上賀茂神社・上賀茂神社文書(北区)
▽永観堂禅林寺・木造阿弥陀如来立像1体(左京区)
▽現光寺・木造十一面観音坐像(木津川市)
▽大徳寺・絹本著色大燈国師像1幅など(北区)
▽福徳寺・木造薬師如来坐像1体など(右京区)
    【無形・民俗文化財】
▽祇園祭鶏鉾(下京区)

● 奈良・唐招提寺金堂の大修理完了(2009年11月1日)
 奈良市五条町の唐招提寺で2000年から約10年にわたって行われてきた金堂(国宝)の大修理が完了し1日、落慶法要が行われた。
 この日の法要では、金堂の扉を開け、本尊の廬舎那仏坐像(国宝)に目を入れる「開扉開眼の儀」や献香、献茶、舞楽奉納などが行われた。
 2日にはふだん御影堂に安置されている国宝の鑑真和上坐像が法要に参列する予定で、像を運搬する行列が南大門から金堂までを約50年ぶりに練り歩く。
 金堂が完成したのは8世紀末。大規模な解体修理は明治時代以来およそ100年ぶりで、本尊や千手観音立像など、堂内の国宝の仏像9体も並行して修理された。
 落慶法要は3日までで、一般の参拝客が金堂を参観できるのは4日以降となる。

● 大阪・金剛寺で多宝塔内部初公開(2009年10月14日)
 大阪府河内長野市天野町の天野山金剛寺の多宝塔(重要文化財)内部に描かれた壁画が11月1〜3日、100人限定で一般公開される(受付終了)。
 これらの仏画は慶長11(1606)年と元禄13(1700)年に描かれたとみられ、現在も鮮やかな彩色が残っている。今年度から9年間かけ、多宝塔や金堂などを修理するにあたり、その文化遺産としての価値を理解してもらうため、初の一般公開が決まった。
 金剛寺は奈良時代に聖武天皇の勅命を受けた行基によって開かれ、多宝塔は平安時代に建てられたとされる。内部の板壁や柱、扉などには十二天像や飛天像、飛龍像、菩薩像などが描かれており、極彩色の仏画が、これほど美しい状態で残っているのは珍しいという。

● 奈良・高松塚古墳の復元工事終了(2009年10月24日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)の墳丘復元工事が終了し、24日から一般公開された。
 一般公開に先立ち、完成記念式典が行われ、関村長のほか、荒井知事らがテープカットした。
  同古墳は、1972年に発掘調査が行われ石室内で極彩色壁画が見つかり、1974年に壁画が国宝に指定された。1976年には、石室内で壁画を保存するた めのコンクリート製の施設が墳丘に取り付けられた。しかし、壁画の劣化が判明し、2007年には石室を解体して壁画が取り出された。

● 奈良・桜井茶臼山古墳で石室全面に赤色顔料(2009年10月22日)
 奈良県桜井市の大型前方後円墳、桜井茶臼山古墳(3世紀末〜4世紀前半、全長200m)で、石室が約60年ぶりに確認され公開された。
 石室内の調査は1949〜50年に発掘調査で見つかっていたが、石室の構造などを解明しようと、今年8月から60年ぶり再調査していた。大王クラスの墓は大半が宮内庁管理の陵墓に指定され発掘例が少なく、中心部が明らかになっているものはほとんどない。
  石室は、内寸で長さ6.75m、幅約1.2m、高さ約1.7m。壁は幅30〜40cmの板状の石を垂直に積んで壁を作り、その上に大型の石(最大1.5ト ン)を12枚乗せて天井にしている。石は見えるだけで1000個以上あり、壁や天井の石はそれぞれすべての面に水銀朱が塗られていた。 水銀朱は魔よけや 防腐のためで、使用量は国内の古墳で最大となる約200kgと推定され、荘厳な葬送儀礼が行われたとみられる。
 また、石室内の天井に、「S」と 書いた2文字と「福田」と読める漢字があり、蛍光エックス線での分析で、成分は炭素とわかった。同古墳での調査は60年前に二回に分けて行われているが、 その間、石室が開いていた時期があったといい、石室内に侵入した者が、ロウソクのすすなどで、いたずら書きしたとみられる。
 文字を消すと水銀朱も消える可能性があるため、調査終了後、そのまま埋め戻す選択肢もあるという。
 中に納められていた木棺は底の部分(長さ約4.9m、幅約0.7m、厚さ最大約0.3m)だけが残っていた。コウヤマキ製で全面朱塗りだった
とみられるが、傷みが激しく、保存処理のために取り出された。
 場所はJR・近鉄桜井駅の東約1kmで、現地見学会は29〜31日に行われる。

● 薬師寺東塔調査用覆い屋の建設作業開始(2009年10月22日)
 奈良市西ノ京町の薬師寺で、国宝・東塔の解体修理に向けた調査のため、覆い屋の建設作業が始まった。
 東塔は中心部の心柱が腐り内部に空洞ができるなど老朽化が進んでおり、約110年ぶりに大規模改修。2011年夏頃から解体が始まり、2018年まで約10年がかりとなる予定。
 来月末から、足場が一時的に撤去される来春までは、幅、奥行きとも約22mのピラミッド形の足場を建設し、高さ34mの塔はシートですっぽりと包み込まれる。
 参拝客が解体作業中の様子を見学できるよう、本格的な作業が始まる来秋から組み直す足場に、エレベーターを設置することを検討しており、工夫を凝らして見せる工事にしたいという。

● 滋賀・慈眼寺薬師如来像修理完了(2009年10月16日)
 滋賀県守山市吉身1丁目の慈眼寺の薬師如来坐像が、約2年がかりの修理を完了し寺に戻った。
 慈眼寺では本堂の改修工事に伴い、薬師如来坐像と日光・月光菩薩立像の3体の仏像を3年前に琵琶湖文化館(大津市)に預け修復した。
 修復の際、像を覆っていた漆や金箔の下から、墨で眉やひげを描き、唇を朱色で彩色したいにしえの姿が現れ、平安時代の造立当時の姿によみがえった。日光・月光菩薩立像は鎌倉期に作られたと考えられていたが、今回の調査で江戸期に作られたことが判明した。


● 迎賓館赤坂離宮明治以降の文化財で初国宝に(2009年10月16日)
  文化審議会は、皇太子時代の大正天皇の住居として建設され、現在は迎賓館赤坂離宮として知られる旧東宮御所(東京都港区)を国宝に、伊勢神宮に倣った神明 造(しんめいづくり)を採用した内外大神宮(ないげだいじんぐう)(茨城県筑西市)など8件の建造物を重要文化財に指定するよう文部科学相に答申した。        
 旧東宮御所は宮内省内匠寮技師の片山東熊らにより、1909年に竣工した。フランスの宮殿にならったネオ・バロック様式で、高い水準の室内装飾もあわせて、明治期の日本人建築家の総力を結集した洋風建築とされる。
  明治期以降の文化財では初の国宝指定。洋風建築としては、大浦天主堂(長崎市、1864年完成)に次いで2例目となる。旧東宮御所は1974年以降、国の 迎賓館として使用されており、警備上の理由などから文化財とする手続きをとっていなかった。そのため、今回は国宝指定の前提である重文指定の答申も同時に 受けている。
 また、重文指定の答申を受けた内外大神宮は、神明造の内宮本殿と外宮本殿が並立する珍しい社殿形式を取り入れている。

国宝・重文の答申は次の通り。
(国宝)
▽旧東宮御所(東京都港区)
(重文)
▽内外大神宮(ないげだいじんぐう)(茨城県筑西市)
▽旧大湊水源地水道施設(青森県むつ市)
▽旧鶴岡警察署庁舎(山形県鶴岡市)
▽旧西尾家住宅(大阪府吹田市)
▽石谷家住宅(鳥取県智頭町(ちづちょう))
▽旧志免(しめ)鉱業所竪坑櫓(たてこうやぐら)(福岡県志免町)
▽草野家住宅(大分県日田市)


● 茨城・常陸太田市で文化財一斉公開(2009年10月16日)
  常陸太田市内の文化財を一般公開する指定文化財集中曝涼が17、18日に行われた。
 虫干しを意味する曝涼は元々、県指定7件、市指定19件の文化財を所蔵する正宗寺(増井町)で毎年10月の第3土、日曜日に行われていた恒例行事。市は2007年、同じ2日間を「集中曝涼の日」と定め、ほかの文化財にも広げた。
  今年は、西光寺(下利員町)の木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)をはじめ、県立太田一高(栄町)内にある「旧県立太田中学校講堂」(国指定重要文化 財)(14〜18日)、菊連寺(上宮河内町)の木造千手観音立像(県指定文化財)など、計10か所の寺や学校で行われた。
 文化財や市の歴史などをまとめた「文化財ガイドブック」も3月に発行され、郷土資料館(西二町)や市役所で購入できる。


● 京都・神護寺金堂 初のライトアップ(2009年10月14日)
 京都府右京区梅ヶ畑高雄町の神護寺で、弘法大師・空海が神護寺(京都府右京区梅ヶ畑高雄町)に入山して1200周年になるのを記念し、同寺は今秋、境内のライトアップや秘仏の特別公開などに取り組む。
 ライトアップは11月1日から30日まで。
 唐から帰国した空海は809年、神護寺の前身・高雄山寺に入山。14年間とどまり、真言密教を広める基礎を築いた。同寺は824年、神願寺と合併し、空海により神護寺と命名された。
 今回、紅葉のシーズンに合わせ、午後5〜7時本堂である金堂を初めてライトアップする。また、2005年から続く参道のライトアップ(午後8時まで)も併せて行う。
 また同月1〜15日は、壮年期の空海を板彫りした国の重要文化財・弘法大師像(1302年)が特別公開される。これまで秘仏とされてきたが、昨年に続き、公開する。

● 鳥取・大山寺で15世紀の僧坊跡(2009年10月14日)
 鳥取県大山町大山の大山寺に近い寂静山地区で、15世紀に建てられた僧坊跡が初めて確認された。
  大山寺には、中世僧坊が、寺の1km四方に160か所あったとされる。調査したのは標高約900mにある寂静山地区(約40僧坊跡)の1か所(1100平 方m)。斜面を削った縦37m、横29mの平たん地に、礎石15個が並び、かなり大規模な僧坊があったらしい。地表から約80cm下には、地盤を強化する ために造られた全国的に珍しい埋め殺し石垣が見つかった。
 本堂とみられる建物は最大113平方mで、計3回、建て替えられた跡があった。また、 北角からは半地下式の石組みのトイレ跡がみつかった。石組みの囲いの中に2個1対の踏み石が2基設置されており、1度に2人が使えたらしい。時代が近いト イレ跡としては11〜13世紀中ごろの光明山寺(京都府)、1590年代の名護屋城陣屋跡(佐賀県)以外にはないという。
 僧坊跡から中国明時代の銅銭23点や李朝時代の朝鮮の青磁数点などが出土。ほかに瀬戸焼、美濃焼、短刀(長さ約30cm)や武具の一部、護摩法要に使う青銅製のさじが見つかった。中世に隆盛を誇った大山寺において国内外の交易が盛んだったことを裏付けているという。

● 奈良・唐招提寺金堂堂内構成部材のほとんどが創建当初材(2009年10月14日)
 奈良市の唐招提寺金堂(国宝)で、国宝の仏像が安置されている堂内(組物と天井部分)を構成する部材は94%が奈良時代末の創建当初のものであることが分かった。
  盧舎那仏(るしゃなぶつ)坐像、千手観音立像、薬師如来立像の国宝三尊などが安置されている堂内身舎部分では、天井や上部を支える組物部材など計1284 点が当初材で、全体の94%にのぼった。創建以降、数回の修理が行われながら、仏像周囲の空間は構造的にも当初の姿をとどめていると推測されるという。
 身舎外部の庇(ひさし)などの組物部材では当初材は全体の61%で、残りは明治や江戸時代などの改修時に使われた材だった。部材が傷みやすく、取り換えられたと考えられるという。
 唐招提寺は中国・唐から苦難の末に来日した高僧、鑑真が創建。金堂は鑑真の死後に建てられたとされ、奈良時代の代表的建築として知られる。今回の解体修理では構造補強材が加えられるなどし元通りに復元された。

● 奈良・自作寺不動明王像は元禄時代の作(2009年10月8日)
 奈良県山添村の自作寺の不動明王像(像高約60cm)の内部から、制作者とみられる人名などが記されたヒノキの木片(縦約8cm、横約4cm)が発見された。
 不動明王像は、先日他の3体の仏像とともに盗難に遭い、犯人宅から押収され寺に返却されたもので、ひび割れなどがあったため修繕作業を行ったところ、胎内から両面に「元禄五年(1692)」「大佛師新八心 申十二月七日」と書かれた木片が見つかった。
 木片は仏像と同様にヒノキ製であることから、仏像を彫ったのと同じ木に墨書したものとみられるという。
 不動明王像は、江戸時代から村にあったと住民らが代々伝え聞いている話とも合致し、盗難事件が、地元の言い伝えを証明するという意外な結果をもたらした。

● 滋賀・安養寺阿弥陀如来立像から歯と毛髪(2009年10月6日)
 滋賀県大津市の安養寺の木造阿弥陀如来立像の中から、人の歯と毛髪などが見つかった。
  像はヒノキ製で像高98cm。鎌倉時代中期に作られたとみられる。内側には漆の上に金箔が張られ、和紙の包みが三つ入っていた。中にはそれぞれ、7本の歯 と腕とみられる炭化した骨、輪状に束ねた頭髪、棒状に束ねた頭髪が入っており、包みの一つには「源氏女」と書かれていた。
 出自が源氏である女性を示す「源氏女」という書き方は鎌倉期ごろに特有という。本尊は鎌倉期の作で大きな修復跡がないため、納入品を像の制作時から入れていたとみられる。
  寺について書かれた古文書には、慶安年間(1648〜1651)に像を修復した際、像内から「安養尼」と書かれた紙に白骨と剃髪が包んであった、との記述 があるが、安養尼は平安中期の天台宗の高僧、恵心僧都源信の姉か妹とされ、納入品が安養尼の遺品である可能性は低いとみられる。
仏像に遺物を納入する例は、鎌倉時代に源頼朝が関連する像では数例見られる。
 本尊と納入品は、大津市歴史博物館で開かれる「湖都大津社寺の名宝」展で展示される。10日〜11月23日まで。

● 奈良薬師寺:東院堂発掘調査(2009年10月4日)
 奈良市西ノ京町薬師寺東院堂の発掘調査で、奈良時代の遺構が発見された。
 現在は西向きの東院堂が、創建当初は南向きだったことが明らかになった。東院堂は、江戸時代の絵図にも金堂などと同様に南向きの姿が描かれている。
 今回確認された基壇跡は、周辺は地表面を掘り込み、その上に土の層を突き固めて地盤を強固にする「掘込地業(ほりこみちぎょう)」という方法で整備されていた。寺内では他に例のない丁寧な工事をしており、特別な意味を持った区画だった可能性もあるという。

● 山梨・栖雲寺菩薩画はキリスト教聖人(2009年10月3日)
 山梨県甲州市の栖雲寺(せいうんじ)に伝わる虚空蔵菩薩画像の掛け軸が、元王朝時代の中国に信者がいた景教(キリスト教ネストリウス派)の聖人を描いた宗教画の可能性が高まった。
 栖雲寺に伝わる虚空蔵菩薩画像は、甲州市の重要文化財として同寺の収蔵庫に保管されているもので、縦150cm、横60cm。絹布の上に虚空蔵菩薩坐像とされる像が顔料で描かれ、紙の台紙に貼られている。
 ゆったりとした法衣を着て蓮の台座に座る「虚空蔵菩薩」が左手に十字架を持っているのが特徴。このため江戸時代初期に甲斐の国に流罪となって斬殺されたキリシタン大名・有馬晴信をモデルに描いたものとされてきた。
 しかし、東北大学の泉武夫教授が、左手に持つ十字架が蓮の台座に乗せられているなど、中国風の特徴を持つことに注目、「虚空蔵菩薩」は元王朝時代の中国で描かれた景教の聖人の可能性が高いとする新説を発表した。
  景教はキリスト教のネストリウス派がシルクロードを経て中国へと伝わった教えで、中国では7世紀から10世紀に栄え、元王朝下でも信者がいた。現在では景 教に関する史料や美術品はほとんど残っていないため、栖雲寺の虚空蔵菩薩像が景教ゆかりの宗教画と断定されれば歴史的な再発見となる。
来年9月から米メトロポリタン美術館で開催される企画展「フビライ・ハン時代の美術」に展示されることになった。

● 岡山餘慶寺千手観音立像から五穀や銅銭(2009年10月3日)
 瀬戸内市邑久町北島の餘慶(よけい)寺で、解体修(2009年10月3日)理中の本尊・木造千手観音立像(秘仏、像高さ111.5cm)の胎内から、米籾やゴマなどの五穀や銅銭などが見つかった。
 像内部の銘文や地域の文献から寛永2年(1625)に修理された際に納められたとみられ、当時の地域の農業状況を知る手がかりになる。
 頭部に米籾、麦、大豆、小豆、ゴマの五穀(計約5000粒)のほか、「永楽通宝」などの銅銭33枚、護符などが和紙に包まれて納入され、体部の銘文には「寛永2年に、岡山に住んでいた、大阪府堺市出身の仏師が修復した」との趣旨の記述があった。
  仏像の胎内に経典などを納める例は奈良時代からあり、平安中期からは頭髪やくしなど多様な品に広がった。穀物が見つかった例は、井原市の高山寺「地蔵菩薩 立像」や、滋賀県湖南市の善水寺「薬師如来坐像」など十数件あるが、納入年代や栽培地域が特定できるケースは珍しいという。
 また、この像は面長であるなどの外観から、室町時代に制作されたと考えられてきたが、平安後期頃の制作であるが分かった。
 納入物は18日に行う寺宝展で一般公開する。

● 香川・善通寺金堂・五重塔など129件、有形文化財に答申(2009年9月25日)
 文化審議会は、弘法大師(空海)生誕地に建てられた善通寺金堂・五重塔(香川県善通寺市)など19都府県にある129件(27か所)の建造物を有形文化財に登録するよう文部科学相に答申した。
 善通寺では、境内の金堂▽五重塔▽釈迦堂▽天神社▽龍王社▽鐘楼▽南大門(みなみだいもん)▽中門の8件の建造物が含まれる。
  金堂は元禄13(1700)年に建てられたとされる。軒下の組物(くみもの)の形式が詰組(つめぐみ)だったり、火灯窓(かとうまど)や波状の形をした弓 欄間が配されたりするなど、鎌倉時代に中国から入ってきた建築様式の特徴を持つ本格的な禅宗様の仏殿となっている点が、造形の規範として評価された。
 善通寺五重塔は明治時代に再建されたもので、高さ43m。

● 奈良・興福寺、南大門の基壇跡出土(2009年9月25日)
 奈良市の興福寺で、創建された8世紀前半のものとみられる南大門の基壇跡や、柱を支える礎石、階段などが出土した。
 基壇は東西31m、南北16.7m土を何層にもつき固める「版築(はんちく)」の工法で造られていた。柱穴は計15か所出土し、一部の穴では礎石も残っていた。
 南大門は東西23.4m、南北9m、高さは20m前後と推定され、平城宮の朱雀門に匹敵する規模だったことが裏付けられた。寺の歴史などを記した「興福寺流記」(平安時代末〜鎌倉時代初)の記述ともほぼ一致した。
 基壇の東西両端では火災で失われたとされる2体の「金剛力士像」が安置された台座の基礎も見つかった。像の高さは6〜7mだったとみられる。
 南大門は、平城京遷都(710年)直後の建立とされ、記録では7度の火災で焼失、6度再建されており、同じ基壇が使われていた。江戸時代の1717年に焼失した後は復興されなかった。

● 奈良・平城宮跡に威容現す大極殿(2009年9月25日)
 奈良市佐紀町の平城宮跡で、国が復元整備を進める第一次大極殿が威容を現した。工事用の覆屋は上半部の解体がほぼ終わり、11月末までに基礎のコンクリートを含めてすべて撤去される予定だ。
 第一次大極殿は棟までの高さが約27m、間口約44m。国が発掘成果などに基づき、復元整備を進めてきた。
 来年の平城遷都1300年祭で主会場となる南側の広場でも、回廊をイメージした塀の設置などが間もなく始まる。

● 東寺・宝物館で両界曼荼羅図、5年ぶり公開(2009年9月19日)
 京都市南区の東寺の宝物館で、秋期特別公開「東寺曼荼羅(まんだら)の美−マンダラワールド」が始まった。
 東寺には約30点の曼荼羅が伝わるが、彩色の残る曼荼羅としては現存最古の国宝「両界曼荼羅図」など逸品を展示する。5年ぶり
 ほかに、菩薩や明王などをダイナミックに描いた重文「仁王経五方(にんのうきょうごほう)諸尊図」、指で結ぶ印を説明した重文「蘇悉地儀軌契印図(そしっじぎきけいいんず)」など54点を紹介する。
 9月20日から11月25日まで。

● 広島・耕三寺が塔の内部など公開(2009年9月19日)
 広島県尾道市瀬戸田町の耕三寺では、9月19日から23日まで「再発見ウイーク」として、本堂や多宝塔の内部の公開を行う。
  京都府宇治市の平等院鳳凰堂を原型とし建立された本堂は正面の格子戸を開放。金箔の宮殿に本尊が安置され、天井には龍が描かれている。公開は四十数年ぶり という。大津市の石山寺多宝塔が原型の多宝塔は初めての公開。書院造りの銀龍閣では、手をたたくと響く「鳴き龍」を体験できる。大講堂内には補修作業の実 演場を設け、金箔張りの体験もしてもらう。

● 京都・法観寺白鳳期のせん仏が出土(2009年9月19日)
 京都市東山区の法観寺(通称・八坂の塔)境内の発掘調査で白鳳時代(7世紀後半)のせん仏が見つかった。
 せん仏は塔南側の整地層から出土し、破片は縦9cm、横5cm。仏の顔や衣が浮き彫りにされ、弥勒如来を中心に配した三尊の左脇侍とみられる。
 目鼻や光背が鮮明に残り、国内では最古級の出土例とみられる。表面には金箔も一部残っている。
 今回と同型のせん仏は9例出土しており、遣唐使に随行した僧道昭(629〜700)が持ち帰ったものを元にしたとみられ、身近に置いたり、タイルのようにして堂内の壁などに張ったりしたという。
 せん仏は、9月19日から10月4日まで京都市考古資料館(京都市上京区)で展示される。

● 福井・興道寺廃寺南門、講堂の建物跡確認(2009年9月18日)
 福井県美浜町興道寺の興道寺廃寺で、南門の跡や、講堂とみられる建物跡が新たに確認された。
南門跡は石積みが残った状態で見つかり、南北に約5m、東西に約6mの規模とみられる。
 また、南門跡の北約60mでの発掘調査では、講堂跡と推定される東西約16mにわたる建物の基壇となる土の盛り上がりが確認された。
 興道寺廃寺は若狭地方最古級の寺院跡とされ、これまでの調査で、金堂(本堂)、中門、塔の三つの建物の基壇跡を確認しており、本格的な寺院だった可能性が高まったという。

● 奈良・箸墓古墳で二重の周濠が確実に(2009年9月15日)
 奈良県桜井市箸中の前方後円墳、箸墓(はしはか)古墳(3世紀後半、全長280メートル)で、古墳南側から外濠の内側の堤と、外側の縁が整地された跡が見つかった。
 箸墓古墳は、7世紀まで全国で築造された前方後円墳の原型とされ、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説がある。
 墳丘の南端から約20mの地点で幅約6m、高さ約1.5mの堤が見つかり、さらに南側に約50mにわたって深さ1.2〜1.6mの掘り込みを確認。これが外濠とみられ、外濠の縁は盛り土が約1m積み上げられていた。
 平成7年の調査で、同様の遺構がほぼ対称の位置で確認されており、邪馬台国の女王・卑弥呼の威信を示すかのように、幅10mあまりの内濠と幅50m以上の外濠の二重周濠(しゅうごう)に取り囲まれていたことが確定的となった。

● 京都・青蓮院で青不動一般公開へ(2009年09月15日)
 京都市東山区の青蓮(しょうれん)院で、現存する平安時代の仏画の最高傑作とされる国宝秘仏「不動明王二童子像」(青不動)が18日〜12月20日の間、境内で初公開される。
 青不動は縦203.2、横148.5cmの絹地に描かれた画像で、平安中期の作。燃えさかる炎を背景に、青を基調とした不動明王が、迦楼羅(かるら)と呼ばれる火の鳥や、脇侍の2体の童子などとともに豊かな表現技法で描かれている。
 1970年の大阪万博などこれまで3回の展覧会で展示されてたが、青蓮院での一般公開は平安時代の創建以来初めて。

● 奈良・安倍文殊院で快慶菩薩像の修理を公開(2009年9月11日)
 奈良県桜井市阿部の安倍文殊院で、本尊の木造騎獅文殊菩薩像など、鎌倉時代・快慶作とされる文殊菩薩群像4体(いずれも重文)の修理作業が始まり、菩薩像が台座の獅子の背から降ろされた状態で公開された。
 文殊菩薩像の修理が終わる来月初めまで、参拝者も修理の様子を見学でき、来年11月末までは獅子を降りた姿を見ることができる。
  像は説法の旅に出た文殊菩薩が雲海を渡っている姿を表し、獅子や光背を含めた総高は約7m(文殊菩薩像は約2m)と国内最大の文殊菩薩像。頭部内で確認さ れた墨書から、脇侍の優填王、善財童子、仏陀波利三蔵の各像とともに建仁3(1203)年に快慶が制作したことが知られている。獅子像などは16世紀に焼 失し新たに造られた。
 平城遷都1300年祭を記念して、修理後も来年11月末までそのままの状態で公開するという。

● 長野県文化財に安養寺の法燈国師坐像など3件指定(2009年9月11日)
  長野県教育委員会は、東筑摩郡朝日村の光輪寺薬師堂、佐久市の安養寺にある法燈国師坐像(ほっとうこくしざぞう)、下伊那郡下条村の龍嶽(りょうがく)寺 にある紙本墨画淡彩隻履(しほんぼくがたんさいせきり)達磨図の3件の県文化財に指定するよう、県文化財保護審議会に諮問した。
 法燈国師坐像は、安養寺の開祖、臨済宗の高僧無本覚心(むほんかくしん)(1206〜98年)の肖像と伝えられ、高さ85センチ。南北朝時代後期の作とみられる。ヒノキ材の寄せ木造りで、表面は彩色仕上げされている。

指定されたのは次の通り。
 光輪寺薬師堂 光輪寺東筑摩郡朝日村
 法燈国師坐像 安養寺 佐久市
 紙本墨画淡彩隻履達磨図 龍嶽寺 下伊那郡下条村 

● 静岡・遠江国分寺跡で塔本塑像の頭部出土(2009年9月11日)
 静岡県磐田市見付・中泉の遠江国分寺跡で七重塔跡近くから、塔の1階部分に安置されたと見られる塔本塑像の一部が出土した。塔本塑像の出土は、全国の国分寺跡で2例目となる。
  塑像の一部は七重塔跡の北側の深さ20cmの地中から、多量の瓦とともに出土し、高さ7.8cm、幅5.3cm、厚さ6cmで、坐像なら像高40cm前後 の如来像か菩薩像の頭部の一部と推定される。髪の生え際や鼻、耳の形が残っており、頭髪や顔面の一部に顔料が残っていることから、彩色が施されていたとみ られる。
 塔本塑像は、塑像群で釈迦の生涯をジオラマのように表現したもので、奈良・法隆寺五重塔の「塔本四面具」が現存している。国分寺においても塔の内部が美しく彩色された仏像群で彩られていたと推測できるという。
 また、塑像は高熱を受けて素焼きの陶器のような状態で見つかったことから、今回の発見は、歴史書「類聚国史」に記述のある819年の火災で七重塔が金堂、回廊とともに焼失したことが新たに裏付けられた。

● 阿修羅像の原型の粘土像をCTスキャンで再現(2009年9月8日)
 奈良・興福寺の阿修羅像(国宝)をX線CTスキャン調査を行い、復元した粘土原型像の3次元(3D)画像が公開された。
 阿修羅像は天平6年(734)の制作で、原型像に麻布と漆を塗り重ねた後、背面に穴を開けて土を除き、表面を整形、彩色する脱活乾漆像。
 今回、スキャン装置を用いて、内部の空洞を立体画像化することで、原型像を復元した。
 復元された原型像正面の顔は細面で、目はきつくつり上がり、完成像のふっくらとした顔や「涙目」といわれるイメージと異なっていた。
 また、芯木に虫食い跡が見られないなど、内部の保存状態が良好なことも明らかになった。

● 島根・浜田市教委所蔵の仏像 国内最古の国分寺本尊か(2009年9月7日)
 浜田市教育委員会が所蔵する仏像の頭部が、奈良時代に建てられた「石見国分寺」(同市国分町、焼失)の本尊、薬師如来像の一部で、創建期の8世紀ごろに造られたものである可能性が高いことが分かった。
 頭部は木造で、高さ69.2cm、幅26.6cm。火災で損傷し、全体が黒く焦げている。仏像は坐像で、像高は120cm程度だったとみられる。
 首部に微量の塑土(そど)が付着するなど、同時代に全盛だった一本の木を彫り抜いた土台に粘土などで肉付けする木心塑像の特徴を示しているという。
 江戸時代の文献によると、仏像は荒廃した国分寺から農民の手に渡り、その後別の寺に移されていたが、仏像があった建物が火災に遭ったという。
 2005年に国分寺の跡地近くの寺に保管されているのが見つかり、同美術館が学術調査を進めていた。
 全国にある国分寺の本尊では最古例とみられ、聖武天皇が全国に建立を命じた官寺の実像や、当時の本尊の造形を知る貴重な資料となりそうだ。
 仏頭は9月18日から11月16日まで、島根県立石見美術館(益田市有明町)の企画展「千年の祈り−石見の仏像−」で一般公開される。
 

● 東寺創建時緑釉瓦、旧境内で出土(2009年9月3日)
 京都市南区の東寺(教王護国寺)旧境内で、平安前期(9世紀)の緑釉(りょくゆう)瓦が3日までに出土した。
 調査地は、東寺の金堂から100mほど北東で、職人らが住んだとみられる賤院(せんいん)の一角。平安後期の東西方向の溝(幅4m、深さ50cm)から緑釉瓦が8点出土した。丸瓦のほか、軒先を飾った軒丸瓦や軒平瓦、棟に積み上げた熨斗(のし)瓦があった。
 緑釉瓦は平安宮の中でも大極殿や豊楽殿など中心的な建物にしか使われない国家権力の象徴。
 東寺跡や同じ官立寺院の西寺跡でも出土例はあるが、これほどまとまって出土したのは初めて。平城京の寺では見つかっていない。

● 法隆寺西円堂「峰の薬師」100年振り修理(2009年8月27日)
 奈良市斑鳩町の法隆寺西円堂本尊・薬師如来坐像(国宝)の修理が進められている。
 薬師如来坐像は奈良時代末期の脱活乾漆造で、総高250cm。無病息災や延命長寿の霊験があるとされ、「峰の薬師」と呼ばれ、中世以前から広く信仰を集めたことが知られる。
 修理は明治40〜41年以来約100年振りで、作業は8月末に終わるという。

● 四川省眉山市ダムの底から唐代の仏像40年振りに姿現す(2009年8月27日)
 中国四川省眉山市のダムから岩壁一面に1000体もの仏像が彫られた「千仏岩」が、40年振りに姿を現した。
 「千仏岩」は、1963年のダム建設で水底に沈んだが、昨年5月の四川大地震で水位が下がり、姿を現したという。岩壁には30cm前後の仏像がびっしり彫られており、唐代のもので地元の指定文化財になっているという。

● 石川・専長寺本堂など金沢市の指定文化財に(2009年8月25日)
 金沢市文化財保護審議会は、金石西の専長寺本堂(附棟札一枚)、旧鬼瓦一対、松帆しゃ(しゃは木偏に射)及び山門など二点を市指定文化財にすることを市教育委員会に答申した。
 専長寺の本堂は寛政9年(1797)、元は加賀八家の横山家の屋敷跡であった現在地に建築されたもので、高い技術で造られた浄土真宗の本堂の典型という。

● 滋賀・円満院の重文建物など競売で、宗教法人に所有権移転(2009年8月24日)
 大津市園城寺町の円満院で、国の重要文化財宸殿などの建物と名勝史跡の庭園などが競売にかけられ、甲賀市の宗教法人大岡寺が落札した。
 円満院は、平安時代の創建とされるが、競売にかけられたのは宸殿など9棟と、庭園などの敷地約14,000平方メートルで、円満院の所有権は大岡寺に移転した。
競売で重文の所有者が変わったのは異例という。
 円満院は、寺の運営に影響はなく、重文はこのまま維持・管理する方向で協議したいとしている。

● 栃木・満願寺で台座蓮弁24枚発見(2009年8月22日)
 栃木県河内郡上三川の満願寺で、平安時代末期に造られた阿弥陀如来坐像(県指定文化財)の台座装飾の一部が同寺楼門で見つかった。
 台座装飾はハスの花弁をかたどった蓮弁で、破損したものも含め24枚発見された。大きなものは縦、横ともに約20cm。部分的に漆箔が張られ、台座に取り付ける際に使われたとみられる木くぎが残った部分もあり、保存状態は良いという。

● パラミタミュージアムで「アンコールワット展」開催(2009年8月22日)
 パラミタミュージアム(三重県菰野町大羽根園)で、上智大の調査団が8年前にアンコール遺跡群で発見した仏像11点が国内で初めて公開される。
 調査団はアンコールワットの東北にあるバンテアイ・クデイ遺跡で、頭部と胴体が切断されて埋められた約800年前の仏像274点を発掘した。展示した神仏の像と絵画は全67点。国内初公開の「ヤマ天像」などもある。
 8月21日から9月30日まで。

● 滋賀県立琵琶湖文化館開館50周年記念「湖の国の名宝展」(2009年8月15日)
 2010年6月11日から9月5日まで、九州国立博物館で、滋賀県立琵琶湖文化館開館50周年記念「湖の国の名宝展」が開催される。
既に閉館している琵琶湖文化館には現在、国宝17点・重要文化財198点を含む文化財が5000点収蔵されているが、これらの所有品及び寄託品のうちから、国宝・重要文化財を中心に展示する。
展示品の詳細は未定だが、下記の像などが出展されると思われる。
 地蔵菩薩立像 東南寺 安土町
 銀造阿弥陀如来立像 浄厳院 安土町
 聖観音立像 櫟野寺 甲賀市
 薬師如来立像 長谷寺 高島市
 阿弥陀如来立像 観音寺 草津市
 普賢菩薩立像 志那神社 草津市
 帝釈天立像 正法寺 大津市
 阿弥陀如来立像 長福寺 日野市
 十一面観音立像 長福寺 日野市
 銅造薬師如来立像 聖衆来迎寺 大津市
 薬師如来坐像 大日寺 甲賀市
 薬師如来坐像 慈眼寺 守山市

● 静岡地震文化財国指定10件、県2件など被害(2009年8月14日)
 静岡で起こった震度で被害を受けた指定文化財、登録文化財、埋蔵文化財は、国指定10件、県2件などを含め少なくとも28件に上ることが分かった。
 石造宝塔として県内最古とされる県指定文化財(建造物)の「平田寺多宝塔」(牧之原市)は、高さ計約2mの5つの石材のうち、4つが割れた。
 また、埋蔵文化財に指定されている駿府城跡(静岡市葵区)の石垣は、内堀が1カ所、外堀が2カ所が最大幅30mにわたって崩落した。

● 奈良・海龍王寺の五重小塔の柱に、希少な朱顔料使用‎(2009年8月12日‎)
 奈良市法華寺町の海龍王寺で五重小塔(国宝、奈良時代)の柱に、希少な朱(しゅ)顔料が使われていたことが分かった。
 朱色は古代から宮殿や寺院に施されているが、多くは鮮やかさの落ちるベンガラが使用されており、貴重な朱顔料が古代の木造建造物で確認された例は少ない。今までの確認例は平等院鳳凰堂(京都府宇治市)や唐招提寺金堂(奈良市)などわずかで、今回の例が最古級という。

● 兵庫県有形文化財新温泉町の相應峯寺圓通殿を登録(2009年8月8日)
 兵庫県教育委員会は、太子町鵤の旧尾野家住宅の主屋(しゅおく)(母屋)と土蔵、新温泉町清富の相應峯寺圓通殿を県有形文化財(建造物)に登録した。
 相應峯寺圓通殿は、棟札から天保(1832)年の建立とされる天台宗の仏堂で、観音山山頂にある。木造平屋建て、寄棟造りの三間堂で、唐様の簡素な建築。内部は礼堂、脇陣、内陣からなる中世仏堂形式で、内陣には唐様の須弥壇の上に彩色を施した厨子が安置されている。

● 大分県有形文化財に木原自治会の木造聖観音立像などを指定(2009年8月8日)
 大分県教育委員会は、県有形文化財に竹田市・健男霜凝日子(たけおしもこりひこ)神社所有の神坐像(男女3体)と同市木原自治会所有の木造聖観音立像の彫刻計2件・4体を指定した。

 神坐像は室町時代(南北朝時代)の作で、高さはそれぞれ55.3〜80.3cm。ヒノキの一木造。
聖観音立像は平安時代前期の作で、像高92.3cm。保存状況もよく、同時代の特徴である翻波(ほんば)式衣文が見られる。


● 奈良文化財研究所「ガイダンスコーナー」オープン(2009年8月6日)
 奈良文化財研究所(奈良市二条町2)は、研究成果を発信する「ガイダンスコーナー」を庁舎内にオープンさせた。
 平城宮跡の情報発信拠点である「平城宮跡資料館」が今年6月からリニューアル工事で閉館しているため、庁舎内に代替施設として設けた。
 海外での国際学術協力の概要を調べたり、コンピューターを使った情報検索、刊行物の入手もできる。入場無料。

● 滋賀・長命寺で、十界曼荼羅2点発見(2009年8月6日)
 滋賀県近江八幡市長命寺町にある長命寺の塔頭、穀屋寺で熊野観心十界曼荼羅(まんだら)2点と長命寺参詣曼荼羅3点が見つかった。
  十界曼荼羅は縦約141cm、横約110cm。上部に人の一生、中下部に仏界や地獄道など人の心にある「十界」を表現している。中央上部の仏を3体描いて いる点が特徴。人物の服装や髪形から戦国時代末期と江戸時代後期の作とみられ、戦国時代末期のものは全国で確認された十界曼荼羅約60点で最古級という。
 参詣曼荼羅は縦約154〜161cm、横約159〜180cm。長命寺の境内を上から眺めた視点で描いている。3点はそれぞれ戦国時代末期、江戸時代中期、同後期の作と見られる。

● 新薬師寺金堂前に奈良時代、八角形の柱発見(2009年8月4日)
 奈良市の奈良教育大構内にある新薬師寺旧境内の金堂跡の前で、8世紀(奈良時代)の橋脚とみられる八角形の掘っ立て柱2本が見つかった。
  柱が出土したのは金堂跡の約60メートル南。金堂の中軸線を挟み、3メートル離れて東西に並んで見つかった。直径約30センチのヒノキ材で、東側の柱は約 80センチ分、西側は約20センチ分が残存。工具の加工痕が残っていた。柱穴は約90センチ角の方形で、15〜30センチ大の石を底に敷いていた。
 金堂正面に庭園や池があり、八角形の脚材を持つ橋が架かっていた可能性があるが、類例が無いという。当時八角形の掘立柱を寺院に用いたり、仏堂の正面に庭園や池を設けた類例はないという。

● 新薬師寺旧境内で奈良三彩の容器片出土(2009年8月3日)
 奈良市高畑町の奈良教育大新薬師寺旧境内で、緑色の釉薬(ゆうやく)が美しく残る奈良三彩の容器片が、奈良教育大学の調査で出土した。
 確認された破片は7点で、最も大きな破片は約8.5cmで、平安時代に埋まった幅約2.5mの溝で見つかった。濃い緑色の釉薬がかかっており、鉢などの容器とみられる。
 同寺が創建された奈良時代中ごろ―後半の遺物という。
 奈良三彩は中国・唐の三彩をまねて作られ、緑や茶色の釉薬でまだら状の文様を表現。寺院や貴族の屋敷跡で見つかる高級品で、新薬師寺でも法要に使ったとみられる。


● 大雨・突風 萬福寺も被害(2009年8月2日)
 京都府宇治市の萬福寺(まんぷくじ)で、本堂(国重文)の瓦が飛ばされるなどの被害が出ていたことがわかった。
 1日に京都府や兵庫県などを襲った強い風雨により、約350年前に建立された萬福寺の「大雄宝(だいゆうほう)殿」(本堂)の瓦2、3枚が落ち、別に瓦約20枚がずれたうえ、障子4枚が吹き飛んだ。僧侶らが障子を押さえたが、抗しきれなかったという。

● 鳥取県県文化財に上淀廃寺跡出土の彩色壁画と塑像など指定
 鳥取県文化財保護審議会は、米子市淀江町福岡の国史跡・上淀廃寺跡から出土した「神将」などの彩色壁画と塑像173点と、三朝町三徳の三徳山・三仏寺に伝わる木造狛犬1体を県指定保護文化財にするよう県教育委員会に答申した。
 彩色壁画42点は、いずれも1〜5cmセンチの破片で、赤や群青など12種類の彩色が施され、数個を接合すると「神将」や「菩薩」などに復元できる。国内最古級の仏教壁画で、仏陀の生涯を物語として描き、金堂壁面の装飾にしたらしい。
 塑像は、金堂本尊の如来坐像と脇侍菩薩立像、四天王像の一部で、髪の毛である螺髪や胴体の衣装部分など115点。
 木造狛犬は、高さ77.7cmで、平安時代後期に当たる12世紀前半の制作。顔の部分が欠けているが、平安時代の木造狛犬は、全国では薬師寺(奈良市)など十数例があるだけで貴重。
 
● 山口豪雨で阿弥陀寺石風呂など文化財7件被害(2009年7月30日)
 山口県の豪雨災害で防府市の阿弥陀寺にある国指定重要有形民俗文化財の「湯屋」に土砂が流れ込んだりするなど、少なくとも県内の文化財が7件8か所で深刻な被害を受けていることがわかった。
 確認された被害は国指定5件6か所、県指定2件2か所。このうち阿弥陀寺では豪雨で裏山が崩れ、土石流が発生。入浴施設の湯屋(木造平屋約30平方m)内に高さ約20cmの土砂が積もり、柱1本が流失。浸水により脱衣所の板間がたわみ、土壁の一部もはがれた。
  湯屋は鎌倉時代に東大寺を再興した重源上人が、当地で用材を確保するのに当たり、材木を切り出す人夫のためにつくったものといわれ、国の重要有形民俗文化 財に指定されている。鉄の湯釜や石の湯船、石敷きの洗い場などが残っている。また重源の湯屋の伝統を継ぐ石の湯船を再現した石風呂も現在も体験入浴が行わ れているが、修復が終わるまで使用を見合わせるという。

● キトラ古墳壁画現地保存を断念へ(2009年7月30日)
 明日香村阿部山のキトラ古墳からはぎ取った極彩色壁画について、文化庁の古墳壁画保存活用検討会の作業部会は「石室へ戻すことは技術的に不可能」とする意見で一致した。
石室を解体して修復中の高松塚古墳(明日香村平田)の国宝壁画の保存方法にも影響を与えそうだ。
  キトラ古墳の壁画は、下地のしっくいがはがれ落ちる危険があり、カビも広がっていたことから、平成16年に朱雀などの四神図や十二支図、天文図を剥ぎ取っ て修復していた。しかし、今後石室に戻した場合、湿度が高いためカビの発生が避けられず、技術的に壁画の劣化が防げないことから断念せざるをえないとい う。

● 神奈川・中沼薬師堂の薬師如来坐像修理完了(2009年7月29日)
 南足柄市の中沼薬師堂(平安時代─1011年建立)に納められている、市指定重要文化財の中沼薬師如来坐像の修復が完了した。
 薬師如来坐像はかやの木の一木造りで、像高91.5cm。12年毎の寅年にご開扉が行われているが、来年が寅年で、同時に建立1000年を迎える節目の年になる。
 2年前に調査を行ったところ、痛みが激しく、腰から膝の部分などが作り直されていることが分かったことから、右手指の欠損や背面などを修復し、膝部を造り直すなど当初の姿に戻したという。
 
修理前                 修理後

● 防府市豪雨災害避難時に仏像破損(2009年7月27日)
 山口豪雨災害で、防府市指定の有形文化財などの仏像5体を市教委が避難させる際、数カ所が破損していたことが分かった。
5体とも平安後期の作とみられ、このうち薬師如来坐像が市有形文化財。いずれも同市中山の薬師堂に納められていた。
 豪雨で薬師堂の裏山の斜面が崩れ、大量の土砂が建物を直撃し、住民の連絡で市教委文化財課の職員が現地を訪れた。
 ブルーシート以外に仏像を保護する材料を持参しておらず、住民たちがタオルや毛布を提供。課員が運んだ際、薬師如来坐像の左手や腰から下の部分が外れた。別の仏像は台座の飾り数枚が外れたという。

● 京都・泉涌寺楊貴妃観音内胎内に五輪塔(2009年7月25日)
 京都市東山区泉涌寺の「楊貴妃観音」として知られる観音菩薩坐像(重要文化財)の胸部に、舎利(遺骨)3粒が入った高さ約3.6cmの五輪塔とみられる納入品がエックス線撮影で確認された。
 像は木造で像高115cm。面長で豪華な宝冠などが宋代の装飾趣味を伝える。鎌倉時代、泉涌寺の湛海が宋から帰朝する際に持ち込んだ可能性が高い。
 五輪塔は、本像が南宋時代(13世紀)の中国で制作された際に納められたとみられが、五輪塔を胎内に納入する例は国内では12世紀から作例があるが、国内以外では確認されておらず、湛海が中国で工人に観音像の制作を頼んだ際、五輪塔納入を指示した可能性もあるという。

● 京都・清凉寺に収蔵されている扉絵旧厨子のものと判明(2009年7月24日)
 京都・清凉寺に収蔵されている扉絵が、「三国伝来の釈迦」として知られる同寺の本尊、釈迦如来立像(国宝)を安置した旧厨子のものと見られることがわかった。
 扉絵は4面あり、縦168cm、横44〜50cm。金光明経が説く四天王や吉祥天など12体の神々が描かれている。
 扉絵は描き方などから鎌倉時代後期に描かれたと見られるが、大きさや形状が江戸期に作り直された現在の厨子と扉の大きさや一致したことから判明した。
 宋では、金光明経の神々を描いた図像を掲げ、国家鎮護を祈る法「金光明懺(せんぽう)法」が営まれていた。扉絵はこの図像に似ており、像と一緒に法会も伝えられ、ある時期まで清凉寺でも営まれていた可能性が高いという。
扉絵は、奈良国立博物館で8月30日まで開かれている特別展「聖地寧波」で、釈迦如来立像(7月30日まで)と共に寺外初公開されている。

● 日本伝統建築技術保存会を選定保存技術保存団体に認定(2009年7月18日)
 文化財修理などを手がける全国の大工らでつくる特定非営利活動法人(NPO)「日本伝統建築技術保存会」が、国の文化審議会で、「選定保存技術保存団体」に認定するよう文部科学省に答申された。
 同保存会は国宝や国の重要文化財の修理を手がける大工や工務店経営者が日本古来の「建造物木工」技術の継承と伝承者育成を目的に2000年に設立。2004年にNPO法人化した。正会員を中心に賛助、特別会員らを合わせると総会員439人。
 任意団体として発足以来、文化財建造物修理の理念や知識、基本的な木工技能の習得を目指して、技能者養成研修や講演会、研究会を開き、技術伝承者の育成及び普及啓発活動に尽力してきた。

● 奈良・8寺院が十一面観音像のホームページを立ち上げ(2009年7月15日)
 十一面観音像を安置する県内の8寺院が、それぞれの仏像と寺を紹介するホームページを立ち上げた。
 十一面観音は古くから多くの信仰を集めており、8体を巡って88の顔を拝観すると「子供の13歳、女性の33歳、男性の42歳」とされる厄年の合計88と同じ数になり、人生におけるすべての厄災から救われるという。
  奈良県内には多くの十一面観音像があるが、巡礼する定番コースはなかったことから、海龍王寺が昨年提案し、来年の平城遷都1300年祭を前に、法華寺(奈 良市)▽大安寺(同)▽西大寺(同)▽海龍王寺(同)▽聖林寺(桜井市)▽長谷寺(同)▽室生寺(宇陀市)▽法輪寺(斑鳩町)が「大和路 秀麗 八十八面 観音巡礼」(http://www.kairyuouji.jp/kannon.html)を立ち上げた。HPではそれぞれの仏像の解説があり、各寺の HPも紹介されている。

● 阿修羅像をCTスキャンで撮影(2009年7月11日)
 九州国立博物館(福岡県太宰府市)で奈良・興福寺の阿修羅像が7日午前、九博のCTスキャン装置で調査された。
 CTスキャン装置は、対象物に触れずにX線であらゆる角度から透視し、いくつもの断面映像を写し撮ることができる。それらのデータを元に、内部構造の3次元的な把握が可能となる。
  阿修羅像は麻布を何枚も漆で張り合わせた脱活乾漆という技法が使われており、内部にはいくつもの木組みが入っている。九博は、木組みがどのように組み合わ されているのかなど、阿修羅像の制作技法を詳しく分析する予定。天平の造形の謎に、科学的に迫る手がかりになりそうだ。

● 神奈川・中沼薬師堂の薬師如来坐像が修復を終え里帰(2009年7月11日)
 神奈川県南足柄市中沼の中沼薬師堂の薬師如来坐像(市指定文化財)が、1年にわたる修復を終えて薬師堂に戻された。
 薬師如来坐像はカヤの一木造で、像高90cm。薬師堂が建立された1011年ごろの制作と考えられている。
 2010 年に建立1000年の記念祭を開くため、調査したところ、右手中指と薬指が欠損し、背中やひざに粗雑な修復が施されていたほか、後光を表す光背と台座の傷 みが激しいことから、修復を行っていた。色あせていた塗装や、緩んでいた部材のつなぎ目が修繕され、姿がよみがえった。



 

● 興福寺三重塔の弁才天像七夕の日に公開(2009年7月8日)
 奈良市の興福寺で7日、国宝・三重塔の初層に安置されている弁才天像に祈りをささげる恒例の「弁才天供(く)」があった。
 弁才天像は像高38.5cm、窪(くぼ)弁才天と呼ばれ、江戸時代初期の制作。年に一度、七夕の日だけ公開される。
 三重塔は鎌倉時代初めの建築で、北円堂(国宝)と並び、寺内で最古の建造物。参拝者にも内三重塔の内部が公開された。

● 奈良・吉野山南部遺跡群に石蔵寺宝塔院跡(2009年7月8日)
 奈良県吉野町吉野山南部遺跡群山中に残る平地で、白河天皇(1053〜1129年)が営んだ石蔵寺宝塔院跡が見つかった。
  吉野水分神社から金峯神社に続く尾根沿い一帯を測量した結果、宝塔院跡とされる上岩倉地区最大の平地は2070平方m、金照坊地区の平地も1200平方m 以上と分かった。周辺の斜面には11世紀後半〜12世紀前半の形式の大量の土器が落ちており、上岩倉地区には基壇状の高まりもあり、石蔵寺宝塔院跡とみて ほぼ間違いないという。
 白河天皇は11世紀後半に宝塔の建立を発願し、自らも行幸。藤原道長(966〜1027年)が「その寺はなはだ美なり」と書き残した金照坊も石蔵寺子院の一つとみられている。

● 茨城・菖蒲沢薬師堂の薬師如来坐像修復完了(2009年7月6日)
 石岡市の桑柄山中腹にある菖蒲沢薬師堂の薬師如来坐像(市指定文化財)が、1年以上かけた修復工事を終えた。
 薬師如来坐像は像高1.6mで、漆箔仕上げ。これまで室町時代の作と見られてきたが、今回の修復作業中、1687年に京都の仏師が制作したという趣旨の墨書銘が見つかり、江戸時代の制作と確認された。

● 西大寺旧境内で最古のイスラム陶器出土(2009年7月3日)
 奈良市西大寺新田町西大寺旧境内で、西アジアのイスラム帝国、アッバース朝(750年成立)で生産された8世紀後半とみられるイスラム陶器のつぼの破片が見つかった。
 破片は19個で、旧境内を区画した溝から出土。外側は青緑色、内側は暗緑色で、ガラス質のうわぐすりが厚く塗られていた。「神護景雲二年」(768)と記された木簡と一緒に見つかり、年代が分かった。
 つぼは復元すると高さ50cmチ以上、底の直径11〜12cmもある大型で、イスラム商人が西域特産の「乳香」「バラ水」といった香料やナツメヤシの実を入れて運んだ容器だったとみられる。
 当時、奈良時代の東西交易といえば陸のシルクロードが中心であったが、シルクロードで伝来した宝物が数多く納められている正倉院にも、イスラム陶器はない。
 イスラム陶器は、国内では海外の窓口だった鴻臚館(こうろかん)跡(福岡市)や大宰府跡(福岡県太宰府市)などで出土しているが、小片が多く、いずれも9世紀後半以降のものだった。
  大型の壺は重く、割れやすいことから、航海技術が向上した8世紀後半ごろから、東西アジア間で船に乗せて運ばれるようになった。今回見つかったようなつぼ は、そのルートの途中にあたるインド洋の沿岸地域にある港町の遺跡やマレー半島で多く見つかっているが、東西アジアをつなぐ『海のシルクロード』が平城京 まで続いていたことを示す第一級の史料と考えられる。

 
 出土したイスラム陶器の破片   バーレーンで出土した同種とみられるつぼ

● 京都・妙満寺で13世紀の高麗仏画発見(2009年7月1日)
 京都市左京区の妙満寺で、朝鮮半島・高麗王朝時代の仏画(高麗仏画)が見つかった。
  見つかったのは、菩提樹の下で成仏した弥勒如来が、父母のいる宮殿に戻り、多くの人々を前に説法をする姿を描いた「弥勒大成仏経変相図」。縦約2.3m、 横約1.3mの大作で、金泥を使った衣の細やかな文様や、中央に座る弥勒如来の顔や胸元をぼかしを使って描く輪郭線の優雅な筆致が特徴だ。
 制作年は13世紀末と、これまで年代が判明している高麗仏画では世界で3番目に古いという。

● 奈良唐招提寺金堂解体修理完了(2009年6月30日)
 奈良市五条町の唐招提寺で金堂(国宝)の解体修理工事が完了し、金堂周辺に砂利を敷き直す作業も終わり、金堂を取り囲んでいたフェンスが撤去された。
 正面の石燈籠は笠の欠けた部分を後ろに回して目立ちにくくして元通りに設置されたほか、手水用の吐水盤も元に戻され、天平時代の威容を取り戻した。
  唐招提寺は唐の高僧、鑑真が創建した寺で、金堂は奈良時代のものとしては現存唯一の貴重な建築で、「天平の甍(いらか)」として知られたが、柱が傾くなど 老朽化が進み、奈良県文化財保存事務所が1998年から調査と解体修理に着手していた。内部に安置されている本尊の盧舎那仏坐像(国宝)などの仏像の組み 立て作業は今後も続くため、11月に行われる予定の落慶法要まで、堂内は拝観できない。

● 兵庫・糸田自治会所有の16体 書写山円教寺で公開(2009年6月14日)
 兵庫県旧夢前町糸田大日堂に安置されていた仏像16体が、姫路市書写の書写山円教寺食堂で公開されている。
 糸田自治会が所有する仏像群「糸田大日堂木仏」で、像高は約0.5〜1m、16体中10体はヒノキの一木造り。体の向きや顔の凹凸などから大日如来や地蔵菩薩像などとされている。
  仏像群は江戸時代以前は糸田地区の旧大日堂が所有していたが、明治の廃仏毀釈の際、打ち壊しを免れるため、旧糸田村が所有する形にし、2000年からは町 内にある円教寺ゆかりの法界寺に移された。更に旧夢前町が2006年3月に姫路市と合併したことから円教寺に移されたという。
 流転の歴史を物語るように顔も判別できなくなっている像ばかりだが、10〜11世紀の制作と見られるという。

● 京都・泉涌寺悲田院の宝冠阿弥陀如来坐像が快慶作と確認(2009年6月14日)
 京都市東山区の泉涌寺の塔頭・悲田院が所蔵する宝冠阿弥陀如来坐像が、鎌倉時代前期の仏師・快慶の作であることが、分かった。
 阿弥陀如来坐像はヒノキ材で像高72cm、理知的な眼や表情など、快慶の特徴的な作風が見られ、同院では古くから「快慶作」との伝承が残っていた。
  大津市歴史博物館が特別展「湖都(こと)大津社寺の名宝」で展示するため、調査を実施し、ファイバースコープで胎内を撮影したところ、頭の内部に快慶の銘 文を示す「アン(梵字)アミタ佛」と墨書されているのが確認され、弟子とみられる「忍アミタ佛」「円アミタ佛」「金アミタ佛」らの名もあった。
 宝冠をいただく阿弥陀如来像は天台宗独特で、高僧・円仁が伝えたとされ、全国に十数体残されており、快慶作としては、広島県尾道市の耕三寺所蔵の同坐像(重要文化財)が著名。
 特別展は10月10日から11月23日まで行われる。阿弥陀如来坐像は10月25日まで展示される。

●    京都・宝寿院の阿弥陀如来立像に「定慶」作の墨書(2009年6月6日)
 京都府八幡市美濃山の宝寿院の本尊、阿弥陀如来立像の内部から、鎌倉時代の文暦2年(1235)に「泉州別当定慶」が制作したとの墨書銘が見つかった。
 像はヒノキ材で、像高77.8cm。
  定慶を名乗る仏師は興福寺東金堂維摩居士像(国宝)などを造った春日定慶ら3人の仏師が知られているが、理知的な表情や着衣の表現など、快慶が確立した安 阿弥様(あんなみよう)を受け継いでおり、同時期に活躍した肥後別当定慶とは作風が異なるため、第4の定慶がいたとみられるという。
 また、仏像が壊れているのを見た者は、修理すれば浄土に行けるだろうとの内容の墨書銘もあった。
 阿弥陀如来立像は、現在京都府立山城郷土資料館(津川市山城町)に寄託、公開されている。

● 興福寺・天平伽藍復興へ中金堂基壇復元(2009年6月3日)
 奈良市の興福寺で、江戸時代に焼失した中金堂の基壇部分が復元された。
 11月には、明治時代の発掘調査で出土した金銀などの豪華な鎮壇具(国宝)を再現し、基壇に埋納する。
 再建される中金堂は幅約37m、奥行き約23m、高さ約20mで、二重屋根の天平様式。基壇には凝灰岩が組まれ、壮大な階段も復元された。南側の中門や東西回廊の基壇もすでに大半が復元されている。
 中金堂は奈良時代初めに同寺の中核建物として建立されたが、平安時代以降7度焼失。再建が繰り返され、享保2年(1717)に焼けた後は本格復興はされなかった。
 創建1300年となる来年の10月に立柱式を行い、平成29年ごろの完成を目指す。

● 滋賀・円満院の重文建物、宗教法人が落札(2009年5月31日)
 滋賀県大津市の平安時代創建の門跡寺院「円満院」の重要文化財・宸殿(しんでん)など建物9棟と、国名勝庭園など土地約14,000平方mが競売にかけられ、滋賀県甲賀市の宗教法人が落札していたことがわかった。
  円満院は、葬祭事業や仏像販売などを手掛けて多額の負債を抱え、境内地が1983年から金融機関に根抵当権を設定されるなどしており、 1967 88年には、円山応挙の「絹本著色孔雀牡丹画(けんぽんちゃくしょくくじゃくぼたんが)」など重文9点を売却。1997年には、狩野 派の絵師が描いた宸殿のふすま絵などが競売されて所有者が移転。99年それ以後も宸殿や土地が断続的に競売公告されていた。
 文化財保護法では、文化財の所有者が変更された際の届け出を義務づけているが、競売による所有権移転は規制しておらず、文化庁は「想定外のケース」としている。

● 奈良・箸墓古墳の築造は卑弥呼死亡時期と一致(2009年05月29日)
 奈良県桜井市箸墓古墳の築造時期について、国立歴史民俗博物館が出土した土器に付着した炭化物などを放射性炭素(C14)年代測定した結果、240 260年とする調査結果をまとめた
  箸墓古墳は全長280mで、最初に築かれた巨大前方後円墳。邪馬台国論争の鍵を握る古墳として注目されている。中国の歴史書「魏志倭人伝」によると、卑弥 呼は239年、魏の皇帝に使者を送り、「親魏倭王」の称号と銅鏡を贈られたとされ、「卑弥呼以て死す、大いに冢(つか)を作る」と記載された247年頃と 築造時期が一致し、箸墓古墳が卑弥呼の墓であることは可能性が高くなった。

● 名古屋・天恩寺で地蔵菩薩像頭部から仏舎利、経文など発見(2009年5月27日)
 愛知県岡崎市片寄町の臨済宗天恩寺の本尊、延命地蔵菩薩像の頭部から、630年以上前の創建の経緯が示された文書などが見つかった。
 地蔵菩薩像は像高約45cmで、見つかったのは、最大2mにも及ぶ経文や文書、仏舎利、人間の毛髪、つめなど約20点で、長さ約10cm、直径3cmの漆塗りの紙の筒に入れられた状態で保存され、開眼供養時に納められたとみられる。
  天恩寺は、室町時代に足利将軍家の武将から領地の寄進を受けて、滋賀県東近江市の臨済宗永源寺の高僧弥天永釈(みてんえいしゃく)が1363年に創建した と伝えるが、文書には、1370年を示す年号や弥天永釈など、足利氏と関係が深い人物名があり、寺伝が裏付けられたという。

●    「高田コレクション」帝塚山大に寄贈(2009年5月23日)
 古文化財の研究者としても知られる奈良県斑鳩町、法隆寺の高田良信長老が、半世紀にわたって収集した中国の古瓦や青銅器などを奈良市の帝塚山大学に寄贈した。
 寄贈されたのは、中国・戦国時代から清代の瓦や瓦質タイルのせんなど約80点のほか、中国の青銅器や高松塚古墳出土品に似た海獣葡萄鏡(唐代)、仏、馬具、ガラス玉、モンゴル出土の泥塔などで200点を超える。
 高田長老は小学生時代、兵庫県西宮市の黒川古文化研究所で新羅の宝相華文のの美しさに魅了され、瓦に興味を持った。法隆寺の古瓦も収集し、法隆寺の宝物調査「昭和資財帳づくり」では瓦を寺に戻し、同寺の瓦の基礎資料となった。
 高田長老は「散逸を避けたかった。少しでも社会の役に立つよう活用してほしい」と話しており、同大学では、秋には付属博物館で特別展を開催する。

● 高松塚古墳高精細写真の石室内 資料集とBDセット販売(2009年5月21日)
 奈良文化財研究所は、奈良県明日香村の高松塚古墳の解体直前の2006年に、石室内をデジタルカメラで撮影した高精細写真を掲載した資料集と、ブルーレイディスク(BD)をセットにした冊子を作成した。
 資料集には、髪の毛1本まで見て取れる原寸大の飛鳥美人など41点の写真が掲載され、BDには、1秒間に30枚の写真を使った動画も10分間収録されている。
 6月1日から、橿原市木之本町の奈文研藤原宮跡資料室で200冊を3200円で販売するほか、電話で申し込みを受け付ける。

● 平安神宮、鮮やか構想図伊東忠太の直筆発見(2009年5月21日)
 京都市左京区岡崎の平安神宮の基本設計図とみられる彩色図面9枚が倉庫から見つかった。
  見つかったのは、大判の紙に大極殿や応天門、蒼龍(そうりゅう)・白虎両楼などを20分の1の縮尺で描いた立面図や断面図など9枚。署名は当時の宮内省内 匠(たくみ)寮技師の木子と伊東の連名だが、図面に描き込まれたモダンな人物像が伊東の他の図面にも見られることなどから伊東の自筆と見られる。      
 平安神宮は、明治28(1895)に建てられたもので、日本建築史学の開拓者で近代建築に日本的要素を本格的に取り入れた伊東忠太(1867〜1954)の建築家デビュー作。これまで実施設計図の存在は知られていたが、構想段階の図面が確認されたのは初めてという。

● 奈良・報恩寺の阿弥陀如来坐像修理へ(2009年5月20日)
 奈良県桜井市外山の報恩寺に伝わる平安時代後期の阿弥陀如来坐像が、県の文化財指定を契機に修理されることになった。
 阿弥陀如来坐像は像高約2.1メートルで、来歴は不明だが、廃寺になった粟原寺(同市粟原)の旧仏と伝承されてきた。ヒノキの寄木造で漆箔仕上げ。見開きの大きい目に定朝様式の初期の特色があり、制作は11世紀中ごろにさかのぼるという。
 奈良国立博物館にある財団法人美術院の工房で解体修理が予定されており、2年ほどかかる見込み。

● 当麻寺中之坊本尊を光背亀裂修復(2009年5月16日)
 奈良県葛城市当麻の当麻寺中之坊の十一面観音立像が修復される。
 十一面観音立像は、像高さは83cmで、平安時代(10世紀)の作とされ、重要美術品認定を受けている。都から中将姫を当麻寺へ導いた観音様とされ、特に女性の守り本尊として信仰が厚い。
 様式が合っていなかった光背については、昭和32年からの解体修理で当麻寺本堂から見つかった板光背40面や室生寺仏像の板光背を参考にしながら平安初期の彩色豊かな板光背を再現するという。

● 栃木・光明寺不動明王坐像の修復完了(2009年5月14日)
 栃木県さくら市氏家の光明寺の青銅造不動明王坐像(県文)が、鋳造250年の節目に当たる今年の二年間にわたる修復工事が完了し、5月23日落慶式が行われる。
 不動明王坐像は像高3mで、この大きさで、屋外に安置された青銅の不動明王坐像は珍しいという。


● 平城宮東院庭園(奈良市)などを国史跡に(2009年5月16日)
 文化審議会は、平城宮東院庭園(奈良市)など4件を名勝に、10件を史跡に、2件を登録記念物(名勝地)に登録するよう文部科学相に答申した。
 指定は次の通り。

【名勝】
 ▽別府の地獄(大分県別府市)
 ▽首里城書院・鎖之間(さすのま)庭園(那覇市)
 ▽アイヌの景勝地「ピリカノカ クトゥンヌプリ、ピンネタイオルシペ」(北海道名寄市、石狩市)
 ▽平城宮東院庭園(奈良市)
【史跡】
 ▽宇治川太閤堤(たいこうづつみ)」(京都府宇治市)
 ▽会津新宮城跡(福島県喜多方市)
 ▽高山社跡(群馬県藤岡市)
 ▽武蔵国府跡(東京都府中市)
 ▽増山城跡(富山県砺波市)
 ▽伊賀国庁跡(三重県伊賀市)
 ▽二子塚古墳(広島県福山市)
 ▽隈部(くまべ)氏館跡(熊本県山鹿市)
 ▽棚底(たなそこ)城跡(同県天草市)
 ▽宇江城城(うえぐすくじょう)跡(沖縄県久米島町)
【登録記念物】(名勝地)
 ▽国立西洋美術館園地(東京都台東区)
 ▽鶴舞(つるま)公園(名古屋市)

● 熊本県重要文化財に八代市大門観音堂と薬師堂の鰐口指定へ(2009年5月15日)
 熊本県教委は、八代市坂本町葉木の大門観音堂にある県内最古の「鰐口(わにぐち)」など2件を県指定重要文化財に指定する。
 指定されるのは、地元大門地区自治会が管理する大門観音堂と大門薬師堂の鰐口2点。神社の社殿などに掛ける銅製の音響具で、南北朝時代に作られた。現在も使われており、観音堂のものは県内最古、薬師堂のものは4番目に古いという。

● 奈良・「日吉館」老朽化で取り壊しへ(2009年5月14日)
 奈良市登大路町の旅館日吉館が、老朽化のため取り壊されることになった。
  日吉館は奈良国立博物館北側にあり、1914年の創業で、建物は木造2階建て。NHKドラマ「あおによし」のモデルにもなった女将(おかみ)田村キヨノさ ん(1998年に88歳で死去)が、格安な料金で経営していた。 作家の志賀直哉や歌人で早稲田大学教授だった会津八一、「古寺巡礼」を著した哲学者・和 辻哲郎、評論家の小林秀雄ら多くの文化人が定宿としたが、1995年、田村さんの高齢化などで約80年の歴史に幕を閉じた。
一時はセミナーハウスとして活用する計画もあったが、立ち消えとなっていた。
 所有者は、店舗付き住宅を建設する計画で、文化庁や奈良県は「歴史を物語るシンボルとして今の外観に近い形を残すこと」などをお願いしたいとして話し合いを進めている。

  (所感)学生時代、個人旅行や、合宿などでよく利用させてもらった。ミーティングで、全員二階に上がろうとしたら、田村さんが「床が抜けるからやめて!」 と怒られたことを今でも思い出す。お決まりのお肉一杯のすき焼きの後は、田村さんのお宝だった、会津八一が書いた日吉館の看板の書や手紙などを恐る恐る拝 見するのも楽しみだった。

● 長崎県文化財に晧台寺の山門など指定(2009年5月9日)
 長崎県教委はこのほど、長崎市寺町の晧台寺(こうたいじ)の山門、仁王門、大仏殿を県の有形文化財に、波佐見焼の伝統工芸士、中村平三さんを県の無形文化財に、それぞれ指定した。
 晧台寺は1608年創建の曹洞宗の寺で、山門は1837年、仁王門は1680年、大仏殿は1768年の建築と伝わる。それぞれ建築当初の構造をとどめており貴重な建築物と評価された。仁王門は県内の社寺の門で現存最古とみられる。

● キトラ「朱雀」公開へ-四神そろい踏み  (2009年4月28日)
 明日香村阿部山のキトラ古墳(7世紀末―8世紀初め)の石室からはぎ取られた極彩色壁画の四神図「朱雀(すざく)」を2010年5月15日から6月13日、同村の奈良文化財研究所飛鳥資料館で初めて一般公開する。
 「青竜」「白虎」「玄武」も展示され、四神そろっての公開となる。
 朱雀図は平成19年にはぎ取り、明日香村にある修復施設で、カビと細菌の混合体の除去など保存処置が進んでいる。ただ、絵の表面を覆った泥が乾燥して白っぽくなり、鮮やかな朱色は見えにくくなっているという。   

● 静岡市文化財に最明寺の木造阿弥陀如来坐像など3件を指定(2009年5月2日)
 静岡市は、清水区由比町屋原の最明寺が所蔵する阿弥陀如来坐像、と同所、地持院の木造地蔵菩薩坐像、同区由比入山の摩利支天堂のタブノキの3件を新たに市文化財に指定した。
指定文化財は次の通り。
▽阿弥陀如来座像 像高59.7cm 最明寺 清水区由比町 十三世紀初頭
▽地蔵菩薩座像 像高42.7cm 地持院 清水区由比町 十三世紀初頭
▽タブノキ 高さ25m 摩利支天堂 清水区由比入山


● 奈良・石光寺で白鳳時代の塔跡出土(2009年5月2日)
 ボタンや中将姫伝説で知られる葛城市染野の石光寺の旧境内で、白鳳時代の塔跡とみられる基壇(土台)の遺構が見つかった。
  地盤を固めた基壇の一部(高さ約30cm、幅約2m)が見つかり、基壇の表面を飾る凝灰岩の化粧石断片や白鳳時代の瓦が多量に出土した。基壇は上面が削ら れ、礎石は見つからなかったが、同寺にはこの付近から出土したと伝える塔の心礎が残っていることから、塔跡と判断した。
 基壇は約8m四方、塔は約5m四方と推定、今の当麻寺の三重塔(国宝)より一回り小さい塔だったとみられる。
 石光寺境内からは1991年に、日本最古級の白鳳時代の石仏(高さ1.55mが出土しており、文献通り同寺が白鳳寺院だったことがわかった。弥勒堂は東が正面とみられるため、石光寺は正面から見て右が金堂、左が塔の法隆寺式伽藍配置と考えられる。
 16世紀の当麻寺の絵図にも「染野寺」の名前で本堂と三重塔が描かれていることから、石光寺は創建時から塔、金堂をもち、中世末まで続く大寺院だったことが裏付けられた。

● 大阪・大念佛寺で内部が空洞の阿弥陀如来像発見(2009年5月1日)
 大阪市平野区の大念佛寺阿弥陀如来像の内部が空洞になっており、胸が「卍」字形にくりぬかれていることがわかった。
 像高1.8mで、台座を外すと底板がなく高さ1.5m位置の卍形の胸の穴から外が見えるようになっていた。
 同寺の伝統行事「万部(まんぶ)おねり」で、僧侶がかぶるように身に着け、胸の穴をのぞき窓にして練り歩いたとみられる。

● 奈良・藤ノ木古墳5月2、3日に石室公開(2009年4月27日)
 斑鳩町教育委員会は5月2、3の両日、同町法隆寺西二丁目の国史跡・藤ノ木古墳(6世紀後半)の石室内を一般公開する。墳丘や石室内の整備完了後3回目の公開となる。
 両日とも、午前8時半から1時間ごとの整理券を配布。1時間に150人程度、1日に1000人程度の見学者を予定している。


● 京都・平等院で「後醍醐天皇特別展」(2009年4月25日)
 京都府宇治市宇治の平等院で、ゆかりの後醍醐天皇670回忌を記念した特別展が始まった。
 重要文化財の「絹本著色後醍醐天皇御像」が府内で初めて公開されているほか、「宇治川風俗屏風」や「一遍上人絵伝(国宝)」も展示さる。
 4月25日から5月31日まで。
 後醍醐天皇が元徳3年(1331)笠置山の戦いに敗れ、3種の神器を持って3日間、大書院に滞在したとされる浄土院大書院も初公開される。大書院の公開は、5月23日から31日までで予約制。

● 滋賀の博物館で吉野ケ里遺跡の重文のガラス管玉割る(2009年4月25日)
 滋賀県安土町の滋賀県立安土城考古博物館で、特別展示のために借りていた吉野ケ里遺跡(佐賀県)から出土した国の重要文化財のガラス管玉を誤って落とし、十数個が割れた。
  割れたのは首飾り状に6.8cm〜12cmのガラス管玉を糸でつないだ46個の一部。展示作業のためガラスケースから展示板に載せて取り出した際、約1m の高さからじゅうたんを敷いた床に落とし、ガラス管玉が同士がぶつかり、十数個が割れたり欠けたりした。25日からの特別展への出品は取りやめる。
 吉野ケ里遺跡は日本最大級の弥生時代の環濠集落跡。ガラス管玉は、弥生時代中期のもので、平成元年に出土した、同遺跡を代表する出土品。北墳丘墓から出土した14基の甕(かめ)棺の1つに79個入っていた。

● 京都・夜久野丹波漆林が「ふるさと文化財の森」に認定(2009年4月23日)
 国宝や重要文化財などを後世に伝え残していくために必要な資材を確保する「ふるさと文化財の森」に、福知山市夜久野町で整備が続けられている丹波漆林が選ばれた。
  国宝などの文化財建造物を維持、修理していくにはそれにふさわしい木材、檜皮(ひわだ)、茅(かや)、漆などの資材を確保し、関連する技能者を育成する必 要がある。そこで文化庁は、修理に必要な資材のモデル供給林や研修林となる「ふるさと文化財の森」を設定している。
制度が始まって3年目で、今年度は石 川県金沢市の茅場、福井県越前市の大瀧神社境内林(檜皮)、大阪府河内長野市の茅場、三重県の紀北町など3カ所のヒノキ林、そして夜久野の丹波漆林の計7 件が選ばれた。

●    福島県が国文化財補助全廃 市町村から懸念の声(2009年4月21日)
 福島県は本年度、国庫補助の対象となる国指定文化財と埋蔵文化財の補修、発掘調査に対する県の「かさ上げ補助」を廃止した。
 県文化財課は、補助金全体を見直す中、優先順位を付けると廃止せざるを得なかった。国の補助は出るので、文化財保護に大きな影響は出ないはずと説明する。
しかし、
  文化財へのかさ上げ補助について、東北地方では、宮城県は本年度、遺跡発掘調査事業について休止。秋田県は土地公有化事業などへの補助を打ち切っている。 岩手県は補助額が5年間で約3分の1に減少、青森県でも補助廃止が検討課題に挙がっている。山形県は苦しい中、前年度と変わらないようにしたとしている。
  財政難に伴い各県で補助は縮小されているが、全廃は東北で初めて。国の重要伝統的建造物群保存地区「大内宿」がある下郷町はかやぶき屋根の修理などに本年 度、約200万円の県補助を見込んでおり、このままでは、来年度以降は事業を縮小せざるを得ないなど、各市町村からは文化財保護への影響を心配する声も上 がっている。


● 奈良・室生寺本堂の修理終わる(2009年4月20日)
 「女人高野」として知られる奈良県宇陀市の室生寺で、国宝の本堂・灌頂堂(かんじょうどう)の約半世紀ぶりの修理が終了した。檜皮(ひわだ)ぶきの屋根がふき替えられ、美しい姿に生まれ変わった。
 本堂は延慶元年(1308)建立。幅13m、奥行き12.6mの入り母屋造りで、密教で重要な灌頂の儀式が行われる「灌頂堂」の純粋な形をとどめるとして国宝に指定されている。内部の厨子には如意輪観音坐像(重文)が安置されている。


● 兵庫・随願寺本堂、開山堂、鐘楼など8件を重要文化財に指定(2009年4月17日)
 文化審議会は兵庫県姫路市の随願寺本堂、開山堂、鐘楼など8件を重要文化財(建造物)に指定するよう文部科学相に答申した。
随願寺は奈良時代の創建とされる天台宗の寺院で、姫路藩主榊原家の菩提寺となった。1692年に建立された本堂は、近世密教では県内唯一となる七間堂。装飾的で力感があるのも特徴で、近世の大型密教系本堂として完成度が高い。
 同寺の中興の祖である行基の像を祭った開山堂や鐘楼なども江戸時代の建立。本堂と一体となって山中に厳かで大規模な伽藍を形作っている点が評価された。経堂は、撞木造りと呼ばれる珍しい構造で、礼堂と正堂の2棟がT字形に交差している。

重要文化財に答申されたのは次の通り。
 ▽高島屋東京店(東京都中央区)
 ▽白岩堰堤砂防施設(富山県富山市・立山町)
 ▽忠谷(ちゅうや)家住宅(石川県加賀市)
 ▽旧遠江国(とおとうみのくに)報徳社公会堂(静岡県掛川市)
 ▽随願寺本堂、開山堂、鐘楼(兵庫県姫路市)
 ▽旧魚梁瀬(やなせ)森林鉄道施設(高知県奈半利町・田野町・安田町・馬路村・北川村)
 ▽津嘉山(つかやま)酒造所施設(沖縄県名護市)
 ▽小野家住宅(長野県塩尻市)
重要伝統的建造物群保存地区
 ▽輪島市黒島地区(石川県)
 ▽黒木町黒木(福岡県)


● 横浜・称名寺の金堂壁画新断片発見(2009年4月16日)
 横浜市金沢区の称名寺金堂壁画の新たな断片が見つかった。(写真右端)
称名寺金堂壁画(縦244cm、横317cm)は本尊弥勒菩薩立像背後の壁板で、表側に弥勒菩薩来迎図、裏側に弥勒浄土図がそれぞれ彩色で描かれていた。表裏両面とも左右が切り詰められている。数少ない鎌倉時代末期の板絵とされている。
見つかった断片は縦270cm、横20cmで、裏側の弥勒浄土図の右端につながる絵柄で、四天王が持つ剣の先端などがはっきり見える。
今まではヒノキ板9枚をつなぎ合わせた作品とされていたが、右端の10枚目となる。
2003年の金堂修理の際、本尊を安置する須弥壇の下で発見され、その後取り出されて保存処理を進められていた。
神奈川県立金沢文庫で4月16日〜6月7日に開かれる特別展「称名寺の庭園と伽藍」で断片を初公開する他、弥勒浄土図の写真、復元模写も展示する。


● 三浦三十三観音が12年ぶり中開帳(2009年4月16日)
 三浦半島三市一町の「三浦三十三観音」が十八日から五月十八日までの一カ月間、十二年ぶりの中(なか)開帳を迎える。
  三浦三十三観音は、鎌倉時代初期に三浦半島一帯で起きた大飢饉の際、長井に住む源義経の家臣鈴木三郎重家が人々の救済を願い三浦半島の三十三カ所の霊場を 参拝し、飢饉から救われたことが起源とされる。霊場は三浦札所と定められ、うし年を中開帳、うま年を本開帳として一般公開されるようになった。




● 小田原市文化財に宝金剛寺の薬師如来坐像など3件指定(2009年4月14日)
 小田原市は国府津宝金剛寺の薬師如来坐像と紙本着色西洋童子像及び栄町本源寺の絹本着色 千手観音二十八部衆像の3件薬師如来坐像(=写真 上)」は、調査研究が進められ12世紀半ばに制作されたものとみられている。
指定されたのはつぎの通り。
薬師如来坐像 宝金剛寺 国府津
紙本着色 西洋童子像 宝金剛寺 国府津
絹本着色 千手観音二十八部衆像 本源寺 栄町


● 奈良・西大寺食堂院跡から刀子の帯執金具出土(2009年4月11日)
奈良市の西大寺食堂院跡で、正倉院宝物にもある装飾用小刀「刀子(とうす)」の鞘に付いている金具の一部が出土した。
 刀子は、位の高い貴族などが、ひもを通して腰につり下げていたとされる。
 出土した金具は長さ1.4cmの銅製で、表面に金が付着。ひもを通す輪を鞘に取り付ける部分とみられる。輪を取り付けるため、直径2mmの穴が開いていた。
 以前にも南東約2kmの平城宮跡付近で同様の金具が出土しており、宝物級の金属製品の生産工房が宮跡周辺にあって、正倉院の刀子も周辺で作られた可能性があるという。
 正倉院宝物の「犀角把白銀葛形鞘珠玉荘刀子」は、聖武天皇夫人の橘古那可智(たちばなのこなかち)が752年の東大寺大仏開眼会で献じたとされる。

● 栃木・男体山で「三鈷鐃」出土(2009年4月10日)
 栃木県日光市の男体山の山頂遺跡で、奈良時代のものとみられる密教法具「三鈷鐃(さんこにょう)」が見つかった。
 三鈷鐃は、柄に鈴をつけた形の法具で、読経の際に振り鳴らす。鈴の部分に花びらとチョウの模様が彫られている。ほぼ完全な形で、鈴子も残っており、振ると音が出る。一緒に古刀や土器破片なども見つかった。
 同遺跡では1938年、1959年に発掘調査が行われ、銅製5個、鉄製1個の三鈷鐃(いずれも重文)が見つかっているが、今回の三鈷鐃には、ほかの6点にはない精密な毛彫りの文様があり、保存状態も良く一級品という。
 同様のものは全国でも奈良・東大寺などに残るのみで極めて希少。
 男体山頂遺跡は、1877年に米人類学者エドワード・モースが確認。銅鏡や銅印など古墳時代から近世までの大量の祭祀(さいし)品などが出土し、「山の正倉院」とも呼ばれている。

● 京都・泉涌寺楊貴妃観音は1230 年伝来(2009年4月10日)
 京都市東山区の泉涌寺の楊貴妃観音として知られる楊柳観音菩薩坐(像(重文)が中国・南宋から伝来したのは、従来の説をややさかのぼる寛喜2年(1230)であることがわかった。
 本像は像高130.5cmの木像で、泉涌寺を開いた俊じょう(草冠に仍)の弟子湛海(たんかい)が中国から持ち帰ったとされ、楊貴妃観音堂に安置されている。端正な容姿で、唐の玄宗皇帝が楊貴妃をしのんでつくらせた、との伝承がある。
 伝来した年については、「泉涌寺要集」は寛喜2年としているが、その年に湛海の渡宋記録がないとして、これまでは寛元2年(1244)の誤写とみられていた。
 しかし、昨年の蔵の調査で湛海が寛喜2年持ち帰ったことを書いた額が見つかり、改めて文献などを調べると、湛海は1244年以前にも数回、渡宋しており、額や泉涌寺要集にある通りの1230年頃にも、宋へ行った可能性があることがわかったという。

● 当麻寺が初の東西両塔公開へ(2009年4月10日)
 奈良県葛城市の当麻寺で、来年開催の「平城遷都1300年祭」にあわせ、奈良〜平安時代前期に建立された東西両塔(いずれも国宝)の内部が史上初めて開帳されることがわかった。
 記念事業協会などが同祭の目玉の1つとして、県内の寺社約50カ所を目標に国宝、重要文化財級の建造物や仏像などの特別公開を計画しており、当麻寺が依頼に応じた。
 同寺の東塔(高さ約24m)は奈良時代、西塔(同約25m)は平安時代前期にそれぞれ建てられた三重塔で、東西両塔が創建時のままそろって残る国内唯一の例として知られる。
 東塔は大日如来坐像、西塔は阿弥陀如来坐像などが安置され、塔内の中心を貫き、信仰の対象になっていた心柱を拝観することもできる。両塔内部の公開は2010年5月20日から6月20日の1カ月間。
 1300年祭にあわせた奈良県内の寺社の特別公開は、興福寺の堂や元興寺の禅室(国宝)、春日大社の名宝、吉野町の金峯山寺・蔵王権現立像(重文)や高取町の壺阪寺・三重塔(同)、明日香村の岡寺・書院(同)などの名前が挙がっている。

● 福井県文化財調査報告書未刊行問題で執筆者が自費負担(2009年4月8日)
 福井県が、昭和50年度から平成12年度にかけて刊行予定だった報告書が放置され、19件の調査報告書を未刊行となっていた問題で、予算執行状況不明の13件は執筆者が自費負担する形で20年度内に刊行されることになった。
 報告書は1件につき約300冊を発行し、6件は印刷業者が負担、13件は執筆者の県埋蔵文化財調査センター職員、OB、専門家で負担したという。自費刊行分の費用は計約570万円にのぼり、最高額は吉河遺跡(敦賀市)分の約132万円。
 市民オンブズマン福井は、情報公開の結果と疑問点をまとめ、不明瞭な公金の流れや調査から33年を経過して刊行された報告書の信頼性にも言及し、文化庁へ適切な指導を求める要請文を送るという。

● 奈良・中宮寺跡の金堂跡から柱の根石、創建時からの踏襲裏付け(2009年4月8日)
 斑鳩町法隆寺東聖徳太子ゆかりの中宮寺跡の発掘調査で、金堂跡から創建当初のものとみられる柱の根石が見つかった。
 中宮寺は7世紀前半の建立とされ、室町時代ごろに約500m西の現在地に移った。金堂跡は1963年と84年に発掘調査が行われ、後世に再建・改修されていたことが分かっていたが、さらに詳細な基礎資料を得るため、昨年8月から発掘調査していた。
  基壇の土は、創建時に粘土と砂の層を交互につき固めた版築で作られている。金堂は柱の間隔が約2.6m、基壇は東西17.2m、南北14.6m。基壇は当 初、切り石を積み上げる形だったが、平安〜鎌倉時代の再建時に瓦を積み上げる形に変化。さらに室町時代にかけ土を積み上げる形に変わった。焦土に加え、焦 げた石が新たに出土し、創建時の金堂は焼失した可能性が強まった。再建の際も柱位置は同じという。
 今回確認した18の柱跡は版築を上から掘り込む再建時の穴だったが、東南付近の穴から版築を作る途中で据え付けられたとみられる根石が一つ見つかった。以前の調査でも創建時から柱の位置が変わっていないとされていたが、それを補強する結果という。
 また、別の柱穴からは、焼けた凝灰岩の根石も見つかった。創建時の基壇から転用したとみられ、当初の金堂が火災で焼けた可能性が高まった。
 飛鳥時代前半の金堂で当初の柱の位置が分かる場所は少なく、残存状態の良い中宮寺跡の価値が改めて確認された。

● 善光寺の阿弥陀如来像は快慶か、弟子が制作(2009年3月31日)
 長野市善光寺所蔵の阿弥陀如来立像が、理知的で繊細な快慶様式の特徴を踏襲しており、快慶が存命中に、快慶の工房で作られたことがほぼ間違いないことがわかった。
 阿弥陀如来立像は像高98.5cmで、快慶の様式に似ていることから、昨年東京芸大に調査を依頼していた。
 快慶の真作とされる像の多くには、足や像内に作者名を示す「銘文」が残されており、仏像内部や外部を調べたが、作者を示す銘文は見つからず、快慶本人の作とは確認できなかった。
  しかし、胸元の衣のひだの形状などが一時期の快慶の作品と一致することや、一木から彫り出し、一旦前後に割って内刳を施した後再び合わせる、割矧(わりは ぎ)と呼ばれる構造などが快慶の中期の作風と酷似していることから、快慶の工房で作られたことがほぼ間違いないとする調査結果が発表された。
 ま た、立像内部に縦58cm、横31cmの紙が巻かれて入っており、多宝塔と五輪塔の絵と「南無阿弥陀仏 定快(じょうかい)」の文字が墨で書かれていた。 定快の銘がある仏像が東京都青梅市の寺にあるが、作風が全く異なっていることや、快慶の弟子で「定快」という人物は確認できなかったことから、絵を描いた 僧の名前ではないかという。
 阿弥陀如来立像はお前立の御開帳に合わせ4月1日から善光寺境内の史料館に展示される。

● 福島・慧日寺跡の中門復元工事終わる(2009年3月31日)
 福島県磐梯町の国史跡「慧日寺(えにちじ)跡」で進められていた中門の復元工事が終わり、落成式が行われた。
 中門は、幅5.85m、奥行き3.9m、高さ5.5m。1200年前の建築様式を再現し、板ぶきの一種、栩葺き(とちぶき) を採用した。
 慧日寺は、大同年間(809〜810)、僧侶徳一が磐梯山麓山開いた山岳寺院。長く会津の仏教文化の中心的な役割を果たした。明治初期の廃仏棄釈で廃寺となったが、発掘調査結果に基づき、昨年4月に金堂が復元された。

● 奈良県文化財に桜井市の報恩寺・阿弥陀如来坐像など7件を指定(2009年3月31日)
 奈良県教育委員会は大和郡山市材木町の薬園寺(やくおんじ)本堂(江戸時代)や桜井市外山の報恩寺・木造阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)(平安時代)など5件を有形文化財に、各1件を史跡と無形民俗文化財に指定する。
【有形文化財】
▽阿弥陀如来坐像 報恩寺 平安時代 桜井市外山
 報恩寺の木造阿弥陀如来坐像は、像高218.8cmでヒノキの寄木造。肩幅のある体と低く平らな足に安定感があるのが特徴で、11世紀に造られた作られたの大作は数少なく価値が高い。
▽薬園寺本堂 江戸時代 大和郡山市材木町
▽紙本著色競馬図(くらべうまず) 春日大社 室町時代 奈良市
▽舞楽装束「迦陵頻羽根(かりょうぴんはね)」「胡蝶羽根(こちょうはね)」 手向山八幡宮 平安時代 奈良市
▽県行政文書 6695点 明治〜大正時代
【史跡】
▽大和天神山古墳 古墳時代前期 天理市
【無形民俗文化財】
▽櫟原のオハキツキ 平群町櫟原(いちはら)

● 奈良市文化財に春日大社の絵画など3件を指定(2009年3月31日)
 奈良市教育委員会は、春日大社所有の絵画など2件と考古資料「三角縁吾作銘二神二獣鏡(さんかくぶちごさくめいにしんにじゅうきょう)」の計3件を新たに市指定文化財に指定した。
 指定されたのは次の通り。
▽絹本著色鹿島立神影図(けんぽんちゃくしょくかしまだちしんえいず) 春日大社 1383年
▽三角縁吾作銘二神二獣鏡 弥勒寺 中町 3世紀後半

● 神奈川・赤沢観音堂が全焼、仏像4体も焼く(2009年3月30日)
 神奈川県小田原市江之浦の赤沢観音堂から出火、木造平屋約50平方mを全焼し、内部にあった十一面観音像など仏像4体を焼いた。
 観音堂は1989年に建立されたもので、堂内には十一面観音像(像高160cm)など木像3体、石造の如来像(像高40cm)1体があったという。
 事件後、住所不定、無職の男が交番に「火をつけた」と自首したため、放火の疑いで逮捕した。

● 広島県文化財に三原市東禅寺の東禅寺文書など2件を指定(2009年3月29日)
 広島県文化財保護審議会は、三原市本郷町南方の東禅寺に伝わる東禅寺文書などを県指定文化財とするよう県教委に答申した。
 指定文化財は次の通り。
【県重要文化財】
▽東禅寺文書 東禅寺 鎌倉時代から戦国時代(三原市本郷町)
【県史跡】
▽辰の口古墳 4世紀後半(神石高原町) 

● 石川県文化財に北国街道倶利伽羅峠道など3件指定(2009年3月27日)
 石川県文化財保護審議会は二十六日、津幡町内に残る「北国街道倶利伽羅(くりから)峠道 」と羽咋市内にある「ホクリクサンショウウオ生息地」、能登町の「平等寺(びょうどう じ)のコウヤマキ」の3件を県指定文化財として指定するよう、県教委に答申した。
 指定文化財は次の通り。
▽北国街道倶利伽羅峠道(津幡町)
▽ホクリクサンショウウオ生息地(羽咋市千路町)
▽コウヤマキ 平等寺(能登町)

● 奈良・薬師寺の二天王立像、実は四天王だった(2009年3月24日)
 奈良市の薬師寺で保管されていた仏像の破片が、平安時代に造られた四天王立像(重要文化財)の1体と分かった。
 この仏像はヒノキ製で、平安時代の制作。持国天像(像高さ約110cm:写真)と多聞天像(像約113cm)の2体は形が整っており、四天王のうち2体を対でまつる二天王立像として重文指定されていたが、その他の破片も残る2体の可能性が高いとみられていた。
 これらの破片を詳しく調べたところ、首や両手を除く胸から下の部分(約91cm)に復元でき、さらに多聞天と持国天の破片も含まれるていることが分かった。
 また、多聞天像と持国天像は、明治時代の修理で補われた部分も本来の部材に戻された。
 昨年7月には1体が重要文化財に追加指定され、名称も「四天王立像」となったが、3体のいずれにも合わない腕が1本残っており、4体目の可能性が高いという。

● 福井県文化財に小浜高成寺の千手観音立像など4件指定(2009年3月25日)
 福井県教育委員会は、小浜市小浜神田、誓願寺の聖観音立像と、同市青井、高成(こうじょう)寺の千手観音立像など4件をを県文化財に指定した。
 指定されたのは次の通り。
【有形文化財】
▽千手観音立像 高成(こうじょう)寺 平安時代前期 小浜市青井
像高181cmで、全身がほぼ1本の木から彫り出されている。腹部をはじめ、腹部を前方にせり出した豊満な体形で、県内の指定文化財の千手観音立像11体中最も古い像と見られる。
▽聖観音立像 誓願寺 平安時代後期 小浜市小浜神田
像 高100.5cmで、頭部の幅と同じほどに細く絞られた腰やゆったりとした直立姿は奈良時代の様式に近いが、細長い目や衣文の彫りが浅い点から、平安時代 後期に制作されたと推定されている。本像は寺の記録には奈良時代の僧・行基の作と記されており、奈良時代から伝わる像が失われた後、後世に模して造られた 像とも考えられるという。
▽常宮神社拝所(はいしょ)と中門 敦賀市常宮
【無形民俗文化財】
海士坂の送り盆若狭町海士坂


● 奈良・纒向遺跡卑弥呼時代の建物群出土(2009年3月19日)
 奈良県桜井市纒向(まきむく)遺跡女王・卑弥呼と同時期の3世紀前半の建物群が見つかった。
 纒向遺跡は東西約2km、南北約1.5kmで、卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳をはじめ、前方後円墳が誕生した場所。各地の土器が持ち込まれており、邪馬台国やヤマト政権との関係が注目されていた。
 1978年の調査で見つかった5m四方の建物跡を逆コの字状に囲む柵列が出土し、柵列は更に北、南、東の3方向に延び、柵内の建物跡の東に一回り大きい建物跡の一部が新たに見つかった。
 一帯は大規模に整地され、柵で複雑に区画。柱筋は東西方向にそろい、三つの建物が計画的に並んでいた。こうした特異な構造は同時期では例がなく、王権の中枢施設の一角の可能性があるという。

● 福岡県文化財に亀山上皇の木像など4件指定(2009年3月19日)
 福岡県教育委員会は18日、明治時代に建てられた銅像の亀山上皇立像(福岡市博多区東公園)の原型で、九州国立博物館(太宰府市)に保管されている木像や、江戸時代に建築された朝倉市の武家屋敷「安陪(あべ)家住宅」など計4件を、県文化財に指定することを決めた。
指定文化財は次の通り。
【有形文化財】
▽亀山上皇立像原型木像 九州国立博物館 明治時代(太宰府市)
▽安陪(あべ)家住宅江戸時代(朝倉市)
【史跡】
▽鹿部(ししぶ)田渕(たぶち)遺跡 (古賀市)
【天然記念物】
▽千手(せんず)川甌穴(おうけつ)群 (嘉麻市)

● 青森の合掌土偶を国宝指定(2009年3月19日)
  文化審議会は、合掌する人の姿をかたどった青森県八戸市の風張1遺跡出土の「土偶」(縄文時代)と、与謝蕪村の水墨画「紙本墨画淡彩夜色楼台図」(江戸時 代)を国宝に、運慶作とみられる「木造大日如来坐像」(鎌倉時代)などの美術工芸品38件を重要文化財、105件の建造物と美術工芸品1件を登録有形文化 財に指定するように答申した。
 答申した国宝、重要文化財は次の通り。
《国宝》
▽謝蕪村筆 紙本墨画淡彩夜色楼台図(個人)
▽青森県八戸市風張1遺跡出土 土偶(八戸市)
《重要文化財》
【絵画の部】 
▽紙本白描東大寺戒壇院扉絵図(奈良国立博物館、奈良市)
▽岩佐勝以筆 紙本墨画淡彩弄玉仙図(摘水軒記念文化振興財団、千葉県柏市)
▽藝愛筆 紙本墨画淡彩山水図(文化庁)
▽紙本白描時代不同歌合絵(東京国立博物館、東京都台東区)
▽伊藤若冲筆 絹本著色菜蟲譜(佐野市立吉沢記念美術館、栃木県佐野市)
▽紙本著色白衣観音図(東福寺、京都市)
【彫刻の部】
▽康勝作 銅造阿弥陀如来及脇侍像(法隆寺、奈良県斑鳩町)
▽ 銅造観音菩薩立像(源勝寺、盛岡市)金銅製で、像高27.3cm。一部切り落とされたり、焼けた跡が残るものの、保存状態は良好。大粒の宝飾をあしらった 胸飾りや腰帯など華やかな意匠で中国初唐から盛唐のごく初期かけての形式を受け継いでいる。日本では法隆寺金堂壁画に典型を見るとこができる。 
▽金春宗家伝来能面(東京国立博物館、東京都台東区)
▽無学祖元坐像(雲巌寺、栃木県大田原市)
▽高峰顕日坐像(同)
▽康音作 木造天海坐像(輪王寺、栃木県日光市)
▽康知作 銅造釈迦如来坐像(同)
▽大日如来坐像(真如苑、東京都立川市)
▽銅造菩薩立像(関山神社、新潟県妙高市)
▽毘沙門天坐像(清凉寺、京都市)
▽性空坐像(円教寺、兵庫県姫路市)
  
     合掌土偶                法隆寺金堂阿弥陀三尊像       源勝寺 観音菩薩立像
  
真如苑 大日如来坐像         関山神社 銅造菩薩立像       清凉寺 毘沙門天坐像

【工芸品の部】
▽濃茶麻地菊棕櫚文様帷子(京都国立博物館、京都市)▽菊蒔絵手箱(九州国立博物館、福岡県太宰府市)
▽光悦作 赤楽茶碗 乙御前(個人)
▽長次郎作 二彩獅子(楽美術館、京都市)
【書跡・典籍の部】
▽顕季集(大東急記念文庫、東京都世田谷区)
▽春日懐紙 紙背春日本万葉集(石川県立歴史博物館、金沢市)
▽平家重筆懐紙 ふねのうち(金沢市立中村記念美術館、金沢市)
▽藤原重輔筆懐紙 たちいつる(同)
▽新修本草巻第十五(武田科学振興財団、大阪市)
▽興風集(大阪青山歴史文学博物館、兵庫県川西市)
【古文書の部】 
▽越中国射水郡鳴戸村墾田図=麻布製(奈良国立博物館、奈良市)▽慈円自筆書状(専修寺、津市)
▽東寺文書 百七通(滋賀県立琵琶湖博物館、滋賀県草津市)
▽忽那家文書 百十三通(個人)
 【考古資料の部】 
▽秋田県胡桃館遺跡出土品(秋田県北秋田市)
▽福島県法正尻遺跡出土品(福島県文化財センター白河館、福島県白河市)
▽三重県斎宮跡出土品(斎宮歴史博物館、三重県明和町)
▽鹿児島県広田遺跡出土品(鹿児島県南種子町)
【歴史資料の部】 
▽映画フィルム「紅葉狩」(東京国立近代美術館フィルムセンター、東京都中央区)
▽埼玉県行政文書(埼玉県立文書館、さいたま市)
▽近代教科書関係資料(東京書籍付設教科書図書館東書文庫、東京都北区)       

● 兵庫県文化財高家寺本堂など5件指定(2009年3月18日)
 兵庫県教委は、明石市高家寺本堂など、計5件を文化財指定した。
 指定文化財は次の通り
【建造物】
▽高家寺本堂(明石市)
▽旧氷上高等小学校校舎 1885年(丹波市) 
【考古資料】
▽藤江別所遺跡出土品(明石市)、名勝
▽円明寺庭園(朝来市)
【無形民俗文化財】
▽秋季祭礼の行事「一ツ物」曽根天満宮高砂市

● 和歌山県文化財に熊野那智大社も女神坐像など11件を指定(2009年3月18日)
 和歌山県教育委員会は那智勝浦町熊野那智大社の女神坐像など11件を、新たに県指定文化財に決めた。
【建造物】
▽和歌祭仮面群 紀州東照宮 鎌倉末期〜江戸初期(和歌山市和歌浦西)
▽鬪鶏(とうけい)神社本殿、西殿、上殿など6棟 江戸時代(田辺市湊)
▽深専(じんせん)寺惣門など3棟(湯浅町湯浅)
【美術工芸品】
▽女神坐像 熊野那智大社(那智勝浦町那智山)
▽那智山経塚出土品一括(那智勝浦町那智山)
▽那智山経塚出土品の那智山 青岸渡寺所蔵分22点(同)
▽山田代銅鐸(どうたく)(田辺市)
【有形民俗文化財】
▽苅萱道心・石童丸関係信仰資料32点(橋本市学文路)
▽葛城山の凍豆腐製造用具21点(橋本市)
【史跡】
▽逆川王子(湯浅町吉川)
【無形民俗文化財】
▽顯國(けんこく)神社の三面獅子(湯浅町)

● 和歌山県文化財に「人魚」のミイラ指定(2009年3月18日)
 和歌山県教育委員会は橋本市の「学文路(かむろ)苅萱(かるかや)堂」に「人魚」として伝わるミイラを県有形民俗文化財に指定した。
 ミイラは全長65cm。外観から、動物の頭と魚の尾を組み合わせたとみられるが、制作された時代などは明確ではない。
 人魚は、全国各地で民間信仰の対象となっているが、都道府県の文化財に指定されたのは初めてという。

● 東京国立博物館で、重文の出土品調査中に折損(2009年3月17日)
 東京都台東区の東京国立博物館で、東大寺山古墳(奈良県天理市)出土の青銅製やじり(国重要文化財)1点が、天理大学と共同で調査していた際に折損したことが分かった。
  同古墳の出土品約200点について学術的報告書を作るため調査した際、。写真撮影終了後の移動中か、その後の取扱作業中に、何らかの負荷がかかって折れた 可能性が高いという。折れたのは、やじりを木などに差し込む部分の約3mmで、内部でさびが進行していたためと見られる。
 博物館では文化庁に報告し修理方法を検討している。

● 奈良・奈良国立博物館
文化財修理の現場公開(2009年3月17日)
 奈良市の奈良国立博物館で、文化財保存修理所の一般公開が初めて行われた。
 事前に申し込みのあった中から7選ばれた約50人が参加し、文化財修理の工程の説明や搬出や解体の流れ、漆器などの装飾で使われる螺鈿や古文書の修理について説明を受け、解体修理中の東大寺の泰山府君坐像(重文)の組み立て作業などを見学した。

● 山形県県指定文化財羽州川通絵図」など二点を指定(2009年3月16日)
  山形県文化財保護審議会は、いずれも最上川でかつて盛んだった舟運を知る貴重な歴史資料として、県立博物館(山形市)の「羽州川通絵図(うしゅうかわどお りえず)」と、宮坂考古館(米沢市)の「松川舟運図屏風(まつかわしゅううんずびょうぶ)」を県指定文化財とするよう、県教委に答申した。
▽羽州川通絵図 江戸時代中期 県立博物館(山形市)
▽松川舟運図屏風 江戸後期 宮坂考古館(米沢市)

● 福島県会津若松市で個人の仏像美術館開館2009年3月16日)
 福島県会津若松市磐梯町本寺地区に個人が趣味で集めた仏像や骨董品を展示する「会津仏像美術館」が開館した。
 美術館は2階建で1階に千手観音立像や不動明王立像をはじめ大小さまざまな仏像約50体、2階には和鏡や香炉、剥製などの骨董品が並んでいる。

● 京都・東福寺、泉涌寺で涅槃図特別公開(2009年3月14日)
 京都市東山区の東福寺と東山区の泉涌寺仏教の開祖・釈迦の命日(15日)に営まれる涅槃会に合わせ、釈迦が亡くなった様子を描いたとされる涅槃図の特別公開が行われた。
 東福寺の涅槃図は縦12m、横6m、泉涌寺の涅槃図は縦16m、横8mで国内最大とされる。

● 奈良・金峯山寺で創建時の平安の瓦出土(2009年3月13日)
 奈良県吉野町の金峯山寺本堂蔵王堂(国宝、16世紀)のそばから、建立当初の蔵王堂にふいたとみられる平安時代後半の瓦が大量に出土した。
 防災用水道管の改修工事のため、蔵王堂周辺の6カ所を調査。建物西側の軒下で幅1m、長さ5mの範囲から平瓦、丸瓦、軒平瓦の破片約200点が出土した。と特定した。
 現在の蔵王堂は檜皮(ひわだ)ぶきであるが、出土した瓦は型式や製法などから平安後期の創建時のものとみられる。
 現在の蔵王堂は1592年に再建されているが、創建時期は寺史などから11〜12世紀ごろと推測されており、今回見つかった瓦と時期が一致する。
 山で瓦をふくのは大変な労力で、当時は高野山や比叡山などでも檜皮ぶきだったことから、よほどの権力者が建立を支援したと考えられるという。
 文献には、1092年に白河上皇が金峯山に詣でたとの記述があり、白河上皇ら、よほどの権力者が建立を支援して蔵王堂が建てられたと考えられるという。

● 静岡県文化財に花岳院宝冠阿弥陀如来坐像など2件指定(2009年3月13日)
 静岡教育委員会は伊東市花岳院の宝冠阿弥陀如来坐像、富士市の旧稲垣家住宅の2件を県指定有形文化財に指定することを決めた。
 宝冠阿弥陀如来坐像は像高約60cm、頭上に宝髻を結い宝冠を被る像で、運慶の作風を引き継ぐ仏師による、鎌倉時代前期の作と推定されるという。
 黒漆塗りで白毫部分に水晶がはめ込まれている。
 指定されたのは次の2件
 ▽宝冠阿弥陀如来坐像 花岳院 鎌倉時代前期(伊東市宇佐美)
 ▽旧稲垣家住宅 明治時代(富士市伝法)

● 奈良・石上神宮で国宝拝殿火災(2009年3月13日)
 奈良県天理市布留町の石上神宮境内にある摂社・出雲建雄(いずもたけお)神社の拝殿(国宝)から出火し、格子戸や縁側、土壁などの表面約5.17平方メートルを焦がした。
 あわや国宝焼失の事態だったが、宿直の職員の素早い消火活動で被害を最小限に食い止めた。
拝殿の7カ所や拝殿東側の摂社・天神社の石の台座に油の跡が2カ所あり、付近には油が入っていたとみられる瓶とライターが見つかった。付近に火の気はないことから、放火の疑いがあるとみられている。
  石上神宮は飛鳥時代の豪族物部氏の総氏神で、拝殿(国宝)や本殿などがある。摂社出雲建雄神社拝殿はかつての内山永久寺(同市)の遺構を移築したもので、 中央の1間が馬道(めどう)と呼ばれる土間の通路で、屋根が優美な弓形の唐破風(からはふ)になっている。左右の2間は縁の付いた板張りの部屋で、格子戸 で仕切られている。

● 大阪・百済寺に造営工房跡(2009年3月12日)
 大阪府枚方市の百済寺跡で、寺の造営や修理を担った工房「修理院」とみられる跡が見つかった。
 寺の北東部分で、釣り鐘などの鋳造のために金属を溶かした炉の破片や、青銅や鉄のくずが出土した。
  百済寺は660年の百済滅亡の際、日本に亡命した王族の末裔、百済王敬福が建立したとされる。 奈良時代以前の寺院は僧侶が過ごし、金堂や講堂、食堂が置 かれた「伽藍地」と、寺の運営を支える職人が住み込みで働き、修理院などがある「付属院地」で構成。発掘調査で修理院の存在が確認されたのは、これまでに 奈良県明日香村の川原寺跡など数例しかない。百済寺跡では、両方の区画を分ける土塁の一部(幅約2m、高さ20cm)も見つかった。

● 京都府文化財に廬山寺兜跋毘沙門天立像など13件を指定(2009年3月12日)
 京都府教委は廬山寺兜跋毘沙門天立像、金戒光明寺絹本著色(けんぽんちゃくしょく)法然上人像など13件を府指定・登録文化財とすることを決めた。
【建造物】
▽石清水八幡宮摂社石清水社本殿、同神水舎、同鳥居、校倉(八幡市)
【美術工芸品】
▽兜跋毘沙門天立像(上京区・廬山寺)
 像の主要部を頭部から下の地天女まで一材から彫り上げ、内刳(うちぐり)を施さない古式の像。胸に刻まれた鬼が天衣を抱える図様は類例がなく表情も古様。10世紀後半〜11世紀前半
▽絹本著色法然上人像(京都市左京区・金戒光明寺)
 法然上人像は弟子の勝法房が描き、法然が鏡を見ながら手直ししたと伝わり、鏡御影(かがみのみえい)と言われる。13世紀後半の作とみられ、原図があったと考えられている。的確に人物の相貌をとらえた描線は鎌倉期肖像画の要素を随所に示す。
▽九条袈裟伝無関普門所用(左京区・天授庵)
▽古久保家文書(上京区・府立総合資料館保管)
▽白川金色院経塚遺物(宇治市)
【無形文化財】
▽絞り染(北区・市瀬史朗氏)
▽鋳込み硝子(左京区・石田亘氏)
▽切子硝子(西京区・渡邊明氏)
【記念物】
▽滝岡田古墳(与謝野町)
【建造物】
▽宝泉寺大師堂(南丹市)真言宗御室派。
【文化的景観】
▽井手町大正池とその水源かん用林景観(井手町)
▽綾部市グンゼの近代製糸産業景観(綾部市)


● 京都・平等院方蓋の塗料に高価な辰砂の粗粒や金銀を確認(2009年3月11日)
 京都府宇治市平等院鳳凰堂の本尊・阿弥陀如来坐像の頭上を飾る天蓋を構成する方蓋の枠組み部分に使われた漆の中に、高価な鉱石や琥珀(こはく)、金銀、孔雀(くじゃく)石が含まれていたことが分かった。
 天蓋は、四角い方蓋(幅4.3m、奥行き3.8m)と、円形の円蓋を組み合わせて構成され、「蛇骨子(じゃぼこ)」と呼ばれるヒノキの枠組みで囲まれている。平等院創建(1053年)当初に作られたとされる。
 調査は平成の大修理で取り外された際に骨組み部分からはがれた数mm四方の剥落片を蛍光X線や光学顕微鏡を使って約1年がかりで行われた。
 赤褐色の枠組みの顔料はこれまで、漆に混ぜてベンガラを用いたとみられていたが、今回の調査の結果、ベンガラより高価な鉱石「辰砂(しんしゃ)」が使われたことが判明。より赤を鮮明にするため、辰砂は0.05〜0.1mm程度の大きな粒子を選んで使われていた。
 さらに、琥珀や金銀、孔雀石も混ぜられたことも分かり、方蓋を作らせた藤原頼通の意向で七宝荘厳の世界を表現したのではないかと見られている。

● 埼玉県文化財に蓮馨寺の古文書「蓮馨寺日鑑」など5件指定(2009年3月11日)
 埼玉県教委は17日、県内の古文書や考古史料など5件を新たに県指定文化財に指定することを決めた。
 指定されるのは次の通り。 
【有形文化財】
▽蓮馨寺日鑑 蓮馨寺(れんけいじ)江戸時代 川越市連雀町
▽吉ケ谷遺跡竪穴住居跡出土品 弥生時代 東松山市大谷
【無形民俗文化財】
▽椋神社御田植祭 秩父市蒔田
▽秩父神社御田植祭 秩父市番場町 
【史跡】
▽宥勝寺裏埴輪窯跡(ゆうしょうじうらはにわかまあと) 本庄市北堀
▽靫型埴輪(ゆきがたはにわ) 本庄市北堀
【選択無形民俗文化財】
▽西久保観世音の鉦(かね)はり念仏 入間市宮寺 

● 新潟県文化財に遍照寺の銅造観音菩薩立像など6件を指定(2009年3月11日)
 新潟県文化財保護審議会、新潟市西蒲区の遍照寺の銅造観音菩薩立像など6件を県の文化財に指定するよう、県教育委員会に答申した。
 指定文化財は次の通り。
▽銅造観音菩薩立像 遍照寺 奈良時代(新潟市西蒲区)奈良時代
 高さ18・4センチ。柔らかな体つきが奈良時代の特徴を示している。県内では奈良時代の金銅仏は少ないという。1360年から同寺に安置され、1960年に旧巻町の文化財に指定された。


▽銅造観音菩薩立像 不動院 奈良時代(見附市)
 奈良時代の金銅仏。にぎやかな胸飾りなどに、中国の隋、初唐の影響を受けた飛鳥時代後期の彫刻の特徴がみられる。
▽伝畠山重宗夫妻坐像 蒲原神社 14世紀前半(新潟市中央区)
▽斎藤家所蔵文書 吉田東伍記念博物館 14―16世紀(阿賀野市)
▽青田遺跡出土品 県立歴史博物館 縄文時代(長岡市)
▽佐渡鉱床の金鉱石 ゴールデン佐渡(佐渡市)

● 奈良・キトラ古墳3年で漆喰すべて剥ぎ取り(2009年3月9日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳で、石室に残る壁画の余白の漆喰がカビなどによる劣化が急速に進んでいるため、文化庁は当初の予定より2年早く、今後3年間ですべてはぎ取る方針を明らかにした。
 絵の周辺のしっくいを優先し、十二支図「辰」「巳」「申」が泥の下に隠れている可能性がある個所は2010年ごろに着手する。
 作業は今後、石室内の温度が低く、カビが発生しにくい5月と12月の年2回、それぞれ1カ月間に集中して実施する。

● 奈良市指定文化財に鹿島立神影図など3点を指定(2009年3月7日)
 奈良市教育委員会は春日大社(春日野町)に残る絹本著色鹿島立神影図(けんぽんちゃくしょくかしまだちしんえいず)2点など3点を新たに市指定文化財に指定した。
 指定されたのは次の通り。
▽絹本著色鹿島立神影図 2点 春日大社 永徳3年(1383)(春日野町)
▽三角縁神獣鏡 古墳時代


● 岡山・餘慶寺薬師如来坐像をデジタル調査(2009年3月7日)
 岡山県瀬戸内市邑久町北島の餘慶寺で、仏像調査では全国的にも珍しい最新の三次元デジタル計測器による本格調査が始まった。
 薬師如来坐像は像高180cmの針葉樹の一木造りで、平安時代前期の制作。
 今回の調査は9日までの4日間で、三次元デジタル計測により各部の法量や制作技術の基礎情報を集めるほか、エックス線撮影で仏像内部も探る。

● 兵庫県文化財に明石市の高家寺本堂など新たに5件(2009年3月7日)
 兵庫県教委は明石市の高家寺本堂など5件を県指定文化財にする。
 高家寺本堂は十七世紀前期に建立された明石最古の寺にあり、中世の仏堂形式を色濃く残す。
 指定されるのは次の通り。
県重要有形文化財
 ▽高家寺本堂(明石市)
 ▽藤江別所遺跡出土品(明石市)
 ▽旧氷上高等小学校校舎(丹波市)
県重要無形民俗文化財
 ▽祭事「一ツ物(ヒトツモノ)」曽根天満宮(高砂市)
県名勝
 ▽円明寺庭園(朝来市和田山町)

● 山形市文化財安養寺の不動明王像など仏像3点を指定(2009年3月4日)
 山形市文化財保護委員会は、同市上反田の安養寺の木造不動明王坐像など3点を有形文化財に指定するよう答申した。
 指定文化財は次の通り。
 ▽不動明王坐像 像高51.2cm  安養寺(上反田)京仏師・鈴木民部作 江戸時代中期
 ▽愛染明王坐像 像高51.8cm 安養寺(上反田)京仏師・鈴木民部作 江戸時代中期
 ▽銅造阿弥陀如来立像 像高47.5cm 源福寺(蔵王成沢)鎌倉時代後期

● 京都御所の3年半ぶり皇后宮常御殿など特別公開 (2009年3月4日)
 天皇皇后両陛下の結婚50年を記念して京都御所(京都市上京区)の特別公開が4月23日から29日まで実施される。
 公開期間は例年の春季一般公開より2日長い7日間で、御所北側の皇后宮常御殿(つねごてん)、飛香舎(ひぎょうしゃ)、若宮・姫宮(ひめみや)御殿が3年半ぶりに公開される。
 昭和34年(1959)の結婚パレードで天皇皇后両陛下を乗せた儀装馬車が初めて展示され、当時のパレードの映像も披露する。

● キトラ壁画はぎ取り後の石室公開(2009年3月2日)
 文化庁は、奈良県明日香村のキトラ古墳で、四神図「朱雀」などの極彩色壁画をはがし終えた石室の内部を報道陣に公開した。
 報道公開は2004年11月以来であったが、壁に塗られた漆喰は茶色く汚れ、カビとみられる数cm大の黒っぽい染みがにじむように広がり、赤い染みも見られるなど、当時撮影された写真と比べて明らかに状態が悪化しており、被害の深刻さが伺えるという。
 壁画のはぎ取り作業は2004年に始まり、昨年11月、天井の天文図を最後に終了した。

● 広島・磨崖和霊石地蔵に保護対策(2009年3月2日)
 広島県三原市佐木島の磨崖和霊石地蔵(まがいわれいし)の塩害による風化を食い止めるため、表面に樹脂を塗って保護する対策に乗り出す。
 和霊石地蔵は、島の南西に位置する向田港の波打際の高さ約3mの花崗岩に彫刻された磨崖式半肉彫の地蔵菩薩像で、左右に刻まれた願文により正安二年(1300)に造られたことが分かる。
 満潮時には地蔵の肩辺りまで海中に没し、干潮時にのみ全体像を見ることが出来る。しかし、長年の潮の干満で地蔵の鼻やあご、願文の一部がはがれ落ち、銘文は判読しにくくなっている。
 三原市は地蔵近くの岩に複数の樹脂を塗り、変色や浸水をチェックした後に最適の樹脂を地蔵に塗るという。



● 栃木・足利学校の孔子坐像防犯のため複製展示(2009年3月4日)
 栃木県足利市昌平町の国史跡足利学校の孔子廟に安置されている孔子坐像(県文)の公開を取りやめ、複製品が展示されることになった。
 孔子坐像は像高77cmの木造で、室町時代の天文四年(1535)の制作。
 一時期、本物に代わって複製が展示されていたが、市民への周知がなされていなかったことから、1992年からは再び本物が展示されていた。 
 本物は今後、国宝の典籍などとともに同学校内の収蔵庫に保管され、文化財一斉公開などのイベントで一般公開される。
 また方丈に安置されている歴代庠主(しょうしゅー校長)や徳川家歴代将軍の位牌などには盗難防止のアクリルケースがかぶせられた。

● 三重県文化財に多気町霊山寺の十一面観音菩薩立像など15件答申(2009年2月25日)
 三重県文化財保護審議会は、15件を県文化財に新たに指定するよう県教委に答申した。
 新指定文化財は次の通り。
▽近長谷寺本堂 近長谷寺 江戸中期 多気町長谷
▽十一面観音菩薩立像 2体 霊山寺観音堂 平安後期 多気町三疋田
▽聖観音菩薩立像 寂照寺 鎌倉時代 中之町
▽薬師如来坐像 心證寺 平安後期 伊勢市楠部町
▽絵画 蓮如・如光上人連坐像 本宗寺 室町時代 松阪市射和町
▽絵画 無外逸方(北畠政勝)寿像浄眼寺 室町時代 松阪市大阿坂町
▽黒漆塗観音浄土彩絵厨子 鎌倉末期から南北朝期 三田寺 伊賀市三田
▽津綟子肩衣(つもじかたぎぬ) 三重県 江戸後期
▽浄眼寺文書 室町時代 浄眼寺松 阪市大阿坂町
▽廰事類編(ちょうじるいへん)(藤堂采女家旧蔵本) 伊賀市
▽陶質土器 木造(こつくり)赤坂遺跡 三重県 古墳時代中期 津市
▽射和文庫並びに竹川竹斎関係資料 江戸後期から明治初期 竹川家 松阪市射和町
▽願之山(がんのやま)行事 陽夫多(やぶた)神社 伊賀市馬場
▽水車谷鉱山跡 江戸時代熊野市紀和町

● 兵庫・光久寺本堂を全焼(2009年2月23日)
 兵庫県姫路市安富町安志の光久寺から出火し、方形造りの本堂(護摩堂-市文)約150平方mを全焼し、更に住居部分を一部焼いた。
 焼失した本堂は江戸後期の1802年ごろに建立されたとみられる。建物の幅と奥行きが同じ「方形造り」で、1997年に市(当時は安富町)の重要有形文化財に指定された。
 本尊の不動明王立像は国の重要文化財だが、普段は本堂北側の文化財収蔵庫に保管されているため無事だった。


● 岡山県重要指定文化財に3件指定(2009年2月21日)
 岡山県教委は、平成21年度の県指定重要文化財等(建造物・史跡)に本源寺、宗形神社鳥居、勝負砂古墳の3件(計2棟11基)の指定を決めた。

指定文化財は次の通り。
▽本源寺霊屋(たまや)、表門、石灯篭 江戸時代(津山市小田中)
▽宗形神社鳥居 室町時代(赤磐市是里)
▽勝負砂古墳 古墳時代(倉敷市真備町下二万)

● 興福寺の波羅門立像の作者は宿院仏師源三郎(2009年2月17日)
 奈良市の興福寺が所蔵する「波羅門(ばらもん)立像」に作者の銘文が見つかり、奈良を拠点に活躍した宿院仏師の一人、源三郎(げんざぶろう)であることがわかった。
  修理のため頭部を横の切れ目に沿って外したところ、継ぎ目に4行にわたり縦書きで「□□シンヤ 源三郎 天正五年四月 三十日」と墨書きされ銘文が見つ かった。源三郎は16世紀の室町後期から安土桃山時代初期に活躍した大工系の仏師「宿院仏師」の三代目。宿院仏師は、
現在の奈良女子大南側の宿院町を拠 点に活動する仏師集団で、もとは工人だったが、仏像の制作や修理に従事するようになった。宿院仏師がかかわった仏像などは多く残されており、源三郎の作と しては奈良市池田町にある薬師如来像や川上村の徳蔵寺の阿弥陀如来像などがある。
 宿院仏師はほとんどの作品に銘文を入れるが、通常は体内などに書かれ、頭を割って書かれるのは極めて珍しい。
    


● 飛鳥寺 中金堂の礎石は葛城産(2009年2月16日)
 奈良県明日香村の飛鳥寺の創建当初の中金堂の礎石が、大阪・奈良府県境の葛城山付近に分布する石であることがわかった。
 礎石は直径約90cmで、現在の本堂の南側に三つ並んでいるが、それぞれの石の組成を調べたところ、いずれも「葛城石英閃緑岩(かつらぎせきえいせんりょくがん)」と判断された。
 飛鳥寺は、蘇我馬子の発願で6世紀末に建立された日本最古の本格的寺院であるが、講堂の礎石には飛鳥地方の石が使われており、周囲の川原寺や橘寺でも葛城石が確認された例はない。
 飛鳥寺発願した蘇我馬子がもともと葛城の地が蘇我氏の本拠地だと考えていたことから、本尊を安置する中金堂の礎石にわざわざ約15kmも離れた葛城の石を使ったと考えられるという。
 日本書紀には、624年に馬子が、もともと葛城の地が蘇我氏の本拠地だとして、領地の割譲を推古天皇に申し出たが拒否された、と記されている。

● 文化財保存修理所:奈良国立博物館、来月11日に初公開(2009年2月14日)
 奈良国立博物館は、文化財修理の意義についての理解を深めてもらうため、貴重な文化財の保存修理のために設置されている「文化財保存修理所」を3月11日に初めて公開する。
 文化財保存修理所は2002年にオープンし、彫刻や絵画などの分野ごとの専門の修理技術者が修理作業をしている。今回は、同館の研究員が修理の行程を解説した後、実際に修理所に行き、窓越しに作業を見学するが、工房への入室はできない。
 公開は午前10時、午後1時、午後3時の3回。定員は各20人。参加は無料だが、希望者は往復はがきで同館に事前に申し込み、希望者が多い場合は抽選となる。

● 岩手県県重文に掛け軸4幅 文化財保護審答申(2009年2月14日)
 岩手県文化財保護審議会は、「紙本著色たたら神図」と「紙本著色鍛冶神図」の掛け軸計4幅を有形文化財(絵画)に指定するよう県教育長に答申した。
  「たたら神図」(縦約1.82m、横約87cm)は、代々たたら製鉄の現場監督であるたたら大工を務めていた岩泉町の個人が所蔵。上半分には、山の神・木 花開耶(このはなのさくや)姫と火の神・三宝荒神が身を変えた如来荒神を、下半分には鞴(ふいご)で風を送ったり、炭を運ぶ人々が描かれており、当時のた たら神や鍛冶神の信仰を探る資料になるという。

 ▽たたら神図 江戸時代前期
 ▽鍛冶神図 3幅 江戸時代前期

● 佐賀県重文に天正18年銘瓦など5件 文化財保護審答申(2009年2月10日)   
 佐賀県文化財保護審議会は、名護屋城跡(唐津市鎮西町)で出土した天正18年銘の瓦、豊臣秀吉が正室おねにあてた自筆書状など5件を県重要文化財に指定するよう答申した。
 天正18年銘文字瓦は、城跡から出土した文字が記された瓦27例中、年号が特定される紀年銘のものはこの1点だけ。天正19(1591)年後半開始と考えられていた築城は、その1年余り前にさかのぼる可能性を示唆する貴重な資料となっている。
 豊臣秀吉自筆書状は、文禄の役の明国使節団との講和交渉直前の文禄2年(1593)5月22日付で正室おね(北政所)にあてたもので、現在確認されている名護屋在陣中の自筆書状12通のうち8通目。秀吉の戦況認識やおねへの思いをうかがい知ることができる。

 県重文に指定されるのは次の通り。
 ▽モルチール砲二門(佐賀城本丸歴史館所有)
 ▽名護屋城跡出土天正18年銘文字瓦(名護屋城博物館所有)
 ▽豊臣秀吉自筆書状一幅(名護屋城博物館所有)
 ▽戦場ヶ谷遺跡出土青銅製鋤先(県教委所有)
 ▽戦場古墳群出土銀象嵌刀装具(県教委所有)

● 東京都指定文化財に百段階段など4件 保護審議会答申(2009年2月11日)
 東京都文化財保護審議会は、都指定文化財候補四件を都教育委員会に答申した。
 有形文化財
 ▽目黒雅叙園 百段階段(昭和十年建築)
 ▽下宅部(しもやけべ)遺跡出土 漆工関連出土品58点 東村山市
 無形民俗文化財
 ▽小留浦(ことずら)の獅子舞 奥多摩町小留浦
 名勝
 ▽哲学堂公園 中野区松が丘

● 唐招提寺金堂立体復元品や図が完成(2009年2月13日)
 奈良市の唐招提寺金堂(国宝)の天井板などに施された彩色文様が風化して消失の危機にあることを受けて、約5年前から取り組んでいた復元図や現状記録図などの制作が完了した。
 金堂内には建立当初から天井付近の大虹梁や天井板、支輪板などに彩色文様が施されているが、残存状況はよくないことから、約5年前から復元を進めていたが、現状記録の白描図64点と彩色復元図24点など計約100点を制作した。
  また、復元図よりも発色を実物に近づけるため実物大のヒノキ板を用いて支輪板や天井板などの立体復元品約10点を制作した。「宝相華」と呼ばれる花文や天 人、菩薩像などの文様が施されていた支輪板(長さ約140cm、幅30cm)の復元では、赤や緑、青系の色で往時の鮮やかさを蘇らせた。現状記録図や復元 図は報告書に記載し、復元品は同寺で保存。一部は公開も検討するという。

● 兵庫・鶴林寺の国宝・壁画の復元模写完成(2009年2月12日)
 兵庫県加古川市の鶴林寺で国宝・太子堂壁画「涅槃図」の復元模写図が完成した。
 涅槃図は縦約170cm、横約190cm。劣化によって色や図柄がほとんど分からない状態だったが、残っていた顔料の分析やX線などによる調査の結果、創建当時の彩色の実物大の復元模写に成功した。

● ドイツの博物館に長野・善光寺前立本尊とそっくりの像(2009年2月10日)
 長野市善光寺の前立本尊の銅造阿弥陀三尊像立像がドイツ・リンデン民族学博物館所蔵の銅造阿弥陀三尊像立像と同じ鋳型で作られた可能性のあることが分かった。
  文化財保存修復学会が2002年に発行した調査報告でこの三尊像の存在が知られ、シュツットガルトにある同博物館で前立本尊の写真やデータと比較した。そ の結果、三尊像の方がそれぞれ数mmから1cm大きいが、袈裟の衣文や体つき、顔立ちが極めて似ており、同じ鋳型で作られたか、一方が他方を原型にして作 られた可能性もあるという。
 リンデン民族学博物館は三尊像を1984年、米国の著名な日本美術収集家ハリー・パッカード(1914〜91年)から購入したという。パッカードは第2次大戦後に滞日し古美術品を大量購入したことで知られている。


 同じ型ならば、鎌倉時代の金銅仏の中でも大変珍しく、同じ型でなくとも、同一の作者、同一の工房と分かるだけでも意味は大きいという。

 
  善光寺お前立三尊像     リンデン美術館阿弥陀三尊像

● 再建二月堂の設計図発見(2009年2月7日)
 江戸時代の火災で焼失した二月堂の再建設計図と見られる図面が同寺で確認された。
  図面は、東大寺図書館で木箱に収まっていた。南北方向を描いたもの(縦2.24m、横2.97m)と東西方向(縦2.25m、横3.4m)の2枚で、いず れも「寛文七年(1667)七月」と記されていた。桁行、梁行の記載が、現在の二月堂の寸法(桁行27.186m、梁行22.458m)と一致した。
 図の下には作成者「鈴木与次郎」の署名がある。与次郎は江戸幕府から派遣された大工「公方之大工」として同年の「東大寺年中行事記録」に登場する。
 二月堂は寛文七年(1667)の修二会中の火災で焼失したが、その前年に修理の予定で与次郎が現地調査をしており、修理の準備が進んでいたため再建もスムーズに進み、2年後の1669年には現在の姿に再建されたと考えられるという。
 東大寺二月堂の修二会(お水取り)を前に奈良国立博物館で始まる特別陳列「お水取り」(2月7日〜3月15日)で、再建設計図と見られる図面が初めて出展される。

● 文化財購入の評価委員名の公開など制度の透明化図る(2009年2月6日)
 文化庁と国立文化財機構は、文化財購入の際の評価額決定に関わる評価委員の氏名公表などを柱とする情報公開の改善策を検討する。
 九 州国立博物館(福岡県太宰府市)の文化財購入をめぐり、価格の基となる評価額決定の経緯に不自然な点があると、民主党議員が衆院予算委員会で指摘した問題 で、文化庁は今後は疑念を持たれないよう、買い取り制度の透明性確保策を検討する。現在は非公表としている評価委員の氏名を、購入決定の次年度に一括して 公表する方向で調整している。
 また、博物館が1700万円以上の文化財を購入した場合、現在は文化財の名称、購入金額、相手先を官報で公示する が、広く認知してもらうため、文化財の写真や解説なども添付し、ホームページ上で紹介することも検討。公開対象となる価格1700万円の引き下げも視野に 入れる。
 これらの情報公開策は、本年度内にも決定される見通しで、九州国立博物館のほか、東京、京都、奈良の各国立博物館でも適用するという。

● 貴重な文化財をデジタル再現(2009年2月6日)
 文部科学省は貴重な文化財や歴史的な建造物をコンピューターなどでリアルに再現して仮想体験する「デジタルミュージアム」の開発に来年度から乗り出す。
 デジタルミュージアムは高精細な映像や触感の再現技術を使って、現在は見たり触れたりできない貴重な文化財の感触を楽しめるよう工夫する。5年間かけて完成して全国の博物館や美術館に普及させ、文化鑑賞を身近にし、教育や日本文化の理解につなげる。
 修復保存のため一般公開されていないキトラ古墳(奈良県明日香村)の石室をドーム状のシアターに立体映像で再現して歩いたり、郷土館に残る写真や史料をもとに東京駅周辺の街並みの変遷を現場にいる感覚で体験できるという。

● 大津市指定文化財に平安期の観音菩薩立像など指定(2009年2月3日)
 大津市教育委員会は、延暦寺の里坊・松禅院(同市坂本本町)が所蔵する観音菩薩立像と地蔵菩薩立像などなど3件を市指定文化財に指定した。
 観音菩薩立像は像高99.3cmで、内刳を施さない古様な様式や、天衣や胸元の筋肉の表現から、8世紀末から9世紀初期の作とみられ、延暦寺の千手観音立像(重文)と並び、比叡山内で最古級の木彫像とみられる。
 地蔵菩薩は、流麗な衣文など、洗練された作風から、10世紀初頭の作とみられ、腹部のくびれを表す2本の彫り込みなど、天台系彫像の特徴が良好に残る。

指定文化財は次の通り。
 ▽観音菩薩立像 延暦寺松禅院 平安時代前期
 ▽地蔵菩薩立像 延暦寺松禅院 平安時代
 ▽和邇今宿自治会中世文書 永仁5年(1297)、弘治2年(1556)

● 京都・高麗寺講堂基壇、異例の3重構造(2009年2月3日)
 京都府木津川市の高麗寺跡で、講堂の基壇の外装が寺院建築では異例の三重構造だったことが分かった。
 講堂は東西約24m、南北約20mで、今回、北西側の基壇を調査したところ、高さ約60cmの瓦積み基壇の底部を確認し、その周囲で、外縁を石で囲った幅約75cmの土壇が巡っていたことが判明。さらにその外側も約15cm低く石が敷かれた三重構造だった。
 講堂の基壇に入念な外装が施された例は極めて珍しく、仏像を安置する金堂並みの高い格式があったとみられるという。
 高麗寺は、7世紀初めに渡来系の狛(こま)氏の氏寺として創建したとされるが、伽藍整備の直前に建立された国営寺院の川原寺(奈良県明日香村)の中金堂を意識して、格式が高いと見せようとした可能性が強いという。

● 奈良・薬師寺の東塔、解体修理へ(2009年1月27日)
 奈良市西の京の薬師寺の東塔(国宝)が7月から、10年間の解体修理に入る。
 東塔は高さ約34mで、各層に裳階(もこし)がつく優美な姿で知られる。建立年代については、天平2年(730)の新築説と、藤原京(694〜710年)からの移築説があり、修理で結論につながる証拠がみつかる可能性があるという。
 解体は明治31〜33年以来1世紀ぶりで、今夏から来春までは調査用の覆い屋が建てられ、来年2月までは解体に向けた調査を進め、その後本工事用の覆い屋を新たに建設して本格的な修理にかかる。このため、今年8月ごろから塔の姿を見ることができなくなる。

● 愛知で新たな円空仏見つかる(2009年01月27日)
 愛知県岡崎市の滝山東照宮で、江戸時代に多くの木彫り仏像を残した僧円空の新たな作品が見つかった。
  仏像は十一面観音菩薩(像高33.5cm)で、滝山東照宮本殿に収納されていた。 微笑をたたえた表情や、胸前で宝珠を持つ姿などから1677年頃の作品 と見られる。という。

円空作の仏像はユーモラスな表情や、粗削り荒削りで奔放な作風で知られ、愛好者も多い。全国で約5200体が発見され、十一面観 音菩薩像では68体目という。

● 奈良・室生寺で金堂内部特別拝観(2009年01月26日)
 奈良県宇陀市室生の室生寺で、金堂内部特別拝観が行われ、通常入堂できない金堂の外陣まで入って、本尊釈迦如来・十一面観音・十二神将他、国宝・重要文化財の諸仏を間近で拝観できる。
 特別拝観期間:平成21年1月10日(土)〜3月1日(日)

● 大分・長谷寺銅造観音菩薩立像 県歴史博物館へ(2009年01月26日)
 大分県中津市三光西秣長谷地区の長谷寺に伝わる銅造観音菩薩立像(県指定有形文化財)が、当分の間大分県歴史博物館に寄託されることになった。

 菩薩立像は総高約40cm(台座含む)で、台座の銘文から大宝二年(702)に周防(現山口県)で造られたことがわかり、奈良時代前期の特徴がある貴重な金銅仏という。
 最近では四月二十日の大祭の際に公開にしていたが、住職が病気になり管理が難しくなったことから、大分県歴史博物館(宇佐市)で当分の間保管することになった。
博物館では常設展示するという。


● 奈良・藤ノ木出土品展示施設起工(2009年01月26日)
 奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳(6世紀後半、国史跡)の出土品を展示する町文化財活用センター(仮称)の起工式が同町法隆寺西1丁目であった。
 斑鳩町文化財活用センターは、奈良地方法務局斑鳩出張所だった1500平方mの土地と建物を利用し、展示棟と管理棟を設け、藤ノ木古墳の出土品や石棺のレプリカを展示するほか、テーマごとに企画展を開いていくという。来年3月のオープン予定。

● 運慶像の胎内納入品画像で鮮明に(2009年1月23日)
 栃木県足利市菅田町の光得寺の大日如来像をCTスキャナーで撮影した3次元画像などが公表された。
  大日如来坐像は、現在佐賀県立美術館で開催中の特別展「運慶流」で公開されているが、事前に九州国立博物館で高性能X線CTスキャナーで撮影した結果、像 の胎内に「仏像の魂」として心臓部に納めたとされる水晶玉「心月輪」を「五輪塔」で固定した状況などがより詳細に分かった。
 大日如来像は像高約32cmと小さいが、堂々たる体格や力強い表情などは運慶ならではの特徴を持ち、昨年3月、米国のオークションで真如苑が落札した大日如来像)とともに鎌倉時代、足利氏の発注で作られた作品とみられている。
 佐賀県立美術館では1月24日から、特別展に合わせて3次元画像や、CTデータから制作された心月輪の樹脂製実物大模型などを公開する。

 
  光得寺・大日如来坐像       X写真     月輪の3次元画像

● 高知・湛慶作?の仏像県文化財に(2009年1月23日)
 高知県文化財保護審議会は、鎌倉時代の仏師、運慶の長男湛慶(1173〜1256)作と見られる大日如来坐像など、計5件を県指定文化財にするよう、県教委に答申した。
 大日如来坐像(像高49.3cm)はヒノキ材で、一木で彫った像を一旦割って内刳を施す割剥ぎ造で、仏像内に宝物を納入するための棚板がある構造など、運慶工房独特の手法が用いられており、運慶第2世代の優れた仏師の作と見られる、と評価された。
 本像は昨年9月、香美市立美術館で公開された。

 指定文化財は次の通り。
  ▽芝居絵屏風 23点 絵金蔵(香南市赤岡町)
  ▽大日如来坐像  鎌倉時代 湛慶作(須崎市上分)
 無形民俗文化財
  ▽市野々の神(こ)踊り(土佐市)
 県史跡
  ▽坂本遺跡窯跡(四万十市)
 県天然記念物
  ▽弘瀬の荒倉神社社叢(宿毛市)

(大日如来坐像については2008年9月26日の記事参照)

● 東大寺の総合文化センター免震室に、三月堂塑像安置(2009年1月23日)
 奈良県東大寺に建設予定の総合文化センターの免震室を設け、法華堂(三月堂)の日光・月光両菩薩立像(国宝)と弁才天・吉祥天両立像(重文)の4塑像を安置することが検討されている。
 日光・月光両菩薩は高さ約2mの長身で、法華堂の本尊・不空羂索観音像の左右に立つ。また、両像の後で厨子に収容されている弁才天像(像高2.19m)と吉祥天像(2.02m)は、顔や腕などの粘土が落ちている。
 4像がおさまる法華堂(8世紀)は寺内で最も古い建物で、これまで大きな地震被害を受けていないとされるが、約20体の仏像を支える須弥壇が年々弱体化しているとも言われ、仏像の地震対策が必要となっていた。
 塑像は乾漆や木彫の仏像よりはるかに地震に弱く、新薬師寺では、十二神将像(8世紀、11体が国宝)のひとつ波夷羅大将像(国指定名称は宮比羅大将像)が安政元年(1854)の地震によって倒壊している。
 東大寺では、やはり塑像の戒壇堂・四天王像(同、国宝)に免震台を導入するための調査も進んでおり、仏像の地震対策が本格化しそうだ。


● 静岡・遠江国分寺跡で七重の塔、間取り判明(2009年1月22日)
 静岡県磐田市見付の遠江国分寺跡で、七重の塔跡の中心の「心柱」の周りに4本あった「四天柱」のうち1本の位置が確認され、柱が17本あったとされる塔の基礎部分の間取りが判明した。
 塔は、心柱の礎石と建物外周南東の「側柱」の礎石が現存しているが、今回のちょうさで、四天柱の礎石の下に敷かれた根石が確認された。四天柱の礎石は持ち去られたとみられるという。
 塔跡ではこのほか、地面から2mの位置に土を交互に積んでたたき締める「版築」が厚さ2m近くにわたり行なわれており、塔が火災に遭った痕跡がないことも分かった。

● 京都・平等院の極楽浄土図の全容明らかに(2009年1月22日)
 京都府宇治市の平等院鳳凰堂の本尊背面壁に描かれた極楽浄土図の全容が明らかになった。
 鳳凰堂の壁画や扉絵計14面は、1972年に一括して国宝指定されたが、仏後壁画は本尊との距離がわずか約70cmと近接し、詳細に調査されていなかった。

  2003年から2005年まで、本尊の阿弥陀如来坐像(国宝)と天蓋を修理のため移したのに伴い、超高精細高密度カメラと近赤外線カメラによる撮影や顔 料調査などを実施して分析した。その結果、壁画は高さ3.4m、幅3.7mで、11枚のヒノキ板を組み合わせており、釈迦がインドの王子らに成仏を予言す る内容の仏教説話「阿闍世(あじゃせ)太子授記」の場面とみられることがわかったという。華やかな舞楽などの描写に、赤色の辰砂(しんしゃ)(硫化水銀) や緑色の亜鉛など当時の絵には珍しい顔料も使われていたほか、銀箔を何枚も重ねて花びらを表現するなど高い技術が使われていた。
 また、これまで 壁画は頼通の没後半世紀ほどたった12世紀初頭に、鳳凰堂の大改修の際に制作されたと伝えられてきたが、釈迦と対面する人物と、そのそばで冠をかぶり従者 を伴って歩く貴人など、創建者である当時の関白藤原頼通をモデルにしたとみられる人物の姿もあり、極楽往生を願い、1053年に鳳凰堂を建てた藤原頼通の 意向を強く反映して描かれた可能性が高いという。

● 愛知・金蓮寺の両脇侍像2体を県の文化財に指定(2009年1月22日)
 愛知県教育委員会は吉良町饗庭の金連寺阿弥陀如来坐像の両脇侍、観音菩薩立像と勢至菩薩立像などを県文化財に指定した。
  阿弥陀如来坐像は、鎌倉時代の作として1955年に県文化財に指定されたが、両脇侍像は江戸時代初期に付加されたものとして指定されていなかった。しか し、最近の研究で蓮の花弁をかたどった台座の形などが同じで、三体一組の形式と判明。後世の作としても優れていることから、今回の指定となった。
 指定文化財
 ▽観音菩薩立像と勢至菩薩立像 金蓮寺(吉良町饗庭)
 ▽牛久保の若葉祭 八幡社(豊川市牛久保町)


● 韓国・弥勒寺塔から金製の舎利器発見(2009年1月22日)
 韓国・全羅北道益山市の弥勒寺跡石塔金製の舎利器をはじめ重要な遺物が発見された。
 発見されたのは、金製の舍利の入った金製舍利壷とその履歴を金版に刻んだ金製舍利奉安記、銀で作った帽子の飾り銀製官飾、寺主名簿と金額を薄い金版に書いた金製小型版など約500点。
 弥勒寺跡石塔は百済第30代武王(在位600〜641)時に建立された現存する最古の石塔で、百済の舎利器は2007年に忠清南道扶余郡の王興寺木塔跡から発見された昌王時代(577年製)舎利器以来、二つ目の発見という。

● 清泉女子大学が「国宝 阿修羅展」の公開講座を開催(2009年1月20日)
 清泉女子大学では、「興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展」が、東京国立博物館で3月から開催されるのに合わせ、この展覧会を鑑賞するための基礎知識が学べる公開講座を開催する。
 講師は、「仏像のひみつ」などの著者で知られる山本勉教授。
 日時:2009年2月14日13:30〜15:00
 講師:山本勉教授(「仏像のひみつ」「続仏像のひみつ」などの著者)
 申込先:清泉女子大学生涯学習センター


● 山口・龍福寺本堂で大内氏邸宅の存在裏付ける柱跡や食器見つかる(2009年1月16日)
 山口市大殿小路の龍福寺本堂で、周防国(山口県)を本拠とした守護大名大内氏の邸宅柱の跡とみられる穴や食器とみられる土器などが発見された。
  本堂の解体修理工事に合わせ発掘調査を行ったところ、現在の地層から約60cm下に、直径15〜30cmの穴が10個、約9mにわたり水平に並んでいるの が見つかった。形状から柱を打ち込んだ跡とみられ、同じ地層からは、16世紀のものとみられる京都風の茶色がかった素焼きの土器も出土した。
 これらは京文化に傾倒した大内義隆が当主の時代のものと見られ、16世紀半ばの大内氏滅亡まで約100年間、邸宅が存在したとする文献の史実を裏付けるものという。

● 金峯山寺・釈迦如来坐像と兵庫県・天部立像の作者が同一である可能性(2009年1月16日)
 奈良県吉野町の金峯山寺所蔵の釈迦如来坐像(県文)と兵庫県所蔵の天部立像(いずれも平安時代初期)の作者が同一である可能性が高いことがわかった。
 昨年、天部立像(像高169.5cm)を奈良国立博物館で美術院が修理した際、釈迦如来坐像(像高83.2cm)と、目が切れ長で鼻やあごが小さく、なで肩で背中が反っている、などの特徴が共通することが確認された。
 また、両像の底に木を削る範囲を決めるために描いた墨の線があり、手首から先などの一部を除き、丸太から像全体を彫り出す技法や、左右にわずかに傾くなどのゆがみもなどあり、作者の癖と思われる特徴も一致している。
 金峯山寺史によると、同寺には廃寺となった周囲の安禅寺や世尊寺などの本尊が安置され、釈迦如来坐像も実城寺の本尊だったとされる。明治の廃仏毀釈以前は一緒に安置されていたと考えられるという。
 両像は5月17日まで、奈良国立博物館本館で展示している。


● 京都・馬場南遺跡で文献に記録ない寺院跡発見(2009年1月14日)
 京都府木津川市の馬場南遺跡で、奈良時代中―後期(8世紀後半)の寺院跡出土した。
  見つかったのは本堂跡や礼堂跡など計4棟。本堂跡は南北4.5メートル、東西4.9メートルで、礎石は直径約30〜50cmで5基見つかった。内側には、 多数の瓦が方形に積み重なっており、付近からは髷(まげ)、甲冑(かっちゅう)を着た胴体部、邪鬼の一部など、塑像片が百数十点が出土した。そのうち目の 部分の破片は出土位置から、須弥山の北東に配置される四天王像の一つの多聞天の一部とみられる。須弥山の四方に等身大の四天王を安置していたとみられる。
  馬場南遺跡周辺では、仏教思想を表現する「須弥山」とみられる三彩陶器片が大量に出土。天皇や大臣クラスの人物を示す「大殿(おとど)」と書かれたり、 「神雄寺」と墨書されたりした土器が見つかっており、「神雄寺」という名の寺があったとみられているが、同名の寺の存在は当時の文献にも記録されていな い。
 約100mの川跡では昨年、万葉歌の「阿支波支乃之多波毛美智(あきはきのしたはもみち)」と書かれた木簡が出土。灯明をともした痕跡がある皿約8000枚も見つかっており、川跡の北側の広場で僧侶らが仏に灯明をささげる燃灯供養(ねんとうくよう)を行ったとみられる。
 須弥山を祭る小寺院だった可能性もあるが、三彩陶器や塑像は高度な芸術性を伴っており、特異な寺院見られる。


● 高松塚古墳の副葬品150点、収蔵庫から「発見」(2009年1月9日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で壁画発見時の1972年に出土した副葬品のガラス玉や大刀の銀製飾り金具などが、県立橿原考古学研究所付属博物館に保管されていたことが分かった。
 見つかったのは、ガラス玉や大刀の銀製飾り金具の他、琥珀玉の破片や金箔、漆塗り木棺の破片や漆喰片など計数千点で、保管用コンテナ13箱に分けて収蔵庫に置かれていた。ガラス玉のうち、136点は直径2〜3mmの水色の粟玉で、過去に941個が見つかっている。
  高松塚古墳は橿考研所員だった網干善教・関西大名誉教授(故人)が発掘したが、発見から半月後に調査と管理が文化庁に移されており、橿考研で保管していた 出土品も1973年1月に文化庁に引き渡したという。同研究所は収蔵庫に残った理由について、引き渡し後、残っていた土などを精査して見つかり、そのまま になっていた可能性があるとしている。
同古墳の出土品は1千点以上が国の重要文化財に指定されているが、今回見つかった副葬品は指定から漏れており、文化庁は今後、重文の追加指定を検討する。
 今回見つかった副葬品は1月17日〜2月15日に同館で展示される。

● 奈良・興福寺で天平の七宝、再現へ(2009年1月8日)
 奈良市興福寺は、創建1300年を迎える2010年に立柱式をめざしている中金堂の再建事業で、天平時代の様式にのっとり、金銀や水晶の宝飾品の「鎮壇(ちんだん)具」を建物下部の基壇に納めることを決めた。
  興福寺中金堂は、710年に当時の権力者の藤原不比等が創建したが、明治期の発掘で仏像を安置する須弥壇部分の基壇から、金の薄板や銀板、水晶玉、琥珀 玉、真珠、銀製の器など約1500点が見つかり国宝に指定された。2001年の調査でも同様の出土物が約300点確認された。
 中金堂は同じ場所で今秋にも着工するが、建物の永続を願い、浄財を募って、「七宝」として金の薄板、銀、瑠璃(青金石)、玻璃(水晶)、しゃこ(シャコ貝)、珊瑚(赤真珠)、瑪瑙の7種と、米や麦などの穀物5種(五穀)を鎮壇具として埋納するという。

● 奈良新聞主催の寧楽-NARA-カレッジ開講
 奈良新聞社では「学ぶ・知る・楽しむ」をコンセプトに、下記のように文化講座『寧楽カレッジ』を開講する。

現地講座 各回とも午後1時開始
2008年11月27日(木) 「聖武天皇の願い」
東大寺長老 森本公誠師 場所:東大寺
2008年12月10日(水) 「春日大社と若宮おん祭」
春日大社宮司 花山院弘匡氏
場所:春日大社
2009年1月28日(水) 「陽気ぐらしへの道」
天理教表統領 飯降政彦氏
場所:天理教本部
2009年2月25日(水) 「聖徳太子の理想」
法隆寺管長 大野玄妙師
場所:法隆寺
2009年3月3日(火) 「三輪山と神まつり」
大神神社宮司 鈴木寛治氏
場所:大神神社
2009年4月14日(火) 「興福寺と唯識」
興福寺貫首 多川俊映師
場所:興福寺

講演会 場所:奈良新聞社本社 西館大ホール(第5回除く)
2008年12月12日(金) 「私のまほろば その一 平城山」
講師:千田稔氏(国際日本文化研究センター名誉教授 奈良県立図書情報館館長)
2008年12月26日(金) 「1300年の歴史が育んだ伝統の食巡礼」
講師:冨岡典子氏(近畿大学講師(非) なら食と農の県民会議委員)
2009年1月16日(金) 「祈りの都、平城京」
講師:千田稔氏(国際日本文化研究センター名誉教授 奈良県立図書情報館館長)
2009年1月30日(金) 「他界空間、古墳を旅する」
講師:辰巳和弘氏(同志社大学教授)
2009年2月13日(金) 「万葉のふるさと、飛鳥へ」
講師:上野誠氏(奈良大学教授 奈良県立万葉文化館万葉古代学研究所副所長)
2009年2月27日(金)  「国宝仏を巡礼する」
講師:西山厚氏(奈良国立博物館学芸部長)

● 京都・清水寺で田村麻呂像祭る堂、99年ぶり今春公開(2009年1月1日)
 京都市東山区の清水寺は、寺の創建にゆかりの深い征夷大将軍・坂上田村麻呂(758〜811)を祭る重文・田村堂(開山堂)内部を、今年3月1日から2カ月間、99年ぶりに公開する。
   田村麻呂は8世紀末、音羽の滝で修行中の僧侶と出会ったことから観音に帰依し、仏殿と観音像を寄進したと伝える。田村堂は檜皮ぶき入母屋造り、8m四方 の建物で、江戸初期の寛永年間に徳川家光の寄進で再建された。田村麻呂1100年遠忌の明治43(1910)年以降、非公開となっていたが、西国三十三所 観音霊場巡り本尊開帳の関連行事として、田村麻呂1200年遠忌の1年前に公開する。
 堂内に置かれた漆塗り唐様式の厨子(重文)には、ヒノキ材の寄木造で衣冠束帯の正装姿をした像高78cmの田村麻呂坐像を安置している。

● 奈良・新薬師寺の金堂跡出土の壺は薬壺か?(2008年12月31日)
 奈良市奈良教育大で10月に出土した新薬師寺の金堂とみられる巨大遺構について、同時にみつかった小壺や周辺から採取した土砂を分析し、謎の多い寺の性格の調査に乗り出す。
 今秋の発掘調査では、建物の土台に当たる基壇を構成した石材などが出土し、金堂本体の東西規模は約60mと世界最大の木造建築である東大寺大仏殿をしのぐ規模であることがわかった。
  同時に金堂遺構の南側の溝から、9世紀ごろの高さ約15cmの須恵器の小壺6個と破片が見つかった。光明皇后が夫の聖武天皇の病気回復を願い建立した寺 で、壺は薬壺の可能性もあり、今後薬草などの成分の有無を調査し、病院的機能を兼ねた可能性のある寺の実態を確認するという。

● 善光寺の阿弥陀如来立像信濃町に由来示す史料(2008年12月30日)
  長野善光寺が所蔵し、鎌倉時代の仏師快慶の作品である可能性が高いとみられている阿弥陀如来立像が、江戸時代の一時期、上水内郡信濃町の誓信寺にあったこ とを示す古文書が見つかった。 古文書は、信濃町の個人が保管する「柏原根元(こんげん)録」で、江戸初期に同町で宿場を開いた中村六左衛門家や宿場の歴 史などを、江戸後期の文政11年(1828)に10代目当主がまとめたとされる。

この中に6代目が1716年ごろ、出家した三男のために町内に誓信寺 を創建し、大本願住職の上人から阿弥陀如来像を本尊として譲り受けたとの記載があった。
 また、信濃町誌などに、誓信寺が明治6年(1873)に廃寺になり、立像は大正以降に善光寺に移ったとされていることも判明。
 立像の台座裏には、文化12年(1815)に信濃町の中村六左衛門が修復したとの説明書きがあるが、六左衛門の署名が10代目の筆跡に似ていることも確認された。

● 東大寺が総合文化センター整備へ(2008年12月29日)
 奈良市東大寺が、仏像や宝物のための収蔵庫と展示施設、図書館を一体化した「東大寺総合文化センター」の新設を計画していることが分かった。
  東大寺には、大仏や法華堂の金剛力士像など、数多くの国宝や重文が安置されているほか、既存の収蔵庫で古文書や仏像、図書館で仏教関係書などを多数保存す るが、いずれも築後40年以上が経過している。そのため十分な防災や空調能力を備えた新たな建物が必要となり、寺の歴史を紹介できる施設を併せ持つセン ターを開設することになった。
 堂内に安置している仏像をに移すことや公開も検討する。国宝や重文を守るとともに、奈良時代に聖武天皇が建立した同寺の歴史を振り返り、仏教の心や文化財の大切さを知ってもらう拠点にするという。
  計画では、境内入り口に当たる南大門の北西にある旧東大寺学園跡地に、鉄筋コンクリート造り地上3階、地下1階延べ約5800平方mの防災設備を充実させ た収蔵庫や展示施設、図書館を設ける。収蔵庫には、地震対策などのため奈良国立博物館に預けている寺宝や堂に安置している仏像を移すことや公開も検討する という。
 講演などに使われてきた既存の金鐘会館は、300人収容の本格的なホールにする。


● 平等院の地蔵菩薩像を初公開(2008年12月27日)
 京都府宇治市の平等院で、塔頭の浄土院本堂に収蔵されている地蔵菩薩半跏像が、解体修理の結果、南北朝時代の仏像であることが分かった。
 菩薩像は蓮の上に着座し左手に宝珠を持った姿。ヒノキの木像で高さ30.5cm。
 江戸時代の作品とされていたが、調査の結果、江戸期の柔和な表情の彩色の下から、南北朝期特有の力強く引き締まった顔立ちが現れ、像の表情や彫り方などの特徴から、14世紀の南北朝時代の仏像と判明した。
 平等院では、宝物館「鳳翔館」で行われる新春展「影向の美」で、12月27日から2009年4月24日まで初公開される。

● 青森・長勝寺本堂の修復工事完了(2008年12月27日)
 青森県弘前市の長勝寺で、老朽化などのため、2004年3月から解体修復工事が進められていた本堂と御影堂が完成した。
 長勝寺は弘前藩主だった津軽家の菩提寺で、本堂は1610年に建立され、曹洞宗の本堂としては日本一古く、国の重要文化財に指定されている。
 本堂は銅板ぶきに変えられていた屋根を杮葺(こけらぶ)きに戻し、明治時代に造られた正面玄関も解体して、正面左にあった創建当時の入り口を復元するなど、創建当時の姿に近づけた。

●  山口で、漢詩辞書「聚分韻略」を県文化財指定(2008年12月26日)
 山口県は、山口県立山口図書館が所有する、明応2年(1493)に県内で刊行された漢詩作製用の辞書「聚分韻略(しゅうぶんいんりゃく)(明応二年大内版)」を県の有形文化財に指定することを決めた。
 聚分韻略は漢詩で韻(発音の種類)を踏むための便宜を図ろうと、韻ごとに漢字を分類した表。著者は鎌倉時代末期の禅僧、虎関師錬(こかんしれん)で、今回の「明応二年大内版」は、以後、各地で数十種刊行されたものの一つ。県内で唯一現存する版という。

● 法華堂の実態に迫る「東大寺シンポ」 奈良教育大で開催(2008年12月22日)
 「東大寺法華堂の創建と教学」をテーマにした「第7回ザ・グレイトブッダ・シンポジウム」が、奈良市高畑町の奈良教育大で開かれ、謎の多い創建時の法華堂(国宝)や本尊・不空羂索(けんじゃく)観音像(同)の実態などについて歴史・考古学、美術史・建築史学から迫った。
 大橋一章・早稲田大教授が「東大寺法華堂 歴史と美術」と題し、大仏殿は薬師寺や大安寺などの官寺を造った最高のエリート集団の新たな目標として造られ、それと同時に進められた法華堂の造立には別の工人たちが携わっていたという説を披露した。
 浅井和春・青山学院大教授が、頭上に宝冠をかむり、八本の腕を持つ八臂の姿で知られる不空羂索観音像についてその形式の源流をインドなどにたどり、同像の王権との結びつきについて述べた。
 後藤治・工学院大教授は、法華堂の礼堂が当初の板張りから土間に変えられことに関し、仏像を高く見せるためで、観音信仰の仏堂として、よりふさわしいたたずまいにしたとの考えを示した。


● キトラ古墳壁画の実物大陶板模型製作へ(2008年12月20日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳で、極彩色壁画の実物大の陶板模型で復元する方針を決めた。
 壁画はカビや細菌などの影響による傷みが激しく、2004年8月から4年3カ月かけて石室から朱雀などの四神や天文図などをはぎ取った。
  しかし、高松塚古墳の国宝壁画は模写が作製されたが、キトラ古墳は作製されていなかった。復元に当たっては、石室内の質感をリアルに表現できる陶板を使用 し、石室内の写真を陶板に焼き付けるなどの案が検討されており、具体的な復元方法や場所は今後検討し、1300年祭のタイミングで公開する予定だという。

● 但馬国分寺跡で奈良時代の墨書土器出土(2008年12月19日)
 兵庫県豊岡市日高町国分寺の史跡但馬国分寺跡で「三綱」と記された奈良時代の墨書土器が出土した。
  三綱は、寺院を束ねる僧侶のトップ3にあたる「上座(じょうざ)」「寺主(じしゅ)」「都維那(ついな)」を指す言葉で、但馬国分寺跡では、1977年の 調査で、今回の発掘現場の南側から、三綱の食事を作る施設である「三綱炊屋(かしきや)」と記した木簡が見つかっており、周囲に僧侶の生活空間だった「大 衆院(だいしゅいん)」の存在が指摘されていた。
 今年10月からの調査で、寺域の東端にあたる南北6mの溝から縦10cm、横5cm、高さ4.5cmの須恵器の破片が見つかり「三綱」と記されていることが分った。形状から食器のおわんと推定され、当時の僧の生活の一端を知る資料となる。

● 兵庫・温泉寺の本尊十一面観音菩薩立像来年4月から特別公開(2008年12月18日)
 兵庫県豊岡市の温泉寺の本尊・十一面観音菩薩立像(重文)が、来年4月から2カ月間、特別公開される。
 十一面観音菩薩立像は像高約210cmのヒノキ材の一木造で、全身に鑿跡を残す鉈彫像。
温 泉寺は城崎温泉を開いたといわれる道智上人が創建した古刹で、平安時代中期、奈良の仏師・稽文(けいもん)が観音像を彫っていたが中風を患い、未完成のま ま城崎温泉へ治療に訪れた。その後、温泉そばの円山川周辺を散歩中、奈良に置いていた未完の仏像が川に浮いているのを見つけ、近くの草庵に安置した。夜に なって観世音菩薩が夢に現れ、「早く我を完成させよ」と告げたため、城崎温泉にとどまり、この像を一気に完成させたという。
温泉寺では毎年4月の「開山忌」にだけ公開しているが、2カ月間という長期の開帳は初めてという。

● 京都・木津川の瓦窯跡で平城宮の瓦工房跡発見(2008年12月17日)
 京都府木津川市の鹿背山瓦窯跡(かせやまがようあと)で、奈良時代中期の粘土採掘場や瓦窯、作業用の通路がそろった工房跡が見つかった。
 軒先を飾る「軒丸瓦」や「軒平瓦」も出土し、少なくとも11点は平城宮の建物の屋根にふかれた瓦と文様が一致し、平城京で使用した瓦の生産拠点の一つだったと考えられる。
 瓦の粘土の採掘から製造、搬出まで、一連の生産の流れが分かる奈良時代の遺跡が見つかったのは全国で初めてという。

● 韓国国立中央博物館で統一新羅彫刻の特別企画展(2008年12月16日)
 韓国・ソウル市竜山区の国立中央博物館で12月16日から来年3月1日まで、特別企画展「永遠の命の鳴動、統一新羅の彫刻」が開かれる。
  今回の特別企画展では、慶尚北道慶州市の栢栗寺にあった像高177cmの「金銅薬師如来立像」や「慶州九黄里金製如来坐像」など国宝10点、宝物9点金銅 薬師如来立像をはじめ、現在日本の東京国立博物館に所蔵されている統一新羅の仏像5点など、7〜9世紀の統一新羅を代表する彫刻品200点余りが展示され る。

● 高知県湛慶の仏像保存へ浄財(2008年12月16日)
 高知県須崎市上分で見つかった鎌倉時代の仏師・湛慶とみられる木造大日如来坐像に、展示会の観覧者や篤志家から計107万円の寄付が寄せられた。
 大日如来坐像は須崎市上分の笹野地区に立つ小堂に安置されてきたが、香美市立美術館で9〜11月に展示され、その後盗難のおそれがあるため同館で保管している。
  大日如来坐像は頭と首が離れた状態になるなど傷んでおり、修理には少なくとも500万円はかかるとみられ、また小堂も老朽化し整備が必要となる。須崎市の 住民らは修復保存実行委員会を組織して、県の文化財指定の申請を進めるとともに、今回の寄付を弾みに引き続き寄付を呼びかけ、修理に必要な資金を確保し地 域で祀っていけるよう進めたいとしている。

● 栃木・輪王寺三仏堂本尊3体も虫食い被害(2008年12月16日)
 栃木県日光市の輪王寺本堂三仏堂にある阿弥陀如来像など3体の本尊が、虫食いの被害を受けていることが分かった。
 三仏堂も同じ被害で修理に着手しているが、調査の結果、内部に収めた像高8mの千手観音像と馬頭観音像を加えた3体の台座と背面部被害が見つかった。
 輪王寺は1953〜61年に解体修理が行われ、仏像への虫食い被害が報告されていることから、被害が拡大している可能性もあると見られる。三仏堂は国の重要文化財だが、3体の仏像は文化財指定はされていない。

● 登録有形文化財に158件答申(2008年12月15日)
 文化審議会は、防府天満宮本殿・幣殿・拝殿など、建造物158件を登録有形文化財に登録するよう、文部科学相に答申した。
 登録有形文化財は築50年以上の建造物が対象。外観を大きく変える際は文化庁への届け出が必要になるが、修理時の設計監理費の半額補助や、建物の固定資産税半減などの優遇措置がある。

 主な登録有形文化財
 ▽防府天満宮本殿・幣殿・拝殿(山口県防府市)
 ▽高岩寺本堂(とげぬき地蔵尊)東京都巣鴨
 ▽妙教寺本堂(1882年建築)(岡山市高松稲荷)
 ▽妙教寺仁王門(1957年建築)(岡山市高松稲荷)
 ▽宝福寺方丈(岡山県総社市井尻野)

● 平等院 雲中供養菩薩像340年ぶり鳳凰堂へ(2008年12月11日)
 京都府宇治市の平等院鳳凰堂内にかつてあったとされ、現在は文化庁所蔵の雲中供養菩薩像が約340年ぶりに堂内に戻された。
 平等院には、ほかに52体の雲中供養菩薩像があるが、本像は江戸時代中期に行われた寛文の大修理の際に院外に流出したとみられている。今秋に平等院が所蔵する別の雲中供養菩薩像が国宝に指定されたことを受けて初めて里帰りし、一時的に堂内に戻されて法要がおこなわれた。
 この雲中供養菩薩像は法要終了後に文化庁に戻され、現在のところ2度目の里帰りの予定はないという。

● 法隆寺金堂にLED照明(2008年12月11日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺で、国宝の金堂内に仏像や壁画の照明設備が設置されることになった。
  法隆寺金堂は世界最古の木造建築物で、壁画の模写が行われていた昭和24年1月に火災が発生。 解体中で仏像は無事だったが、内陣の柱や「世界の至宝」と 言われた彩色壁画は著しく焼損した。火災は電気座布団のショートが原因とみられており、それ以来照明なしで堂内を公開してきた。
 しかし、須弥壇修理の完成を機にタブーだった電気使用に踏み切ることを決めた。熱を持たない発光ダイオード(LED)を堂内に21基設置して、本尊の釈迦三尊像など13体の仏像を上部から照らす形となる。拝観時間内は常時点灯する。

● 高松塚古墳で顔料分析中女子群像に機材で損傷(2008年12月10日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の壁画修理施設で、国宝壁画のうち「飛鳥美人」と呼ばれる女子群像に誤って機器が接触し、傷ができたと発表した。
 事故があったのは先月25日。作業担当者計7人が壁画の顔料分析をするため、機材を使って作業した際、作業後に調査に立ち会っていた担当者が女子像の腰の緑色の顔料が削れ、漆喰の白地が露出しているのに気付いたが、損傷はないと判断していたという。
  しかし、今月8日になって写真を比較した結果、顔料がはがれ、長さ3mm、幅1mmの傷ができているのを確認。9日に壁画を調べたところ、微細な漆喰片が 壁面に落ちていたが、絵の表面からはがれた漆喰片は見つからず、損傷個所の修復は不可能という。損傷個所の状態は安定しており、これ以上傷む恐れはないと いう。
 文化庁が損傷について発表したのは事故発生から2週間後で、修復責任者への報告も公表前日だったという。
 損傷に気がついた直後に修復技術者の慣れた目で捜していれば、破片を見つけた可能性も高かっただけに、庁内での連絡徹底に問題があったと考えられる。
 損傷事故は壁画を修理施設に移して以後初めてだが、石室内での損傷事故は2002年にも起きており、その際は公表しなかったため、当時の文化庁担当課長らが処分されている。

● 神奈川・伊勢原市の文化財や歴史、サイトで紹介(2008年12月10日)
 神奈川県伊勢原市は、市内の指定・登録文化財をはじめ、遺跡・出土品といった埋蔵文化財や市の歴史などを詳しく紹介する「いせはら文化財サイト」を、市のホームページ(http://www.city.isehara.kanagawa.jp/)内に開設した。
 宝城坊本堂(重文)(日向薬師)、鉄造不動明王及び二童子像(重文)(大山寺)など指定文化財61件、登録文化財8件を写真付きで解説。所在地の地図・住所、市史や文化財関連の文献、イベント・講座を紹介している。


● 滋賀・薬師堂で平安期の大量の仏像破片発見(2008年12月13日)
 滋賀県守山市三宅町の薬師堂に保管されていた大量の仏像の破片が、平安時代の木造の仏像の部材である可能性が高いこと分かった。
 如来や天部、菩薩などの形をした仏像部材が100個以上あり、復元すると、少なくとも2体分の坐像(約2.4m)や6体分の等身大の仏像など、少なくとも大小20体分の仏像になるという。
 長さ約160cm、幅約40cmの部材は、腰の肉取りの形や衣文から、11世紀の菩薩像と見られ、この他、螺髪を表した頭部など金箔も残っていた。
 付近は奈良、平安時代を通じて奈良・大安寺の墾田や荘園だった地域でさまざまな形の仏像があるとみられることなどから、荘園内に仏堂に安置された仏像だった可能性があるという。
 薬師堂は、現在は近くの蓮生寺の飛び地になっており、平安時代の木造の仏頭(重文)を戴いた仏像が安置されている。

● 高松塚「白虎」、描線の一部消失(2008年12月11日)
 奈良県明日香村高松塚古墳の国宝壁画で最も劣化が激しく、輪郭などの描線が薄れて消失した可能性が指摘された四神・白虎(西壁)を調べたところ、実際には描線が残っているとみられる部分が十数カ所あることがわかった。
  高精度のデジタルカメラや赤外線などで、肉眼では描線が見えない白虎の背中や目、前脚など約30カ所を調査したところ、左前脚のつめや唇など十数カ所で、 白い物質の下に顔料などの存在が確認できた。白い物質は壁画の下地の漆喰成分が溶け出すなどして壁画を覆っていただけで、除去すれば白虎の姿が現状より明 瞭になる可能性も出てきた。
 一方、背中や目の一部は描線が確認できず、一部で表面をこすったような跡があり、水分を含んで軟らかくなった漆喰が、カビ除去などを行う際に人為的削られた可能性があるという。

● 龍谷大で仏教総覧の大博物館建設(2008年12月11日)
 京都市伏見区の龍谷大学は、仏教の歴史や日本への伝来が分かる仏教総合博物館「龍谷ミュージアム」の建設計画を発表した。
 龍谷大学の創立370周年記念事業の一環。親鸞の750回大遠忌(2011年)にも合わせ、西本願寺の東側にある本願寺会館と本願寺同朋センターの跡地に建設する。
  地上3階地下1階の建物に、約1000平方mの展示スペースを設け、龍大所蔵の国宝「類聚古集(るいじゅこしゅう)」や、中央アジアやインド、中国に派遣 された大谷探検隊が収集した仏像や文書約9000点、本願寺の歴代宗主の蔵書「写字台文庫」約3万点など膨大な資料の一部を現物展示し、インドで生まれた 仏教が日本に伝来する軌跡を分かりやすく紹介する。
 最先端のデジタル技術で復元した、中国トルファンの「ベゼクリク石窟寺院」の仏教壁画の大回廊を原寸大で復元展示する。

● 鎌倉市で寿福寺仏殿など市文化財指定(2008年12月10日)
 鎌倉市教育委員会は、寿福寺仏殿など歴史的、芸術的に価値が高い市内の建造物、絵画、彫刻、工芸作品四件を新たに市文化財に指定した。
 指定された文化財は次の通り。
▽寿福寺仏殿 寿福寺 江戸時代中期
 江戸時代中期の1714年ごろの建築で、鎌倉五山に残る近世仏殿の唯一の遺構。中世禅宗様の仏殿を簡略化した形式で、鎌倉地方の近世建築の特徴を表している。
▽絹本著色(けんぽんちゃくしょく)釈迦如来図 鎌倉市 中国・明時代
▽聖徳太子立像 英勝寺 鎌倉末期〜南北朝時代
▽金銅四天王五鈷鈴(ごこれい) 鶴岡八幡宮 中国・宋時代


● 当麻寺の文亀曼荼羅を修復(2008年12月6日)
 奈良県葛城市の当麻寺で、本尊「文亀曼荼羅(ぶんきまんだら)」(重文)が、約330年ぶりに修復されることになり、本堂の厨子から取り外された。
 当麻寺寺は約1300年前の白鳳時代の創建とされ、「綴織(つづれおり)当麻曼荼羅」(国宝)は、大納言藤原豊成の娘、中将姫が天平宝字7年(763)にハスの茎から取った糸で織り上げたと伝えられ、同寺で秘宝として保存されている。
 文亀曼荼羅は綴織当麻曼荼羅を、文亀2年(1502)に絵師、法橋慶舜(ほっきょうけいしゅん)らが模写したもので、縦3.78m、横3.88mの絹に描かれ、江戸時代の貞享3年(1686)に修復されている。
 本尊は常時公開しているため、ほこりが積もり、彩色の剥落も目立つようになったため、剥落止めや、損傷した絹の継ぎ足しなどを実施する。修復は2011年度までの予定。
修復中は、当麻寺本堂には、江戸時代に模写された「貞享(じょうきょう)曼荼羅」を代わりにまつる。

● 法隆寺の金堂、当初は廟堂か(2008年12月6日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺で金堂は聖徳太子の廟堂として建て始められた建物が(670年)の火災で性格が変更され金堂になった、との見解を鈴木嘉吉氏(元奈良国立文化財研究所長)が発表した。
 今回の金堂の修理に伴う調査で、金堂「東の間」に現在使われていない吊金具が見つかり、金具の位置などから「東の間」にはかつて布製の天蓋がかけられており、これは資財帳に693年に持統天皇から紫の天蓋が下賜されたと記載のある天蓋である可能性が極めて高いという。
 更に金具取付部の木材の顔料の残り具合から、中の間、西の間と、東の間の金具取り付けには約20年近くの時間差があると推定され、金堂の完成は693年より約20年近く前ということになる。
  また、今年、金堂内陣天井板について同研究所の光谷拓実・客員研究員の年輪年代法による調査で、天井板の伐採年が613年〜668年と計測され、金具と年 輪年代法の二つの調査結果から、法隆寺が火災で炎上したとされる670年前後に既に現在の金堂は竣工しており、火災を機に廟堂から金堂へ変身したと結論づ けた。

● 平城宮跡の国営公園化の基本計画を決定(2008年12月6日)
 国土交通省は平城宮跡(奈良市)国営公園化の基本計画を決定した
 基本計画では約130ヘクタールを4ゾーンに分けて整備する。2010年の平城遷都1300年祭までには、第一次大極殿の広場を整備する。一般的な国営公園整備には20〜30年かかるといい、随時整備するという。

● 唐招提寺の千手観音像、慎重に復元中(2008年12月6日)
 平成の解体修理が終わった奈良・唐招提寺の金堂で、8年ぶりに堂内に帰ってきた国宝仏3体を元通りの姿に戻す作業が佳境を迎えた。
 特に気を使うのは千手観音立像(8世紀、高さ5.36m)の手。
  千手観音の手は合計953本。うち、最も大きな10本以外が修理開始の2000年に取り外された。外したもののうち大きい32本はすでに装着が終わり、現 在は小さな911本の取り付けが進む。本体と手に付けられた照合用の番号を頼りに、数人の美術院の技術者が像を囲んだ足場の上で作業を続けている。
 同寺では来年11月1〜3日に落慶法要が営まれる。

● 奈良・唐招提寺金堂建築時の屋根は単純構造(2008年11月28日)
奈良市の唐招提寺金堂の屋根が、建築当初の奈良時代に 小規模な建物によく使われた簡素な構造だったことが分かった。
 金堂は、江戸時代と明治時代に大規模に改修されており、これまでは大梁の上部に別の梁を渡す「二重梁」の構造と考えられていた。
 しかし、調査の結果、柱の上に水平に渡した大梁から、天井の中央部に向かって逆V字形に木材を組んで屋根を支える「叉首組(さすぐみ)」と呼ばれる造り であったことが、軒先を支える部材に残された穴などから分かった。建築当初に大梁だった長さ約9mの木材4本を、江戸時代の改修の際に約5.5mに切りそ ろえて転用したことも判明した。
叉首組の強度は二重梁と変わらないが、奈良時代の寺院の本堂としては極めて珍しく、日本の建築史を知る上で重要な発見という。

● 唐招提寺、落慶法要は来年11月(2008年11月28日)
 奈良市の唐招提寺は金堂の修復工事完了に伴い、落慶 法要を来年11月に行うと発表した。
金堂の改修工事は2000年1月に始まり、本尊・盧舎那仏坐像や千手観音立像を含む国宝の仏像3体も一旦運び出され、修理が行われた。現在仏像は金堂内に 戻されており、今後1年をかけて、解体された千手観音立像の約900本の手を取り付ける作業などが進められている。
落慶法要は2001年11月1日から3日間行われる。釈迦念仏会のほか、舞楽や能、狂言などを奉納する。開祖・鑑真和上がかつて住職だった中国・揚州の大 明寺も法要に参加する予定。

● キトラ古墳壁画最後の星座剥ぎ取終わる(2008年11月28日)
 明日香村阿部山のキトラ古墳で石室天井に最後まで 残っていた星座「天倉」のはぎ取りが終わった。
 最後の作業は、金箔で表した星6個を含む天文図西側の漆喰を、最大縦約6cm、横約7cmで三片に分割して剥ぎ取った。
 昨年7月に始まった天文図の剥ぎ取り作業は下地となる漆喰の傷みが激しく、「ダイヤモンドバンド・ソー」など開発した機材も使えないなど苦労の連続。結 局、計22回、1年5カ月にも及ぶヘラを使った手作業で113片に分割して剥ぎ取った。
 同古墳の天井天文図は直径約61cm、北斗七星やオリオン座(参宿)など68星座を表現。全天天文図では世界最古とされ、金箔の星は痕跡も含めると 277個が確認されている。はぎ取った漆喰の厚さは、0.2mm〜1.8cmとバラバラで、普通に組み立てると凸凹だらけになるため、透明なアクリル板の 上に漆喰を逆さに置き、下から撮った映像を見ながら組み立てることになるという。 計画では、来年1月から修理作業に入り、順調に進めば2011年には公開出来る状態になるという。
 壁画のはぎ取りはすべて終わったが、実際に取り外した漆喰は全体の4割程度。今後も壁画のない残り6割のはぎ取りが残されており、すべての作業が終わる のは4年後になる見込みという。
 最近の調査で泥をかぶっている場所の下に、十二支像の「申」「巳」「辰」が残っている可能性が指摘されている。

● 韓国で50億ウォンの仏像が贋作の疑いで出品中止(2008年11月28日)
 韓国で50億ウォンの仏像として話題を集めていた仏 像が予定されていたオークションの出品が中止となった。
 この大理石の仏像は統一新羅時代の石彫一茎三尊三世仏で、入札価格50億ウォン(約3億2000万円)で出品され、2007年に朴壽根(パク・スグン) の油絵『洗濯場』(45億2000万ウォン)を越えるオークション史上最高価を打ち立てるものと予想されていた。
 しかし、 一部で贋作の疑いが提起されていることから、真偽の如何に関係なく、オークションに出品しないことにしたという。

● 華厳寺本尊に真贋論争(2008年11月26日)
 岐阜県揖斐川町谷汲山で、本尊の十一面観世音菩薩立 像が、寺創建時の本物か途中ですり替わった模造仏かで「真贋論争」になっている。
 華厳寺は、西国三十三カ所霊場巡りの満願札所で、本尊は秘仏として、寺の創建の延暦17(798)年から受け継がれてきたとされる。
 昨年1月に一部の檀家らの依頼で行われた文化財調査で、本尊を確認した仏教美術研究家星野直哉さんが、各時代の特徴が混在しており、面相が面長で、明治 時代に流行した模造仏である可能性を指摘した。
 これに対して、寺側は昨年7月に大阪大学藤岡穣准教授らに鑑定を依頼し、飾りなど一部は近世に付け加えられたとみられるものの、本尊自体の制作時期は飛 鳥時代と考えられると判断された。
 論争の背景には、住職の世襲をめぐる反発もあり、寺側と一部の檀家と対立を深めている。

● 室町仏像に江戸期の顔料(2008年11月26日)
 兵庫県姫路市の円教寺の金剛薩た坐像の顔料に欧州か ら輸入した高価な顔料が使用されていることが分った。
 金剛薩た坐像は、康俊が室町時代初期の1359年に作ったとの銘がある像高36.5cmの彩色像。
 長らく秘仏とされあまり公開されなかったことから退色・変色が少ないと考えられていたが、江戸時代に補修されていることが分った。
 唇や蓮弁の赤には朱(硫化水銀)の上に後年の修理で鉛丹(酸化鉛)が塗られていた。
 蓮弁の青には古代エジプト以来、美しい青として中東や欧州で珍重された鉱物のラピスラズリ、緑には、エメラルドグリーン(花緑青)が塗られていた。
 エメラルドグリーンは、1814年にドイツで工業化された人工顔料で、美しい緑色だがヒ素を含むため毒性があるため、無毒の顔料が1838年に発明され て以降、次第に使われなくなったという。
 仏像のような彫刻文化財の場合、彩色に関する情報はあまり重視されておらず、江戸時代に修復した記録も無いが、江戸時代の19世紀に修理し、色も塗り替 えられた。大切な仏像なので貴重な顔料を使ったと考えられる。

● 飛鳥寺近くで7世紀の石敷き道路出土(2008年11月25日)
 奈良県明日香村飛鳥寺近くで、寺の南側にあった「石敷き 広場」の北東隅とみられる7世紀の石列や石組み溝の跡が、奈良文化財研究所の調査で出土した
 石敷き広場は飛鳥寺と飛鳥京の境に帯状に広がり、南北20.5m、東西65m以上。石列はL字形で、石敷き広場の縁石といい、東側は、両岸 が階段状になった石組み溝(南北の長さ4m以上、東西幅2.6m)と接していた。
 広場の実態は巨大な通路だったとみられており、天皇の宮殿が置かれた飛鳥京の東側を通って南北に延びる主要道路に突き当たり、三差路になっていた可能性 が高い。同研究所は「都の中枢部を結ぶ交通網の一端がうかがえる」としている。大化の改新を主導した中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「槻(つき)の木の広 場」や、外交使節をもてなす迎賓館だった石神遺跡など、重要な施設へ続いたらしい。

● 御廟山古墳を研究者に公開(2008年11月25日)
 宮内庁は、天皇らが埋葬された可能性のある陵墓参考 地、御廟山古墳(堺市)の同市との合同発掘現場を考古学研究者らに公開した。
 御廟山は5世紀中ごろの前方後円墳。研究者ら約40人が、墳丘に沿って前方部から後円部を歩き、約1時間半にわたり12カ所を見学し、宮内庁職員から発 掘の状況や出土した埴輪などの説明を受けたという。
 百舌鳥古墳群で全長200m級の巨大古墳が公開されるのは初めてで、古墳群成立の経緯や、同時期に大阪府内に築かれた古市古墳群との関係を知る重要な手 掛かりにもなる。
 また、陵墓などを宮内庁と自治体が合同で発掘するのは初めてで、29、30日には初の一般公開も行われる。

● 横浜・真照寺毘沙門天像などが市指定文化財(2008年11月11日)
 横浜市教育委員会では、横浜市磯子区の真照寺の毘沙 門天立像など3件を平成20年度の横浜市指定文化財に指定した。
 真照寺の毘沙門天立像は、平成14年に調査が行われ、当時は江戸時代のものであるという結果だった。しかし、平成15年に市歴史博物館で開催された特別 展で江戸時代の作品として展示された際、専門家から異論を唱える声が挙がり、改めて調査が行われ、鎌倉時代以前の作品だと判明した。
 指定文化財は下記の通り。
▽毘沙門天立像 像高150.5cm 一木造 平安時代後期 真照寺 磯子区磯子
▽鶴見神社境内貝塚 鶴見区鶴見中央
▽金沢八景御伊勢山・権現山の樹叢 金沢区瀬戸
12月13日(土)から2009年1月18日(日)まで、横浜市歴史博物館(都筑区中川中央
)で開催される「平成20年度 横浜市指定・登録文化財展」でも一般公開される。

● 長野・善光寺所蔵の阿弥陀如来立像快慶作か鑑定へ(2008年11月22日)
 長野市善光寺が所蔵する阿弥陀如来立像が、鎌倉時代 を代表する仏師・快慶の作風に酷似しているとして、鑑定を受けることになった。
 阿弥陀如来立像は像高さ98.5cmの一木割矧造で、漆箔仕上げ。市内の山中から発見されたと伝わり、古くから本堂の奥に保存されていたが、1999年 から境内の史料館で展示されていた。
 東京芸術大学で調査した所、端正な顔立ちや緩やかな衣の紋が肩の曲線などが、快慶の他の作品と極めて似ていることがわかったという。
 今後は、東京芸大に運び、3次元データやエックス線撮影などを比較検討し詳細に調査を行うという。

● 滋賀・錦織寺の阿弥陀如来坐像の修理完了(2008年11月22日)
 滋賀県野洲市木部の錦織寺の阿弥陀如来坐像の修復が 完了し遷座法要が行われた。
 阿弥陀如来坐像は像高47.4cmで、像容から平安後期(十二世紀後半)の作とみられる。
 元禄7(1694)に火災に遭ったと伝えられ、炭化が著しく、焼け残った部材を集めて仮組した状態になっていたが、これまで本格的な調査が行われておら ず、文化財指定も受けていない。
 修復作業に当たった東京文化財研究所によると、頭部や両脚などは火災後に補われて、表面は炭化したように仕上げられていたのが分かった。また、火災以前 にも修復が数回行われており、造られたときと見られる12世紀末の部材は一部しか残っていなかった。
 修復は現在の姿を踏まえて樹脂で表面を強化し、顔はこれまでの彫り方を生かして復元し、左手首と右ひじから先の部分を新しいヒノキ材で造り替えた。

● 滋賀・新善光寺の本尊銅造阿弥陀三尊像は鎌倉時代作(2008年11月22日)
 栗東市林の新善光寺の本尊の秘仏「銅造阿弥陀三尊 像」が鎌倉時代(13世紀半ばごろ)に作られたと推測されることが分かった。
 三尊像は、中尊阿弥陀如来立像(像高47cm)と両脇の観音菩薩立像、勢至菩薩立像(いずれも像高32.5cm)。秘仏で調査されていなかったが、衣の 質感などから13世紀半ばごろの作風という。寺伝による同寺の創建とも合致する。
 善光寺式三尊像は、鎌倉時代〜近代に制作され、関東を中心に分布しているが、新善光寺の像は神奈川県茅ケ崎市の宝生寺にある像(重文)と作風が似てると いう。
 本像は、栗東歴史民俗博物館の特別展「創造と継承−寺院復興」で、12月7日まで展示している。

● 文化審答申:前田家墓所など史跡に9件答申(2008年11月22日)
文 化審議会(石澤良昭会長)は21日、金沢市と富山県高岡市の2カ所にまたがる加賀藩主前田家墓所など9件を史跡に、2件を名勝に指定するよう塩谷立文部科 学相に答申した。また、宇治(京都府宇治市)と四万十川流域(高知県)の計6件を重要文化的景観に選定するよう答申した

答申されたのは次の通り。
<史跡>
▽加賀藩主前田家墓所(金沢市野田山、高岡市)
▽左沢(あてらざわ)楯山城跡(山形県大江町)
▽長者ケ平官衙(かんが)遺跡附(つけたり)東山道跡(栃木県那須烏山市、さくら市)
▽春日大社南郷目代今西氏屋敷(大阪府豊中市)
▽渋野丸山古墳(徳島市)
▽牛頸須恵器(うしくびすえき)窯跡(福岡県大野城市)
▽壱岐古墳群(長崎県壱岐市)
▽横尾貝塚(大分市)
▽赤木名(あかきな)城跡(鹿児島県奄美市)
<名勝>
▽不知火及び水島(熊本県八代市、宇城市)
▽伊江御殿(いえうどぅん)別邸庭園(那覇市)
<重要文化的景観>
▽宇治(京都府宇治市)
▽四万十川源流域の山村(津野町)
▽四万十川上流域の山村と棚田(檮原町)
▽四万十川上流域の農山村と流通・往来(中土佐町)
▽四万十川中流域の農山村と流通・往来(四万十町)
▽四万十川下流域の生業と流通・往来(四万十市)

● 新薬師寺の金堂は東大寺大仏殿を上回る規模(2008年11月13日)
 奈良市の奈良教育大構内で見つかった新薬師寺の金堂 跡とみられる巨大建物跡(8世紀)は、現在の東大寺大仏殿をしのぐ規模だった上、基壇の前面とほぼ同じ幅の階段を備えた特殊な構造だったことが分かった。
 10 月の調査では、凝灰岩の切り石を丁寧に積む「壇上積(だんじょうづみ)基壇」の延石(底部の石)が、建物跡正面の中央付近などから出土した。今回の調査で その東端部分から、さらに違う構造の凝灰岩列が見つかり、延石の上に積む外装用の地覆石が載っていることから、基壇の本体部分と判明した。
 これにより、金堂建物の東西幅は推定約59mで、江戸時代に再建された現在の東大寺大仏殿の東西幅(約57m)を上回り、創建時の大仏殿の東西幅(約 85m)に次ぐ規模という。
 また張り出し部の出土状況から、階段の東西幅は約52mにわたると推定されるという。
 古代の仏堂の正面階段は本尊の仏像の正面に1〜3カ所程度、それぞれ数メートル幅で設けるのが一般的であるが、基壇の前面とほぼ同じ幅の階段を備えた特 殊な構造だった。
 金堂には7体の薬師如来像それぞれに脇侍の日光・月光菩薩像が並び、更に十二神将像までが堂内に勢ぞろいしていたとされており、それぞれの本尊を同格に 扱うために、幅広の階段が設けられたと考えられるという。

 奈良教育大は発掘現場に特別支援学級校舎を改築する予定だったが、現地を保存する方針を決めた。金堂の規模がさらに大きくなる可能性もあるが、調査区 域の外側は大学敷地外で民家や道路になるため、これ以上の調査はできないという。

● 滋賀・慈眼寺 薬師如来坐像鎌倉初期 顔に色彩(2008年11月13日)
 滋賀県守山市吉身1丁目の慈眼寺の薬師如来坐像(市 文)が、制作当初は顔に墨や朱を塗った素木像で、室町時代以降に金箔を張られていたことが分かった、
 薬師如来坐像は像高145cmで、平安末から鎌倉期の作とみられる。修理で全身の漆箔をはがすと、素木の上に墨でまゆと口ひげ、あごひげが描かれ、唇に は朱、目尻と目頭には青の顔料で彩色されていた。
 室町以降の修理で金箔が張られたとみられ、箔の下塗りで顔に丸みも付けられていた。
 また、像には彫刻に向かない木の節やしんが見つかったことから、慈眼寺がかつて、神仏習合思想により神社に置かれた神宮寺だったこともあり、当初は神宮 寺の本地仏として制作されていたが、信仰心の変化で当初と異なる姿になったと考えられるという。

● 滋賀塩津港遺跡から神像5体出土(2008年11月10日)
  滋賀県西浅井町塩津港遺跡神社遺構から、木製の神像5体や仏具の木製華鬘(けまん)などが発見された
  神像5体は、神社の敷地を囲む溝から瓦や起請文木簡などとともに出土。いずれも高さ12〜15cmほどの小ぶりなサイズで、男神像2体と女神像3体とみら れる。このうち男女神各1体の坐像は良好に原型をとどめ、男神像は正装の衣冠束帯をまとい、平安時代後期以降における神像の典型的な様式という。遺跡から の出土は島根県出雲市の青木遺跡(奈良時代後半〜平安時代前半)に続き2例目で、1185年の地震による琵琶湖の津波で、神殿ごと流されたとみられる。
 華鬘は仏堂の柱などにかけたうちわ型の装飾仏具。見つかったのは片方の結びひもの部分で、中世以前の木製華鬘は極めて珍しいという。

● 国宝にアライグマのつめ跡(2008年11月5日)
 京都府木津川市加茂町の浄瑠璃寺国宝の三重塔や重要 文化財の薬師如来像などが、アライグマによって傷つけられていたことが分かった。
  三重塔では以前からアライグマのつめ跡が外側の柱で多数見つかっており、進入路をふさぐなど対策をしていたが、先月、塔内を調査したところ、薬師如来像の 右肩や台座など8カ所につめ跡が見つかり、三重塔の1階内壁に描かれた重文の十六羅漢図にも無数のつめ跡で激しく損傷しているのが分かった。進入路をふさ ぐ以前に被害に遭っていたとみられる。
 京都府では、これまでに調査した社寺約400カ所のうち8割でアライグマが立ち寄ったとみられる痕跡が見 つかっており、他県でも、奈良県葛城市の当麻寺で今年5月、国宝・三重塔の西塔でアライグマの足跡とつめ跡が見つかった外、重要文化財・中之坊茶室の天井 裏を走り回り、ふんがたまり穴があく被害が出た。
 この他、奈良・東大寺の大仏殿や「お水取り」で有名な二月堂や四月堂、行基堂などの柱につめ跡がみつかり、奈良市の秋篠寺と般若寺や、宇陀市の室生寺で も昨秋、国宝・金堂の柱が傷つけられた。
 アライグマは北米原産で、現在原則的に輸入や飼育、移動や遺棄が禁止されているが、繁殖力が強く天敵もいないため、1970年代から国内で野生化し急激 に増えている。事態を重く見た文化庁も、対応を検討するという。

● 熊本・鞠智城跡から百済の青銅仏像出土(2008年11月4日)
 熊本県山鹿市の古代山城「鞠智(きくち)城跡」で青銅製の菩薩立像が見つかった。
  菩薩像は像高12.7cmで、宝冠をかぶって肩から足にかけて垂らした天衣を着け、横から見るとS字を描くような姿勢で、足元には台座に固定するためのほ ぞがある。穏やかな顔立ち、へその前に両手を出して持物を持つ姿、ほぞの大きさなどは650〜675年に百済で作られたことを示す特徴という。同時期の百 済系仏像が国内の古代山城から出土したのは初めて。
 古代山城は663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで唐と新羅の連合軍に敗れた大和朝廷が、防備のために西日本各地に築いたとされる。六つの城跡が確認 されているが、遺構から百済製とみられる仏像が見つかったのは初めてという。
 古代山城のうち福岡県の大野城、佐賀県の基肄(きい)城は665年築で、百済からの亡命貴族が建築に携わったとの記述が日本書紀にある。鞠智城も同時期 に百済人の支援で造られたとの見方が定説だったが、裏付ける遺物はなかった。
 仏像は当時貴重で、菩薩像の年代は鞠智城の築造時期とも符合するため、築城に携わった身分の高い百済人が持ち込み、仏堂に安置したか、携帯していたとみ られる。
 菩薩像は11月9日、鞠智城跡で公開される。

● 高松塚壁画を一般公開(2008年10月30日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の国宝壁画を古墳近くの 修復施設で公開した。一般公開は11月2日から9日までに事前に申し込んだ計約4600人が訪れる。
 公開は春に続き2度目で、約15人ずつが10分間通路から作業室に並ぶ「飛鳥美人」などの壁画をガラス越しに見学する。

● 大分・真木大堂収蔵庫改築記念(2008年10月30日)
 大分県豊後高田市の真木大堂で、収蔵庫改築・仏像修 復記念行事が行われる。
 収蔵庫には、大威徳明王像など平安時代の国指定重要文化財の仏像9体が納められている。改修・修復工事で収蔵庫はバリアフリー化された。
 11月の毎週日曜には、先着100人に「おせったい」が行われる。

● 大津・西福寺地蔵菩薩坐像は南北朝作(2008年10月27日)
 大津市八屋戸の西福寺の本堂に安置されていた地蔵菩 薩坐像が南北朝時代の作と判明した。
 地蔵菩薩坐像はヒノキの寄木造で像高さ22.1cm。内部を漆や麻布で補強するなど南北朝時代(14世紀中後期)の特徴がみられた。作風から、平安から 室町時代に活躍した院派仏師の作品で、その中でも1350〜60年代に彫られたものと見られるという。
 寺では、盗難などを防ぐため、大津市歴史博物館に寄託し、今後寺には複製の坐像を安置する。

● 平等院国宝新指定の雲中供養菩薩像公開(2008年10月25日)
 京都府宇治市平等院の雲中供養菩薩像1体が新たに国 宝に指定され、宝物館「鳳翔館」の特別展で一般公開された。
  今回国宝に指定されたのは、菩薩が雲の上で楽器を奏でている「南26号」。高さ約61cm、幅約93cmのヒノキ造で、彩色截金が施されている。他の雲中 供養菩薩像51体は、明治37年(1904)年に国宝指定されたが、その後に鳳凰堂外で見つかったため、これまで未指定だった。制作時期は平安時代後期と される。
 今回の指定で、鳳凰堂は、建物を含め仏像など74点すべてが国宝となった。
 特別展では、鳳凰堂から流出したとみられる文化庁所蔵の僧形の雲中供養菩薩像も展示した。
 12月7日まで

● 唐招提寺金堂建築に廃材を再利用(2008年10月24日)
 奈良市唐招提寺金堂(国宝)建築の際、別の建物の廃 材数百点を再利用していたことが、解体修理に伴う調査で分かった。
 廃材は不要な穴を別の板でふさいだり、表面を磨いたりして、金堂の扉の内側や天井の裏板など人目につきにくい部分に使用されており、絵柄の付いた天井板 「身舎支輪」の裏板は、174枚のうち37枚が再利用材で、主要な柱など構造上、要となる部分は新材だった。
 部材の種類はさまざまで、切れ込みの形などから小規模で簡素な建築物の部材だったと推定できるものもあるという。

● 奈良・新薬師寺
巨大金堂の遺構出土(2008年10月24日)
 奈良市高畑町の奈良教育大構内で、奈良時代(8世 紀)の新薬師寺の金堂とみられる大型建物跡が出土した。
 現場は、現在の新薬師寺の西約150m。調査地北西部で、柱を立てる礎石を支えるために敷き詰めた直径50cm前後の石がまとまって4か所で出土した。
  柱の間隔は約4.5m。また、その南側で建物の基壇を飾る凝灰岩の板石が東西1列に並んでいるのが発見され、柱の間隔や地形などから建物の基壇(土台)跡 は東西54m、南北27mと推定され、東西九間に、さらに裳階と呼ばれる張り出しがついた建物で、現存する世界最大の木造建築、東大寺大仏殿に匹敵する規 模と推定されるという。
 当時のこの付近を描いた正倉院宝物の絵図「東大寺山堺四至(さんがいしいし)図」に、東大寺の寺域の外に「新薬師寺堂」が描かれており、その位置関係か ら創建時の金堂と判断される。
   12世紀初めの文献によると、新薬師寺は747年、聖武天皇の病気平癒を祈願して、光明皇后が創建したとされ、金堂は「七仏薬師堂」とも呼ばれ、7体の 薬師仏像が安置されていたと記されているが、これまで堂塔の遺構は見つかっておらず、創建時の伽藍配置や位置などは不明だった。

● バーミヤン大仏内に供養品(2008年10月18日)
 バーミヤン遺跡で、旧タリバン政権が破壊した東西2 体の大仏のうち、東大仏(像高38m)の右腕部分から6世紀ごろの大仏建立時に供養品として埋葬された麻袋が見つかった。
 麻袋は長さ、幅ともに約5cm。東大仏で、前に突き出していたとみられる右ひじの骨組みとなる木材を差し込んだ穴の奥で見つかった。袋は泥で封印してあ り、獅子と馬とみられる模様の刻印が残されていた。
  7世紀にバーミヤンを訪れた中国の僧、玄奘三蔵は著書「大唐西域記」で東大仏を「釈迦仏」と記述したが、破壊前から損傷が激しく仏像の種類がはっきりしな かった。専門家や仏陀の伝記など仏伝によると獅子は釈迦を表し、馬は釈迦の誕生を象徴するとされ、釈迦仏と裏付けられた。 供養品の解析が進めば、謎が多 い大仏建立の経緯解明につながるという。

● 滋賀の石山寺御影堂など、重要文化財に(2008年10月17日)
 文化審議会は、石山寺御影堂(大津市)など、8件の 建造物を重要文化財に指定するように答申した。
 石山寺御影堂は室町時代の創建。桃山時代慶長期に現在の姿に整備された。同期の建築の特徴をよく伝える蓮如堂、三十八所権現社本殿、経蔵とともに指定さ れる。

指定文化財は次の通り。
 ▽石山寺御影堂(滋賀県大津市)
 ▽大江橋及び淀屋橋(大阪市)
 ▽石岡第一発電所施設取水堰堤(えんてい)(茨城県)
 ▽金家(こんけ)住宅(秋田県北秋田市)
 ▽小玉家住宅(秋田県潟上市)
 ▽旧揖斐川橋梁(きょうりょう)(岐阜県大垣市)
 ▽旧吉松家住宅(宮崎県串間市)
 ▽石清水八幡宮の社殿群(京都府八幡市)(追加)

● 興福寺婆羅門立像東京で来年初公開 (2008年10月16日)
 奈良市の興福寺に伝わる婆羅門立像が修理されること になった。
 婆羅門像は像高62.8cmの木像で、近世に作り直されたものとみられているが、当初は、金鼓・華原磬(かげんけい−国宝)などとともに西金堂に安置さ れたとみられる。
 婆羅門はインドの最高位の僧侶で、金光明最勝王経の重要な場面に、金鼓をばちで打つ姿で登場する。
 修復後は、来春に東京国立博物館で開幕する「国宝 阿修羅展」で初公開される。

● 山梨県立博物館に木喰の不動明王像 晩年の掛け軸収蔵(2008年10月16日)
 山梨県は、県立博物館の収蔵資料として、木喰作不動 明王立像と、木喰直筆の南無阿弥陀仏の六字名号を購入した。
 不動明王立像は、像高29.2cmの一木造で、赤外線調査で天明9年(1789)の墨書きを確認した。この時期、木喰は日向国(宮崎県)に滞在し、これ より以前の不動明王像の制作は確認されていない。
 南無阿弥陀仏の「六字名号」(縦43.4cmセンチ、横14.8cmセンチ)は、87歳との表記があり、1804年に越後国(新潟県)滞在中に書いたも のとみられる。

● 福井・興道寺廃寺遺跡で塑像の螺髪出土(2008年10月16日)
 福井県美浜町興道寺の興道寺廃寺遺跡で、奈良時代の 塑像の頭髪部分の螺髪1点が出土した。
  見つかった螺髪は直径21mm、高さ24mmで塔基壇東側の畑から出土した。螺髪の底面は斜めにカットされて直径5mm、深さ5mmの穴が開いており、仏 像の頭部側面に棒かくぎ状の金具で固定されていたとみられる。

 螺髪の形や同遺跡からの出土品から考えると、7世紀後半から8世紀前半に製作されたと みられる。螺髪を復元すると3cm強となることから、立像なら像高約4.8m、坐像なら約2.4mの丈六仏だという。


 塑像は7世紀後半に粘土で作られた仏像。滋賀県竜王町の雪野寺跡から、塑像の顔の一部が出土するなど、全国60以上の遺跡で見つかっている。興道寺廃寺 は7世紀後半の遺跡で、嶺南では最古級の寺院。


● キトラ古墳の十二支像の辰、巳、申泥と一括はぎ取り(2008年10月9日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳の壁画について、石室に 泥に覆われた状態で残されている可能性がある残りの十二支像について、しっくいと泥を一括ではぎ取ることになった。
 キトラ古墳の十二支像は「子(ね)」「丑(うし)」「寅(とら)」「戌(いぬ)」「亥(いのしし)」が石室壁面で確認され、剥ぎ取りに成功したが、「午 (うま)」は泥の部分に赤い顔料が転写された状態で残っていた。
  残りの十二支像「辰(たつ)」(東壁)「巳(へび)」(南壁)「申(さる)」(西壁)についても漆喰と石室に流入した泥の間に挟まれた状態と考えられる。 この場合、泥の粒子の方が細かいため、顔料が残っているとしても「午(うま)」と同様に漆喰ではなく泥の方の可能性の方が大きいため、泥と一括で剥ぎ取り を行うことになった。早ければ、来年秋にも剥ぎ取り作業が開始される。

● 大津の三井寺金堂の檜皮葺き屋根修復完了(2008年10月9日)
 大津市の三井寺(園城寺)で、国宝・金堂の屋根修復 がほぼ完了した。
 入母屋造りの屋根は2004年秋の台風で破損し、前回の修理から38年間経過して老朽化も著しかったため、2005年2月から修理を始め、3年ぶりに威 容を現した。11月に落慶法要を行うという。

● 龍安寺方丈屋根修復で一時拝観停止(2008年10月10日)
 京都市右京区の龍安寺の方丈(本堂)で、来年屋根の 全面葺き替え工事が行われることになった。
  柿(こけら)葺きの屋根が老朽化と風雨による破損が進んだために、31年ぶりに葺き替えられることになり、2009年1月5日〜2月5日の1カ月間、拝観 を停止することになった。方丈は、白砂の上に石が点在する有名な石庭の前の建築物で重要文化財。工期は約1年間で、期間中は仮の素屋根で覆われるという。

● 醍醐寺三宝院唐門を解体修理(2008年10月11日)
 京都府教委は、国宝や重要文化財など国指定文化財の 保存修理や防災対策などに対する本年度 国庫補助事業の第3次内定分を発表した。
京都市右京区の龍安寺本堂の屋根ふき替え・部分修理や伏見区の醍醐寺三宝院唐門の解体修理など新規事業25件で、新規の国庫補助事業は次の通り。
【建造物保存修理】
▽龍安寺本堂(右京区)の屋根ふき替え・部分修理
▽醍醐寺三宝院唐門(伏見区)の解体修理
▽小川家住宅主屋(中京区)の解体修理
▽万福寺松隠堂庫裏ほか2棟(宇治市)の解体修理
▽瑞峯院本堂ほか2棟(北区)の屋根ふき替え
▽仁和寺遼廓亭(右京区)の屋根ふき替え
▽智恩寺多宝塔(宮津市)の屋根ふき替え
▽引接寺塔婆(上京区)の解体修理
【建造物防災】 
▽浄瑠璃寺本堂ほか1棟(木津川市)
▽久世神社本殿(城陽市)
▽常寂光寺塔婆(右京区)
▽聚光院本堂ほか1棟(北区)
▽賀茂御祖神社本殿ほか31棟(左京区)
【建造物環境保全】
▽出雲大神宮本殿(亀岡市)
▽相楽神社本殿(木津川市)
▽龍吟庵方丈ほか2棟(東山区)
【耐震診断】
▽同志社有終館およびハリス理化学館(上京区)
【美術工芸品保存修理】
▽大覚寺(右京区)障壁画3面
▽西本願寺(下京区)紙本著色善信上人絵(琳阿本)2巻
▽東福寺(東山区)絹本著色五百羅漢図45幅
▽相国寺(上京区)普広院旧基封境図1幅
▽三千院(左京区)木造不動明王立像
【保存活用整備】
▽法金剛院(右京区)の木造阿弥陀如来坐像などの収蔵 庫の改修事業
【記念物保存整備】
▽史跡仁和寺御所跡(右京区)の本坊西側土塀の解体修 理
▽對龍山荘庭園(左京区)の書院や広間などの屋根ふき替え

● 三重の美術館所蔵の観音像は長快の作(2008年10月5日)
 三重県菰野町の「パラミタミュージアム」が所蔵する 長谷寺式十一面観音像が、鎌倉時代の仏師・快慶の弟子、長快(ちょうかい)の作と分かった。
 観音像は像高約1.2mのヒノキ製の漆箔像で、鎌倉中期の13世紀半ばの制作とみられる。
 所有していた四日市市の旧家が今年4月にミュージアムに寄贈し、調査したところ、台座と像をつなぐ足ほぞの部分に「巧匠 定阿弥陀仏 長快」の墨書銘が 確認された。
  観音像は奈良・興福寺の僧が残した文献の記述から、興福寺禅定院観音堂の本尊だったとみられ、快慶が建保7年(1219)に制作した奈良・長谷寺の十一面 観音像と同じ木材が使われているという。像高が快慶の観音像の8分の1の大きさで、頭の上の頭上面が1つ多いなどの違いはあるが、ほぼ快慶の像を再現して いる。
 これまでに確認された長快の仏像は京都・六波羅蜜寺の弘法大師像(重文)1体だけ。
 パラミタミュージアムでは、10月4日から一般公開している。


● 京都因幡堂平等寺の薬師如来立像が里帰り(2008年10月4日)
 鳥取市東町の県立博物館で、仏像や古文書などを通じ て古代、中世の鳥取の姿を探る企画展「はじまりの物語」で、平安時代に鳥取から空を飛んで京都にたどり着いたとの伝説が残る因幡堂平等寺(京都市下京区) の薬師如来立像(重文)が里帰りし展示される。
  「因幡堂縁起」によると、薬師如来立像は、因幡の国司・橘行平が賀留津(現鳥取市賀露港付近)から引き揚げた。行平は薬師寺を建立し像を祀ろうとしたが、 完成前に京都へ戻ったため、像が行平を追って京都まで飛んだという。寺には像を置く台座だけが残ったため、座光寺(鳥取市菖蒲)と呼ばれている。
 企画展は10月4日から11月9日まで

● 兵庫・鶴林寺で「太子絵伝」修復完了記念公開(2008年10月4日)
 兵庫県加古川市加古川町の鶴林寺で、「絹本著色聖徳 太子絵伝」(重文 鎌倉時代後期)6幅の修復完了を記念した特別展が開かれる。
  「聖徳太子絵伝」は2002年7月に国重文の高麗仏画「阿弥陀三尊像」などとともに盗まれたが、2003年3月に犯人が逮捕され寺に戻された。しかし絵が 傷んだり軸木が切断されるなど損傷がひどく、文化庁などの補助を受けて今春まで修復していた。特別展では、無事だった2幅と合わせ極彩色の全8幅が並ぶ。
特別展は10月4日から11月9日まで。

● 六波羅蜜寺収蔵庫改修終え、一般公開始まる(2008年10月2日)
 京都市東山区の六波羅蜜寺で、開山1050年記念事 業の一環収蔵庫が改修され、一般公開が始まった。
 収蔵庫が築後46年が経過して老朽化で文化財保護に耐えられなくなったため改修され、二重構造の壁で外気が直接室内へ入るのを防ぎ、照明は発光ダイオー ドを使って室内温度が上がらないようにした。
  展示されるのは、空也上人立像、平清盛坐像、弘法大師坐像、薬師如来坐像など、およびいままで公開していなかった吉祥天女像も併せ重要文化財12点と、井 伊直政公坐像など4点。12月には重文の多聞天立像と広目天立像が寄託先の京都国立博物館から戻り、重文の14体がすべてそろう。

● 甲賀・玉桂寺阿弥陀像、知恩院へ(2008年9月30日)
 滋賀県甲賀市信楽町玉桂(ぎょっけい)寺の阿弥陀如 来像(重文)を、法然の廟所がある知恩院(京都市東山区)に安置する計画が進んでいる。
 この仏像は像高約99cm。1979年の調査で、法然が亡くなって約11カ月後の建暦2年(1212)の日付の源智直筆の願文が胎内から見つかった。
源智は、法然が亡くなる2日前、教えの要を記した「一枚起請文(きしょうもん)」を授かった人物で、知恩寺(左京区)の基礎を築き、法然に続く知恩院二世 に位置付けられる。
 知恩院では、法然の八百年忌を前に、里帰りするという。

● 称名寺仏像から仏舎利(2008年10月2日)
 横浜市金沢区の称名寺光明院に所蔵されている平安初 期の弥勒菩薩坐像内部から、弘法大師が唐からもたらし、鎌倉時代に納入されたとみられる仏舎利二つを確認した
  仏舎利が入っていた二つの包み紙は今年初め、修理のため弥勒菩薩坐像(像高11.5cm)を開けた時、見つかった。今夏、紙を開いてみたところ、米粒ほど の貴石が四つずつ確認された。包み紙の内側には、空海が真言密教の道場とした東寺伝来の仏舎利であることを示す「東寺御舎利」、空海が室生寺に納めたと伝 えられる「宀一山(べんいちさん)」の文字があり、坐像の修理跡や文字、紙には鎌倉時代の特徴があることから、仏舎利は鎌倉期に坐像内に納入されたとみら れる。
 二つはそれぞれ、仏舎利信仰の中心だった京都・東寺(教王護国寺)、奈良・室生寺の伝来で、双方の仏舎利が同じ像内で見つかるのは珍しいという。
 発見された仏舎利は、10月3日から金沢文庫(横浜市金沢区)で始まる特別展「釈迦追慕」で初公開される。


● 平城宮跡「せん仏」初出土(2008年9月27日)
 奈良市の平城宮跡で、第一次大極殿院を取り囲んでい た築地回廊の跡から、せん仏の破片が初めて見つかった。
  せん仏は、仏の姿を土の板にレリーフ状に型抜きしたもので、見つかった破片は(縦7.7cm、横4.5cm、厚さ2.3cm)で、一体の如来坐像が表され ている。桜井市の山田寺跡から出土した、如来坐像が縦に3列、横に4列並んだ「十二尊連坐(じゅうにそんれんざ)せん仏」(7世紀)と形や大きさがよく似 ており、同じ原型から作られたせん仏の一部とみられるという。
 せん仏は塔などの内壁に打ち付けられ、装飾として使われたが、続日本紀に「養老6年(722)に天武天皇と持統天皇のために仏を作り仏殿に安置した」と いう記述があり、この仏殿が平城宮内にあったとする説もあるという。

● 高知県で湛慶作の大日如来像が見つかる(2008年9月26日)
  高知県須崎市上分の小堂で、鎌倉時代の仏師、運慶の長男の湛慶(たんけい、1173〜1256)の工房が制作したと見られる大日如来像が見つかった。
 大日如来像は像高49.3cmのヒノキ製で、一木で彫った像を一旦割って内刳を施す割剥ぎ造で、仏像内に宝物を納入するための棚板がある構造など、運慶 工房独特の手法が用いられている。
 構造や外観は、ニューヨークで今春、約14億円で落札された運慶作とされる大日如来坐像とそっくりだが、顔つきは高知市の雪蹊寺にある湛慶作の吉祥天像 (重文)と似ており、湛慶かその工房の制作と見られるという。
  大日如来像は、高知県香美市立美術館で9月27日〜11月9日に開かれる企画展「古仏との対話―井上芳明と土佐の仏像」で、土佐市・清瀧寺の薬師如来立像 (重文・平安時代)、室戸市・金剛頂寺の銅造観音菩薩立像(重文・奈良時代)など、県内の平安〜鎌倉時代の仏像23体と共に、写真家・井上芳明さんの仏像 写真とあわせて展示される。

● キトラ古墳壁画で天文図「昴宿」など剥ぎ取り(2008年9月26日)
 奈良県明日香村阿部山のキトラ古墳の壁画修理保存 で、天井天文図北西の「昴宿」など3つの星座と「天狼」(シリウス)を表す星を剥ぎ取った。
剥ぎ取ったのは、星の金箔(ぱく)や黄道、赤道の朱線を含む南北約25cm、東西約10cmのL字型の漆喰で9分割した。
 昨年7月の始まった天文図の剥ぎ取りは、この日で全体の9割近くが完了。11月にもすべての作業が終わる見込みという。

● 高松塚古墳壁画を11月に公開(2008年9月18日)
 文化庁は、高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室から 取り出した「飛鳥美人」などの国宝壁画について、11月2〜9日に一般公開する。
 往復はがきによる申し込みを、今月19日から30日まで受け付け、抽選により、1日約500人(見学時間は10分間)に無料で公開する。

● 京都・東寺国宝「天蓋」を公開(2008年9月18日)
 京都市南区東寺9月20日から11月25日まで行わ れる秋期特別展で平安時代の国宝「天蓋」を展示する。
 天蓋は仏像の上部につるす直径約1.4mの円形の装飾品で、ヒノキ製。中央に8枚のハスの葉をめぐらし、周囲に菩薩が極彩色で表現されている。国宝「不 動明王坐像」の上につられていたと考えられている。東寺での一般公開は15年ぶり。
 特別展では、東寺の大師信仰の基礎を築いたとされる宣陽門院覲子ゆかりの宝物など約50点も展示。覲子が納めた重要文化財の「五重小塔」や「弥勒菩薩」 なども鑑賞できる。

● 法隆寺:四天王立像そろい踏み 大宝蔵殿で秘宝展(2008年9月17日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺大宝蔵殿で、秘宝展「斑鳩宮と 東院伽藍」が開かれている。
 今回は特別展示として、金堂の四天王立像(国宝)を4体そろって展示。展示は11月30日までで、金堂の修理が終わる12月には堂内に戻されるため、4 体そろって間近に見ることができる最後の機会となる。

● 法隆寺金堂半世紀ぶりに外壁を化粧直し(2008年9月17日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺金堂について、須弥壇修理に合 わせて外壁の全面塗り替えが約半世紀ぶりに行われることになった。
 最上部の屋根の壁面の妻の部分などの上塗りが一部剥落していたほか、汚れも目立っていたことから、今年中にも内部と外部で化粧直しが行われる。
 外壁の全面塗り替えは昭和29年の大修理以来となる。一方、堂内ではひび割れに伴う須弥壇の修理も進められている。

● 足利の文化財一斉公開(2008年9月17日)
 非公開の文化財や歴史的建造物を期間限定で公開する 「足利の文化財一斉公開」が11月22日から3日間、足利市全域で開催される。
 五十一件が対象で、鎌倉時代の仏師、快慶作の「木造阿弥陀(あみだ)如来立像」(真教寺所蔵、県指定文化財)も二年ぶりに公開され、遺跡や建築物など四 施設が初公開となる。
 今回、初公開される施設は次の通り。
 機神(はたがみ)山山頂古墳(市指定史跡)
 旧足利織物赤レンガ捺染(なっせん)工場(国登録文化財)
 光明寺の鐘楼(市指定文化財)
 覚性院の宝塔(市指定文化財)

● 山口山陽小野田・岩崎寺の仏像里帰り(2008年9月17日)
 山陽小野田市有帆の岩崎寺(がんきじ)収蔵の県指定 有形文化財のうち県立美術館で保管されていた千手観音菩薩立像など6体が里帰りした。
  旧観音堂は2004年に2度にわたる台風で壊滅的な被害を受けたため、千手観音菩薩立像(像高184cm)、釈迦如来坐像(同78cm)、阿弥陀如来坐像 (同74cm)、大日如来坐像(同144cm)、阿弥陀如来坐像(同143cm)、聖観音菩薩立像(同約100cm)の6体は県立美術館で保管されてい た。このたび新観音堂が完成したことから、県立美術館から戻され、寺に安置していた不動明王像(像高164cm)とともに新観音堂安置された。

● バーミヤン遺跡で玄奘記述の「先王伽藍」発掘(2008年9月13日)
 アフガニスタン中部の世界遺産バーミヤン遺跡で「西 遊記」の三蔵法師として知られる玄奘三蔵が、著書「大唐西域記」に記述した「先王の建てた伽藍」とみられる仏教寺院跡が出土した。
 寺院跡は、旧政権タリバンが破壊した東大仏跡と西大仏跡のほぼ中間で見つかり、規模は推定東西300m、南北200mで、近くの石窟の年代などから5〜 6世紀ごろの伽藍と推定され、規模から考えて先王の伽藍に間違いないという。
 大唐西域記には、王城の東2、3里の伽藍に仏の涅槃像があり、長さは1000余尺」と記述。涅槃仏は、今回出土した伽藍跡の近くに埋まっているとみられ る。

● 三重・雲心院宇賀弁才天坐像は円空作(2008年9月12日)
 三重県鈴鹿市江島本町の雲心院の宇賀弁才天坐像が、 江戸時代の僧、円空の作だったことが分かった。
 この円空仏は総高35.1cmの宇賀弁才天坐像(うがべんざいてんざぞう)で、2005年に鈴鹿市へ寄託されていた。
 赤外線撮影の結果、頭部と胸の部分に梵字などが書かれていることが分かり、延宝7年(1679)以降の作と推定されるという。
 宇賀弁才天坐像は、2009年1月17日〜3月1日まで鈴鹿市考古博物館で開催される企画展「未来へつなぐ宝物−第1回郷土資料室・新収蔵品展」で新た に収蔵された約90点の資料とともに展示される。

● 群馬・みなかみ町で16年間調査報告書作成せず(2008年9月11日)
 群馬県利根郡みなかみ町で、旧月夜野町時代に男性職 員が16年間埋蔵文化財調査の報告書を作成せずに長年放置していたことが判明した。
  報告書が作成されなかったのは1988〜2004年度までの調査のうち12か所で、印刷製本費は印刷する予定だった印刷業者5社に既に支払っていた。 2005年の合併後に事情を知ったみなかみ町教委も、報告書の印刷費計約850万円を課長名義の口座で保管したほか、印刷業者に返還要求をしていないな ど、ずさんな公金管理をしていたことがわかった。
 報告書の作成・発刊には約1250万円かかるが、印刷業者の一部が倒産するなどして590万円しか回収できておらず、不足分約660万円は、本人および 旧月夜野町時代に上司などの立場でかかわった教育長4人、課長6人、係長7人が分担して負担するという。
 県教委も5月から独自に調査を進めており、報告書の作成や補助金の返還の要求を含め判断していくという。

● 宮城・十八夜観世音堂菩薩立像が東北最古の木彫像(2008年9月10日)
 宮城県仙台市太白区長町の十八夜観世音堂の菩薩立像 が東北最古の奈良時代の木彫像とみられることがわかった。
 東北大の長岡龍作教授と仙台市博物館が共同で調査したところ、菩薩立像は像高138.5cmで、針葉樹の一木造。細身で腰が高い位置にあるといった奈良 時代の特徴を有し、8世紀後期ごろの制作と推測するできるという。
 菩薩立像は、慈覚大師円仁が835年ごろに造ったとされてきたが、詳細な年代調査はされておらず、文化財にも指定されていない。今回の調査で、制作年代 は50年程度さかのぼる可能性が高くなった。
 奈良時代の一木造りの仏像は千葉、栃木などに残っているが、東北では確認されていなかった。福島県湯川村の勝常寺にある国宝「木造薬師如来坐像」「日光 菩薩立像」「月光菩薩立像」は9世紀初めの平安時代初期の作で、広葉樹のケヤキを使っている。
 菩薩立像は、2008年11月14日から12月21日まで仙台市博物館で行われる特別展「平泉」に出品予定。
 

● キトラ古墳の「朱雀」報道向けに公開(2008年9月10日)
 奈良県明日香村の「キトラ古墳」からはがされ、修復 作業が進められている壁画「朱雀(すざく)」が国宝高松塚古墳壁画仮設修理施設で報道陣向けに公開された。

 同様の公開は2007年2月の朱雀はぎ取り以来。文化庁古墳壁画室では、早ければ2010年春のキトラ古墳展での一般公開を目指しているという。


● 長野・無量寺の菩薩立像2体県宝へ(2008年9月5日)
 長野県文化財保護審議会は、長野県上伊那郡箕輪町の 無量寺観音菩薩立像と地蔵菩薩立像の2体について、県宝に指定するよう答申した。
 両菩薩像は阿弥陀如来坐像(重文)の脇侍で、像高約1.3m。中尊阿弥陀如来坐像と同時期の平安時代後期に藤原氏一族により制作されたと見られており、 観音菩薩と地蔵菩薩の組み合わせは、あまり例がなく珍しいことなど、美術史的、歴史遺産としても価値は高いとされる。

● キトラ古墳天文図2星座をはぎ取り(2008年9月4日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳の石室天井の天文図につ いて、南東の星座「張宿」など2星座と、外規(星の見える範囲)を表す朱線の一部を含む漆喰が剥ぎ取られた。をはぎ取ったと発表した。
 今回剥ぎ取られたのは、南北10cmセンチ、東西9cmの範囲で、天文図全体の約85%ではぎ取りを終えたという。


● 知恩院集会堂など修理中の社寺を公開(2008年8月31日)
 京都府教育委員会は、建造物修理の実情を知ってもら おうと、9月13日から21日にかけて、知恩院集会堂(しゅうえどう)(京都市東山区)など府内4カ所の修理中の建造物を順次一般公開する。
 一般公開されるのは下記のとおり。
 知恩院集会堂(京都市東山区)(9 月13、14日)
 西本願寺御影堂(下京区)(9 月13日)
 萬福寺松隠堂客殿(宇治市)(9 月21日)
 島田神社本殿(福知山市)(9 月21日)
 普段見られない屋根構造や内陣の彩色などが、間近で見学できる。
 西本願寺と萬福寺は府教委文化財保護課に事前申し込みが必要。

● 高塚壁画、劣化原因究明に課題(2008年8月28日)
 高松塚古墳壁画 の劣化原因を究明する文化庁の調査検討会が開かれ、国宝壁画のうち、最も劣化が激しい「白虎」の退色が、1980年12月から約1カ月の間に急速に進んで いたことがわかった。
  報告によると、1980年12月9日撮影の写真では顔や胴体部分の描線は鮮明だったが、1981年2月8日の写真では線がぼやけて見えにくくなっていた。
 1980 年12月〜81年2月は、年末年始にかけて10日間程度ずつ計3回、保存修理作業を実施しているが、1月9〜21日には白虎付近で灰色綿状のカビが広範囲 で発生し、新たな防カビ剤が試用されている。
  今後作業日誌など当時の記録を精査して、使用された薬剤や処置方法を調べ、退色との関係を明らかにする方針。
  劣化原因の究明については、今後顕微鏡や蛍光エックス線など非破壊検査が原則であるが、彩色材料の分析など厳密な調査行うためには、サンプル採取も必要と なることも考えられることから、改めて国民に説明できるように慎重に対応をするべきという意見が出された。

● 和歌山・田辺市清姫堂が全焼(2008年8月28日)
 和歌山県田辺市中辺路町真砂の「安珍・清姫」で知ら れる清姫を祭った清姫堂から出火して木造平屋約60平方mを全焼し、安置されていた清姫像や薬師如来像などが焼失した。
 清姫堂は、清姫の菩提寺とされる近くの福巌寺の所有で、敷地内には薬師堂や石碑もあるが、類焼はなかった。清姫堂南側の窓と天井付近がよく燃えており、 普段は無人で施錠しており、参拝客は中に入れないことから放火の疑いがあるとみられている。
 福厳寺では伝説の誕生から1080年にあたり、伝説にゆかりのある地域住民が集い、合同慰霊祭を営み、「清姫まつり」を控えていた。

● 箸墓古墳 天皇陵に規模匹敵「卑弥呼の墓」強まる(2008年8月27日)
 奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳の前方部で、大 規模な周濠(しゅうごう)跡が見つかった。
 前方部前面に深さ1.3m以上大きな溝状の落ち込みが確認され、底に水があったことを示す腐植層があった。落ち込みと墳丘の位置関係や出土した土器の年 代から、外濠の一部と判断した。
  外濠はこれまでの発掘結果と併せると、墳丘を一定幅で一周する馬てい形で、内堤を挟んで内濠と外濠が巡る二重構造であることも、ほぼ確定。また周濠の幅が 従来の推定より約40m広く、周濠を含む古墳の全長は約450mになり、天皇陵とされる後の大型前方後円墳に匹敵する規模だったことが判明。、天皇陵とさ れる後の大型前方後円墳に匹敵する規模だったことが判明。ヤマト王権成立を巡る議論の新たな手がかりとなりそうだ。


● 京都・醍醐寺で火災 准胝観音堂が全焼(2008年8月24日)
 京都市伏見区の醍醐寺の上醍醐で准胝観音堂から出火 し、准胝観音堂(約147平方m)と休憩所をほぼ全焼し、本尊・准胝観音坐像(像高約70cm)が焼失した。
 准胝観音堂には准胝観音坐像が2体あり、もう1体はドイツ・ボンの連邦美術展示館で開かれている醍醐寺展に出展中で、難を逃れた。
 上醍醐には、薬師堂など国宝や重要文化財の建物もあるが、准胝観音堂は文化財に指定されておらず、周囲の建物への延焼やけが人はない模様。
 ドイツで展示中の准胝観音坐像は9月に戻り、女人堂に安置される予定という。
 醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山で、空海の孫弟子貞観16年(874)年ごろ創建。1994年、世界文化遺産「古都京都の文化財」に登録された。観音堂は 1939年に火災で焼失し、1968年に再建されている。
 当時、周辺では雷が鳴っており、山科署は落雷が原因の可能性があるとみて調べている。

● キトラ古墳の天文図7星座を剥ぎ取り(2008年8月23日)
 明日香村阿部山のキトラ古墳の石室天井に描かれた天 文図のうち、南東部に描かれた「てんびん座」にあたる部分など7星座が剥ぎ取られた。
 剥ぎ取ったのは南東の「房宿」など6星座と「心宿」の一部の計7星座で東西12cm、南北17cmの範囲。
 昨年7月に始まったはぎ取り作業は全体で68星座あるうち、南西部にあるオリオン座など約15星座を残すだけとなり、予定より5カ月近く早く10月中に も完了する見込みとなった。

● キトラ古墳西壁の余白に傷(2008年8月17日)
 明日香村阿部山のキトラ古墳の石室内で、西壁の余白 に線状の傷が見つかった。
 傷は壁画がない場所で、長さ約1.5cm、幅約1mmで、上側が膨らんだ弓形の曲線状。
 物理的な接触などによる傷の可能性があるが、発生時期も含め原因は不明だという。

● 東大寺国宝世親菩薩はカツラ材 スプリング8で特定(2008年8月15日)
 微量物質の構造を調べられる大型放射光施設「スプリ ング8」で、運慶工房作の東大寺の世親菩薩立像(国宝・鎌倉時代)の材質がカツラであることが断定された。
 「スプリング8」は、兵庫県の播磨科学公園都市内に建設された大型放射光施設の名称で、電子などが磁場で曲げられるとき、その進行方向に放射される電磁 波である放射光を利用して、物質科学・地球科学などの分野で応用されている。
  今まで、木製文化財の鑑定は光学顕微鏡で木材の断面を観察する方法が主流で、世親菩薩立像も木目などからカツラかホオノキとみられていたが、昨年修理の際 に採取された、長さ2mm、幅0.3mmの木片にスプリング8で強力なエックス線を照射し、コンピューター断層撮影(CT)による精密な3次元画像を作成 調査した結果、道管の特徴などからカツラと断定された。
 スプリング8を使って樹種を特定したのは初めてで、今後、木製の文化財や考古遺物の調査にスプリング8の活用が期待できるという。

● 姫路の円教寺で性空上人坐像頭部に遺骨(2008年8月15日)
 兵庫県姫路市の書写山円教寺で、開山堂の本尊・性空 (しょうくう)上人坐像(鎌倉時代)の頭部に、人骨のようなものを入れたつぼがあるのがX線撮影でわかった。
 上人坐像は像高89.5cmの寄木造。X線撮影で、頭部に木箱に入ったガラス製とみられる球形のつぼ(高さ約10cm)があることが判明。つぼの中に は、人骨のようなものが写っていた。
  性空上人は、平安中期の966年に書写山に入り、後に円教寺を開いた円教寺の開山。「性空上人伝記遺続集」などによると、性空の没後間もなく寛弘4年 (1007)に造られた肖像は弘安9(1286)年の火災で焼失し、焼け残った像の中から上人の遺骨の入った瑠璃壺が見つかった。2年後に京都の仏師、慶 快によって像が再興された際、瑠璃壺が再び納められたと伝わる。
 今回の調査で頭部の壺の中に骨が入っているのが見つかったことから、文献の記述通り、現在の像が鎌倉時代に再興されたものであることも改めて確認できた という。
 肖像に本人の遺骨を納めた事例は、三井寺(大津市)の智証大師坐像(国宝、平安時代)が最古と伝わるが、確認はされておらず、科学的調査で確認できた事 例としては最古という。
 上人坐像は、奈良国立博物館で開催中の特別展「西国三十三所 観音霊場の祈りと美」で9月28日まで展示されている。
 

● 甲府市で善光寺薬師如来立像など文化財に指定
(200808月15日)
 甲府市教育委員会は古関町の永泰寺釈迦堂と善光寺3 丁目の善光寺薬師如来立像の2件を市文化財に指定する。
  県指定文化財の清涼寺式釈迦如来立像を安置する釈迦堂は、寛延4(1751)年に建立されたとされる。正面約6m、側面約9mの入母屋の妻入り形式で、彩 色の美しい欄間彫刻や三重の軒構成など建立当初の姿がはっきりと保たれている。1985年、旧上九一色村の文化財に指定され、甲府市との合併後は市準文化 財となっている。
 薬師如来立像は平安時代後期の制作とされ、像高61cmの一木割矧造。県内に伝わる同期の如来像は坐像がほとんどで、立像は極めて珍しいという。

● 奈良・唐招提寺国宝三仏、8年ぶり本堂へ(2008年8月14日)
 奈良市五条町の唐招提寺金堂(国宝)の解体修理がほ ぼ終わり、堂外で修理していた本尊・盧舎那仏坐像など国宝仏3体を8年ぶりに堂内に戻す準備が始まった。
 運び入れるのは、千手観音立像、盧舎那仏坐像、薬師如来立像の三体で、搬入作業は9月末ごろに終了する見込みだが、堂内に安置した後、太い腕10本を残 して外された千手観音立像の943本の手を取り付けるなどの仕上げが進められる。

● キトラ壁画「朱雀」、平成22年にも公開(2008年8月13日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳の石室からはぎ取られた 南壁壁画「朱雀」について、平城遷都1300年の平成22年にも一般公開する。
  高松塚古墳壁画の修復施設で保存されている朱雀は、直径0.5mm前後のバクテリアなどによるゼリー状物質に覆われ、施設内での乾燥によって物質が凝縮し て茶色く変化している。壁画上の泥の層も白く変色し、全体的にくすんだようになっており、はぎ取り前の鮮やかな紅色が失われている。
 ただ、壁画の描かれた漆喰など全体的には良好な状態が保たれており、ゲル状物質を除去しない状態であれば、22年の公開も不可能ではないという。


● 東大寺の石造獅子石材は中国産(2008年8月10日)
  奈良市の東大寺南大門にある「石造獅子」2体(重要文化財、12世紀末)の石材が、中国浙江省産の可能性が高いことが分かった。
 石造獅子は南大門の仁王像の北側に東西一対で置かれており、像高は東方像1.8m、西方像1.6m。2体とも大きく口を開いて胸を反らした姿で、胸には 中国風の装飾が施されている
  鎌倉時代の復興を伝える「東大寺造立供養記」では、平氏の兵火で失われた伽藍の再建を担った僧、重源上人(1121〜1206年)の指揮で「石造獅子は宋 人字六郎ら4人が渡来し、建久7年(1196)に四天王石像などとともに造られた」と記載されている。重源上人は寧波郊外(現在の浙江省)を訪ねたとする 記録もあり、石材も宋で調達した可能性が高いという。
 今回石材の調査を行った結果、獅子の石材は凝灰岩で、全体的に淡いピンクを帯び非常に目が細かいことや、石英や長石の含有率など浙江省産の高級石材であ る凝灰岩「梅園石」と梅園石と同様の特徴が認められ、同寺の獅子像のルーツが中国にあったことを改めて示す資料となる。


● 奥州の雲際寺全焼義経由来の位牌焼失(2008年8月7日)
 岩手県奥州市衣川区張山、雲際寺の本堂と位牌堂、住 宅部分の計約900平方mを全焼し、本堂に安置していた本尊や、源義経のものと伝えられる位牌なども燃えた。
 雲際寺は源義経と北の方のゆかりの寺とされ、源義経と妻の北の方らが平泉で自害後、遺体は同寺に運ばれ、2人の位牌が安置されたという。

● 奈良・カンジョ古墳石舞台しのぐ天井の高さ(2008年8月6日)
 奈良県高取町のカンジョ古墳(6世紀末−7世紀前 半)の石室天井の高さが約5.3mある巨大なものであることがわかった。
 調査の結果、墳丘は一辺36m、高さ11mの2段構造の方墳で、石室は高さ約5.3m。巨石をドーム状に積み上げた構造で、棺(ひつぎ)を納める玄室の 規模は東西3.7m、南北6mと判明した。
石室天井高さは、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳(7世紀前半、奈良県明日香村)の約4.7mを上回り、高さ5mを超えるものは全国的にも珍しいという。
 また、石室の床面には木棺を載せる造り付けの棺台の跡が確認された。棺台は粘質土と炭を交互に重ね、長石の粉で塗り固めた珍しい構造。棺台は玄室の中央 に築かれており、南側の約半分しか残っていなかったが、全体の規模は推定で東西1m、南北2.2mと見られる。
 周辺からは木棺のものとみられる大型の鉄くぎが出土し、銀製の指輪やミニチュア炊飯具の一部など渡来系氏族に特有の副葬品も見つかった。 
 造り付けの棺台は飛鳥時代(6世紀末〜8世紀初め)ではカヅマヤマ古墳(同県明日香村、7世紀後半)など王家や皇子の墓と考えられる古墳でしか見つかっ ておらず、古墳の規模から見ても、一帯を治めた渡来系氏族・東漢氏(やまとのあやうじ)の首長墓とみられる。

● 九州国立博物館、慧日山高伝寺の涅槃図を報道関係者に公開(2008年8月5日)
 九州国立博物館は慧日山高伝寺の涅槃図(佐賀県重要 文化財)を報道関係者公開した。
 涅槃図は1703年に若井利左衛門利久が、第3代佐賀藩主の鍋島綱茂の命により京都の東福寺にある涅槃図を写しとって描いたもので、釈迦の入滅の姿を描 いた表装は縦15.2m、横6mの仏画。
 近く修復を予定しており、修復完了後は一般公開も検討する。

● 法隆寺金堂天井に謎のつり金具(2008年8月2日)
  奈良県斑鳩町の法隆寺金堂(国宝 7世紀)にある三つの間のうち、東の間の天井で用途不明のつり金具2個が見つかった。
  つり金具は表面の風化具合から飛鳥時代ごろ取り付けられたと推定される。現在中・西の間には、飛鳥時代の木製箱形天蓋がつられているが、東の間のみだけは 13世紀の鎌倉時代に作られ天蓋が取り付けられている。これは飛鳥時代の木製天蓋が壊れて、造り直されたと考えられてきたが、金具2個では軽いものしかつ るすことができず、創建当初は布製の円形天蓋用が使われた可能性があるという。
 寺の財産目録「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」(746年)には、 仏像用の天蓋は4基で、紫色の天蓋1基が693年の仁王会で持統天皇から下賜されたとの記述が残っており、金堂壁画に描かれたのと同じ、円形の布製天蓋高 貴な紫色の布製天蓋が2個の金具でつられていた可能性があるという。

● 奈良・新薬師寺で出土(2008年8月1日)
 奈良市高畑町の新薬師寺旧境内(奈良教育大学構内) で、奈良時代に造られたと見られる、寺院の床などに敷かれたレンガ状のが見つかった。
 同寺から「」が出土したのは初めてで、柱穴も一基見つかり、今後 は周辺を発掘して中枢部の解明を目指すという。

● ユネスコ無形遺産候補に木造彫刻修理など14件提案(2008年7月31日)
 文化庁は、来年9月に決定する国連教育・科学・文化 機関(ユネスコ)の無形文化遺産の代表一覧リストに、京都祇園祭の山鉾行事や、美術院の木造彫刻修理など14件の記載を提案することを決めた。
  無形文化遺産は、一昨年発効したユネスコの無形文化遺産保護条約に基づくもので、今回が第1回。「普遍的な価値」を審査のポイントとする世界遺産と違い、 世界的に一層認知されることを目的としており、専門機関による価値評価は行われない。このため、14件は書式の審査だけでユネスコ政府間委員会で無形文化 遺産に決まる見通しだ。
 すでに「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」に選ばれている能楽、人形浄瑠璃文楽、歌舞伎は無形文化遺産に統合される。

提案候補は次の通り
【重要無形文化財】
▽雅楽(宮内庁式部職楽部)
▽小千谷縮(おぢやちぢみ)・越後上布(じょうふ)
▽石州半紙(ばんし)
【重要無形民俗文化財】
▽日立風流物(ふりゅうもの)
▽京都祇園祭の山鉾行事
▽甑(こしき)島のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)
▽奥能登のあえのこと
▽早池峰(はやちね)神楽(岩手県花巻市)
▽秋保(あきう)の田植踊(仙台市)
▽チャッキラコ(神奈川県三浦市)
▽大日堂舞楽(秋田県鹿角市)
▽題目立(たて)(奈良市)
▽アイヌ古式舞踊
【選定保存技術】
▽木造彫刻修理(美術院)
 文部科学省所管の財団法人・美術院は国内で唯一、国宝、国指定重要文化財の彫刻を修理する技術をもつ。1898年の創立以来、修理した文化財は8千点以 上にのぼる。三十三間堂の木造千手観音立像の修理や、奈良・東大寺南大門の木造金剛力士立像の修理などを手がけてきた。
 文化財修理の基本は「現状維持」。真新しい状態に復元するのではなく、劣化を抑える技術を駆使する。はがれかかった仏像表面の漆箔(しっぱく)をアクリ ル樹脂を注入して抑えたり、老朽化した仏像を解体修理したりする技術が名高い。

● 香川琴平・松尾寺銘文入り大師像(2008年7月31日)
 香川県仲多度郡琴平町の松尾寺で、弘法大師坐像内に鎌倉時代末期の文保三年(1319)作と記す銘文が見 つかった。
 弘法大師坐像は像高約75cmの寄木造で、銘文は像内部の背面側に墨で書かれていた。銘文には、行慶と宗円という僧2人が讃岐国那珂郡(現在の丸亀市) の善福寺に安置するため文保3年1月14日から仏師の定祐と定弁が坐像を作り始めた、と記されている。


 銘文にある善福寺や僧、仏師の名も他の文献で見られないが、書体や彫刻様式などから、鎌倉末期の作と見られるという。
弘法大師像は、京都・東寺にある坐像(国宝・1233年作)が日本最古とされている。

● 長野観松院の菩薩半跏像 日韓研究者が共同調査(2008年7月30日)
 長野県松川村観松院の菩薩半跏像(重文 銅像)を、 大阪大文学部の藤岡穣准教授(美術史学)と韓国国立中央博物館の閔丙賛(ミン・ビョン・チャン)研究員が調査した。
    菩薩像は像高30cmで大きな宝冠を戴き、左足を踏み下ろして座っている。 来歴は不明で、久しく7世紀前半の新羅のものとされてきた。だが、最近の研究 で7世紀初頭の百済仏とする説も出てきていた。
 右手は手のひらを前に向けて前腕を挙げているが、ひじから先が欠けていたのを戦後間もなく、仏師が補ったとされる。
 今春、この仏像をテーマに、安曇野ちひろ美術館長の松本猛さんと、菊池恩恵さんによる共著「失われた弥勒の手-安曇野伝説」(講談社)が出版されて注目 を浴びた。

● 滋賀・高月町非公開の観音像公開(2008年7月30日)
 滋賀県高月町で、8月3日国宝や重文を含む観音像が 一斉に開帳される「第24回観音の里ふるさとまつり」が開かれる。
 同まつりでは、普段はほとんどの観音堂で拝観予約が必要だったり非公開の仏像が自由に鑑賞できる。
 当日はJR高月駅東口を発着点に町内23カ所の観音堂を巡るバスが運行される。今年は新たに「東柳野薬師堂」が開帳される。

● 福井・大善寺本尊の厨子扉絵、南都絵師の作か(2008年7月28日)
 福井県坂井市の大善寺の本尊・十一面観音像を安置す る厨子の扉絵が、鎌倉時代後期ごろに南都(奈良)の絵師によって描かれた可能性の高いことが分かった。
  厨子は高さ119cm、幅92cm、奥行き61cmで、観音菩薩の浄土である補陀落(ふだらく)山や四天王像、蓮池を精巧な筆致で表現している。 側面扉 には広目天、増長天、持国天、多聞天の四天王像が描かれ、広目天の絵では、右下で円形のすずりをささげる邪鬼の姿が、天理市にあった内山永久寺旧蔵の四天 王画像(現在はボストン美術館蔵)の広目天に通じるという。
 こうした作風の特徴に加え、大善寺が中世、興福寺領にあったことなどから、厨子の絵画は14世紀ごろに興福寺に関係した南都絵師が制作した可能性がある とみられる。
 厨子は8月1日から、奈良国立博物館(奈良市)で開かれる特別展「西国三十三所 観音霊場の祈りと美」で公開される。

● 岩手・陸前高田普門寺で三重塔の頭頂部破損(2008年7月26日)
 岩手県陸前高田市米崎町の普門寺で、県有形文化財に 指定されている三重塔(高さ12.5m)の頭頂部が折れているのが見つかった。
 折れたのは「宝珠」と呼ばれる金属部分約2mで、先日の岩手北部地震で破損したとみられる。
 三重塔は江戸時代の文化6年(1809)に建立されたもので、県有形文化財に指定されている。

● 愛知県教育委員会が「文化財ナビ愛知」を開設(2008年7月26日)
 愛知県教育委員会県内にある国や県が指定などした全 文化財に、写真や解説を付けて紹介するサイト「文化財ナビ愛知」を開設した。
  愛知県はこれまで国・県指定、国登録の文化財を冊子で紹介していたが、冊子では新たに指定された文化財を追加したり、年ごとに変わる無形民俗文化財の祭り や神事などの開催日を更新することが難しいため、文化財を市町村や種別ごとに表示し、簡単に検索できるようにしたという。
 愛知県教委ホームページのメニュー「文化財ナビ愛知」からアクセスできるが、美術工芸、史跡等は平成21年以降 に公開予定。

● 観音像の胎内仏像頭部を立体画像で復元(2008年7月26日)
 福井県坂井市の大善寺で、本尊・十一面観音像の胎内 から発見された銅製十一面観音像の頭部が、3次元データをもとに復元された。
 本尊を調査のためエックス線撮影したところ、右大腿部に胎内仏の輪郭線が見つかったことから、九州国立博物館でコンピューター断層撮影装置(CT)で撮 影したところ、内部に銅製十一面観音像とみられる仏像の頭部であることが確認された。
 九州国立博物館では、医療現場で人工の骨を作る際などに使われている技術を応用し、CT撮影で得た3次元データを、コピーのように造形化できる特殊な機 器を使用して、樹脂製のレプリカ(複製品)も制作した。
 復元された頭部は全長9.4cmで、表情や耳の様式から13世紀ごろの制作とみられる。また、表面には銅特有の熱によるひずみがあり、耳などが溶けてい るなど、火災による損傷と見られる痕があるという。
 寺の縁起(18世紀)には「本堂の火災現場から金銅仏の頭部が見つかった」と記述されていることから、現在の本尊を新造した際に、火災で焼け落ちた元の 本尊を納めたとみられる。
 今回のケースは、取り出せない胎内仏の復元に3次元データを用いた初のケースといい、最新技術として注目されそうだ。
 本尊像は同寺で7月29日から31日まで開帳される。
 

● 滋賀県は舎那院薬師如来坐像などを県有形文化財を指定(2008年7月25日)
 滋賀県教育委員会は、舎那院(長浜市)の木造薬師如 来坐像など10件の有形文化財を指定した。
 薬師如来坐像は作例の少ない10世紀末〜11世紀前半に作られ、秀吉の播磨攻めに伴って円教寺(兵庫県姫路市)から長浜城下へ移され、さらに明治時代の 神仏分離で現在の寺へ移されたという伝来が分かる。

指定文化財は下記の通り。
▽薬師如来坐像 舎那院(長浜市)
▽仏典「観音玄義科」 金剛輪寺(愛荘町)
▽の板絵著色二十五菩薩来迎図 常善寺(草津市)
▽刺繍阿弥陀三尊来迎図 唯稱寺(ゆいしょうじ)(彦根市)
▽銅水瓶 己爾乃(こじの)神社(守山市)
▽杉野中薬師堂(木之本町)
▽上丹生薬師堂(余呉町)
▽長命寺文書 長命寺(近江八幡市)の
▽旧安土巡査駐在所(安土町)
▽杉原氏庭園(安土町)

● 法隆寺金堂須弥壇亀裂の原因は昭和大修理(2008年7月24日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺金堂で、仏像を乗せる須弥壇に 発生した亀裂が、昭和24年から行われた大修理に起因することが分かった。
 須弥壇は土を層状にたたき締めた版築を核として土や漆喰を塗って造られるが、昭和24〜29年にかけて行われた昭和大修理の際、着工直前に火災が発生 し、焼損した壁画を搬出するため、須弥壇の北東角を大きく削って後に築き直した。
 亀裂はこの部分の縁に沿って発生していたほか、版築にもひび割れが見つかったことから、築き直す際に側面の下地に瓦を混ぜて乾燥を早めるなど、仕上げを 急いだことが原因とみられるという。

● 図書館の通用口に石仏の頭部放置(2008年7月22日)
 千葉県印西市の市立小倉台図書館の敷地内で、通用口 に石仏の頭部が置いてあるのが見つかった。
 頭部の大きさは縦30cm、幅25cmで、重さ約11kg。
 石仏はかなり古いもので中国や東南アジアで作られた可能性があるという。
 拾得物として届け出を受けた県警では持ち主を捜しているが、県内では最近、石仏の盗難事件はなく、遺失物届も出ていないため有力な手掛かりはないとい う。
 持ち主が3カ月以内に現れないと市に渡される。

● 平泉・中尊寺の本尊 半世紀ぶり本堂で公開(2008年07月18日)
 岩手県平泉町の中尊寺で、讃衡蔵(宝物館)に安置さ れていた本尊阿弥陀如来坐像が半世紀ぶりに本堂に戻された。
  阿弥陀如来坐像は明治42年(1909)本堂の改築以降、本尊として本堂に祭られていたが、昭和30年(1955)に、保存・管理のため本堂から讃衡蔵に 移されていた。今年は平泉の世界遺産登録への機運が高まったこともあり、平泉を築いた初代藤原清衡の命日の法要に当たる7月17日、半世紀ぶりに本堂に戻 され法要が行われた。
 阿弥陀如来坐像は、像高2.7mで、藤原氏が栄えた12世紀、平安時代の作とされ国の重要文化財に指定されている。本尊の 本堂での公開は、3代秀衡の命日に当たる10月28日まで行われるが、今回、移動にあたって傷んでいる部分が多く見つかったこともあり、本堂での公開は今 回が最後となるという。

● 秋田・鹿角で市文の菩薩像焼失(2008年7月15日)
 秋田県鹿角市十和田毛馬内の常照寺から出火、木造平 屋建ての虚空蔵菩薩堂が全焼し、堂内に安置してあった市文化財の虚空蔵菩薩像が焼失した。
 焼失した虚空蔵菩薩像は木製で台座、光背を含め高さ約26cmで、江戸中期の制作とされる。
 当日は、地元の月山神社の例大祭があり、出火当時も、お堂近くは屋台が出るなど人通りが多かったという。参拝客のためにお堂は開けたままで、堂中のロウ ソクの火はついていたという。

● 神奈川・日向薬師の県指定十二神将立像は平安後期の作(2008年7月14日)
 神奈川県伊勢原市日向の宝城坊(日向薬師)の県指定 十二神将立像が平安後期の作であることがわかった。
  薬師如来の霊場として、古くから源頼朝らの信仰を集めた日向薬師には二組の十二神将立像があるが、国重文の等身大の十二神将立像が鎌倉後期から室町初期に かけての作であるのに対して、県指定の約90cmの十二神将立像は平安後期の作と見られ、評価の見直しが行われている。
 これらの像は昭和五十年 代に調査されているが、県指定のうち二体は江戸期に修理されていたため、立像全体を「江戸期の作であろう」と判断し、文化財指定されなかった。しかし、 2003年に再調査したところ、頭部と体部をいったん割り離し、内部に干割れ防止のための空洞をつくって再び継ぎ合わせるという「割剥造」という技法が用 いられていることや作風などから「平安後期の作」と判断された。修理済みの二体は、頭部が平安後期、頭部以外は江戸期の作と分かった。

 再調査の翌年 に市指定、2006年には県指定となったが、国指定より古いことから、価値的には国指定にふさわしいという評価が多いという。
 伊勢原市では、今後素材の木材の年代測定も検討している。


● 出雲で中世のたたら製鉄遺構発見(2008年7月12日)
 島根県出雲市多伎町の、国史跡に指定されている田儀 桜井家たたら製鉄遺跡で、中世の製鉄炉1基、精錬鍛冶炉3基の遺構が見つかった。
  今回の遺構は、田儀桜井家本拠であった宮本鍛冶山内遺跡から約2.5km東に位置する「屋敷谷たたら跡」内から発見された。確認されたのは製鉄炉の下部構 造にあたる本床状遺構で、幅約1.6m、長さ4.8m。規模や構造から中世の製鉄炉と考えれ、操業時期は、15世紀前半(室町時代前半)と見られている。 精錬鍛冶炉は3基で、すべて1号炉を壊してその一部に作られていた。操業は15世紀以降と考えられる。
 田儀桜井家は、江戸時代初期から明治時代 中期までの約250年間、同市多伎町奥田儀を中心に活躍した近世出雲を代表する鉄師で、本拠となった宮本鍛冶山内遺跡には、本宅跡や石垣、鍛冶場、製鉄に 従事した人たちの集落跡などが残る。今回の発掘調査で、田儀桜井家が同地で大規模にたたら経営を行う200年前も前の中世に、同地に別の前身的な製鉄集団 が存在していたことが明らかになった。

● 島根・加茂岩倉遺跡の銅鐸が国宝に指定(2008年7月11日)
 島根県雲南市の加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸39個 が、正式に国宝になった。
 1996年に出土した弥生時代の銅鐸は1カ所での出土数では全国最多。銅鐸の内部に1回り小さい銅鐸が入った「入れ子」状態で出土した初めての例だっ た。
 銅鐸は国の所有となっており、現在県に無償貸与され、県立古代出雲歴史博物館が保管・展示している。

● 栗東・善勝寺の千手観音立像の制作年代判明(2008年7月1日)
  滋賀県栗東市御園の善勝寺の本尊・木造千手観音立像(重文)の制作時期が、年輪年代測定調査で1010年〜20年代と判明した。
 年輪年代測定は、気候条件によって変動する年輪幅をパターン化した年輪データを調査対象の木材の年輪と照合して、伐採時期を割り出す年代測定法である。
 しかし、伐採時期の測定には、辺材と呼ぶ樹皮に近い部分の年輪が必要で、主に建物などの年代特定には活用されているが、仏像などの彫刻の場合、表面に辺 材を確認できなかったり、サンプルを切り取れないため、判定が難しかった。
  観音立像の両足内側部分の木目に注目し、画素数の大きい市販のデジタルカメラに接写レンズを装着して撮影した結果、919年の年輪であることが分かった。 さらに立像本体と台座の木目の特徴が一致したことから、台座から辺材を確認でき、1011〜20年ごろに伐採されたと推定された。
 観音立像は、左右にも顔を表現した全国でも珍しい三面千手観音像で、美術史の様式から10世紀末から11世紀初頭と推定されていたが、ほぼ正しいことが 確認された。
している。

● 高松塚古墳の壁画 文化庁が原因究明(2008年7月4日)
 奈良県明日香村高松塚古墳壁画のカビなどによる劣化 原因を究明する文化庁の調査検討会が文部科学省で開かれ、2年後をめどに結論をまとめることになった。
  壁画劣化については、既存の検討会でも話し合われてきたが、原因調査に特化した専門組織がつくられたのは初めてで、カビなどの微生物の影響だけでなく、文 化庁が非公開で古墳の管理を続けてきた体制の問題点なども話し合う。今後、月1回のペースで会合を開き、2年後をめどに結論をまとめる。
 今後、月1回のペースで会合を開き、2年後をめどに結論をまとめる。

● アジャンタなどの石窟壁画戦前の模写を展示(2008年7月3日)
 5〜6世紀の極彩色壁画で知られる世界遺産、アジャ ンタ(インド)・シーギリヤ(スリランカ)両石窟の戦前の模写10点が、京都市東山区の京都国立博物館で展示されている。
 模写は宗教画家杉本哲郎氏(1898〜1985)が1937年に渡航し制作、京博に寄贈したもの。
 杉本は、壁面に紙を直接当て透き写し、下級の馬ふん紙をあえて用いて壁の質感を表現し、現地の顔料を使用するなど、ありのままを写し取る工夫を凝らし た。
 現在のアジャンタ壁画は、模写直後の英国植民地時代に修理でニスが塗られ当初の姿が失われており、たびたび除去も試みられたが暗く黄色みを帯びた色調に 変わってしまっている。杉本氏の模写は明るく華やかな色調を保っており、オリジナルを知る貴重な模写となる。
 展示は7月27日まで。

● 大津の寺院で最古級の達磨大師像発見(2008年7月3日)
 大津市内の寺院南北朝時代の作とみられる達磨大師坐 像が見つかった。
 大師像は、像高43cmの寄木造。後世に顔に漆を塗り直した跡がみられる以外は修理の跡も少ない。
 着衣のしわが大ぶりで、仏像の左肩から腰部にかけての衣文が南北朝時代に活躍した院派の仏師の作風と酷似しているという。
 中世期の達磨大師の仏像は極めて数が少なく、数例しか確認されていない。
 達磨大師坐像は、 7月13日〜8月24日まで大津市歴史博物館で開かれる企画展「石山寺と湖南の仏像−近江と南都を結ぶ仏の道」で初公開される。

● 銀閣寺創建時の黒漆塗りには戻さず(2008年6月11日)
 京都市左京区の銀閣寺(慈照寺)で2階の外装を創建 時の黒漆の姿に戻さず、部分補修にとどめ現状を維持することが決まった。
 銀閣の修理は屋根ふき替えと部分修理で、昨年11月からスタート、2010年3月の完成を目指している。
  「銀閣」は2階外壁の黒漆に池の反射光が映って銀色に輝いたのが語源とも言われていたが、2006年の科学的調査で銀箔が張られておらず黒漆塗りだったこ とが分かった。当初、壁板など創建時の部材が多く残る2階の外装を黒漆で塗装し創建時の姿に戻す案も検討されたが、外壁の板の厚さが風化で半分程度になっ ており、最も薄いところで1cmしかなく、塗装には不適と判明された。また、寺側も「東山文化を代表する枯淡の美が失われる」と難色を示したこともあり、 内側など人目に付かない部分の部分補修にとどめ現状を維持することになった。


● 奈良・大福寺板絵曼荼羅展示(2008年06月29日)
 奈良県広陵町的場の大福寺で、県指定文化財の板絵両 界曼荼羅(室町時代初期)が修復の完了に伴い特別展示されている。
  展示されるのは胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅で、ともに横約2.2m、縦約2.4m。ヒノキの板に布を張り、漆を塗って下地をつくり、金泥などで数多くの仏 が細密に描かれている。刻銘により、応永31年(1424)に田原本町の楽田寺灌頂堂の曼荼羅として制作されたことがわかる。
 表面の彩色が浮き上がり、剥落していたため、去年秋から京都市の専門機関で修理を行っていた。
 普段は須弥壇の後壁に飾られており、薄暗いうえ、本尊などの仏像の背後になって見えにくいが、期間中は仏像を本堂脇に移し、曼荼羅を拝観できるようにし ている。
 展示は7月27日までの午後1〜4時。

● 岐阜・永保寺 本堂と大玄関の地鎮式(2008年6月27日)
 岐阜県多治見市虎渓山町の虎渓山永保寺の本堂と大玄 関の地鎮式が旧本堂跡地で行われた。
 永保寺は臨済宗南禅寺派の古刹で、鎌倉時代末期の正和2年(1313年)この地を訪れた夢窓疎石の草庵が起源とされる。
多治見市土岐川畔の広大な境内に建つ、入母屋造檜皮葺きの仏殿観音堂と開山堂が国宝に指定され、夢窓疎石作の岩山や橋、池泉回遊式庭園は、国の名勝に指定 されている。
  本堂と大玄関、庫裏が、2003年9月10日に発生した火災で、本堂、庫裏が火災で焼失し、庫裏は昨年8月に再建されたが、本堂は建設を請け負った業者が 会社更生法を申請したため、着工が完工送れ、今年業者を変更して着工にこぎつけた。完工は2011年6月となる見込み。
 また、解体修理を進めていた岩山の上にある霊擁殿(れいようでん)(六角堂)は今年5月に完成し、心字池にかかる無際橋も現在工事中で、2010年3月 には修理を終える予定。

● バーミヤン遺跡から土塀跡出土(2008年6月26日)
 アフガニスタンの世界遺産・バーミヤン遺跡で、中国 僧・玄奘三蔵(?〜664年)の見聞録「大唐西域記」に登場する「王城」に関連するとみられる8〜9世紀の土塀跡が見つかった。
  遺構は昨年6月、同研究所などが大仏に近いガリーブ・アーバード地区で行った発掘調査で出土したもので、幅約1m、高さ約50cmの基部が長さ約3mにわ たって見つかった。壁の片側に石垣が並び、壁の芯の部分にも石がはめ込まれた構造で、土壁は基部の幅から高さ5m以上だったとみられるという。
 土塀跡は2001年にタリバンに破壊された西大仏(高さ約55m)の南西約300mの地点にあたり、玄奘が大唐西域記に「王城の東北の山側に立仏の石像 (西大仏)がある」と記述していることから、当時の王城と土塀跡は極めて近いとみられる。
  今回の調査では、仏教からイスラム教時代への移行期に当たる8〜9世紀の土器も出土しており、玄奘が訪れた7世紀よりも新しい遺構と見られるが、出土場所 の周辺からは、玄奘が訪れた7世紀の土器もこれまでに確認されていることから、王城は玄奘の訪問時から存在したものをその後建て替えた遺構の可能性がある という。

● 文化財調査用可搬型マイクロスコープを開発(2008年6月26日)
 独立行政法人情報通信研究機構は、絵画等文化財の非 破壊調査に使用可能な可搬型のテラヘルツマイクロスコープを開発した。
 テラヘルツは、光と電波の中間に位置する電磁波で、絵画材料の透過と反射のデータを得ることができ、数値解析を用いた画像処理を行うことにより、量子カ スケードレーザー技術、絵画材料データベースと組み合わせて、非破壊で顔料等の分析がリアルタイムで行えるという。

● 島根・定徳寺飛鳥後期の観音像確認(2008年6月26日)
  島根県美郷町吾郷の定徳寺に安置されていた銅造観音菩薩立像が飛鳥時代後期(白鳳時代、7世紀後半〜8世紀初め)に制作されたものとわかった。
 観音像は像高27.2cm、台座を含めると34.9cmの小金銅仏で、2007年10月に行われた文化財調査の際、本堂に安置されていた20〜30体の 中から見つかった。
 奈良・法隆寺の銅造観音菩薩立像などと大きさや冠、胸飾り、衣のひだなどがよく似ている一方、衣や胸飾りが欠け、銅にむらがあることなど、同時代の奈良 の仏像と比べて鋳造が不完全であることから、当地での制作と考えられる。
 観音像は古代出雲歴史博物館に寄託されており、10月4日〜11月30日に行われる企画展「秘仏への旅―出雲・石見の観音巡礼―」(2008年)で展示 される。

● 京都・金戒光明寺阿弥陀堂の修復完了(2008年6月26日)
 京都市左京区の金戒光明寺で浄土宗の宗祖・法然の 800回忌(2011年)の記念事業として進められてきた阿弥陀堂の修復がこのほど終わった。
 阿弥陀堂は、応仁の乱で焼かれ、1605年に豊臣秀頼が方広寺大仏殿の余財で再建したと伝わる。
 堂内には胎内に鑿が納められているといわれる本尊・阿弥陀如来像が安置されている。

● 山梨・寺本廃寺、跡全体を文化財に
(2008年06月24日)
 山梨県笛吹市教委は、山梨県笛吹市春日居町寺本の市 指定文化財「寺本古代寺院(寺本廃寺)塔跡」の寺跡全体(約14,187平方m)を市史跡に追加指定した。
 遺跡は、白鳳期(7世紀後半)に建てられた県内最古の寺院跡で、これまでの調査で約130m四方の境内に金堂や三重塔が配置されていたことが確認され、 瓦や仏像の一部なども多数出土している。
 従来の指定範囲は三重塔の土台部分のみで、現在寺院跡のほとんどは住宅地や農地となっているが、 市教委は土塀の周囲5メートルの範囲まで指定を広げる方向で調査を進めるほか、将来的には市が一部土地を買い上げて保護することも視野に入れるという。

● 福井・中山寺本堂43年ぶりに葺き替え(2008年6月22日)
  福井県高浜町の中山寺本堂の檜皮葺きの葺き替えが終わり、一般公開が始まった。
  入り母屋造りの本堂は、14世紀中ごろに再建されたもので、江戸時代以降は茅葺きだったが、昭和40年(1965)年に葺き替えを行った際、檜皮用の構造 材が出てきたことから、本来は檜皮葺きであることがわかり、もとに戻して葺き替えられた。今回は43年ぶりの葺き替えとなる。
 中山寺は天平8年(736)に泰澄大師が開創したと伝えられる古刹で、本堂には国の重要文化財の馬頭観音坐像が本尊として安置されている。中山寺では 33年に一度の本尊の開帳に合わせて、2010年春に落慶法要を営むという。

● 鎌倉の大仏素材は中国銭(2008年6月21日)
 鎌倉・高徳院の阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏)は、中国 からもたらされた銭(銅貨)で造られたことが別府大の研究で明らかになった。
 当時は末法思想が流行し、お経を筒に納めた経筒が各地で地中に埋められたが。全国で出土した経筒50点を調査し、含まれる鉛の同位体比を測定し原産地を 特定した結果、1150年ごろを境に一斉に国産から中国華南産に切り替わったことがわかった。
 しかし当時は、中国でも銅は不足していたため銅の原料を輸入するのは難しく、多量に輸入できる銅としては中国銭のほかに見あたらないという。
  日本では、8世紀初めからは和同開珎など12種類の銅貨(皇朝十二銭)が発行されたが、銅不足から時代を追って小型化し、銅の割合が下がり鉛が多くなり、 10世紀半ばには鋳造が行われなくなった。その後、日本で流通していた貨幣は、中国から多量の中国銭が輸入された宋銭が大部分であり、その鉛含有量は、 20〜45%と非常に高い。
 鎌倉大仏の鉛の含有量は、奈良大仏が1%程度なのに対し、10%以上で、これは浄光上人が、建立に当たり一文銭を勧請した事から、当時流通していた銅銭 が材料として用いられたためとされていた。
 今回の研究では、科学分析の結果も一致することから、今までの通説が正しいことが証明されたという。

● 岩手・宮城内陸地震で双林寺の仏像、接触して破損(2008年6月20日)
 栗原市築館薬師台の双林寺の薬師如来坐像と持国天王 立像が、宮城内陸地震で、倒壊して互いに接触し、それぞれ胸と左肩が一部破損した。
 本尊薬師如来坐像は、倒れた持国天王立像と接触し胸に長さ13〜15cm、深さ2〜3mmの傷ができ、左手首にひびが入ったという。
 また、持国天立像は左肩の一部が損壊し、現在は、余震による転倒を防ぐため、胴にさらしを巻いて柱に固定している。
 双林寺は、天平宝字4(760)年開創とされる古刹で、境内の薬師堂は「杉薬師」の愛称で知られており、本尊薬師如来坐像は、ケヤキの一木造で、東北に 現存する仏像の中では最古の仏像の一つである。
 今回の地震ではこのほか、仙台市の陸奥国分寺薬師堂の欄間が落下するなど、国指定文化財は、重文6カ所、史跡3カ所、史跡・名勝1カ所、登録3ヶ所の計 13ヶ所、県指定文化財は5ヶ所が破損などの被害を受けた。いずれも、被害の大きかった栗原、大崎両市に集中している。

 

薬師如来坐像          持国天像

● 西大寺は巨大伽藍-薬師金堂・文献と規模一致(2008年6月20日)
 奈良西大寺小坊町の西大寺旧境内で昨年見つかった薬 師金堂の大きさが文献の記録と一致する巨大な建物だったことが分かった。
  昨年の調査では、七基の柱穴が出土し、建物本体の南北が確認できたほか、北側ではひさしの柱穴も見つかった。伽藍の中軸線などをもとに全体を復元すると、 東西35.7m、南北15.9mで、奈良時代に書かれた西大寺流記資財帳に記載された「長十一丈九尺、広五丈三尺」の数値と一致することがわかった。
 西大寺は、奈良時代の女帝・称徳天皇が東大寺に並ぶ大寺として建立した寺とされる。

● 年輪年代測定:高さ1メートル超の仏像で成功(2008年6月19日)
 奈良文化財研究所が、木造文化財を壊さずに内部の年 輪を撮影できる「マイクロフォーカスX線CT装置」で、高さ約1m規模の仏像の年輪年代を測定することに成功した。
 年輪年代測定は、木材の年輪パターンからその木が伐採された年代を測定する手法で、一般的には、年輪が見えている部分を、高画質のデジタルカメラで撮影 する方法が採られていた。
 これに対し、マイクロフォーカスX線CT装置は、木材を壊さないまま内部の年輪を撮影することができるため、彩色があったり、表面の年輪が見えにくい場 合も非破壊で測定することが可能であるという。
 今回、長野県大桑村の池口寺の協力で、寺に伝わる木造菩薩形立像(像高約116cm)を測定。伝来などは不明だが、作風などから平安時代末から鎌倉時代 初めと見られていた。測定の結果、1115年以降に伐採された木材であることが判明した。

●奈良の喜光寺南大門を450年ぶり再建(2008年6月18日)
 奈良市の喜光寺で戦国時代に焼失した南大門が約 450年ぶりに再建されることになった。
  喜光寺は奈良時代の高僧・行基が721年に創建したと伝える。本堂は、東大寺大仏殿造営の際、参考にしたとされ、「試みの大仏殿」とも呼ばれる。しかし、 南大門をはじめ、伽藍の大半が戦国時代の1499年に戦火で失われ、1544年ごろに再興されたが、南大門は再び焼失したという。
平城京遷都1300年に合わせ、2010年3月に完成の予定。

● 愛知・大樹寺本堂と開山堂が岡崎市文化財に(2008年6月17日)
 愛知県岡崎市鴨田町の大樹寺の本堂と開山堂が市文化 財に指定された。
 大樹寺は、松平家、徳川将軍家の菩提寺として知られる名刹で、境内にある指定文化財の建物は、国重要文化財の多宝塔、県文化財の大方丈、裏二の門、三 門、総門、鐘楼と合わせて8棟となった。
 本堂は、入り母屋造りで本瓦葺きで、幕末の安政2(1855)年に焼失し2年後の安政4に年建立された。
 開山堂は宝形造り、桟瓦葺きで、江戸初期の創建になる。

● 六波羅蜜寺で「十王図」特別展(2008年6月17日)
 京都市東山区六波羅蜜寺戦後に所在が分からなくなっ ていた「十王図」が土蔵で見つかり寺の特別展で展示されている。
 見つかった十王図は10幅で、それぞれ縦約90cm、横約49cm。死んだ人が初七日から三周忌の間に、閻魔王庁で裁きを受ける様子や、舌を切られる地 獄絵が描かれている。以前は法要や絵解きに使われたという。
 特別展は6月17日から9月30日まで。

● 島根・西ノ島で和同開珎の銀銭出土(2008年6月16日)
 島根県西ノ島町別府の黒木山横穴墓群で銀製の和同開 珎(わどうかいちん)一枚が出土した。
  銀銭は、六基の横穴墓群のうち六号横穴墓から人骨などとともに出土した。和同開珎は、和銅元年(708)鋳造された日本最初の本格的な流通貨幣で、銅製と 銀製の二種類がある。銀銭は1年余りで鋳造中止となったため流通量が少なく、近畿を中心に40数枚しか見つかっておらず、近畿より西での出土は松江市大草 町の出雲国府跡に続く2枚目。
 隠岐は奈良時代ごろから朝廷にアワビやノリなどの海産物を献上する「御食国(みけつくに)」として知られており、有力者か上位クラスの漁民が献上の褒美 や記念品として与えられるなど、海産物などを通した隠岐国と中央政府の結びつきを示す貴重な史料という。

● 法隆寺金堂四天王赤外線で表情くっきり(2008年6月14日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺・金堂(国宝)内にある日本最 古の四天王立像のうち、広目天像を赤外線撮影したところ、眉やひげなどの墨線が浮かび上がった。
 彩色の風化や剥落で無表情のように見えていたが、赤外線写真によれば、険しく吊り上がった細い眉や大きく見開いた目、口元とあごには、ねじれの利いた髭 を持つ、きりりとした武人の顔が浮かび上がった。
 髭をたくわえた姿は中国・秦始皇帝陵の兵馬俑などに見られる武官像によく似ており、表情の特徴などから当時の中国の武人を模した可能性もあるという。
 広目天は、光背の銘文から渡来系氏族・東漢氏である「山口大口費」らが造ったとみられている。
 四天王像は、6月14日に同館で開幕する「国宝 法隆寺金堂展」で公開される。

 

● キトラ古墳、天文図の6星座はぎ取り(2008年6月14日)
 明日香村阿部山キトラ古墳の石室天井に描かれた天文 図(直径65cm)のうち、「弧矢(こし)」など6つの星座をヘラによる手作業ではぎ取った。
 剥ぎ取ったのは、南側にある「柳宿」(うみへび座)や「井宿」(双子座)の一部など6星座で、南北24cm、東西14cmの範囲を13分割してはぎ取っ た。天文図や漆喰の損傷などはなかったという。
 昨年7月から始まった天文図のはぎ取りは全体の3分の1程度まで進み、年内にすべての星座のはぎ取りを終えるとの見通し。

● 法隆寺金堂の天蓋 670年の焼失前の木材も使用(2008年6月13日)
  奈良県斑鳩町法隆寺の国宝・金堂内で仏像の上に飾られている天蓋(重文)の部材に、7世紀初めに伐採されたとみられる木材が含まれていることがわかった。
 金堂の天蓋は3基あり、調査では本尊・釈迦三尊像(国宝)の頭上に当たる「中の間」と、阿弥陀如来像(重文)の上の「西の間」に飾られてきた天蓋の部材 ついて年輪年代を測定した(「東の間」の天蓋は鎌倉時代の制作)。
 その結果、2点には新旧の部材が混在しており、中の間の天蓋の天井板部分には、607年前後に伐採された部材が含まれていることが分かった。
 法隆寺は607年ごろ聖徳太子が創建したとされるが、670年に焼失し、現在の伽藍はその後再建されたとする説が有力だが、材木としては創建ごろの古い 部材も合わせて使われていたことになり、新たな謎が浮上した。
 調査結果については、寺院造営の奨励に対して木材が備蓄されていたという見方や、焼け残った部材や太子ゆかりの建物の部材を使ったとの見方も出ている。
 中の間、西の間の天蓋は6月17日〜7月21日に、奈良市登大路町の奈良国立博物館で開かれる特別展「国宝 法隆寺金堂展」で展示される。

● 桜井市談山神社で、社殿から骨蔵器発見(2008年6月13日)
 桜井市多武峰の談山神社で、修理中の社殿から二つの 骨蔵器が見つかった。
 骨蔵器が発見されたのは、十三重塔西側の権殿(重要文化財)内で、8世紀末〜9世紀初頭の形式と見られる高さ約9.5cmの壺形の土器と五世紀中ごろの 祭器とみられる容器の中に、土と共に火葬された骨が入っていた。
 続日本紀によると、日本で最初に火葬されたのは僧道昭で、文武天皇四年(700)とされ、5世紀に火葬の習慣はなかったことから、奈良時代に亡くなった 人物の遺骨が、壺形の土器が作られた奈良時代末ごろに土器に移され権殿に納められたとみられる。
 談山神社は「多武峯縁起」などによると、白鳳7年(679)に藤原鎌足の長男の定慧が父を弔うために十三重塔を建てたのが始まりとされ、その後妙楽寺と 呼ばれた。
 歴代僧侶の墓は多武峰山中の奥の院にあり、わざわざ境内に埋葬し、骨蔵器も権殿で保管されていたことから、相当身分のある僧侶だったとみられるという。

● 大分真木大堂の大威徳明王像80年ぶり修理へ(2008年6月12日)
 大分県豊後高田市の真木大堂の大威徳明王像(重文) が、1929年以来、約80年ぶり修理されることになった。
 平安時代の作といわれる大威徳明王像は傷みが激しく、彩色がはく離剥離し、表層面が浮き、虫食いの穴が目立つ状態。このため現在、展示されている宇佐市 高森の県立歴史博物館から、九州国立博物館に移し樹脂などで剥落を止める作業を行う。
 真木大堂は現在改修工事中で、本年11月にオープン予定であるが、明王像修復もこれに間に合わせる予定という。

● 奈良県明日香村で金銅製の仏像の右手が出土(2008年6月10日)
 奈良県明日香村の檜隈(ひのくま)寺跡金銅製の仏像 の右手が出土した。
  見つかったのは、手首から先の部分で、長さ2.3cm、幅1cm。中指など3本の指は欠けているが、金メッキが鮮やかに残り往時の輝きを伝えている。顔や 胴体などは出土していないが、立像だと像高20〜25cmと見られる。金メッキは純度83%以上で、メッキの発色や精巧な細工から、7世紀後半から8世紀 に古代の中国か、朝鮮半島で製作された可能性があるという。
 檜隈寺は古代の渡来系氏族、東漢(やまとのあや)氏の氏寺とされる
 仏手は、6月11日〜7月10日、国営飛鳥歴史公園館(奈良県明日香村)で展示される。

● 大津・三井寺不動明王像最古級(2008年6月5日)
 大津市園城寺町の園城寺(三井寺)行者堂の木造不動明王坐像が、平安時代(9世紀後半)に作られたもの で、国内の不動明王像では最古級であることがわかった。
  不動明王坐像は像高約90cm一木造りとみられる。正面をにらんで唇をかみしめ、右手に剣、左手に縄を持つ弘法大師様と呼ばれる姿をとる。肥満した像の表 面に薄く乾漆を塗り、着衣の一部や装身具を別材で作って張り付けるなど、不動明王像の最古の像とされる京都・東寺講堂の国宝不動明王坐像と共通した技法を 持つことから、同じ図像を基に制作されたと考えられるという。
 9世紀の不動明王像は2、3例しかなく、貴重な発見。
 不動明王坐像は、2008年11月に大阪市立美術館で開幕する「国宝三井寺展」で初公開される。

● 「運慶作」大日如来 東京国立博物館で公開(2008年6月3日)
 ニューヨークで競売に掛けられ、宗教法人「真如苑」 が落札した、仏師運慶の作とみられる大日如来像が、東京国立博物館に寄託され一般公開される。
 今後は、文化財としての調査、展示に協力するため、数年間の予定で同博物館に寄託するという。
 今年の展示期間は、6月10日から7月6日及び7月10日から9月21日。

● 中国重慶市大足石刻の千手観音、国家重点保護プロジェクトに(2008年6月3日)
 重慶市大足県にある仏教石窟世界文化遺産・「大足石 刻」の千手観音が、国家重点保護プロジェクトの第一号になった。
 千手観音像は、南宋時代(1127〜1279年)の中・末期に建てられた大足石刻の代表作品の1つで、本像のある大足石刻は、1999年にユネスコの世 界文化遺産に登録されている。
 千手観音像は像高7.7m、幅12.5mの巨像で、岩面に観音像の周りに孔雀が尾羽を広げたような形で1007本の手が彫られている。
 近年風化および、表面の金箔のはがれが深刻になったため、一部について試験的な修復作業を行なってきたが、本格的な修復を行うために国家重点保護プロ ジェクトの第一号に指定された。

 

● 四川大地震2700点の文化財が被害(2008年5月31日)
 中国国家文物局の調査によると、四川大地震による各 省の地震による文化財への被害は、世界文化遺産2ヶ所、全国重点文化財保護機関127ヶ所、省レベルの文化財保護機関192ヶ所で、254点の貴重な文化 財を含む2700点になり、修復には57億元が必要になるという。
 四川省北川県の地震遺跡博物館の建設については、国家文物局の専門家チームがすでに現場の調査を行い、その調査結果によって建設案が提出されることに なっている。

● 四川大地震西安の兵馬俑7体に破損、大雁塔の傾斜も悪化(2008年5月28日)
 四川大地震によって、震源地となった四川省に隣接す る陝西省西安市の世界的文化遺産、兵馬俑博物館にある7体の像が破損したことがわかった。
 破損状況はいずれも軽く、馬の頭部や台座に小さなひびが入ったり、像が傾いたりしたという。
 また、陝西省では、西安市中心部にある大雁塔では、塔の傾斜がわずかに大きくなり、内部の壁の一部がはがれ落ちたり、ひびが入るなどの被害が出たほか、 文化財関連施設56か所が被災し、文化財41件が破損したという。

● 法隆寺金堂の天蓋に再建前の古材使用(2008年5月30日)
 奈良県斑鳩町法隆寺の国宝・金堂内にある装飾の天蓋 に、606年ごろ伐採された木材が使われていたことがわかった。
 天蓋は金堂内の「中の間」「西の間」「東の間」に3基あり、それぞれ幅約2.4m、奥行き約2.1m、高さ0.8mで、「東の間」の天蓋のみ鎌倉時代の 後補である。
釈 迦三尊像(623)がある「中の間」と、阿弥陀如来像(1232)がある「西の間」の天蓋を年輪年代法で測定したところ、「中の間」天蓋の部材のうち最も 新しい年輪年は654年、「西の間」天蓋は663年で、「中の間」天蓋の部材のうち、天井板の部分に使われていた木材5枚の天井板のうち2枚が同じ材で、 606年前後の伐採とわかった。
 法隆寺は聖徳太子(574〜622)が607年に創建したが、670年に焼失し、7世紀後半から8世紀初めごろ 再建したとされる。本尊を安置する中枢部の金堂でも、創建時期の古材が半世紀以上経た後に使われていたことが分かっており、天蓋にも聖徳太子存命中に伐採 された材料が使われていたことは、建立過程などをめぐり新たな議論の的となりそうだ。

● 唐招提寺金堂三尊の最後の公開(2008年5月30日)
 奈良市西ノ京の唐招提寺金堂の本尊・盧舎那仏坐像と 千手観音立像、薬師如来立像の国宝三尊が修理を終え、境内の修理所で5月31日から6月8日まで一般公開される。
 盧舎那仏坐像は像高さ3.04m乾漆造。8世紀の制作で、重厚な姿で知られている。江戸時代の修理で張った四角い金箔の縁の形が顔面に浮き出していたた め、黒色の顔料で目立たないように処理。大正時代、袈裟の部分のひび割れを埋めた際に残った漆も取り除かれた。
 千手観音立像は背面の900本余りの手を取り外して、一部を展示。仏像の全身を写したエックス線写真なども掲示した。
 金堂は解体修理がほぼ終了しており、仏像3体は今年8月末以降、金堂に運び込まれる予定で、今回の公開は、本尊を堂外で間近に見ることができる最後の機 会となる。

● 松阪市 新たに絵画、古文書4点 市指定文化財に(2008年5月29日)
 松阪市教委は中町の岡寺山継松寺所蔵の「両界曼荼羅 図」(室町時代)など絵画2、古文書1、史跡1の計4件を新たに市指定文化財に指定した。
 両界曼荼羅図は、「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」の2幅からなり、ともに縦約93cm、横約79cm。市内に残る数少ない密教絵画で、一部で顔料の はがれが見られるが、保存状態は良好。

指定品は下記の通り
両界曼荼羅図 室町時代 継松寺
射和万古窯跡 射和町
蓮如・如光連坐像 室町時代 本宗寺
佐藤氏系図 室町時代以降 肥留町 個人所蔵

● 兵庫・石の宝殿の謎に迫る(2008年5月28日)
 高砂市阿弥陀町生石(おうしこ)の生石神社のご神体 「石の宝殿」(県史跡)の内部診断結果を公表する説明会が6月21日に開催される。
 高砂市教委と日本文化財探査学会が、今年1月12、13日に、さまざまなポイント、角度からレーダーと超音波を照射して内部構造や亀裂の有無などを探 る、初めての科学的調査を行った。
 その結果、石の「墓」説を裏付ける空洞の有無は確認されずじまいだったが、6月21日に同神社参集殿と兵庫県立考古博物館(播磨町)で開催される学会で レーダー探査結果と超音波探査の結果を報告する。

● 高松塚壁画に課題山積(2008年5月24日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初 め)の石室から運び出し、古墳近くの施設で修復を進める国宝壁画が、5月31日の一般公開を前に報道陣に公開された。
 修復責任者を務める東京文化財研究所の川野辺渉副センター長によると、「飛鳥美人」と呼ばれる西壁の女子群像に直径6〜7ミリの陥没が3、4カ所あるこ とを確認。絵の下地のしっくいが内側から溶け、空洞になっているとみられる。

● 大阪・吉志部神社で火災、国の重要文化財指定の本殿全焼(2008年5月24日)
 大阪府吹田市岸部北四の「吉志部(きしべ)神社」か ら出火し、消防が約20分後に消し止めたが、国の重要文化財に指定されている木造平屋の本殿が全焼したほか、社務所の玄関や周辺の山林の一部が焼けた。
 現在の本殿は江戸時代初期の1610年に建立された。正面に柱が8本並び柱間が7つある「七間社流造」の大規模なもので、桃山様式の装飾性豊かな建物。 七間社流造は大阪府内唯一で全国的にも珍しく、1993年に国の重要文化財に指定された。
 吹田署などが不審火の疑いもあると見て、出火原因などを調べている。

● 紫香楽宮跡から木簡出土(2008年5月22日)
 滋賀県甲賀市の宮町遺跡で木簡が出土し、その中に万 葉集巻16に収められた和歌が記されていたことが分かった。
 木簡は、1997年度の発掘調査で出土したもので、いずれも幅2.2cm、厚さ1mmで、長さ7.9cmと14cmの二つに割れていた。本来の長さは約 60cmと推定され、儀式や宴会で詠み上げるのに使った「歌木簡」とみられる。
  木簡には、万葉集巻16に収められた「安積香山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」のうち、1字で1音を表す万葉仮名で「阿(あ)佐(さ)可 (か)夜(や)」と「流(る)夜(や)真(ま)」の計7文字の墨書が判読できた。片面には対となる「難波津の歌」が記されていた。
 この歌は。陸奥国に派遣された葛城王が国司の接待が悪くて立腹したが、かつて王の采女だった女性が機転をきかせて「(福島県の)安積山の影まで映す山の 泉ほど、私の心は浅くありません」と詠んだので王は機嫌を直したという。
 万葉集は745年以降の数年間に巻15までと付録が成立し、巻16は付録を増補して独立させたとする説が有力で、日本最古の歌集の成立を考えるうえで極 めて重要な発見となる。
 「難波津の歌」が書かれた木簡や土器は全国で三十数点が出土しているが、万葉歌が書かれた木簡が見つかったのは初めて。

● 京都清水寺本堂などを修理へ(2008年5月20日)
 京都府教育委員会は国宝や重要文化財など国指定文化 財の保存修理や防災対策に対する本年度の国庫補助事業内定分を発表した。建造物では京都市東山区の清水寺本堂(国宝)など9棟の屋根葺き替え・解体修理の 新規事業12件を含む87件。
 清水寺では、仁王門や経堂、田村堂などを順次修理しており、今回は馬駐(うまとどめ)の屋根葺き替えを手始めに11年間で、朝倉堂、轟門、本坊北総門、 阿弥陀堂、奥の院、子安塔は解体修理し、本堂や釈迦堂の屋根を葺き替える。
 その他の新規の国庫補助事業は次の通り。
【建造物保存修理】退蔵院本堂及び玄関(右京区)
【美術工芸品保存修理】
▽著色絵杉戸(東山区・養源院)
▽厨子入木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(上京区・報恩寺)
▽木造軍荼利明王像(右京区・大覚寺)
▽宋刊本楞伽(りょうが)経、宋刊本四分律比丘尼鈔(東山区・東福寺)
▽岩倉具視関係資料(左京区・岩倉公旧蹟保存会)
▽絹本著色閻魔天像、木造不動明王坐像(伏見区・醍醐寺)
【美術工芸品保存活用整備】木造空也上人立像ほか8件を収める収蔵庫改修(東山区・六波羅蜜寺)
【重要有形民俗文化財保存修理】祇園祭山鉾「霰天神山」(中京区)
【民俗文化財伝承・活用】京都の六斎念仏(京都六斎念仏保存団体連合会)

● 千葉県山武市内7寺1社 仏像・仏画特別公開(2008年5月15日)
  千葉県山武市では、5月24、25の両日、7寺院と1神社が所蔵する仏像や仏画の特別公開を行う。 昨年、5寺院に伝わる仏像や仏画を一斉公開したとこ ろ、大きな反響を呼んだことから、「山武仏教文化研究会」が発足し、今年は賛同する寺社も増えた。24日には各寺院を巡る見学バス(無料、要予約)も運行 される。
 一般公開する主な寺院は下記の通り。
 天台宗・宝聚寺 釈迦如来像 県文 鎌倉末期 
 真言宗・勝覚寺 四天王像 県文 鎌倉末期 
 日蓮宗・妙宣寺 釈迦如来像 南北朝末期 など
 市歴史民俗資料館 善光寺式阿弥陀三尊像 県文 鎌倉時代 真行寺旧蔵

● 舞鶴の松尾寺金剛力士像を修理(2008年5月15日)
 京都府舞鶴市松尾の松尾寺、来年の創建1300年記 念式典にあわせ、仁王門の金剛力士像を財団法人美術院国宝修理所で修復する。
 2体とも像高約230cm。鎌倉中期の作と推定され、市の文化財に指定されている。
 今後、各部分に解体して、江戸期に塗られた絵の具を取り除き、新たに彩色を施して建立当時の外観をよみがえらせる。創建記念式典の来年10月までに阿形 像を完成させ、吽形像は2009年秋までに補修する。
 解体作業中に、阿形像の足と土台をつなぐほぞの側面に墨書跡が見つかり調査を進める。

●八幡の正法寺で快慶作の仏像公開(2008年5月11日)
 京都府八幡市八幡清水井の正法寺で美術工芸品などを 収蔵する「法雲殿」が完成したのを記念し、5月10、11日に鎌倉時代の阿弥陀如来坐像(重文)など同寺所蔵7点が特別公開された。
 快慶かその弟子の作とされる像高283cmの阿弥陀如来坐像や光明皇后が天平12年(740)に書写した「大方等大集経」(重文)は、正法寺では初めて の公開。
 同寺は古文書約9400点を所蔵しており、今後も展示替えをしながら文化財の公開を行っていくという。 

● 静岡・蔵春院の釈迦如来坐像宿院仏師の制作か(2008年5月8日)
 静岡県伊豆の国市田京の蔵春院の本尊釈迦如来坐像 が、静岡大の調査の結果、室町時代に奈良を中心に活躍した宿院仏師の作品である可能性が高いことが分かった。
 釈迦如来坐像は像高72.3cmの寄木造で、肉身部は金泥が塗られているが、衣の彫りなどが源次や源三郎など宿院仏師の作風に近いことがわかったとい う。
 宿院仏師は木材工事に携わる工匠出身の源四郎、源次、源三郎らが俗人仏師として、奈良の宿院町を中心に活動した一派で、回顧的な作風を重んじ、彩色を施 さずに精緻に彫り込むのが特徴。現在70体余りの作品が確認されているが、所在は京都、奈良に集中している。
 伊豆半島に宿院仏師の作品が伝わった経緯は不明で、近く仏像の内部調査を実施し詳細の解明するという。
       
   
● 京都・建仁寺で風神雷神図屏風公開(2008年5月7日)
 京都市東山区の建仁寺で、俵屋宗達筆「風神雷神図屏 風」(国宝)が、「妙光寺特別展」で特別公開される。
  この屏風は、江戸初期に再興された右京区宇多野の妙光寺にあったが、江戸後期、同寺から建仁寺の住持となった全室慈保が持参したという。
 劣化が激しく、移動に伴い顔料や金箔がはがれる恐れがあるため、通常は京都国立博物館に寄託されており、建仁寺ではデジタル画像による複製画が展示され ていた。建仁寺には10年ぶりの里帰りとなる。
 特別展は、荒廃した妙光寺の復興を目指して開かれ、開山・法燈国師の絵画や彫刻など15点も展示される。
 5月8日から14日まで。

● 京都・長楽寺火災で重文の仏像7体搬出(2008年5月7日)
 京都市東山区円山町の長楽寺の収蔵庫から出火し、屋 根部分を焼いて約30後にほぼ消し止められた。
 収蔵庫は鉄骨平屋建てで、時宗宗祖の一遍上人立像など重文の祖師像7体のほか、府や市の指定文化財の古文書などが保管されていたが、すべて搬出され無事 だった。
 長楽寺は平安初期に天台宗別院として創建され、平清盛の娘の徳子(建礼門院)が出家したとされる。室町初期に時宗の寺院となった。

● 京都・寂光院焼損の旧本尊を特別公開(2008年4月26日)
 京都市左京区の寂光院で、2000年5月の放火事件 で焼損した旧本尊地蔵菩薩立像の特別公開が始まった。
 旧本尊は像高2.6mで鎌倉初期の制作とされ、放火事件で焼損したが、劣化を防ぐために表面を樹脂加工するなど修復された。現在も重要文化財に指定され ており、完全空調の収蔵庫で保管されている。
 公開は4月26日から5月6日まで。

● 奈良・明日香村高松塚古墳の公開始まる(2008年4月25日)
 奈良県明日香村の修理施設で、高松塚古墳石室から取 り出された国宝壁画の地元村民への公開が始まり、午前中は村立の幼稚園、小中学校の児童・生徒計約500人が訪れた。
 村民への公開は27日まで、一般公開(応募制、先着順)は5月31日〜6月8日に行われる。

● 韓国で盗難古美術およそ2400点を回収(2008年4月24日)
 韓国で盗難に遭った朝鮮時代後期の画家の美術品と文 化財など2400点あまりが回収された。
  ソウル警察庁は2005年3月から昨年6月までに100件あまりの名家などに侵入し、美術品と古文書、民俗資料など4600点盗んだ容疑者を逮捕し、画家 ソジョン、ピョン、グァンシクの山水画や、旧韓国末義兵長、キ・ウマンの手紙などの古文書、絵画の巨匠キム・キチャンの版画などの美術品など2400点を 隠していた倉庫で発見し回収した。

● 出雲大社で本殿を59年ぶりに一般公開(2008年4月21日)
 島根県出雲市の出雲大社は、「平成の大遷宮」で神体 を本殿から仮殿に遷したのに伴い、国宝の本殿の一般公開を始めた。
 本殿は江戸時代の延享元年(1744)造営。高さ24mの高床式で、切り妻屋根や周囲に縁を巡らせた「大社造」と呼ばれる建築様式。普段は限られた神職 しか入ることができないが、檜皮のふき替えなどの大修理に備え、ご神体が仮殿に移されたためで59年ぶりに公開される。
 一般公開は4月21〜23日、26日〜5月6日、5月13日〜18日、8月1日〜17日の4回に分けて計37日間行われる。無料。Tシャツやジーンズな どの軽装での見学や撮影は不可。

● 滋賀愛荘町町文化財に4件を指定(2008年4月19日)
 滋賀愛荘町教委湖東三山の一つ、金剛輪寺所蔵の狛 犬、廣照寺の聖観音立像など4件を町文化財に指定した。
 4件は4月19日〜5月18日まで町立歴史文化博物館で開く「愛荘町新指定文化財展」で公開される。

指定文化財
▽狛犬(こまいぬ) 鎌倉時代 金剛輪寺(同町松尾 寺)
▽聖観音立像 鎌倉時代 廣照寺(同町畑田)
▽紙本著色矢取(やとり)地蔵縁起絵巻 室町時代個人所有
▽紙本著色熊野観心十界曼荼羅図 江戸時代 寶満寺(同町愛知川)

● 出雲歴史博物館で国宝の銅剣を損傷(2008年4月18日)
 出雲市の島根県立古代出雲歴史博物館で、荒神谷遺跡 (島根県斐川町)から出土した国宝の銅剣を調査中に誤って展示台にぶつけ、刃の中央部に亀裂が入った。
 損傷したのは長さ52cmの銅剣で、元興寺文化財研究所(奈良市)の技師ら3人が、展示台から銅剣を1本ずつ取り外して写真を撮り戻す際に、銅剣を台の 枠にぶつけ、ほぼ中央の刃部に長さ4.2cm、幅0.9cmにわたる弧状の亀裂が入ったという。
 銅剣は1984年、荒神谷遺跡から358本が出土し、1998年に同遺跡出土の銅矛や銅鐸とともに国宝に指定された。
 ひびの拡大を防ぐため、接着剤を塗る応急処置をとり、文化庁と修復方法を協議するという。

● 熊本・人吉の青井阿蘇神社が国宝に(2008年4月18日)
 文化審議会は、熊本県人吉市の青井阿蘇神社の5棟 (本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門)を国宝に指定するよう文部科学相に答申した。
かやぶき屋根の建造物としては初の国宝指定で、楼門から本殿迄の一連の主要建物が一度に国宝になるのも珍しいという。

指定建築物
【国宝】
▽青井阿蘇神社(熊本県人吉市)
  青井阿蘇神社は、大同元年(806)の創建と伝え、阿蘇神社(阿蘇市)の三神を祭る。鎌倉時代に人吉入りした相良家の氏神として長く保護され、球磨地方の 鎮守として信仰を集めている。 現在の社殿は江戸初期の慶長15〜18年(1610〜13)年に建て替えられた。黒塗りで傾斜が急な萱葺(かやぶ)き屋根 に極彩色を用いた装飾性の高い彫刻や模様に特徴がある桃山様式で、南九州一帯に影響を与えた独特の技法などは近世神社建築で重要な位置を占めとされた。
【重要文化財】
▽旧東京科学博物館本館(東京都台東区)
▽金沢城土蔵(金沢市)
▽大安寺(福井市)
▽西福寺(福井県敦賀市)
▽豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂(愛知県豊橋市)
▽舞鶴旧鎮守府倉庫施設(京都府舞鶴市)
▽淀川旧分流施設(大阪市)
▽大野教会堂(長崎市)
▽江上天主堂(長崎県五島市)
【重要伝統的建造物群保存地区】
▽金沢市主計(かずえ)町(石川県)
▽小浜市小浜西組(福井県)
▽平戸市大島村神浦(長崎県)

● 宇治の平等院鳳凰堂の天井装飾復元(2008年4月18日)
 宇治市宇治の平等院で鳳凰堂の天井装飾「方蓋(ほう がい)」(国宝)の創建時の文様を再現した復元品を完成させた。
 方蓋は本尊の阿弥陀如来坐像の頭上を飾る天蓋の一部で、幅約4.2m、奥行き約3.7m。
  復元したのは方蓋の南東角(縦・横65cm、高さ66cm)と北東角の二部分で、平成の大修理で、蛍光エックス線検査などで本来の色彩や塗装法を調査し、 方蓋と同じヒノキ材を用いて夜光貝の螺鈿や金箔を施し、漆や朱の鉱石、調査で発見された木粉を混ぜた塗料で濃い赤紫色を再現した。

● 金沢市文化財に高岸寺の本堂など指定(2008年4月17日)
 金沢市文化財保護審議会は、「高岸寺本堂・鐘楼・附 棟札7枚」(寺町)と「松風閣庭園」(本多町)を市文化財に指定するよう答申した。
 高岸寺は日蓮宗の寺院で、前田家家臣の高畠石見守が一族の菩提所として開いた。
  本堂は1861年の建築で、切妻造りの妻入り。正面中央に向唐破風の式台玄関が付けられ、彫刻の完成度も高い。鐘楼は1797年ごろの建築とみられ、祠堂 の2階に建つ形式は市内の寺院でも例がないという。また棟札には、これら建造物の建築年代が記され、変遷をうかがうことができる。

● 平城宮跡東方官衙で数万点規模木簡(2008年4月11日) 
 奈良市佐紀町の平城宮跡東方官衙地区で出土した木簡 の堆積層が数万点規模になることが分かった。削りくずが大半だが、点数では長屋王家木簡(約35,000点)を上回る可能性が高く、平城京で過去最多の二 条大路木簡(約74,000点)に迫るという。
 木簡は直径6mほどの穴に投げ込まれた状態で、最高約40cmほどの厚さで全体に堆積している。土はほとんどはさまっておらず、削りくずだけがびっしり と積み重なった状態だった。

● 奈良・藤ノ木古墳で石室公開(2008年4月8日) 
 奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳で、見学施設の整備工事が 終わり、5月3〜6日の4日間石室内部が特別公開されることになった。
 藤ノ木古墳は、1985年に馬具が発見され、1988年に石棺内部調査が行われて、豪華な金銅製馬具や、多彩な副葬品(いずれも国宝)を納めた未盗掘石 棺が出土したことで知られる。
 見学施設は石棺のある玄室につながる長さ約12mの羨道に通路を設置し、石室入り口のガラス窓越しに内部を見学できるようにし、一般公開される。また、 今後は、春と秋の2回石室内部の特別公開を予定しているという。

● 大和郡山で奈良時代のヒノキの巨大井戸出土(2008年4月1日)
  奈良県大和郡山市の横田堂垣内(かいと)遺跡で、奈良時代の巨大な井戸枠が発見された。
 井戸枠は直径1m、長さ3m、ヒノキの大木をくり抜いたもの、、地表に露出していた上端部以外は完全な状態で検出された。外面には手斧(ちような)で 削った痕跡が生々しく残っていた。井戸の中からは、つるべに使われたとみられるつぼも見つかった。
 井戸の近くでは、南北に規則正しく並ぶ複数の掘っ立て柱建物跡も見つかり、役所や寺院があったと見られる。
  古代のくり抜き井戸としては、斑鳩町の法起寺近くで出土した飛鳥時代の井戸(直径1.3〜0.8m、長さ6.8m)が国内最大級として知られており、藤原 京や平城京でも深さ2〜3m前後の井戸が多数見つかっているが、くり抜き井戸ではなく、板材を組み合わせた構造のものが多い。

● 高松塚古墳の修理作業室4月末、明日香村民へ先行公開(2008年4月1日)
 奈良県明日香村で昨年石室が解体された高松塚古墳の 極彩色壁画について、5月末からの一般公開に先立って4月25〜27日の3日間、明日香村民へ公開されることになった。
  壁画は同古墳から北西約500mの国営飛鳥歴史公園内にある修理作業室で公開されるが、通路から窓ガラス越しに飛鳥美人などの壁画が置かれた室内を眺める ことになる。見学通路が狭いため事前申込制とし、1回に15人ずつ15分限定となる。25日の午前中は地元の小中学生らを招待するという。
 一般公開の日程や申し込み方法は、4月中旬ごろに公表する予定。

●  奈良県指定文化財に圓證寺の木造釈迦如来坐像など9件(2008年4月1日)
 奈良県教育委員会は、生駒市・圓證(えんしょう)寺 の釈迦如来坐像など9件を指定文化財に指定した。
 釈迦如来坐像は筒井氏の菩提寺である圓證寺の本尊像。像高69.3cmの寄木造で、脇侍に文殊、普賢菩薩(ともに重文)をしたがえ、釈迦三尊を構成す る。理知的な表情や均整のとれた体つきなど、まとまりのよい作風から、鎌倉時代前半(13世紀前半)の作と考えられる。
指定文化財は次の通り。
【建造物】
 ▽光明寺山門 江戸時代(宇陀市)
 ▽山邉家住宅 江戸時代(宇陀市)
【彫刻】釈迦如来坐像 圓證寺(生駒市)
【絵画】絹本著色多武峯縁起 談山神社(桜井市)
【工芸品】銅水瓶、朝護孫子寺鎌倉時代(平群町)
【書跡・典籍】元版一切経 西大寺 宋、元、南北朝時代(奈良市)
【考古資料】大和天神山古墳出土木棺 古墳時代前期(天理市)
【天然記念物】八幡神社社叢 (奈良市)
【無形民俗】白石の双盤念仏 興善寺(奈良市)


● 平城宮跡で初の倉庫群が出土(2008年3月29日)
 奈良市の平城宮跡で、平城宮で政務の中心だった朝堂 院東側で、奈良時代の高床式倉庫とみられる建物跡2棟が並んで見つかった。
  2棟の建物跡は、いずれも東西18m、南北6m以上で、柱の間隔(最大で3.6m)が正倉院(同3.7m)と似ており高床式の倉庫と見られる。瓦も出土し ており、瓦ぶきの建物だったようだ。倉庫の南北にはさらに、南北70〜80mにわたって複数の倉庫があったとみられる。平城宮跡内で、倉庫群が出土するの は初めて。
 平安宮(京都市)では、朝堂院東側には租税や戸籍、田畑を管轄する「民部省」や、税に当たる米を収納する民部省管轄の「廩(りん)院」と呼ばれる倉庫群 が存在しており、今回見つかったのも同様の機能を持った倉庫群の一部の建物跡の可能性が高いという。

● 山形市文化財に仏像3体2件を市文化財に指定(2008年3月29日)
 山形市教育委員会は、宝光院の不動明王立像など仏像 3体2件を市有形文化財に指定した。
▽不動明王立像 宝光院 江戸時代
台座内側に銘文が記されており、寛永寺を開いた天海大僧正が開眼し、寛永寺仏師の治部卿法橋により寛永19年(1642)に制作されたことが分かる。
▽観音菩薩立像 梵行寺 平安時代末期
▽勢至菩薩立像 梵行寺 
阿弥陀如来坐像の脇侍像で、共にヒノキと思われる一木割矧造。観音菩薩は両手に蓮台を持ち、勢至菩薩は合掌する姿に表されるが、阿弥陀如来の脇侍で同様の 例は鎌倉時代のものが2例あるだけで、最古の部類に入る貴重な作品という。
 上品で穏やかな作風から中央で制作されたと見られる。

● 愛知県正眼寺で誕生釈迦仏が22年ぶりに里帰り(2008年3月27日)
  愛知県小牧市三ツ渕の正眼寺で、重要文化財「誕生釈迦仏」が、3月10日、22年ぶりに奈良から里帰りした。
「誕生釈迦仏」は飛鳥時代に作られた像高8.2cmの金銅仏で、南北朝時代に後小松天皇から正眼寺に寄付されたと言われている。
1988年に国の重要文化財に指定されたが、その後奈良国立博物館に寄託されていた。今回里帰りを記念し、3月26日から4月20日まで名古屋市博物館 (名古屋市瑞穂区)、5月2日から7日まで小牧歴史資料館(愛知県小牧市堀の内)でそれぞれ特別公開される。
 公開と同時に、正眼寺に伝わる文書や仏画などと、尾張の寺院の仏像4点も展示されている。

● 滋賀県東近江市で百済寺毘沙門天立像など3件を文化財指定(2008年3月29日)
 東近江市教育委員会は28日、市文化財保護審議会の 答申を受け、新たに美術工芸品、史跡など3件を文化財に指定し、1件をすでに指定している同類の文化財に追加した。
 指定文化財
▽毘沙門天立像と造立願文 百済寺 室町時代
百 済寺の寺宝は信長の焼き打ちでほとんど焼失しており、同寺の数少ない文化財の一つ。像高92cm。像内の造立願文には、本像が永正9年(1512)年に坂 本(現大津市)で造立されたことや、文亀3年(1503)の戦乱で百済寺の曼荼羅院が焼失し多くの仏像が焼失したことが記されている。
▽百済寺懸仏 百済寺 室町時代
3年前に指定された百済寺懸仏に追加。室町時代の作で、木の円盤に銅板をかぶせて鏡板(直径37cm)を作り、表面に三尊を配置する。
▽行者塚古墳 同市勝堂町
▽梵鐘技術保持者 黄地耕造

● 静岡市が有形文化財に東雲寺の大日如来坐像など2件指定(2008年3月27日)
 静岡市は、東雲寺の大日如来坐像と、中野観音堂の鰐 口の2件を、新たに有形文化財に指定した。
▽ 大日如来坐像 東雲寺(葵区有東木)平安時代(10世紀)
 像高74.5cmの一木造で、全体の姿や構造、技法などから平安時代の10世紀に制作されたとみられる。
▽ 鰐口 中野観音堂 (葵区井川)室町時代前期
 直径22cm、厚さ9.5cm。銘文には「応永31年(1424)、下井河中野観音堂に施入」と記されている。

● 運慶作大日如来像落札は真如苑(2008年3月25日)
 運慶の作とみられる大日如来像を、ニューヨークの オークションで、約14億円、手数料込み)で落札、入手したのは、東京都立川市に総本部を置く宗教法人・真如苑(しんにょえん)だったことが分かった。
 真如苑は伊藤真乗(しんじょう)(1906〜1989)が開いた密教系の仏教教団で、信徒数は約85万人。2002年に立川市と武蔵村山市にまたがる 106万平方メートルの敷地を購入しており、大日如来像は約10年後に建設予定の新施設で公開する方針という。
 施設完成までの5〜10年間は東京国立博物館に寄託する方向で調整しているという。


● 島根の銅鐸、国宝に 重要文化財に31件(2008年3月21日)
 文化審議会は、島根県加茂岩倉遺跡出土の銅鐸を国宝 に、横浜市・光明院の運慶作大威徳明王像や、岡山市・明王寺の観音菩薩立像など31件を重要文化財に新たに指定するよう答申した。
 また、登録有形文化財として美術工芸品3件、建造物186件を加えることも答申された。
指定文化財は次の通り。
【国宝】
▽島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸(文化庁)

【重要文化財】
▽銅造如来立像(山形県鶴岡市・湯殿山総本寺大網大日坊)
銅 造如来立像は像高28.3cmの金銅仏。7世紀ごろに製作されたと推測され、飛鳥時代の仏像と共通する形式を示し、柔和な表情や起伏のある衣の表現に中 国・南北朝時代の梁、朝鮮・三国時代の百済の仏像との関連がうかがえる。飛鳥時代の仏像様式の広がりを考える上で重要として高く評価された。
▽了海坐像(東京都港区・善福寺)
▽大威徳明王像 運慶作、像内納入品(横浜市・光明院)
称 名寺の塔頭光明院に伝わる大威徳明王像で、像高さ19.8cm。解体修理中に像の胴体部分にはめ込まれていた文書末尾の奥書によって、建保四(1216) 年に運慶が造ったことが確認された。さらに像内部から発見されたハスの実の中には、仏舎利が納められており、像内納入品と合わせた指定される。
▽阿弥陀如来立像(津市・専修寺)
木造阿弥陀如来立像は、専修寺如来堂の本尊で像高約 80cm。鎌倉時代の制作で快慶の作風を濃厚に伝え、足の裏に仏足文を表し、手足の指のつめや蓮華座に金属を用いて、本体を銅柱で台座に固定するなど特色 ある造法を示す。
▽諸尊仏龕(三重県伊勢市・寂照寺)
諸尊仏龕は中国・唐時代の作で、高さ19cm。厨子と ともに諸尊を細やかに彫り出した龕像で、諸尊の姿に中央アジアの仏像と共通する要素が多く、類例の少ない作例として注目される。
▽釈迦如来及迦葉阿難立像(京都市・東福寺)
▽不動明王立像(同・三千院)
▽観音菩薩立像(岡山市・明王寺)
同 像は、平安時代前期の9世紀に制作された像高165.8cm一木彫像。菩薩の身部には豊かな量感があり、衣文や装身具も細やかに彫り出すなど堂々とした作 風を残す。また、同寺は奈良時代の僧・報恩大師が築造した「備前四十八ヶ寺」の一つで、平安時代前期の奈良と地方造像との関係を考える上で重要と評価され た。
▽紙本著色梓弓図 岩佐勝以筆(文化庁)
▽紙本著色布晒舞図 英一蝶筆(埼玉県川島町・遠山記念館)
▽紙本墨画淡彩官女観菊図 岩佐勝以筆(東京都千代田区・山種美術館)
▽絹本著色釈迦霊鷲山説法図(奈良国立博物館)
▽蔦細道蒔絵文台硯箱(東京国立博物館)
▽絵唐津芦文壺(東京都千代田区・出光美術館)
▽金銅蓮華唐草文透彫華鬘(滋賀県愛荘町・金剛輪寺)
▽銹絵水仙文茶碗 仁清作(京都市・天寧寺)
▽明官服類(同・妙法院)
▽九条殿御集(文化庁)
▽専修寺聖教(専修寺)
▽俊頼髄脳(京都市・冷泉家時雨亭文庫)
▽黄帝内経太素 巻第21、第27(大阪市・武田科学振興財団)
▽平等院経蔵目録(奈良県吉野町・阪本龍門文庫)
▽比志島家文書(東京都文京区・東京大学)
▽専修寺文書(専修寺)
▽兵庫北関入船納帳(京都市)
▽後法成寺関白記(京都市・陽明文庫)
▽北海道上之国勝山館跡出土品(北海道上ノ国町)
▽石川県雨の宮1号墳出土品(同県中能登町)
▽長崎県双六古墳出土品(同県壱岐市)
▽対馬宗家関係資料(東京都港区・慶応義塾)
▽松浦武四郎関係資料(三重県松阪市)

【登録有形文化財】
《美術工芸品》
▽並河靖之七宝資料(京都市・並河靖之有線七宝記念財団)
▽越中地域考古資料(富山県)
▽工藤利三郎撮影写真ガラス原板(奈良市)
仏像や寺院などを撮影した工藤利三郎(1848〜 1929)のガラス原板(乾板)は1025点に上り、「明治の大修理」のころの東大寺大仏殿や、明治35年に修理される前の腕が破損したままの興福寺・阿 修羅像などが含まれており、文化財記録写真として資料的価値が高い。
《建造物(主なもの)》
▽旧佐々木家住宅主屋(岩手県遠野市)
▽青山学院ベリーホール(東京都渋谷区)
▽明治四十四年館(長野県軽井沢町)

● 京都、醍醐寺で国宝・五重塔の板絵公開(2008年3月21日)
 京都市伏見区の醍醐寺は、平安時代に制作された国宝 「五重塔初重壁画」の一部などを春季特別展「やすらかな白描の世界と醍醐の春」で公開する。
 951年建立の国宝五重塔内部にある壁画のうち、胎蔵界曼荼羅に描かれた大日如来を囲む天部像の板絵や、初公開の重要文化財「妙見菩薩図像」など、筆の 線の美しさを強調した白描画が多数展示される。
 会期は3月22日から5月11日まで。

● 運慶作大日如来坐像、文化庁の購入断念・競売見送り経緯(2008年3月20日)
  ニューヨークのオークションで競売にかけられ、三越が落札した運慶作とみられる大日如来坐像について、文化庁が競売出品が明らかになった時点で、持ち主と 重要文化財指定を視野に買い取り交渉に入ったが、想定していた3億〜4億円に対し提示額は8億円で購入は断念せざるを得なかったという。
 その後、文化庁は競売参加の可能性を探ったが、前例がなく、また情報が漏れれば投機筋の参入を招きかねないことや、国内の私立美術館が応札するとの情報 が入ってきたことから参加は見送られたという。
 読売新聞によれば、競売に出品した男性は40代前半の外資系会社員で、8年ほど前、古美術商から「会社員が給料で支払える程度の金額で譲ってもらった」 という。
 しかし、運慶作の可能性が判明したことから、「個人で所有するには荷が重すぎた。日本に残したいと文化庁とも連絡を取ったが、現行の規則では希望に添え ないなどと言うばかりで交渉にならなかった。(落札の結果、)東京に戻ってくるので安心した」と語ったという。

● 兵庫県加古川市文化財に鶴林寺文書と長楽寺の六尊石仏(2008年3月20日) 
    加古川市教委は十九日、新たな市指定文化財に鶴林寺(加古川町)の文書十通と、長楽寺(平荘町)の六尊石仏一基を指定した。すでに指定されている聖徳太子 坐像は、脇侍二体が確認されたため「聖徳太子坐像及び二王子立像」と名称変更して指定し直した。
 鶴林寺文書は、戦国時代の書状などで、出雲の戦国大名・尼子氏が播磨を攻めた際、鶴林寺の僧兵が勝利した「播州刀田太子堂合戦」について記したとみられ る十六世紀中ごろの三通と、織田信長の播磨攻めから豊臣秀吉による平定までの様子が分かる同世紀後半の七通。
 六尊石仏は、南北朝時代の作。高さ183cm、幅121cm、厚さ29cmの古墳時代の家形石棺のふた石に、阿弥陀如来坐像や地蔵菩薩立像など六体の仏 像が浮き彫りにされている。
 聖徳太子坐像の脇侍二体は、太子の子どもの山背大兄王と、弟の殖栗王(えぐりのおう)の木造立像で、いずれも像高さ38.9cm。坐像とは別に保管され ていたが、一組であることが確認された。平安時代の制作。

● 京都・蟹満寺の釈迦如来坐像1300年不変説揺らぐ(2008年3月19日)
 京都府木津川市山城町の蟹満寺の本尊、釈迦如来坐像 (国宝)の台座は、創建された白鳳時代ではなく江戸時代のものであったことが分かった。
 今年1月から旧境内約150平方mを調査した結果、台座下に江戸時代の地層が入り込み、台座も近世の墓石を転用していたのが判明した。
 2005年の調査では、地層の状態から台座は創建当初のものと判断、坐像の位置は創建以来約1300年間不変だったとの見解が出されていたが、この見解 が揺らぐ調査結果となった。
 ほかに地層下部から、本尊の据え付け穴(直径1.3m)と儀式の跡とみられる8つの穴(直径35〜70cm)を発掘し、出土土器から、中世以前の遺構と 分かったが、白鳳時代との確証は得られなかった。

● 秩父札所観音霊場総開帳(2008年3月19日)
 秩父地方のある秩父札所34ヶ所観音霊場で3月18 日、子年(ねどし)総開帳が始まった。
 秩父札所が室町時代末期に坂東、西国のそれぞれ33札所とともに日本百観音霊場に数えられたことに報いる総開帳で、開帳期間は7月18日まで。

● 知恩院・御廟堂本尊法然上人坐像を初確認(2008年3月19日)
 京都市東山区の知恩院で、宗祖・法然の遺骨を納めた とされる御廟(ごびょう)堂の本尊・法然上人座像の存在が初めて確認され、坐像を安置する金色の多宝塔とともに公開されている。
 2007年11月、御廟堂の修理に伴い勢至堂への遷座に先立って多宝塔を開帳したところ、法然上人座像が見つかった。多宝塔は高さ約1.1m、法然上人 坐像は木製で黒い衣をまとい、前には緑色の蓮台がある。
 御廟堂の修復の完了後は再び御廟堂へ戻されるが、御廟堂は非公開のため、多宝塔を見学できるのは御廟堂の落慶法要前日の3月30日までで、法然上人坐像 の開帳は25日までとなっている。

● 東寺で国宝「女神坐像」13年ぶり公開(2008年3月19日)
 京都市南区の東寺宝物館で20日、春期特別公開「東 寺鎮守八幡宮と足利尊氏」が始まる。
 境内の鎮守八幡宮を初めてテーマに選び、本尊の国宝「女神坐像」や脇士の国宝「武内宿禰坐像」など65点を紹介する。
 南大門の西側にある鎮守八幡宮は弘仁元年(810)、空海が八幡神をまつって建立した。南北朝時代、足利尊氏が新田義貞と戦った際には八幡宮から神矢が 飛んで尊氏が勝ち、以降、足利幕府は東寺を保護した。
 女神坐像は本尊八幡三神像のうちの一体で9世紀後半の作とされる。霊木であったと考えられる木材の腐った部分を前面にして全体を形取り、顔や胸は別の木 材を張り付ける珍しい構造をもつ。髻(もとどり)を結い、髪を両肩にたらした平安時代初期の女性の姿をしている。

● 藤原京から出土の富本銭は新タイプ(2008年3月17日)
  藤原京の大極殿前の南門跡から昨年出土した、最古の貨幣「富本(ふほん)銭」が、当時の鋳銭司であったとされる飛鳥池遺跡の貨幣と字体が異なる新タイプ だったことがわかった。
 藤原京の大極殿前の南門跡から昨年出土した富本銭は、水晶9個とともに、地鎮具とみられるつぼの中に9枚入っていた。
 その後の調査で、貨幣の「富」の文字が「冨」で「ワかんむり」の下の「一」も省略されており、「富」の文字が鋳込まれた飛鳥池遺跡出土とは字体が異なっ ていた。また、重さも飛鳥池の富本銭の約1.5倍で、平均6.77gだったことが分かった。
 さらに、飛鳥池遺跡の富本銭に含まれていた、金色が増す効果のあるアンチモンが、9枚中4枚には含まれていないなど、今回の富本銭は飛鳥池遺跡以外で製 作されたとみられる。
 日本書紀には、藤原京遷都直前の694年3月に現在の造幣局に当たる鋳銭司(じゅせんし)を任命したという記事があり、今回の富本銭は、その際に新たに 設けられた鋳銭司で鋳造された可能性が高まった。

● 京都・常楽寺で親鸞像胎内から遺骨発見(2008年03月14日)
 京都市下京区の常楽寺で、が所蔵する親鸞坐像の中か ら親鸞(1173〜1262)のものとみられる遺骨が見つかった。
 常楽寺は、親鸞の玄孫の存覚(ぞんかく)(1290〜1373)が開いた寺で、存覚は父の本願寺第3世・覚如(かくにょ)から親鸞の遺骨を受け継いだと の記録が残り、寺には骨片を納めた宝塔というが伝わる。
 親鸞上人像は、像高24.2cmの寄木造の像で江戸中期の作とみられるが、親鸞上人像の胎内にも遺骨を納めたと言い伝えられてきたといい、胎内を調べた ところ、胸付近に和紙にくるんだ骨粉があった。
 親鸞像は、4月18日から5月25日まで、広島県立美術館(広島市中区)で開かれる「本願寺展」で初公開される。

● 福島県指定文化財に7件答申(2008年3月11日)
 福島県文化財保護審議会は、会津美里町の「法用寺観 音堂」などを重要文化財に指定するように答申した。
指定文化財
【重要文化財】
▽法用寺観音堂(会津美里町雀林字三番)
▽大般若経・経櫃(きょうひつ)・附経帙(きょうちつ)(棚倉町の八槻都々古別神社)
▽稲古舘古墳出土銅漆作大刀・附墳丘および石室内出土品(須賀川市立博物館)
▽法正尻遺跡出土品(白河市の県文化財センター白河館)
【重要無形民俗文化財】
▽磐城大国魂神社のお潮採り神事(いわき市の大国魂神社)
▽南郷の早乙女踊(南会津町の鴇巣、界、和泉田、下山地区)
【天然記念物】
▽無能寺の笠マツ

● 京都府文化財に亀岡市の十一面観音坐像など(2008年3月15日)
 京都府教育委員会は府文化財保護審議会からの答申を 受け、亀岡市の十一面観音坐像など、13件を府指定文化財に決めた。
【建造物・美術工芸品】
▽智恩寺(宮津市)
▽府立医科大旧付属図書館(上京区)
▽無動寺観音堂(京丹波町)
▽絹本著色日吉山王垂迹神曼茶羅図(上京区)
▽絹本著色日吉山王本地仏曼茶羅図(同)
▽十一面観音坐像(亀岡市)
▽東福寺永明門派歴代文書墨跡(東山区)
▽長阿含経巻第十(東山区)
【無形民俗文化財】
▽宇治茶手もみ製茶技術(宇治市)、
【文化財環境保全地区】
▽生身天満宮文化財環境保全地区(南丹市)、
【文化的景観】
▽福知山市毛原の棚田景観
▽京丹後市久美浜湾カキの養殖景観(京丹後市)
▽和束町の宇治茶の茶畑景観(和束町)

● 長野・無量寺の跡から出土仏像は平安末期作(2008年3月15日)
 長野県上伊那郡箕輪町無量寺から出土し、東中平地区 で管理されている仏像が、年輪年代法により、平安末期の制作であることが分かった。
 仏像は、差し込み式の首と胴体からなる像高約60cmの像で、江戸時代末の火災で焼失した無量寺の跡から出土したものといわれる。
 仏像から採取した木片を調査を依頼した結果、首部分の木材が1034〜1160年、胴体部分が1045〜1216年の数値が示され、仏像の制作年代はお よそ1050〜1270年の間と推定できるという。

● 奈良・下田東遺跡で、カメラマンが木棺破損(2008年3月14日)
 奈良県香芝市の下田東遺跡で、発掘調査で出土した古 墳時代の木棺を撮影していた新聞社カメラマンが、足を滑らせて木棺に接触し一部が破損した。
 木棺の底板は古墳の周濠にあり、カメラマンは周濠内に入って20〜30cm離れた場所から撮影していたところ、ぬかるみに足を滑らせ木棺に接触し、隅の 表面部分が3〜4cm大にはがれ一部が破損したという。

● 富山県文化財に東善院絵馬など(2008年3月14日)
 富山県文化財保護審議会は、富山馬頭観音堂奉納絵馬 などを県文化財に指定するよう県教委に答申した。
 東善院の富山馬頭観音堂奉納絵馬は、馬の産地として知られた最上町で、江戸中期から現在まで奉納され続け、212面が収められている。馬の歴史や住民の 信仰に関する貴重な資料と認められた。

指定文化財・無形文化財
▽保定記・続保定記及び印旛沼日記(酒田市)
▽富山馬頭観音堂奉納絵馬 東善院(最上町富沢)
▽刀匠・上林恒平さん(山形市長谷堂)

● 長野県県宝に無量寺の観音菩薩・地蔵菩薩など(2008年3月14日)
 長野県教育委員会は箕輪町東箕輪の無量寺が所蔵する 観音菩薩立像と地蔵菩薩立像などを県宝に指定するよう、県文化財保護審議会に諮問する。


 両菩薩像は像高約1.3mのヒノキ材で、彩色が施されている。本尊阿弥陀如来坐像(重文)の脇侍として安置されており、三尊ともに同寺の阿弥陀堂(町指 定有形文化財)に伝わった。平安後期の典型的な作風を示しており、平安後期の12世紀後半の作とみられる。
 福徳寺の薬師如来像、阿弥陀如来像の二体は、温和な作風や一木造りの簡素な構造が共通しており、やはり平安後期の作とみられる。背後の飾りや台座などの 残片も併せて指定される。

指定文化財
▽観音菩薩立像、地蔵菩薩立像 無量寺(箕輪町東箕輪)
▽薬師如来像、阿弥陀如来像 福徳寺(下伊那郡大鹿村)
▽御陵山(おみはかやま)附山の神奉斎品 935点 (南佐久郡南相木村)


● 埼玉県指定文化財に4件を登録(2008年3月13日)
 埼玉県教育委員会は、葛飾北斎筆鯉亀図など4件を県 指定文化財に登録した。
(絵画)
▽紙本着色 鯉亀図 葛飾北斎筆 県立歴史と民俗の博物館収蔵(さいたま市大宮区)
(考古資料)
▽黒浜貝塚群出土品 蓮田市
(有形民俗文化財)
▽秩父地方の養蚕用具及び関係資料 皆野町
(無形民俗文化財)
▽北川崎の虫追い 越谷市

● 年輪年代法のパイオニア奈良文化財研究所光谷拓実さんが退官(2008年3月13日)
 奈良文化財研究所の年代学研究室長、光谷拓実さんが 今年3月末で定年退官する。
 日本の年輪年代法一筋に28年間続けてきた研究成果は、考古学や古代史のこれまでの定説を何度も塗り替え、学会にインパクトを与えてきた。
 年輪年代法は、過去の自然環境により異なる木の年輪の成長パターンを基準に、木の伐採年を判定する方法で、遺跡だけではなく建築や美術工芸品、自然災害 の年代測定にも用いられるようになった。法隆寺五重塔の柱の測定では同寺の再建論争に一石を投じた。
 現在はスギで紀元前1313年、ヒノキで紀元前912年までの成長パターンを表す物差しが完成している。
 後継者もでき、退官後も当分は年輪年代の研究に携わるという。

● 三重県文化財に地蔵十王図など6件(2008年3月12日)
 三重県文化財保護審議会は、伊賀市・西蓮寺の仏画 「絹本著色地蔵十王図」など6件を県文化財に指定するよう県教育委員会に答申した。
建造物
▽俳聖殿 伊賀市
美術工芸品
▽絹本著色(ちゃくしょく)地蔵十王図 西蓮寺(伊賀市)
▽脇差 銘 伊賀国宗近 伊賀文化産業協会 伊賀市
典籍
▽永保記事略並びに同拾遺 藤堂采女家旧蔵本 伊賀市
▽永保記事略附録 藤堂采女家旧蔵本 名張市
史跡
▽諸戸水道貯水池遺構 桑名市

● 板に墨書きされた平安末の阿弥陀如来像発見(2008年3月8日)
 奈良県橿原市の東坊城遺跡で、平安時代末ごろとみら れる、阿弥陀如来を墨書きした板が見つかった。
 板は縦9.3cm、横25.5cm、厚さ6mmで、頭部と下半身が欠けているが、阿弥陀如来の来迎印や、口元や衣の襞が柔らかなタッチで描かれている。 板に直接墨書きされているが、彩色していた可能性もあり分析を進めている。

● 姫路市・円教寺の性空上人坐像など県重要有形文化財指定(2008年3月6日)
 兵庫県教育委員会は姫路市・円教寺の性空(しょうく う)上人坐像及び如意輪観音坐像など四件を指定することを決めた。
 性空上人坐像は、1998年に発見されたもので、円教寺の開山である平安時代の僧侶、性空上人の像で、像高75cm、上人の没後間もなく制作された像と 見られる。
 また、如意輪観音坐像は2006年に発見された像で、像高約20cm、サクラ材の一木造。台座の裏側に延應元年(1239)に書写山の僧侶・妙覚が父母 の供養のため制作を依頼した旨の墨書があり、この年に造立されたとみられる。

指定文化財
▽性空上人坐像 円教寺 姫路市
▽如意輪観音坐像 円教寺 姫路市
▽宿南家住宅主屋(しゅくなみけしゅおく) 養父市
▽達徳(たっとく)会館(旧県豊岡尋常中学校本館) 豊岡市

● 山形市宝光院不動明王立像など市文化財指定(2008年3月6日)
 山形市文化財保護委員会は、市内の寺院が所有する3 体の仏像を新たに市の有形文化財(彫刻の部)に指定するよう同市教委に答申した。

新指定品
▽不動明王立像 宝光院(八日町)
▽観音菩薩立像 梵行寺(三日町)
▽勢至菩薩立像 梵行寺(三日町)

● 新潟県指定文化財に大泉寺の銅造千手観音菩薩坐像など(2008年3月5日)
 新潟県文化財保護審議会は、大泉寺の銅造千手観音菩 薩坐像など6点を県文化財に指定することを県教育委員会に答申した。

答申文化財
▽銅造千手観音菩薩坐像 (大泉寺柏崎市)
▽伝元三大師坐像 雙璧寺(加茂市)
▽阿弥陀如来立像 西光寺(加茂市)
▽伊達八幡館跡出土品 十日町市博物館
▽上野林J遺跡出土品 阿賀野市水原ふるさと農業歴史資料館
▽巫女爺(みこじい)人形操り 小千谷、長岡両市

● 奈良市指定文化財井上町十一面観音立像(2008年3月5日)
 奈良市教委は4日、旧市街地・奈良町に残る十一面観 音立像と、民俗芸能・題目立(国の重要無形民俗文化財)のせりふを記録した詞章本81冊の2件を市指定文化財に指定した。
 十一面観音立像は、像高44.8cm、総高73.4cmで鎌倉時代後半の制作と見られ、ほほの張りや腰の引き締まりなど肉付きの抑揚が巧みに表現されて おり保存状態も良い。現在は奈良市井上町の会議所に安置されている。

●    法隆寺・玉虫厨子を複製(2008年3月2日)
  奈良県斑鳩町の法隆寺に伝わる国宝「玉虫厨子」の複製品二基を、岐阜県高山市の男性が私費を投じて制作し、同寺に奉納した。
 玉虫厨子は仏像などを安置する仏具で、金銅製の透かし彫り金具の下に玉虫の羽をちりばめた豪華なもので、飛鳥時代の工芸の最高傑作とされる。高さ約 2.3m。台座部分には「捨身飼虎図(しゃしんしこず)」など釈迦にまつわる仏画が描かれている。
 実物は羽がほとんど失われているが、制作に当たっては約6600枚の玉虫の羽を使い、絵は漆絵で表したという。
 実物をほぼ忠実に再現した複製品とは別に、もう一基は「平成版」として、金具の下だけでなく仏画にも約36,000枚の羽を使って豪華に仕立てたもの で、絵には現代の蒔絵の技を取り入れたという。
 二基の厨子は、3月20日〜6月末まで法隆寺で開かれる秘宝展に展示される。


● 高松塚壁画5月末に一般公開(2008年2月25日)
 奈良県明日香村の特別史跡、高松塚古墳の国宝壁画 が、5月末から初めて一般公開されることが決まった。
 昨年4〜8月に解体された石室の16枚の石材は現在、高松塚古墳から北西に約500m離れた国営飛鳥歴史公園内施設内の作業室に置かれている。
  施設には見学者用の通路が設けられており、東西両壁の男女群像や西壁の白虎、北壁の玄武、東壁の青竜など、作業室内に上向きに置かれた壁画を、縦 1.5m、横2mの3枚のガラス窓ごしに眺めることになるが、通路が約15m程度と狭いため、希望者を募集し、応募多数の場合は抽選とする方針。具体的な 日程や定員など詳細は決まっていないが、期間は1週間から10日程度を予定しており、今後も年2回程度は公開の機会を設けるという。

● 陵墓に初の学会立ち入り調査(2008年2月23日)
 奈良市山陵町の神功皇后陵(五社神(ごさし)古墳) で、日本考古学協会など考古・歴史学16学会の研究者代表16名が墳丘の立ち入り調査を行った。
 天皇・皇族クラスの墓と同庁が定める「陵墓」に学会側の立ち入りが認められたのは初めて。立ち入りは墳丘最下段の平坦面だけだったが、前方部東側の農業 用水池の縁で円筒埴輪4基の列が発見されるなど、宮内庁側の調査にはない新たな埴輪列が見つかった。
 また、墳丘の状態から西側部分は東側に比べて後世の改修の影響が少なく、築造当初の姿を残している可能性が高いこともわかった。
 16学会は4月5日、奈良市の奈良県文化会館で市民向けシンポジウムを開き今回の成果を報告する。

● 運慶作大日如来像の海外流出防止に対する署名始まる(2008年2月23日)
 米ニューヨークで来月18日に競売にかけられる予定 の、鎌倉時代の仏師・運慶作とみられる「大日如来坐像」(個人蔵)が国外に流出するのを食い止めようと署名活動が始まった。
 東京国立博物館などの調査では、坐像は栃木県足利市樺崎町の樺崎(かばさき)廃寺の本尊だったとみられ、足利市教育委員会が2004年に本像の購入を検 討した事もあり、署名は足利市が取りまとめ、文部科学省に提出して大日如来坐像の購入を要望するという。

● 運慶作と見られる大日如来坐像、銀座で下見(2008年2月20日)
 運慶の作と見られる大日如来坐像(個人蔵)が米国で 競売にかけられる問題で、オークション会社のクリスティーズは20日、東京・銀座で国内の顧客向けの下見会を開催した。
 競売は3月18日、ニューヨークで行われるが、落札予想価格は約1億6000万〜2億1000万円で、日本美術品としては史上最高額という。

● 県指定文化財に2件答申(2008年2月20日)
 高知県文化財保護審議会は、中土佐町大野見竹原の熊 野神社が所蔵する室町時代の「熊野三山本地仏懸仏(かけぼとけ)」(町指定文化財)など2件を県指定有形文化財にするよう県教委に答申した。
 懸仏は阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、千手観音坐像の3点。永享2年(1430)、永享4年などの文字が読み取れる。いずれも直径31.5cm円盤状 で、杉板を薄い銅板で覆い、立体的に仏像や飾りを打ち出している。
指定文化財
▽懸仏 3面 室町時代 熊野神社
▽旧致道館表門 江戸時代末期 高知市丸ノ内

● 高松塚の「切石取り出し 墨書き確認できず(2008年2月20日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、壁画発見のきっかけ になった切石を保存施設から取り出し修理施設へ運んだ。
 切石は縦横約60cm、厚さ36cmで、石室と同じ凝灰岩製。石室入り口正面に置かれており、被葬者名を記した墓碑石や追悼場所の礼拝石、供物台などの 説があったが、用途は不明。
 石の用途解明のため、表と裏面に墨書きの文字などが残っていないか、赤外線などを使って調べたが、これまでのところ確認できなかった。傷みが激しいこと から、今後強化処理を進めながら調査を続けるという。

● 京都直下地震で国宝55件が被災の恐れ(2008年2月18日)
 地震による文化財への別の被害について検討していた 国の中央防災会議は、京都で直下地震が起きた場合、国指定重要文化財(重文)の建造物255件が損壊する恐れがあると発表した。
 奈良の直下地震でも重文の建造物222件が被災する恐れがある。国宝の被害はそれぞれの地震で51件、55件で、全国の約4分の1に当たる。国による文 化財の地震被害想定は初めてで、所有者や地方自治体に、耐震化や延焼防止策の推進を求める。
 人口密集地にある近畿5、中部1の計6断層を対象に調査した結果、
最も被害予想が大きいのは、京都市中心部の直下を通り滋賀県まで走る花折断層帯で、マグニチュード7.4の地震が予想され、京都、滋賀、大阪3府県で全国 の重文の11%に当たる重文建造物255件が損壊する可能性がある。
 うち京都府内は清水寺本堂、東寺五重塔、平等院鳳凰堂など国宝51件を含む199件で、府内全重文の70%。
 次に被災予想が大きいのは、奈良・大阪府県境近くを走る生駒断層帯で、法隆寺や東大寺、春日大社、薬師寺など、奈良県を中心に国宝は5件を含む重文 222件(全国の10%)が損壊する危険性があった。

  文化庁は平成17年度から、国宝と重要文化財に指定した建造物を対象に耐震診断費の原則5割を補助しているが、制度創設からこれまで3年間の補助実績は東 大寺金堂(奈良市)や銀閣寺(京都市)などわずか7件。補強が必要とされた場合の費用負担を嫌って診断をためらう所有者も多と見られ、利用が低調なため、 平成20年度予算では1000万円に半減される見通しだ。そのため、中央防災会議では早期の耐震診断実施と耐震化を急ぐよう呼びかけている。

● 敦煌莫高窟で補修プロジェクト始まる(2008年2月14日)
 中国甘粛省敦煌市の石窟寺院群「莫高窟」で、2億 6100万元(約39億円)をかけた補修プロジェクトが始まった。
  莫高窟は敦煌市街地の南西約25kmにあり、西暦355年ごろから14世紀ごろにかけて築かれた。20世紀初頭に、11世紀から14世紀の間に石室に封印 されたとみられる、仏教、道教、儒教の経典や史書、帳簿、暦書、契約書、楽譜など大量の文書が発見され、敦煌文書として世界的に有名になった。1987年 には、ユネスコの世界遺産(文化)に登録された。

● 日本一高い五重塔、勝山市が再び公売(2008年2月13日)
 福井県勝山市で、大師山清大寺の五重塔などの公売を 公告した。
 清大寺は大阪のタクシー会社の創業者が昭和62年に建立したが、経営悪化で寺の管理会社が市税を滞納したため、差し押さえられていた。
 五重塔は高さ75mで日本一高い塔として知られていた。昨年11月に公売されたが買い手が付かなかった。

● 佐賀妙福寺・大日如来坐像など5件を県重文に答申(2008年2月16日)
 佐賀県文化財保護審議会は、佐賀市・妙福寺の大日如 来坐像など計5件を県重要文化財に指定するように答申した。
 大日如来坐像は像高164cmで、平安時代後期(12世紀)の制作とみられるが像容や省略された衣文などから当地での制作と考えられる。
指定品は下記の通り
▽大日如来坐像 平安時代後期 妙福寺(佐賀市)
▽並木式土器 平原遺跡出土 縄文時代中期 県教育委員会
▽神像 室町時代 彦嶋神社(白石町)
▽色絵唐獅子牡丹文十角皿 県立九州陶磁文化館
▽四葉座連弧文鏡 藤木遺跡出土 鳥栖市教育委員会

● 神功皇后陵で初の陵墓立ち入り調査(2008年2月15日)
 奈良県奈良市山陵町の五社神古墳で、2月22日に歴 史研究のための立ち入り調査が行われることになった。
 五社神古墳は4世紀後半から5世紀初めに造られたと考えられる、全長約275mの前方後円墳で、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后である神功皇后陵 の陵とされている。
  今まで天皇・皇后陵など陵墓は、宮内庁が管理しており、陵墓への立ち入り調査は、宮内庁が補修工事を行う際の見学以外は、「御霊(みたま)の安寧と静謐 (せいひつ)を守るため」いう理由で調査を認めていなかった。これに対し、歴史・考古学系の16の学会側が2005年7月、仁徳天皇陵(大山古墳、大阪 府)など11の陵墓について、立ち入り調査を認めるよう要望書を提出していた。宮内庁は昨年1月、従来の立ち入り規制を緩和し研究テーマを問わず申請があ れば審査の上、階段状に築かれている墳丘のうち最下段までの調査を受け入れるよう規定を見直しなった。
 今回の調査は、これに基づくもので、学会側要望を受けて天皇・皇后陵など陵墓への立ち入りを認めた初めてのケースとなる。
 宮内庁によると、立ち入りを認めるのは1段目の平らな部分までで、撮影は可能だが、発掘はできない。
 今後、他の陵墓の立ち入り調査についても申請があれば検討し認めていく方針という。

▽陵墓 宮内庁は歴代の天皇、皇后、皇太后らを埋葬した場所を「陵」、それ以外の皇族は「墓」としている。近畿地方を中心に、1都2府30県に陵188 基、墓552基がある。陵墓の可能性がある「陵墓参考地」を合わせると、全国で458カ所、計896基になる。

● 富山・黒部堀切遺跡「こけら経」100点展示(2008年2月15日)
 富山県黒部市の堀切遺跡で県内で初めて出土した「こ けら経」約100点が、黒部市宇奈月町下立の市歴史民俗資料館で一般に公開されている
 こけら経は、死後の安楽を願うため、細長く薄い木の板に法華経を写したもので、平安時代末期から江戸時代にかけて多く作られた。
 堀切遺跡では2005年、15世紀後半から16世紀のものとみられる2万点が出土。1つの長さは25〜30cm、幅1.3cm、厚さ約0.3mmで、法 華経が1行ずつ書かれている。遺跡の溝の跡から発見された事から、法要が終わった後に溝の中に置かれたと考えられる。

● 佐渡で平安後期の仏像発見(2008年2月14日)
 新潟県佐渡市長谷の長谷寺で平安時代仏像2体が見つ かった。
仏像は十一面観音坐像(像高約26cm)と地蔵菩薩立像(像高約35cm)の2体でヒノキ製、観音堂の厨子の下から見つかった。
 面相や衣文の特徴などから、平安時代後期の制作と推定され、かなり痛んでいるが、修復が行われ、4月にも特別展示をする予定という。

● 前漢時代の銅鏡鋳型は純粘土製(2008年2月13日)
 中国・山東省で見つかった前漢時代(紀元前二世紀後 半)の土製の銅鏡鋳型のほとんどが現代の工法とは異なり、材質強化用の砂粒を含んでいないことが、奈良県立橿原考古学研究所と中国の山東省文物考古研究所 の合同調査で分かった。
  粘土だけで作った鋳型は乾燥したり、溶けた青銅を流し込んだ時にひび割れるため、通常、直径0.3mmほどの砂粒を混ぜて強化するが、前漢時代の土製の銅 鏡鋳型七十八点を調べたところ、材質強化用の砂粒が含まれいなかった。砂粒が混じると、文様を彫る際に邪魔になり、精巧な文様が彫れないためとみられる。 その代わりもみ殻の灰が混ぜられ、内部に多くの気泡があったことがわかった。これにより気泡が急激な熱伝導を妨げ、鋳型のひび割れを防いだと考えられると いう。
 日本でも古墳時代を中心に銅鏡が出土しているが、土製鋳型の出土例はほとんどなく、日本の銅鏡の製作方法を解明するための参考となりそうだ。

● 運慶作大日如来坐像が米競売に出品(2008年2月11日)
 運慶作と見られる個人蔵の大日如来坐像が米ニュー ヨークで3月18日に開かれるクリスティーズ社の競売に出品される分かった。
  この像は、像高は66.1cmのヒノキ材で、2003年に所有者の依頼で東京国立博物館でエックス線撮影した結果、像内に他の運慶一派の作に共通する木札 や水晶塔などが納められていることが分かった。作風からも1190年代の運慶作品の可能性が高いと分かり、2004年、寄託作品として同博物館が一般公開 した。
 指定文化財については売買する場合、国に優先権があり、国外持ち出しには許可が必要となるが、この像は文化財指定されておらず、国外への持ち出しが可能 な状態となっていた。また、文化財指定については所有者の同意が必要とされている。
 文化庁によると、一昨年ごろこの像が指定文化財ではないとの証明を求める書類申請があったことから売買の動きを把握し、所有者に事前に買い取り及び文化 財指定を打診したが、折り合いがつかなかったという。

● 奈良・鑵子塚古墳は「石舞台」上回る最大級の石室(2008年2月8日)
 奈良県明日香村の真弓鑵子(かんす)塚古墳の横穴式 石室は、石舞台を上回る国内最大規模だったことが分かった。
 古墳は直径約40m高さ約8mの円墳で、棺を納める玄室(げんしつ)は長さ6.5m、幅4.4m、高さ4.7m。床面積は約28平方メートルで、石舞台 (約26平方メートル)を上回る。
 石室は、壁面は1個2〜3トンの巨石約400個を6〜7段に積み上げ、3段目から天井がドーム状になるよう石を積み上げ、上部に最大で約30トンの天井 石3個を載せる高度な技術で築造されていた。
 石室完成時は南北に入り口があったが、棺を納めた後に北側がふさがれ、南側だけが通路の役割を果たしていた。
 築造年代は土器などから6世紀中ごろと推定され、床面から家型石棺の欠片や鉄クギ、金銅製馬具やベルトのバックルなどのほか、渡来系を示すミニチュア炊 飯具が見つかり、石室には2個以上の石棺と1個以上の木棺が納められていたと見られる。
 渡来系豪族の墓の特徴とされる副葬品などから、渡来氏族東漢(やまとのあや)氏の首長クラスだった一族の墓と見られるという。

● 佐賀妙福寺大日如来坐像など県重文に(2008年2月7日)
 佐賀県文化財保護審議会は、佐賀市久保泉町の妙福寺 大日如来坐像など5件を県重要文化財に指定するよう県教委に答申した。
 指定文化財
▽大日如来坐像 妙福寺(佐賀市久保泉町) 像高127cm 平安時代後期
▽色絵唐獅子牡丹文十角皿 県立九州陶磁文化館 江戸時代前期
▽木造神像3体 彦嶋神社 (杵島郡白石町)
▽藤木遺跡出土四葉座連弧文鏡 鳥栖市教委
▽並木式土器3点 県教委 (平原遺跡出土)


● 名勝・旧大乗院庭園の復元事業が本格化(2008年1月31日)
 奈良市高畑町にある国の名勝・旧大乗院庭園で新年度 から未整備の西小池の復元事業が本格化する。
 大乗院は一乗院と並ぶ興福寺の門跡寺院で、平安時代に興福寺の北方、現在の県庁付近に建てられたが、治承4年(1180)に平重衡の南都焼き討ちで消失 し、翌年、元興寺別院の禅定寺があった現在の場所で再興された。
 復元計画は興福寺所蔵の絵図などをもとに、江戸末期の姿に庭園を甦らせ、平城遷都1300年にあたる平成22年度完成し、一般公開するという。

● キトラ古墳十二支像壁画5月に公開(2008年1月30日)
 奈良県明日香村の特別史跡キトラ古墳の石室からはぎ 取った十二支像壁画のうち、「子」「丑」「寅」を5月9日から25日まで奈良文化財研究所飛鳥資料館(明日香村)で特別公開する。
  十二支は全高約15cmで、これまでに「子」「丑」「寅」のほか、西壁の「戌」と北壁の「亥」がはぎ取られ、南壁では壁を覆った泥に転写された「午」が発 見された。しかし、戌は頭や持ち物が残っておらず、亥も部分的に赤い顔料が残っているだけ。また、「午」は赤い着物で矛を持つ姿が鮮明に残っていたが、泥 がもろく公開は困難だという。
 キトラ古墳の壁画は、2006年の「白虎」、2007年の「玄武」に続いての公開となる。

● 法隆寺金堂の再現壁画堂外へ搬出(2008年1月30日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺金堂にある壁画12面が、釈迦 三尊像など全12体の仏像搬出を前に13年ぶりに取り外され、堂外へ運び出された。
 法隆寺金堂壁画は、昭和24年(1949)の火災で焼失したが、1966年に再現事業が始まり、元の壁画を安田靫彦、前田青邨、平山郁夫氏ら、日本画の 大家が再現し2年後に完成した。
 安田氏らが描いた六号壁の阿弥陀浄土図(縦約3.1m、横約2.6m)など大型4面と、平山氏による三号壁の観音菩薩像(縦約3.1m、横約1.5m) など小型8面で、6、7月に奈良国立博物館で開かれる「国宝 法隆寺金堂展」で展示される。


● 熊本・青蓮寺の阿弥陀三尊像修理へ(2008年1月27日)

 熊本県球磨郡多良木町黒肥地の青蓮寺で、阿弥陀三尊 像(重文)が九州国立博物館で修理、調査するため搬出された。
 青蓮寺は人吉球磨地方を統治した相良家の菩提寺で、三体はいずれもヒノキの寄木造で、本尊の阿弥陀如来立像は像高約1m、脇侍の観音・勢至菩薩は約 0.6m。鎌倉時代の永仁3年(1295)、京都の仏師法印院玄の作とされる。
 三尊は一部の金箔がはがれたり、指先が損傷したりしており、勢至菩薩は1975年に盗難に遭った際、光背の支柱が折れたままだった。
 仏像は補修のほか、CTを使った内部調査などを行い、2月26日から4月13日まで同館で特別展示する。

●  キトラ古墳で太陽表す「日像」をはぎ取り(2008年1月25日)

  奈良県明日香村の特別史跡「キトラ古墳で、天井に描かれた天文図のうち太陽を表す「日像」などをはぎ取った。
 日像は天井東にあり、直径4.5cmの金箔を張り付けて太陽を表している。金箔の中には鳥の足と尾羽とみられる墨の線があり、太陽を象徴する3本足のカ ラスが中に描かれているという。
 この他、日像の西側の心宿(しんしゅく)、尾宿(びしゅく)、天江(てんこう)など3つの星座もはぎ取られ、今後、2月中旬には天井西に銀箔で月を表し た月像(げつぞう)をはぎ取るという。


● 尾道市の浄土寺で遷座法要(2008年1月25日)

 広島県尾道市東久保町の浄土寺で、解体修理をする国 の重要文化財「方丈」に安置された仏像を移す遷座法要が営まれた。
 法要の後、方丈の本尊である釈迦如来坐像(像高約1.2m 鎌倉末期)など3体は国重文の阿弥陀堂へ、如意輪観音菩薩坐像(約2m 江戸後期)は国宝の 本堂へ仮安置した。
 方丈の修理は2009年度中の完成を目指す。


● 京丹後・俵野廃寺蓮華文軒丸瓦が出土(2008年1月24日)

  京都府京丹後市網野町俵野の俵野廃寺で、飛鳥時代後期(7世紀後半)の文様の異なる2種類の蓮華文(れんげもん)軒丸瓦が見つかった。
 調査したのは大正時代に塔の心礎が出土した地点の東側で、出土した瓦は収納箱で80箱を超える量に上り、蓮華文軒丸瓦(直径16.2cm)は、上方部分 が少し欠けたほぼ完形で計8点を確認した。
 軒丸瓦の文様は以前に見つかっていた、ハスの花弁が二重の複弁蓮華文と花弁が一重の単弁蓮華文で、2種類とも丹後独自の文様という。
 朝鮮半島から伝わった瓦製造の技術と比べると左右対称の精巧さなどが劣り、現地で製造された可能性が高いという。


● バーミヤンは世界最古の油絵(2008年1月23日)

 アフガニスタンの世界遺産バーミヤン遺跡の壁画が7 世紀後半の世界最古の油絵であることが、東京文化財研究所の調査で分かった。
 2001年にタリバンによって爆破された二つの大仏のある多数の石窟の天井や壁には極彩色の仏教絵画が描かれていたことが知られているが、50か所の石 窟の破片を分析したところ、そのうち12の壁画が7世紀後半から10世紀にかけて描かれた油絵であることが判明した。
 奈良時代に「密陀僧(みつだそう)」(一酸化鉛)を使った一種の油絵があったことや、古代のエジプトやローマにも工芸品の塗料として油が使われたことは 文献にあるが、科学分析で油絵と確定したものとしてはバーミヤンの壁画が世界最古となる。
 シルクロードの拠点での油絵技法の存在が確実になったことで、油絵の可能性が指摘されている法隆寺の玉虫厨子(ずし)や正倉院宝物との関係についても注 目される。

爆破以前に前田耕作氏によって撮影された写真

●  銀閣寺の境内で創建時の石垣遺構発見(2008年1月18日)

 京都市左京区の慈照寺(通称・銀閣寺)の境内で、室 町時代後期に足利義政が創建した当時の石垣や、石組みの溝、盛り土した堤の遺構が見つかった。
 石垣は観音殿(銀閣)北60mの山すそで出土し、花こう岩を積んだ東西5m、南北6mのL字形で、上部が崩れ、最下部の1列だけが残っていた。外側には 排水用の石組みの溝(幅0.8m、深さ1m)も見つかった。
 同寺は1482年、将軍職を辞した足利義政が隠居所として造営したもので、石垣で築かれた北側の高台には、義政が持仏堂として建立し、暮らしていた「西 指庵(さいしあん)」があったとみられ建物の美観を保つための石垣の可能性があるという。
 さらに、南側には東西方向に高さ0.8〜1mに土を盛った3か所の堤状遺構が発見され、山から流入する土砂や水をせき止め、建物を守る役割を果たしたら しい。


●  辰野町十一面観音像を一般公開(2008年1月15日)

 長野県辰野町上島の観音堂で、厄除け祈願祭が行わ れ、十一面観音像(重文)が公開された。
 十一面観音像は、像高89.4cmのカヤの一木造りで、鎌倉末期の元亨3年(1323)善光寺住僧の妙海の作とされる。かつては秘仏としてご開帳は60 年に一度だったが、現在は、毎年1月14日と5月3日の例祭に開扉される。

●  山形県で文化財防災ネットワーク発足(2008年1月15日)

 東北芸術工科大文化財保存修復研究センターと大学や 行政の関係者が協力して、「山形文化遺産防災ネットワーク」が発足する。
  同センターは、文化財保護に取り組む人材の育成や地域貢献を目的に2001年に開設され、2007年の新潟県中越沖地震の際、被災地に出向いて文化財の保 全活動に協力したほか、有識者を招いた学習会を企画したり、朝日町や遊佐町で文化財に関する防災マップを作製したりするなどの活動を展開してきた。
  しかし、被災地では人命救助やライフライン復旧が優先され、文化財の保全や復旧は遅くなり、放置されてしまうケースもある。センターでは人間の精神を支え る文化財を地域全体で守り、伝承する責任があるとして、県内の地域別に文化財の位置や状態を調査してデータベース化を進めるほか、消防車の経路や臨時に移 設することが可能な場所を確保するなどの活動を行っていくという。

●  文化財防災ネットを整備(2008年1月13日)

 大地震などの災害発生時に仏像や古文書などを守る 「文化財防災ネットワーク」の全国組織を整備する構想が京都造形芸術大学を中心に計画されている。
 災害時は被災者の救援やライフラインの復旧が最優先にされるため、文化財保護は後回しされ、阪神大震災などでは多くの文化財が失われたと見られるが、い まだに把握できない被害もある。
 この教訓から災害時に専門知識を持つボランティアを被災地に急行させ、文化財を安全な場所に搬出する「文化財レスキュー」組織を構築するのが目的で、美 術工芸を専門とする大学研究者や自治体職員、文化財保護に関心を寄せる一般人らがメンバーになる予定。
 また、個人が所有する未指定の文化財を含めて所在地を事前に把握する調査を実施して被害を未然に防ぐ対策にも取り組み、最終的にはNPO法人の認証を受 けるという。
 文化財ボランティアを養成するために、京都造形芸術大学では来年度から通信教育の講座をスタートさせ、仏像の搬出方法や掛け軸の扱い方、襖絵を切って取 り出す作業など実践的な技術指導を行う。


● 九州の遺跡の装身具は7割が雲母(2008年1月12日)

 九州の遺跡で出土した、縄文時代後期から晩期の緑色 の勾玉や管玉などの石製装身具のうち約7割は、クロムを含んで緑色に見える白雲母岩で作られていたことが分かった。
  鹿児島県・上加世田遺跡など九州7県の約160の遺跡から出土した装身具約670点について、蛍光エックス線分析装置で成分を調査した結果、過去の発掘調 査報告で緑色片岩とされていた約270点と、蛇紋岩とされていた約90点は、ほぼすべて白雲母岩だった。また、ヒスイとされていた約140点も、約8割が 白雲母岩と判明し、全体では白雲母岩が約7割に上り、残りは滑石などだった。


● 京都・平等寺の薬師如来像、千年ぶりに鳥取へ里帰り(2008年01月11日)

 京都市下京区の平等寺の薬師如来像(重文)が、今年 10月に鳥取県立博物館で開かれる企画展に出展されるため、約千年ぶりに鳥取へ里帰りすることになった。
 薬師如来像は像高約162cmの一木造で、10世紀後半の制作。
  平等寺縁起などによると、村上天皇の名代で因幡国にある宇倍神社へ参拝するため現地へ赴いた橘行平が、夢に現れた僧侶の言葉に従って海中から如来像を引き 揚げてお堂に安置したが、行平が帰京した後この如来像が屋敷へ雲に乗って来たため、お堂を建ててまつったのが平等寺の始まりという。
 一方、如来像が去った後のお堂は後光と台座だけが残ったことから座光寺(鳥取市菖蒲)と名付けられたという。
 企画展では鳥取とゆかりのある寺社などの歴史をテーマに、数十カ所の絵巻や仏像などを展示する。

●  法隆寺金堂修理で釈迦三尊像など上御堂で公開(2008年1月5日)

 奈良市の法隆寺で金堂修理に伴う仏像の移動スケ ジュールが決まった。
 金堂の基壇と壁のしっくいの修復工事は3〜12月に行われるが、これに先立ち、現在12体ある仏像のうち、本尊の釈迦三尊像と薬師如来坐像は、2月18 日から金堂の約100m北の上御堂(かみのみどう)に移され、作業終了次第公開される。
 また、阿弥陀如来坐像や四天王立像、毘沙門天像、吉祥天像などその他の仏像と、焼損前の状態を模写した壁画12面は、奈良国立博物館で6月14日〜7月 21日に開催される「国宝 法隆寺金堂展」で公開される。(広目天、多聞天は全期間、持国天、増長天は7月1日から)。
 四天王立像が4体そろって寺外で公開されるのは初めてという。
 金堂は、2月18日から工事終了まで内部の拝観はできない。



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