特選情報

● 京都・寂光院焼損の旧本尊を特別公開(2008年4月26日)
 京都市左京区の寂光院で、2000年5月の放火事件で焼損した旧本尊地蔵菩薩立像の特別公開が始まった。
 旧本尊は像高2.6mで鎌倉初期の制作とされ、放火事件で焼損したが、劣化を防ぐために表面を樹脂加工するなど修復された。現在も重要文化財に指定されており、完全空調の収蔵庫で保管されている。
 公開は4月26日から5月6日まで。

● 奈良・明日香村高松塚古墳の公開始まる(2008年4月25日)
 奈良県明日香村の修理施設で、高松塚古墳石室から取り出された国宝壁画の地元村民への公開が始まり、午前中は村立の幼稚園、小中学校の児童・生徒計約500人が訪れた。
 村民への公開は27日まで、一般公開(応募制、先着順)は5月31日〜6月8日に行われる。

● 韓国で盗難古美術およそ2400点を回収(2008年4月24日)
 韓国で盗難に遭った朝鮮時代後期の画家の美術品と文化財など2400点あまりが回収された。
  ソウル警察庁は2005年3月から昨年6月までに100件あまりの名家などに侵入し、美術品と古文書、民俗資料など4600点盗んだ容疑者を逮捕し、画家 ソジョン、ピョン、グァンシクの山水画や、旧韓国末義兵長、キ・ウマンの手紙などの古文書、絵画の巨匠キム・キチャンの版画などの美術品など2400点を 隠していた倉庫で発見し回収した。

● 出雲大社で本殿を59年ぶりに一般公開(2008年4月21日)
 島根県出雲市の出雲大社は、「平成の大遷宮」で神体を本殿から仮殿に遷したのに伴い、国宝の本殿の一般公開を始めた。
 本殿は江戸時代の延享元年(1744)造営。高さ24mの高床式で、切り妻屋根や周囲に縁を巡らせた「大社造」と呼ばれる建築様式。普段は限られた神職しか入ることができないが、檜皮のふき替えなどの大修理に備え、ご神体が仮殿に移されたためで59年ぶりに公開される。
 一般公開は4月21〜23日、26日〜5月6日、5月13日〜18日、8月1日〜17日の4回に分けて計37日間行われる。無料。Tシャツやジーンズなどの軽装での見学や撮影は不可。

● 滋賀愛荘町町文化財に4件を指定(2008年4月19日)
 滋賀愛荘町教委湖東三山の一つ、金剛輪寺所蔵の狛犬、廣照寺の聖観音立像など4件を町文化財に指定した。
 4件は4月19日〜5月18日まで町立歴史文化博物館で開く「愛荘町新指定文化財展」で公開される。

指定文化財
▽狛犬(こまいぬ) 鎌倉時代 金剛輪寺(同町松尾寺)
▽聖観音立像 鎌倉時代 廣照寺(同町畑田)
▽紙本著色矢取(やとり)地蔵縁起絵巻 室町時代個人所有
▽紙本著色熊野観心十界曼荼羅図 江戸時代 寶満寺(同町愛知川)

● 出雲歴史博物館で国宝の銅剣を損傷(2008年4月18日)
 出雲市の島根県立古代出雲歴史博物館で、荒神谷遺跡(島根県斐川町)から出土した国宝の銅剣を調査中に誤って展示台にぶつけ、刃の中央部に亀裂が入った。
 損傷したのは長さ52cmの銅剣で、元興寺文化財研究所(奈良市)の技師ら3人が、展示台から銅剣を1本ずつ取り外して写真を撮り戻す際に、銅剣を台の枠にぶつけ、ほぼ中央の刃部に長さ4.2cm、幅0.9cmにわたる弧状の亀裂が入ったという。
 銅剣は1984年、荒神谷遺跡から358本が出土し、1998年に同遺跡出土の銅矛や銅鐸とともに国宝に指定された。
 ひびの拡大を防ぐため、接着剤を塗る応急処置をとり、文化庁と修復方法を協議するという。

● 熊本・人吉の青井阿蘇神社が国宝に(2008年4月18日)
 文化審議会は、熊本県人吉市の青井阿蘇神社の5棟(本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門)を国宝に指定するよう文部科学相に答申した。
かやぶき屋根の建造物としては初の国宝指定で、楼門から本殿迄の一連の主要建物が一度に国宝になるのも珍しいという。

指定建築物
【国宝】
▽青井阿蘇神社(熊本県人吉市)
  青井阿蘇神社は、大同元年(806)の創建と伝え、阿蘇神社(阿蘇市)の三神を祭る。鎌倉時代に人吉入りした相良家の氏神として長く保護され、球磨地方の 鎮守として信仰を集めている。 現在の社殿は江戸初期の慶長15〜18年(1610〜13)年に建て替えられた。黒塗りで傾斜が急な萱葺(かやぶ)き屋根 に極彩色を用いた装飾性の高い彫刻や模様に特徴がある桃山様式で、南九州一帯に影響を与えた独特の技法などは近世神社建築で重要な位置を占めとされた。
【重要文化財】
▽旧東京科学博物館本館(東京都台東区)
▽金沢城土蔵(金沢市)
▽大安寺(福井市)
▽西福寺(福井県敦賀市)
▽豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂(愛知県豊橋市)
▽舞鶴旧鎮守府倉庫施設(京都府舞鶴市)
▽淀川旧分流施設(大阪市)
▽大野教会堂(長崎市)
▽江上天主堂(長崎県五島市)
【重要伝統的建造物群保存地区】
▽金沢市主計(かずえ)町(石川県)
▽小浜市小浜西組(福井県)
▽平戸市大島村神浦(長崎県)

● 宇治の平等院鳳凰堂の天井装飾復元(2008年4月18日)
 宇治市宇治の平等院で鳳凰堂の天井装飾「方蓋(ほうがい)」(国宝)の創建時の文様を再現した復元品を完成させた。
 方蓋は本尊の阿弥陀如来坐像の頭上を飾る天蓋の一部で、幅約4.2m、奥行き約3.7m。
  復元したのは方蓋の南東角(縦・横65cm、高さ66cm)と北東角の二部分で、平成の大修理で、蛍光エックス線検査などで本来の色彩や塗装法を調査し、 方蓋と同じヒノキ材を用いて夜光貝の螺鈿や金箔を施し、漆や朱の鉱石、調査で発見された木粉を混ぜた塗料で濃い赤紫色を再現した。

● 金沢市文化財に高岸寺の本堂など指定(2008年4月17日)
 金沢市文化財保護審議会は、「高岸寺本堂・鐘楼・附棟札7枚」(寺町)と「松風閣庭園」(本多町)を市文化財に指定するよう答申した。
 高岸寺は日蓮宗の寺院で、前田家家臣の高畠石見守が一族の菩提所として開いた。
  本堂は1861年の建築で、切妻造りの妻入り。正面中央に向唐破風の式台玄関が付けられ、彫刻の完成度も高い。鐘楼は1797年ごろの建築とみられ、祠堂 の2階に建つ形式は市内の寺院でも例がないという。また棟札には、これら建造物の建築年代が記され、変遷をうかがうことができる。

● 平城宮跡東方官衙で数万点規模木簡(2008年4月11日) 
 奈良市佐紀町の平城宮跡東方官衙地区で出土した木簡の堆積層が数万点規模になることが分かった。削りくずが大半だが、点数では長屋王家木簡(約35,000点)を上回る可能性が高く、平城京で過去最多の二条大路木簡(約74,000点)に迫るという。
 木簡は直径6mほどの穴に投げ込まれた状態で、最高約40cmほどの厚さで全体に堆積している。土はほとんどはさまっておらず、削りくずだけがびっしりと積み重なった状態だった。

● 奈良・藤ノ木古墳で石室公開(2008年4月8日) 
 奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳で、見学施設の整備工事が終わり、5月3〜6日の4日間石室内部が特別公開されることになった。
 藤ノ木古墳は、1985年に馬具が発見され、1988年に石棺内部調査が行われて、豪華な金銅製馬具や、多彩な副葬品(いずれも国宝)を納めた未盗掘石棺が出土したことで知られる。
 見学施設は石棺のある玄室につながる長さ約12mの羨道に通路を設置し、石室入り口のガラス窓越しに内部を見学できるようにし、一般公開される。また、今後は、春と秋の2回石室内部の特別公開を予定しているという。

● 大和郡山で奈良時代のヒノキの巨大井戸出土(2008年4月1日)
 奈良県大和郡山市の横田堂垣内(かいと)遺跡で、奈良時代の巨大な井戸枠が発見された。
 井戸枠は直径1m、長さ3m、ヒノキの大木をくり抜いたもの、、地表に露出していた上端部以外は完全な状態で検出された。外面には手斧(ちような)で削った痕跡が生々しく残っていた。井戸の中からは、つるべに使われたとみられるつぼも見つかった。
 井戸の近くでは、南北に規則正しく並ぶ複数の掘っ立て柱建物跡も見つかり、役所や寺院があったと見られる。
  古代のくり抜き井戸としては、斑鳩町の法起寺近くで出土した飛鳥時代の井戸(直径1.3〜0.8m、長さ6.8m)が国内最大級として知られており、藤原 京や平城京でも深さ2〜3m前後の井戸が多数見つかっているが、くり抜き井戸ではなく、板材を組み合わせた構造のものが多い。

● 高松塚古墳の修理作業室4月末、明日香村民へ先行公開(2008年4月1日)
 奈良県明日香村で昨年石室が解体された高松塚古墳の極彩色壁画について、5月末からの一般公開に先立って4月25〜27日の3日間、明日香村民へ公開されることになった。
  壁画は同古墳から北西約500mの国営飛鳥歴史公園内にある修理作業室で公開されるが、通路から窓ガラス越しに飛鳥美人などの壁画が置かれた室内を眺める ことになる。見学通路が狭いため事前申込制とし、1回に15人ずつ15分限定となる。25日の午前中は地元の小中学生らを招待するという。
 一般公開の日程や申し込み方法は、4月中旬ごろに公表する予定。

●  奈良県指定文化財に圓證寺の木造釈迦如来坐像など9件(2008年4月1日)
 奈良県教育委員会は、生駒市・圓證(えんしょう)寺の釈迦如来坐像など9件を指定文化財に指定した。
 釈迦如来坐像は筒井氏の菩提寺である圓證寺の本尊像。像高69.3cmの寄木造で、脇侍に文殊、普賢菩薩(ともに重文)をしたがえ、釈迦三尊を構成する。理知的な表情や均整のとれた体つきなど、まとまりのよい作風から、鎌倉時代前半(13世紀前半)の作と考えられる。
指定文化財は次の通り。
【建造物】
 ▽光明寺山門 江戸時代(宇陀市)
 ▽山邉家住宅 江戸時代(宇陀市)
【彫刻】釈迦如来坐像 圓證寺(生駒市)
【絵画】絹本著色多武峯縁起 談山神社(桜井市)
【工芸品】銅水瓶、朝護孫子寺鎌倉時代(平群町)
【書跡・典籍】元版一切経 西大寺 宋、元、南北朝時代(奈良市)
【考古資料】大和天神山古墳出土木棺 古墳時代前期(天理市)
【天然記念物】八幡神社社叢 (奈良市)
【無形民俗】白石の双盤念仏 興善寺(奈良市)


● 平城宮跡で初の倉庫群が出土(2008年3月29日)
 奈良市の平城宮跡で、平城宮で政務の中心だった朝堂院東側で、奈良時代の高床式倉庫とみられる建物跡2棟が並んで見つかった。
  2棟の建物跡は、いずれも東西18m、南北6m以上で、柱の間隔(最大で3.6m)が正倉院(同3.7m)と似ており高床式の倉庫と見られる。瓦も出土し ており、瓦ぶきの建物だったようだ。倉庫の南北にはさらに、南北70〜80mにわたって複数の倉庫があったとみられる。平城宮跡内で、倉庫群が出土するの は初めて。
 平安宮(京都市)では、朝堂院東側には租税や戸籍、田畑を管轄する「民部省」や、税に当たる米を収納する民部省管轄の「廩(りん)院」と呼ばれる倉庫群が存在しており、今回見つかったのも同様の機能を持った倉庫群の一部の建物跡の可能性が高いという。

● 山形市文化財に仏像3体2件を市文化財に指定(2008年3月29日)
 山形市教育委員会は、宝光院の不動明王立像など仏像3体2件を市有形文化財に指定した。
▽不動明王立像 宝光院 江戸時代
台座内側に銘文が記されており、寛永寺を開いた天海大僧正が開眼し、寛永寺仏師の治部卿法橋により寛永19年(1642)に制作されたことが分かる。
▽観音菩薩立像 梵行寺 平安時代末期
▽勢至菩薩立像 梵行寺 
阿弥陀如来坐像の脇侍像で、共にヒノキと思われる一木割矧造。観音菩薩は両手に蓮台を持ち、勢至菩薩は合掌する姿に表されるが、阿弥陀如来の脇侍で同様の例は鎌倉時代のものが2例あるだけで、最古の部類に入る貴重な作品という。
 上品で穏やかな作風から中央で制作されたと見られる。

● 愛知県正眼寺で誕生釈迦仏が22年ぶりに里帰り(2008年3月27日)
 愛知県小牧市三ツ渕の正眼寺で、重要文化財「誕生釈迦仏」が、3月10日、22年ぶりに奈良から里帰りした。
「誕生釈迦仏」は飛鳥時代に作られた像高8.2cmの金銅仏で、南北朝時代に後小松天皇から正眼寺に寄付されたと言われている。
1988年に国の重要文化財に指定されたが、その後奈良国立博物館に寄託されていた。今回里帰りを記念し、3月26日から4月20日まで名古屋市博物館(名古屋市瑞穂区)、5月2日から7日まで小牧歴史資料館(愛知県小牧市堀の内)でそれぞれ特別公開される。
 公開と同時に、正眼寺に伝わる文書や仏画などと、尾張の寺院の仏像4点も展示されている。

● 滋賀県東近江市で百済寺毘沙門天立像など3件を文化財指定(2008年3月29日)
 東近江市教育委員会は28日、市文化財保護審議会の答申を受け、新たに美術工芸品、史跡など3件を文化財に指定し、1件をすでに指定している同類の文化財に追加した。
 指定文化財
▽毘沙門天立像と造立願文 百済寺 室町時代
百 済寺の寺宝は信長の焼き打ちでほとんど焼失しており、同寺の数少ない文化財の一つ。像高92cm。像内の造立願文には、本像が永正9年(1512)年に坂 本(現大津市)で造立されたことや、文亀3年(1503)の戦乱で百済寺の曼荼羅院が焼失し多くの仏像が焼失したことが記されている。
▽百済寺懸仏 百済寺 室町時代
3年前に指定された百済寺懸仏に追加。室町時代の作で、木の円盤に銅板をかぶせて鏡板(直径37cm)を作り、表面に三尊を配置する。
▽行者塚古墳 同市勝堂町
▽梵鐘技術保持者 黄地耕造

● 静岡市が有形文化財に東雲寺の大日如来坐像など2件指定(2008年3月27日)
 静岡市は、東雲寺の大日如来坐像と、中野観音堂の鰐口の2件を、新たに有形文化財に指定した。
▽ 大日如来坐像 東雲寺(葵区有東木)平安時代(10世紀)
 像高74.5cmの一木造で、全体の姿や構造、技法などから平安時代の10世紀に制作されたとみられる。
▽ 鰐口 中野観音堂 (葵区井川)室町時代前期
 直径22cm、厚さ9.5cm。銘文には「応永31年(1424)、下井河中野観音堂に施入」と記されている。

● 運慶作大日如来像落札は真如苑(2008年3月25日)
 運慶の作とみられる大日如来像を、ニューヨークのオークションで、約14億円、手数料込み)で落札、入手したのは、東京都立川市に総本部を置く宗教法人・真如苑(しんにょえん)だったことが分かった。
 真如苑は伊藤真乗(しんじょう)(1906〜1989)が開いた密教系の仏教教団で、信徒数は約85万人。2002年に立川市と武蔵村山市にまたがる106万平方メートルの敷地を購入しており、大日如来像は約10年後に建設予定の新施設で公開する方針という。
 施設完成までの5〜10年間は東京国立博物館に寄託する方向で調整しているという。


● 島根の銅鐸、国宝に 重要文化財に31件(2008年3月21日)
 文化審議会は、島根県加茂岩倉遺跡出土の銅鐸を国宝に、横浜市・光明院の運慶作大威徳明王像や、岡山市・明王寺の観音菩薩立像など31件を重要文化財に新たに指定するよう答申した。
 また、登録有形文化財として美術工芸品3件、建造物186件を加えることも答申された。
指定文化財は次の通り。
【国宝】
▽島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸(文化庁)

【重要文化財】
▽銅造如来立像(山形県鶴岡市・湯殿山総本寺大網大日坊)
銅 造如来立像は像高28.3cmの金銅仏。7世紀ごろに製作されたと推測され、飛鳥時代の仏像と共通する形式を示し、柔和な表情や起伏のある衣の表現に中 国・南北朝時代の梁、朝鮮・三国時代の百済の仏像との関連がうかがえる。飛鳥時代の仏像様式の広がりを考える上で重要として高く評価された。
▽了海坐像(東京都港区・善福寺)
▽大威徳明王像 運慶作、像内納入品(横浜市・光明院)
称 名寺の塔頭光明院に伝わる大威徳明王像で、像高さ19.8cm。解体修理中に像の胴体部分にはめ込まれていた文書末尾の奥書によって、建保四(1216) 年に運慶が造ったことが確認された。さらに像内部から発見されたハスの実の中には、仏舎利が納められており、像内納入品と合わせた指定される。
▽阿弥陀如来立像(津市・専修寺)
木造阿弥陀如来立像は、専修寺如来堂の本尊で像高約80cm。鎌倉時代の制作で快慶の作風を濃厚に伝え、足の裏に仏足文を表し、手足の指のつめや蓮華座に金属を用いて、本体を銅柱で台座に固定するなど特色ある造法を示す。
▽諸尊仏龕(三重県伊勢市・寂照寺)
諸尊仏龕は中国・唐時代の作で、高さ19cm。厨子とともに諸尊を細やかに彫り出した龕像で、諸尊の姿に中央アジアの仏像と共通する要素が多く、類例の少ない作例として注目される。
▽釈迦如来及迦葉阿難立像(京都市・東福寺)
▽不動明王立像(同・三千院)
▽観音菩薩立像(岡山市・明王寺)
同 像は、平安時代前期の9世紀に制作された像高165.8cm一木彫像。菩薩の身部には豊かな量感があり、衣文や装身具も細やかに彫り出すなど堂々とした作 風を残す。また、同寺は奈良時代の僧・報恩大師が築造した「備前四十八ヶ寺」の一つで、平安時代前期の奈良と地方造像との関係を考える上で重要と評価され た。
▽紙本著色梓弓図 岩佐勝以筆(文化庁)
▽紙本著色布晒舞図 英一蝶筆(埼玉県川島町・遠山記念館)
▽紙本墨画淡彩官女観菊図 岩佐勝以筆(東京都千代田区・山種美術館)
▽絹本著色釈迦霊鷲山説法図(奈良国立博物館)
▽蔦細道蒔絵文台硯箱(東京国立博物館)
▽絵唐津芦文壺(東京都千代田区・出光美術館)
▽金銅蓮華唐草文透彫華鬘(滋賀県愛荘町・金剛輪寺)
▽銹絵水仙文茶碗 仁清作(京都市・天寧寺)
▽明官服類(同・妙法院)
▽九条殿御集(文化庁)
▽専修寺聖教(専修寺)
▽俊頼髄脳(京都市・冷泉家時雨亭文庫)
▽黄帝内経太素 巻第21、第27(大阪市・武田科学振興財団)
▽平等院経蔵目録(奈良県吉野町・阪本龍門文庫)
▽比志島家文書(東京都文京区・東京大学)
▽専修寺文書(専修寺)
▽兵庫北関入船納帳(京都市)
▽後法成寺関白記(京都市・陽明文庫)
▽北海道上之国勝山館跡出土品(北海道上ノ国町)
▽石川県雨の宮1号墳出土品(同県中能登町)
▽長崎県双六古墳出土品(同県壱岐市)
▽対馬宗家関係資料(東京都港区・慶応義塾)
▽松浦武四郎関係資料(三重県松阪市)

【登録有形文化財】
《美術工芸品》
▽並河靖之七宝資料(京都市・並河靖之有線七宝記念財団)
▽越中地域考古資料(富山県)
▽工藤利三郎撮影写真ガラス原板(奈良市)
仏像や寺院などを撮影した工藤利三郎(1848〜1929)のガラス原板(乾板)は1025点に上り、「明治の大修理」のころの東大寺大仏殿や、明治35年に修理される前の腕が破損したままの興福寺・阿修羅像などが含まれており、文化財記録写真として資料的価値が高い。
《建造物(主なもの)》
▽旧佐々木家住宅主屋(岩手県遠野市)
▽青山学院ベリーホール(東京都渋谷区)
▽明治四十四年館(長野県軽井沢町)

● 京都、醍醐寺で国宝・五重塔の板絵公開(2008年3月21日)
 京都市伏見区の醍醐寺は、平安時代に制作された国宝「五重塔初重壁画」の一部などを春季特別展「やすらかな白描の世界と醍醐の春」で公開する。
 951年建立の国宝五重塔内部にある壁画のうち、胎蔵界曼荼羅に描かれた大日如来を囲む天部像の板絵や、初公開の重要文化財「妙見菩薩図像」など、筆の線の美しさを強調した白描画が多数展示される。
 会期は3月22日から5月11日まで。

● 運慶作大日如来坐像、文化庁の購入断念・競売見送り経緯(2008年3月20日)
  ニューヨークのオークションで競売にかけられ、三越が落札した運慶作とみられる大日如来坐像について、文化庁が競売出品が明らかになった時点で、持ち主と 重要文化財指定を視野に買い取り交渉に入ったが、想定していた3億〜4億円に対し提示額は8億円で購入は断念せざるを得なかったという。
 その後、文化庁は競売参加の可能性を探ったが、前例がなく、また情報が漏れれば投機筋の参入を招きかねないことや、国内の私立美術館が応札するとの情報が入ってきたことから参加は見送られたという。
 読売新聞によれば、競売に出品した男性は40代前半の外資系会社員で、8年ほど前、古美術商から「会社員が給料で支払える程度の金額で譲ってもらった」という。
 しかし、運慶作の可能性が判明したことから、「個人で所有するには荷が重すぎた。日本に残したいと文化庁とも連絡を取ったが、現行の規則では希望に添えないなどと言うばかりで交渉にならなかった。(落札の結果、)東京に戻ってくるので安心した」と語ったという。

● 兵庫県加古川市文化財に鶴林寺文書と長楽寺の六尊石仏(2008年3月20日) 
    加古川市教委は十九日、新たな市指定文化財に鶴林寺(加古川町)の文書十通と、長楽寺(平荘町)の六尊石仏一基を指定した。すでに指定されている聖徳太子 坐像は、脇侍二体が確認されたため「聖徳太子坐像及び二王子立像」と名称変更して指定し直した。
 鶴林寺文書は、戦国時代の書状などで、出雲の戦国大名・尼子氏が播磨を攻めた際、鶴林寺の僧兵が勝利した「播州刀田太子堂合戦」について記したとみられる十六世紀中ごろの三通と、織田信長の播磨攻めから豊臣秀吉による平定までの様子が分かる同世紀後半の七通。
 六尊石仏は、南北朝時代の作。高さ183cm、幅121cm、厚さ29cmの古墳時代の家形石棺のふた石に、阿弥陀如来坐像や地蔵菩薩立像など六体の仏像が浮き彫りにされている。
 聖徳太子坐像の脇侍二体は、太子の子どもの山背大兄王と、弟の殖栗王(えぐりのおう)の木造立像で、いずれも像高さ38.9cm。坐像とは別に保管されていたが、一組であることが確認された。平安時代の制作。

● 京都・蟹満寺の釈迦如来坐像1300年不変説揺らぐ(2008年3月19日)
 京都府木津川市山城町の蟹満寺の本尊、釈迦如来坐像(国宝)の台座は、創建された白鳳時代ではなく江戸時代のものであったことが分かった。
 今年1月から旧境内約150平方mを調査した結果、台座下に江戸時代の地層が入り込み、台座も近世の墓石を転用していたのが判明した。
 2005年の調査では、地層の状態から台座は創建当初のものと判断、坐像の位置は創建以来約1300年間不変だったとの見解が出されていたが、この見解が揺らぐ調査結果となった。
 ほかに地層下部から、本尊の据え付け穴(直径1.3m)と儀式の跡とみられる8つの穴(直径35〜70cm)を発掘し、出土土器から、中世以前の遺構と分かったが、白鳳時代との確証は得られなかった。

● 秩父札所観音霊場総開帳(2008年3月19日)
 秩父地方のある秩父札所34ヶ所観音霊場で3月18日、子年(ねどし)総開帳が始まった。
 秩父札所が室町時代末期に坂東、西国のそれぞれ33札所とともに日本百観音霊場に数えられたことに報いる総開帳で、開帳期間は7月18日まで。

● 知恩院・御廟堂本尊法然上人坐像を初確認(2008年3月19日)
 京都市東山区の知恩院で、宗祖・法然の遺骨を納めたとされる御廟(ごびょう)堂の本尊・法然上人座像の存在が初めて確認され、坐像を安置する金色の多宝塔とともに公開されている。
 2007年11月、御廟堂の修理に伴い勢至堂への遷座に先立って多宝塔を開帳したところ、法然上人座像が見つかった。多宝塔は高さ約1.1m、法然上人坐像は木製で黒い衣をまとい、前には緑色の蓮台がある。
 御廟堂の修復の完了後は再び御廟堂へ戻されるが、御廟堂は非公開のため、多宝塔を見学できるのは御廟堂の落慶法要前日の3月30日までで、法然上人坐像の開帳は25日までとなっている。

● 東寺で国宝「女神坐像」13年ぶり公開(2008年3月19日)
 京都市南区の東寺宝物館で20日、春期特別公開「東寺鎮守八幡宮と足利尊氏」が始まる。
 境内の鎮守八幡宮を初めてテーマに選び、本尊の国宝「女神坐像」や脇士の国宝「武内宿禰坐像」など65点を紹介する。
 南大門の西側にある鎮守八幡宮は弘仁元年(810)、空海が八幡神をまつって建立した。南北朝時代、足利尊氏が新田義貞と戦った際には八幡宮から神矢が飛んで尊氏が勝ち、以降、足利幕府は東寺を保護した。
 女神坐像は本尊八幡三神像のうちの一体で9世紀後半の作とされる。霊木であったと考えられる木材の腐った部分を前面にして全体を形取り、顔や胸は別の木材を張り付ける珍しい構造をもつ。髻(もとどり)を結い、髪を両肩にたらした平安時代初期の女性の姿をしている。

● 藤原京から出土の富本銭は新タイプ(2008年3月17日)
 藤原京の大極殿前の南門跡から昨年出土した、最古の貨幣「富本(ふほん)銭」が、当時の鋳銭司であったとされる飛鳥池遺跡の貨幣と字体が異なる新タイプだったことがわかった。
 藤原京の大極殿前の南門跡から昨年出土した富本銭は、水晶9個とともに、地鎮具とみられるつぼの中に9枚入っていた。
 その後の調査で、貨幣の「富」の文字が「冨」で「ワかんむり」の下の「一」も省略されており、「富」の文字が鋳込まれた飛鳥池遺跡出土とは字体が異なっていた。また、重さも飛鳥池の富本銭の約1.5倍で、平均6.77gだったことが分かった。
 さらに、飛鳥池遺跡の富本銭に含まれていた、金色が増す効果のあるアンチモンが、9枚中4枚には含まれていないなど、今回の富本銭は飛鳥池遺跡以外で製作されたとみられる。
 日本書紀には、藤原京遷都直前の694年3月に現在の造幣局に当たる鋳銭司(じゅせんし)を任命したという記事があり、今回の富本銭は、その際に新たに設けられた鋳銭司で鋳造された可能性が高まった。

● 京都・常楽寺で親鸞像胎内から遺骨発見(2008年03月14日)
 京都市下京区の常楽寺で、が所蔵する親鸞坐像の中から親鸞(1173〜1262)のものとみられる遺骨が見つかった。
 常楽寺は、親鸞の玄孫の存覚(ぞんかく)(1290〜1373)が開いた寺で、存覚は父の本願寺第3世・覚如(かくにょ)から親鸞の遺骨を受け継いだとの記録が残り、寺には骨片を納めた宝塔というが伝わる。
 親鸞上人像は、像高24.2cmの寄木造の像で江戸中期の作とみられるが、親鸞上人像の胎内にも遺骨を納めたと言い伝えられてきたといい、胎内を調べたところ、胸付近に和紙にくるんだ骨粉があった。
 親鸞像は、4月18日から5月25日まで、広島県立美術館(広島市中区)で開かれる「本願寺展」で初公開される。

● 福島県指定文化財に7件答申(2008年3月11日)
 福島県文化財保護審議会は、会津美里町の「法用寺観音堂」などを重要文化財に指定するように答申した。
指定文化財
【重要文化財】
▽法用寺観音堂(会津美里町雀林字三番)
▽大般若経・経櫃(きょうひつ)・附経帙(きょうちつ)(棚倉町の八槻都々古別神社)
▽稲古舘古墳出土銅漆作大刀・附墳丘および石室内出土品(須賀川市立博物館)
▽法正尻遺跡出土品(白河市の県文化財センター白河館)
【重要無形民俗文化財】
▽磐城大国魂神社のお潮採り神事(いわき市の大国魂神社)
▽南郷の早乙女踊(南会津町の鴇巣、界、和泉田、下山地区)
【天然記念物】
▽無能寺の笠マツ

● 京都府文化財に亀岡市の十一面観音坐像など(2008年3月15日)
 京都府教育委員会は府文化財保護審議会からの答申を受け、亀岡市の十一面観音坐像など、13件を府指定文化財に決めた。
【建造物・美術工芸品】
▽智恩寺(宮津市)
▽府立医科大旧付属図書館(上京区)
▽無動寺観音堂(京丹波町)
▽絹本著色日吉山王垂迹神曼茶羅図(上京区)
▽絹本著色日吉山王本地仏曼茶羅図(同)
▽十一面観音坐像(亀岡市)
▽東福寺永明門派歴代文書墨跡(東山区)
▽長阿含経巻第十(東山区)
【無形民俗文化財】
▽宇治茶手もみ製茶技術(宇治市)、
【文化財環境保全地区】
▽生身天満宮文化財環境保全地区(南丹市)、
【文化的景観】
▽福知山市毛原の棚田景観
▽京丹後市久美浜湾カキの養殖景観(京丹後市)
▽和束町の宇治茶の茶畑景観(和束町)

● 長野・無量寺の跡から出土仏像は平安末期作(2008年3月15日)
 長野県上伊那郡箕輪町無量寺から出土し、東中平地区で管理されている仏像が、年輪年代法により、平安末期の制作であることが分かった。
 仏像は、差し込み式の首と胴体からなる像高約60cmの像で、江戸時代末の火災で焼失した無量寺の跡から出土したものといわれる。
 仏像から採取した木片を調査を依頼した結果、首部分の木材が1034〜1160年、胴体部分が1045〜1216年の数値が示され、仏像の制作年代はおよそ1050〜1270年の間と推定できるという。

● 奈良・下田東遺跡で、カメラマンが木棺破損(2008年3月14日)
 奈良県香芝市の下田東遺跡で、発掘調査で出土した古墳時代の木棺を撮影していた新聞社カメラマンが、足を滑らせて木棺に接触し一部が破損した。
 木棺の底板は古墳の周濠にあり、カメラマンは周濠内に入って20〜30cm離れた場所から撮影していたところ、ぬかるみに足を滑らせ木棺に接触し、隅の表面部分が3〜4cm大にはがれ一部が破損したという。

● 富山県文化財に東善院絵馬など(2008年3月14日)
 富山県文化財保護審議会は、富山馬頭観音堂奉納絵馬などを県文化財に指定するよう県教委に答申した。
 東善院の富山馬頭観音堂奉納絵馬は、馬の産地として知られた最上町で、江戸中期から現在まで奉納され続け、212面が収められている。馬の歴史や住民の信仰に関する貴重な資料と認められた。

指定文化財・無形文化財
▽保定記・続保定記及び印旛沼日記(酒田市)
▽富山馬頭観音堂奉納絵馬 東善院(最上町富沢)
▽刀匠・上林恒平さん(山形市長谷堂)

● 長野県県宝に無量寺の観音菩薩・地蔵菩薩など(2008年3月14日)
 長野県教育委員会は箕輪町東箕輪の無量寺が所蔵する観音菩薩立像と地蔵菩薩立像などを県宝に指定するよう、県文化財保護審議会に諮問する。


 両菩薩像は像高約1.3mのヒノキ材で、彩色が施されている。本尊阿弥陀如来坐像(重文)の脇侍として安置されており、三尊ともに同寺の阿弥陀堂(町指定有形文化財)に伝わった。平安後期の典型的な作風を示しており、平安後期の12世紀後半の作とみられる。
 福徳寺の薬師如来像、阿弥陀如来像の二体は、温和な作風や一木造りの簡素な構造が共通しており、やはり平安後期の作とみられる。背後の飾りや台座などの残片も併せて指定される。

指定文化財
▽観音菩薩立像、地蔵菩薩立像 無量寺(箕輪町東箕輪)
▽薬師如来像、阿弥陀如来像 福徳寺(下伊那郡大鹿村)
▽御陵山(おみはかやま)附山の神奉斎品 935点 (南佐久郡南相木村)


● 埼玉県指定文化財に4件を登録(2008年3月13日)
 埼玉県教育委員会は、葛飾北斎筆鯉亀図など4件を県指定文化財に登録した。
(絵画)
▽紙本着色 鯉亀図 葛飾北斎筆 県立歴史と民俗の博物館収蔵(さいたま市大宮区)
(考古資料)
▽黒浜貝塚群出土品 蓮田市
(有形民俗文化財)
▽秩父地方の養蚕用具及び関係資料 皆野町
(無形民俗文化財)
▽北川崎の虫追い 越谷市

● 年輪年代法のパイオニア奈良文化財研究所光谷拓実さんが退官(2008年3月13日)
 奈良文化財研究所の年代学研究室長、光谷拓実さんが今年3月末で定年退官する。
 日本の年輪年代法一筋に28年間続けてきた研究成果は、考古学や古代史のこれまでの定説を何度も塗り替え、学会にインパクトを与えてきた。
 年輪年代法は、過去の自然環境により異なる木の年輪の成長パターンを基準に、木の伐採年を判定する方法で、遺跡だけではなく建築や美術工芸品、自然災害の年代測定にも用いられるようになった。法隆寺五重塔の柱の測定では同寺の再建論争に一石を投じた。
 現在はスギで紀元前1313年、ヒノキで紀元前912年までの成長パターンを表す物差しが完成している。
 後継者もでき、退官後も当分は年輪年代の研究に携わるという。

● 三重県文化財に地蔵十王図など6件(2008年3月12日)
 三重県文化財保護審議会は、伊賀市・西蓮寺の仏画「絹本著色地蔵十王図」など6件を県文化財に指定するよう県教育委員会に答申した。
建造物
▽俳聖殿 伊賀市
美術工芸品
▽絹本著色(ちゃくしょく)地蔵十王図 西蓮寺(伊賀市)
▽脇差 銘 伊賀国宗近 伊賀文化産業協会 伊賀市
典籍
▽永保記事略並びに同拾遺 藤堂采女家旧蔵本 伊賀市
▽永保記事略附録 藤堂采女家旧蔵本 名張市
史跡
▽諸戸水道貯水池遺構 桑名市

● 板に墨書きされた平安末の阿弥陀如来像発見(2008年3月8日)
 奈良県橿原市の東坊城遺跡で、平安時代末ごろとみられる、阿弥陀如来を墨書きした板が見つかった。
 板は縦9.3cm、横25.5cm、厚さ6mmで、頭部と下半身が欠けているが、阿弥陀如来の来迎印や、口元や衣の襞が柔らかなタッチで描かれている。板に直接墨書きされているが、彩色していた可能性もあり分析を進めている。

● 姫路市・円教寺の性空上人坐像など県重要有形文化財指定(2008年3月6日)
 兵庫県教育委員会は姫路市・円教寺の性空(しょうくう)上人坐像及び如意輪観音坐像など四件を指定することを決めた。
 性空上人坐像は、1998年に発見されたもので、円教寺の開山である平安時代の僧侶、性空上人の像で、像高75cm、上人の没後間もなく制作された像と見られる。
 また、如意輪観音坐像は2006年に発見された像で、像高約20cm、サクラ材の一木造。台座の裏側に延應元年(1239)に書写山の僧侶・妙覚が父母の供養のため制作を依頼した旨の墨書があり、この年に造立されたとみられる。

指定文化財
▽性空上人坐像 円教寺 姫路市
▽如意輪観音坐像 円教寺 姫路市
▽宿南家住宅主屋(しゅくなみけしゅおく) 養父市
▽達徳(たっとく)会館(旧県豊岡尋常中学校本館) 豊岡市

● 山形市宝光院不動明王立像など市文化財指定(2008年3月6日)
 山形市文化財保護委員会は、市内の寺院が所有する3体の仏像を新たに市の有形文化財(彫刻の部)に指定するよう同市教委に答申した。

新指定品
▽不動明王立像 宝光院(八日町)
▽観音菩薩立像 梵行寺(三日町)
▽勢至菩薩立像 梵行寺(三日町)

● 新潟県指定文化財に大泉寺の銅造千手観音菩薩坐像など(2008年3月5日)
 新潟県文化財保護審議会は、大泉寺の銅造千手観音菩薩坐像など6点を県文化財に指定することを県教育委員会に答申した。

答申文化財
▽銅造千手観音菩薩坐像 (大泉寺柏崎市)
▽伝元三大師坐像 雙璧寺(加茂市)
▽阿弥陀如来立像 西光寺(加茂市)
▽伊達八幡館跡出土品 十日町市博物館
▽上野林J遺跡出土品 阿賀野市水原ふるさと農業歴史資料館
▽巫女爺(みこじい)人形操り 小千谷、長岡両市

● 奈良市指定文化財井上町十一面観音立像(2008年3月5日)
 奈良市教委は4日、旧市街地・奈良町に残る十一面観音立像と、民俗芸能・題目立(国の重要無形民俗文化財)のせりふを記録した詞章本81冊の2件を市指定文化財に指定した。
 十一面観音立像は、像高44.8cm、総高73.4cmで鎌倉時代後半の制作と見られ、ほほの張りや腰の引き締まりなど肉付きの抑揚が巧みに表現されており保存状態も良い。現在は奈良市井上町の会議所に安置されている。

●    法隆寺・玉虫厨子を複製(2008年3月2日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺に伝わる国宝「玉虫厨子」の複製品二基を、岐阜県高山市の男性が私費を投じて制作し、同寺に奉納した。
 玉虫厨子は仏像などを安置する仏具で、金銅製の透かし彫り金具の下に玉虫の羽をちりばめた豪華なもので、飛鳥時代の工芸の最高傑作とされる。高さ約2.3m。台座部分には「捨身飼虎図(しゃしんしこず)」など釈迦にまつわる仏画が描かれている。
 実物は羽がほとんど失われているが、制作に当たっては約6600枚の玉虫の羽を使い、絵は漆絵で表したという。
 実物をほぼ忠実に再現した複製品とは別に、もう一基は「平成版」として、金具の下だけでなく仏画にも約36,000枚の羽を使って豪華に仕立てたもので、絵には現代の蒔絵の技を取り入れたという。
 二基の厨子は、3月20日〜6月末まで法隆寺で開かれる秘宝展に展示される。


● 高松塚壁画5月末に一般公開(2008年2月25日)
 奈良県明日香村の特別史跡、高松塚古墳の国宝壁画が、5月末から初めて一般公開されることが決まった。
 昨年4〜8月に解体された石室の16枚の石材は現在、高松塚古墳から北西に約500m離れた国営飛鳥歴史公園内施設内の作業室に置かれている。
  施設には見学者用の通路が設けられており、東西両壁の男女群像や西壁の白虎、北壁の玄武、東壁の青竜など、作業室内に上向きに置かれた壁画を、縦 1.5m、横2mの3枚のガラス窓ごしに眺めることになるが、通路が約15m程度と狭いため、希望者を募集し、応募多数の場合は抽選とする方針。具体的な 日程や定員など詳細は決まっていないが、期間は1週間から10日程度を予定しており、今後も年2回程度は公開の機会を設けるという。

● 陵墓に初の学会立ち入り調査(2008年2月23日)
 奈良市山陵町の神功皇后陵(五社神(ごさし)古墳)で、日本考古学協会など考古・歴史学16学会の研究者代表16名が墳丘の立ち入り調査を行った。
 天皇・皇族クラスの墓と同庁が定める「陵墓」に学会側の立ち入りが認められたのは初めて。立ち入りは墳丘最下段の平坦面だけだったが、前方部東側の農業用水池の縁で円筒埴輪4基の列が発見されるなど、宮内庁側の調査にはない新たな埴輪列が見つかった。
 また、墳丘の状態から西側部分は東側に比べて後世の改修の影響が少なく、築造当初の姿を残している可能性が高いこともわかった。
 16学会は4月5日、奈良市の奈良県文化会館で市民向けシンポジウムを開き今回の成果を報告する。

● 運慶作大日如来像の海外流出防止に対する署名始まる(2008年2月23日)
 米ニューヨークで来月18日に競売にかけられる予定の、鎌倉時代の仏師・運慶作とみられる「大日如来坐像」(個人蔵)が国外に流出するのを食い止めようと署名活動が始まった。
 東京国立博物館などの調査では、坐像は栃木県足利市樺崎町の樺崎(かばさき)廃寺の本尊だったとみられ、足利市教育委員会が2004年に本像の購入を検討した事もあり、署名は足利市が取りまとめ、文部科学省に提出して大日如来坐像の購入を要望するという。

● 運慶作と見られる大日如来坐像、銀座で下見(2008年2月20日)
 運慶の作と見られる大日如来坐像(個人蔵)が米国で競売にかけられる問題で、オークション会社のクリスティーズは20日、東京・銀座で国内の顧客向けの下見会を開催した。
 競売は3月18日、ニューヨークで行われるが、落札予想価格は約1億6000万〜2億1000万円で、日本美術品としては史上最高額という。

● 県指定文化財に2件答申(2008年2月20日)
 高知県文化財保護審議会は、中土佐町大野見竹原の熊野神社が所蔵する室町時代の「熊野三山本地仏懸仏(かけぼとけ)」(町指定文化財)など2件を県指定有形文化財にするよう県教委に答申した。
 懸仏は阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、千手観音坐像の3点。永享2年(1430)、永享4年などの文字が読み取れる。いずれも直径31.5cm円盤状で、杉板を薄い銅板で覆い、立体的に仏像や飾りを打ち出している。
指定文化財
▽懸仏 3面 室町時代 熊野神社
▽旧致道館表門 江戸時代末期 高知市丸ノ内

● 高松塚の「切石取り出し 墨書き確認できず(2008年2月20日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、壁画発見のきっかけになった切石を保存施設から取り出し修理施設へ運んだ。
 切石は縦横約60cm、厚さ36cmで、石室と同じ凝灰岩製。石室入り口正面に置かれており、被葬者名を記した墓碑石や追悼場所の礼拝石、供物台などの説があったが、用途は不明。
 石の用途解明のため、表と裏面に墨書きの文字などが残っていないか、赤外線などを使って調べたが、これまでのところ確認できなかった。傷みが激しいことから、今後強化処理を進めながら調査を続けるという。

● 京都直下地震で国宝55件が被災の恐れ(2008年2月18日)
 地震による文化財への別の被害について検討していた国の中央防災会議は、京都で直下地震が起きた場合、国指定重要文化財(重文)の建造物255件が損壊する恐れがあると発表した。
 奈良の直下地震でも重文の建造物222件が被災する恐れがある。国宝の被害はそれぞれの地震で51件、55件で、全国の約4分の1に当たる。国による文化財の地震被害想定は初めてで、所有者や地方自治体に、耐震化や延焼防止策の推進を求める。
 人口密集地にある近畿5、中部1の計6断層を対象に調査した結果、
最も被害予想が大きいのは、京都市中心部の直下を通り滋賀県まで走る花折断層帯で、マグニチュード7.4の地震が予想され、京都、滋賀、大阪3府県で全国の重文の11%に当たる重文建造物255件が損壊する可能性がある。
 うち京都府内は清水寺本堂、東寺五重塔、平等院鳳凰堂など国宝51件を含む199件で、府内全重文の70%。
 次に被災予想が大きいのは、奈良・大阪府県境近くを走る生駒断層帯で、法隆寺や東大寺、春日大社、薬師寺など、奈良県を中心に国宝は5件を含む重文222件(全国の10%)が損壊する危険性があった。

  文化庁は平成17年度から、国宝と重要文化財に指定した建造物を対象に耐震診断費の原則5割を補助しているが、制度創設からこれまで3年間の補助実績は東 大寺金堂(奈良市)や銀閣寺(京都市)などわずか7件。補強が必要とされた場合の費用負担を嫌って診断をためらう所有者も多と見られ、利用が低調なため、 平成20年度予算では1000万円に半減される見通しだ。そのため、中央防災会議では早期の耐震診断実施と耐震化を急ぐよう呼びかけている。

● 敦煌莫高窟で補修プロジェクト始まる(2008年2月14日)
 中国甘粛省敦煌市の石窟寺院群「莫高窟」で、2億6100万元(約39億円)をかけた補修プロジェクトが始まった。
  莫高窟は敦煌市街地の南西約25kmにあり、西暦355年ごろから14世紀ごろにかけて築かれた。20世紀初頭に、11世紀から14世紀の間に石室に封印 されたとみられる、仏教、道教、儒教の経典や史書、帳簿、暦書、契約書、楽譜など大量の文書が発見され、敦煌文書として世界的に有名になった。1987年 には、ユネスコの世界遺産(文化)に登録された。

● 日本一高い五重塔、勝山市が再び公売(2008年2月13日)
 福井県勝山市で、大師山清大寺の五重塔などの公売を公告した。
 清大寺は大阪のタクシー会社の創業者が昭和62年に建立したが、経営悪化で寺の管理会社が市税を滞納したため、差し押さえられていた。
 五重塔は高さ75mで日本一高い塔として知られていた。昨年11月に公売されたが買い手が付かなかった。

● 佐賀妙福寺・大日如来坐像など5件を県重文に答申(2008年2月16日)
 佐賀県文化財保護審議会は、佐賀市・妙福寺の大日如来坐像など計5件を県重要文化財に指定するように答申した。
 大日如来坐像は像高164cmで、平安時代後期(12世紀)の制作とみられるが像容や省略された衣文などから当地での制作と考えられる。
指定品は下記の通り
▽大日如来坐像 平安時代後期 妙福寺(佐賀市)
▽並木式土器 平原遺跡出土 縄文時代中期 県教育委員会
▽神像 室町時代 彦嶋神社(白石町)
▽色絵唐獅子牡丹文十角皿 県立九州陶磁文化館
▽四葉座連弧文鏡 藤木遺跡出土 鳥栖市教育委員会

● 神功皇后陵で初の陵墓立ち入り調査(2008年2月15日)
 奈良県奈良市山陵町の五社神古墳で、2月22日に歴史研究のための立ち入り調査が行われることになった。
 五社神古墳は4世紀後半から5世紀初めに造られたと考えられる、全長約275mの前方後円墳で、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后である神功皇后陵の陵とされている。
  今まで天皇・皇后陵など陵墓は、宮内庁が管理しており、陵墓への立ち入り調査は、宮内庁が補修工事を行う際の見学以外は、「御霊(みたま)の安寧と静謐 (せいひつ)を守るため」いう理由で調査を認めていなかった。これに対し、歴史・考古学系の16の学会側が2005年7月、仁徳天皇陵(大山古墳、大阪 府)など11の陵墓について、立ち入り調査を認めるよう要望書を提出していた。宮内庁は昨年1月、従来の立ち入り規制を緩和し研究テーマを問わず申請があ れば審査の上、階段状に築かれている墳丘のうち最下段までの調査を受け入れるよう規定を見直しなった。
 今回の調査は、これに基づくもので、学会側要望を受けて天皇・皇后陵など陵墓への立ち入りを認めた初めてのケースとなる。
 宮内庁によると、立ち入りを認めるのは1段目の平らな部分までで、撮影は可能だが、発掘はできない。
 今後、他の陵墓の立ち入り調査についても申請があれば検討し認めていく方針という。

▽陵墓 宮内庁は歴代の天皇、皇后、皇太后らを埋葬した場所を「陵」、それ以外の皇族は「墓」としている。近畿地方を中心に、1都2府30県に陵188基、墓552基がある。陵墓の可能性がある「陵墓参考地」を合わせると、全国で458カ所、計896基になる。

● 富山・黒部堀切遺跡「こけら経」100点展示(2008年2月15日)
 富山県黒部市の堀切遺跡で県内で初めて出土した「こけら経」約100点が、黒部市宇奈月町下立の市歴史民俗資料館で一般に公開されている
 こけら経は、死後の安楽を願うため、細長く薄い木の板に法華経を写したもので、平安時代末期から江戸時代にかけて多く作られた。
 堀切遺跡では2005年、15世紀後半から16世紀のものとみられる2万点が出土。1つの長さは25〜30cm、幅1.3cm、厚さ約0.3mmで、法華経が1行ずつ書かれている。遺跡の溝の跡から発見された事から、法要が終わった後に溝の中に置かれたと考えられる。

● 佐渡で平安後期の仏像発見(2008年2月14日)
 新潟県佐渡市長谷の長谷寺で平安時代仏像2体が見つかった。
仏像は十一面観音坐像(像高約26cm)と地蔵菩薩立像(像高約35cm)の2体でヒノキ製、観音堂の厨子の下から見つかった。
 面相や衣文の特徴などから、平安時代後期の制作と推定され、かなり痛んでいるが、修復が行われ、4月にも特別展示をする予定という。

● 前漢時代の銅鏡鋳型は純粘土製(2008年2月13日)
 中国・山東省で見つかった前漢時代(紀元前二世紀後半)の土製の銅鏡鋳型のほとんどが現代の工法とは異なり、材質強化用の砂粒を含んでいないことが、奈良県立橿原考古学研究所と中国の山東省文物考古研究所の合同調査で分かった。
  粘土だけで作った鋳型は乾燥したり、溶けた青銅を流し込んだ時にひび割れるため、通常、直径0.3mmほどの砂粒を混ぜて強化するが、前漢時代の土製の銅 鏡鋳型七十八点を調べたところ、材質強化用の砂粒が含まれいなかった。砂粒が混じると、文様を彫る際に邪魔になり、精巧な文様が彫れないためとみられる。 その代わりもみ殻の灰が混ぜられ、内部に多くの気泡があったことがわかった。これにより気泡が急激な熱伝導を妨げ、鋳型のひび割れを防いだと考えられると いう。
 日本でも古墳時代を中心に銅鏡が出土しているが、土製鋳型の出土例はほとんどなく、日本の銅鏡の製作方法を解明するための参考となりそうだ。

● 運慶作大日如来坐像が米競売に出品(2008年2月11日)
 運慶作と見られる個人蔵の大日如来坐像が米ニューヨークで3月18日に開かれるクリスティーズ社の競売に出品される分かった。
  この像は、像高は66.1cmのヒノキ材で、2003年に所有者の依頼で東京国立博物館でエックス線撮影した結果、像内に他の運慶一派の作に共通する木札 や水晶塔などが納められていることが分かった。作風からも1190年代の運慶作品の可能性が高いと分かり、2004年、寄託作品として同博物館が一般公開 した。
 指定文化財については売買する場合、国に優先権があり、国外持ち出しには許可が必要となるが、この像は文化財指定されておらず、国外への持ち出しが可能な状態となっていた。また、文化財指定については所有者の同意が必要とされている。
 文化庁によると、一昨年ごろこの像が指定文化財ではないとの証明を求める書類申請があったことから売買の動きを把握し、所有者に事前に買い取り及び文化財指定を打診したが、折り合いがつかなかったという。

● 奈良・鑵子塚古墳は「石舞台」上回る最大級の石室(2008年2月8日)
 奈良県明日香村の真弓鑵子(かんす)塚古墳の横穴式石室は、石舞台を上回る国内最大規模だったことが分かった。
 古墳は直径約40m高さ約8mの円墳で、棺を納める玄室(げんしつ)は長さ6.5m、幅4.4m、高さ4.7m。床面積は約28平方メートルで、石舞台(約26平方メートル)を上回る。
 石室は、壁面は1個2〜3トンの巨石約400個を6〜7段に積み上げ、3段目から天井がドーム状になるよう石を積み上げ、上部に最大で約30トンの天井石3個を載せる高度な技術で築造されていた。
 石室完成時は南北に入り口があったが、棺を納めた後に北側がふさがれ、南側だけが通路の役割を果たしていた。
 築造年代は土器などから6世紀中ごろと推定され、床面から家型石棺の欠片や鉄クギ、金銅製馬具やベルトのバックルなどのほか、渡来系を示すミニチュア炊飯具が見つかり、石室には2個以上の石棺と1個以上の木棺が納められていたと見られる。
 渡来系豪族の墓の特徴とされる副葬品などから、渡来氏族東漢(やまとのあや)氏の首長クラスだった一族の墓と見られるという。

● 佐賀妙福寺大日如来坐像など県重文に(2008年2月7日)
 佐賀県文化財保護審議会は、佐賀市久保泉町の妙福寺大日如来坐像など5件を県重要文化財に指定するよう県教委に答申した。
 指定文化財
▽大日如来坐像 妙福寺(佐賀市久保泉町) 像高127cm 平安時代後期
▽色絵唐獅子牡丹文十角皿 県立九州陶磁文化館 江戸時代前期
▽木造神像3体 彦嶋神社 (杵島郡白石町)
▽藤木遺跡出土四葉座連弧文鏡 鳥栖市教委
▽並木式土器3点 県教委 (平原遺跡出土)


● 名勝・旧大乗院庭園の復元事業が本格化(2008年1月31日)
 奈良市高畑町にある国の名勝・旧大乗院庭園で新年度から未整備の西小池の復元事業が本格化する。
 大乗院は一乗院と並ぶ興福寺の門跡寺院で、平安時代に興福寺の北方、現在の県庁付近に建てられたが、治承4年(1180)に平重衡の南都焼き討ちで消失し、翌年、元興寺別院の禅定寺があった現在の場所で再興された。
 復元計画は興福寺所蔵の絵図などをもとに、江戸末期の姿に庭園を甦らせ、平城遷都1300年にあたる平成22年度完成し、一般公開するという。

● キトラ古墳十二支像壁画5月に公開(2008年1月30日)
 奈良県明日香村の特別史跡キトラ古墳の石室からはぎ取った十二支像壁画のうち、「子」「丑」「寅」を5月9日から25日まで奈良文化財研究所飛鳥資料館(明日香村)で特別公開する。
  十二支は全高約15cmで、これまでに「子」「丑」「寅」のほか、西壁の「戌」と北壁の「亥」がはぎ取られ、南壁では壁を覆った泥に転写された「午」が発 見された。しかし、戌は頭や持ち物が残っておらず、亥も部分的に赤い顔料が残っているだけ。また、「午」は赤い着物で矛を持つ姿が鮮明に残っていたが、泥 がもろく公開は困難だという。
 キトラ古墳の壁画は、2006年の「白虎」、2007年の「玄武」に続いての公開となる。

● 法隆寺金堂の再現壁画堂外へ搬出(2008年1月30日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺金堂にある壁画12面が、釈迦三尊像など全12体の仏像搬出を前に13年ぶりに取り外され、堂外へ運び出された。
 法隆寺金堂壁画は、昭和24年(1949)の火災で焼失したが、1966年に再現事業が始まり、元の壁画を安田靫彦、前田青邨、平山郁夫氏ら、日本画の大家が再現し2年後に完成した。
 安田氏らが描いた六号壁の阿弥陀浄土図(縦約3.1m、横約2.6m)など大型4面と、平山氏による三号壁の観音菩薩像(縦約3.1m、横約1.5m)など小型8面で、6、7月に奈良国立博物館で開かれる「国宝 法隆寺金堂展」で展示される。


● 熊本・青蓮寺の阿弥陀三尊像修理へ(2008年1月27日)

 熊本県球磨郡多良木町黒肥地の青蓮寺で、阿弥陀三尊像(重文)が九州国立博物館で修理、調査するため搬出された。
 青蓮寺は人吉球磨地方を統治した相良家の菩提寺で、三体はいずれもヒノキの寄木造で、本尊の阿弥陀如来立像は像高約1m、脇侍の観音・勢至菩薩は約0.6m。鎌倉時代の永仁3年(1295)、京都の仏師法印院玄の作とされる。
 三尊は一部の金箔がはがれたり、指先が損傷したりしており、勢至菩薩は1975年に盗難に遭った際、光背の支柱が折れたままだった。
 仏像は補修のほか、CTを使った内部調査などを行い、2月26日から4月13日まで同館で特別展示する。

● キトラ古墳で太陽表す「日像」をはぎ取り(2008年1月25日)

 奈良県明日香村の特別史跡「キトラ古墳で、天井に描かれた天文図のうち太陽を表す「日像」などをはぎ取った。
 日像は天井東にあり、直径4.5cmの金箔を張り付けて太陽を表している。金箔の中には鳥の足と尾羽とみられる墨の線があり、太陽を象徴する3本足のカラスが中に描かれているという。
 この他、日像の西側の心宿(しんしゅく)、尾宿(びしゅく)、天江(てんこう)など3つの星座もはぎ取られ、今後、2月中旬には天井西に銀箔で月を表した月像(げつぞう)をはぎ取るという。


● 尾道市の浄土寺で遷座法要(2008年1月25日)

 広島県尾道市東久保町の浄土寺で、解体修理をする国の重要文化財「方丈」に安置された仏像を移す遷座法要が営まれた。
 法要の後、方丈の本尊である釈迦如来坐像(像高約1.2m 鎌倉末期)など3体は国重文の阿弥陀堂へ、如意輪観音菩薩坐像(約2m 江戸後期)は国宝の本堂へ仮安置した。
 方丈の修理は2009年度中の完成を目指す。


● 京丹後・俵野廃寺蓮華文軒丸瓦が出土(2008年1月24日)

 京都府京丹後市網野町俵野の俵野廃寺で、飛鳥時代後期(7世紀後半)の文様の異なる2種類の蓮華文(れんげもん)軒丸瓦が見つかった。
 調査したのは大正時代に塔の心礎が出土した地点の東側で、出土した瓦は収納箱で80箱を超える量に上り、蓮華文軒丸瓦(直径16.2cm)は、上方部分が少し欠けたほぼ完形で計8点を確認した。
 軒丸瓦の文様は以前に見つかっていた、ハスの花弁が二重の複弁蓮華文と花弁が一重の単弁蓮華文で、2種類とも丹後独自の文様という。
 朝鮮半島から伝わった瓦製造の技術と比べると左右対称の精巧さなどが劣り、現地で製造された可能性が高いという。


● バーミヤンは世界最古の油絵(2008年1月23日)

 アフガニスタンの世界遺産バーミヤン遺跡の壁画が7世紀後半の世界最古の油絵であることが、東京文化財研究所の調査で分かった。
 2001年にタリバンによって爆破された二つの大仏のある多数の石窟の天井や壁には極彩色の仏教絵画が描かれていたことが知られているが、50か所の石窟の破片を分析したところ、そのうち12の壁画が7世紀後半から10世紀にかけて描かれた油絵であることが判明した。
 奈良時代に「密陀僧(みつだそう)」(一酸化鉛)を使った一種の油絵があったことや、古代のエジプトやローマにも工芸品の塗料として油が使われたことは文献にあるが、科学分析で油絵と確定したものとしてはバーミヤンの壁画が世界最古となる。
 シルクロードの拠点での油絵技法の存在が確実になったことで、油絵の可能性が指摘されている法隆寺の玉虫厨子(ずし)や正倉院宝物との関係についても注目される。

爆破以前に前田耕作氏によって撮影された写真

● 銀閣寺の境内で創建時の石垣遺構発見(2008年1月18日)

 京都市左京区の慈照寺(通称・銀閣寺)の境内で、室町時代後期に足利義政が創建した当時の石垣や、石組みの溝、盛り土した堤の遺構が見つかった。
 石垣は観音殿(銀閣)北60mの山すそで出土し、花こう岩を積んだ東西5m、南北6mのL字形で、上部が崩れ、最下部の1列だけが残っていた。外側には排水用の石組みの溝(幅0.8m、深さ1m)も見つかった。
 同寺は1482年、将軍職を辞した足利義政が隠居所として造営したもので、石垣で築かれた北側の高台には、義政が持仏堂として建立し、暮らしていた「西指庵(さいしあん)」があったとみられ建物の美観を保つための石垣の可能性があるという。
 さらに、南側には東西方向に高さ0.8〜1mに土を盛った3か所の堤状遺構が発見され、山から流入する土砂や水をせき止め、建物を守る役割を果たしたらしい。


● 辰野町十一面観音像を一般公開(2008年1月15日)

 長野県辰野町上島の観音堂で、厄除け祈願祭が行われ、十一面観音像(重文)が公開された。
 十一面観音像は、像高89.4cmのカヤの一木造りで、鎌倉末期の元亨3年(1323)善光寺住僧の妙海の作とされる。かつては秘仏としてご開帳は60年に一度だったが、現在は、毎年1月14日と5月3日の例祭に開扉される。

● 山形県で文化財防災ネットワーク発足(2008年1月15日)

 東北芸術工科大文化財保存修復研究センターと大学や行政の関係者が協力して、「山形文化遺産防災ネットワーク」が発足する。
  同センターは、文化財保護に取り組む人材の育成や地域貢献を目的に2001年に開設され、2007年の新潟県中越沖地震の際、被災地に出向いて文化財の保 全活動に協力したほか、有識者を招いた学習会を企画したり、朝日町や遊佐町で文化財に関する防災マップを作製したりするなどの活動を展開してきた。
  しかし、被災地では人命救助やライフライン復旧が優先され、文化財の保全や復旧は遅くなり、放置されてしまうケースもある。センターでは人間の精神を支え る文化財を地域全体で守り、伝承する責任があるとして、県内の地域別に文化財の位置や状態を調査してデータベース化を進めるほか、消防車の経路や臨時に移 設することが可能な場所を確保するなどの活動を行っていくという。

● 文化財防災ネットを整備(2008年1月13日)

 大地震などの災害発生時に仏像や古文書などを守る「文化財防災ネットワーク」の全国組織を整備する構想が京都造形芸術大学を中心に計画されている。
 災害時は被災者の救援やライフラインの復旧が最優先にされるため、文化財保護は後回しされ、阪神大震災などでは多くの文化財が失われたと見られるが、いまだに把握できない被害もある。
 この教訓から災害時に専門知識を持つボランティアを被災地に急行させ、文化財を安全な場所に搬出する「文化財レスキュー」組織を構築するのが目的で、美術工芸を専門とする大学研究者や自治体職員、文化財保護に関心を寄せる一般人らがメンバーになる予定。
 また、個人が所有する未指定の文化財を含めて所在地を事前に把握する調査を実施して被害を未然に防ぐ対策にも取り組み、最終的にはNPO法人の認証を受けるという。
 文化財ボランティアを養成するために、京都造形芸術大学では来年度から通信教育の講座をスタートさせ、仏像の搬出方法や掛け軸の扱い方、襖絵を切って取り出す作業など実践的な技術指導を行う。


● 九州の遺跡の装身具は7割が雲母(2008年1月12日)

 九州の遺跡で出土した、縄文時代後期から晩期の緑色の勾玉や管玉などの石製装身具のうち約7割は、クロムを含んで緑色に見える白雲母岩で作られていたことが分かった。
  鹿児島県・上加世田遺跡など九州7県の約160の遺跡から出土した装身具約670点について、蛍光エックス線分析装置で成分を調査した結果、過去の発掘調 査報告で緑色片岩とされていた約270点と、蛇紋岩とされていた約90点は、ほぼすべて白雲母岩だった。また、ヒスイとされていた約140点も、約8割が 白雲母岩と判明し、全体では白雲母岩が約7割に上り、残りは滑石などだった。


● 京都・平等寺の薬師如来像、千年ぶりに鳥取へ里帰り(2008年01月11日)

 京都市下京区の平等寺の薬師如来像(重文)が、今年10月に鳥取県立博物館で開かれる企画展に出展されるため、約千年ぶりに鳥取へ里帰りすることになった。
 薬師如来像は像高約162cmの一木造で、10世紀後半の制作。
  平等寺縁起などによると、村上天皇の名代で因幡国にある宇倍神社へ参拝するため現地へ赴いた橘行平が、夢に現れた僧侶の言葉に従って海中から如来像を引き 揚げてお堂に安置したが、行平が帰京した後この如来像が屋敷へ雲に乗って来たため、お堂を建ててまつったのが平等寺の始まりという。
 一方、如来像が去った後のお堂は後光と台座だけが残ったことから座光寺(鳥取市菖蒲)と名付けられたという。
 企画展では鳥取とゆかりのある寺社などの歴史をテーマに、数十カ所の絵巻や仏像などを展示する。

● 法隆寺金堂修理で釈迦三尊像など上御堂で公開(2008年1月5日)

 奈良市の法隆寺で金堂修理に伴う仏像の移動スケジュールが決まった。
 金堂の基壇と壁のしっくいの修復工事は3〜12月に行われるが、これに先立ち、現在12体ある仏像のうち、本尊の釈迦三尊像と薬師如来坐像は、2月18日から金堂の約100m北の上御堂(かみのみどう)に移され、作業終了次第公開される。
 また、阿弥陀如来坐像や四天王立像、毘沙門天像、吉祥天像などその他の仏像と、焼損前の状態を模写した壁画12面は、奈良国立博物館で6月14日〜7月21日に開催される「国宝 法隆寺金堂展」で公開される。(広目天、多聞天は全期間、持国天、増長天は7月1日から)。
 四天王立像が4体そろって寺外で公開されるのは初めてという。
 金堂は、2月18日から工事終了まで内部の拝観はできない。

● 大阪・百済寺跡で奈良時代の大型仏像破片出土(2007年12月22日)

 大阪府枚方市中宮西之町の百済寺跡で、大型多尊仏(せんぶつ)の破片9点が出土した。
  破片は講堂跡の西側から出土。印を結んだ阿弥陀如来坐像の胸と腕の一部(縦10cm、横6cm、厚さ2cm)、神将の足の部分(縦7cm、横9.5cm、 厚さ2cm)のほか、如来像の両脇に立つ脇侍の菩薩像の一部とみられる破片もあった。蓮華座の一部には漆を塗った上に金箔を張った痕跡が残っており、全体 が金色に輝いていたとみられる。
 仏像の顔の部分などは見つかっていないが、復元すると約50cmとみられる。
 大型多尊仏は7世紀後半の飛鳥時代に塔や金堂内の壁の装飾や、厨子に納めて礼拝に使われたとされ、これまで、奈良県御所市の二光寺廃寺や三重県名張市の夏見廃寺など4カ所で見つかっているが、奈良時代の寺院からの出土は初めてという。
 百済寺跡とその周辺では、これまでに小型仏などの破片68点が出土しており、大型仏を中心に小型仏をちりばめた「仏壁」が、金堂などの堂内にあった可能性がある。
 百済寺は749年、東大寺の大仏造営のために金を献上し、聖武天皇の厚遇を受けた百済王族の末裔、百済王敬福の創建とされ、11世紀〜12世紀に焼失したとされるみられているが、奈良時代以降、天皇家と深く結びついた百済王氏の勢力をうかがわせるという。


● 高松塚古墳「17枚目の石」を公開(2007年12月21日)

 奈良県明日香村の高松塚古墳で、1972年に壁画が発見されるきっかけになった切り石が31年ぶりに公開された。
 切り石は59cm四方、厚さ36cmのほぼ方形で、1960年代に石室から約5m離れた場所で発見され、発掘調査が始まった。1976年、古墳の保存施設が完成後は、発見場所とほぼ同じ位置で、長年非公開になっていた。
 墓誌石や礼拝石だった可能性があるが用途は今も謎のままとなっている。
 文化庁は来春にも村内の修理施設へ移し、赤外線などで詳しく調査する。


● 大分県立歴史博物館で真木大堂の仏像6体展示(2007年12月18日)

 大分県宇佐市の大分県立歴史博物館で、真木大堂(豊後高田市)から移された木像6体の公開が始まった。
 阿弥陀如来坐像 重文 像高2.2m 平安時代
 大威徳明王像 重文 像高約2.5m 平安時代
 四天王立像 重文 像高1.6m 平安時代

 同時に、太平洋戦争後に連合国軍総司令部(GHQ)に没収され、その後県に返還された刀剣類110本のうち豊後刀41本を集めた企画展「よみがえった大分の刀 赤羽刀(あかばねとう)」が始まった。
 2007年12月18日から2008年3月23日まで。


● 石川・金沢市天徳院山門、白山比盗_社本殿、県指定文化財に(2007年12月18日)

 金沢市の天徳院山門と、白山市の白山比盗_社本殿の二件の建造物が、県指定文化財に指定された。
 天徳院は元和九年(1623)に加賀藩三代藩主前田利常が正室珠姫菩提のため建立したもので、山門は建立当初の唯一の遺構となっている。「元禄六(1693)年十月十日」と記された棟札が残っており 、棟札も県文化財に含まれる。
 白山比盗_社は奈良時代以前の創建といわれ、天長九年(832)に白山の三馬場(加 賀、越前、美濃)が開かれた後は加賀馬場の拠点となった。本殿は明和五年(1768) から70年の間の建築と推定され、江戸中期の地方大社の貴重な遺構として価値が高いと判断された。
 その他の指定品
 熊野類懐紙(くまのるいかいし) 平家重筆
 熊野類懐紙(くまのるいかいし) 藤原重輔筆
 上時国家(かみときくにけ)文書 時国健太郎氏所有

● 京都府井手寺跡寺域の北端を確定(2007年12月15日)

 京都府井手町井手の井手寺跡で、同寺の北端の溝状の遺構が発掘され寺域の北が確認された。
 同寺の北端と考えられる場所に調査溝を2カ所掘り、断面から東西に伸びる約3メートルの溝状の遺構を確認した。この溝の遺構が築地塀などに関連のある遺構とみられることから、同場所が寺の北端で、寺域が約240m四方と推定される。
 調査溝からは、井手寺特有の軒丸瓦片1点やその他の瓦片など数100点の遺物が出土しているが、新たに平安時代の羽釜(はがま)や井手寺創建ごろの土師器の高坏、香炉の破片とみられる緑釉の須恵器1点も発見された。
 井手寺は、奈良時代の左大臣、橘諸兄が創建した寺とされており、橘諸兄の氏寺にふさわしい出土品という。


● 福島県借宿廃寺跡で講堂の遺構発掘(2007年12月14日)

 福島県白河市借宿の借宿廃寺跡で講堂の基礎とみられる遺構が見つかった。
  借宿廃寺は古墳時代終末期(白鳳時代)の7世紀終わりごろ、白河地方の行政・文化の中心施設として建設され、10世紀まで存続したとされている。これま で、金堂跡と塔跡が発掘されており、今回新たに、北側から講堂跡とみられる遺構が見つかったことで、中門から見て右手に金堂、左手に塔、その奥に講堂を備 える、東北地方ではほかに例のない法隆寺式伽藍配置の本格的寺院だった可能性が高まった。
 また、遺構の南西角の土中から粘土板に仏像を浮き彫りにし堂塔の壁面に飾った「仏(せんぶつ)」も完全な形で出土した。
 仏は縦5cm、横3.1cm、厚さ1.7cm。同遺跡から完全な形で見つかった仏は、大正末に採集され東京国立博物館に所蔵されているものに次いで2例目。東北で白鳳時代の仏は同遺跡以外では見つかっていない。
 市歴史民俗資料館で開催中の「白河の遺跡展」の目玉として、18日から公開される。


● 京都市清凉寺山門が破壊(2007年12月14日)

 京都市右京区の五台山清凉寺で、京都府の指定文化財山門の扉が壊れているが見つかった。
 扉は高さ約3.5m、幅約1.9m、厚さ約10cm観音開きで、片方は完全に外れ、もう1枚も壊されて外れかかっていた。左右にある仁王像は無事だった。
 同寺は源氏物語の光源氏のモデルとされる嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の別荘の跡地に建てられ、「嵯峨釈迦堂」の名で親しまれている。山門は江戸後期の1783年の建立で、2階建て二重門。
  現場から約1キロ南の渡月橋付近で、酒酔い運転で別の車と衝突事故を起こした男が現行犯逮捕されていて、乗っていた乗用車に多数の傷があり、この車と同じ 車種の部品が門の近くに落ちていたことや、山門北側の境内の砂利に、車が走り回ったような跡も残っていたことから、男が仁王門に車を衝突させた後、逃げた ものと思われるという。
 本堂には国宝の釈迦如来像が安置されているが被害はなかった。


● 奈良・法隆寺金堂修理で釈迦三尊など全仏像引越し(2007年12月11日)

 奈良県斑鳩町の法隆寺で金堂の須弥壇修理に伴い、国宝・重文などの全仏像12体が、来年2月から12月の予定で、約100m北の上御堂(かみのみどう)などに移されることになった。
 金堂のすべての像が堂外に出るのは、火災で焼損した金堂の解体修理落慶(1954年)以来53年ぶりという。
  法隆寺の金堂(国宝)の須弥壇(東西8.7m、南北5.4m、高さ約1.57m)は最近、表面の漆喰にひび割れが生じ始めており、ひび割れが進んでいた北 東隅部に立っていた多聞天像(国宝、7世紀)は、すでに安全のため堂外へ避難させ、現在奈良国立博物館に寄託している。
 寺では、修理は3月に漆喰をすべてはずし、本体にひび割れが及んでいるかどうかを確認し必要な部分を修復したうえ、再び漆喰を塗って乾燥させる。
  金堂には、聖徳太子夫妻のために止利仏師が造った銅造釈迦三尊像(国宝、623年)や、太子と推古天皇が完成させた銅造薬師如来坐像(同、607年)な ど、国内最古級の名作がある。昭和24年(1949)1月の火災で金堂が焼けて一時外へ運び出されたが、金堂落慶後は元の須弥壇の上に安置されてきた。
 期間中は上御堂で一般公開される予定だという。

● 鎌倉市東慶寺の観音菩薩坐像など7件市指定文化財に(2007年12月8日)

鎌倉市は市指定文化財に東慶寺の観音菩薩坐像、建長寺の達磨図など七件を新たに指定した。
観音菩薩坐像は像高約50cmで、左足を下ろしてくつろいだ姿勢が特徴的である。
 
市指定文化財は下記の通り。
観音菩薩坐像 東慶寺蔵
達磨図 建長寺蔵
若宮八幡神図 鎌倉市蔵
薬師如来立像 円覚寺蔵
灌仏盤 円覚寺蔵
鏧子 円覚寺蔵
永福寺跡出土荘厳具 鎌倉市蔵

● 藤原宮で最古地鎮具出土(2007年11月29日)

 奈良県橿原市の藤原宮跡で、宮の中枢だった大極殿近くの穴から日本最古の鋳造貨幣の富本銭と水晶が入ったつぼが出土した。
  大極殿院の南門から西に続く回廊の下に、注ぎ口が付いた須恵器の平瓶(ひらか)(高さ13.8cm、最大径20.2cm)が埋められていた。つぼの口が狭 く、富本銭が9枚詰まっていた。CTスキャナーで調べたところ、中には水がたまり、六角柱状の水晶9個(長さ2.1〜3.8cm、太さ1cm前後)底に水 晶も9本入っていた。
 埋められた場所の四隅に1辺約60cm、深さ約45cm穴があり、底に灰色の土を敷いてつぼを安置。同じ土で丁寧に埋めてあった。
 日本書紀は、持統天皇が持統6年(692)に「藤原の宮地を鎮め祭らしむ」と記述があり、日本最初の本格的な都とされる藤原宮造営の地鎮祭が行われた跡とみられる。


● 兵庫・丹波市の再興寺の仏像が平安後期の作と判明(2007年11月29日)

 兵庫県丹波市青垣町大稗の再興寺の釈迦、薬師、阿弥陀如来坐像三体が平安後期(十二世紀)ごろの作であることが判明した。
 いずれも像高約140cmで寄木造。中央の釈迦像は、腕やひざなど多くの部分が後世の後補に変わっているが、頭部や胸は当初のもので、像の様式や柔らかな表現や部材などから、いずれも平安後期に作られたことが分かった。
 三体は、近くの西光寺が焼けた際に再興寺へもたらされたと伝えられているが、三体の作風が異なることも確認され、別々に造られた像が集められた可能性もあるという。


● 高松塚壁画に赤い線や溝 (2007年11月28日)

 奈良県明日香村平田の高松塚古墳の石室に描かれた国宝壁画に下絵を転写した際に付いたとみられる赤い線や溝があることが分かった。
 下絵の痕跡は、「飛鳥美人」と称される西壁の女子群像の左端の黄色い衣を着た女性のスカートのような裳の部分と、東壁の男子群像の左から2人目の男性がかぶった冠で確認された。輪郭の一部に赤い顔料や、先のとがった細い棒などで下絵をなぞってできたような溝があった。
 明日香村阿部山のキトラ古墳の極彩色壁画には、四神図や十二支神図などに下書きで付いたへらの溝の跡が残されており、溝の中に赤い顔料が付いた部分があったことから、赤い顔料を塗った和紙を石室の壁にあて、その上に下絵を重ねてなぞったとみられていた。
 今回高松塚古墳からも同様の痕が見つかったことから、二つの古墳壁画が共通の手法で描かれた可能性が出てきたという。

● 清浄華院の文化財、33点公開20071122日)

 京都市右京区の佛教大アジア宗教文化情報研究所で、浄土宗七大本山の一つ清浄華院(京都市上京区)の貴重な文化財33点が公開されている。
  清浄華院は清和天皇の勅願で9世紀に創建されたと伝わる古刹で、南北朝から室町時代にかけて皇室や公家と密接な関係にあり、後水尾天皇の依頼により狩野永 納が模写した「泣不動縁起絵巻」(室町時代、重要文化財)など、戦火や大火を逃れた文書や絵画などが伝えられており、佛教大が一昨年から初めての本格的な 調査を行っている。
 その他、天皇の書などを入れた蒔絵の箱など優れた品質の工芸品や、江戸時代の庶民信仰を伝える秋葉権現立像なども並ぶ。

● 恭仁宮回廊の北西角跡を発見(20071122日)

 京都府木津川市加茂町の国史跡・恭仁宮跡で、政務の中心となる大極殿を囲んでいた回廊の北西角が見つかった。
 今回、礎石を据えた痕跡とみられる直径1.21.5mの穴が南北に6個見つかった。間隔は4.6mで、北端の3個は3.5mと短くなっていた。
 東の調査区でも、東西方向の4.6m間隔の穴を確認。穴は北西端から7m内側からも見つかり、回廊が7m幅であることが分かった。
 奈良時代の歴史を記した続日本紀に、平城京の大極殿と回廊を恭仁宮に移したとの記述があり、今回見つかった柱間が平城京のものと完全に一致したことから、移築が裏付けられ、構造も同じであることが証明された。

 

● 仏像内部から「目」の紙片(20071122)

 横浜市金沢区の太寧寺にある鎌倉時代の薬師如来立像の内部から「目」と書かれた紙片が見つかった。
 神奈川県立金沢文庫でこの薬師如来像を解体修理した際、目の部分を裏から彫り込み、奈良時代の写経から切り取ったと見られる「目」という文字が納められていた。
 仏像の中からお経の巻物や水晶が見つかることはあるが、写経の1文字だけを切り取った紙片が見つかるのは珍しく、薬師如来立像は病気治癒を願う信仰の対象で、目の病気に対する御利益を高めるために、写経から「目」という文字を切り取って中に入れたとみられるという。
 金沢文庫は1123日から、薬師如来立像や「目」と書かれた紙片の写真と関連資料を展示する。

 

● 一紙一字で書写 法華経八巻(20071122)

 京都府南丹市美山町の妙見堂から法華経の一字一字を小さな紙片に書いた珍しい経文が見つかった。
36cm、縦17cm、深さ20cmの木箱の中に納められた「妙法蓮華經巻第一」から「同巻第八」までの八つの紙包みの中に、1cm四方ほどの紙片が多量に入っており、それぞれにお経の一文字が書かれていた。
 この箱のふたや一緒に置かれていた別の木札の文字から、天明元(1781)年に文字権左衛門と名乗る人物が全巻を写経して奉納したと見られる。
小石に一字ずつ書いて経塚に埋める例は各地で見られる、紙片に記す例は知られていない。

● パソコン木簡解読システムを開発(20071122)

 奈良文化財研究所(奈良市)は、遺跡から出土した木簡に記された文字をパソコンで解読する初の支援システムを開発した。

システムは「Mokkan ShoP」と名付けられ、木簡の画像をパソコンに取り込み、解読したい範囲を指定すると、類似文字を示す複数の候補が表示され、選択できる。欠けている字についても候補が示されるという。また、それぞれの字が示す地名や人名、品目の候補も表示され、辞典などで調べる手間も省ける。

木簡の解読はこれまで、研究員らの知識や経験をもとに長期間かけて行われてきたが、新システムを使えば、解読困難な文字を読み取るだけでなく、文字が示す意味を探ることが容易になり、木簡解読の正確性と効率が高まりそうだ。

現在、約500種類の字が登録されているが、(今後は文字数をさらに増やす予定という。年度内にも研究所のホームページで公開する予定で、他地域の研究者たちが利用することも可能となる。 

 

● 京都・高麗寺跡から国内最古の築地塀出土(2007年11月21日)

 京都府木津川市山城町の高麗(こま)寺跡で、飛鳥時代後期の築地塀が倒壊した状態のまま見つかった。
 築地塀跡は、南門跡の東側で14m分、西側で17m分を確認。塀の高さは2.7〜3m、幅1.5mと推定され、東側では、塀の屋根瓦が密集して、大量に出土した。
 寺院を囲む築地塀が造られるのは奈良時代以降とされており、国内最古の築地塀考えられるという。
  また、高麗寺の伽藍配置は、これまで西に金堂、東に塔が並び、北に講堂を配する「法起寺式」とされてきたが、今回の調査で南門から参道とみられる石敷きが 確認できたことから、中門は、西側にずれた金堂の正面の場所にあることが判明し、信仰の対象が仏舎利を祀る塔から仏像を安置する金堂へ移ったことを示して いると考えられるという。

 

● 長浜城歴博で湖北町・十一面観音坐像を特別公開(2007年11月20日)

 滋賀県湖北町丁野(ようの)の観音堂の十一面観音坐像(町指定文化財−平安時代後期)が、長浜城歴史博物館(長浜市)で、11月日から29日まで特別公開されている。
 本像は像高86cmの坐像、十一面観音像は二臂像が通例だが、本像は六臂像である。
 本像は博物館で薫蒸作業をした後、一般公開された。

● 京都・知恩寺で快慶作の阿弥陀像発見(2007年11月17日) 

 京都市左京区の知恩寺が所蔵する木造の阿弥陀如来立像が、作風から鎌倉時代初期の仏師快慶の制作とみられることが分かった。
浄 土宗の委託で鑑定した岡山・就実大学の土井通弘教授が調査した所、胴体の厚みや、けさの腹部のたるみ具合、左ひじ部分にあるササの葉状の文様などの特徴 が、快慶作として知られる京都・遣迎院の阿弥陀如来立像と酷似しており、制作時期も遣迎院と同じ1190年代ごろと推定されるという。
 本像は像高さ98.9cmのヒノキの一木割矧造りで、江戸時代に表面の金泥が塗り直されているという。これまで快慶作と認められた同様の高さ1m弱の「三尺阿弥陀如来像」は、遣迎院を初め計14体が見つかっている。
 快慶の像は足ほぞに墨書銘があることが多いが、本像の場合足には小さい墨跡があり、またエックス線撮影で、内部に紙か薄木の納入品があることも確認されており、いずれも作者名が記された可能性がある。
 本像は12月1〜7日に、衆会(しゅえい)堂で無料公開される。

● イラク文化財の密輸で現役米軍大佐を告発(2007年11月17日)

 米司法省はわいろと引き換えに駐イラク米軍施設の建設工事を業者に受注させた上、イラク国内の遺跡から古代の陶器を密輸した疑いで現役の米軍大佐を告発した。
 密輸入されたと見られる遺品は、旧約聖書に登場するアブラハムの出身地とされる都市、ウルの遺跡発掘現場から持ち出されたものとみられる古代イラクの工芸品1点という。

● 新潟の寛益寺で仏像修復現場を公開(2007年11月16日)

 新潟県長岡市逆谷の寛益(かんにゃく)寺で17日、3年前の中越地震で被災した仁王門の金剛像と力士像(共に県文)の修復作業現場が公開される。
 金剛像と力士像は南北朝時代の作と伝えられるケヤキの一木造で、像高は3mを超え、地震の激しい揺れで部材をつなぐ鉄製部材表面や接着剤代わりの漆が浮き上がるなどの被害があり、7月から修復作業が続けられてきた。

● 宇治・広野廃寺の規模確認(2007年11月15日)

 京都府宇治市広野町の広野廃寺で、発掘調査の結果寺の南端と考えられる溝と掘立柱塀の柱穴、瓦だまりなどが見つかった。
  広野廃寺は、飛鳥時代後半から奈良時代前半の寺院跡で、1990年には寺域の西端の溝などを発見している。今回見つかったのは、寺の南域と考えられる約 20m幅の溝と、掘立柱塀の柱穴3カ所で、蓮模様の軒丸瓦片3点と、1000点近い平瓦や丸瓦片、土師、須恵器、鉄釘も出土した。
 これまでの調査から、寺は当時の平均的な大きさである約一町(110m弱)四方と推測されていたが、予想の場所から南端が出土し、より規模が明確になったという。周辺には豪族の館跡も見つかっており、一帯が地域の中心地だったとみられるという。

● 琵琶湖文化まとめた冊子発刊 水信仰や仏像など紹介(2007年11月13日)

  琵琶湖の文化的価値を広く知ってもらおうと、滋賀県教育委員会と県文化財保護協会は、水への信仰や関連する文化財をまとめた「水の浄土琵琶湖」を発刊した。
文化財活用事業「近江湖(うみ)物語」の一環。琵琶湖周辺に点在する薬師如来像や、水にまつわる信仰や行事などについて解説する。滋賀県内には、重要文化財に指定されている像が全国最多の45体あり、延暦寺(大津市)や宝光寺(草津市)の像を写真と合わせ紹介している。
 冊子は5章で構成され、A4判で50ページ。1冊700円で県埋蔵文化財センターや県庁などで販売し希望者には郵送するという。
17日には、大津市瀬田南大萱町の県埋蔵文化財センターで執筆者が内容を解説する。12月2日には、琵琶湖汽船(大津市)との共催で湖上から文化財を巡る「巡礼クルーズ」も行われる。

● 宇治平等院内の浄土院羅漢堂を一般公開(2007年11月11日)

 京都府宇治市の平等院内にある浄土院羅漢堂(市指定文化財)が12月16日まで、寛永17(1640)年の建立以来367年ぶりに、初めて一般公開されている。
  羅漢堂は平等院鳳凰堂の西側の塔頭浄土院境内にある堂で、一重入り母屋造りの本瓦葺き、奥行き約3.0m、幅4.0m、高さ約5.5m。堂内には本尊の宝 冠釈迦三尊像や十六羅漢像など計21体の仏像が安置されており、。壁には花頭窓がつくられるなど、平等院が和様式で整備されているのに対し、羅漢堂は禅宗 様式を持つ、平等院の中でも珍しい建造物だ。

● 高松塚古墳の石室解体パンフに(2007年11月8日)
 奈良県明日香村高松塚古墳で今年行った石室の解体作業について、無料パンフレットが作成された。
 石室の解体は今年4月から始まり、8月末までに天井石や壁画が描かれた壁石など計16枚が取り外されたが、解体作業の開始から壁石のつり上げ、車両で移動される様子までを順を追って写真で紹介しており、いま進んでいる修復作業の様子もよくわかる。
 このほか、壁画が見つかった1972年から現在に至る年表や、古墳の周辺地図、石室解体に至った経緯なども盛り込んだ。
 明日香村内の文化庁関係施設や、国営飛鳥歴史公園など奈良県内で5千部を配布するという。

● キトラ古墳で「彦星」の取り外しに成功(2007年11月7日)
 奈良県明日香村の特別史跡キトラ古墳で、石室の天井に残る壁画の天文図から、牽牛(けんぎゅう)など金箔と朱線で描かれた星座二つをはぎ取った。
 はぎ取ったのは「牽牛(彦星)」と「天津(てんしん)」の2星座を含む計11カ所。いずれもしっくいがぼろぼろになっているためヘラを使った。天津(縦10cm、横5cm)は5分割したが、牽牛(5cm角)はほぼ完全な形で取れたという。
7月からのはぎ取り作業で、星座全体を丸ごと取り出したのは今回が初めて。

● 横浜市教委文化財調査で不適正支出(2007年11月7日)
 横浜市教委の文化財調査で多額の不適正支出が見つかった。
  文化財調査に関する印刷物計十三冊が未発行であるにもかかわらず、印刷業者に前払いされていたほか、予算執行されながら実施されていない可能性がある文化 財調査が計十件あり、「調査団長」と記録されている人物が、実際には団長に就任していないなど、不正に支払われたと見られる金額は数千万円単位に上るとい う。
 不正にかかわったと見られる担当の女性職員は労働組合の役員を務めていることを理由に、二十年間という異例の長さで文化財課に勤務しており、歴代の上司が、女性職員に任せきりで、不正をチェックできない体質が長年続いていた。

● 大分真木大堂不動明王像九州国立博物館で修復(2007年11月7日)
 大分県豊後高田市の真木大堂の不動明王三尊像(本尊像高約2.6m 脇侍1.3m 重文)が、福岡県太宰府市の九州国立博物館で修復されることになった。
 三尊像は平安時代後期の制作で、1929年に修復されているが、近年、塗料がはがれて一部は素地が見えるなど傷みが進んでいた。
 真木大堂収蔵庫も12月から来年10月末にかけて改修予定で、12月3日から約1年間休館する。このため所蔵されている阿弥陀如来坐像や大威徳明王像、四天王像はこの間、宇佐市の大分県立歴史博物館に移して展示する。

● 宇治・三室戸寺観音の足裏公開(2007年11月4日)
 京都府宇治市莵道、三室戸寺の特別拝観「観音様の足の裏を拝する会」が始まった。
 観世音菩薩は阿弥陀三尊の脇侍で、正座した足の裏が指の細かい部分まで丁寧に彫られている。普段は壁を背にしているため足の裏は見えない。しかし、足の裏を見せてほしいとの要望が相次ぐようになり、10年ほど前から秋に像を後ろ向きに安置して足の裏を公開している。
    公開は11月3日から12月9日までの土曜、日曜、祝日のみ。

● 奈良・大安寺出土の風鐸金の輝きよみがえる(2007年11月1日)
 奈良市大安寺の大安寺旧境内の西塔跡から出土した風鐸などの金銅製品の保存処理が終わり、大寺院の伽藍を彩った古代の金色の輝きがよみがえった。
 風鐸は寺院建築や宮殿などを装飾する大型の風鈴で、平安時代に焼失した西塔跡の焼土より下の層から、塔最上部の相輪にぶら下げた風鐸2個(高さ約30cm)や、軒先に付けた大型の風鐸の破片が出土。泥やさびを取り除き、劣化を防ぐ処理をしていた。
 同じ場所で見つかった水煙の破片なども含め成分調査の結果、日本で鋳造された銅製で表面には金メッキが施されていたことが判明した。
 西塔には、相輪だけで80個、軒先も含めると計108個の風鐸が付いていたと考えられるという。

● 福井長運寺の十一面観音菩薩立像平安中期の作と判明(2007年11月1日)
 福井市照手一丁目の長運寺本堂に安置されている十一面観音菩薩立像が、平安時代中期(十世紀後半ごろ)に作られたと思われる古像であることが分かった。
  本像は、像高102.7cmで、頭部の化仏を失っているが、頂上仏面から足の裏のほぞまで一木から彫出されている。衣文の表現や右足を軽く曲げ遊足とする 姿などに古様を示しており、県内の十一面観音菩薩像では、小浜市の羽賀寺の十一面観音立像(重文)などに次ぐ古さという。


 本像は越前市武生公会堂記念館で始まる11月6日から12月9日まで行われる特別展「乱世を生きる−真盛上展」で展示される。


 また、本展示会に合わせ、期間中の日曜日のみ、越前市京町の引接寺の秘仏十一面観音立像(市文)の特別拝観も行われる。


● 中央アジアで拝火教の象徴を示す仏像の粘土型発掘(2007年11月1日)
 中央アジア・タジキスタン西部の遺跡調査していた龍谷大調査団が、仏像にゾロアスター教(拝火教)の象徴「拝火壇」が描かれた像の粘土製の型を発掘した。
 型は首都ドゥシャンベの南西約70キロにあるペルシャ系「トカラ人」が築いた町の遺跡「カレ・コファルニホン」の7−8世紀ごろの素焼き工房の跡発見されたもので、縦約10cm、横約4cm。
仏陀とみられる人物が、ゾロアスター教で火の崇拝に使われる「拝火壇」に手を添えている形が描かれている。
 仏教とゾロアスター教の両方の特徴を備えた像は珍しいが、浄土信仰は、ゾロアスター教の終末思想に影響されたという説もあり、貴重な資料という。

● 周防国府跡出土の金銅仏は飛鳥時代の作(2007年10月31日)
 防府市国衙(こくが)の周防国府跡から発掘された金銅仏が、7世紀前半の飛鳥時代に作られた、県内最古の仏像である可能性が高いことが分かった。
 この像は、2005年に国府敷地内を流れていた河川跡から出土したもので、像高3.3cmの金銅仏。頭部が大きく、なで肩で下半身のすそが広がっている。
 7世紀の朝鮮半島(三国時代)の仏像様式に似ており、菩薩立像か供養者立像と見られるという。

● 高松塚の石室壁画を動画で体験(2007年10月30日)
 奈良県明日香村の特別史跡、高松塚古墳の解体前の石室内を再現したデジタル動画が完成した。
  動画はハイビジョン映像で約10分間。石室解体前に3900万画素のデジタルカメラで撮影した精密デジタル写真約1000枚を、石室内の3次元測量データ と組み合わせ動画化した。女子群像の髪の緻密な筆遣いや、男子群像が掲げる蓋の繊細な模様、玄武を彩る顔料の濃淡の表現などが再現されており、実際に石室 内へ入ったような気分に浸れるという。11月1日から12月27日まで、橿原市の同研究所藤原宮跡資料室で一般公開される。
 ほかに36分の完全版もあり、来年には全国の美術館や博物館などにも貸し出すという。 

● 横浜市清林寺の菩薩立像平安時代後期作が判明(2007年10月29日)
 神奈川県横浜市都筑区大棚町の清林寺の本尊菩薩立像が、平安時代後期の像であることが分かった。
  菩薩立像は、寄木造像高98cmの寄木造で、平明な表情や、ゆったりとした肉どり、落ち着いた立ち姿から平安時代後期12世紀の作とされた。また、如来坐 像の脇侍として作られた可能性が高く、900年以上前の同地域に、中尊が等身大規模である三尊像を安置する寺院があったことを推測させる貴重な遺品だとい う。


 昨年9月に行われた都筑区内の仏像など全てを対象とした調査で判明したもので、区内で15件目の横浜市指定文化財として認定された。


 本尊は秘仏で、開帳は12年に1度、午年の4月に、川崎や横浜北部の札所をまわる「准秩父三十四観音霊場」として公開されている。なお、12月8日から1月14日までセンター北の市歴史博物館で、この像のほか、今回の指定された文化財計5件を展示される。

● 香川県まんのう・中寺廃寺跡食堂跡出土(2007年10月26日)
 香川県仲多度郡まんのう町の中寺廃寺跡で新たに食堂跡とみられる遺構が出土し、同寺の伽藍配置の全容が明らかになった。
 中寺廃寺跡は平安時代十世紀前半の創建と見られる山岳寺院で、これまでの調査で塔や仏堂跡のほか、漆を使ったと思われる赤く彩色した祭事土器や四国で初めてとなる上薬を使った多口瓶(たこうへい)陶器なども出土している。
 食堂跡はこれまでの調査で明らかになっている仏堂や塔跡付近で確認され、かまど跡と見られる遺構のほか、近畿地方産も土器が出土していることから他地域との交流が盛んに行われていたことが推測されている。


 また、一辺が1メートルを超える石組みの遺構が16基確認されており、これらは平安時代の仏教行事史料「三宝絵詞」など記された、石を積んで石塔とする年中行事の遺構と見られており、山岳仏教草創期を知る貴重な史料として注目を集めそうだ。



● 三仏寺で三仏寺鏡公開(2007年10月26日)
 鳥取県三朝町三徳の三仏寺で鸚鵡文(おうむもん)銅鏡=三仏寺鏡が、「投入堂の美術−正倉院宝物と結ばれた鸚鵡文銅鏡」で11年ぶりに公開される。
 三仏寺鏡は、鏡面に胎蔵曼荼羅の中台八葉院の諸仏が線刻され、鏡背には花をくわえた二羽の鸚鵡文様があり、長徳三年(997)に同寺に奉納された。
 三仏寺鏡は、中国浙江省紹興出土の「双鸞長綬(そうらんちょうじゅ)鏡=紹興鏡)」と文様や鏡の大きさがほぼ一致し、素材や技法が同じ白銅鋳造鏡であることから、唐時代に紹興の同じ工房で制作された銅鏡であることが分かっている。
 また、現在奈良国立博物館の正倉院展に出品されている、花鳥背八角(かちょうはいはっかく)鏡」は、三仏寺鏡よりふた回り大きく鏡背文様も華やかだが、綬帯をくわえた鸚鵡図柄の構成が同じで、三つの鏡は756年ごろ、中国で制作された兄弟鏡関係とされる。
 公開に当たっては、紹興鏡と花鳥背八角鏡のパネル写真が三仏寺鏡とともに並べられ、三徳山と平城京、中国との歴史的なつながりを発信する展示となる。

● 銀閣寺27年ぶり屋根葺き替えへ(2007年10月26日)
 京都府教委は、国宝や重要文化財など国指定文化財の保存修理や防災対策に対する本年度国庫補助事業の第2次内定分として、京都市左京区の慈照寺銀閣(国宝)の屋根葺き替え・部分修理など新規事業9件を発表した。
  慈照寺銀閣は室町時代中期に足利義政が晩年の隠居所として設けた東山山荘を死後遺言により寺院にあらためた。銀閣は正式には「観音殿」で1489年に完成 した。前回の屋根の葺き替えから26年が経過し、こけら葺きの劣化が進んだため、3年間で全面的に葺き替える。軒などの木部や土間、屋根の上の鳳凰の補修 や構造補強、漆喰壁の塗り直しを行う。内外の漆塗装も劣化が著しく、塗り直しも含め対策を検討する。
新規の国庫補助事業は次の通り。
【建造物保存修理】
▽慈照寺銀閣(国宝)の屋根葺き替え・部分修理(左京区)
▽近鉄澱川橋梁(伏見区)の塗り替え工事に伴う設計監理
【建造物防災施設】
▽梅小路機関車庫(下京区)の自動火災報知設備の新設
▽浄土院養林庵書院(宇治市)の自動火災報知設備改修
【美術工芸品保存修理】
▽報恩寺(上京区)の木造諸尊仏龕(ぶつがん)
▽西本願寺(下京区)の紙本著色慕帰絵詞
▽清水寺(東山区)の板絵着色朝比奈草摺曳図(くさずりびきず)
【史跡等・登録記念物保存修理】
▽妙心寺(右京区)庫裏の土塀修理
【文化財保存技術事業(伝承)個人】
▽表具用古代裂(金襴等)製作の技術錬磨、伝承者養成

● 福岡県で善導大師像に人の歯(2007年10月25日)
 福岡市博多区中呉服町の善導寺に伝わる県指定文化財・善導大師像(像高31cm)の頭部に、人の歯2本が納められていることが、九州国立博物館の調査で分かった。
  この大師像は4〜6月に開かれた特別展「未来への贈りもの−中国泰山石経と浄土教美術−」に出品され、閉幕後、同館がエックス線によるCTスキャン検査を 行ったところ、頭の内部に掘られた長円形の空洞(最長径約3cm)に2本の歯が紙のようなものに包まれて入れられているのを確認した。2本は別人のもの で、それぞれ大人と子どもの歯とみられる。
 善導寺は13世紀前半、浄土宗の開祖、法然の弟子で九州で布教活動を行った辨長が建立したとされ、像の制作年代も同じころと推定される。像には一度も解体された痕跡がなく、歯は制作時に入れられたらしい。
 像を作る際に、モデルとなった高僧自身やゆかりの人の歯や骨を納める習慣は平安時代後期から行われており、暦仁元年(1238)に没した辨長の歯である可能性が高いという。

● キトラ古墳天文図朱線剥ぎ取り(2007年10月25日)
 明日香村阿部山のキトラ古墳で、天井に残る天文図のうち、漆喰が劣化して剥落の危険性が高い朱線などを剥ぎ取った。
 作業は先月27日に続き4回目で、天文図南側の星座「孤矢」付近と南東の星座「星宿」付近を通る「外軌」の朱線2カ所のほか南側の余白1カ所、最大で縦10cm、横5cmを剥ぎ取った。

● 高松塚古墳丘の埋め戻し作業が完了(2007年10月20日)
 奈良県明日香村高松塚古墳墳丘の埋め戻し作業が完了した。
 石室を取り出した墳丘に開いた穴は南北7.2m、東西6m、深さ約5mで、発掘した際に掘った土で埋め戻した。頂部は防カビ処理した土のう約900個で保護し、引き続き、墳丘を雨水よけの防水シートで覆うという。
 今後、古墳をすっぽりカバーしている大型の覆い屋根を撤去し、保存施設も取り壊す計画で、来年秋には築造当時の状況を復元した墳丘が姿を現す。


● 平等院鳳凰堂の彩色画模写、一般公開(2007年10月20日)
 京都府宇治市平等院鳳凰堂の柱などに描かれた彩色画が模写、復元され、境内のミュージアム鳳翔館で一般公開が始まった。
 退色が進む柱や天井板などを装飾した彩色画を、エックス線分析や電子顕微鏡などで顔料を調査し、緑色の顔料、岩緑青を基調に、菩薩や羽ばたく鳳凰、唐草文様などを和紙13枚に写し取り、縦2m、横4mに並べて展示する。
 2007年10月20日〜12月16日まで。


● 尾道・常称寺の本堂など重文に(2007年10月19日)
 文化審議会は、尾道市西久保町常称寺の本堂、観音堂、鐘撞堂、大門の四棟など十件を重要文化財に指定するように答申した。
 常称寺は鎌倉後期、時宗二代・真教によって創建されたと伝えられる。室町中期の建築の本堂は、外観を和様、内部構成を禅宗様とし、内陣、外陣、脇陣を一体的な空間とするなど、中世時宗本堂の特徴を表している。
 大門は室町前期、観音堂は室町後期、鐘撞堂は江戸前期の建築。
 他の答申は次の通り。
 【重要文化財】
▽大谷派本願寺函館別院(北海道函館市)
▽千葉家住宅(岩手県遠野市)
▽旧三河島汚水処分場喞筒(ポンプ)場施設(東京都荒川区)
▽手塚家住宅(長野県塩尻市)
▽常称寺(広島県尾道市)
▽三河家住宅(徳島市)
▽竹村家住宅(高知県佐川町)
▽鹿児島旧港施設(鹿児島市)
▽旧与那国家住宅(沖縄県竹富町)

● キトラ古墳天文図、また黒いカビ(2007年10月16日)
 奈良県明日香村キトラ古墳の壁画石室天井に描かれた天文図の赤道を表す朱線上1カ所で、黒い粉状のカビが見つかった。
  汚れが見つかったのは朱線(赤道)上で、星座「室宿(しつしゅく)」のすぐ北側。大きさは直径約0.5cmで、漆喰がもろくて殺菌などの処置ができず、は ぎ取りを含め対応策を検討する。 朱線上では、今年3月や7月、9月にもカビが見つかっているが、いずれもエタノールで除去した。

● 仲麻呂邸宅跡は東西九間(2007年10月13日)
 奈良市四条大路一丁目で見つかった藤原仲麻呂(恵美押勝)の邸宅跡とみられる大型建物跡が、東西九間とみられることが分かった。
 調査範囲を東側に拡張したところ、南北に並ぶ2棟の建物跡で七間目の柱穴が見つかった。中央の柱穴がなく、さらに東へ延びることを確認した。奈良時代の大型建物で柱間が偶数になる可能性は低いことから、九間、約27mの建物であったと見られる。

● 鳥取・梶山古墳の彩色壁画一般公開(2007年10月13日)
 鳥取市国府町岡益にある国指定史跡・梶山古墳の壁画が、10月12日〜14日まで一般公開された。
 梶山古墳は飛鳥時代の変形八角形墳。古墳の南側には石垣に囲まれた高さ2m、幅14mの大規模な方形壇がある。彩色壁画は1978年に中国地方で初めて発見され、長さ53cmの魚や三角文、曲線文、同心円文が描かれている。

● 談山神社で十三重塔修理完了(2007年10月11日)
 奈良県桜井市多武峰の談山神社で    木造十三重塔(重文)の修理が終わり、美しい桧皮葺(ひわだぶき)の姿がよみがえった。
 国内唯一の木造十三重塔で高さ約17m。大化改新(645年)で知られる藤原鎌足の長男・定慧が父の冥福を祈って建立したとされ、現在の塔は室町時代の再建。
 明治時代に解体修理が行われたが、最近は各層の桧皮が厚いこけに覆われてぼろぼろになり、銅版で補強している状態だった。来月17日に落慶大祭が営まれる。

● 藤原宮に新たな運河跡出土(2007年10月10日)
 奈良県橿原市高殿町の藤原宮跡で大極殿院南門付近から、運河とみられる大規模な溝跡が見つかった。
  大極殿院南門の基壇跡近くの南北2カ所で、基壇の整地面を掘り下げたところ、溝跡と見られる水の流れで運ばれた砂が堆積した層が見つかった。同様の溝跡は これまでの調査で大極殿北側でも確認されているが、官人の仕事場だった朝堂院まで南側に伸びていたことが分かり、宮の造営のために資材を運んだ運河跡と考 えられるという。

● 奈良市の藤原仲麻呂邸で新たに大規模建物跡発見(2007年10月5日)
 奈良市四条大路一丁目で8世紀中末ごろの大型建物跡が見つかった。
 大型建物跡は2棟あり、いずれも東西15m以上、南北約6mの大規模な建物で、柱筋をそろえて南北に並び、南側の建物には縁側とみられる柱穴もあった。
 この場所は奈良時代に専権を振るった藤原仲麻呂(=恵美押勝、706〜764)の邸宅「田村第(だい)」があったとされる。
 田村第は日本書紀にたびたび登場。三条大路から南に8坪分(南北約530m、東西約250m)が定説で、長屋王邸の2倍にあたる京内最大の邸宅だった。聖武天皇の跡を継いだ孝謙天皇が一時的な御座所としたほか、皇太子も滞在したとされる。

●    截金の人間国宝江里佐代子さん死去(2007年10月4日)
 京都の工芸家で截金(きりかね)の重要無形文化財保持者(人間国宝)の江里佐代子(えり・さよこ)さんが、仏像や截金調査に出かけていたフランス北部のアミアン市で脳出血のため死去した。
 江里さんは、昭和20(1945)年に京都市に生まれ、大学で日本画や染色などを学んだあと、仏師の江里康慧(こうけい)氏と結婚。截金師の北村起祥氏について仏像を荘厳する截金の伝統技術を学んだ。
  截金の精緻で優美な意匠を駆使した屏風(びょうぶ)、衝立(ついたて)、飾筥(かざりばこ)などの工芸作品のほか、壁面装飾などの新たな領域を開拓。仏教 美術を基本とした独自の作風が評価されて、2002年に全国最年少で人間国宝に認定された。大学での截金の指導のほか、正倉院宝物の模造制作や古代の截金 装飾の調査にもあたった。
   
● 佐賀市高城寺で圓鑑(えんかん)禅師像里帰り(2007年10月4日)
 佐賀市大和町の高城寺は、本堂復興を記念し、10月5日から13日まで、同寺の国指定重要文化財「木造圓鑑(えんかん)禅師坐像」を一般公開する。
 同寺は1270年、圓鑑禅師(1233〜1308)が開山し、僧侶を指導する師家(しけ)寺として発展した。
 「圓鑑像」はヒノキ材で鎌倉時代に作られ、像さは85.5cm。現在は県立博物館に寄託されており、里帰りは37年ぶり。

● 奈良・纒向遺跡で最古のベニバナ花粉大量出土(2007年10月3日)
 奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で溝跡の土から赤色の染料に使われた大量のベニバナ花粉が確認された。
 分析された土は、同遺跡の中心部にある3世紀前半の溝跡から1991年に採取したもの。土壌1立方cm当たり270〜560個のベニバナ花粉があった。
 遺跡の中央に近い場所で見つかったことから、周囲でベニバナが栽培されていたのではなく、近くに染織の工房があり、捨てられた染料の廃液の中に花粉が大量に含まれていたとみられる。
 ベニバナはエジプトや西アジアが原産で花の赤い色素が染料となり、シルクロードを通じて2世紀ごろに中国に伝来し、染織の最新技術の一環として日本に伝わったとみられる。
 これまで最古だった藤ノ木古墳(同県斑鳩町、6世紀後半)の例を300年以上さかのぼる発見。 中国の歴史書「魏志倭人伝」には、女王・卑弥呼が魏に赤と青の織物を献上したとの記述もあり、邪馬台国に直接つながる一級の資料になる。

● 高松塚古墳壁画公開の方針(2007年9月29日)
 明日香村平田の高松塚古墳修理施設で文化庁年2回程度、壁画を公開する方針を示した。

● 文化庁に古墳壁画室発足(2007年9月29日)
 奈良県明日香村高松塚、キトラの両古墳の管理に特化した文化庁の古墳壁画室が、10月1日に発足する。
 両古墳では今まで文化庁の美術学芸課が壁画、記念物課が墳丘をそれぞれ管理していたが、高松塚の損傷事故などで、縦割りとセクショナリズムといった庁内の問題が指摘されていた。
 このため昨年夏に美術学芸課と記念物課の専任担当者4人を中心に高松塚、キトラ両古墳に関する業務を担うプロジェクトチームが作られ、た。今回行われた高松塚の石室解体がうまく運んだことから、常設の古墳壁画室への昇格が決まったという。
 古墳壁画室は美術学芸課内に置く。室長、専門職のリーダー格である古墳壁画対策調査官、美術、考古、埋蔵文化財、墳丘整備が専門の調査官1人ずつなど計8人。壁画を保存・修復し、墳丘を再整備して、技術者も育てる。

● 比叡山・明王院で平安期部材を江戸期の再建で再利用か(2007年9月29日)
 滋賀県大津市の天台宗の荒行「千日回峰行」の修行場として知られる比叡山延暦寺の明王院で、1715年に建て替えられた本堂の屋根裏や床下に平安時代後期のスギやヒノキ材が再利用されていたことが分かった。
 本堂の解体修理に伴い、屋根を構成する部材65点のうち9点を年輪年代測定法で調べた結果、すべてが12世紀初めに伐採されたスギかヒノキだった。他の部材も同年代の木である可能性が高いという。
 延暦寺の建物は1571年、織田信長の焼き打ちに遭い多くを焼失。これまでは室町時代後期の瑠璃堂が現存する最古の建造物とされていたが、今回見つかった部材は約400年さかのぼるという。
 これらの部材は梁や床板を支える横木など外側から見えない部分に転用されていたが、部材を組み合わせると、南北朝時代の記録集「門葉記」にある本堂の間取りや、発掘で確認された基壇の大きさとほぼ一致したことから、建て替えられる前の本堂の部材とみられる。
 部材の大きさなどから、創建時の本堂の規模や形も解明できるといい、再利用材から創建時の姿が立体的に分かったのは日本の建築史上異例という。

● 高松塚古墳の壁画に亀裂(2007年9月29日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、石室解体後修理施設に運ばれた壁画の表面が、カビとバクテリアの分泌物が収縮したため、一部に数mm程度の亀裂ができた。
 亀裂は、西壁女子群像の右端の女性の袖に当たる部分になどで、見つかった。壁画を覆う分泌物の膜が乾燥して収縮し、絵の描かれた漆喰がめくれ上がったのが原因と見られ、水などでぬらすと亀裂はほぼ消滅した。
 施設内はカビを防ぐため、室温21度、湿度55%に調整しているが、石室内の湿度が90%以上だったことから、湿度の急激な低下によってバクテリアなどのゼリー状物質の乾燥が進行したためと見られる。
 分泌物を取り除くと、顔料が落ちる危険性があるため、水を含ませ、浮き上がった顔料を沈ませて目立たないようにする処置が続いている。施設内でも劣化が進む可能性が浮上する一方、他の壁画もゼリー状物質に覆われており、対策が急がれそうだ。

● 平等院で「平成大修理」終わる(2007年9月29日)
 京都府宇治市の平等院鳳凰堂で、50年ぶりに行われていた修復を終えた本尊阿弥陀如来坐像と100年ぶりに修復された頭上の装飾天蓋(てんがい)が安置された。
 阿弥陀如来坐像は金箔の剥落止めなどのため、2004年2月から2005年8月、坐像の頭上につるされている天蓋は2005年9月から2007年6月まで汚れ落としや金箔の保護を施していた。
 修理に伴い、今年6月から中止していた鳳凰堂内部の拝観は10月1日から再開される。

● 「国宝 薬師寺展」来春東京で開催(2007年9月28日)
 東京国立博物館で、平城京遷都1300年にあたる2010年に向けて同博物館が開催する記念特別展の第1弾として、2008年3月25日から6月8日まで「国宝 薬師寺展」が開催される。
 日本仏教彫刻史上、最高傑作の一つと称される薬師三尊像のうち、日光・月光両菩薩立像(ともに国宝)が初めてそろって寺外で公開されるほか、東院堂の聖観音菩薩立像や奈良時代の貴重な彩色画吉祥天(きちじょうてん)像など国宝9件を含む約50件が展示される。

● キトラ古墳天文図、年度内に4分の1剥ぎ取り(2007年9月27日)
  奈良県明日香村キトラ古墳で、石室天井部に残され、漆喰(しつくい)の変色やカビ被害が深刻化している天文図(直径65cm)について、今年度中に手作業 で全体の4分の1程度をはぎ取ることにし、まず朱線が書かれた北側や南側を含む3カ所について、手作業ではぎ取りを実施した。
 今回は、北側の太陽の通り道を示す「黄道」や「外規」などを含む長さ8cm、幅5cmの範囲で9片がはぎ取られた。
 また、残りの部分について、壁画のはぎ取りで使用した特殊機器「ダイヤモンドワイヤ・ソー」を改良し、来年度中にはすべてはぎ取ることになった。

● キトラ古墳の寅、丑、子壁画来年5月公開へ(2007年9月27日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳の石室からはぎ取った十二支像壁画のうち、子(ね)、丑(うし)、寅(とら)の3種類が来年5月9〜25日、同村の飛鳥資料館で一般公開される。
 キトラの壁画公開は西壁の白虎(昨年5月)、北壁の玄武(今年5月)に続き3度目。

● 桜井市纒向遺跡で国内最古の木製仮面出土(2007年9月27日)
 桜井市北部の纒向遺跡3世紀前半ごろの木製仮面が出土した。
  仮面は長さ26cm、幅21.5cm、厚さ0.6mm。アカガシ亜属の柾目材で作られた広鍬(くわ)の刃を転用し、両目の部分に穴を開けている。口は鍬の 柄を通す穴をそのまま使い、鼻の穴も造形されていて、眉の部分には赤い顔料が少し付着していた。鍬として使った痕跡はほとんどなく、何らかの農耕儀礼で用 いられたと見られる。
 古代の仮面としては、神戸市の宅原(えいばら)遺跡(7世紀初頭)で出土した木製仮面が最古だったが、これを約400年さかのぼり、国内最古。
 今回出土した仮面は10月3日から12月2日まで、桜井市芝の市立埋蔵文化財センターで開催される「ヤマト政権はいかにして始まったか―王権成立の地 纒向」で展示される。

● 鳥取三仏寺本堂解体修理(2007年9月14日)
 鳥取県三朝町三徳の三仏寺で、2003年度から進める三徳山開山千三百年に合わせた国宝投入堂をはじめとする「平成の大修理」の最後の事業として本堂の解体修理が行われる。
 本堂は天保10(1839)年に鳥取藩主池田斉訓が再建されているが、長年の風雪によって老朽化が進み、屋根の雨漏りや柱の傷みも激しい。応急処置で修理されたトタンぶきの屋根も再建当時の柿葺き(こけらぶき)にし、元の姿に修復する。

● 韓国・石窟庵60年代の復元工事に誤り(2007年9月23日)
 韓国慶州市の石窟庵で、1960年代に行われた復元工事に誤りがあったことがわかった。
 成均館大博物館が17日に公開した石窟庵補修工事直前に撮影された写真によれば、現在、石窟庵の前室左右に4体ずつ並んでいる八部神衆は、本来は入口直近の1体が90度曲がって安置されていたことが分かるという。
  石窟庵は、1909年に発見されたが、発見当時の石窟庵は荒れ果て原型を完全に失っており、彫刻像の間隔が開き、後ろに積み上がった石が見えるほどだっ た。日本統治下の1913年から1915年に本尊仏を除く全ての部材を解体し再建されたが、この際、左右の入口にある八部神衆像1対については、他の八部 神衆に対して90度角度を付けて配置した。しかし、韓国文化財管理局が1961年から64年にかけて石窟庵を再度復元した際には、この八部神衆を他の八部 神衆と同じく一列に並べたことから、前室の構造論争が始まっていた。
 この写真は、1910年代、慶州で東洋軒という写真館を運営していた日本人田中氏が撮影したものだと言われている。当時の朝鮮総督府博物館長・京城帝国大学教授だった藤田亮策氏が所蔵していたが、1953年に成均館大が購入し、所蔵してきた。

 

● 三十三間堂の門にペンキの落書き(2007年9月23日)
 京都市東山区の三十三間堂の北門と東大門に灰色のペンキが掛けられたような跡が数カ所で見つかった。
 被害に遭ったのは寺の東側にある北門と東大門。いずれも外側の高さ約1.5mのところに、灰色のペンキのようなものが波状に広がっていた。
 北門は江戸時代に造営されたものを別の寺院から1961年に移築、東大門は同年に建築されたもので、共に文化財指定は受けていない。
 国宝の本堂や重要文化財の南大門には被害はなかった。

● 登録有形文化財(建造物)166件答申(2007年9月22日)
 文化審議会は、和洋折衷の教会建築「スミス記念堂」(滋賀県彦根市)や、昭和初期の三連アーチ橋「若桜橋」(鳥取県若桜町)など166件を、登録有形文化財(建造物)とするよう文部科学相に答申した。
 スミス記念堂は米国人牧師のパーシー・アルメリン・スミス氏が1931年に建設。外観は瓦ぶきの寺社建築だが内部は教会で、扉にブドウや十字架が彫られるなど西洋の装飾が施されている。道路拡幅工事のため今年三月に移築が完了した。
 若桜橋は1934年に完成した長さ83mの鉄筋コンクリート造りの三連アーチ橋。昭和恐慌後の復興事業として建設された。
 このほか、答申に盛り込まれた前橋市中央児童遊園(前橋市)の「もくば館」は、五四年ごろ製造された現存する最古級の鉄製電動木馬五基を備えた施設で、現役遊具としては初の登録となる。

● 大阪・岸和田で行基が築いた堤・送水管が出土(2007年09月21日)
 大阪府岸和田市の農業用ため池・久米田池で、奈良時代の僧行基が築いた可能性の高い堤と送水管が見つかった。
 出土した堤は長さ8m、幅10m、高さ1.2m。池の水をせき止めていたらしい。植物の葉を敷き、粘り気のある土と小石で突き固めた層を幾重にも施して崩れにくくする「敷葉(しきは)工法」だった。
 池から田に水を引いたとみられる送水管は松の大木をくりぬいており、水が通る部分の幅は35cm(全幅55cm)、長さ3m。
 行基は現在の堺市で生まれ、民衆を率いて近畿各地にかんがい用ため池や橋を造っており、久米田池も行基が掘削を指導したと伝えられているが、実際の遺構が発掘されるのは珍しい。

● キトラ天文図にゼリー状のカビ(2007年9月21日)
 奈良県明日香村の石室に描かれた天文図に、黒いカビやバクテリアなどによるゼリー状物質が発生した
 カビは、天文図西寄りのオリオン座やおうし座近くの赤道で3カ所、太陽の通り道を表す黄道で2カ所確認された。いずれも黒い粉状で、1センチほどの大きさ。うち4カ所は、バクテリアとカビの混合物のゼリー状物質がカビの上を覆っているという。
  天文図については、今月に北斗七星付近など20カ所以上にわたって黒や青に変色しているのが確認され、劣化が深刻化している。一方で、天文図の漆喰は剥落 の危険性が高く、同庁で天文図を損傷させずにはぎ取る方法を検討しているが、有効な技術が見つからず、先送りされた状態となっている。

● 湖北の丁野観音堂十一面観音、虫退治で長浜城博物館(2007年9月19日)
 滋賀県湖北町の丁野観音堂の十一面観音坐像(町指定文化財)が、虫退治のため、長浜市大島町の長浜城歴史博物館に搬送された。
 十一面観音坐像は、像高約78cmの六臂の一木造りで平安時代後期の作という。
 キクイムシ系の虫が足部分に入っており、今月下旬に博物館で、薬剤を使って殺虫する燻蒸を行い、十二月初めに観音堂へ戻される。

● 佐賀県・彦嶋神社の神像は鎌倉時代の制作(2007年9月18日)
 佐賀県杵島郡白石町室島の彦嶋神社に祭られてきた神像が、鎌倉時代後期ごろに作られた木造彫刻であることが分かった。
 神像は、中国風の衣装を身に着けた「唐装」の男神像(高さ51cm)と女神像(約47cm)、僧服を着た僧形像(約41cm)、和装の女神像(約 30cm)の4体で、彦嶋神社境内にある石の祠(ほこら)内に祭られていた。いずれもヒノキとみられる一木造りで、和装の女神像は傷みが激しいものの、他の3体は手の部分が欠けた程度で、保存状態も良好。首などに彩色の痕跡もあり、当初は彩色されていたことが分かる。
 こめかみを絞った面長な顔立ちなどの特徴から、鎌倉時代後期から南北朝時代の制作と推定され、県内の中世美術、九州の神道美術を代表する木像として位置づけられるという。
 彦嶋神社では、他県で盗難被害が相次いだことから、盗難の恐れから文化財として県立博物館に寄託し、博物館では来年にも一般公開する。

● 東京国立博物館にバーチャルリアリティー劇場オープン(2007年09月15日)
 東京・上野の東京国立博物館内にバーチャルリアリティー(VR)技術を使って文化財に関する番組を上映する専用の劇場が、この秋オープンする。
 中国の故宮など、世界各地の文化財のVR化に取り組んでいる凸版印刷と、同博物館の共同事業で、館内に5m×3mのスクリーンを持つ約30人収容のVRシアターを建設し、週末を中心に、文化財に関する番組を見せる。
 一般公開は11月2日からで、シアターの設置期間は当面3年間。関西の古社寺をテーマにした番組を上映する予定で、今後、コンテンツを増やすとともに、同館が所蔵する文化遺産のデジタル保存なども模索していくという。

● 東京国立博物館が東隆寺本尊を無届けで展示(2007年9月13日)
 東京都台東区上野公園の東京国立博物館行われた、「京都五山 禅の文化」展で、山口県宇部市の東隆寺の本尊地蔵菩薩坐像が、山口県や宇部市への届け出がないまま出品されていたことが分かった。
施設的に問題はないものの、県が博物館側は県の要請を受けて届け出を行ったという。

● 韓国で1300年前の巨大仏像が出土(2007年09月11日)
 韓国の慶州市南山列岩谷で統一新羅時代(8〜9世紀)の大型磨崖仏像が出土した。
 仏像の像高は5.6mの如来像で、70トンに達する花崗岩に浮き彫りで施されている。
 地面に埋まっている状態で発見され、数か月にわたる発掘作業をへて、ようやく顔、胸、肩などの部分が姿を見せた。

完成直後に前面を下にして土に埋まったために風化を免れたと見られ、鼻が5cm程度欠けているほかは、ほぼ制作当初の姿をとどめている。
 楕円形の顔と高い鼻、伏目がちの鋭い目つきと柔らかく処理された厚目の唇や、肩に達するほど大きな耳が特徴的だという。

  

● 戦時下の文化財保護「ハーグ条約」批准へ(2007年9月8日)
 戦時下でも文化財を守ろうという意志を明文化した、国連教育科学文化機関の通称「ハーグ条約」に日本が近く批准する。
 締約国は117カ国。イラクは締結したが、米国やイギリス、北朝鮮などは加入していない。     条約では、文化財の集中地区などを特別に保護するには、放送局や幹線道路など、軍事目標となる施設との間に「十分な距離」を確保しなければならないことが条件になっており、京都や奈良が対象にならない可能性があり、日本は今まで批准を行っていなかった。
 しかし、1999年に、新たに採択された条約を補足する議定書によって、この「十分な距離」を確保する要件に縛られなくてもよくなり、批准への道が開けた。
 ハーグ条約で保護されている文化財は、目印として「ブルーシールド」と呼ぶ標識を掲げることになっている。

● 高松塚古墳石室跡埋め戻し開始(2007年9月7日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で、発掘調査が終わった石室跡の埋め戻しが始まった。
  石室跡は現在、南北5.2m、東西4m、深さ2.7mの穴になっており、壁画の修理が終われば石室を墳丘内に戻すことにしているため、再度掘り返した際に 遺構との区別がつきやすいよう、底部に川砂を20cmの厚さに敷き詰め、その上に、墳丘の茶色い土とは違う緑っぽい色をした砂を使う。
 今月中旬からは、発掘調査で掘り出した墳丘の土で全体を埋め戻し、年内にかけて元の姿にするという。

● 藤原京で、平城京しのぐ国内最大級の木造門跡出土(2007年9月6日)
 奈良県橿原市高殿町の藤原宮跡で、国内最大級の木造の門跡が見つかった。
 門跡は、大極殿院と役人が政務にあたる朝堂院の中間で見つかった。基壇部分は東西39.1m、南北16.4mで、南側と北側には、長さ24.7m、幅1.2mの大規模な石の階段があったことが判明した。
 正門の建物部分は残っていないが、基壇の規模から東西8本、南北3本の柱で東西約35m、南北約10mと想定され、平城京大極殿の正門(東西約24m、南北約12m)を上回る規模と見られる。

● キトラ古墳の天文図星の金箔や朱線はぎ取る(2007年9月6日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳で、石室天井に描かれた天文図の星座(星宿)の星を表す金箔や、星を互いにつなぐ朱線の一部などの計4カ所を金属製のへらではぎ取った。
 天文図の下地であるしっくいの状態が悪く、はがれ落ちる恐れが高かったための緊急処置で、はぎ取った部分は、赤道の朱線が縦15mm、横5mmで最大、小さいものは2mm四方程度だった。
 また、漆喰の剥ぎ取り作業に先だって行われた点検で、天文図が描かれた石室天井の20カ所前後で、漆喰が青あざ状に変色しているのが判った。
 変色は天井全体に発生し、一部はさらに赤色や黒色になっており、最大で直径約10cmと確認された。カビなどのように漆喰の表面に発生するのではなく、内部から変色しているが、原因は不明で、来週以降にも生物学的な調査の実施を検討している。

● 平城宮跡東院地区中枢部区画の回廊跡発見(2007年8月31日)
 奈良市法華寺町の平城宮跡東院地区で、中枢部を区画したとみられる奈良時代後半の回廊跡が見つかった。
  見つかったのは回廊の西南隅にあたり、東西、南北とも約27m、東西の回廊には建物跡が取り付き、さらに東に延びていた。最も大きい建物跡は東西27m、 南北12mで四方にひさしが張り出し、柱の据え付け穴も1辺約2mと内裏正殿に匹敵する構造で天皇の生活空間だった正殿級の建物が眠る可能性があるとい う。
  
● 福井県の文化財報告書未刊問題で回答(2007年8月31日)
 福井県教委が発掘調査を行った埋蔵文化財のうち19件の報告書が未刊になっていた問題で、市民オンブズマン福井が県教委に提出した公開質問状の回答が公表された。
 これによると、外部監査実施の提案ついて「業者の確認作業に専念している」との回答にとどまるなど、質問に対して十分な説明がないとして、同オンブズは近く再質問状を提出し面談で回答を求める方針という。
  同オンブズは、未刊報告書の印刷費用を職員や退職者のカンパで賄う意向を県教委が示していることについても、不適切な会計処理に対する見解や責任の所在、 調査の詳細な内容が明らかにされていないと指摘。また、未刊報告書の発刊計画についても、30年以上未刊行となっている報告書の刊行が年度内に可能なのか 疑問として説明を求めていく方針。

● 岡山市指定文化財に上生院の観音菩薩坐像など選ぶ(2007年8月30日)
 岡山市は同市桜橋の上生院の観音菩薩坐像など18件を新たに市指定文化財に指定した。
 上生院の観音菩薩坐像は、平安後期の木造で、像高68.0cm、同市内で文化財に指定されている平安仏は4点しかなく、極めて貴重という。
 このほか、灘崎町奥迫川の熊野神社所有の大般若経は、今回の調査によって、写本の中に平安後期にさかのぼると推定されるものが含まれていたことが分かった。

● 北朝鮮の博物館が国宝級文化財を処分(2007年8月30日)
 平壌の朝鮮中央歴史博物館が最近、国宝級文化財の彩篋(さいきょう=竹を編んだ後、絵を描いたかご)を日本の放送関係者に70万ドル(約810万円)で売却してほしいと依頼していたことが明らかになった。
 北朝鮮の政府幹部が外貨稼ぎ目的で文化財を密かに流出させているといううわさはこれまでもあったが、確認されたのは今回が初めてだ。国家を代表する中央博物館までが公然と歴史遺物を売却するのは、世界的にも例がない「事件」だ。
  今回の事実は、TBSテレビが6月10日『報道特集』で「なぜ売られるのか、北朝鮮の歴史的秘宝」と題した報道を行ったことで明るみに出た。問題の展示品 は、1931年に朝鮮古跡研究会が平壌で発掘した彩篋塚(3世紀ごろ)から出土した、精巧に編んだ竹の上に絵を描いた宝物箱で、当時「超一流の世界的遺 物」という評価を受けた。
 TBSによると、放送後、北朝鮮側からは何の反応もなかったという。



● 奈良・法隆寺で7世紀前半の鴟尾が出土(2007年8月28日)
 奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺で修理のため解体した法隆寺西院大垣(築地塀)の下から建物の屋根を飾る鴟尾(しび)の破片が出土した。
 今回見つかった鴟尾は、反り返った尾の一部で、縦30.5cm、横28.6cm。復元すれば高さ1.2〜1.3m程度になるとみられる。同時に出土した瓦の年代から、飛鳥時代中ごろ(622〜643年)の若草伽藍のものと見られる。
  同伽藍の鴟尾はこれまで7種見つかっており、中心の金堂や塔のものとされてきた。今回のものは背びれのデザインが異なる新しい種類で、出土場所が同伽藍の 北東隅にあたるため、一般に境内北側に建てられる講堂の鴟尾の可能性があるという。また、蘇我馬子が6世紀末に造営した日本最初の本格的な寺院・飛鳥寺 (奈良県明日香村)出土の鴟尾片と文様が酷似しており、仏教中心の新しい国づくりで協力した蘇我氏と聖徳太子の結びつきの強さを改めて示す資料として注目 される。
 若草伽藍は606年か翌年に、聖徳太子が創建したとされる。670年に焼失後、現在の法隆寺ができたという見方が強く、2004年と2006年に焼損壁画片が多数出土したが、金堂や塔以外の姿は不明だった。

● 三徳山投入堂60年ぶり3人だけ特別拝観(2007年8月21日)
 鳥取県三朝町の三徳山三仏寺は十一月に一日だけ、断崖絶壁に建つ国宝・投入堂に一般人の特別参拝を約六十年ぶりに認める。
 投入堂は断崖絶壁の中腹にあり、滑落事故が絶えなかったことから戦後まもなく滑落防止と文化財保護のため、柵を作って参拝者らの入堂を禁止した。
 今回の限定公開は、三徳山開山千三百年記念事業の一環として昨年、百年ぶりに修復を終えた投入堂の落慶法要も兼ねて、十一月上旬から中旬の一日だけ、三人限定で拝観できる。参拝者は応募で募り、多い場合は選考で決めるという。
(応募は9月1日に締切られました)

● 四国霊場88カ所の本尊写真収録DVDを出版(2007年8月27日)
 四国霊場88カ所の本尊をすべてを3年間かけて撮影した宗教写真家が、「四国88カ所―祈りの仏たち―秘仏巡礼の旅」のDVDを出版した。


  宗教写真家の桜井恵武さんは、約10年前から高野山の秘仏や年中行事を撮影。その後、弘法大師ゆかりの四国霊場を中心に活動を続け、写真集を出版するなど している。四国八十八カ所の本尊は原則非公開だが、各札所と交渉を続け、約3年間かけてすべてを撮影した。

DVDには88カ所すべての本尊やお遍路さ んの姿を切り取った写真のほか、その写真を基に画家の高橋アキラさんが描いた細密画などを収録。バックには、歌手・夢慧(ゆめさと)さんの歌うヒーリング ソングが流れている。



 DVDは、桜井さんが全国で開催している写真展などで6月末から、税込み3000円で販売するという。

● 安土桃山時代の金箔瓦大量出土(2007年8月21日)
 京都市上京区中立売通室町西入ルで安土桃山時代の大名屋敷の屋根を飾ったとみられる金箔瓦が大量に出土した。
 瓦は井戸跡(直径1m、深さ2m)から600点余り出土した。ほかに遺物や土はほとんどなく、瓦だけがびっしり詰まっていた。
 金箔瓦は軒瓦や屋根の上の部分を飾ったとみられる飾り瓦があった。ヘビか竜の尾を絡ませたような図柄に、きらびやかな金箔が良好に残っていた。鬼瓦は目や角、口などが明瞭(めいりょう)に残り、恐ろしげな形相を見せている。
 出土場所は内裏と聚楽第(じゅらくだい)を結ぶ正親町小路沿いで、1588年の天皇の聚楽第行幸に合わせて金箔を張って装飾した大名屋敷が、1595年の聚楽第破却で、一気に壊された際に捨てられたものとみられる。

● 文化庁が古墳と壁画の管理一元化へ(2007年8月21日)
 文化庁は、奈良県明日香村の高松塚、キトラ両古墳の管理と、内部に描かれた極彩色壁画の保存・修復作業を一元的に進めるため、保存管理にあたる「古墳壁画室」と、各分野の情報の共有や調整に当たる「文化財保護調整室」を、10月1日に新設する。
 極彩色壁画は国内に2例しかなく、高松塚の壁画は国宝に指定されている。しかし高松塚の施設工事で石室内にかびが入り込み壁画が劣化。壁画と古墳を管理する担当課が異なる文化庁の縦割り行政の弊害が問題になっていた。
 担当室では美術や考古学の専門官らを集め、両古墳と壁画の管理を連携して行う。現在、ほとんどの極彩色壁画は奈良県内の保存修復施設に運び込まれており、これから本格的な壁画修復に着手する。

● 高松塚の石室解体終了(2007年8月21日)
    奈良県明日香村の高松塚古墳で行われている石室解体は、最後の床石2枚を修復施設へ運び、すべての作業を終えた。
 高松塚の石室解体は4月に始まり、最終日に取り外したのは南端石(長さ約90cm、幅約160cm、厚さ約50cm)と、南から2枚目の石(長さ約 89cm、幅約162cm、厚さ約48cm)。取り外された16枚の石材は、今後は修理施設でカビなどで劣化した壁画を修復される。
 今後10年間かかるとされる修復作業では、カビなどによる汚れを除去し、漆喰を強化するが、漆喰に根を張ったカビを完全に取るのは不可能なうえ、白虎などの消えた描線は元に戻らないとされており、困難が予想される。
 墳丘については、床石の下の発掘調査を今月末まで実施した後で埋め戻し、造営当時の姿を復元するという。

● 京都の写真家が醍醐寺の写真展開催(2007年8月21日)
 約25年にわたり京都・醍醐寺を撮り続けるフリーカメラマン中島佳彦さんの初個展「醍醐寺精華」が、8月22日から26日まで中京区の京都文化博物館で開かれる。
 中島さんは、美術印刷会社「便利堂」の写真部員として、国内外の美術品を撮影してきた。特に醍醐寺では建物や仏像、絵画や庭園などを長年撮り続け、2001年に出版された学術書「醍醐寺大観」の写真も担当した。
 個展では「仏像」と「五重塔」「三宝院庭園」に分け、45点を展示。アップの顔が穏やかな表情をみせる如意輪観音坐像や、真横から撮影して神秘的な